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2026年1月

2026年1月30日 (金)

年女

適齢期を逸す、というよりもその相貌にして相手など、と互いに。そんな二人が。晩婚も晩婚にして子まで授かり。五十二歳にして父親になりし感慨。

が、戦乱の世にあって出陣の命あらば。武士の宿命、と今生の別れを告げる主人公に寄り添う妻の腹には二人目が。子の心中を察してか散歩に連れ出す父。夕日を背に丘の上に並んで座る二人。六十二歳の父親が七歳の息子に語り聞かせる話や。

人には寿命というものがあって、たとえ戦ならずともいつかは必ず迎える死には順番あり、年寄りが先。されど、死ぬに必ず新たな命が、ゆえに死を怖れ悲しむことはない、と。父の名や山本勘助。支援者から借りた軍配者シリーズ三巻を正月に。富樫倫太郎著。

「負け犬の遠吠え」以来、贔屓の作家の最新刊の話題で盛り上がる二人。一人が私ならばもう一人は。共産党のS子センセイ。何も対立だけが政治にあらず。趣味は政党の壁を越えて。

そう、「六十年に一度の特殊な年がやってくる、ゆえに還暦、ということで興奮を禁じ得ない」との一文にはじまり。必ずや災いを為す、との迷信が浸透してか、当年のみが異例の減少、その幅、四割。産む産まぬの選択権は当人ならぬ親にあり。そこを押し通した親の性格を受け継いでかキャラ立ちし年女少なからず。何も悪女ばかりにあるまいと。

迎えた今年。昨今の少子化に生まれ年を選べるほど云々と働く推理が抱腹。「日本で初めて女性の首相が就任した秋に」との結び、酒井順子著「丙午に生まれて」。

作られし世論はそこのみにあらず。政権の支持率が政党の支持率に結び付かぬはつまりはそういうこと、と。都合よき一事に焦点を当てて針小棒大に。選挙に大衆扇動、いわゆるプロパガンダは欠かせず。追い風吹かずとも吹いているようにさえ見せれば。そんな風潮も選挙終わればどこへやら。気づいた時には既に雌雄を決した後にて。

裏切らぬはこちら。やればやるほどに知的好奇心をそそられるばかりか、どこかしらに必ず生じる「狂い」に自らの非力さを諭され。何せ全てが自己責任にして他人のせいには出来ぬ。まさに政治家が陥りがちな慢心を戒めるにこれほどの有効な手立てがあろうか。

ばかりか、ホールインワン然り、エイジシュート然り、祝福に包まれる中にあって、当事者が自らの身銭を切って周囲に謝意を示すのが常識。それこそが美学と。本来は祝ってもらうはずの本人が逆に相手を称えるなんてゴルフ位でしょうに。

そう、衆院選。政治家ゆえに人前は得意のはず、なんてのは素人の勝手な思い込み。演説どころか紹介すらいらぬ、黒子で結構、と固辞すれども促される登壇。何せ待ちわびる聴衆の前での押し問答はレジ前の勘定に同じ。

他人様の成功を妬む世の中ではならぬ、他人様のつまづきを喜ぶ社会ではならぬ、出る杭を打つ国ではならぬ、と演説を締めくくるに。ウケたか否かは聞く人のみぞ知るところであり。

(令和8年1月30日/2975回)

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2026年1月25日 (日)

予約

矢を上手く射れぬ子や親のいかに多いことか。子供時代に遊ばなんだか。コツさえつかんでいればあとは応用編で。

毎年、成人式の日に行われし神社恒例の流鏑馬。保存会の末席に名を連ねる私もその日ばかりは装束に身を包み、社殿から厳かに登場したはずも聞こえる会話や、「昨年より的が遠くないか」。んなはずはないでしょうに。保存会の面々でさえ十に一つの難易度にあって見事に射止めし御仁が一言、「ゴルフに同じ」。

ってことは。迎えし私の順番、無心にて狙いし矢はまっすぐ的に。続く二本目も命中。上がる歓声。これはめでたい。今年、選挙でもあらば。いや、いっそ衆院選にでも、とつぶやくに。過去に当たった年はいいことなかったな、と隣のYさん。んな殺生な。

愚痴は人を遠ざけども笑いにゴルフは人を呼び。いつからか地元の中堅らによる月例コンペに入れていただき。ハンデ戦にて運よく初優勝。以降に欠席続くは「たまたま」なれど、よもや逃げておらぬか、との挑発に。申し込むにメンバー足りず。よもや私の名に、なんて毒づいた途端。枠一杯にて迎えた当日。

パー5の名物ホール。1打目は会心にてフェアウェイのど真ん中に。これはバーディか、そんな欲こそ大敵と知るも、ことその時は夢中であり。2打目や大きく左にそれて。いやいや、まだ次が、と。そんな戒めはゴルフの教科書にあるはずも以後は泥沼。いや、来月こそは、なんて博打に同じ。閑話休題。

某所にて免許証の提示、のみならず暗証番号の入力を求められ。入力三回にしてロックかかるゆえ慎重に、と言われても四桁ならぬ八桁と聞き。誕生日の前に西暦か。迎えし三回目。やはり違いますね、最寄りの警察署にてロック解除後に今一度こちらに、と。

不正使用の防止に欠かせぬ暗証番号。カード氾濫の中に全て同じというのも。それでも私なんぞは少ないほうだと思うけど。その手の話はいつも後手。個人情報うんぬん以上に作るが億劫。必要性に駆られねば重い腰が上がらず。保険証が使えなくなると聞いてようやく。そう、あのカードの話。

地元のSさんからの苦情。忘れた暗証番号を知るべく高齢の母君が自ら足を運ぶに。区役所にはその手の端末あらず、番号知りたくば遠路どこぞの窓口へ、と案内されたらしく。番号知らずと顔認証が、と申しても何か特別な事情が。何せ六桁とあらば八桁以上に。そりゃ不便に違いなく。

啓発にそれだけの費用を投じても、そもそもの使い勝手が悪くば普及率など。役人の怠慢は市議らの怠慢、との叱責を受け、早速に役所側の話を聞かば。確かに区役所の端末では中は見れぬ。が、ロックの解除、つまりは初期化と再設定は可能。とするに、やや言葉足らずというか不親切だった可能性はないか。その旨の御子息に伝えるに合点がいった様子。

ならば、再度、区役所に。が、今や予約制が原則。あれとて、「待たずとも」なんて利用者側の利点が挙げられるも、「待たれてはかなわぬ」なんて御上の都合というか、どことなく官尊民卑的な発想が透けて見えてしまうのは私だけか。

(令和8年1月25日/2974回)

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2026年1月20日 (火)

竹薮

裏の竹やぶ、といえば。タケノコなんぞ気休めに過ぎず。

ある日、突然、竹が何者かに伐り倒されて、との通報に駆けつけるは駐在のおまわりさん。参考人として聴取に応じるは小学校の先生。が、児童のいたずらにしては些か。何を隠そう所有者や市。特別保全緑地とされる里山にあって。捜査線上に浮かびあがるは一人の男性、里山ボランティア。

当該箇所は御当地が誇る営農団地への抜け道なれど、道狭き上に両脇の鬱蒼とした竹やぶが人を遠ざけており。市からの依頼か、自主的か、いづれにせよ、竹伐るに道ひらけて明るさを取り戻したものの、無造作に放置されし伐採後の竹。

里山の管理担いしボランティアを率いるは本庁なれど、現場や寝耳に水。ボランティアならば費用を浮かせられるばかりか、現場の手を煩わせずとも、なんて。自主的に手がけて下さる以上は文句を言えた義理になくも、さすがにそれだけの作業量を高齢者ボランティア一人では荷が重かろうに。

それはそれで頼むにせよ、後始末は外部に委託するとか、現場が手を貸すとか、しかと見極めねば。

はたまた別件。ついこないだの話。昨年秋に他界されたSさん。親族のみ、その類は固辞、などと言われても、ハイ、そうですか、とはいかぬもの。線香を片手に弔意でも、と御自宅を訪ねるに。

折からの強風に裏山の枯れた一本の竹が倒れた直後。当人の所有と思しき「裏の竹やぶ」は公有地とか。不幸中の幸いか、庭の木にのしかかるに損害賠償などと大仰なことは言わぬまでも隣接に自らの貸駐車場あり。その背後にはやはり枯れかけた竹が数本。万が一あらば。

今は亡き御主人が数年前に連絡を試みるに担当らしき人がやってきて枯れ木に印らしきものを。が、その後はなしのつぶて。それはとんだ粗相を、倒れし竹の撤去を含めて早速に対応を、と申し出るに、「実は」と奥様。竹林の所有は市ならぬ国、それも国有地にてあの省庁が。そりゃシブいのも何となく。が、んな時の為のその人であり。

全国比例とあらば他に優先するところ多々ありそうなもんなれど、以前から不思議と毎年必ず私の後援会の新年会に。居心地のよさか、終了後の反省会でも手伝いの御婦人らと談笑。何かあれば遠慮なく、余に不可能はない、位の勢いで。

相手や市議ならぬ国会のセンセイ、それも、ヒラならぬ大臣、いや、ただの大臣ならぬ筆頭格、それも、まさに予算編成の大詰めにして「竹やぶ」とはちと憚られそうな気がしないでも。いやいや、彼女ならば。

それとて選択肢の一つ、あとの判断はそちらで、と現場上がりのH部長に告げて翌日。国の担当とは話がついた、あとは当事者から担当に。私ではダメなのか、いや、やはり本人が、と部長に言われるがままに返答するに。本当に大丈夫かしら、と奥様。相手方の腰が重いようであれば私が大臣に直電するゆえ、と告げるに意味深な微笑を浮かべ。

いやいや、これがどうして本当に丁寧な対応で上手く進みそうだ、と御礼の電話まで。よもや故人が私を呼ぶ為に。合掌。

(令和8年1月20日/2973回)

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2026年1月15日 (木)

自主

神社参道、あれだけの列にあって個々が願かけるに。社殿前の大鈴とて鳴らすに相手を督促しとるようで。ならば日頃から。

道すがら地蔵あれば手を合わせ、そこに箱あらば賽銭は欠かさず。サントリー創業者を描いた小説「琥珀の夢」(伊集院静著)にも確かそんな描写が。私も彼のような大物に、いやいや、見かけるに無視するは、とラン後の小銭入れはいつも空であり。

さて、本題。パブコメとはパブリックコメントの略、広く市民の皆様に御意見を募らんとする制度の名称。その投書によれば、災害時の要援護者に対する個別避難計画が全く進んでいない、と。進んどるか否かは個の主観に依るものなれど、投書の主や地元の町会長であり、「全く」との修辞も付かば「何かしらある」と見るのが。

公の制度にて主に返答いくはずも役所の回答文など所詮。たとえ電話一本、メール一通、相手に寄り添わんとする姿勢こそが信頼に。そのひと手間を惜しんではならぬ、と担当に告げて退庁するに連絡あり。例の件、区役所にて相手との面談の日時が決まった、と。

災害時における弱者救済は欠かせぬ視点も、そこに立ちはだかりし数々の壁。そもそもに要援護者などと申しても漠然として。定義なくして補足は出来ぬ。要介護5と申しても既に大半が耐震性に優れた施設への入居。とすると「3」あたり。

いや、むしろ介護度以上に独居の高齢者であったり、レッドゾーンなる地区に居住の方こそ。それとて、他人様の手など借りぬ、なんて偏屈者もいないとも限らず、何よりも当事者にその意識なくば。ということで手上げによる個別支援を本市独自に進める中に国から示されるは個別避難計画の策定、それも三月までに、と。

そこに記されるは要援護者ならぬ避難行動要支援者、ってことはまたその定義も。読んで字の如く計画を作らんとするに膨大な作業量が想定され、欠かせぬは町内会の支援なれど、そこに差異、というか大差あり。協力を要請されども手が回らぬとの町内会もあれば、何故に他の町内会は協力をせぬのか、なんて。余力あるがゆえの葛藤と余力なきがゆえの苦悩。

全ての弱者を網羅し、詳細な計画を立案すれどもいざ災害にあって完璧に機能するとは限らず。来るか来ぬかもわからぬ災害にそこまで、それは実際に起きてみねば分からぬこと、なんて冷めた見方とて。んな話はそこのみにあらず。

通称、自主防こと自主防災組織の合同会議にて力説すれども声が届かぬばかりか出席者の一部から悪態が聞こえたとか。そこに役所の擁護なく浮いてしまった感に落胆のYさん。「自主」の名こそ付けど設立の過程や大きく二つ。まさにその名の通り、勝手連的に組織されたもの、もう一つは町内会からの派生。そう、何とか形だけでも、って。

とするにそこに温度差が生じることは薄々。時に純粋な正義感が裏目に、いや、それが純粋とも限らなかったりもして。んな不和生じるに共助などと。前のめり、などと揶揄することなかれ、と質問をぶつけるに、自主防の方々の御意見を丁寧に、との答弁示され。

そう、今年もあの日が迫る。

(令和8年1月15日/2972回)

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2026年1月10日 (土)

十秒

高齢の身にあって欠かせぬは昼寝。指定席は外から見える玄関の隣部屋。南に面した窓側に専用のベッドが置かれ。横たわる本人の血色や悪からず、生存だけ確認できればそのほうがかえって。そっと名刺を残して退散せんと背を向けるに背後からドンドンドン。来るのを待っていたんだ、と本人。

いや、今、寝ていたでしょうに。寝起きと思えぬ饒舌ぶり。目線合わせるべく中腰となるに奥から飛び出した愛犬に顔中を嘗め回されて。じっと聞き役に徹すること三十分。そう、彼らとてそんな心境のはず。

市長、議長以下、ズラリと並ぶ市議、その数三十名は紹介だけでも。コロナ以降、来賓は議長のみ、とされるに。我を誰と心得る、多忙の中を祝福に赴くというに拒むとは言語道断、来賓としての出席を認めよ、なんてセンセイがいるとかいないとか。

んな不満を酌んでか、事前に議長以外の「全」市議の祝福メッセージを収録し、当日に会場で流すというのだけれども与えられし時間や十秒。たった十秒では文言も限られ、手間や億劫と去年のものをそのまま、なんて市議も。議会フロアに飾られたどこぞの議長の写真じゃあるまいに、過去の使い回しなんぞ失礼にあるまいか。

昨今は祝日といえども大学の授業が行われるとか。そう、曜日に応じて編成されるカリキュラム、月曜だけ突出して時間数が少なくなることがその理由とか。が、その日だけは特別。迫る成人式。成人の日を祝う集い、というのが本市における正式名称。

いつぞやの法改正に問われし成人の年齢。そこをズラすに混乱が生じかねず。高三の一月とあらば昨日と何ら、何よりも受験を控え。別れて歩む二年間。やはり卒後二年の再会というのがちょうど。

生涯に一度の晴れ舞台、彼ら、いや、彼女らこそが一日の主役。そこに異論は挟まぬ、「されど」というのが。会場は市内に一つのみ。同年齢の一万人がその日その時間に一斉に大移動をすれば。何せ衣装が衣装であるし、それでいて駅遠とあれば徒歩はしんどく。ならば会場を複数にせんとするにそれはそれで。

かたや、衣装とてたった一日、貸着で十分といえども誰しもがその一日となるに。その為に用意されし数にその後の需要がどれほど。何とか確保したにせよ着付けにヘアメイク云々と、美容師の数とて。それはさすがに前日とはいかず、当日とて間に合わねば無意味。それでいて、それこそが忘れ得ぬ記憶になるか、と言われれば。退屈な式典よりも脱ぎ捨てて駆けつけるその後の同窓会のほうが。

折角の商売に水をさすな、との批判寄せられそうなものなれど、不要などと申すつもりもないし、着飾るは大いに結構。が、一日ズラさば生じる余裕。選べるは衣装のみならず天気とて。神社に参拝して穏やかな顔での写真撮影、夕食とて優雅に。

そう、あれからはや五年。コロナ禍にあって議長と新成人に語りしは「矛盾」。外出自粛ムードの蔓延に店が閉店に追い込まれる状況を諸君は見捨てておけるのか、と。覚えていないよな、そんなつまらん話。祝成人。

(令和8年1月10日/2971回)

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2026年1月 5日 (月)

極楽

日々の日課や朝の駅頭、いや、走った距離の記入。こればかりは何故か手作業にて手帳はその為だけにあると申しても。そこに目標なんてものなく、単に数字の積み上げながら、それこそが年越し後のささやかな愉しみの一つとなり。昨年の実績や延べ1,249.8km。

地元の古刹が十二年に一度の御開帳の年を迎え。御本尊三回、極楽間違いなし、と聞くに、都合三十六年と思いきや。今年に拝まば残二回、つまりは二十四年。年齢を計算するに住職と顔を見合わせ。生きとるだろうか。

と同時に予定されるは本堂の大規模改修。原資となるは檀家衆の寄進にて御大尽多き土地柄に不足なきはずも広く一般の方にも。さりとて、単に求めるだけでは何とも卑しい、と思ったか否か。本堂の屋根瓦を銅板とするにそこに一筆。「不老不死」だろうが「一攫千金」だろうが個の勝手にて咎めはせぬ、と寛容な住職を前に。

ならば客殿の柱にわが一筆を、と不謹慎な檀家。ふむ、字の巧拙は気にせぬし、世に名を残す気もなく。金銭とて惜しまぬも、いざ一筆といわれるに。そればかりか記すに人目に触れては。「トップ当選」でどうか、との声あれど、やはり。「ゴルフのパットが入りますように」。文字は瓦の裏面にて。

一目同じに見えるグリーンでもコースによって転がり具合がまるで。そこに問われるはグリーンキーパーなる職人の腕。速いほど難易度が高く、下りのラインとあらば尚更に。軽く当てたつもりが止まらぬ球。いや、彼とて力感は同じはず、なれど不思議とカップ回りで失速。なぜ、彼の球だけが。そんな相棒によれば彼の仲間の一人に私との相性が抜群と思しき逸材がおられるそうで。

まずはグリーンにのせて、そこからはパターにて直径10.8センチのカップを狙うのだけど。カップの下につける、つまりは上りのパットを残すが上級者とされ。こちとら「のればよし」なのだから、「どこにのせるか」なんぞ。いや、100ヤード以内であれば「多少」の調整はつくやもしれぬ、が、距離200ヤードにして起伏を聞くはさすがに。

いやいや、これがどうして。動物的な嗅覚、野性の勘が冴え。200メートル先の獲物を狙うハンターが如くプロ顔負けのショットを連発。還暦を過ぎし当人の視力3.0とか。それも同伴者に意中の女性がいようものならそれはもう。

そんなスゴ腕を相手に負けなし、いや、「ほぼ」負けなしの相棒。ハンターとて時に獲物逸することも。グリーンを外したと申してもほんの数ヤード。が、俗に「寄せ」なるその一打が本人にとっては。グリーン回りでもじもじ始めるは迷いし証拠。その動揺ぶりが目に見えて。今日も勝ったな、と。

ゴルフはメンタル、勝負にあってそこを付け狙う人も。が、こと二人に関しては幼少からの旧知の仲。異性にカッコいい姿をとか、よし次こそは、と自ら勝手に。グリーン上、というよりもその感情の起伏こそが何とも。それを「甘さ」と見る向きあれども、いや、それこそが人間味があって。私は好きだな。まだ見ぬ相手、今年はぜひ。

(令和8年1月5日/2970回)

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