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2025年11月

2025年11月30日 (日)

内通

八百長とは不粋。どちらが強いか以上に、いかに魅せるか、が興行の世界。プロレスファン、というかオタクのMさん、中継を見るのが趣味、と申してもプロレスならぬ国会、いや、「市議会」だそうで。カメラ向く先は質問者のはずが。

「あっ、オチそうだ、危ない」と叫べども悲しいかな声援は画面向こうに届かず、「あーあ」。いや、こちとて、オチてはおらぬ、と否定はせぬし、何も好んでオチたものになく。前夜の不摂生ならばいざ知らず、身体が欲しとるのだから抗わずとも。

いや、んな悠長なことをいえるは質問側であるがゆえ。いつ球が飛んでくるか、それが直球か変化球か、はたまた剛速球か、対岸の緊張感に比べれば。

ランの部員の一人、S課長が初舞台を飾ると聞くに助言を惜しまぬ先輩ら。が、体育会系とあらば甘からず。散々に恐怖心を煽った上で。舞台上は心理戦。動揺を見せれば追撃は必至、まずは怯まぬこと、ハッタリこそが。反論するにもまずは相手の言い分に同調しつつ頃合いを見計らって云々と。私などいないものとばかり。

図りあぐねる互いの距離感。私なんぞ近すぎて「ゆすり」というか相手にネタ迫ることもあれば、向こうから勝手にブツが届いたりも。その関係が不適切とばかり寄せられる批判。役人の軍門に下りし負け犬。んな事情は向こうとて。「役人」を「市議」に変えれば。

が、市政を動かすに敵味方あるか。彼らの中にも気づいとる連中はいる訳で。そこに待ったかけるは上司であったり、長年の慣習であったり。そこを打破せんとするに市議の力借りるはそれほど悪か。

むしろ、そこには市政の向上を図らんとする彼らなりの知恵と互いの信用があればこそ。逆を返せばそこを批判の目が向くは他人の欠点しか見れぬ御仁であったりも。 そう、それが悪か否か、かつて、公の場、すなわち本市の本会議場で問われたことあり。

世の不条理にメスを入れ、弱きを助け強きをくじく、私が黄門ならば彼こそは越前。何をバカな。正義感の強き同期のM君の質問内容や職員の処分を巡るもの。当人に課せられし容疑や市議との「内通」であって、議員の質問作成に情報の横流しが罰せられるならば、貰い受けたほうとて。

職員に質問を書かせとる市議がこの中に、との発言にうつむきし人数や知らぬ。が、鬼気迫るその視線向くは私のほうだったとか。「とか」とは何事。んな時に限って。あいにくの不在。と申しても敵前逃亡ならぬ外からの呼び出しありて、以下は会議録からの抜粋。

悪は悪、との答弁に、その規約はどこに、と聞かれ、規約ならぬ信義則としてアウト、と局長。怯まぬM君、ならば上に聞くのみ、と向けられし副市長。改めて聞くが、「いや、知らぬ」と、にべもなく。

それを悪というならば昼間から公のパソコンで私のブログを読んどる局長も同罪だ、とちゃっかり自分のブログの宣伝までする抜け目なさはベテランのなせる業か。まぁ各自の思惑が交錯するのが委員会もしくは本会議であって、そのへんが見えてくると。

S課長の初舞台は無事に終わった、そうで。

(令和7年11月30日/2963回)

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2025年11月25日 (火)

大盛

理系を理系たらしめる一つや「実験」。結果が得られるまで下校かなわず。実験ならぬ解剖を有する医系とあっては。寮生活に週末以外の帰宅は許されず。週明けの早朝に娘を送り届けし父親が見た光景や朝日を浴びて馬を磨く馬術部の生徒ら。こういう生徒たちこそがいい医者に、とゴルフ仲間のI君。

物騒な時代、隔離されがちなキャンパスにあって中をのぞくに。入学後、初めての学園祭に私以外の身内で。とりわけ、当時は学園内で圧倒的な人気を誇った、とされる元局アナの義妹。物怖じせぬ大胆さ、年齢を感じさせぬノリでキャンパスを闊歩するに。さすが妹、と妻。そんなにスゴかったのか、と子に聞かば。確かに存在感は抜群。でも、ちょっと、いや、「かなり」浮いていたかも、と息子。だよな。

いや、実のところ学園祭にあらずとも出入りは自由、と娘。子に関心なくも今どきの学生の動態は知るに損なく。ランの格好そのままに、ヘンな視線浴びることなく。目指すは学食。学生あふれる中に日替わり、アジの大葉巻きフライ定食を。小鉢一つを追加するに一千円とは味、量、値段とイマイチか。

キャンパス外、通り向こうに看板を見るはH食堂。大入の店内にて切り盛りに追われるはおばちゃん。メニューに並ぶはおふくろの味。そうそう、こういう昔ながらの食堂が学生たちの胃袋を。ごはんの量を聞かれるに昔ならば間髪入れずに「大盛」と宣言するところなれど。さすがに昼の二軒目とあらば。

多様性が推奨される御時世、教授とて例外に非ず。というか昔から教授なんてのは個性的なのが多く。女子への贔屓が露骨な教授おり。自慢にならぬバカ正直な息子が回答の間違いを指摘するに、君はレッドカードだ、との宣告。それが意味するは退場、つまりは単位の没収、ということらしく。

あの教授相手によくぞ申した、とはサークルの先輩含む周囲評。されど、おさまらぬはその人。んな理不尽な話があるか、と烈火の如く。何も間違ったことは言っておらぬ、ただ正論を、と弁明する息子に、その反抗的な態度こそが虎の尾を。留年なんぞ断じて許さぬ。明日にでも謝罪に、と妻。何ゆえに詫びる必要などあろうか、と子を擁護するに。そもそもに聞くほうとてそこに居合わせた訳ではあるまいに。

そう、不穏さを増す隣国との間。それが意味するは謝罪か、はたまた。局長級の会合も不発、関係悪化は総理の失態、などとコメンテーター。ならばおぬしはその会合に同席したのか。そもそもに険悪か否か、なんぞ当人の主観でしか。人の不幸は蜜の味、不仲説は周囲こそが騒ぎ立てるもの。険悪さ増すは当人以上に周囲に負うところ大にして。

とするに、それこそが放送の使命とばかり、当人の勝手な妄想を公共の電波で流すは。いや、流すも勝手ならば見るも勝手。ランにゴルフに読書等々、何か没頭するものあれば。むしろ、ストレス少なく健康的にあるまいか。

(令和7年11月25日/2962回)

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2025年11月20日 (木)

訳者

市議なる肩書を有すれどもすべからく案内が届くものになく。んな時に教えて下さる支援者に恵まれ。区老連こと老人会の運動会にぜひ、と「複数」から。が、記される時間に相違あり。九時か、十時か。

待たせるよりも待つほうに、と申しても寒空の下。ましてやイベント目白押しの当日にその一時間を失うに惜しく。老人のやることゆえ、などと不遜なことは言わぬ。メール下さる几帳面な方々に限ってボケなどあろうはずが。開会式は十時、選手の集合が九時と解すれば。

そう、年々それだけの方が年齢の条件を満たしとるというに伸びぬ会員数。ばかりか、退会者とて。そこにはレッテルの拒絶、同類とされることへの抵抗、当人なりの矜持というか。在籍の年数や屈指、元役員で退会を決意したA子さん曰く、老老介護じゃあるまいに、やはり若い方々に囲まれていたほうが、と。

もはや、その年齢ともなればジェンダーとて。いえいえ、競技中にケガの多きは女性よりも男性。それもそのはず、オンナには負けられぬ、との昭和に生きた彼らの価値観こそが仇となり。ゴルフとて飛ばそうと思えば思うほどに。謙虚さ学ぶにこれほどの教材なく。

閑話休題。ガルシア・マルケス「百年の孤独」、イサベル・アジェンデ「精霊たちの家」が南米の二大作にて読むべし、と多読家の義妹より。が、海外文学というのはどうも。ドストエフスキーなどと申してもあの小さな字にカタい文章。やはり権威ある文学賞なるもの、んな難解では。

いや、これが物理だ、化学だ、ともなれば業績は明らかなれど、文学とあらば。それは学生に課せられたテーマなき小論文に同じ。審査員の嗜好に負う面が。最有力と目されながらも未だ文学賞に及ばぬは多分に言語に負うところが。

自動翻訳の精度向上とて目を見張るものあれども、日常会話ならぬその領域にあっては。映画の字幕とてAIでは。やはり、とだなつ、戸田奈津子さんでなければ。

ポール・クルーグマンといえば彼もまた他分野での受賞者の一人。当人の業績もさることながら彼の名を広めるに一役買うはその人。訳文が絶妙にて、著者はそんな性格なんだろうな、と連想させるに十分。

本屋に見かけしその訳書。著者や本のタイトル以上にそちらにそそられ。同じ著者の訳を手がけし前作は失敗本。と申しても「売れなかった」本ならず、失敗のメカニズムを。そう、「失敗の科学」の著者が挑みし次なるテーマや。

スポーツの世界は能力主義、と思いたがる人は多い。成功はあくまでも才能、と自分の可能性を否定する人は多い。そんな悲観論の証拠はどこにあるのか。世に天才ともてはやされるあの偉人とて。努力か才能か、の論争に終止符を。

マシュー・サイド著「才能の科学」。そう、肝心の訳者は山形浩生さん。

(令和7年11月20日/2961回)

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2025年11月15日 (土)

満車

待たせるよりも待つほうが。それは相手が誰であっても。それにしても約束の三十分前は早すぎか、いや、もう一人。バスならぬ徒歩を選べどもまだ早すぎて隣の古本屋に。物色してたと語るHさんは清掃の元職なれど、手にするは一枚のCD。それもショパン。どう見てもクラシックって顔では。聴くに心が癒される、と本人。

かたや同じく再就職組のI区長なんぞハマるは「山」。それも百名山だそうで。田舎育ちのトレイルランナーたる私とて山との相性悪からず。すっかりそちらの話題で意気投合。日程さえ押さえてくれればあとは全てこちらで、と向こうの言い分に「年内に必ず」との約束を交わしてみたものの、迫りくる当日を前に日に日に高まる緊張感。

何せ冬眠前のエサ不足とあらば余計に殺気立つが彼ら、などと聞くに。不安はないか、といわれればウソになり。不運にも被害に遭われし方々の心境は察するに余りあれども、最愛の人を失いし悲しみやそこに限らず。交通事故に比べれば件数とて。

過信は禁物、細心の注意払うに越したことなくも、本市の市議が全て獰猛とは限らぬが如く「彼ら」の中にも、いやいや。台風報道に同じ、映像は衝撃的であればあるほど効果的。あくまでも「目撃」との事実もその映像と連動されるばかりか、連日あれだけ「上位」で流されるに。

そう、いつぞやも恐怖心を煽られるに生まれし「自粛」。あれ以来、内向的な方々が急増。それこそが禍根とは言い過ぎか。いや、それとて個人の判断には違いないけれども意図された報道を真に受けて盲目的に追従するに。退化する思考回路こそ当人にとっての損失にあるまいか、なんて。

ゴルフの発祥を巡る言説や様々なれど、公の文献に登場するはスコットランドの禁止令。国民こぞっての熱狂ぶりに国防が疎かになりかねぬ、と。んな国とあらば戦時下とて。そう、発せられし戒厳令にも怯むほどヤワな国民にあらず、と何かの本に。

こちとら知恵を有するホモサピエンス。クマ如きで動ずるほど。むしろ、空前のブーム下に登山客が減るは好都合にあるまいか、などと虚勢をはってみたものの、拭えぬ不安。いや、不安と申してもクマそのものよりも。万一の遭遇にケガでも負おうものなら大々的に報道されて「軽率」との誹り免れず。いや、それ以上に自宅に帰らばクマ以上に恐ろしき相手が。向こうから「中止」もしくは「延期」の打診あらば、と互いに牽制し合いて、言えず迎えた当日。

道中、会話交わすに抱く罪悪感は相手も同じ。やはり近場の温泉に留めておいたほうが、とは口にすれどもUターンの気配なく。何せインター下りて山道を走るに見かけぬ車。平日とはいえどもこれほどの行楽日和に皆無、人影なしとは。報道の力ってのはスゴいんだな。そこのカーブを曲がれば登山口。かくなる上は、と覚悟を決めて。

いやいや、駐車場はほぼ満車。ばかりか到着のバスからも続々と。懲りぬ面々はどこの国にも。それこそがまさに絶景、旧千円紙幣の裏面に描かれたあの風景が。I区長に用意いただいて山頂で食べたカップ麺が最高に旨かった。

(令和7年11月15日/2960回)

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2025年11月10日 (月)

規程

寄る年波に一人、二人と。存続危ぶまれる句会に期待の新人。「とりあえず、のぞくだけでも」との誘いにまんまとハマってしまった、と語るK子さんや八十歳。

弟君は地元の名うての一人なれど、姉はおっとりとした性格に口数少なく。時に放つ一言が機知に富み、周囲和ませ。短歌の素養ありて俳句になじむに時間を要さず。

そんなK子さんの突然の訃報に想起される今夏の思い出。参院選を前にした戸別訪問。玄関にて温かく出迎えて下さり。こちら見れば目的や明らか、それでもなお、くどくどと目的を説くは、と話題を転ずるに語られし過去。

そもそもに勉強はからっきしだったけれども遊びは得意でね。父の影響でゴルフを始めたのよ。弟は長男ゆえに家庭教師にゴルフの専属プロまで至れり尽くせりだったけど、こちらはオンナでしょ。自由奔放で、いわゆるおてんばだったの。地元では弟のほうがちやほやされてるけど、当時は私のほうが上手かったんだから。

その後も尽きぬ談議に時間を忘れ。これほど饒舌だったとは。好きだったんだな、ゴルフ。

その地位につかば人は群がれど、地位なくして群がるは人柄の賜物、でもないか。目下、政党の役職は全て外れた身にあって相手に追われるは社会的地位の高からぬ連中。久々にどうか、との誘い受けるは現業と呼ばれし彼ら、清掃員の面々。年下の管理職には従順なくせに、センセイたる私は呼び捨て、もしくは「ちゃん」付けにて言いたい放題。

当日の話題や勿論。どこぞのメーカーのクラブが、グリップは二重巻きが云々、と。仕事もその位。そういえば今年はそちらの誘いがなかったではないか、と迫るに。ちょうど来月に大一番あり、職場の腕自慢がそろうと聞くに「よし、私も」と。店の閉店、最後の客。男同士のアツい抱擁にようやく解散。

市長選。現職と争うに対立軸を、と考案されし名称や「多摩川格差」。が、何も全てが劣っているものに非ず。一部の障害者サービスの利用料や本市に分があり、水道料金とて都の無償化が脚光浴びるも本市のほうが今なお。んな料金の見直し、というか「値上げ」が迫るとか。そこを見直すならば、というのが。

「固定」しかなかったあの時代。田舎からの上京、一人暮らし始めるに欠かせぬ必需品。新たに番号を得るに求められる加入金は学生には安からぬ出費。あくまでも権利の対価にて解約時には返金、と聞いたはず。本市の水道にも加入金なるものがあって。

黎明期とあらば月々の利用料金だけではインフラ整備が追いつかぬ、公平性に鑑み云々、と。新たな利用に生じる手間とてゼロならず。存在こそ否定せぬまでもそこに設けられし免除の条項。直近三年間の居住、とありて「直近」に足かせ。かたや免除資格さえあれば、なんて事例も。

いかに注意払えども埋まるに埋まらぬ制度の狭間。埋まらぬならばせめて凹みは小さいほうが。前回の改定から五十年。据え置かれしは料金のみならず。規程とて。

(令和7年11月10日/2959回)

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2025年11月 5日 (水)

番犬

念願のサロマ完走を以て「我がラン人生に一片の悔いなし」のはずが。人は煩悩のカタマリ、欲に際限なく。どこぞのレースが、などと聞くに。正当化する為にアレコレと勝手な理由を付けて。

ランとは個人戦、のはずが、時に「集団」が勝る効果を、と「BORN TO RUN」に。月イチ、いや、二月に一度の部活動。年齢問わず役職問わず、市の職員らと30kmを「だらだら」と走り、銭湯、ビール、解散と、ただそれだけの。

今年のサロマをともに走りしN部長が挑んだ151kmは110.9km地点で無念のリタイア。んな極限状態というか、自らの限界を知るは生存に欠かせぬ貴重な体験。そう、100kmでは味わえぬ「恍惚」があるやもしれぬ。

そう、いつぞやに記した川の道512km。荒川を上り、その源流から逆に信濃川を下って日本海がゴール、まさに列島横断の過酷なレース。出場するにはまず半分の260kmの完走が条件とされ。ならば、その260kmは誰でも出場できるかといわれれば。それとて、出走権を得るには140km以上のレース完走を条件とするのだそうで。

100kmならぬ140kmの理由やいかに。100kmとあらば制限時間は14時間が標準、つまりは早朝にスタートすれば何とか。求められるは夜の経験、「徹夜」だそうで。ふむ、確かにゴルフとて県アマ、関東、全国と踏む手順、一足飛びなど虫のいい話は。

140kmなどと「セコい」ことはいわぬ。解禁迫る200kmにでも、と余裕見せるに。いやいや、「瞬殺」。つまりは申込の開始後、ものの数分で定員とか。で、仮にそこを完走したとしても次なる260kmとて抽選。それも高倍率の。

実力不足ならばあきらめつくやもしれぬが、運次第というのは何とも。ほんとバカ多く。私もその一人か。ゆえに、まずは徹夜の200km、の申込。そう、ランは自己責任、道端に野垂れ死のうとクマに遭遇しようと全ては自らの。ということで、ようやく本題。

番犬はあくまでも番犬、のはずが。今やペットも家族、いや、中には家族に勝る存在、と豪語する御仁もいるとかいないとか。一部の独居老人にペットが人気だそうで。孤独を紛らわせるに欠かせぬ存在。で飼う飼わぬに口は挟まぬ。

が、押し寄せる老いの波に迫られる判断。ペットか施設か。フツーならば、まずは御身、のはずが。前者こそ手放せぬ存在。ヤツのおらぬ人生など生きる価値が、心中とて厭わぬ、とばかり。

法律上、ペットは財産とされ、所有者の同意なくして勝手な処分は罪に問われかねず。同意を求めるに印鑑を押さぬ飼主。折角の善意を拒むとは恩知らず。ならば勝手に、と放置すれども。ペットが先か、老人が先か。

いづれにせよ後始末に追われるは役所なれど立ちはだかるは法の壁。狭間を埋めるに都合よき存在として浮上するは。何せペットに罪なく、手を差し伸べんとするは愛護ボランティア。が、彼らとて。

(令和7年11月5日/2958回)

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