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2025年8月

2025年8月30日 (土)

断水

髪の悩み、と申しても。酷暑に長髪は鬱陶しく、夏は短髪に限る。日々のシャンプー使用料も減れば散髪の頻度とて。いやいや、短髪こそ不手入れが余計に目立つのであり。寄る年波には勝てず、齢重ねるほどに無頓着になりがちな身だしなみもそこだけ意識しておかば見た目もぐっと「若く」なりそうなもので。余計な御世話か。

華僑の三刀とは、料理人、理容師、仕立屋。いつの世も消えぬ需要。床屋はオッサン、美容室は若者、との偏見あれども、髪切りの技術や「理」「美」の差以上に当人の技量に負うところ大にして今さら流行の髪型云々など。顔剃りが許されるは理容、つまりは床屋側であり。

低廉な散髪屋、いわゆる「安床」が台頭を見せる中にも開店前に行列、いや、待ち人の出来る理容店が私の行きつけであり。理髪師の身は一つにて月のみならず火水も休み。数少なき営業日とて開店は午前のみに限られ。こちらは出向くこと可能なれどそれが叶わぬ方々も。当人は訪問理容も手がけておられたはず。そちらの近況を伺うに。

当時は加盟していた組合からの依頼でね。店の休日を利用してやっていたんだ。あれも、元々は資格を有しながらも店舗を持てぬ理髪師の専売、というか小遣い稼ぎの側面あって。店舗を持つには安からぬ出費を伴うから、中には持ちたくても持てぬ人もいたりして。

別に客を取られる訳じゃないから、との容認派もいたのだけど、せちがらく、禁止すべきだって。往復の手間等々を鑑みれば、んなオイシイ話じゃないはずなのに、と胸中をのぞかせ。

閑話休題。事務所の郵便受けに投函されるは断水の知らせ。ついては数日間の道路規制とともに。そう、何も残業は団長のみにあらず、市役所周辺の夜ランはあくまでも時間調整が狙い、こちとて地元に戻らば。小腹すくに隣のコンビニで甘味でも、と物色するに背後から。店前の道路工事にあっては営業妨害、補償はないのか、と店長。

いや、言わんとすることは分かる。が、それこそが公共事業なるもので配管が更新されれば店とてその恩恵を。何もそこまで言わずとも。下手な冗談かと思いきやどうも様子が。はて。ちゃんと市の担当が説明に来たはず、そちらには何と。

どうやら不在の隙にアルバイト相手に紙一枚を残して、というのが。今どき菓子折、誠意を見せよ、なんて柄になく。とすると。公共事業ゆえに従って当然、文句あらば訴訟とて勝手に、との認識は役人の思い上がり、看過できぬ、というのが本心にあるまいか。

いや、アルバイト相手とは申せ、この御時世ゆえ、んな粗相はないと信じるも、知らぬ間にどこか軽薄なところがあったやもしれぬし。地雷を踏んだ、というか単に当人の虫の居所が悪かっただけやもしれぬ。が、一応、耳にだけ、と報告を入れるに。所長自ら店舗を訪ねた、らしく。よもや、そこまで。

脳は期待を裏切られるのが大好き、つまりは予想外の行動はより深く記憶に、と最近読みし一冊に。

(令和7年8月30日/2945回)

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2025年8月25日 (月)

予習

それだけの時間を走り続ける位ならば座り続けていた方が、と思えそうなものなれど。同じ姿勢を保ち続けるは「より」しんどく。今や配布資料は全てあの画面の中に集約されて首だけが前に伸びるばかりか視力まで。

午前10時より始まりし委員会の終了や午後6時。そのまま帰るに渋滞。ならば、と市役所周辺の夜ラン。本市自慢の名湯「政之湯」に寄りて戻るに隣に見かけし団長の車。私と同じ委員会の所属なれど未だ残業とは。

事前に渡されし次第には8項目に説明時間120分とあり。とすると残りの6時間は「質疑」に。かつて「第一」とされた総務委員会の宿命。他に比べてダントツに長き時間と分量を誇り。論客そろいぶむ中に突出して長き委員が一人。

ほぼ全て、いや、ほぼ「なく」全ての項目において質問を見せるはI君。やり過ぎ感に眉ひそめる向きあれど。選り好みなくそれだけの質問をぶつけるに欠かせぬは予習。時に首肯できぬ内容とて無いとは言わぬ。が、仕事に向き合う姿勢。こういう人物こそがわが市議会の評価に一役を。

当日の項目の一つに「社会福祉法人への監査等に係る検証報告書に関する情報漏えいの調査結果について」あり。題名だけでめまいがしそうな内容なのだけれども、監査結果の報告ならぬ、それの漏洩に関する報告。一昨年に生じた市内の社会福祉法人、いわゆる「社福」を巡る一連の騒動。

そもそもに本市が実施していた監査がちゃんと機能していたのか等々について外部有識者3名を招いての検証がされ。その内容が公表前に記事として。つまりは職員の誰かが門外不出の資料を外部に、ということらしく。

システム上に残りし242回の履歴を抽出して関係者全員への聴取が行われたものの、犯人の特定には至らず、との結論。フツーに考えれば相手にメールで直接送るなんぞ。確たる証拠なくば当人とて容疑など認めるはずが。

そう、流出なんぞは本件に限らず。他社に先んじてとの記者魂。いや、職員とて加担するに負い目、良心の呵責を抱いていたはず。くれぐれも「扱い注意」と渡したはずも。求めたほうとてそのへんの事情を知らぬはずなく、出した方にのみ問われし罪は何とも。

ホシの特定は出来ているはず。されど、既に庁内への見せしめには十分。大ごとにせぬとの組織の力学が働いた、ってのが私の推測にて、それは賢い選択なれど、調査に要した手間やいかほどか。

が、それで終らぬが役所。報告書に見かけるは「不特定多数の職員が当該ファイルへのアクセスが可能だった」との一文。以後、情報管理の厳格化を以て再発防止に、なんて方向性がチラつくも、たびに求められるパスワードは。現に私の隣のA君なんぞ画面を開くたびに表示されるメッセージに小言もらしつつ無駄なボタンを叩いとる訳で。

とともに外部との接触に向けられる厳しい目。そもそもに私なんぞは「彼ら」との距離が近すぎていつも「一部」の管理職から不審の目を向けられるも夜メシの際に仕事の話をするなんぞは野暮の骨頂であり。貝殻にこもりて遠ざかる距離感はむしろ双方に不利益にあるまいか、なんて。

一日待たば何ら。たった一日、一記者の抜け駆けが生みし代償や小さからず。オフレコはあくまでもオフレコ、そこに失う信用は手柄の比にならぬ、と思うけど。

(令和7年8月25日/2944回)

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2025年8月20日 (水)

銀牙

んな時こそ人の性根が見えるもの。支持率の低迷にあえぐ中、「今年も党費を」と向こうから。

盆明けにでも、と気遣いしつもりが、盆とて構わぬ、何せ終戦日の式典にも、とTさん。市遺族会が主催する慰霊式の会場や加瀬山。というよりも夢見ヶ崎動物公園といったほうが。当日の移動手段や公共交通、最寄駅からは徒歩、と聞くに「ならば私が」と送迎係を。

碑の前の広場こそ慣例、正午の黙祷を挟む30分とはいえ。彼らとて若からず。この状況下にあって屋外の式典はさすがに、と今年から。九段下の参拝こそが愛国の証、とばかり投稿が目立つもそんな草の根とて。

それにしても気がかりは慰霊塔。建立から既に65年にして目立つひび割れ。それとなく「祝」碑にあらずとは察すれども見当たらぬ解説。場所柄か動物の供養塔のつもりで手を合わせる方もいるとかいないとか。とするに何かしらの手立てがあっても。

帰り際、メシでも食おうとTさん。ファミレスに入りて店員からおすすめはステーキと聞くに「それ二つ」と。その年齢にして肉を選ぶは健康な証拠、が、食欲に追いつかぬナイフさばきはいかんとも。

そう、相次ぐ目撃情報に降りかかる惨劇。人を襲うは稀、とされていたはず。必死の抵抗に難逃がるるも重傷を負いし当人の年齢を見るにさぞ。横道ならぬ登山道のど真ん中にて被害者や二十代の男性、それも友人つまりは複数人での下山途中と聞くに。

当地を訪ねしはコロナ下。知床の名所、まさにあの山に目指すはアイヌの聖地、カムイワッカの滝。当時から遭遇の危険性は知られたところで。今や鬼滅も当時は北斗の拳こそがダントツの人気。んな週刊少年ジャンプの連載にクマとの壮絶な死闘を描いた漫画あり。その血統に宿命を背負いし猟犬が主人公。子供心に恐怖心は忘れず。

何せ急な遭遇こそが相手の感情を高ぶらせ。ゆえに欠かせぬは鈴。あえて居場所を知らせるに寄り付かぬとされたはずも今や逆効果かも。スズメバチに同じ、相手を刺激せぬ、つまりは死んだフリこそ、と聞くも無抵抗にして襲われぬ保証なく。

効かぬ撃退グッズ、子熊の背後に親熊あり。先に気づかば目線合わせず見て見ぬフリしてそっと退却。万が一の際は視線をそらさず後ずさり。それでも向かってきたら鼻を狙え、というけれども。んな状況下で冷静に相手の動きを見極めるなんてのは。遭遇したが生死の狭間に立ったものと。

今秋に挑戦するは山の70キロ。本番前の試走に選ぶは丹沢か大山か。連日の報道を耳にするに、どことなく遭いそうな気がしないでもなく。遭遇せぬは御守りのおかげ。あの時に買ったシカの角をしのばせて。それとて気休めに過ぎず。

(令和7年8月20日/2943回)

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2025年8月15日 (金)

美談

戦後八十年、語り継がれる戦争の記憶。全ての責任は自らにあり、わが身はいかになろうとも、との陛下の御心こそが、と語り聞かせるに。作られし美談、と一笑に付す妻。何たる不遜、自身ならぬ相手の回顧録にそうあるのだから。誤解なきよう付け足すに、当人の実家は過去に皇室に米を献上した由緒ある家柄、のはず。

そう、ついこないだ、「現場」に向かう途中、助手席のI君に聞くはあの選手の逸話。さりげなく拾いしゴミ。やはり大選手たるものは別格、ともてはやす周囲。ゴミは他人が落とした運、拾うは自らにツキを呼ぶ、と語ったことが巷の美談として。拾うに実際にそんなことを、というのがI君の。

これから行くゴルフとて、スイング時に刈り取った芝に砂をかける、ボール落下時に生じたグリーン上の凹んだ穴をなおす、他人様が放置した分も直さば神様がいつか、などと言われるに本気でそう信じとるヤツがいるとすればむしろ日に百球を。あくまでも一般常識の話。直すに大した手間になく、ただ、そういうものとして。

そもそもにゴミに運とは個人の解釈。そこは見逃すにせよ、何も他人様のことまで。仮に「落とす」にせよ、その運を相手に返してあげることこそ。子供に勉強させるに褒美をぶら下げるようなもの。価値観はそれぞれ、動機は不純とて構わぬが、それが「すごい」と言われると、そこまですごいか、というのが。辛口な人ゆえ。

閑話休題。昨日まで支障なく使えていたものが突然。昭和のテレビならば叩くに繋がることもあったやもしれぬ。が、USBメモリーとあらば。画面上に表示されるメッセージや「デバイスを認識できぬ」と。いや、認識不能と出るのだから認識はしとるはずで「中身が見えぬ」というのが、いや、んな屁理屈よりも。

名簿こそ別なれど、日々のデータ、ブログの原稿などは二の次、何よりも〆切迫る同窓会の会報誌の会員の声を入力終えたばかり。あとはメールで送付するだけ、と。あの時に送っておけば、後悔先に立たず。盆休み返上にて。

休日返上で復旧進むはこちらも同じ。市民ミュージアムの収蔵品。そう、あの台風に地下の収蔵庫が水没。保管されていた収蔵品が水浸しにて。復元を進めるに投じられるは毎年数億円。この間の累計34億円とされ。それが市の瑕疵か否かは別にして大切な品々が被害に遭った以上は市の責任で、との理屈はあるやもしれぬ。が、復元後の価値やいかに。

そもそもに収蔵庫に「保管」されていた、ということはつまりはそういうことで。寄贈と申しても折角の申出を無碍に断れぬ、とりあえず、と。ましてや計画予定の新たなミュージアムなどは従来に比べて規模縮小とされる位だから余計に。モノがモノだけに捨てるに捨てれぬ、一方で放置するにも批判免れず。贖罪の念から金銭を投じているとすれば。

何よりも出口が見えぬ話。復元に要する総額は未定だそうで。既にそれだけの額を投じた以上、退くに退けぬ、なんて認識が推進力になっているとすれば。もそっと先を見越すべきにあるまいか。

(令和7年8月15日/2942回)

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2025年8月11日 (月)

左手

マラソンに准えれば彼らは100kmランナー。「上手い」は当然。見るべきは仕上がり具合であって。「上手いですね」ならぬ「仕上がっていますね」こそが彼らへの賛辞となり。

小麦色の肌がもてはやされるは過去。今や美白の時代にあって。それこそが活動の証、参院選も然り、などと述べるに、言うほど姿を見かけなかった、と相手。いや、ちゃんと駅頭時の証人もおるし、そりゃ言いがかりってもんで。

ならば、その左手の意味やいかに、と聞かれ。プレーに欠かせぬグローブ、手の甲が白きはゴルフ焼け。んなヘマはせぬ、と両手を見比べて気づかされる相手の意図。やはり。

そう、過日の句会にて。電車内で一息ついたら女子高生の一団がハンディファンを、なんて句を見かけ。かたや、炎天下の現場では扇風機付き作業着が流行とか。本市でも清掃員にアイスベストなるものが支給されるも、とんと見かけぬその着用。折角、支給されたのだから、との声あり。その心理を察するに。

職務上、義務付けられるは長袖長パンに帽子。過酷であればあるほどに着慣れた格好に限る訳で、この灼熱下に重ね着など。そこを意図するならばむしろ逆。厚着よりも薄着、半袖短パンといかぬまでも快適で機能性に優れた作業着こそ。つまるところ「億劫」というのが。

いや、それは食わず嫌いってもんで、親の心、子知らず、せめて一度着てみれば、というのが買い与えた側の。否、この状況下にあって何かしら対策を講じておかねば万が一の際に責任を、なんて上の保身絡みも否定できず。

とするに、そのへんの誤解を払拭する意味でも事前の段階で。仮に同じ結論だったとしても彼らの意向を聞いておかば着用率はもそっと。惜しまれるひと手間。まずはそのへんの風通しから。

早朝に夕方のみならず、昼の炎天下を走っとるバカ。何を隠そう私もその一人。さりとて、そこに身を置くに不思議と。観測史上、などとはやし立てられるに削がれる外出の意欲。ましてや純粋な高齢者など。が、全ての高齢者が純粋とは限らぬ。

んな警告もどこ吹く風、脅しには屈せぬと。外出に駆り立てるは。おらがセンセイ、米寿を前に炎天下のゴルフに興じておられる、ばかりかエイジシュートの記録をたびに更新中とか。そりゃ時にそんな稀有な御仁も、いやいや。

ひきこもりなど退屈でかなわぬ、室内よりも外。ましてやゴルフとあらば、という狂人は少なからず。請われて相手をするに、口からもれるは後悔なれど、口と身体は別。悔いるというよりむしろ愉しんどるようにしか。それでいてスコアも。一見、不健康に見えても実は、なんて。

冷房の室内にいるのは確かに快適。が、やはりそこに慣れるあまり。適応力を甘く見ることなかれ。ましてや思考はヒトに与えられし特権であって、自らの意思で適応力に磨きをかけることが出来るのだから。疲れない身体、疲れにくい身体は自ら。

(令和7年8月11日/2941回)

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2025年8月 5日 (火)

巨象

趣味にうつつを抜かしては肝心な学業が、どうせすぐに、とは親のエゴに過ぎず。音楽にスポーツ、料理と世にこれほどまでに重要なものに子が興味を示すに咎める権利などどこに。断じて許さぬ、との妻をよそ目に、買わば勝ち、と娘を連れ添い、いや、連れ添われ。

「アコギ」とはアコースティックギターの略だそうで。専門店にて店員の話を熱心に聞き入る娘。が、こちらの関心や。安からぬ値段を見るに。何も新品が全てとは限らぬ、私のゴルフクラブとて中古なのだから、との心の叫びなど聞こえるはずもなく、娘が手に取りし一品を。そう、選択は自由に。

時間外勤務に対しては見返りあって然るべき。振替か手当か。選べるならば見えぬ余暇より見える現物、やはり「手当」をというのが。かたや、残業なるものは全て会社都合とは言えまい、同一賃金同一労働、終わらぬは個の能力とて。おぬしらとて金銭欲しさに「故意」と思しき側面とてないとは言わせぬ。いや、何よりも残業がふくらんでは我が管理職としての資質も疑われかねず、なんて向こう側の自己都合だったりも。

さりとて、こちらばかりは明らかに会社の都合。いや、会社というよりも御上の都合にて要する経費は。そう、直近では参院選、国政選挙は全額が国庫負担とされ。ならば、せめて、その時くらいは。

いや、そこに待ったをかけるは「彼ら」。休日出勤後における動向を他市と比較するに「振替」少なく、つまりは「手当」を選ぶ職員が多い、とか。選択の自由が許されるは結構にあるまいか。んな悠長なことを言っていられず。本市の財政悪化の一因はそこにあり、との厳しい追及に。んな市議がいるとは。ちなみに「センセイと同じ会派です」と聞くに、「すまぬ」と詫びて。欠かせぬ仕事への意欲。

ダークスーツに白シャツこそが社則、部門間の争いに終始する中に忘れさられし顧客の顔、とはどこかで。優秀な社員といえども朱に交われば。陥りし組織の腐敗。白シャツにあっては訪問時の相手に合わせ、当初は顧客への敬意を意図したものが、いつしか、そこだけが「われわれのやり方」として。時代錯誤とは誰も気づかず。

わが社の製品に勝るものなどあろうはずが。他社との互換性などいらぬ、全てわが社の製品で。いや、事実、データセンター内を埋め尽くすはそちらの製品。ある日、他社の製品を一台だけ購入した、その日の朝に担当が来て、サポートの全てから撤退する、と。数ある中でも最大級の顧客に対してここまで傲慢な態度をとれる企業があるのか、というのが転職前の著者の感想であり。読むは「新宿鮫」のみにあらず。

かつては不動の首位に君臨し、栄華を誇りし企業の没落。見事に再生を成し遂げた経営者の一冊を。英題は「Who Says Elephant Can’t Dance?」、直訳すれば「象が踊れないなんて誰が言った?」。ルイス・ガースナー著「巨象も踊る」。そう、わが社だって。

(令和7年8月5日/2940回)

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