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2025年4月

2025年4月30日 (水)

草鞋

請われるがままに名ばかりの会長職を幾つか。口は挟まぬゆえ御自由に、と伝えてあるものの、寄せられる相談とは。総会が迫る中、顧問に名を連ねしあのセンセイ、落選の身にあって処遇やいかに、と相手。

顧問なる役職は本人ならぬ当時の肩書に付与されたもの、ということは当人にも分かりそうなもので。自ら辞退、それも、この間の御厚意は生涯忘れぬ、などと加えれば株は上がりそうな。いや、そこまでの機転が利かば先の選挙とて。「出席」との返事に迎えた当日の挨拶。

今や無職の身にあって気づかされる現実。朝起きて行く場所がありし日々は幸せだった、との述懐。今やふんだんに時間あるゆえ、と。会員数の減少と高齢化に悩む当会にあって期待の新人、貴重な戦力、喜んで迎える、と喝采を浴び。捨てる神あらば拾う神あり、塞翁が馬、か。

孤独感に苛まれるは彼のみにあらず。奥方は未だ現役、犬の散歩に家族の夕飯の支度、それですら時間を持て余す日々に届くは開催通知。そう、役所の左遷組を集めた通称「しまながし」の会。朝に集いて夕刻までただ走り続けるだけの会。動くは足のみならず、止まらぬは口。勝手、言いたい放題も疲れ知らぬ連中にて。

退職後とて我こそが主役、と出席するは元区長。まぁ確かに会というか部活とてこの御仁が始めたようなもの。隠居とて侮れぬはその観察眼。久々の再会にあってそこに目が行くは「通」なる証拠。そのシューズはもしや。かの理論や否定せぬどころか、むしろ自らも実践する身。されど、何も好んでそんな高額な商品を買わずとも手作りの草鞋で十分、と。

専門用語では「ベアフット」というのだけれど、実は過去にも注目を集めし薄底サンダルに惹かれたことあり。されど、シューズならぬサンダルにあって、そもそもに鼻緒だけで足を維持するなんてのは。いや、それでも購入せんと店に足を運べば品切れ入荷未定とされ。あの時でさえも、たかがサンダルが安からぬ値段。ならば今回はいかに。

靴底の部材のみネット経由で入手してあとは自ら。材料費1,600円、工賃は無償で結構。正式には「わらじ」ならぬ「ワラーチ」。原住民などはこれを履いてゆうに百キロは走るとされるも、たった1,600円の草鞋もどきでそこまで走るは草鞋の効能というよりも日々の習慣の違いに負うところが。まぁ損はさせぬゆえ、と私の事務所まで出張いただくに。なんていい人なんだろう、いや、よほどヒマなんだナ。が、いかなる駄作であろうとも善意の手製は金銭に代えがたい価値あり。

そう、支援者の一人が入院されておられ。半年前などはほぼ寝たきりに会話すらままならなかったはずも、当該の介護施設に移って以降、すこぶる体調良く、ぜひ会いに来てくれ、と施設長。いや、確かに。自らの足で歩けるばかりか区内どこぞのラーメンが旨いなどと会話も上々。

施設長曰く、改善の極意や二つ。一つは清潔感を保つこと、入浴も然り、着衣も然り。そして、もう一つは昼寝。と申しても「させぬ」こと。何せ昼にやることなくば寝るは必然。それで夜を迎えるに睡眠は浅く、度にヘルパーが呼び出されては。昼に寝かせぬ為に知恵を絞るに夜の負担がぐっと減ったとか。

草鞋作り然り、昼間に用事があるというのは生きる上でも。

(令和7年4月30日/2921回)

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2025年4月25日 (金)

山渓

「やまけい」と読み。まもなく創刊百年を迎える雑誌「山と渓谷」。文章も秀逸ながら何よりもあの写真に魅せられて山に挑みし御仁も少なからず。彼も読者かは知らぬ。が、行きつけの床屋の店主の趣味やキャンプに山歩き。

散髪時にそんな話題を提供して下さるのだけど、その山の頂上には砂浜があって、天空のビーチから見渡す大パノラマはまさに一見の価値あり。秋の紅葉もアリなれど、やはり新緑の季節こそイチオシ、ちなみに、日帰り可、と聞くに。中央道の須玉ICが最寄り、尾白沢渓谷が登山口となり。

山の第一歩は早いに限る、ましてや軽装のトレイルランナーともなれば尚更のこと。早朝の移動、木々に囲まれた山道を抜けて広がるは。花崗岩が風化した白砂が生みし不思議な景観はまさに大自然の神秘。太古より何億年もの悠久の歴史に人類が栄華を誇るはほんのわずか。何も原始的な生活に回帰せよ、とはいわぬまでも自然に対する畏敬の念だけは失わずに。

八ヶ岳に本市がかねて有する少年自然の家は小五の課外学習に利用されてきたものの、限界とか。ならば再整備を、と検討するに災害時の危険区域に該当。ってことは今までの説明がつかぬにあるまいか。のみならず、現地と本市を結ぶバス便の運転手が確保できぬ、というのが詰めの一手とされ。

当時、都市化の進行が著しき本市にあって林間学校というか、子供たちに自然とふれあう機会を、いや、相手方にあっても大歓迎、と好循環が生まれたはずも。当時は直営とされた運営も時代の波に抗えず。こちらが頼んだか、頼まれたか、向こうの公社が手を上げて下さり、今も指定管理者として。が、そんな両者の関係に暗雲。契約更新に「待った」をかけるはあの会派。公社の経営に疑義あり、と。

かつてゲレンデを埋めた客は今いずこ。閑古鳥鳴く町営スキー場の運営はおよそそんな法人であること往々にして。頼みの綱や町役場。町長自ら理事長とあらば。公社が手がけるはそこのみならず。債務の返済もしくは他の赤字を埋めるに本市からの収入が流用されるは「解せぬ」とのことらしく。

が、契約の不履行ではあるまいに。少なくとも本市が指定管理料を払い、規約通りの運営が図られている以上、そこに生じた利益をいかに活用しようともそれは本市の与り知らぬ話であって。本市からの収入減を失うは彼らには痛手なれど、本市とて彼らに見切り付けれども土地含む所有権はそのまま残る訳で。

そう、肝心な自然教室。これまでは行先は全校同じ、複数校が重なるに日程的な調整のみであったはずも。以降は行先を含め各校の意向を酌んだ上で実施。ついてはアウトソーシング手法だとか、民間事業者のノウハウを活用した手法を云々と微妙な表現に終始するも、つまりはそこも含めて民間に。

すると従来以上に生じる手間の費用は勿論、別途上乗せられるに。団体行動に集団生活の意義が薄れつつある今日。自然教室への価値観も様々。いや、仮に必要性を認めたとしても公費を投じて行う意義やいかに、なんて。もそっと別な解決策は無かったのだろうか、と。

(令和7年4月25日/2920回)

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2025年4月20日 (日)

万博

チケット求めて窓口に並ぶなんぞは昭和の話。スマホ一つで全て完結、現地の支払いとて電子マネーに限るとは。いや、それはそれで別に結構。が、来場者数や経済効果に期待を寄せるならば銭と時間に余裕ある高齢者の方々の獲得に目を向けるべきで。

同伴に年配者少なからず。プレー後に比べるはスコアのみならず、支払いに生じる差額やゴルフ場利用税。彼らは減免もしくは非課税とされ。ましてや平日に比べてプレー代が割高となりし休日。若者割とはいわぬまでも、せめて雨に割引あっても。ということで、雨の休日を過ごすに。

焼却場の余熱利用は本市に限らず。温水プールの料金設定。時間制の本市に対して、そちらは終日の同一料金。のみならず、併設の入浴の施設と室内ジムもセットの「ぜんぶ券」で1千円。ランにゴルフは「にわか」なれど、こちらはホンモノ。何せ幼少より海にプールに泳いだ距離はハンパなく、25mの学校プールは息継ぎせずに届いたはずも。衰えし肺活量は老いたる証拠か。閑話休題。

「害」の字が連想させるは。ゆえに「碍」の字を充てる向きも。いや、字を直しても中身が伴わぬ位ならば、むしろ逆のほうが。一概に発達障害と申しても程度や様々。手帳の有無に関わらず世に癇癪病の患者や少なからず。すぐキレるなんてのも精神構造を分析すれば。とすると手帳を有する彼らは些か過敏なだけで。決して他人事にあらず。

あくまでも個性、と割り切って手帳を拒むは親の勝手。されど、子との接し方に悩む位ならば専門家の助言を仰ぐに損ならず。幼児期に適切な処置を講ずれば社会への適応力とて。かたや事業所側とて当事者の症状改善に向けられる献身的な支援はあくまでも一時的なもの。一日の大半を過ごすは自宅であり、支援を通じて改善が図られるべきは当人以上に親だったりも。つまるところ求められるは両者の信頼。

略語が飛び交うこの分野。児発(じはつ)とは児童発達支援の略、放デイ(ほうでい)とは放課後等デイサービス。いづれも国の枠組みであって、それとは別に本市には日中一時支援なるサービスあり。前者の使い勝手を補完する役割を担いつつ、共存の中に今日を迎えていたはずも突如。

制度上は別メニューには違いないが、いづれも「訓練」に該当。日に2回の訓練の必要性には疑義が残り、以後、同日利用は認めぬ、との通達が利用者ならぬ事業者宛に。利用者にとっては日に複数の事業所を利用するは内容以上に時間の制約に負うところ大にして。児発に含まれる療育センターなども利用時間は限定的。併用は認めぬとなるに追い出されし彼らの居場所が。ならば、既存の事業所に時間の延長を、いや、本来は親が見るべき云々と。

不正とはいわぬまでも時に事業者同士で融通し合い、福祉を食い物にせんと狙いし悪徳がいないとも限らず。そこの検証は欠かせぬも、中には本当に必要とされる方もいる訳で。通知に唐突感が否めず、拙速すぎはせぬか、と。

(令和7年4月20日/2919回)

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2025年4月15日 (火)

手袋

毎年の恒例、増える競技者。我もマキロイが如く、なんて。マスターズも閉幕、いよいよヘボゴルファーたちのシーズン到来。

元来、素手派なれど、上達に必須と聞くに一品を購入。そう、手袋。どこぞのプロ愛用、なんて文句に惑わされるほど初心者になく。が、プロともならばメーカーの協賛に使い捨ての選手も。ラウンド終了後に手袋をポイとゴミ箱に投げ入れたプロに同伴者が一言。

一般のゴルファーにあっては使い回しが常識。手袋とて大切に使うものとされ。捨てるは勝手、されど、機をわきまえよ。プロたるものは世の模範、一挙一動を見られていると心得るべし、との苦言が胸に。言ってくれる人がいるというのは恵まれたことであり。

人事異動に気になるはあの人の去就。今回は内ならぬ外の話。再就職に向けられる視線や厳しく、公表されるが常なれど対象は市の出資法人のみ。社会福祉法人、いわゆる社福などは除外とされ。

施設が求められた時代、受皿とすべく設立に市が深く関与した社福が幾つかあって。契約はほぼ随意にて荒波に晒されることなく。昨今なんぞは委託費のみならず用地の無償貸与とか一般にはありえぬ厚遇ぶりは彼らの暗躍と見る向きも。逡巡する元部下を前に、我に気にせず思うままに、というのが大人の対応のはずも。

法人の存続に欠かせぬは市からの委託料。その見返りにてやむなしとの認識が法人内にも。それでも、かつては彼らなりの負い目あってか、それなりに。が、今では、とこぼす職員。情実人事は否定せぬも今少し人選を、自らも雇われの分際で言えた義理にはないが、あとは自らの目で、と。

かつてはその分野の顔、というか職人肌で頑固者、キャラが立った連中が第二の人生をそこに見出さんと。そんな一人が。開設以来の再編整備、完成を見るまで退けぬ、というが当人なりの理由なれど、退職後、既に十余年にして未だ。

さすがに老害になりはせぬか、年度の切れ目が縁の切れ目、もしや既に、と訪ねるに。奥から聞こえるは子供たちの合唱「あの素晴らしい愛をもう一度」。突然の来訪にも丁寧に応じていただき。

こちらの用件は「彼は元気か」の五文字に全てが集約され。「相変わらずですよ、今も会議に。障害児たちと日々を過ごすは当人にとっての生き甲斐、迷惑どころか職員にとっても教わること多いですし、何よりも本人のボケ防止に」と笑って話す職員。「ならば結構、粗大ゴミとあらばいつでも回収に来るゆえ」と告げ。

しばし後に、「今、会議が終わった。寄って下さったそうだが、戻って来ぬのか」との相手に、「多忙で何より。老害になっておらぬか心配で働きぶりを見に伺ったまでのこと。ぼちぼち市の後任に譲って隠居でも」と問わば。市の後任やおらず、内部人材の昇進で十分、と。

分かれる明暗。貴殿らには年金までの「つなぎ」やもしれぬ。が、彼らにとってはまさに自らの一生を賭した職場な訳で。本来は昇進すべきその役職が市の指定席と知る彼らの心境に想いを馳せれば。偏差値は問わぬ、が、せめて職場でのふるまい位は自らの意識で何とかなりそうなものなれど。

(令和7年4月15日/2918回)

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2025年4月10日 (木)

口癖

まごうことなき私の支援者を豪語されるTさんの口癖。裏金は許してもそれだけは許せぬ。世に裏金以上に許せぬものなど。オレに内緒でゴルフに行くことだけは断じて、つまるところ、我を超えてはならぬ、ということらしく。

たかが棒振り、されど棒振り、巷に狂人少なからず。こちとて折角の相手の誘いを無碍に断るにしのびず。何も隠しだてはせぬし、聞かれれば首肯する。そこの権利を阻害せずとも。いちいち告げてられるか、ということで今日も彼にだけは見つからぬよう。

そう、世にそれだけは許せぬ、ということ少なからず。そんな話。

見知らぬ番号からの着信は間が悪く。直後に届きしメールの文面や「ご相談があります」以上。返信にて「どちらさま」などと聞けるはずなく、かけども応じぬ相手。ようやく繋がりし通話によみがえる記憶。あっ、あの時の。確か、請われて名刺の裏に携帯の番号を。

これで相手はわかった、肝心の内容やどこぞの施設の使い勝手の改善を求めんとするものであって、そこまでは結構。続くは、他の市議に頼めども埒あかず、と。願意叶えんとするに労は惜しまぬ、が、既に市が下した結論を覆す、ましてや他の市議絡みとあらば。

私が人後に落つるは一向に構わぬけれども、最初の相手が最善を尽くした結果なのだからそこを酌んであげねば。いや、それ以上に自ら信用を落とすようなもので、何とも惜しい。

相談一つに相手の性格が見てとれて。物事は何も押すばかりが是とは限らず。「御多忙の中、恐縮ですが」などと前口上あらば、「いえいえ、大して忙しくなんかは、どうせゴルフ位しか、ならば早速に」。移転後に管理職の直通が繋がらぬ課題は議会でも。

着信の相手や大事な顧客、ましてや苦情とあらば早いに限る。ゆえに着信は三コール以内に応ずべし、と新社会人の時に。今や残る履歴。内線ならば職員録に身元が判明すれども外線とあっては。こちらの個人携帯の番号など知る由もなく、見知らぬ番号とあらばさもありなん。

かつては部署内の誰かが代理として応じていたものの今や直通の時代。とりあえずはスルーというのが。されど、そもそもに公開されておらぬ直通に外線からかけてくる相手など察しがつきそうなもので。

庁内では不自由な声など聞かぬ。いや、彼らは独自のSNSというかリアルタイムのチャットあるゆえ。内にいては外が見えぬ。彼らの顧客が誰かを鑑みた際に利便性を向上させるべき相手は職員同士ならぬ外からの「市民」であって。

そんな悪評高き取組が新年度から区役所でも。初期投資4千万円、維持費3千万円。いや、現場に近きが区役所ゆえに直通の頻度や本庁の比にならず。役所にあって内部の不祥事は見逃しても電話に応じぬは。いや、逆。もとい、両方だな。

(令和7年4月10日/2917回)

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2025年4月 5日 (土)

掛軸

任期や一年。新年度の改選はさながら小学校のクラス替えが如き。とすると併せてあてがわれる書記は雑用係か担任か。隠居の身にて今さら我は通さず、残りの空席で結構、と言い残して与えられるは昔でいう筆頭委員会。

会派に所属せぬ無所属には未だ敷居をまたがせぬばかりか、今年などは五年に一度の大計画の改定年とあって。各会派から投入されるは大物級もしくは期待の新人にて何故に私が。あとは読者諸賢の想像に任せるも席があるだけマシか。

さて、今年も優待券を片手に訪ねしTARO賞。若手の登竜門とされ、今年も五百を超える応募作品から。常設展など知れたもの、企画展の成否こそが全体の収益を左右するといわれる中に。こちらに関しては常設展とて。いや、むしろ、そちらの方が。何せ、その人が主役とあらばネタ尽きず。ばかりか、その魅力を伝えんとするに欠かせぬは彼ら。

「コンペイ党宣言」との題に学芸員のセンスが窺い知れ。圧倒的な存在感を以て迫りくるあの迫力はベートーヴェンの「運命」にひけとらず、と申しても芸術の受け止め方は人それぞれ。ゆえに勝手な解釈が成り立つも、それを補うに。絵は感性なれど言葉は理性。当人の真骨頂はその言葉にあり。絵好きにあらずとも彼の文章を読まば新たな境地がひらけるはずで。特に若者にはおすすめ。

もとい、本市の岡本太郎美術館の常設展。広間に通じる薄暗き廊下に見かけるは本と思しきページのコピー。小さき字で記されるは命名の由来。ある日の茶席に招かれた太郎。腰をかがめて茶室に入りて目にするは床の間の掛軸。

月か何やら丸が描かれていて、その意を説かんとする宗家に。芸術家たるもの丸をよしとせず、すべからくとんがるべし、絶対にこんぺいとうでなければならぬ、と。そんな解説だったはずで。たとえ相手が誰であろうと遠慮を見せぬところが当人らしく。

眼光鋭きはこちらもひけとらず。上野の不忍池のほとりにありしかつての邸宅に四季折々の庭が愉しめ。大観といわば酒。元々は下戸の当人が酒にハマりし発端や師匠の岡倉天心。酒が飲めずに良い絵が描けるか、と。信じちゃったんだろうな。

売れぬ当時を述懐した一文が何とも。時は戦時下、「あのときはつらかった。春草君の絵は何枚か売れたが、私の絵は一枚も売れない。絵が売れることをあてにしてきた旅先のことなので、金に余裕がなく、毎日毎日宿に帰ってきても、晩酌一つできなかった。いちばん酒が飲みたいときに飲めないのだからつらかった。ところが、夜になって部屋の一番奥の廊下に銚子が二、三本、置いてあった。次の夜も置いてある。宿屋の小女が同情して燗冷ましを熱燗にして置いていってくれたのだ。燗冷ましの熱燗だったが、あのときほど、うまい酒はなかった。五臓六腑にしみわたった。小女の姿が悲母観音に見えた。いや、悲母観音そのものだと思った。あのときほど、人の情がありがたく身にしみたことはなかった。哀れの分からない人間に、よい絵は描けないよ」と。春草とは同門の菱田春草。

(令和7年4月5日/2916回)

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