十年
「協」の字が意味するは互助。持ちつ持たれつと申しても時に。手製にて完成度は様々、全て一律に扱われるに。力作揃いし品評会にあって半券が残るは買い手おらぬ証。彼らの心境を察するに。ふむ、それでこそ議員。が、一品一票、んなセコいこと言わず、いっそ全て買い上げれば、と冷やかされ。
いや、金銭など惜しむものにあらず、それだけを購入するに運搬ままならぬ、いや、無事に運び込めども消費せんとするに。捨てるなんぞもってのほか、御近隣に配らんとすれど買収の罪に問われかねず。いや、そもそもに生産者に伝えられるは半券の有無。購入者が誰かなんぞは伝わらぬ。まんまと相手のワナに嵌るところだった。いや、それでもちゃんとみかんとシブ抜き禅寺丸柿は買わせていただきましたゆえ。そう、農協主催の農業まつりにて。
郷里のみならず母校さえも一にする者同士の絆固く。全盛期には百名を超える出席者が集いしも今や三十名ぽっち。のみならず、その平均年齢や八十になりそうな。総会後の懇親会に、乾杯終えて、ひと息つかんとすれどもビール瓶を片手に所狭しと会場内を酌して回るは支部長。欠かせぬ気配り、が、たかがそれしきの人数も一向に戻る気配なく。いや、こちとて単に席に用意されし料理が冷めてしまいはせぬか、と。
「彼ら」から見れば相手や一人やもしれぬ。が、支部長から見れば相手は一人ならず。伸び悩む、というか減少の一途を辿る会員数、総会に若手の姿を見かけぬはそんな対人の煩わしさか。安からぬ対価を払って無駄な時間を浪費するなんぞ、どこぞのバカなランナーじゃあるまいに。何せ若者は忙しく、折角の休日をそんなものに費やす位ならば、というのが。
その点、職業柄、相手選ばず、話題選ばぬ私なんぞは苦にせぬも、ままならぬは時間。いつぞやも御自宅に招き入れていただいたまではよかったものの、長かったナ。由来は知らぬ、が、佐渡守(さどのかみ)なる称号は名家の証。畏れ多くも第三十一代の議長殿。没後十年、故人の業績を振り返る、と題したシンポジウムが開催され。
賢人の輩出に欠かせぬは教育、教育を語るに郷土の歴史を知らずして。つまるところ、学校に特別室、とまではいわぬまでも玄関もしくは渡り廊下に郷土史コーナーがあって然るべきも今やそんな風潮に乏しく。本来ならば「自費」となるべきところを敷地の一部、いや、土地のみならず建物も。つまりは校舎内の一つの教室を占有、というか、拝借する格好にて開設にこぎつけるに大物ぶりが窺い知れ。
欠かせぬは関係者の理解。地元の賛同を得て校長を口説き落とすは紛れもなく当人の功績。されど、そこに立ちはだかりし予算の壁。首肯せぬ教育委員会を膝詰め談判に降伏せしめるは佐渡守ならぬ後継のO市議。師が十年ならば彼もまた十年。教え子の君が先に逝くとは、弔辞を読み上げた師も後を追うように。
現職のまま他界されたO市議。当日に名すら上がらぬは何ともしのびず。会場に見かけるは無二の親友。そちらの没後十年は改めて、と会場を後に。
(令和6年11月21日/2890回)
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