脱税
今年もオクトバーランの目標達成を遂げた。月間300km、ってことは日に10km、一日サボれば翌日は20km。走るは深夜に早朝と限らず、足りぬとあらば雨の中。それでも足りねば、日に三回、ならば分けずとも。今ならサロマも完走かも。
んな愚行が庁内に知れ渡ってか向こうから声をかけて下さる職員もいて、次回は一緒に、と肝心な仕事の話も忘れ。彼らにとって大会選ぶに優先されるは場所よりも日程。議会閉幕後の年度末こそが数少ない好機となり。静岡マラソンへの申込を終えた。が、こちとらそこまで待てぬ、年末にロングトレイルを。
閑話休題。この夏に税務署から通知が届き。開封するに過去の納税額が足りぬ、と。はて、確定申告は毎年ちゃんと応じとるし。あれは議長退任後の年にて昨年ならぬ数年前。県の水道企業団の役職を兼務した際の額が過少とされ。いや、ちゃんと当時の報酬から源泉にて徴収されているはず、仮にあったとしても誤差の範囲。泣く子と地頭には勝てぬとばかり、署に出頭して告げられるは誤差ならず。
延滞分を含めても高すぎはせぬか。税務署の言い分を聞くに、その納税額は当時の報酬に対して適正に課税されたものなれど、そりゃあくまでも企業団からの支給に対しての税率に過ぎず。市議の報酬と合算して新たな税率を適用するに。そんなに変わるの。申告漏れか脱税か。「裏金」もそんな感じだったんだろうな。
仕事柄、税とあらば第三者を装う訳にもいかず。話がこちらに及ばぬように聞き役に徹して。交わされる話題やそちら。仕事に追われての残業も管理職とあらば固定給にてそこを勘案するにパート以上に単価は低くなりはせぬか、とボヤくに、確かにそうかも、と経理が同情して下さったとか。そう、最低賃金の話。
向こうの言い分は誰でも分かる、が、上げるに圧迫されるは利益。社が倒れては彼らの雇用とて失われかねぬ、とシブる企業の肩を叩くは政府以外になく。過去にそれだけの改善が図られた功績はもそっと評価されても。
人手不足に今や幼稚園でもパートの手を借りざるを得ず。目立つ欠勤の理由を探るに「一線」越えるは損との計算が働くらしく。欠員埋めんとするも採用ままならず。シフトが組めぬと。俗にいう年収の壁。損か否かは別にしてそこに壁あらば調整を図らんとするが大衆心理。以前と同じ出勤日数を確保せんとすれども壁の上限が同じままにて単価が上がれば結果は自ずから。ゆえに時代にそぐわぬ壁の見直しを、との言い分は一理あれども、壁は一つにあらず。
税の有無とともに社会保険が義務化されるもう一つの壁。そちら超えれば税のみならず保険料の新たな負担。ならば、そちらの上限見直しとて。いや、そもそもに社保の壁はその上限までは親や配偶者の庇護下を意味する訳で。今や主流となりし共働き、夫婦別姓云々と時代がそちらに向かうならば、いっそ壁を取り払ってすべからく自己責任で、って。
何よりも壁の上限のみが争点化されるに。そこに正解なく、一円でも高く、が多数派を占めがち。選挙目当てに歪められる政策は将来に禍根を残しかねず。有権者は賢くあらねば。
(令和6年11月5日/2887回)
| 固定リンク
コメント