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2024年11月

2024年11月30日 (土)

奇縁

紛糾の常任委員会や隣り部屋。劣勢に立たされるはそちら。公園内にそれを認めるべきか否か。市の実施したアンケートによれば一部容認ならぬ全面禁止が半数以上を占めるとか。公共を謳う以上は何もそちらのもののみにあらず。開放的な空間に至福の一服。周囲に迷惑かからねば何もそこまで。いや、迫害を受けるは彼らのみにあらず。

手入れ行き届かず放置されるにもっと積極的な活用を、と口ではいうけれども、いざ、借用せんとするにアレコレと。何せ火気厳禁でもあり。ならば、学校の校庭はどうか。近隣からの苦情こそ寄せられぬまでも利用の希望者は少なからず。今や手続きとて顔見えぬネット経由なばかりか、競合の際は抽選とあって。落選の際は中止もしくは延期、なんて言えんでしょうに。ということで、そこに浮上するは。

丘陵地のてっぺんにあって、周囲を木々に囲まれ、他の浸食を許さず、土地の安寧を静かに見守るは神社。縁ありてその土地に住む老若男女が集いて談笑するに神様とて。普段は見かけぬ親子連れに若い学生らの姿。限られし席を譲り合い、見ず知らずの方々も不思議と溶け込むは御加護の賜物。賽銭の増減や知らず、それ自体が神社の宣伝、と総代はじめ氏子の皆様方の御理解を得て。

何せこちらは三欲に狙い定めし「さんま」にて集客や初詣の比に非ず、とはバチあたり。仕入れ増やせども追いつかぬ盛況ぶり。こないだ、立ち寄りし居酒屋に見かけるはそのメニュー。値段とて安からぬばかりか脂のノリも。何せこちとら冷凍ならぬ生さんまを備長炭で。神社でさんまとは奇縁なれど、それでいて四百円は買得。ちなみに昨年は食べそびれしTさんも今年はちゃんと。願掛けの御利益か、いや、早く来ただけの話だったりもして。今年も後援会主催のさんままつりを終えた。

バス旅行となるとこうはいかぬ。前会長などずっとそんなことを考えとる御仁にて。選挙に欠かせぬは人、大勢を集めるにいい知恵はないものか。転機となりしはあの震災。気仙沼からさんま仕入れて地元にてふるまわば、客人に負担少なく腹も満たされるばかりか復興にも一役、それでいて私のいい宣伝にも。客よし、市議よし、被災地よし、の三方よしにて。今や仕入こそ別なれど当時の収益は全て被災地に。もう、あれから十年以上。ここまで続くに人の協力なくしては。後援会の役員はじめ支援者の皆様方のおかげであり。

ごった返す境内。目当てはさんまとて構わぬ、が、せめて「ついで」に市議の名も記憶に。我こそが本日の主役、御当地で人気の市議でござい。いや、列に並びし彼らの頭の中はさんま一色。売切れ御免の事前告知に残りわずか、と聞くに。んな市議のくだらん話しなんぞ。ならば、ありついた面々はどうか。そりゃもう食うに夢中で。私の挨拶用に用意したはずのトラメガも整理番号の呼び出し用に転用され。いや、それだけの人が笑顔でさんまにありついとるのだから。

(令和6年11月30日/2892回)

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2024年11月25日 (月)

寿命

数年に一度、それも不定期にして重なる不思議。何も同じ月にあらねども。衆院選に海外視察、と続く中に追い打ちかけるは、パソコンの故障。こちらや数年どころか十年ぶりか。

起動後に印刷が出来ぬばかりか、ネットも繋がらず。今やそれを使えねば仕事にならぬ。安からぬ料金を払い続けるはまさにこの時とばかりサポート契約を行使するに駆けつけるエンジニア。一目見るなり「保証外」、つまりはOSのバージョンが古すぎて対応できぬ、と。

いや、んなことは分かっとる。が、ついぞこないだ、複合印刷機の更新時、使えるならば旧機のままで、と再リースを申し出る私にパソコンはそのままで何とかするゆえ、と新品を押し付けといて「出来ぬ」とは看過できぬ。兎に角、昨日まで何ら不具合なきものが突然使えなくなるなどおかしいではないか、と鬼の剣幕で詰め寄るに。再度画面に向き合いて数分、「寿命」にて新たなパソコンに動作環境を整えてから再度ご連絡を、と帰り支度を。

モノに永遠なく、いつかは寿命が尽きると知りつつも新品の購入に躊躇を見せるはデータの移行、それ以上にインストールされていたアプリケーションの更新、それに適したバージョンとするに生じる追加料金。そのへんの煩わしさか。スマホならば機種変とてボタン一つで元の環境のまま。

途方に暮れる中に控室のMさんがなじみの業者を紹介して下さり。中古品、と申しても社内のデモ用、ほぼ新品を格安、それも設置費も含め。まさに九死に一生。それにしても、これだから見えぬものなど。

そう、事務所に届くは乱筆の粗相をお許し願わんとの一文が添えられし手紙。読むにいつぞやの御礼だそうで。相談の内容や。カード会社から届く明細におぼえなく。毎月、一定額が自動的に引き落とされて。過去分の返還などは求めぬまでも、せめて新たな請求を止めることは出来ぬものか。カード会社に問い合わせるに解決はあくまでも当事者間で、とにべもなく。

知人のツテでその手に詳しい人物を紹介されるもやはり。これこそが高齢者を狙いし新手の詐欺、とばかりに警察に駆け込めど冷たくあしらわれるはわが心境に同じ。んな状況下にあって当人が耳にするは市が運営する消費者行政センター。センセイから口添えを、とせがまれるに、仲介の労こそ厭わぬも。

まさにそれこそが「彼ら」の使命。彼らとて彼らなりに最善の手は尽くして下さるはず。されど、相手が相手、今や電話のオペレーターなど不在の世界にあって相手の顔が見えぬ。そんなヤツらが相手とあらば。ましてや、庁内にあって決して「花形」とはいいがたい部署だけに。

いや、その選択肢とて否定はせぬ、が、別な手立てのほうが、と促すに。徒労とて構わぬゆえ何とか、となると妨げる理由なく。意を決して当該の部署に事情を話さば、私どもが必ずや期待に添うてみせる、と自信のぞかせ。過信は禁物、期待薄とは言わぬまでも。

くれぐれも相手の手間ばかり増やしてはならぬ、ダメならダメと早めに決着を、なんてエラそうに。これがどうして、いかに解決にこぎつけたか知る由なくも相手の喜びようや。先入観ってよくないナ。

(令和6年11月25日/2891回)

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2024年11月21日 (木)

十年

「協」の字が意味するは互助。持ちつ持たれつと申しても時に。手製にて完成度は様々、全て一律に扱われるに。力作揃いし品評会にあって半券が残るは買い手おらぬ証。彼らの心境を察するに。ふむ、それでこそ議員。が、一品一票、んなセコいこと言わず、いっそ全て買い上げれば、と冷やかされ。

いや、金銭など惜しむものにあらず、それだけを購入するに運搬ままならぬ、いや、無事に運び込めども消費せんとするに。捨てるなんぞもってのほか、御近隣に配らんとすれど買収の罪に問われかねず。いや、そもそもに生産者に伝えられるは半券の有無。購入者が誰かなんぞは伝わらぬ。まんまと相手のワナに嵌るところだった。いや、それでもちゃんとみかんとシブ抜き禅寺丸柿は買わせていただきましたゆえ。そう、農協主催の農業まつりにて。

郷里のみならず母校さえも一にする者同士の絆固く。全盛期には百名を超える出席者が集いしも今や三十名ぽっち。のみならず、その平均年齢や八十になりそうな。総会後の懇親会に、乾杯終えて、ひと息つかんとすれどもビール瓶を片手に所狭しと会場内を酌して回るは支部長。欠かせぬ気配り、が、たかがそれしきの人数も一向に戻る気配なく。いや、こちとて単に席に用意されし料理が冷めてしまいはせぬか、と。

「彼ら」から見れば相手や一人やもしれぬ。が、支部長から見れば相手は一人ならず。伸び悩む、というか減少の一途を辿る会員数、総会に若手の姿を見かけぬはそんな対人の煩わしさか。安からぬ対価を払って無駄な時間を浪費するなんぞ、どこぞのバカなランナーじゃあるまいに。何せ若者は忙しく、折角の休日をそんなものに費やす位ならば、というのが。

その点、職業柄、相手選ばず、話題選ばぬ私なんぞは苦にせぬも、ままならぬは時間。いつぞやも御自宅に招き入れていただいたまではよかったものの、長かったナ。由来は知らぬ、が、佐渡守(さどのかみ)なる称号は名家の証。畏れ多くも第三十一代の議長殿。没後十年、故人の業績を振り返る、と題したシンポジウムが開催され。

賢人の輩出に欠かせぬは教育、教育を語るに郷土の歴史を知らずして。つまるところ、学校に特別室、とまではいわぬまでも玄関もしくは渡り廊下に郷土史コーナーがあって然るべきも今やそんな風潮に乏しく。本来ならば「自費」となるべきところを敷地の一部、いや、土地のみならず建物も。つまりは校舎内の一つの教室を占有、というか、拝借する格好にて開設にこぎつけるに大物ぶりが窺い知れ。

欠かせぬは関係者の理解。地元の賛同を得て校長を口説き落とすは紛れもなく当人の功績。されど、そこに立ちはだかりし予算の壁。首肯せぬ教育委員会を膝詰め談判に降伏せしめるは佐渡守ならぬ後継のO市議。師が十年ならば彼もまた十年。教え子の君が先に逝くとは、弔辞を読み上げた師も後を追うように。

現職のまま他界されたO市議。当日に名すら上がらぬは何ともしのびず。会場に見かけるは無二の親友。そちらの没後十年は改めて、と会場を後に。

(令和6年11月21日/2890回)

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2024年11月16日 (土)

美醜

デンマークといえばその人をおいて他になく、かたや、その国にあって。古くはシェイクスピアに始まり、コナン・ドイル、アガサ・クリスティとキラ星が如く文豪ひしめく中にダントツの人気を誇るは。シリーズ全体の映画の興行収入はスター・ウォーズに迫らん勢いとか。

駅のホーム9番線ならぬ9と4分の3番線。ファンならば誰しもが知る聖地。撮影スポットには昼夜を問わず長蛇の列。そこから旅が始まるのだそうで。ほんの十年前までは市内有数の物騒なエリアも駅舎の整備とともに変貌を遂げ。治安こそ都市の魅力。

若者文化とストリートカルチャーのまちづくりを推進せんとする本市にあって手本とすべきはその地区、だそうで。古き建物の最上階に屋根裏を有するは仏系、角を曲がらば香辛料の香。多様な移民が混在する居住区にあって治安酷く、変貌に一役買うは。許可を得るより謝罪して許してもらう方が常に簡単、とは当人。が、昨今なんぞは倉庫に空き店舗等、そのまま放置されるくらいならば彼らに機会を、と所有者自ら。

美観損ねるばかりか犯罪を助長しかねぬ、排除に治安回復を狙いしニューヨークの事例は世に知られたところなれど、いや、彼らとて何も好んで犯罪を誘発したいものにあらず、自らの存在を認められればきっと。落書きかアートか。敵にさえも場所を提供するのが資本主義、と挑発的なメッセージ。その謎めいた存在が名声を高め。社会を風刺する作品群を見るに思想や明らか。英国を代表する画家ターナーと同列に並べられるは。

実はここだけの話。美術史に「も」造詣深く、なんて自分で言うな。入門書は「ギャラリーフェイク」、とりわけ西洋画などは独自の解釈含めてそれなりに。絵画の基本は「まま」を描くこと、そこに意味があったはずも時代が流れるに、「まま」を残すなら絵画よりも写真でいいじゃん、と写実の意義が薄れ、台頭を見せるは印象派。特有の額縁がその価値を高め。巨匠ゴッホなど生前に売れた作品は一枚のみ。後世の評価高きは弟テオの画商としての非凡な才に負う面が、なんてのはまたいづれ。されど、現代美術、いわゆるモダンアートとなると。

便器にサイン、マルセル・デュシャンのあの作品など美術を愚弄したものにあるまいか、なんて、ついこないだまで本気で。洗練された美術館に最も不釣り合いなものを展示するなど。いや、それこそが彼の狙い。美しき絵こそが一流の芸術との従来の概念を覆す、美醜は個々の価値観に負いはせぬか、と問いかけし彼の功績、古き権威の世界に挑みし大胆さこそ彼のすごさ。ならば、ウォーホルはどうか、絵というよりもイラスト、アーティストに含めるに云々とぶつけるに延々とその価値を説かれ。市役所近くの焼肉「三千里」で、この夏の話。

さりとて、わが作品こそ真の芸術とばかりに必死の売り込み、展覧会に置かれた事実こそが評価の証とばかりに自らの価値を高めんとする御仁もいないとは限らず。いや、それこそが芸術の醍醐味。モノの価値は生み出されるもの。人によっては巨匠の作品よりも自らの孫の絵のほうが。やはり何事も自らの目で。

(令和6年11月16日/2889回)

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2024年11月12日 (火)

視察

昨今はその語彙につきまといし印象の払拭に別な呼称を充てる自治体もあるとか。悪名高き海外視察を終えた。

何せこの御時世にあってビジネスクラスなんぞ特権意識の最たるもの、公費で行かせて貰えるだけ感謝せよ、との風潮に押されてか。が、ロンドンのヒースロー空港での乗り継ぎ5時間を含む22時間、つまりは片道17時間は100キロマラソンの制限時間をはるかに超えて。フライト全てエコノミーはさすがに。ならば走り続けたほうがまだましかも。ほんとの話。現地の宿への到着は午前一時にてその翌日の午前中から所定の行程に。

ビジネスクラスは当然、などとは申さぬまでも、せめて不参加の自由位は。が、小学校の遠足に同じ、集団行動にて参加が原則とされ。それでいて、やれ選挙だ云々と不参加ありて、ならば私も、と辞退を申し出るに言い渡されるは違約金、行かぬなら三十万円を自腹で、と。それも一ヶ月前なのに。旅行会社に足下見られてはおるまいか。いや、そもそもにハナから「任意」とすればいいものを。自ら混乱を招いているようなもので。赤信号みんなで渡れば怖からず的な発想は好かぬ。

内外を問わず旅は慣れたもの、下着などは安物を洗濯しての使い回し、それ以外とて。何せ一番重い荷が本だから。それが時差ボケなるものか、見知らぬ土地での緊張感か、滞在中の寝ざめ早く、ものの四時間も寝れば。昼間とて不思議と寝ずに話を聞いとるのだから。初日にしてかくの如き状況にて翌日以降も。時間を埋めるに読書と申しても昼間も同じ姿勢を維持し続けるに血流の低下を免れず。

ということで出発早きその一日と最終日を除いて全て早朝、朝5時前のランから。我が国ならば何の心配もいらぬ、が、海外にあって安宿とあらばそんな立地になる訳で。朝の路上に見かけるは「彼ら」、目を合わせぬに限ると無視すれど向こうは無視とは限らず。遭遇するに逃げるが勝ち。まだまだ、逃げ足だけは負けはせぬ。そう、早朝の街中に見るは清掃車。ごみの収集に路上の清掃と。彼らの働きは防犯面でも。

肝心の視察先やデンマークのコペンハーゲンに英国ロンドン。コペンハーゲンの路面を行き交うは自転車。それも車に劣らぬ速度で駆け抜けるに接触あらば軽症では済まぬ。暴走を許すは専用レーンと一方通行。分離と規制が徹底されており。

ひるがえって我が国、車道に迷惑、歩道に危険と煙たがられる存在が抜けず。車道か歩道か、前者が正解なれど、どこぞの市役所通りなど歩道の一部に専用レーンらしき路面表示を設けれどもあくまでも目印に過ぎず。双方向の往来に減速が見られるは救いだったりも。

近年の環境意識への高まりに自転車の地位向上が図られるは英国も同じ。慢性的な渋滞に悩むロンドン。距離にして五キロ程度の移動も一時間をゆうに超える状況に通行税が課され。そもそもに酷い渋滞の中に片側の一車線を自転車に転用図れば帰結は明らか。拍車がかかりし渋滞の解消に通行税とは愚策、とバス運転手の談。共存の道遠く。

 (令和6年11月12日/2888回)

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2024年11月 5日 (火)

脱税

今年もオクトバーランの目標達成を遂げた。月間300km、ってことは日に10km、一日サボれば翌日は20km。走るは深夜に早朝と限らず、足りぬとあらば雨の中。それでも足りねば、日に三回、ならば分けずとも。今ならサロマも完走かも。

んな愚行が庁内に知れ渡ってか向こうから声をかけて下さる職員もいて、次回は一緒に、と肝心な仕事の話も忘れ。彼らにとって大会選ぶに優先されるは場所よりも日程。議会閉幕後の年度末こそが数少ない好機となり。静岡マラソンへの申込を終えた。が、こちとらそこまで待てぬ、年末にロングトレイルを。

閑話休題。この夏に税務署から通知が届き。開封するに過去の納税額が足りぬ、と。はて、確定申告は毎年ちゃんと応じとるし。あれは議長退任後の年にて昨年ならぬ数年前。県の水道企業団の役職を兼務した際の額が過少とされ。いや、ちゃんと当時の報酬から源泉にて徴収されているはず、仮にあったとしても誤差の範囲。泣く子と地頭には勝てぬとばかり、署に出頭して告げられるは誤差ならず。

延滞分を含めても高すぎはせぬか。税務署の言い分を聞くに、その納税額は当時の報酬に対して適正に課税されたものなれど、そりゃあくまでも企業団からの支給に対しての税率に過ぎず。市議の報酬と合算して新たな税率を適用するに。そんなに変わるの。申告漏れか脱税か。「裏金」もそんな感じだったんだろうな。

仕事柄、税とあらば第三者を装う訳にもいかず。話がこちらに及ばぬように聞き役に徹して。交わされる話題やそちら。仕事に追われての残業も管理職とあらば固定給にてそこを勘案するにパート以上に単価は低くなりはせぬか、とボヤくに、確かにそうかも、と経理が同情して下さったとか。そう、最低賃金の話。

向こうの言い分は誰でも分かる、が、上げるに圧迫されるは利益。社が倒れては彼らの雇用とて失われかねぬ、とシブる企業の肩を叩くは政府以外になく。過去にそれだけの改善が図られた功績はもそっと評価されても。

人手不足に今や幼稚園でもパートの手を借りざるを得ず。目立つ欠勤の理由を探るに「一線」越えるは損との計算が働くらしく。欠員埋めんとするも採用ままならず。シフトが組めぬと。俗にいう年収の壁。損か否かは別にしてそこに壁あらば調整を図らんとするが大衆心理。以前と同じ出勤日数を確保せんとすれども壁の上限が同じままにて単価が上がれば結果は自ずから。ゆえに時代にそぐわぬ壁の見直しを、との言い分は一理あれども、壁は一つにあらず。

税の有無とともに社会保険が義務化されるもう一つの壁。そちら超えれば税のみならず保険料の新たな負担。ならば、そちらの上限見直しとて。いや、そもそもに社保の壁はその上限までは親や配偶者の庇護下を意味する訳で。今や主流となりし共働き、夫婦別姓云々と時代がそちらに向かうならば、いっそ壁を取り払ってすべからく自己責任で、って。

何よりも壁の上限のみが争点化されるに。そこに正解なく、一円でも高く、が多数派を占めがち。選挙目当てに歪められる政策は将来に禍根を残しかねず。有権者は賢くあらねば。

(令和6年11月5日/2887回)

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