奇縁
紛糾の常任委員会や隣り部屋。劣勢に立たされるはそちら。公園内にそれを認めるべきか否か。市の実施したアンケートによれば一部容認ならぬ全面禁止が半数以上を占めるとか。公共を謳う以上は何もそちらのもののみにあらず。開放的な空間に至福の一服。周囲に迷惑かからねば何もそこまで。いや、迫害を受けるは彼らのみにあらず。
手入れ行き届かず放置されるにもっと積極的な活用を、と口ではいうけれども、いざ、借用せんとするにアレコレと。何せ火気厳禁でもあり。ならば、学校の校庭はどうか。近隣からの苦情こそ寄せられぬまでも利用の希望者は少なからず。今や手続きとて顔見えぬネット経由なばかりか、競合の際は抽選とあって。落選の際は中止もしくは延期、なんて言えんでしょうに。ということで、そこに浮上するは。
丘陵地のてっぺんにあって、周囲を木々に囲まれ、他の浸食を許さず、土地の安寧を静かに見守るは神社。縁ありてその土地に住む老若男女が集いて談笑するに神様とて。普段は見かけぬ親子連れに若い学生らの姿。限られし席を譲り合い、見ず知らずの方々も不思議と溶け込むは御加護の賜物。賽銭の増減や知らず、それ自体が神社の宣伝、と総代はじめ氏子の皆様方の御理解を得て。
何せこちらは三欲に狙い定めし「さんま」にて集客や初詣の比に非ず、とはバチあたり。仕入れ増やせども追いつかぬ盛況ぶり。こないだ、立ち寄りし居酒屋に見かけるはそのメニュー。値段とて安からぬばかりか脂のノリも。何せこちとら冷凍ならぬ生さんまを備長炭で。神社でさんまとは奇縁なれど、それでいて四百円は買得。ちなみに昨年は食べそびれしTさんも今年はちゃんと。願掛けの御利益か、いや、早く来ただけの話だったりもして。今年も後援会主催のさんままつりを終えた。
バス旅行となるとこうはいかぬ。前会長などずっとそんなことを考えとる御仁にて。選挙に欠かせぬは人、大勢を集めるにいい知恵はないものか。転機となりしはあの震災。気仙沼からさんま仕入れて地元にてふるまわば、客人に負担少なく腹も満たされるばかりか復興にも一役、それでいて私のいい宣伝にも。客よし、市議よし、被災地よし、の三方よしにて。今や仕入こそ別なれど当時の収益は全て被災地に。もう、あれから十年以上。ここまで続くに人の協力なくしては。後援会の役員はじめ支援者の皆様方のおかげであり。
ごった返す境内。目当てはさんまとて構わぬ、が、せめて「ついで」に市議の名も記憶に。我こそが本日の主役、御当地で人気の市議でござい。いや、列に並びし彼らの頭の中はさんま一色。売切れ御免の事前告知に残りわずか、と聞くに。んな市議のくだらん話しなんぞ。ならば、ありついた面々はどうか。そりゃもう食うに夢中で。私の挨拶用に用意したはずのトラメガも整理番号の呼び出し用に転用され。いや、それだけの人が笑顔でさんまにありついとるのだから。
(令和6年11月30日/2892回)