魔女
今年もオクトバーラン月間300kmにて申請を終えた。今や10km、20km程度ではびくともせぬ身体なれど、たった1時間のメニューに上がる悲鳴、翌日の筋肉痛はその部位が普段使われておらぬ証。不恰好な静止ポーズに体幹が磨かれるばかりか、あれだけ関節が柔軟に動かば、ランの故障リスクも減らせそうであるし、稼働域が広がるにゴルフの飛距離とて。
以上、勝手な解釈なれど、自ら実践するに得る確証。これほどの健康法を独り占めしてはバチがあたる、この効能を一人でも多くの方々に、との善意むなしく、職員のN君なんぞは座禅を組んだまま宙に浮いたら誘って下さい、と。おい、インド四千年の「神秘」ヨガをバカにしとるのか。
それでもやはりその道の専門家が身近にいるというのは恵まれたことで。その深淵に迫らんとあれこれと質問を浴びせ。そう、健康こそ万人の願い。
そちらに関してだけは公言憚ってきたはずも口に戸は立てられず、広がる評判。仕事そっちのけでゴルフに熱狂、というよりも。スコアは兎も角も、老若男女の相手を問わず、退屈させぬこと請け合いに舞い込むはそちらの誘い。誘われるうちが花とばかりに。この前なんぞ歴六十年にして御齢八十三歳の女性とラウンドするに、私のスイングがきれい、と。そりゃヨガをやっておりますゆえ、とは言わなんだけど。
センセイなるものは多忙、というのが世の定説らしく、応じるに謝意示されど、頭を悩ますは。向こうにとっては月イチ、いや、半年ぶりの一回なれど、こちらから見れば相手は一人のみにあらず、全てに付き合わば週イチどころか。
そう、彼もゴルフの腕は一流だったとか。何せ黎明期、寵愛を受けし国王を相手に日々興じていた可能性とて。テムズ河沿いの宿屋マーメイドターバンにて彼を囲いし面々が「クラブ」の発祥なんて説も。未だ多くを魅了してやまぬ作品群の源泉や何か。作品の解説や数あれども当人の生涯描いた伝記少なく。古本屋を物色して探し当てし一冊を夜な夜な。ピーター・アクロイド著「シェイクスピア伝」。
前回の演目や「マクベス」。そもそもに歌劇は不得手。何せ、音は耳で聴いて感じるものなれど、言葉は聞いて認識するもの。のみならず、歌劇とあらば言葉はあちらのものになる訳で。演奏中に映し出されるは日本語の字幕。耳で聴くは旋律にヨガのマントラが如き話し言葉、目で追う字幕の三重奏に。右脳と左脳と同時に動かせるほど器用にあらず。それでもあらすじ知らば多少は、などと演奏前にプログラム読めど分からぬは最後のオチ。
スコットランドの武将マクベスが凱旋の途中の森にて遭遇するは魔女。その予言を信じて王を殺害、王位を手に入れるも人心治まらず。復讐に燃えるマクダフに追い詰められて最後の決闘に挑むマクベスが信じるは魔女の予言、「女から産まれた者に殺されることはない」。
されど、刃に倒れるマクベスに浴びせるマクダフの一言や「オレは女の腹を裂いて取り出された身」と。ふむ、つまりは帝王切開、か。作品に込められし文豪の意図とは。魔女なる神秘に踊らされる人の愚かさか、為政者の慢心の戒めか、はたまた、魔女の予言の正しさ、だったりも。そこにこそ稀代の劇作家としての意義が、なんて。
(令和6年10月1日/2880回)
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