なおログ[Blog]

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2024年8月

2024年8月30日 (金)

不良

取得しにくい風潮に為政者自ら範を示す、との心意気やよしなれど。世の為に身を粉にして働かんとする姿勢こそ共感を呼ぶ訳で。取得は勝手、わざわざ宣言せずとも。それが当人の売名にしか。そう、育休の話。仕事を優先、というよりも、内に口を挟むなと妻に固辞され続け、迎えた高三の夏。志望校の選定が大詰め、とか。

その「一日」に全てを賭すにリスク大きく、学校の推薦枠が獲得できれば。推薦か一般入試か。こちらの関心や偏差値ならぬ学費にあり。再考を促さんとするに、両親ともに私大卒にあって子に公立以外の選択肢を与えぬとは親としていかがなものか、と娘。この親不孝もの。迫る総裁選にあって大学の無償化こそ。この四月から何とか、無理だな。

秋リーグの開幕にあって宣誓ひきあてるは小さな主将。坊主こそ球児の証なれど、刈り込んだ髪型に浮かび上がるは模様柄。これが立派に。人は風貌によらず。

高層ビル群の中の遊歩道に「禁止」の文字。歩行者に迷惑になる行為はやめましょう、とか、もそっと婉曲な言い回しはないものか、といぶかしげに眺めてみるもどこ吹く風と彼らたち。おい、字が読めんのか、とは言わなんだ、いや、言えなんだ、けど。「スケボー」禁止と名指しの看板。治安を維持するに欠かせぬ彼らの権限。今や知らぬ、当時はただその身なりをしているというだけで警察官から職質を受ける機会が少なくなかったとか。

さも昔からその種目を市として応援していたかの如き豹変ぶりも真実を知るは彼ら。行き場がないから「路上」なのであって、それがまた彼らの評判を落とす悪循環。遡ること十五年前、見かねたM君が彼らに場所を、と。舞台は路上ならぬ市議会。当時などは不良の溜まり場になりかねぬ、と役人ばかりか市議会、それも自らの会派内さえ味方なく、四面楚歌の中に。ダンス、3on3にスケボーが御三家とされ。

M君がこだわりしは二つ。彼らは真剣、御情け程度の完成品ならば要らぬ。私が求めているのは世界に通用するホンモノ、と本場のプロの助言をもとに。事実、立地こそサッカー場に隣接した公園の片隅なれど設備や一級品。そして、もう一つは「スケボーパーク」なる名称。とにかく「特化」が大事と。こればかりは相手も譲らず、呼称は勝手としつつも、あくまでも従来の公園の一角、との扱いで。

晴れて迎えし除幕式、本来ならばそこでめでたしのはずが。それは実現の功績というよりもあくまでも市議なる役職にあてがわれた来賓席にて式典を見入るM君。野球の始球式ならばまだしもスケボーバンクのこけらおとしとあっては挑戦者なく。彼らからボードを借りて自らバンクに挑戦。悪からぬ演技も着地に失敗して派手に転倒。スーツ一着を台無しにして。

熱狂ならぬ笑いの渦にあって生まれる共感。こんどの選挙でオレたちに手伝えることあれば、との申出に、「いや、いらん」と。あの頃に遊んだ少女が立派に育って金メダリスト。公園の周辺に横断幕が垂れ下がる景観は当時とは隔世の感とか。

(令和6年8月30日/2874回)

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2024年8月25日 (日)

基本

はや四十九日。忘れ得ぬあの日の記憶、と申しても故人ならぬ、そう、サロマ湖。久々の練習会にて遭遇するは過去五回の完走歴を誇るMさん。サロマがウルトラの「基本」、とは傷口に塩か。そんな当人にも。

レース途中に感じた膝の違和感。続行の無理がたたって翌日以降も治らぬ痛み。近所の整形外科に通うに一時的に痛みはひけども完治には到らず。紹介状を片手に訪ねた専門医にて示されし選択肢は二つ。人工関節か骨削る荒療治か、前者とて日常生活には何ら支障なく、年齢を鑑みればそちらのほうが、と勧められども本人選ぶは荒療治。そこまでに走りたいのか、と医師に聞かれて、「ええ」と。

術後のMさん、この夏に挑みしは本州縦断・青森~下関1550kmフットレースR8(新潟~舞鶴)ステージ 535km(制限時間240時間)。12時間の余裕を残して完走を果たされたそうで。この10月には美女待つ奥武蔵(70km)に挑戦するとか。ちなみに、Mさんの年齢や七十代も後半、傘寿、つまりは八十歳に手が届かんと。サロマが基本というだけの資格は。

さて、本題。歩道に置かれたベンチの老朽化が著しく、市に対応を求めるに。既存のベンチ所有者の了解なくば撤去は出来ぬ、所有者は御存じか、と逆に聞かれて、そのまま受話器を。知恵を貸してくれぬか、との依頼あり。

かつて、駅前広場の古びたベンチの交換を、との陳情を受けて、かけあうは交通局。バス停にはベンチ欠かせず。倉庫に在庫を抱えていることまでは調べがついており。地元の為に一つ拝借を出来ぬか、と頼めど、倉庫のベンチはあくまでも市バス利用者の為のものであって、と相手。

んな殺生なことを言うな、そもそもに市バスなどおらが北部にほとんど見かけぬ、南部に偏在する理由やおぬしらとて。路線なき以上、せめて贖罪のベンチ一つでも融通せい、と屁理屈をぶつけるも通じず。

が、今や議長も終えた身にあって、たかがベンチの一つも融通出来ぬとは胸の徽章が泣きかねず。当該地にて周囲を見渡すに目にするはバス停、それも市バス路線とあって、欣喜雀躍、担当者を呼んで経緯を告げるに当時とはまるで。

「所有者を探せ」とは随分な対応、役人の風上にも置けぬ、と。そう、そこが肝心なところでやはり相手に寄り添う姿勢なくば。

新規のベンチはこちらで何とか、ただし、既存のベンチの撤去はごかんべんを、と。

道端に置かれたベンチの扱い。見方によっては歩行者の通行の妨げになりかねず、それも許可なく勝手に置いたもの。所有者に撤去求めるべきも不明とあらば市が撤去せざるを得ず。が、撤去後に利用者から逆に責められはせぬか、とすると違法と知れど何もないままに「放置」というのが彼らの正解な訳で。

そう、不法投棄とて相手が勝手に捨てたもの。捨てる場所など相手は選ばず、不運にも民地とあらばそちらの責任で、なんて役所はいうけれどもほんの数米には公道あって、撤去するにさほど手間は変わらぬ、と説けど、彼らには譲れぬ一線らしく。

たかがそれしき、されどそれしき。そこを巡って争うは不毛。その溝を埋めるがセンセイなるものであって。

(令和6年8月25日/2873回)

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2024年8月20日 (火)

台風

たびに伏されるは「過去最大」、それでいて大半は軽症とはこれいかに、そもそもに、んな頻繁に記録が更新されるものか。報道など大袈裟に見せねば視聴率は稼げぬし、気象庁とて外れても逆に外れるよりは。あくまでも最大「級」だから。

そんなバイアスあれども、こちらは規模に進路はちゃんと可視化されており。むしろ接近が見えぬあの災害に彼らを信じるは結構なれど、海水浴の自粛や花火大会の中止、とは、さすがに「過剰」か。

久々の知人との昼食。メニューを前にドリンクだけで、と相手。腹が減っておらんのか、と尋ねるに、これで十分と少量のナッツとサプリで。それが意図的と知れど、やはりメシは旨く、楽しくなければ。

ヴィーガン(菜食主義)にグルテンフリー(低糖質)、最近はファスティング、いわゆる「断食」なんて健康法もあるそうで。今さら若くとか、寿命を伸ばそうと思わぬまでも、ことにランにゴルフに健康に、とその手の本に目がなく。医者にあらずんば治療は出来ぬまでもビョーキにならぬコツ位は知ってて損なく。

手に取りし一冊の巻頭を飾るは推薦の辞。その道の権威曰く、少し前までは著者の名すら知らなかった。明晰な頭脳、豊富な知識、ばかりか、実年齢よりもはるかに若く見える彼女こそがまさに我が理論の実践者、とまで。事実、巻末には著者の写真ありて。なるほど、確かにそう見えなくもないが、容姿に本の中身は関係なく。選挙のポスター見れば分かるでしょうに。モリー・マルーフ著「脳と身体を最適化せよ!」。

そう、ラン仲間のI区長がSUPにハマっておられるそうで。そう、あの湖面にボードを浮かべ、立ってパドルで漕ぐやつ。新たな趣味に挑戦する気概やよし、私にまで一緒にどうか、と声をかけて下さる親切心や立派。されど、本人の意欲とは裏腹に周囲の視線や。

何ともの好きな、すぐ流行に流されて。どうせ自らをよく見せたいとか、異性にモテたい、なんて下心があってでしょうに、と。いや、実は私も、とは言えなんだが、ここだけの話、ヨガ教室に。冷房が効いた快適な室内のはずが。汗だくでぐらつきながらもあの不恰好な体位を取らされるなんて。中年のオッサンには最も不釣合な趣味と知るももはや見てくれなど。

ヨガを始めんとするにランとは違い。およそ、そんな人の部屋にはその手の本が散乱していたりもするもので、偏見や先入観によるものと知れど、どことなく払拭できぬ「怪しさ」。入門したはいいけれど、新興宗教に勧誘されはせぬか、なんて。何よりも科学か非科学か神秘の世界、マインドフルネスなどと意味不明なカタカナに。

んな時に持つべきは人脈というか人の縁であって。インストラクターや大学時代の同級生。それも当時の成績や学内随一。卒業後は一流企業に就職したはずが、今やヨガのインストラクターとして。とすると、そのへんの「怪しさ」も薄れ、ないか。

何せ四千年の神秘。睡眠のみならず、姿勢に呼吸は健康に欠かせぬ。古来、陰陽に従うならば、動にあってはランにゴルフ、静にあってはSUPにヨガと、互いに補完しあう中にこそ上達、いや、健康が。

信じるは勝手、ほどほどに。

(令和6年8月20日/2872回)

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2024年8月15日 (木)

互換

突然の電話に依頼を受けるは客人の相手。それも見知らぬ外人な上に当の依頼主は不在と。んな勝手な話がどこに。

在住歴が長く、日本語は堪能。目下、大学の講師なれど政府委員やその他諸々、その分野では知る人ぞ知る著名人にて無駄な一日にはならぬはず、と押しつけられての18ホール。以来、その豊かな発想力と斬新な視点に学ぶこと少なからず。

何も縦割りは役所の専売特許になく。それは時に「互換性」なる専門用語で表現されたりもするのだけど、それを許さば新たな脅威に晒されかねず、そこは断じて、と優先される排除の論理。他の参入を許さぬ、囲い込みは企業戦略としてはアリなれど、いかんせん「公共」のシステムにあって利用者目線以上にそちらが勝っては。

一方の発注側とて過去にウン十億円を投じてきたシステムとあっては手放すに手放せず、仮に他社を採用することで不測の事態あらば責任を問われかねず。結果、互換性のないまま、使い勝手の悪いシステムに、安からぬ対価を払い続けて、と。

社内では主流になりえず、パソコンの修理係の認識しか抱かれぬ部署にあって変革など。専門性が高いがゆえに意味不明、オタク相手のようなもので。行政を監督すべき議員側とてその手の専門家がいない、いや、専門家ならずとも目が届いてさえいれば彼らの独走は防げたはずで。

その一枚で完結すれば複数のカードを持ち歩く手間は省けるし、便利との理屈はよく分かる。が、余命幾ばくの身にあって、既存の一枚さえあれば他はいらぬ。新規とて結構、が、既存とて何とか継続を、と拝まれれば役人だって。んなことないか。そう、廃止とされる健康保険証の話。

情報化が進む隣国では既にスマホ一つで免許証から保険証まで身分証明書として通用するばかりか、現物とて自宅にいながらに。ひいては納税から各種手続きまで全て。かたや我が国にあっては金券の配布に保険証の廃止、アメとムチを使い分ける中に普及率の向上を図らんとすれども伸び悩む数字。

そこに立ちはだかるは個人情報の壁なるもので。勝手に番号を割り振られるは権利侵害と。当人が思っているほどに相手は、なんてオチがつく漫談があるそうなれど。漏洩阻止に抜かりはない、といわれてもどことなく落ち着かぬ空気感に包まれて。どこかにあったなそんな本。山本七平著「空気の研究」。

あくまでも「任意」とされる中にあっては「全」国民とはならず。とすると持つ者と持たざる者に二分され。そこに各種の情報を連動させんとなると従来以上に膨大な手間が。ならばいっそ誰もが有する既存の一枚、そう、保険証を主軸に他を紐づけては、と思えどもそれを阻むは組織の壁。

どこぞの省庁に屈服するかの如き屈辱など。いや、そもそもに互換性を認めぬ、が彼らの標準。その点、隣国では既に全国民が固有の番号を有するばかりか、各省庁が有する情報は省庁のみのものに非ず、相互融通を図るべし、と政治が主導して。

進む情報化社会に死角はないのか。実り多き視察を終えた。

(令和6年8月15日/2871回)

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2024年8月11日 (日)

短髪

遺伝との関係性や知らず。が、弟が禿げ上がる中にあって、鬱陶しいと思えること自体が贅沢な悩み、か。夏は短髪に限る、とここ数年。衣替え同様、刈り始めが年々前倒しされ。

日に日に耐えかね、前回よりも短く、が入店時の挨拶。これ以上は、との制止を振り切るに。ただでさえデカく暑苦しい顔が余計に、さながら「せごどん」が如く、とは妻なれど、そりゃ南洲翁に失礼ってもんで。この年齢にして髪型よりも大事と知るはゴルフのスコアであり、レースの完走、なんて。

天気を理由に中止を決断するは主催者側なれど戻らぬは出走料。自己都合とあらば尚更にて払い損となる位ならば権利を他人に。安からぬ対価を伴う以上、休まぬに限ると知れど、主に仕える身分とあらば。ぜひ代わりに、と。

そう、数年前まではおらが代議士に仕えていた秘書が突然の移籍。理由は知らぬ。秘書としての評判は兎も角もそちらに関しては私に勝るとも劣らぬオタクぶりにて今も途切れぬ趣味の仲。貰い受けるチケットに記されるアルファベットや「B」。安月給とあらばさもありなん。

当市が誇る自慢のホールにあって席の差異などないに等しいと知れど、さすがに四階席は。そこは勝手知りたるオタクにて格下B席といえども限りなくS席に近く。まさにそのへんが「穴場」と知るはさすがだナ。サマーミューザのオープニングにてチャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」を聴いた。

そちらは偶然の産物なれど、こちらは自ら選びし演目。病魔に蝕まれる中にあって最後の舞台、本人の一振りにこそ世に伝えたかった音楽の深淵が。ましてや、そこに選ぶは巷の評価が大きく割れるその一曲にて奇才といわれる当人の解釈を。

直前に知るは指揮者の交代。落胆以上に、もはやそこまで。代役とて急な登板に与えられるはかの難曲とあらば。いえいえ、成否は本番までの稽古が九割、のみならず、楽団員たちの気迫が勝り。鳴り止まぬ拍手は病床の指揮者に。グスタフ・マーラー交響曲第7番。

少しだけ仕事の話。何も杜撰なのは税に限らず。そこは市の土地にて返還して貰わねば困る、と言われても当人には寝耳に水。ばかりか既に上物ありて、そこに許可を下したのは市のはず。いやいや、いかなる理由があろうとも法的な解釈は不法占拠、との応酬。

いま現状の事実だけ見れば市に軍配。さりとて、更地返還を求めるに既存の建造物の解体を伴うは酷と思うが人の情。ましてや市にも負い目ある以上は。いや、逆に返上されても利用価値なく、管理の手間と労力を鑑みれば。よほどの悪質性でもない限り、見て見ぬフリこそ最善なれど、するに出来ぬは他からのツッコミ。市の土地を無償で利用させるとはけしからん、なんて通報が入ったりもして。それも近隣から。

ということで、せめて一筆、いや、市が用意した文書に押印を、と応じた善人少なからず。いや、応じてみたものの念書を残すは後世の憂いとなりかねず。不法占拠とは心外、こちとて、んなセコくはない。ならば払い下げを、と求めてみても本人の意向とは裏腹にむしろ役所の都合にて売却が困難だったりも。

(令和6年8月11日/2870回)

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2024年8月 5日 (月)

手駒

親子以上に年差離れた御仁と同じ括りにされるは些か腑に落ちぬところなれど、隠居の身同士、夕涼みに酒でも、と誘いあり。亀の甲より年の功、相手に一日の長ありて。いつぞやに目にした「一秒遅れた時計」なる話が、と聞いて検索するに。表示されしは吉村昭著「遅れた時計」。「一秒」はないけれど、まっいいか、と早速に。

「高熱隧道」等の長編モノこそ知れど短編集は未だ。著者によれば、素材を探すが苦行、されど、短編こそが生き甲斐、というだけあって。登場人物の心の葛藤を描く作品は示唆に富み。疑似体験こそが本の醍醐味。そちらは架空なれど、今日の主人公や。

あの一件以来、後に知る訃報に弔意示す機を逸することしばしば。ばかりか身内にて葬儀を行う意味やそのへんの煩わしさにもありそうで。昨年、父君を亡くされた御子息から相談あり。年明けに市から突然の電話、用件を聞かば、この間の資産税評価に誤りあり、んなときはおよそ増減や明白。ゴネても変わらぬ税額に首肯してみたものの、ついては、この間の不足分の支払いを、との申出にカチンと。

おい、そもそもにおぬしらのミス。こちとて納税は国民の義務といわれた額をゴネずに払い続けとる中にあって滞納、未払いならばまだしも過去に遡及して払えとは何事、ならば徴税漏れの責任やいかに、と迫るに。法律上の建付けがそうなっとる以上、例外は認められぬ。全額とはいわぬ五年分を一括してその期限までに、と。応酬の末、一方的に受話器を置いてみたものの、今後の対応やいかに、というのが。

突然に降って湧いた話。払わずに済むならば。仮に払う、いや、払わざるを得ぬ、にせよ、こちらだけが一方的に従わされて、そちらの咎めなしでは道理が通らぬ、まずは市の責任を、との言い分は尤もなれど、時の首謀者や既に退職の身。今となっては「詫び」の一手しかなく、その手駒で憤慨する相手を宥め落とさねばならぬとは何とも不運な役回りであって、精神衛生上も好ましからず。

本来ならば全額を納めていただくべきところ、せめて五年だけ、残りは時効などと割得をチラつかせてみるも遡及の事実には変わりなく。いや、そればかりか、逆から見ればそれ以前の分は貰い損ね、つまりは市の税収に穴があいており。立場上、こちとて脱税を指南する訳にもいかず。逃げ得がありえぬ以上、猶予や分割等の「条件」を詰めたほうが、との助言もどこまで。

あくまでも当事者側の話にて市側の供述や知らぬ。が、こじれにこじれる中にあって、執拗に追い回すは逆効果、しばし冷却の後こそ。が、つきまとうは追手の恐怖。早かれ遅かれいつかは着信が。とするとその煩わしさに苛まれる位ならばいっそ今日にでも、とは言えなんだ。

当時の杜撰さをあげつらえども当の父君とてそちらに奉職されておられ。度が過ぎては草葉の陰から。それにしても夕涼みの冷酒はよく効いたナ。

(令和6年8月5日/2869回)

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