なおログ[Blog]

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2024年7月

2024年7月30日 (火)

放置

明日行くに目的地の設定が、と、おらがセンセイ。えっ、だって乗り換えて既に一年以上、この間、ナビは使わなかったのだろうか。いや、そもそもに自身が現役の頃から年一回のコンペはそこのはず、なんて余計なことは言わず。

二つ返事で助手席に乗り込めど、見当たらぬボタン。そう、今やタッチパネルの時代、スマホの画面が如く、どこかに隠れているはず、と探せどそれらしきものは。最後の手段とばかりにマイクのアイコンに目的地を告げて事なきを得るも、いまや、それこそが標準と知り。

迎えた翌日。こちらの心配や自らのスコア以上に死人は出ぬか、その一点にあり。新緑に晩秋、四季巡る中にあって何もそこを選ばずと、との声聞けど、むしろそのほうが、とセンセイ。百キロに同じ、目標は高い方が意識も高く,

達成感も、違うか。確かに前日までの辞退あれど、当日の途中棄権は過去に一度もなく。今年も参加者の全員が完走、ならぬホールアウト。ばかりか、年配者のほうが総じてスコアも。ちなみにおらがセンセイはエイジシュートに一打及ばず。と申しても御齢86にしてあの灼熱の中を18ホール。

閑話休題。通された部屋にて目の前の紙に氏名を書いたら後日に採用通知が届いた、なんてのは昔の話。今どきにあって頼まば確実、などとは誰しもが思っておらぬ「はず」。いや、一次の筆記に水増しは無理と知れども二次の面接ならば、なんて。出走前の馬券に同じ、頼まば不思議と合格しそうに見えたりもして。進む市の採用試験にその手の依頼がないとも限らず。

こちとて労こそ厭わぬ。指示するはたやすきことなれど、当人がくぐり抜けねばならぬ関門に控えるはわがシンパとは限らず。市議が仕事をこなすってことはそれだけ「無理を通す」ことを意味する訳で、その存在に反感抱く職員とて少なからず。折角、順調だったものが私の名が出た途端、なんて。

とすると聞いたフリして何もせぬ選択肢とてアリやもしれぬ。が、そりゃさすがに相手の依頼を無視しとるようで。せめて一言を頼むにせよ適任や課長か部長か、はたまたそのまた上か。頼まれたほうとて迷惑な話。んな依頼は持ち込むな、と言いたいところなれど相手が相手、市議だけに。

困惑するは依頼を受けた当人のみにあらず、現場の担当とて上の命とあらば抗うに抗いきれず、良心の呵責に苛まれるやもしれず。正義感に勝る担当ならば、よくぞそんな話を、と上司に詰め寄ってみたりもして。まぁ兎に角、神経を尖らせ、細心の注意を払い、彼ならば、と。いや、「放置」の可能性とて。が、きっと善処して下さるに違いない、と気休めにも似た安堵の中に身を任せ。

親が気を利かせて本人に内緒で、なんてのも善し悪し。後で実力以外の力が働いたと知れば。かくいう私なんぞも新卒が氷河期に重なり。母の勧めで父の会社を受験するも見事に不採用とされ。結果にしばし耳を疑えども、それこそが成長の機会、と悟るは随分と後だったから。

(令和6年7月30日/2868回)

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2024年7月25日 (木)

夏山

これが限界、と断念したはずが、三日も過ぎれば。やはりあの時に無理を押してでも、なんて。一年後の再挑戦などと申してもそこに保証なく。せっかちな性分にて来年まで待てぬ、せめて年内、と物色するに探し当てるはそのレース。確か、折り返しに水着美女が。体力の限界は忘れてもそんな記憶だけは。ゴールならぬ「折り返し」とあらば仮に完走が叶わずと美女に一目。

そもそもに動機は不純というのが世の習いなれど、限界を忘れる位だから記憶違いとてあり得ぬ話ではなく。仮に勝手連ならぬそちらの回し者とすれども当人の格好が格好にて主催者が自ら首肯するようには思えず、そんな時は。確かに「いる」よ。が、あれこそは夏の風物詩。今年は変則の秋開催にて果たして、と。んな殺生な。

レースの完走こそ目標なれど、そこまでの過程、大会に向けた意識こそ健康の源になり得るもので、ゆえに目標までの日程は長く、そして難易度は高く、というのが理想なれど。当面の目標なき中にあっても誘い受けるはありがたく。

そう、昨今なんぞはこちらの悪趣味が庁内に浸透してか仕事の報告に来るついでにそちらの話題に転じること少なからず。報告にも増してどちらが目的か分からぬ。庁内のすれ違いの挨拶とて、暑気払いをぜひ、なんぞは社交辞令が大半、ランバカどもの勧誘、いや、挑発はホンモノらしく。財政のH課長、などそんな一人。次回は一緒に、と約束をして以降、実現は未だ。

私が在籍する愛好会の主流占めるは道路族。それをそのまま言わば「干される」は分かりそうなものなれど。歯に衣着せぬ物言いに、庁内にシンパ少なく、敵だけ多い面々を称して「島流し」の会、と。来るもの拒まず、楽しむことを目的とし、ゆえに規律ゆるく、各自の予定に合わせて途中の合流や離脱も自由、鷹揚をウリにすれども増えぬ部員。まぁ、所詮、島流し、つまりは「左遷」された面々にて。

そんな部員の減少に悩む中にあって、H課長の一派との合同練習を提案するに。彼らこそ虎視眈々と我らが予算を切り詰めんと狙う連中にて心許せぬ、と。んな遊びに仕事を持ち込む奴があるか。逆だよ逆、予算を減らさんと目論む相手を懐柔するにこれぞ好機、と利用せんでどうする、とは言わなんだが、庁内における縦割りの壁は予想以上に厚く。

そう、毎回趣向を凝らした催しを企画いただくのだけど、今回は夏山。いや、確かに現地集合が朝七時、携行品に水四リットルと、そこがひっかからなかったか、といえばウソになり。されど、高尾山と聞くに「散策」程度の軽い気分で。いやいや、山から山へと陣馬山までの往復、延べ八時間。

陣馬山の山頂の売店にて見かけるはカップ麺のみならず。部活動の途中にあって不謹慎かもしれぬ、が、売店に置いてある以上は。こんな時くらいは、と店員の女性に背中を押されて。

(令和6年7月25日/2867回)

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2024年7月20日 (土)

牛歩

白雲なびく駿河台、は校歌の一節。そびゆる母校から遠目に見ゆるその大学。今春から甥が上京。入学祝いの約束を果たさんとするにそこは学部違い、自らのキャンパスは都心ならぬ「郊外」と。最寄駅を教わるに知らぬばかりか漢字も読めず。

都心から電車に揺られて一時間、降り立つにバス停一つ。不慣れな土地にまごついとる間に乗り遅れ、次の便まで三十分。ならば歩いたほうが。見渡す田んぼの中に突如、姿を現すキャンパスはさながら城砦。陸の孤島の様相も体育会系にはその位ほうが。

駅前にしてそんな状況とあらば徒歩三十分のキャンパス周辺など。いや、焼肉店が一軒。ましてや店名に本市の名が付かば。日々の練習厳しく、店の予約は夜八時で頼む、と甥の指示。帰りに要するは二時間にて一時間一本勝負。親子連れでにぎわう店内。それにしてもよく食べたナ。

さて、本題。ここ数年、「継続」扱いの要望の一つに歯科医連盟からの虫歯予防の為のフッ化物洗口があって。根絶されるに彼らの食い扶持が失われるやもしれぬ。しからば患者増こそ彼らの理想にあるまいか。いやいや、彼らとて大事な「顧客」といえども治療のたびにあの歪んだ顔を見るは精神面にもいいはずなく。

専用液にぶくぶくうがいだけで目に見える効果。それも乳歯から永久歯の生えかわり期こそてきめん。幼児期から習慣化されれば。既に実績少なからず。追跡調査によれば実施の有無により成人後の歯の状態に大きな差異が見られるとか。

相手が支援団体とあらばほぼ無条件にゴリ押し、を見せる市議を相手に「却下」といえぬは役人。要望の実現を阻む大半は予算の壁なれど、こちらにあっては予算以上に。うがいといえども生じる新たな手間は働き方改革に逆行、というのが相手の言い分とされ。何を寝言じみた、んな屁理屈など聞くに、大ナタ振るえぬ市教委。

市議と現場の板挟みにあって下せし判断は「要検討」、それも「慎重」の二文字付き。遅々として進まぬはいつぞやに見た「牛歩」を連想させ。私ならばとうに堪忍袋の緒が切れとるところなれど、要望の担当や堅実派のN君にて粘り強き交渉に勝ち得るは。論より証拠、案ずるより産むが易し、とりあえず「試行」、と折り合いをつけ。

自薦、他薦、抽選のいづれや知らぬ、選ばれるは各区から一校、全七校の平均や27.5%。さもありなん、実施に欠かせぬは保護者の同意。そして、同意に欠かせぬは現場の勧奨。その意義をキチンと説かねば保護者とて協力してくれるはずもなく。

下位なんぞにいたっては一桁台、高くとも33.5%。いや、もう一校、というか、一校だけ「突出」して高く、その数字や96.8%。と二位に大きく水をあけ。

やはり現場とてやる気あらば。いや、待てよ、ひょっとして。そう、校名を見るに浮かぶはあの校長。いっそ次期の教育長に。また余計なことを。

(令和6年7月20日/2866回)

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2024年7月15日 (月)

白物

強豪校とあらば一回戦など歯牙にもかけぬ。が、彼らにとってはまさにその一勝こそが青春の証。巡り合わせの妙、実力伯仲の公立校同士の対戦にあって画面に見るはかつての同級生。あっ、ゆう君だ、と息子らが。あれから三年。立派に成長されて。主将としての役目を果たす最後の夏。息詰まる熱戦、延長十回の逆転に涙を。

毎年の恒例、予算要望。六十を超える団体からの要望に学ぶ現状。入札絡み、助成金の増額、が大半を占め。

非常時に備蓄あれども見当たらぬ倉庫の鍵、器具はあれども操作が分からぬ、は笑えぬ話。その為の緊急連絡先と申しても応ずる保証なく。操作方法を実演した動画のQRコードを貼って誰でもが。ネットが繋がらぬ可能性?まぁそれは。防災訓練なども要請に応じ、と強調されるも市と災害時の協定を結ぶに入札時の加点が見込めるとあらば純粋な善意のみとは限らず。

体育館の非常用電源が更新を迎えるに落札するは見知らぬ業者。約束が違う、では癒着を疑われかねず、あれだけ尽くしたのに、と。んな見ず知らずの業者が入れた機器の面倒を無償で見るほどおひとよしに非ず、QRコードの撤収を伝えるに寝耳に水、と動揺を隠せぬ危機管理部門。「非常用」の電源、つまりは災害用とされるも購入の予算は教育委員会にあり。という事例から学べる教訓は何か、というのが今日の趣旨。

今や並ぶは「白物」のみならず、酒に薬にゴルフウエア、まさに流行の品々。他店と比べて一円でも高ければ同額に、を謳い文句に成長を遂げた家電量販店。あれだけ安くされては太刀打ちできぬ、と閉店に追い込まれた地元の電器店とて少なからずも未だ絶滅を免れるは。捨てる神あれば拾う神あり。

そりゃ確かに量販店に比べて値段は高いかもしれんが、我々老人から見れば対応も親切だし、かゆいところにも手が届く、重宝しているよ、と地元の電器店の支持層も少なからず。価格か安心か、市とて価格を優先するは一つの判断なれど、その肝心な価値観が庁内にて共有されておらぬは何とも。

二つ目。波風立てぬが役人の習性。既に実績を有する以上はよほどのことがない限り。いや、逆に申さばよほどのことが生じたに違いなく。その間の交渉において洞察力に長けておれば予兆は感知できたはず。それこそが既得権益と背後から攻勢をしかけられる中にあって、盆暮れの付け届けはいらぬにせよ、両者の関係に抜かりはなかったか。

そして、三つ目。途中ならばまだしも、試合後の物言いやいかに。一度振られた賽の目や変わらず、次回に向けた牽制球にはなるやもしれぬ。どこぞの会長が如く、ブルータス、おまえもか、と叫びたい心境は分からんでもないが、事を荒立てるにそれだけ注目度が高まる訳で。元に戻しにくくなりはせぬか、担当局にとって元に戻すは自らの失敗を認めるようなもの、戻さば戻したでつきまとう批判も。

権力にものをいわせるはたやすきことなれど、そのへんが見えないと。覆水盆に返らず、こじれぬように。

(令和6年7月15日/2865回)

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2024年7月10日 (水)

飛脚

母が子に聞かせる偉人伝や信玄公。越後にあって主人公が違うとぐずる幼児。そんな料簡が狭いことでは大成せぬ。越後の房五郎ならぬ日本の房五郎に。旅をせよ、と母に背中押されて郷里を後にする少年、房五郎。

幕末にあって辿り着くは長崎。待てど届かぬ郷里からの荷。これ以上は待てぬ、と出立を決めども放浪の旅ゆえ向こうの住所が定まらぬ。決まり次第、手紙を出すゆえ、そこに荷を送ってくれぬか、と頼まれるおその。それから数年。荷は送ったとは母の証言。江戸の住所とて知らせたはず。何故に荷は届かなんだ、と詰め寄られ。

そこまで疑われるは甚だ心外、受け取りし一朱銀は手つかずのままゆえお返し申す、と。おい、旅籠の下女を相手に難癖つけて騒ぎ立てるは男の風上にも置けぬ。オレが代わりに相手を、と割って入るは若き日の勝海舟。荷は届かぬ、されど、貰い受けし手紙の返信にその旨をしたためた、と語るおそのに「悪いのは飛脚じゃねえか」と海舟。その一言に着想を得てか。

今日の郵便の礎を築きし前島密や郷里の偉人なれど未だその生涯を知り得ず、書店に並ぶ一冊を手に取りて。「ゆうびんの父」(門井慶喜著)。切手一枚、距離を選ばず。全国津々浦々に巡らす配達網。収益生むは規模に負うところ大にして。都市の利益を地方にも。それこそが「広域」の役割にて。広がり見せぬ特別市。所詮は政令市と県との権限を巡る話とばかり。かたや、都構想に道州制と広域化の動きとて。

そう、新たな消防車両の購入に見るはその仕様。県下同一の中、その市だけ明らかに違うとか。特殊車両にあって量産化が図られれば調達コストは下がるは常識、なれど量産化と呼ぶには些か。購入に補助を出してくれるならばまだしも車種を指定される中にあって業者との癒着、腐敗の温床にならぬとも限らず。内政干渉とばかりに県の関与を拒む、「独自」にこだわるも市の判断。規格の統一か選択の自由か。

隣市までの搬送に要する時間。せめて、小児と救急位は自ら、と欲せど、作っても採算が見込めず。そんなところに目を配るが広域の役割にて。そう、区割りされた医療圏の病床数を決める権限を有するは市ならぬ県。南北二つとされる本市の北部圏において病床増が予定されており。急性期ならぬ慢性期、というか回復期の病床。時を同じくして隣接の東京都とて本市側に相当数の病床増を予定されている、と聞くに。

広域と申してもそこに境はある訳で隣りとの調整やいかに、というのが一つ。ましてや、既存の病床に未稼働とて少なからず、新規の病床の前にまずはそちらの活用こそ優先されるべきにあるまいか、というのが二つ目。いやいや、余計なことを言うな、不足ならぬ過剰なのだから利用者からすれば歓迎されこそすれ。

いや、未稼働の理由とて「人手」に負うところ大にして。求人に出せども埋まらぬ人材。過熱する看護師の争奪戦に暗躍するは。手数料や年収の数割が相場と聞かされるに。不安定な経営のツケは、そこを懸念しとる訳で。

(令和6年7月10日/2864回)

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2024年7月 5日 (金)

寝袋

どこまでも果てしなく続く青とランナーたちの爽やかな笑顔。そんな表紙に魅せられた人は少なくなく。十回の完走に与えられる称号の名や「サロマンブルー」。以後、出場の際は別色のゼッケンが付与されるばかりか、湖畔のスポーツセンターに記念の足形が飾られるとか。

そこに名を残そうとは思わぬまでも、肉体の限界が近づく中に見る湖面の夕日や得がたい体験、まさにウルトラの聖地などと。が、そんなレースとあらば、どこぞの来日公演に勝るとも劣らぬ人気。落選すること三度にして縁あらず、と放り投げて数年。役所のN部長に一緒にどうか、と誘われて。百年の節目に聖地巡礼百キロなんて。

朝五時のスタートはこの種目の常識なれど、ワンウェイ、つまりは片道に伴う移動。ゴールからスタートまでの送迎バスの出発は午前三時。が、その前に宿からゴールまで更に二百キロを移動せねばならず。仮眠三時間にて車を運転すること三時間。まずはアクシデントなくスタートラインに立てるか。立てねば完走の権利すらなく。

移動時間に待ち時間、体力を回復するは寝るに限る、と知れども退屈しのぐに欠かせぬは。フィナンシャルタイムスの記者がそそのかされて挑むレースの舞台や砂漠。降り立つ空港にて出迎える主催者に告げられるバス時間。これから百マイル(160km)に挑まんとするに八時間も空港で過ごすなどあり得ぬ、と抗議せんとするに周囲を見渡せどおらぬ援軍。助け求めんとすれども既に寝袋を取り出して。何をバカな。

ウルトラマラソンへの挑戦とその道のスペシャリストへの取材を通じて広がる世界に覆される価値観。日々の快適さが必ずしも幸福を意味するとは限らず。バカなレースに出ているとそれすらもフツーのことに思える不思議。たったそれっぽっちのことで。「ウルトラランナー-限界に挑む挑戦者たち-」(アダーナン・フィン著)。

サロマ湖100kmウルトラマラソン。湖畔にて起伏少なきコースと知れども、それを追認するほど甘くなく。その代償たるや制限時間。たった一時間と侮ることなかれ。中間層、いや、下位三割のランナーにはその一時間が。こちとてその道の経験や三十年。およそそこに誤差があっても気力と根性で克服できるはずが、出来ぬは年齢、いや、練習を怠りしツケ以外の何物でもなく。91.5kmの門限に。

DNFとはdid not finishの略、継続不能。「失格」とは何とも冷酷な表現にあるまいか。若かりし頃ならば人には言えぬ屈辱も今やそれすらも許容というか楽観的に。レースだけ見ればどう転んでも健康的には見えぬ。が、そこに向けて心身を整える、日々の意識を向けるに。月額ウン万円を投じて通う下手なスポーツジムよりもよほど。

完走の達成感や否定はせぬ。が、不思議と断念したレースのほうが記憶には残るもので、何よりもそこに見出す新たな目標が。来年こそは、なんて。負け惜しみか。

それにしても沿道の応援に運営スタッフの皆様のもてなしは見事なもので。

(令和6年7月5日/2863回)

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