目安
新学期、新たな所属は文教委員会。期せずして隣りの会話が聞こえてしまい。
今回はどうか、好評を博した前回以上、と返答するは当選同期のHセンセイ。当人の質問に含まれるは朝の連ドラ。その一場面になぞらえて市政を斬る、というか「諭して」おられ。私など見る余裕なく、手にするは当人を描きし文庫本。これで話題に乗り遅れずに。迫る定例会にていかなるシーンを取り込むか。
わがままは許さぬ、縄を付けてでも、なんて、いないよな今どき。委員会にて報告を受けるはそちら。不登校の責任や学校側にあり、とそこまで押しつけられるはちと。さりとて、その義務や学校ならぬ親にあり、などと涼しい顔をしてもおられず。誰一人取り残さぬ、学校側とてキチンと対応を、と答弁するに市議による砲火は免れず。こと教育とあらば絡むは価値観。「かくあるべし」と誰しもが一家言を有するだけに。じっと黙して聞いている中にあって。
一因に挙げられるは学習のつまづき。自らの評点の横に記される平均点が本人に与える重圧こそ不登校の原因にて削除すべし、と委員の一人。いや、確かにそこに劣等感を抱く生徒がいるやもしれぬ。が、隠さば治るか。それこそが現実であって、そこに目をふさぐは臭いものに蓋にあるまいか。
レースの完走証に記されるは着順に完走時間。世にたった一枚の自らの存在の証。順位とて気にならぬかと言われればウソになり、されど、この年齢にあって今さら表彰台など目指さぬ、たとえビリでも完走こそを目標する選手とて。それはあくまでも一つの「目安」。そこに自らをいかにあてはめるかは個の勝手であり。
とすると平均点とて様々な示唆を与えてくれる材料となり。削除するは逆に生徒の可能性の芽を摘むことになりはせぬか。いや、仮にそんな生徒がいたとしても。それはあくまでも「平均」、及ばぬからと卑下するものになく。そこに当人の人生が決まるものでもなく、他に勝るものがあるやもしれぬ、そこを諭すことこそ教育の意義であって、教師の本懐にあるまいか、なんて。
いや、更に申さば、そもそもに子供とてそのへんの機転は働くもので、理由を問われるに仮にそうだとしてもイジメなどとは言わぬ、勉強が分からぬ、とでもしておかば。むしろ、向けるべきは生徒の内面であって。外野がいうほど簡単な話ではないのだろうけど。
そう、担任や友人に恵まれずとも。運不運も含めて理不尽と思える日々の中にも価値観が磨かれ、進むべき道を見つけていくものなれど、昨今は放任が過ぎて。下手に干渉するは後々厄介とばかり、不干渉こそ最善と口を挟まぬ大人が増殖中とか。
叱るに叱れぬ、子を叱れぬ時代にあって、自主性に委ねられるは一見よさそうに見えるも。得てして不器用な子に限って人の手を必要としていたりもして。色んなコト、モノに触れるは決して損にならんと思うけど。あくまでも私の価値観ですが。
(令和6月4月30日/2850回)