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2024年4月

2024年4月30日 (火)

目安

新学期、新たな所属は文教委員会。期せずして隣りの会話が聞こえてしまい。

今回はどうか、好評を博した前回以上、と返答するは当選同期のHセンセイ。当人の質問に含まれるは朝の連ドラ。その一場面になぞらえて市政を斬る、というか「諭して」おられ。私など見る余裕なく、手にするは当人を描きし文庫本。これで話題に乗り遅れずに。迫る定例会にていかなるシーンを取り込むか。

わがままは許さぬ、縄を付けてでも、なんて、いないよな今どき。委員会にて報告を受けるはそちら。不登校の責任や学校側にあり、とそこまで押しつけられるはちと。さりとて、その義務や学校ならぬ親にあり、などと涼しい顔をしてもおられず。誰一人取り残さぬ、学校側とてキチンと対応を、と答弁するに市議による砲火は免れず。こと教育とあらば絡むは価値観。「かくあるべし」と誰しもが一家言を有するだけに。じっと黙して聞いている中にあって。

一因に挙げられるは学習のつまづき。自らの評点の横に記される平均点が本人に与える重圧こそ不登校の原因にて削除すべし、と委員の一人。いや、確かにそこに劣等感を抱く生徒がいるやもしれぬ。が、隠さば治るか。それこそが現実であって、そこに目をふさぐは臭いものに蓋にあるまいか。

レースの完走証に記されるは着順に完走時間。世にたった一枚の自らの存在の証。順位とて気にならぬかと言われればウソになり、されど、この年齢にあって今さら表彰台など目指さぬ、たとえビリでも完走こそを目標する選手とて。それはあくまでも一つの「目安」。そこに自らをいかにあてはめるかは個の勝手であり。

とすると平均点とて様々な示唆を与えてくれる材料となり。削除するは逆に生徒の可能性の芽を摘むことになりはせぬか。いや、仮にそんな生徒がいたとしても。それはあくまでも「平均」、及ばぬからと卑下するものになく。そこに当人の人生が決まるものでもなく、他に勝るものがあるやもしれぬ、そこを諭すことこそ教育の意義であって、教師の本懐にあるまいか、なんて。

いや、更に申さば、そもそもに子供とてそのへんの機転は働くもので、理由を問われるに仮にそうだとしてもイジメなどとは言わぬ、勉強が分からぬ、とでもしておかば。むしろ、向けるべきは生徒の内面であって。外野がいうほど簡単な話ではないのだろうけど。

そう、担任や友人に恵まれずとも。運不運も含めて理不尽と思える日々の中にも価値観が磨かれ、進むべき道を見つけていくものなれど、昨今は放任が過ぎて。下手に干渉するは後々厄介とばかり、不干渉こそ最善と口を挟まぬ大人が増殖中とか。

叱るに叱れぬ、子を叱れぬ時代にあって、自主性に委ねられるは一見よさそうに見えるも。得てして不器用な子に限って人の手を必要としていたりもして。色んなコト、モノに触れるは決して損にならんと思うけど。あくまでも私の価値観ですが。

(令和6月4月30日/2850回)

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2024年4月25日 (木)

尻餅

その出で立ちやどう転んでも市議には見えぬ、と事務員。いや、こちとて週明けの月曜とあらば何かと対応に追われがち、朝イチの便にて現地から戻っただけの話。仕事に服装は関係なく、とりあえず、その格好のまま。
それはレースに限った話になく。癖とは抜けぬものにて、ひとたび棄権すれば次回も「まっ、いいか」なんて。とにかく前回が誤算。上がる難易度にこんどこそ失敗は許されぬとの重圧。雨の日とて休む訳にはいかぬ、と性懲りもなく。発熱なくも咳が止まらず。夜などとりわけひどく、寝不足が続き。治るに治らぬ咳の原因はもしや。
止まらぬ咳に呼吸すらままならず、遠のく意識。こう見えて小児ぜん息の重症患者にて当時は本当にこのクスリに救われ。以降、捨てるに捨てれず。そんな昔のクスリがよく効いたな。
んな状況下に挑むは40kmのトレイル。舞台や北九州の平尾台。大自然が織りなす景観。カルスト台地に不思議と生まれる一筋の道。本来ならば眼下に広がる雄大な自然、のはずが当日の天候や雨、ばかりか霧に視界晴れず。どろんこレースの様相にて。
滑って転んで尻餅ついて。用意されたロープ手繰り寄せて斜面上がらんとするも足をとられて。それでもロングの部、出走400名を超える中にあって着順143位は総合順位であって、年代別ならば表彰台、そりゃないナ。
距離に難易度、制限時間は前回以上にあって完走を果たすに改めて顧みるは前回の敗因。どれだけ立派な車体に高性能なエンジンを搭載しても肝心のガソリンなくば。人の生存に欠かせぬは水と知るべし。
絶景こそ見逃せど補って余りあるはスタッフの親切心。完走証が雨にぬれてはと手持ちのビニール袋に包んで下さった係員。雨の中、どろんこまみれにてゴールするに、この期に及んで見てくれなど気にせぬ、が、当日の移動手段やレンタカーにてさすがにそのままでは。シャワーなどあるはずもなくトイレの洗面所とて手洗い専用。そこに居合わせるは清掃員の女性。水道に手持ちのホースを繋いでくれて。手袋のままで申し訳ないと詫びつつきれいに洗い流して下さり。あとはタオルで。本当に助かった。
そう、最近の相談の一つに公園トイレがあり。当該の公園は高齢者の方々の利用多くも不自由するはトイレ。あるにはあるのだけど、男女とも和式ばかりか目隠しなく。何せ老齢にてふんばりが効かぬ。人目につかぬ向きとはいえどさすがに丸見えは。
ならば自宅で、というけれども年齢とともに間隔狭くなるは生理現象。そればかりか、そこまで我慢できぬ、失禁とて少なからず。尿漏れなどズボンにシミを作っては。こと近年は紙おむつの向上が著しく、利用する高齢者も多いとか。

さりとて、履き替え後、捨てんとするに入れ物なく。持ち帰るにはさすがに。せめて専用の容器でも、とは切実な願望であって。現役世代には思い及ばぬ悩み。気づかぬは仕方あるまい。されど、誰しもがやがてはその年齢を迎える訳で。せめて、話を聞いた以上は。

(令和6月4月25日/2849回)

大会名:北九州・平尾台トレイルランニングレース2024

ロングの部40km/累積標高2,488m/制限時間7時間30分

順位143位(出場者433名/完走者288名)

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2024年4月20日 (土)

本革

知人の会社が高校生の求人に苦労している、と世話好きなKさんより。知名度こそ乏しくもある分野において高い技術力と堅実な経営を誇る会社とて少なからず。就職難の中にあって需給のミスマッチは何とも惜しく。
いつぞやに作業着メーカーがランドセル市場に参入、と見かけた。ハレの入学式に見比べる隣りのランドセル。劣らばイジメの原因にもなりかねず、せめて平均的な一品を、と値札見るに。本革製と申しても実用性は別。今や教科書など全て持ち帰りが原則だそうで。安くていいもの、が消費者の心理。風穴あけんとの着眼や悪からず、か。
ゴルフなど見栄の張り合い。されど、一流ブランドに身を包みし御仁が必ずしも腕達者とは限らず。その起源や羊飼いの石ころゲームとされる中にあって、んな排他的にならずとも。とはいえ、求められる最低限の品位。せめてそれなりの身なり整えんと店を物色するに総じて割高に見え。
ランとて以前は手軽なスポーツの代名詞だったはずなれど、今やゴルフに勝るとも劣らぬ。ウェア代ばかりかレースへの出走料とて。いや、こちとてそこまでケチるつもりはなくともさすがに。ロゴの有無にそれだけの価値があるようには。
そう、ランドセルのみならず、こちらも作業着メーカーの品揃えが充実。雨風に炎天下の過酷な状況下に身体を酷使するに少しでも快適な品を。そんな彼らの声に応えるべく追求された機能性は他の追随を許さず。通気性に軽量感、ポケット一つ見ても。欠けるデザイン性も今や。いやほんとに企業努力が窺い知れて。
閑話休題。障害者の支援を手がける事業者から説明会を催すゆえ、と誘いをいただき。開催は義務にあらず、やるは当事者の勝手なれど、やるに生じる手間や軽からず。求人じゃあるまいに、やらずと利用者には不自由しとらぬはず、やる意味やいかに、と聞かば。顔が見えることが生む安心感、利用者との信頼関係を築くに欠かせぬ、と。
そんな事業者が新たに参入するは相談支援。現行、相手の依頼に応じて事業所を紹介する流れの中にあって、本来ならば症状の改善に目指されて然るべき本人の自立のはずが、「受入」が優先されるあまり、「質」がおざなりにされることも。中には「とりあえず預かってくれれば」なんて保護者がいないとも限らず。いや、それすらも利用者の選択なれど折角の機会を失うは何とも惜しく、現場に身を置く当人としては歯がゆき想いを抱くのだとか。
肝心の役所とて事業者の運営が適正になされていればそれ以上はあえて求めぬ。ひと昔前ならばこれだけの数ある中にいちいち特定の事業者の話など聞いていられるか、事業者たるもの余計なことはせずに「つつがなく」言われた通りに、なんて風潮だったはずが。こと最近はそんな事業者の声とて聞く耳を立ててくれる職員もおられるらしく。庁内にあってそんな姿勢や周囲から疎まれるやもしれぬ、が、ふんぞり返っているだけでは現場の本音は聞けぬ。成功はごみ箱の中に、きっと損にはならぬし、そのへんに活路があるはず。
(令和6月4月20日/2848回)

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2024年4月15日 (月)

長葱

巨匠ガウディが手がけたベンチ目当てにグエル公園を訪ねし二十代。椅子とは人が腰を下ろして休む為の道具。追求されるべきは心地よさのはず。が、拒む椅子というのが当人の作品の一つ。奇抜という媚びぬ作品こそ当人の魅力。ファスナー付きの怪獣など彼をおいて他になく。色やモチーフに込められた意味。既成概念を超えた中にこそ作品の価値が。

企画展こそが集客のカギ、といわれるも常設展とて侮れず。いや、むしろそちらのほうが。今回は焼失したパリ時代の作品の復元。代表作「傷ましき腕」とてその一つ。復元と申してもそちらは実際に本人の手によるものにて。あの異様な色彩の片腕から上体、いわゆる顔の部分に描かれるは赤いリボン。他の作品にも見かけるリボンこそ特徴の一つなれどそのモチーフが意味するものとは。

題と絵が結びつかぬが彼の作品。されど、その作品に触れ、目が肥えてくれば新たに見えてくる世界が。その作品の題や「重工業」。そう、これならば。中央の歯車の回りには人間らしき図柄。人間に隷属すべきものとして編み出されたはずの機械に翻弄される社会を描いた作品と察すれども、人と思しき図柄を黄色にて描いた意味は。

いや、それ以上に作品を凝視する中に浮かび上がる二本の長葱。機械化の対極、農耕の象徴、とするならば人参や大根でも。いや、それこそが天才の閃き、というか直感だったりもして。知れば知るほどにハマる同氏の魅力。川崎市ってやるじゃないか、と思わせるハコモノだと思うけど。そう、知る人ぞ知る川崎市岡本太郎美術館。

そんな同氏に陶酔するは私のみならず。名画「ルクソールの夕日」の作者が夏の個展に向けて始動。準備を始めた様子をSNS上に公開されて。下絵の一枚に見るは明らかにあの作品。当時は一斉を風靡した、というか世間の耳目を一手に。生前の話にて当時を知る由もなく、証言を聞くにその熱狂ぶりや。夢よもう一度と、挑む様子は見聞きすれども未だ盛り上がりに欠けるというか。まだ、数年の猶予、と申してもあっという間に。

万博に先んじて迎えるは本市の百年。その認識こそ広く浸透し、共有されたものの。で、何?というのが巷の空気感にあるまいか。あれだけ宣伝しておきながら未だ機運に乏しきは役所の怠慢。目玉となりし緑化フェアの成功こそ至上命題と重くのしかかる重圧。笛吹けど踊らず、というか期待と現実の乖離の元凶や。

人の百歳とあらばあれだけ盛大に。同じ百歳といえども対象が市制とあらば。それ以前から此処において人は生活を続けてきた訳で。市制を発足させんと奔走された方々やこれまで携わりし方々の功績を蔑ろにするものになく。また、我とて市議の一人として、などとエラそうなことを申し上げるつもりもなく。

百年の意義や否定せぬ、されど、誰が誰を祝うのだろうか。年々の積み重ねに百年の節目を迎えた話にて百年ゆえに何かせねば、との義務感に。全市民が祝って当然、祝意を示さぬは市民にあらず、なんて一部の熱狂ぶりが前のめりだったりせぬか、なんて。

(令和6月4月15日/2847回)

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2024年4月10日 (水)

座席

昇進を目論みて上に媚びる御仁少なからず。いや、それとて、ちゃんと役目さえ果たして下されば。ならば他薦はどうか。

慰留されども親を人質に取られては。後ろ髪を惹かれる想いで主君、劉備の元を去らんとするは徐庶。せめてもの恩返しと推挙するはその人。いや、彼とて容易には動くまい、自ら一言添えんと庵を訪ねれど若き孔明にべもなく。いつか詫びる日もあろう、との台詞残して。歴史に名を残す大軍師ともなれば他人から言われずと。そう、三国志より。

事の成否は二の次にして、いかなる厄介事とて二つ返事にて応じる姿勢やまさに職場の鏡。彼をおいて適任なし、などと大それたことは言わぬ。が、現場の活躍ぶり位は上の耳に届くよう。そんな策が功を奏してか、いや、実力に違いないのだけれども。この四月に晴れて本庁への異動となりしH部長。着任早々に他の市議に呼び出されて会派の部屋を訪ねて下さった際に私の名を。

後に知りて呼び出さんとすれど、本庁の部長ともなれば畏れ多く。こちらから出向くにフロア内の間仕切りなく、見渡す限り机が並び。部長たるもの、んな簡単に面会には応じぬもの。入口から最奥に陣取り、職員の働きぶりを睥睨するよう目を光らしている、はずの席がなく。呼び出し用の電話機の前にはフロア内のおよその位置と部課名のみ記され。

すまぬ、道を教えてくれぬか、と手前の見知らぬ職員に声をかければ、いぶかしげな中にもこちらへ、と。そんな猫背にて小さき画面に向き合っていては他の職員と変わらぬ。他より高い給与を得ている以上は常に部下の仕事に目を配り、夜の酒席では常に多めに支払うがその役割。自らの役職を誇示する三種の神器や「部屋」「秘書」「車」だそうで、席すらもそんな状況では求心力どころか。

それ以上に不運にも向かい側又は隣りに座る職員など一日が憂鬱になりかねず、そんな劣悪な環境下でいい仕事など。スペースを確保せんとするに他を削らねばならぬ、などとは体のいい口実であって、やはり部長席は単独に限る、か。席は日々自由などと言わば聞こえこそいいが、むしろ勝手を許すは混乱の元凶。固定のほうが毎朝の煩わしさから解放される訳で。

押し寄せる働き方改革の波やこちらも同じ。今月から一定時間を超える時間外労働に対して支払われる残業代の割増率が大幅に上げられ。そう、物流業界の話。事業主が割高な負担を減らさんとするに、過酷な実態が多少なりとも改善されるやもしれぬ。が、負担を下げんとするに仕事を減らさば運転手の稼ぎとて。

そう、本人に意に反して時間外が強制されておらぬか、時間外の労働に対して正当な対価がきちんと払われているか、が核心であって、長時間の労働こそ悪、とばかりに大ナタ振るうに負の側面とて。

そもそもに荷主側とは成果報酬、つまりは届けてなんぼの契約形態であるばかりか、時間を指定されるに悩むは配送の経路。それでいて不在、いわゆる空振りだった際など。一米のパットを外した憤慨の比ではないかも。置き配などそちらの工夫こそ。

(令和6月4月10日/2846回)

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2024年4月 5日 (金)

若冲

距離三十キロのトレイルといえども本戦への出場権を巡る一戦にて集うは猛者か。いやいや、そこは受験会場が如く不思議と周囲が賢く見えたりもするもので、とたかを括るに。晒す醜態、五年ぶり三度目の「棄権」となり。通称ハセツネこと日本山岳耐久レース。

前年の遭難者三名とか、兎に角も全てが自己責任にて出場にはココヘリ契約を必須とし。途中、関門あれども給水なく。つまりはスタート時の所持分でゴールまで。途中、ここで消費しては最後まで持たぬ、節約に節約を重ねるに朦朧とする意識、動かぬ足。かろうじて通過する最終関門。水さえあれば。それでも一リットル半は背負っていたのだけど。

後続に押し寄せる選手らは関門の通過ならず。疲労か脱水か、道路脇に横たわる数や三百を下らず。本来ならば送迎用のバスがゴールまで送り届けてくれるはずも一向に来る気配なく、刻一刻と過ぎる時間。往復一時間を要する中にあって輸送を担うは八人乗りワゴン車二台。まさかこれほどの人数になろうとは、と困惑の関係者。このままじっと待つ位ならば自らの足で、そう、彼らとて「猛者」だから。

されど、判断一つが生死を分けるが山の怖さ。救助を待つか自ら下山するか、まさに雪山の遭難なんぞ。本部の指示を仰がんとするも。早く下りねば日没が、苛立つ選手ら。じっと待つこと一時間にして下されし結論は、歩ける選手は歩いて下る、下山者のゼッケン確認は怠らず、先頭と最後尾は慣れた関係者が固め、隊列組んで無事に下山。ということでコースは完走、いや、完「歩」となり。参加賞ののらぼう菜が旨かったナ。

さて、つきまとう判断、と申してもこちらは既に。渡った以上は戻るに戻れぬルビコン川。せめてもの救いや先頭ゆくは本市ならず。そう、PFI手法による市場の運営。そして、訪ねるは京の台所、というよりも、私にはあの若冲で有名な、通称「錦」と呼ばれる京都市中央卸売市場。

相手方の説明を聞く中にあって気づかされる事実。確かに当初はそれが前提だった、が、今や「直営」と。過ちて改むるに憚ること云々なる格言は辞書になく、どれほど惨めな終焉を遂げようとも失敗を認めぬが役人、いや、認めぬどころか正当化する才に長け。とするとその前提を覆す背景には相当な理由が。

要求水準書とは外部に委託する際の仕様書、つまりは契約書が如き。ゆえに以降は全てその内容に則って判断が下され。それだけにまさに成否を握る命綱と申しても過言になく。仕様を固めんとするに欠かせぬは既存の関係者との協議。いかに効率化を図るか、これぞ最善と固めたはずが、いや、やはりこちらのほうが、なんて。深掘りすればするほどに気付かされる想定の甘さ、たびに設計の変更が生じ。ならば、いっそ直営のほうが、と。

何度となく重ねられる協議にいつしか縮まる両者の距離。反目から協調へ。互いに分かりあえる間柄となり。ならば費用面はどうか。検討に着手するは十年前、PFIを前提に算出された六百億円はそのままに。物価が二割増というに。そもそもに市場長の肩書を有するはおよそ役人であって、ゆえに現場に近く最もよく知るは彼ら、のはず。その気さえあれば。

右へ倣え、とは言わぬまでもそれだけの真剣度と過去に捉われず前提を覆す気概はあっても。

(令和6月4月5日/2845回)

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山崎なおふみは自民党の議員です
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山崎なおふみは川崎市の議員です
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