なおログ[Blog]

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2024年1月

2024年1月31日 (水)

部活

そう、昨年、実家の貸家を一つ処分したのだけど、その額を知るに。んな話を大学時代の友人に話さば、悩みは同じ、売れるだけマシ、当方の実家なんぞは無償とて買い手がつかぬ。何せ隣家まで三キロの農道に灯りなく、土地の人にあらねば夜など車の片輪を田んぼに、と。

風強き日は沿岸に雪降らず、というか、大雪にはならぬ、というのが通説とされ。冬は北風、海面から蒸発した水分が作る雨雲がシベリア寒気団に晒されて。重量が増すに山越えられず。降雪なる荷を下ろした後は上州名物からっ風となり。距離にしてほんの数十キロのはずが山一つ隔てただけで分かれる明暗。国境の長いトンネルを抜けるとそこは雪国であった、との有名なあの一文こそまさに。

防寒具はマフラー一つ、外は雪景色の土日にあってスーツ姿に革靴の乗客など。降り立つは北陸新幹線の上越妙高駅。そう、郷里のスポーツ協会が催す表彰式の来賓として。いや、来賓と申してもあくまでも「代理」。会場を埋めるは全国大会にて活躍を見せた地元の子供たちと保護者を含む関係者。数にして三百は下らず。たかが一枚といえど、やはり壇上にて称えられるというのは励みに繋がり。

式典後に催されるは講演会。当初に予定された講師は元全日本監督なれど、相手方の都合により、と急遽の代役に抜擢されるは地元の大学教授。知名度こそ遠く及ばぬまでもそんな方の話こそまた気づきもあったりするもので。「ジュニアスポーツの現状と新しい学習論~部活動地域移行の問題解決に向けて~」と題した内容。

我らが世代などは加入が常識とされた部活動の全盛期。打倒どこぞの中学などと練習に明け暮れる日々。私など補欠といえどそれが当然の如く。当時の所属はバレー部。顧問をつとめるは社会科の先生。年齢とて定年迫る中にあって、よく自ら我らが相手を。土日の練習に対外試合の遠征とて教え子らと過ごす時間こそ宝とばかりに。

いや、今とてその教育的意義こそ否定されぬまでも働き方改革が叫ばれる中にあって部活動を積極的に推進する理由に乏しく。指導者も含めて地域にて。いや、地域と申してもそれだけの指導者を探さんとするに。ましてや、学校側の関与がなくなるに肝心の施設利用とて保証されぬばかりか、団体種目の全国大会などは依然と学校対抗となる訳で複数の学校による混成チームなど。

そうそう、今年の目標レースを定めるにかねて耳にしたあのレース。ウルトラランナーならば一度は挑むべしとされ。徹夜で挑む体力の限界にゴール寸前の山頂で拝む朝日は格別とか。サロマ湖に並ぶ人気を誇るレースに出場の資格制限こそなくも限られる出走枠に群がるランナー。正攻法ではまず不可能とされる中にあって春の予選会にて上位に入らば本戦への出場権を獲得できると聞いて。

(令和6年1月31日/2832回)

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2024年1月25日 (木)

肩凝

部屋に入ると次官は立ったまま、机上の厖大な書類に目を通しては無造作に判を捺していた。「いちいち中味まで目を通していては肩が凝ってかなわぬ。見る人は盲判などとからかうが、書類を書いた奴の名を見れば言わんとすることは」。本からの抜粋なれど、肝心の主人公、いや、肩凝る主とはその人、山本五十六に他ならず。「人間笹川良一」(山岡荘八著)より。

栄に浴すは誰かしらの推挙あればこそ、推薦人への恩を忘れてはならぬ、とは、おらがセンセイ。記す希望が叶うか否かは運次第。詰めの一手に市議の推挙あらば。こちとら名を連ねるにやぶさかならずも、庁内にヘンな力学が働かぬとも限らず、それがかえって仇とならぬか。そこの判断を含めて、と言い含め。そう、人事異動の話。

移動距離の拡大が生みし恩恵。発明に劣らぬは広く大衆に普及させた功績。夢の実現に時代の変革を成し遂げた本人が綴る熱き想い、ヘンリー・フォード著「藁のハンドル」。彼らこそが最大の顧客、彼らが自らの商品を買わずして誰が。会社の屋台骨となりしはいつの時代も「彼ら」であって、そこを蔑ろにしては会社の成長など。

そう、有権者以上に我らが働きに関心を寄せるは「彼ら」。何せ自らの仕事を左右しかねぬ重大事。局長室とあらば話は聞こえず。よきも悪きもあれだけ「あけっぴろげ」に。聞けずとも一字一句が残されし会議録を読まば。

退職金はその名の通り「退職」時に支給されるものであって、いかなる理由があろうとも前払いなど断じて認める訳にはいかぬ、との答弁に。んな役所みたいなこと言うな、いや、役所だったナ。

定年延長を理由に待ってはくれぬローン返済。何も延長をせずと当初の年齢に退職すれば従来通りちゃんと支給される訳で、返済に困らぬではないか。延長はあくまでも権利であって義務にあらず。行使するせぬは当人に。いやならやめろ、と言わんばかりの冷たさに。もそっと情があって然るべき、んなつれない対応があるか、って感想を述べるに留まるも寄せられる反響や少なからず。

つい最近も、まさに同感、よくぞ申して下さった、と「彼ら」より。同じ釜の飯を食っとる仲間が苦境に立たされ、救いを求めとる中にあって、他ではあれだけの悪知恵が働くのだから今回とて。残留組との格差を理由に三セクの給与を上げる余裕があるならば、その前にまずはこちらを優先すべきでは、と公に言わなんだが、彼らにも彼らなりの。

何せ公務員は本市に限らず、他市どころか国の官僚とて同じ制度上に置かれる中にあって本市だけ「特別」など。そう、つまりは護送船団にあって、抜け駆けは他の反感を買いかねぬ、というのが本音というか。いや、そんな恩恵に預かれるはほんのわずかしかいないかもしれぬ。が、時に彼らとて市の顧客にも成り得る訳で。そんな配慮一つが彼らの仕事への意欲に、なんてのは淡い期待か。

いや、何も制度を変えよ、などと大それたことは言わぬ、あくまでも抜け道を。押される背中にもう一度。

(令和6年1月25日/2831回)

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2024年1月21日 (日)

子羊

オープンとはその世界ではプロアマの意。ましてや発祥とあらば国名など。「ジ・オープン」とは全英。後続が母音にて冠詞は「ザ」ならぬ「ジ」、余計か。彼こそが最強説はこちらに限らぬ話なれど、全英を制する者こそ。

歴史有する中にあってそれ以前から繰り広げられる名勝負。創始を見ぬまま、一年前に世を去りしアラン・ロバートソンを以て最強とか。何せ四十四年の生涯無敗。セントアンドリュースとマッセルバラ、名門の威信をかけたウィーリー・ダンとの一戦など。

当時はストロークプレーならぬマッチプレー。つまりは総打数ならぬホールごとの勝敗。つまりは全一八ホールの白黒で。そう、今日とて耳にするスコア自慢も天候とコース次第にて尺度にならぬ。まずは、いかに「カッコよく」「きれいに」球を飛ばすか。模倣こそ上達の秘訣と知りてそのように振れども自らの録画を見れば似ても似つかぬ不恰好。頭で理解すれども伝わらぬは音痴の証拠か。

ならば、と指導仰ぐは地元の名手Hさん。練習場にてこちらの打席を見とる中にあって。私のクラブを手にするや、こうすれば、ほら、ちゃんと。いや、自らはそうしとるつもりにて。天賦の才に恵まれし御仁には下々の苦悩など。師事する相手が違ったか。かたや、運動センス抜群、誰しもが認めるゴルフ狂のI君に教わる秘伝。貴殿の身体能力を以て真剣に臨まば一年後には地元に敵なし、とおだてられるも。

日に「最低でも」百球、とにかく無心で思いっきり叩くこと。理由など聞いてはならぬ、とにかく実践あるのみ、三月も続ければ人が変わる、と。そりゃ変わるでしょうよ、別な意味で。再現性が求められる種目にあって基本動作に忠実であること、との意は察すれど、修行僧じゃあるまいに、んな狂気じみたことで上達など。

いや、それとてこちらの上達を期待する善意と知るも、この種目に言い訳と教え魔は多く。こちとて後発組にて従順に従わんとする中に食い違う両者の理論、あちらが立てばこちらが立たず。足して二で割ると申しても事はそう単純ならず。次回までに、との念押しに都度、打ち方を変えるなんぞ。

まさに迷える子羊の心境と吐露するに来客のNさんが一冊の本を届けて下さり。そのままハワイで二ヶ月と旅立っちゃった。「苦悩の散歩道」(ジョン・フェインステイン著)。

ランならば走った距離は裏切らず、それだけの余裕が生まれるも、こちらなんぞは振れば振っただけ生ずる迷い。それこそがこの種目の魅力だったりもして。たかが棒を振るだけのことにそれほど夢中になる心理が分からぬ、と妻。たかが棒振り、されど。日焼けの理由を聞かれるに何故にランは許され、ゴルフが憚られるのか。んな世の偏見に立ち向かうべく。

そう、ランとて、ぼちぼち出場レースを選ばねばならず、昨年を振り返るに走った距離は1,549km。ゴルフもその位、没頭すれば。いや、センスだから。

(令和6年1月21日/2830回)

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2024年1月15日 (月)

連帯

受験に同じ、知らされるは可否のみとあって。市からの通知に落胆を隠せぬ申請主。理由を添えるが親切と知れど、さすがにそれだけの件数を処理せんとするに。「否」の理由を聞くに「物理的に困難」と告げられたそうで。そう、防犯灯の話。

黒を白にするのが市議の役割とばかり。覆らねばこちらの立場が危うく、覆すに相手の立場が。一事不再理、つまりは全く同じ申請は結論も全く同じ、が役所の掟。再度の申請に当該個所の「周囲」と二文字を、との入れ知恵に「可」なりそうな気配にて。

相手は格上の政令市、といえども一点突破ならば。担い手の獲得に金銭の糸目はつけぬ、彼らに後れをとるは断じて許さぬ、と執念燃やす対抗心が全国的な注目を集め。いや、それこそが当人の狙いだったりもして。いや、それをいうなら本市とて。

公務員に準じた給与体系を保証すべく上乗せされる市費。団体側とてそれに見合うだけの高い採用基準を設け、一括採用後は育成に力を注ぐとともに、不足の園には融通を図るなど、この間、業界の為に寄与してきたことは否めぬ事実。

されど、そこに押し寄せる時代の波。園庭こそが同士の証、雑居ビルの一角では園と呼べぬ、そんなところで健全な子が育つか、との価値観の浸透を図りて牙城を死守せんとすれども。「今どき」の保護者からすれば、住めば都、預かってもらうに多くは求めぬ、と。

かたや、別の一翼を担いし幼稚園。幼児期位は親の手で、との価値観の浸透を図らんとすれども。それどころではない、三歳まで待てぬ、との世相に。ならば我々にもゼロ歳児から同じ土俵で、と参入を狙う中にあって、四面楚歌の状況に。

幼稚園は文科省、保育園は厚労省、縦割りの弊害を克服すべく創設されたこども家庭庁が示した新制度に見直される保育士の処遇。国の制度に包含された以上は、と役割を終える市の単独加算。この期に及んで兵糧を断たれるは団体の死活に繋がりかねず。

何と申しても過去に栄華誇るに自社ビル有するばかりか市の退職者を含む、少なからぬ職員を抱えてきた訳で。今にして重くのしかかる運営経費。かつては錦の御旗というか共通の目標があったはずも今やその恩恵は薄く。退会が相次ぐ中にあって先細る上納金。

かつての恩を忘れたか、この不忠義者めが、と叫んでみても、自らの園すらままならぬ中にあって背に腹は代えられず、このままでは両方とも。いや、残留組とて団体の維持に欠かせぬ経費が不足するに誰かが埋め合わせせねばならず。よもや増額なんてことは。

ならばあのビルの売却に糊口をしのぐべきにあるまいか。いや、あの老朽化著しき状況に買い手など。更地返還するにも安からぬ解体費が。仮に解散するにも連帯責任とばかりに負債を背負わされては。早めに逃げるに限る。

以上、勝手な想像なれど、貧すれば何とやらで。いや、本当に笑えぬ話。

(令和6年1月15日/2829回)

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2024年1月10日 (水)

角餅

大半は圧死とされる中にあって。呑まず食わずの五日間、耐え忍びて救出されるは九十歳の女性。それも身動きままならぬ状態とは。運も然ることながら侮れぬ潜在的なヒトの生命力。

未だ寒空の下、一刻も早く現地に、と申しても純粋な動機だけとは限らず。かたや遠く離れた地にあって、折角の慶事に祝意が憚られがちな風潮は何とも。

その労は寸分も惜しまぬまでも、そこに私心はないか、と問われれば。いや、それをいうなら一事が万事、職業が背負いし宿命で。上の指示にて立つ駅頭の募金に多くの善意が寄せられ。遭遇するは昨年の選挙を手伝ってくれた音大生。

この三月の卒業も未だ見つからぬ就職先。被災地の前にまずは自らの生活を、と告げるも。困っている人を助けたいとの善意は貴き価値観なれど、過ぎたるは及ばざるが如し。そんな時は理よりも情が勝りがちなだけに。前のめりにならぬよう。

そう、正月といえば。餅が入るが御当地流。小さな角餅が上に。七草粥がふるまわれ。それに併せて地元の囃子やコーラスによる童謡が花を添え。今年は暦にも恵まれてか、親子連れも目立ち。あさお古風七草粥の会を支えるは有志の皆様にて。

日頃の活動の成果か、賓客が如き厚遇ぶりに通される奥の間にて拝聴する村長の苦悩。寄る年波に抗えず不足する担い手との構図はどこも同じ。新たな人材を探さんとするに、日当は兎も角も、弁当代に交通費すら当人の負担とされるはさすがに。長である以上、目に見えぬ出費とて惜しむものにはないが、そんな事情は「彼ら」に通じとるのだろうか、と。

災害時とて然り。そもそもにこれだけの人口を抱えとるばかりか、転出入の多き本市にあって互助は欠かせず。区民同士の交流を育まんとの狙いから生まれる行事は少なからず。されど、それすらも本当に行政が主体となってやるべきことか云々と。「交流」の成果や目に見えぬものにて劣勢に立たされる行政側。

いっそ余計な仕事は手放すに限る、とばかり。そんな力学も働いてか、昨今なんぞは他との「共」催もしくは実行委員会なるものを別途。主催にあらねば意識とて。拠出の妥当性が問われる中にあって、今やペットボトルの茶の一本すらも無駄な支出とばかり。いや、彼らとて別にそれを目的に来るものになく。まぁどうぞ、と手渡されるに手つかずのままのものとて。そう、つまりは気遣いの話。

肝心なことは、彼らは頼まれて応じたのであって、自ら志願したものにあらず。民生委員然り、あくまでも本来は役所が担うべき役割を彼らが代行しているとの認識に立たねば。茶代を惜しむ代償や小さからず。日当を払わずといかに意欲的に働いて貰うか、に考え巡らせれば、そんな結論にはならないはずで。

(令和6年1月10日/2828回)

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2024年1月 5日 (金)

父娘

流行にはとんと疎く、たまたま目にしたノリよきユニット。今どきの若者に知らぬものはない、と娘から聞いた。やはり親の面倒見るに頼りになるは娘。退屈しとる父の相手を、と乞われることしばしば。年内には必ず、と。

呼び鈴を鳴すに気配なく。一筆記した名刺を残せど、「相手」と約束をした以上は、再び。迎えて下さるは還暦を過ぎたる娘。大声で呼ぶに奥からのそりと顔を見せるはその人にて。正月を前に自ら神棚を手がける父や九七歳。

逃げはせぬゆえ転ばぬように、と告げるにしっかりとした足取りにて玄関まで。久々の対面に娘の一言や、どうぞ拝んでいって下さい。合掌するはたやすきことなれど、当人自ら仏と勘違いされぬとも限らず。

そう、年末に立ち寄りし鮨屋のカウンターにて見かけるは老年の一人客。年の頃は八十半ば、か。何も世辞にあらず、腹が減っていては尚更、純粋な心境の発露にて、「旨い」とつぶやかば。ここの鮨がそんなに旨いかね、私は五十年間、通い詰めるも大将のにぎりなんぞ。奥様の定食しか、と絡まれるに。

赤壁を前に単身渡りて呉の家臣ら相手に論陣はりし孔明が如く、とは大袈裟ながら初対面にあって立合いに負けるは恥と知るべし。んな空気を察してか、いや、こちらの客はいつぞやにどこぞのコースを超絶なスコアで回って以降、仲間から総スカン、今や一人で名門を回るのが人生の愉しみ、と大将に紹介されて。

スコアは兎も角も確かにその偏屈ぶりでは仲間とて。さもありなん、と頷くは容易なれど。いやいや、自らより格上の相手と一緒に回れるはむしろ光栄と思い知るべし、それしきのことでそっぽを向くなんぞはヘボだ、との一言が心を掴んだらしく、以降は。

が、老人は甘やかさぬに限る。こちとら「現役」にてヒマにあらず、続きは次回、奥様の定食とともに、と別れの挨拶をするに、いや、それでは大将の仕事がなくなるゆえ次回も「にぎり」を、と客人に見送られ。

んな時に限って、というのが世の常。大晦日の早朝に鳴る着信や支援者の一人。生後数ヶ月の孫が高熱、嘔吐と。病院に電話をすれどもいづれも拒まれ、との依頼に紹介するは地元の小児科が輪番制にて診察を担う小児急病センター。診察と申しても聴診器を当てて、あとは薬が処方される程度なれど、不思議とその後は。今回なども薬の服用後は平熱に戻り、事なきを得たそうで謝辞が寄せられ。

乳児とあらば泣く一方で症状の度合いが分からぬ。未知なる事態に遭遇するに気が動転するのも無理はなく、苦しむ子を前に失われる平常心。そんな相手とあらば応対側とて余計に注意を払わねばならず。専用の電話が繋がらぬ背景にはそんな事情も。ゆえに苛立ち募らせて待つ位ならばいっそそのまま現地に、というのが賢い判断。

救急の分野で期待が寄せられるは♯7119、医師や看護師等の専門家が介入することで救急車の必要性を判断、適正利用に効果あり、とされるも。救急である以上は、一秒でも早く、というのが通報側の心理な訳で。

(令和6年1月5日/2827回)

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