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2023年12月

2023年12月31日 (日)

赤穂

大晦日、といえば。紅白か格闘技か。さながら落語ならば芝浜あたりか。

過去に内蔵助を演ずるは一人ならず、誰それに勝るものなし、俵星玄蕃のどこぞが見どころ、などといつぞやの忘年会の席にて。別れて数日後に届くDVD。しっかりと主演も。

討入り前に訪ねる先やその人。面会叶うも間者の存在に気づきし内蔵助。仇打ちの決意を伏して隠居の暇乞いと偽るに不忠者となじられ。最後に一つ、亡き主君の仏前にて焼香を、との懇願も断じて許さぬ、と御前。

決行に集うは四十六士。血判に名を連ねし数に足りぬ。もしや、と逸る同士を宥める内蔵助。落ちぶれてこそ人の情けが身に染みて。それぞれの事情があるのだ、と。

時代劇こそが最高の教材と信じて疑わず。たとえそこに不適切な一幕があったとしても、あとは当人の判断に委ねればよさそうなものなれど。過保護は子の為ならず、害毒と遠ざけるはかえって。

自由だ平等だ、などと言葉で教えても、あくまでも机上の話に過ぎず。やはり舞台劇とか物語、本の中に人の一生を学ぶとか。立ちはだかる現実、たくましく生きることこそ人生の目標であって、逆境を克服せんとするに昭和の価値観が一助となったはずなれど、今やほめて伸ばす時代、余計なものには目を伏せて。

政治こそ世の縮図。切っても切れぬ縁は今日に限った話になく。不記載なる一事を以て裏金とするならばヘソクリに同じ。集金力が派閥内の地位を左右するとは残念な話なれど、原資になりしは税金にあらず、少なくとも表向きは向こうから寄進すると申出とる以上。

そこに生じるしがらみこそ政事を歪める元凶と知れど、ならば一切を断つなど。自由と平等を求めるに同じ。この世界に住む以上、記すに記せぬことも。それを言わせずと察するのが人の情。それを一人だけ善人ぶっとるヤツなど社会的な地位は兎も角も人としてどうか。

見逃さば世の秩序が保たれぬ、世に示しがつかぬ、と「上」が決断したのだろうけど、彼らとて人の子。司法取引を信じて疑わぬ一人にてあれだけの大捕物の前には必ずや予兆というか伏線があって、そこに見えぬ攻防があったはず。

誰しもが大なり小なり有する中にあって一派閥に矮小化された背景には自らに降りかかる火の粉を振り払わんと同士を売りし卑怯者はおらぬか云々と。御政道を正す、は結構。されど、刃傷はいけませぬ、などと短絡的に結論づけるから世はおかしな方向に向かうのであって。

それがあるべき理想と知れど、そこにもがき苦しむ中にこそ人としての成長があり。いや、何も裏金の正当性を説くものにあらず、何もそこまで、どことなく学校内の陰湿なイジメに似ておらぬか、と。公共の電波にくだらん解説を流す位ならば忠臣蔵、いや、刃傷が好かぬというならば寅さんとて。

よいお年を。

(令和5年12月31日/2826回)

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2023年12月26日 (火)

第九

メリクリ、などと申してもこちとら敬虔な仏教徒な訳で。敬虔は余計か。イヴに頼まれるは陳情ならぬケーキの配送。サンタクロースじゃあるまいに。

その生涯はロマン・ロランの著書に知るもミュージカル「ベートーヴェン」が上演中とか。恒例の「第九」を本市が誇るホールで、と機会を探せども回数少なく。あの都内のホールなんぞは連日の公演にいづれも全て完売。かろうじて手にした三等席にて。

道すがら会話が聞こえてしまった。「指定の時間に不在でしたので」-「えっ、これから?さすがにそれは」と困惑を隠せぬ運転手。いかに車両が小型化されたと申しても狭い路地などは戻るに戻れず。一つの荷に得られる配送料は同じ中にあって空振りの手間や何とも。

かたや集合住宅の上階にあって身体的に不自由を抱えた身、玄関でまごつくに、ものの数分とはいかず。当人とてそこに負い目や罪悪感を抱いている以上、「あえて」狙い討たずとも。そう、路上駐車。

目の前の直売所にてものの数分。いや、ものの数分などと申しても実際には、というのが摘発側の言い分。既に貼紙あらばまだしも、巡回員と居合わせる中にあって情状酌量を求めれど、意に介さぬばかりか、その態度が常軌を逸した厚顔ぶり。

私、という名は出さぬまでも市議との関係をチラつかせるに「無意味」と鼻で笑われてしまったそうで。まぁ所詮はその程度、に違いないのだけれども、普段は温厚で善人な当人がわざわざ私宛に連絡を下さるとはよほど憤慨されたに違いなく。その鬱憤の向く矛先や巡回員に収まらず組織全体に。

違反は違反、と正義貫くは結構なれど、その状況が軽微なことは一目な訳で。見逃せ、とは言わぬ。が、そのぞんざいな態度は不必要に敵を作るようなもので。むしろ、「不本意ながら」とでも一言を添えておかば。

こちとて、そりゃ些か不運でしたな、彼らも職務上、などと丸く収めんとすれど、そこまでこじれては庇うに庇いきれず。ちょっとした小火で済んだはずが大火事に。違反の是非以上にそこに消耗させられる神経や互いに損だと思うのだけれども。何とも惜しい。というか、相手の心境に立てぬ、が今の時代。

そう、今回の定例会に目立つはパワハラにいじめ、と対人を巡る騒動。教育現場における被害や少なからず。通報せんとするも相手や身内。事態を調査するにも手心を加えられるばかりか保たれぬ匿名性。筒抜けの情報に沈静化どころかかえって。ましてやそこに明確な定義なく白黒は相手の胸先三寸なだけに冤罪とてなきにしもあらず。相談するに「無意味」であることが件数が少なき真の理由。いっそ、第三者の手を借りて、というのが焦点となり。

借りらば隠蔽は防げるやもしれぬし、当人を断罪して職場から追放、他校に異動とて可能かもしれぬ。が、消えぬはわだかまり。知らぬ存ぜぬと隠さんとするほうも隠さんとするほうなれど、騒ぎを大きくするに、かえってこじれやせぬか、むしろ水面下に、というのが。求められるは対人の資質。やはり日々そのへんを磨いておくに限る。

(令和5年12月26日/2825回)

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2023年12月21日 (木)

初雪

ゴルフにマラソン、その道のりが人生に準えられることしばしば。されど、これぞまさに。山あり谷あり。転びそうになったり、転んだり。前日とは一転、初雪が舞い散る歓迎ぶりに振り返る一年。今年も「色々」あったナ。

こと最近なんぞ、年のせいか完走の達成感以上にささやかなものに心を動かされ。レース終盤の休憩所にてふるまわれし一杯の野菜スープが最高に旨く。そのもてなしぶりにも。南阿蘇カルデラトレイル30km。

https://local-gain.com/minamiaso_trail/pdf/result/7th/men_30km.pdf

熊本空港の往復は全て満席。ならば、と福岡空港の着便に新幹線での移動。到着は余裕をもってが旅の鉄則。昼間の仕事を終えて、夕方の移動に一時間の余裕を見たはずが。前便の到着が遅れて、との放送に。三十分、一時間が経過すれども未だ出発未定とあって。

福岡空港への到着が午後八時、そこから熊本へ移動するに。レンタカーの門限はとうに。店とすれば間に合わぬは客側の責任。されど、こちとてあくまでも不可抗力にて遅延の損害を航空会社に求めんとすれどもそこは免責、とは残酷すぎはせぬか。

とりあえずは熊本駅まで。駅から宿までタクシーで向かわんとするに距離四十キロ。レンタカーのキャンセル代にタクシーの乗車代を甘受するにも翌朝に会場までの移動手段なく。レース前の移動に十キロ走るは厭わねどスーツ上下に着替え一式の荷があっては。いや、いっそ、あんな過酷なレースは断念して、なんて悪魔の囁きを聞くも、不測の事態に対処せんとするがまた旅の魅力でもあり。

やはり自らが運転する車になくば意味を為さぬ。と、無人のカーシェアなるものに初めて挑んでみたのだけれども。いや、これが本当に便利、というか助かった。スマホ片手にものの三十分で全て「その場」で完結。従来の免許証のコピーはスマホの写真で通じるし、肝心のキーの受け渡しとて。

これが、スマホのボタン一つで車のロックが解除されるは摩訶不思議。手間いらず。いや、ほんとに倍額を払ってもそれ以上の価値に匹敵。私はたまたまそうせざるを得ない理由があっただけの話なれど、それがなければ価値は知り得ず。食わず嫌いか。ものすごい発見を。

そう、当日の帰りの便とて全て満席。やむなく翌朝の便にて帰京してそのまま登庁、夜までの質疑に身を置かば「落ちる」のも。先程、カメラがそちらの方を、と前席のS君より。おい、早く言わぬか。

さて、他の市議の質問に聞くは市営墓地の利用申請をネット経由で、と。そう、その手の相談少なからず。こないだなんぞも手助けをしたのだけれども希望先や隣市。市議の口利きあらば優先的に、なんてのは昔の話。

盟友のOセンセイが他界された時なんぞも御遺族からの依頼。巡り合わせの妙か、竹馬の友が当時の局長職にて話が早いとばかりに直談判に及べども「絶対に無理」とつき返されて。今や公開抽選が原則。全て監視下に置かれ、介入の余地なく。

せめて手続き位は、と隣市のホームページを物色するに申込専用のページあり。依頼主の隣にてスマホ片手に申請を終えたのだけれどもこれが本当に手間が少なく。しばし後に「当選」の通知が届いたとか。本市でも。

(令和5年12月21日/2824回)

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2023年12月16日 (土)

色々

さんままつりの当日に届くは金銭のみならず。「皆様で」と持参いただいた手製の漬物。まずは試食とほおばりし最初の一口に旨さ知るも周囲に気を取られては。帰宅後に人目憚らず食した味が格別。

凝視するに細かく刻まれし昆布あり。秘伝のレシピを会得せんと訪ねるに、迎えて下さるは齢九十を過ぎし母君。意図を告げるに「あれはね」と逡巡の後、発せられる一言や、「色々」。「内緒」といわば角が立ち。いや、ほんとに旨かった。

役職に与えられし別室はいつも開けっぴろげ。そのへんに当人の性格が見て取れて。突然の訪問にも嫌な顔一つ見せずに応対いただくばかりか、その後とて抜かりなく。いつぞやなんぞ、私の来訪中に鳴るは机上の電話。直通とは急用に違いなく、「こちらに構わずに」と応答を促すに、「市議のセンセイ以上に優先すべきことなど、どうせ」と億劫そうに受話器を上げ。

「えっ、何?、ん、副市長?、あっ、」と、その後は想像に委ねるも未だその任に留まるは上の評価と見るべきか。昔気質の人情派、昭和の体育会系、大声に悪人なし、なれど、当人との通話の際は受話器との距離、数センチ、いや、数十センチ。下からの評価は知らねども現場の雰囲気悪からぬところを見るに。

降格に惜しく、というか、所長の任になくば逆に役に立たぬのではあるまいか。これが定年後に課長補佐などと放たれても。ゆえに以降も給与こそ減額すれども役職そのままに御活躍いただくが。それ自体が小説の題名にもなる位だから何かと考察の材料を与えてくれそうな「役職定年」。

そう、このたび、本市の出資法人の報酬が改定されるとか。定年延長に伴い、市に残留した際の給与が転出時の報酬額を上回り、法人側の人材確保が困難、というのがその理由。いやいや、制度的にそうなっとる以上、残留の希望者は全て残す。内部にて雇用継続すべきもの。何も受入側の報酬を上げずとも。

現に既存の転出組とてその報酬額にてちゃんと役目を果たしとるのだから。それで割に合わぬと思わば法人の内部にて昇格させれば士気とて、というのが今回の言い分。改訂の是非の前にそれを理由とするは。いや、仮にそこに本音があったとしても人目に触れるにもそっと知恵を絞れぬか。

出資法人における特定の役職が、事実上、市の退職者の指定席になっている現状への認識やいかに、と質問にて迫れども拍子抜けの答弁が示されるにやはり御手盛と揶揄されても。そもそもに局長級の退職者がそこにいては現職やりにくく。聖域化する可能性とて。

そう、今回の議案の中でも目立つは指定管理者の更新。中に一社選定少なからず。つまり競合がおらぬ。中でも過去に何度かの更新にあって当初から継続する法人などは間借りする社屋の中に法人そのものの本社機能を併せ持っていたりもして。

追い出さんとするに追い出せぬ。いわゆる入札でいう随意契約のようなもので公平性に欠けはせぬか。いや、何も無理に追い出さぬにせよ、あちらとてそれを盾に補助金の増額とか、こちらの足元を見られるは本末転倒。そのへんの均衡が保たれていればいいのだけど。

(令和5年12月16日/2823回)

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2023年12月11日 (月)

三欲

新庁舎に取材陣、とは世に珍しき一事にあらねども。俳句ならば取り合わせ、料理でいわばペアリング。新たな庁舎に無能な市議の対比は「映える」らしく、記者席に陣取るは。

醜態を晒すは市議会の恥とばかりに弄される防御策。こまめな小休憩、いや、それすらも間に合わぬ際は緊急と称してメモを届ければ云々と。んなことを、考える方も考えさせる方も。介護に同じ、優しさは時に人を堕落させ。残酷なようだが、全ては自己責任の範疇、放っておくに限る。

私など一言漏らさず聞く耳立てて、などと善人ぶらぬにせよ、叩けば埃出るのが人ってもんで。何せ三欲の一つ、寝落ちのバカ面は滑稽以外の何物でもないが、排泄に同じ生理現象、何が悪い、なんて厚顔は貫けず。

昨今なんぞは編集にて自由自在だから写真一枚あれば何とでも。昔ならば憤慨していたはずなれど、んなことにいちいち目くじらを立てては健康を損ねかねず。番組の視聴率や知らぬ、が、所詮はその程度、あの失笑に比べれば。

彼らとて獲物は選ばぬ、ならば私が生贄にでも、そんな時に限って。奇しくも敵の餌食となるは不器用な御仁、意外と好漢であったりもするもので。いや、それとて身から出た錆。犯した以上は自ら購うしかないのだけれども当人以上に批判浴びるは議会局、それも一兵卒の職員が対応に追われるとあらば何とも。

事業所との呼称は紛らわしくも。一般的にはそう呼ばれ。事務所の子供たちを一緒に連れて行くに不都合はありはせぬか、周囲に迷惑をかけてしまうのでは、と肩身狭き想いをさせてしまう世の中では。そう、さんままつりと聞いて喜び勇む子供たち一同にお越しいただいたものの、肝心の品が売切と知るに。落胆著しく、宥めるのに相当な苦労をされたとか。

かもしれぬ、との不安。医師に診断仰がば断定されて普通級には通えぬかもしれぬ。情緒の起伏に登校を拒否すること少なからず。気を向けさせんとすれども動かぬ子。そこに腐心する親の心はいかばかりか。募る精神的な重荷はいづれ虐待の要因にもならぬとも限らず。ともに疲弊する構図は介護現場に同じ。

従来は療育センターが窓口となれども状況に応じた事業所の紹介に留まり。事業所側とて「預かり」に軸を置くだけに「改善」を期待するは彼らの善意に負うところ大にして。ならば、と「相談」に特化したセンターが各区に整備されつつあり。

保護者の不安とて様々、相談といえどもその内容や多岐に渡り。仮に発達障害もしくは思しき症例にあっても乳幼児または低年齢時に適切な処置を講ずれば成長後は明らかに改善傾向が見られる、らしく。とすると、一日の大半を過ごす自宅においてもその行動特性に応じた接し方が会得できれば症状は軽減されるばかりか、親御の負担とて。

センターの真価が問われるはこれから。事業所の紹介程度であれば療育センターに変わらぬ。そこまで手を差し伸べてこそ。いや、そのへんの専門家というのがなかなか。

(令和5年12月11日/2822回)

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2023年12月 5日 (火)

失笑

「インパクトの瞬間はこうで。クラブを走らせる」などと言われても。そもそもに金属のクラブが「走る」なんて物理的に。さりとて、離れぬ一言。反芻して再現せんとするに。勿論、クラブなど持ち合わせるはずもなく。手ぶらで腰、肩に手が不自然に動くは変人にしか見えず。横断歩道の向こうから来た御婦人の失笑を。もはや末期、か。

スマホの着信に表示されるは役所の番号。この前の件ですが、かくかくしかじかにて。と相手。ふむふむ、それで結構、あとは当事者に、と告げるに。えっ、あなたがその当事者では。いや、私は紹介者の市議、あくまで仲介。申し訳ない、と詫びに詫びる担当。

当初の話しっぷりに違和感がなかった、といえばウソになるが、過去を補って余りある解決案に。いや、非礼詫びずと結構、それで十分。相手に提示して万一に紛糾することあれば後は私が、と受話器を置いた。期せずして垣間見る現場の対応はすごく良かった。

大抜擢の大臣。我こそは改革者なり、と矢継ぎ早の指示も的を得ず。上の指示に従うが組織。ましてや役所とあらば。役人側とて少なくともそちらの分野では一日の長あり。外から土足で踏み込んで、国家国民の為というよりも自らの功名心が勝っては。

話すに知性の薄さが透けて見え。本人は優越感に浸れども自己陶酔に過ぎず。役人を御したつもりが、単に抑圧なだけで。振り回されるに下が疲弊して募る鬱憤。世に目立たんという御仁少なからず。世間ではもてはやされとるけど内の評価は正反対。外づらだけは、とは国の役人の話。

国政と違い、大臣が如く直接にその指揮系統に君臨するものになくも、下手な干渉はかえって事態を複雑化しておりはせぬか、というのが今日の本題。政策云々以上に人を使えぬ、人材を生かし切れていないばかりか、職場に漂う焦燥感は何とも。いや、むしろ、政治が介入し過ぎての弊害のほうが。

いつぞやの政治主導が好例。役人に任せてはおれぬ、と熱意を燃やすは結構なれど、空回りするはかえって。なまじ知恵があると余計に厄介。全て掌握しないと気が済まず、仔細の報告を求めれど、それで何か画期的な打開策でも、いや、あくまでも自己満足で。自己顕示欲が勝るは幼少期の境遇に負うところ少なからず、とか。

バカが権力を握るほど怖いものなし、とはよく言ったもので。上のみならず途中の管理職がダメだと見るも悲惨な結果を招きかねず。面従腹背ならまだしも、器量に欠けると本当に言われるがままに遂行してしまうから。いや、んな器にないこと位は分かっとる。ゆえに人を使うのであって、むしろ任せたほうが上手くいくばかりか、本人とて別に目が向けられる訳で。

そう、スウィングとて力む部位に力まぬ部位。それも全て連動せねば飛距離は出ぬもの。どれだけ腕力に秀でたとしても。カール・マルクスの理想郷とてあくまでも「全て」が連動しての話。上手くかみ合わなければいいスコアは出ず。それは組織も同じで。

(令和5年12月5日/2821回)

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2023年12月 1日 (金)

初演

招かれし演奏会に予定されるは、ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番。その初演こそその日に重なる、と当時の秘書に。よく調べたな。

昨今なんぞ生誕祭などと称して自ら催す向きもあると聞けど、んな厚顔になく。喜寿、米寿の類とてあくまでも身内が。他を祝うはやぶさかならぬも祝福されるなんぞはまっぴらで。SNS等、証拠は全て隠滅したはずが、朝に届くは職場の「女子」からの一通。

ほれ見てみよ、と軽率にも隣の運転手に口を滑らせたが運の尽き。相手などこちらの都合を知る由もなく、ただ向こうの都合が良かっただけの話。前日は原稿〆切、翌日は本会議の採決。挟まれた空白の一日、それも齢五十の誕生日に。

同期の桜、の元議長とあらば隣市の二人。のみならず。退職後など二度と顔すら、いやいや、本市を含む三市の元局長がそろいぶみ。生涯でも大切な日、やはり家族と、などと虚勢を張ってみても、子らは修学旅行、妻とて折角のバカンス、骨休を台無しにされてはかなわぬ、と。いやいや、孤独を苦にせぬ性分にて一人でも何ら不都合はなかったのだけど。誘いの内容やソレと聞かば。

こちとて決戦の地は選ばぬ。名門であろうと野山であろうと、と告げて選ばれるは新沼津CC。さすがに遠くはあるまいか。送迎と三島の鰻を添えるゆえ、との申出に。ならば、と腰を上げ。

目の前の球を「思うがまま」に。十人十色、癖もそれぞれ。癖と球筋を結びつけんとするはいい教材となり。模倣こそ上達の秘訣。当人は名手が如く振っているつもりなれど似ても似つかぬカッコの悪さ。それでも何とか、それなりの格好が身に付き。ならば、いよいよ、と球を置いた途端に湧き上がる煩悩。よし、もっと遠くへ。人とは何とも愚かな動物であって。そのへんに知的好奇心は尽きず。

打順は前ホールの結果による、というのがルール。最初の打ち手はオーナーと呼ばれ。ハレの日にて権利を譲る、といわれても打数が変わるものになく、その位は実力で。ちなみに所有者ownerに近き響きを聞けども本来はhonor、そう、栄誉の意。成績は紺のスーツ、つまり無難。というか、詐欺に近い二桁にて終えた。

プレー後の十九番こそまた魅力の一つ。用意されるは地元の名店、贅の限りを尽くしたもてなしの数々、というよりもわがまま放題、はまさに忘年会というよりも私の為にあるようなもので。〆に届くは誕生日に欠かせぬ一品。入店後に近くの店にて特注して下さったのだとか。本当に今日は最高の一日、と御礼を述べて渡されるは、店の勘定。やはりひどいヤツらだ。

あの名門オケの来日公演を聴かんとするに全て完売。ならば、と選ぶは楽団所属の精鋭による室内楽。出自は決して裕福にあらねども持ち合わせるは天賦の才。当代の中でも旋律の美しさは群を抜き。彼の為に、と仲間が用意するは五線譜。当人にパガニーニ並みの商才あらば。否、不器用というかその性格の良さこそが人を惹きつけ。彼ほど友に恵まれた人はおらず。

前夜に聴きしはシューベルトの八重奏曲。友に感謝。

(令和5年12月1日/2820回)

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