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2023年7月

2023年7月31日 (月)

帆船

身の丈は知りつつも抑えきれぬ衝動に内心を打ち明ける少年。無言のまま窓の外を見つめる父の姿に「ごめんなさい」と踵を返し。その日の夕刻、ベッドの上で呆然と天井を見つめる彼を訪ねる父親がそっと手渡すは封筒。

添えられるは知人への手紙、そして、着いたら手紙をよこすように。功成り名遂げた後も忘れ得ぬはノック音、そのたびに涙がこぼれる、と。少年の名はトミー・アーマー。あの頃の選手はキャディ上がりとて少なからず。

期限迫るゆえ、と手渡されるは資産等報告書。土地に建物、自動車に有価証券はまだしも。船舶、飛行機、美術骨董品と続き。最後はゴルフ会員権。船舶なんぞは汽船か帆船かの種別を記せ、と。例に倣いて記入する欄は計十箇所。

いづれも「該当なし」と記すに思い知らされる境遇。何とも寂しい限り、とボヤくに。わざわざ手書きにあらずとも「なし」のゴム印ありましたのに、との事務員の一言は慰めになっておらず。

進路選択を迫られる高二の夏。親の都合にて子の可能性の芽を摘むは不憫と知れど、妻に聞かされる今どきの学費事情。抜きんでて高きその学部だけは。いや、そもそもにまずは偏差値が足りぬ。

その職種が収入面に恵まれるは大いに結構、なれど入口狭く、資格者が限定的とは何とも惜しく。公立小の普通級が如く様々な境遇が在籍する中にこそ学ぶこと多く。もそっと門を広げたほうが結果として業界の為に、とは余計な心配か。

さて、他党の存続に言及した発言に広がる波紋。オレはあの球団が嫌いだ、などと言っとるのと然して変わらぬ気がせぬでもないが、好き嫌いならぬ「なくなれば」とは言葉が過ぎたか。

いやいや、そこは魑魅魍魎の世界にあって、意図して過激な言い回しを選ぶことで世間の耳目を集めんとした可能性とて否定は出来ぬし、嚙みついたほうとて埋没しそうな中にあって存在感を示すに渡りに船と。ましてや存在そのものを否定されるはかえって好都合だったりも。

日々の駅頭なんぞでもオレはどこぞの政党の支持者だからアンタは支持せぬ、と公言憚らぬ御仁もおられ。そりゃ支持するせぬは当人の勝手。ただ、それを腹中に留め置くが賢き処世術ってもんで。「あえて」公言するは損にしか見えず。

坊主の性格と袈裟の品質に因果なく。肩書、学歴、勤め先でしか人を判断できぬ人物というのは何とも。やはり、思想信条を問わず人には親切にしておくもので。つい最近、んな政党のセンセイから耳にするは懐かしき苗字。私の社会人時代の同僚が同級生だそうで。

あの熾烈な競争社会、勝者総占めの外資にあって価値観こそ違えども人柄は別物。御元気そうで何より、というか、センセイと同い年と初めて知るに当時の不躾な態度はお許しを。

(令和5年7月31日/2796回)

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2023年7月26日 (水)

別棟

猛暑に酷暑、とて連想させるに十分なはずも「災害級」と。何も好んでこの季節を選ばずとも。いや、そこに無理な勧誘あらばまだしも出場はあくまでも任意。ハンデ戦なれば年齢に関係なく生まれるチャンスに今年こそ。

優勝を狙わんとするにまずは体力。そして、コロナ、夏風邪なんぞに屈せず1番ティーに立たねばならぬ。んな「欲」こそが健康の秘訣。最高齢の八十五歳や最終ホールにダブルボギーを叩き、一打差でエイジシュートを逸したとか。昨年の倍以上の申し込みに、今年「も」一人の脱落者なく恒例のゴルフ大会を終えた。

そう、当日の出欠を選べるはコンペなればこそ。それもこればかりは夜とはいかず、灼熱の炎天下の中、ごみ収集に追われる作業員。目下、家庭ごみは市の直営なれど、コンビニの店舗等から排出されるごみの回収は民間とされ。当時の大量採用の退職が迫る中、求められる判断。家庭系が岐路を迎えており。

比較される両者の給与。直営に比べ割安とされどそこに上乗せされるは会社の利ザヤ。のみならず、粗大ごみと違い、必須とされる特別車両、パッカー車。参入せんとするに安からぬ投資が必要とされる反面、落札の保証なく。他社に取られては折角の設備投資が台無しになるばかりか、その為の作業員とて雇用を維持するは困難。そんなリスクを負う以上は、と迫られる譲歩。

逆はどうか。日常に欠かせぬサービスにて許されぬ未回収。数年に一度の入札と申しても業者変わるに「万一」あらば。となると必然的に現状を維持すべく様々な工作が図られ、事実上の随意契約に近かったりも。こと近年は新規の住宅ばかりか高齢化の進展に見込まれる戸別回収。

新たな需要に対応を求めんとすれど、現行の契約額では対応しかねる、「別途」と追加の負担を迫られるばかりか、そこを認めて貰わねばサービスの継続は困難などと。となると既に相手の軍門下にあるようなもの。

いや、民間とて否定はせぬし、生活には欠かせぬ存在。全て直営などとは言わぬ。が、仙台市の復興が好例、やはり災害時などに無理が効くのは「直営」であって。後戻り出来ぬ判断を下すに「より」慎重さなくば。

市章入りの作業着にて弁当購入するにも向けられる冷たい視線。汗まみれの清掃員とあらば尚更のこと。ましてや悪臭まみれのパッカー車で乗り入れなど。家庭ごみ担う直営班などは半日の辛抱に事業所に戻れども、彼らはそうはいかぬ。

市全域を対象とするに市内に一つしかない社屋に戻るは非効率。市にトイレ利用を求めるに用意されるは焼却場に隣接した「別棟」というか簡易休憩所。これが不衛生な上に老朽化著しいとか。折角の休憩がそんな状況でいい仕事が出来るかね。

休憩中に自由に出入りされては気が抜けぬ、との懸念は分からんでもないが、あくまでも市の許可業者であって、焼却場の利用料を貰っとる以上はもそっと。

(令和5年7月26日/2795回)

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2023年7月21日 (金)

婚活

笹の葉のおひしく見せて鮨つまむ。季語は鮨。クラシックとは無縁に見えし大将のイチオシがこちら。

起承転結の四楽章。独創的な旋律の中に静かに幕を下ろす終楽章とは対照的な第三楽章をエネルギッシュに演ずるは若き音大生。所詮はアマ、といえども在籍が在籍にて、そうせざるを得ぬだけの話。

幼少より日々レッスンに磨かれた技巧はプロに劣らず、足りぬは経験のみ。その不足を補って余りある情熱。指揮者に向けられる視線や真剣そのもの。そのがむしゃらさこそ。定期演奏会にてチャイコフスキーの交響曲第六番「悲愴」を聴いた。とりわけティンパニーが。

一流オケに比して割安な入場料はコスパ十分、逆に大勢の聴衆に囲まれた大舞台での演奏は彼らの貴重な経験ともなり。演奏する側、される側、老若男女を問わず至福の時を過ごせる空間があるというのは。これこそが区の魅力、長寿の理由だったりもして。んな好循環が生まれる中にあっても需給が結びつかぬは。

急がねば適齢期を逸しかねぬ、昨今は本人以上に親の心配が勝り。知人の紹介とて気心知れた友人ならばまだしも目上の親族とあらば無碍に断れず。そのへんの煩わしさを省く為のイベント、と申しても初対面にてぎこちなく、見渡す中に彼こそは好みと近づかんとすれども既に他が。いや、そちらとて外見とは裏腹に性格に難もあったりして。労多き割に成約率は。

そこにこそ「彼ら」の存在意義があって、わざわざ足を運んで落胆する位ならば。出会い系ならぬ婚活サイトとあらば社会的な認知度もそれなりに、とは申せ、やはり公言するにはどことなく憚られがち。されど、相手としてありがちな同級生とて元々は他人であるし、良縁を求めんとするに手段など。

むしろ、世に広く相手を探す、選択肢が一つでも多くば互いに益となるばかりか、相手の写真や嗜好などじっくり観察した上で「自ら」決めた相手となれば本気度も高く、下手な紹介よりも存続率は。ならば早速に、とネット検索すれどもヒットするは一社にあらず。問われる品質。慈善にあらずんば「無料」とはいかず、人の弱みにつけ込まれはせぬか、との懸念。

昨今は婚活支援に乗り出す自治体も散見されて。直接、担わぬにせよ、既存サイトの斡旋くらいは何とかならぬものか、との声あれども中立を旨とする役所にあって特定の企業に肩入れするは誤解を招きかねぬばかりか、そこに「保証」付すようなもの、「万一」あらば責任問われかねず。役所が介入せずとも良縁求むに婚活サイトはアリだと思うけど。

そう、結婚といえば二曲外せず。メンデルスゾーンにワーグナー。いづれも式の定番、結婚行進曲として有名なれど、幸福感に満ち溢れた名曲にてぜひ一度。

(令和5年7月21日/2794回)

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2023年7月16日 (日)

山男

社会人なりたての頃、画廊にて目にした作品に心奪われ。いつの日かこの作品が似合う邸宅に住まわん。その価格や通勤の途中に見かける外車の値段と同じだった、とか。

人生を振り返るにドヴォルザークの「ユモレスク」ほど似合う作品を知らず。波乱の人生、還暦迎える前夜の曲目はスメタナの我が祖国より「モルダウ」、ドヴォルザークの「新世界」。それも御当地を代表する名門オケの演奏とあらば、ヨハン・シュトラウスを演ずるウィーン・フィルが如く。

都心にあって昔ながらの情緒残りし荒木町に佇む「羅無櫓」の店主から暑中見舞ならぬ激励の自筆はがきが届いた。かつての山男、既に老境の域に達すれど自らも秋には大日岳を歩く、と。そう、懲りずに挑む夏山。

スタートは夜明け前の三時、波打ち際から目指すは遠目に見ゆる山頂。距離こそ六十七キロなれどひたすら上ること三千米。到達後は自由解散にて残るもよし、下山するもよし。山の天気は気まぐれにてゴールは保証せず。過去に五千人以上が挑み、成否は半々。まさに実力ばかりか「運」も試されるとあらば余計に挑んでみたくもなり。

作品の舞台は統治下の台湾。嘉南平原に派遣されし一人の若手技師が目にした光景。水こそ命、片道を半日かけての水汲み。途中に水桶からこぼれる水に叱られる息子。不毛の地に灌漑用の水路を敷かば。事務職と土木職の対立は今に始まりしものにあらず。莫大な予算を前に下りぬ承認。統治下といえど何もそこまで、と咎める相手に「海に国境があるか」と本人。

規模を半分にすれば工期も予算も縮減が可能、と迫られるに「二つの村の明暗が分かれては無意味」と妥協を許さず、「技術者を重用せぬ国に将来はない」と。静脈が如くに張り巡らされる用水路の延長、距離にして地球半周。海を渡り、壮大な計画に挑みし一人の土木技師を描いた作品。「パッテンライ!!南の島の水ものがたり」。

自然破壊の上に文明が成り立ちし過去に一瞥もせぬ保護派には与せぬも、広大な山林の木々を「あえて」伐採、パネル並べてこれこそが脱炭素だ、と言われても。ならば都市部はどうか。良好な景観形成を目的に規制されるは建ぺい率と容積率。つまりは敷地内における建物の面積や高さ等の制限下にあって、緩和されるに見込める需要と結び付く利益。んな圧力が無いとは言わぬ。

が、まずは問われる安全性。技術は日進月歩、最新の技術を用いれば十分に耐震性に優れた高層棟とて可能。それも周囲との一体的な整備、開発とあらば近隣への影響も少なく。緩和そのものに異は唱えぬし、その物理的な基準とて専門家の緻密な分析の結果なのだからイチャモンは付けぬ。

が、緩和を図らんとするに「安全」「景観」ならばまだしも、「環境」、いや「低炭素」などとされるに、さすがにこじつけが過ぎてはおるまいか。そもそもに、高層化を実現せんとするに多少なりとも負い目があって然るべきであって、それこそが理想とされるに。

(令和5年7月16日/2793回)

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2023年7月10日 (月)

告白

目に泪するは魚のみにあらず。役人の逸脱を市議が咎める構図にあって、市議の暴走を役人が窘める異例の内容に。質疑聞くあの局長の目は涙、と芭蕉翁を真似て一句。季語が無かったナ。

身を切る改革、と申しても、切るは自らならぬ相手の身。独善的な言い分と知れども反論の余地なく、陰鬱な雰囲気の部屋中にあってそこだけが放つ異彩。そう、質問日の前日の話。

延長が生む財政負担に採用枠の損失と煽られる世代間の対立に会社の重荷が如く虐げられる状況は看過できぬ、と上げる気炎。課長とあらばまさに適齢期。あと数年の辛抱むなしく迫られる踏み絵は我が胸中、と聞くに。

不当な要求には断じて屈してはならぬ。世論を敵に回しても諸君らの為に不退転の決意で臨む覚悟だ、私の名を前面にI副市長へ譲歩を迫れ、と背中を押して迎えた当日。

「退職手当は退職後の生活を保障するものとして退職の事実に基づき支給されるもの」。つまりは、前払いなど趣旨を逸脱するもので断じて認めぬ、といわんばかりの答弁に、翻意を、と迫れるはずもなく。何が不退転だ、この役立たず。いや、彼らとて税で禄を食んどる以上、多少なりとも負い目があって、そこに岩盤を崩せるとは。

そう、惚れた相手や高嶺の花、叶わぬ恋と知りつつも「もしかしたら」の一縷の望みに告白すべきか否か。当人の心境を代弁するに気が晴れたというか。あちらとて誘惑に惑わされずに矜持というか役人としての範を示し、こちらとてモノ言えぬ職員の代弁者を演じることで叶わぬ恋に終止符を打てたのだから。

そう、昨今なんぞは、あれはダメ、これはダメとさながら親に制限された子が如く。委縮が過ぎて、慎重というよりも余計なことはやらぬに限る、と何かにつけて並ぶは出来ぬ理由ばかり。失敗なくして成長なし。閉塞感に覆われた中にいい仕事など。

入り組んだ境界は私道のみならず。広大な運動公園を分断するフェンス、左右異なる公園名称に見る両市の関係。何年かぶりに両市隔てたフェンスが撤去されるとか。そう、さすがにフェンスこそあらねどもその公園内にも市境ありて、こちらや公園の名称は同一なれど、それでも生じる役所間の壁。

草木の手入れ含む公園の管理をボランティアに委ねる本市に対して、隣市側や業者への委託。草刈るに露骨に浮かび上がる境界。その差が歴然と利用者に見えてしまうのだそうで。もそっと両者で協議の上、善処を、と。その位のことならば躊躇わずに告白出来るでしょうに。

(令和5年7月10日/2792回)

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2023年7月 5日 (水)

満州

戦後の大物とされる人物の過去遡るにそこに行き着くこと少なからず。広き大陸にあって、どこまでも続く平原に全長二千キロ、世界最速の蒸気機関車「特急あじあ号」を実現させたと語るは地元の老翁なれど、壮大な夢とロマンを求めて海を渡りし面々を待ち受けるは成功談のみにあらず。

必需品はガラガラヘビの血清。毒蛇、毒蜘蛛、サソリに勝るはより「小さき」もの、蚊やダニ。何が飛び出すか分からぬ日々はさながら西部劇が如く。南米ボリビア開拓の体験が綴られし一冊を贈呈いただき。ということで今回は狭き国土にあって土地の権利を巡る話。

著しく破損した道路を放置するは市の怠慢、との苦情に「あれは私道」と返答すれど腑に落ちぬ表情の相手。移管に必要とされる地権者「全員」の合意。造成や昭和四十年以前、押し寄せる高齢化の波に、もはや手遅れの感否めず。今ならばまだ間に合う、あぁなる前に、と世話役を買って出たH氏。

市が貰い受けるに欠かせぬ原状回復、破損度を調査すべく派遣される市の鑑定団。査定結果によっては既存の積立金では賄いきれぬかもしれず。それこそが市議の役目。有無を云わずに「全て」貰い受けてくれぬか、と恫喝、いや、平身低頭にて得る満額回答に一件落着、と思いきや。

得られぬ合意。いや、そこはH氏の人柄にて近隣すべからく同意を得れども残る一軒。主は既に他界され、御子息の一人が都内在住と聞いて訪ねるに浮かび上がる複雑な事情。権利は既に放棄したはず、との証言も過去に申請した形跡なく。再度訪ねるに「あとは知らぬ」とにべもなく。

相手さえ特定できれば交渉の労は厭わぬ、と意気込むH氏に立ちはだかるは個人情報の壁。財産権の侵害などと申しても他に転用効かぬ道路の地権。ちゃんと相手の情報を有しとるのだから漏洩せずとも公の名の下に放棄か否か、相手の意向位は何とかならぬものか。

相続生じれば余計に複雑になる訳で、権利の追えぬ土地、半ば公の利用が常態化した土地の扱いなどもそっと公共の介入を弾力化して。たった一人の反対、というか行方すら追えぬ相手に、この間の関係者の苦労が水泡に帰すは何とも惜しく。

月々徴収される共益費に当面の心配や無用。が、いづれ底つくは明らか。その際に負担を背負わされるは不憫。何と申しても手放したくとも手放せぬ、それは不可抗力というか彼らにはいかんともしがたい状況なのだから。

超法規的な措置にて当該箇所のみ補修は市が負担するとか、権利追えぬ部分を除いて市が貰い受けるとか、と再検討を指示して去りゆく課長の背中が。「満額」にあらずと何とか。

(令和5年7月5日/2791回)

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