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2023年3月

2023年3月30日 (木)

初心

俄然、注目が高まるというにそんな話題で。いや、急によそよそしくなるはかえって怪しく。

抜け出すときは夜逃げが如く、帰宅後は素知らぬ顔で。指名されるは光栄なれど、さすがにこの頃とあらば。いや、そこに興ずる以上は時間的な余裕を有することを意味する訳で。将を射んとするに決戦前の一日とて、違うか。が、口に戸は立てられず、広がる風評。だから内緒に、ってあれほど。

今月号に見かけし名将対談。種目は違えど指揮官としての苦悩は同じ。まずは職場を明るく、そして、選手らに推奨されるは読書。他人の生き方を学べば自らも、とのことらしく。およそ伝記の類は読み尽くした感あれど、未だ埋もれた名著とて。

球聖といえばその人、「ボビー」の愛称で知られたボビー・ジョーンズ。プロを制する実力を有しながらも名誉に生きるアマとしての生涯を全う、その人柄に魅了されたファンも少なからず。同氏の記した「ダウン・ザ・フェアウェイ」は知られたところ。

が、んなボビーにして誰よりも運に打ち勝つ術を知る人物と言わしめ、百万ドル以上の獲得賞金を全て使い果たしたばかりか、カポネの贔屓と聞くだけでその個性、魅力が窺い知れそうなものなれど、豪放磊落、破天荒な人生に残る多くの逸話。ヘイグ自らが語った反骨の生涯と副題付いた「ウォルター・ヘーゲン物語」。

当人が最もスリリングだったと振り返るボビーとの死闘を制して手にした六千七百ドルの小切手。が、それ以上に若き日にキャディとして初めて手にした時給十セントの報酬こそがより深く記憶に残る、と。

そんな下積み時代に自らの腕前を試さんと専属プロに一戦を申込むに、「おい若いの、一緒に回る時はオレから誘うよ」と相手。婉曲的な言い回しに気づかされる己の立場。そこに越えてはならぬ一線があることを諭され。越えてはならぬ一線といえば。

そう、距離を道具に求めるはゴルファーのみにあらず。メーカーが開発した新バットはとにかく「飛ぶ」、ばかりか、当たり損ねとて長打を生むとか。んな魔法のバットとあらば子供たちの垂涎。これが安からぬ逸品にて親が拒めど祖父母が孫のかわいさに。

そこに生まれし格差、のみならず全国的に広がる規制の動きに迫られる現場の決断。フツーに市販されとるばかりかちゃんとその団体の公認シールも貼られとる以上、制限せんとするに予想される反発。既に手にした選手たち、いや保護者とて何を今さら、なんて。

本来のバットは芯で捉えねばそこまで伸びず、稀に当たりし快感を味わうべく、その手ごたえを会得すべく日々練習が積み重ねられる訳で。いつもヒットでは。あれだけ飛べば己の実力を勘違いしかねず、それは決して本人の為にならぬ。やはり道具よりも技術。

いや、それ以上に、新製品に飛び付くよりも安バットとて初めて買って貰った時のあの興奮というか喜びを忘れずに、との説明が保護者の理解を得られたらしく、胸なで下ろす役員の面々。

いよいよ開幕。初心忘れず、いざ、決戦の舞台へ。

(令和5年3月30日/2772回)


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2023年3月25日 (土)

狭間

父の特養への入居を何とかとの相談。探るに医療依存度が高いことが障壁となっているらしく。そんな状況を伝えるに、この最も多忙な折に私的なことにて申し訳ないと依頼主。心配には及ばず、と受話器を置いた。本来はそうあるべきはずも。

寄せられるはカウントダウン。「あと3回」、「あと1回」、「すばらしいバンザイ」。しばし後に「この度の奇跡的な優勝は色々と感じるところあり」と続き。八十五歳の老人が必死に打ったメールを無視するにしのびず、「ぜひ、お聞かせ願いたく」と打たば、「今日はつかれた、もう寝る」と。おい、多忙な市議が貴重な時間を割かんとするにそんな身勝手な話があるかっ。とは言えぬけど。

成長期とあらばそれもやむなし。倍近くありそうな体躯から繰り出される速球。負けてたまるかとの気迫が勝ってかファウルで粘った挙句、ライト前に転がりし打球も相手の堅き守備にアウトになりかねず。一塁までの全力疾走が悪送球を誘い。そう、その気合いと根性、あきらめぬ姿勢こそが。世界戦こそ見そびれてしまったものの試合はそこだけになく。開幕戦にて少年たちに声援を送った。

「異次元」などと申さば何かとてつもない政策に「見える」も例のカタカナに同じ、言葉遊びが先行しておらぬか、と訝しく思えてしまうのは私だけか。そう、少子化対策。

請願の項目には、適用年齢の拡大、所得制限の撤廃、一部負担金の廃止、と並び。三点のうちに二点が叶うことを以て是とするか、一点が叶わぬことを以て否とするか。口を挟むは若手の為ならず、と無言を貫いていたのだけれども隣席からせがまれて。

是非は勝手に、ただ、二つ叶うは「超党派」にて市に求めた成果、との一文は盛り込むように、とメモに記して。そう、この九月以降に小児医療費助成制度が拡充されることになり。

世間の耳目集めるはそちらなれど、新年度から施行される一つに若年がん患者の在宅支援があって。国民の二人に一人、といわれる中、若年がんは進行早く、若くして身内を失いし御遺族の悲しみはいかばかりか。

せめて自宅で、との意向あれども四十前とあらば介護保険の適用きかず、障害の認定を受けるに同様の支援は可能なれど、必要とされる医師の診断書に煩雑な手続き、尚且つ、待てども下りぬその承認。

んな制度の狭間にて翻弄されるままに御主人を失いし女性の話を聞いてもらえぬか、と若手市議の依頼に応じてお会いしたのが就任直後の議長室。悲しみ癒えぬ体験談に「やる」と返事をしたものの議長に質問権なく。

制度がそうなっとる以上はやむなし、というのが内心。ましてや新たな制度ともならば余計に上がらぬ重い腰。当初のそっけない答弁に私なら憤慨しとるところも粘り強く質問をし続け、晴れて叶いし念願。んな地道な成果も中々知れ渡らぬもの。名前を公表するはたやすきことなれどそれではすぐに忘れてしまう訳で。

「若年がん」「川崎市議会」で検索あれ。肝心な裏方の名が見当たらぬは些か寂しくもこれで改選前に心の荷が一つ下りた。

(令和5年3月25日/2771回)

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2023年3月21日 (火)

初蝶

最多の当選回数を誇るあの御仁がついに始動と聞かば浮足も立つに、背広とて消耗著しく折り目薄れるどころかボタンまで。修理を頼めど妻のそっけない返事に腰を上げるは思春期の娘。どこからか裁縫具を取り出してものの数分で。初蝶やほつれ直せる女に育つ、と親バカの一句を詠んだ。季語は「初蝶」。

単なる「延伸」では心に響かぬ。たかが六キロ、されど六キロ、そのフレーズに「ぐぅーっときた」とは前回に初めて投票して下さった有権者の感想。まさにラストワンマイル、その六キロの為にどれほどの遠回り、時間的な損失を強いられたか。並行して走る私鉄の両駅、あざみ野と新百合ヶ丘を結ぶに格段に増す利便性。相鉄と東急の直通に先を越され。

本市を挟む両市の区画整理に広がりし道路。残るは本市域のみ。それもたった数百米。尚且つ、居住者なき山林又は畑とあらば、何ゆえに、となるのは当然。隣市の市議より開通の見込みやいかに、との質問が寄せられ。

数多ある路線を同時並行に進めるに足りぬ人手と財源。重点路線を定めて効率よくとの狙いに異議は唱えぬ。並行して走る三本の路線に付される優先順位。第三位とあらば計画に路線名すらなく、まずは計画にキチンと明記して貰わねば、と局長との直談判に及びしは数年前。

縦に並ぶは路線名、横は時間軸。五年一期の事業計画。マスの中に記される目標。第一位の「完成」に一マスずれての第二位の「着手」。土地の買収が絡む以上は相手があっての話、不可抗力に誤差はやむなし、とばかりに五年の猶予を認めたはずも。当初は「完成」とされた期間内にも終わらぬばかりか、次路線の「着手」まで延期するはさすがに解せぬ。

もし仮にそうだとするならば、前後の路線は「連動」と大きな字で予め明記しておくべきにあるまいか。当時とてこの期間内に第一位が完成するゆえ、その後に、との局長の言葉を信じて、ならば待とう、と許したはずが。たかが五年、と有権者に顔向けが出来るか。待たされる身にもなってみよ、五年「も」だ。尚且つ、「着手」と申しても工事の着手ならぬ用地買収、いわゆる「用買」の着手であって。

猶予を生かしきれなんだはそちらの責任。二路線を同時並行に進めるが筋にあるまいか、と迫らば、常任委員会にはキチンと報告しており、既に一般に公表されとる以上は計画の変更できぬ、と。いや、そもそもにその期間内において必要な財源を確保した上で完成を目指したのだからスライドされるべきは完成が延期された路線に伴う予算額であって、次路線の予算にあるまい。

一つの路線が終結せねば次に進まぬなどというのは先延ばしの口実に過ぎず、ならば、五年といわず単年度の進捗を逐次報告せよ、と意地悪の一つも迫ってみたくもなり。いや、それこそが最も流動的かつ不安定な要素なのだから計画以外の路線、少なくとも次路線、いや、次々路線位は状況に応じて先行取得を可能とすべし、と検討を促しておいたのだけれども。

いや、単にその路線だけ位置づけてくれれば。続きは改選後に。

(令和5年3月20日/2770回)

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2023年3月15日 (水)

薄笑

次世代を担う若者たちの演奏を聴くのがささやかな愉しみの一つ。

突然の体調不良にて代役に立ちし指揮者。経験の不足を補って余りあるあの勢いこそ若者の特権であって、その魅力を引き出さんと不恰好ながらも必死に棒を振る指揮者と呼応する生徒たち。人を動かすは選挙も同じ、そこを余すことなく引き出した代役に拍手。

んな演奏会にてかけられしひと言、「余裕だね」。相手の御顔を拝するに浮かぶ薄笑の意や。招待席とあらば自然と目立つ、本来ならばこちらから挨拶に伺うべき相手も向こうからやってきて下さるし、権威ある面々と並んでおれば宣伝効果は抜群。これこそが最高の活動であって、自然体におらば意図せずと機会がやってくるもの。

運も実力のうち、と今回も都合よく解釈して会場を後に。昭和音大の定期演奏会。

選挙公報に「その候補、選挙の時だけ目立っていませんか」と戦略的ならぬ意地悪な一文を入れた。直前に出てきて、今回は危ない、などと騒ぐに煽られる危機感。彼は票に余裕あるゆえ今回はこちらに、なんて手法が横行するは今日のみにあらず。今月は数字が足りず、大幅に値引くゆえ何とか注文を。そりゃあくまでも自己都合であって相手先には何ら関係ない話、んな営業職はいらぬ、と教わりし社会人時代。

普段など行かぬ会合に顔を出してみたり、卒業式や入学式の祝電をA3にしてみたり、と様々な手段が流行中。いつか来た道、新人ならば一寸の同情あれど、そもそもに危ないなんてのはこの間の活動が足りなかったと自ら公言するようなもの。

直前に増えるは候補者の露出のみにあらず、寄せられる陳情とて何故に今なのか、と猜疑心を抱かせるに十分。踏み絵を迫らん、もしくは、特定の候補に肩入れせんとの下心が見えたりもして。保育士の配置基準の見直しを求める、正確には「国」に求めるべく意見書を、との陳情の審査。

一、二歳児は園児六人につき一人とされる保育士の配置基準を四人に対して一人。つまりは六対一を四対一に、手厚くせん、尚且つ、国に制度改正を求めるべく本市から、などと言わばカッコよく見えるばかりか、責任を国に押しつけてしまえば。

対する国はどうか。あくまでも一つの目安を示したに過ぎず、そちらの独自にて加配、つまりは勝手に保育士を採用することについては文句は言わぬ。事実、現行も一部に加配しとるのだからそちらでやってはどうか、というのがホンネにあるまいか。

仮に基準を見直すにも新たに必要とされる保育士の数。保育士不足の中にあってどこの自治体も獲得に必死。本市とて保育士の処遇改善を図るべく現行とて少なからぬ予算を講じれども潤沢な財源を有する都が隣接にいて見比べればやはり。事実、人材の流出を阻止せねばならぬ、とつい最近まであれほど騒いでおったではないか。とすると、風穴あけたつもりがむしろ逆に、なんて。

それとて選挙の時「だけ」だったりもすること少なからず。オイシイ話にはくれぐれも御用心を。

(令和5年3月15日/2769回)

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2023年3月10日 (金)

木鶏

区の名が地名か、地名が区の名か。名の由来こそ知れども上下の意まで詳しからず。「下(しも)」などといわば。事実、中心駅に近きは「上」なれど、「下」に名所旧跡、大物の居住多く。

周辺の開発後も残りし立派な旧家。その邸内に隠れ家的なカフェが開設されて。店主はじめ店員が笑顔で迎えて下さるばかりか料理も絶品。久々に地元で過ごす一日。優雅なランチを目当てに訪ねれば店内は満席に近く。どこかで見た顔。農協の婦人部の特別の貸切ということらしく。折角、来たのだから挨拶の一つも、などと言わずとちゃんと向こうから呼び水あって。運も実力のうち、か。

帰路に抜ける早野に見かけるは電動のキックボードにて農道を疾走する中年の男性。遠目に眺めていたのだけれども、あの背格好はよもや。角を曲がって、あ~、やはり。苺園の店主と雑談を交わして後にするも腹減ったナ。

地元野菜を使った献立がメニューに並ぶ農家レストランに農道のキックボードこそおらが区の魅力であって。これも川崎市です。

品位を欠く言動は厳に慎むべし、と知るも。市民の声から逃げている訳ではない、との答弁に憤慨して、それは詭弁だ、と立ち上がれども、発言権を求められし委員長や木鶏となり。延々と続く答弁に一人立ち尽くす姿はさながら廊下に立たされた生徒が如く。こちらに向けられる冷やかな視線、ものの数分が異様に長く。

あの局面において私はどうすれば、と述懐する委員長に、おぬしが指名せぬゆえこちらは無様な姿を晒す、いや、晒し「続けて」しまったではないか、その職責を何と心得る、と詰問すれば、名を呼んだものの局長の「答弁中」との声にかき消されたとの釈明。「呼んだ」か否か、録画にて検証する気にもならず。

そりゃ「呼んだ」にあらず、正確には「つぶやいた」というか、その行為に「及ばんとした」というのが真相にあるまいか。せめてもの救いは中継カメラの向く先は話し手ゆえあの立ち尽くすみっともない姿は動画に残っておらず、そこに居合わせた人しか知らぬ内緒の話。

いつもは用意された原稿を読み上げれども今回は手元になきゆえ、との宣戦布告に始まり。やらせなしの丁々発止を地でいく質疑に寄せられし反響は賛辞というよりも。予定調和じゃなきところだけが野次馬の注目を惹き。大の大人が何を眉間に皺を寄せて、なんて、またもや庁内の笑いものに。おい、こっちは真剣なんだぞ。予算審査特別委員会の質疑を終えた。

冷めやらぬ興奮も一晩寝れば。冷静に振り返ってみると何ともみっともない話で。翌朝の議場にて目が合いし市議会の異端児M君に、怒りに任せて物言わば後悔しかねぬ、と諭さんとすれば、「あれぽっちではまだまだ足りぬ」と逆に。よし、次回こそは、違うか。

そう、施設利用を巡り過熱する二団体の競争の仲介を頼んだだけの話が大袈裟になり。並ぶ役所の理屈に立ち向かってみたものの。理と情がぶつかり合う一戦。議会史に残る名勝負、な訳ないな。録画が公開されとるゆえあとは読者の判断に委ねるも、大事な一言、これ以上の感想はいらぬ。

(令和5年3月10日/2768回)

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2023年3月 5日 (日)

中継

視聴率こそ知らぬまでも巷の反応を見るに。

質問台に立つ以上、いや、その「枠」に映り込むに自らを誇示せんとの欲は否定せぬ。が、そこを意識するあまり本分を忘れては。画面向こうに感じる視線。オレを見てくれオーラがハンパなく。目線ならぬ顔全体、いや、上半身だけがカメラを向く、向き「続ける」はものすごく不自然とか。

「いた」という口コミで十分。むしろウォーリーを探せが如く、凝視して探す位のほうが。惜しむらくはあと一つ質問者に近くば。まぁ彼は「比例」だからナ、とネタにされる地元のN代議士。が、かえって話題性が高く、好感度が上がりはせぬか、と。

露出せんとの欲が勝るはそこのみにあらず。相手陣営に先んじて、との競争が生みし悲劇。どこぞの駅で朝四時の陣取りも後から来た陣営がすぐ隣で始め、すったもんだに一触即発、乱闘寸前だった、とか。既にそこに相手が「いる」のだから後から来て断わりもなく始めるはあつかましく。

逆に、折角来た以上は何とか、とすがる相手に一寸たりとも譲らぬ、と拒否してみても。おぬしの私有地にあるまい、何の権利があってか、なんてことも。そんな状況下にあっても「それなり」の折り合い付けるが大人ってもんだと思うけど。それこそが消耗戦というか不毛な争いであって、選挙に競うはそこにあらず。寝不足顔で有権者に向き合うは逆効果。

寒空の中、朝四時から一人陣取るなど。前哨戦は兎も角も本戦にて続かば体力が持たぬ。それこそが全陣営にとって賢い選択。候補者間の調整がつかぬか、と言いだしっぺになってみたものの、行方やいかに。

加熱する場所取りはそこのみにあらず。区スポーツセンターの武道場。その時間帯は他に競合なく、ある団体がほぼ占有していたものの、他団体の参入あって抽選に。そこまではごくフツーの話。確率二分の一と申してもあくまでも確率は確率に過ぎず、立て続けに二回ハズれることもある訳で。少しでも確率を上げんとするに個人とて同列と知らば部員の「個人」名義で。

一対一が一対二になれば俄然有利。ならば負けじと相手方、五対五になり、十対十に。いや、向こうに部員は五人しかおらぬはず。とすると「知人」以外にありえぬ。名義貸しや規約違反にあるまいか。パイが大きくなるほどに薄れる一票の価値。申込の件数こそ増えれども事実上は二団体の争いであって、そこまでくれば二分の一の確率はさほど変わらず。

かたや、抽選のたびに「全員」が「動く」訳で。そこに費やされる手間の割に効果は限定的。何とかならぬか、と相談すれども市から委託されとる身にて権限が及ばぬとは館長。ならば市は。「制度上、やむなし」などと寝言じゃあるまい、悠長なことを申しとる場合じゃなかろうに、と球投げど響かぬ組織。

まさに役所の体質を問うにこれほどの好材料があろうか。当事者意識の欠如が透けて見え。ならば、と立つ舞台は。市議会にも中継ありますゆえ。ぜひ。

(令和5年3月5日/2767回

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