初心
俄然、注目が高まるというにそんな話題で。いや、急によそよそしくなるはかえって怪しく。
抜け出すときは夜逃げが如く、帰宅後は素知らぬ顔で。指名されるは光栄なれど、さすがにこの頃とあらば。いや、そこに興ずる以上は時間的な余裕を有することを意味する訳で。将を射んとするに決戦前の一日とて、違うか。が、口に戸は立てられず、広がる風評。だから内緒に、ってあれほど。
今月号に見かけし名将対談。種目は違えど指揮官としての苦悩は同じ。まずは職場を明るく、そして、選手らに推奨されるは読書。他人の生き方を学べば自らも、とのことらしく。およそ伝記の類は読み尽くした感あれど、未だ埋もれた名著とて。
球聖といえばその人、「ボビー」の愛称で知られたボビー・ジョーンズ。プロを制する実力を有しながらも名誉に生きるアマとしての生涯を全う、その人柄に魅了されたファンも少なからず。同氏の記した「ダウン・ザ・フェアウェイ」は知られたところ。
が、んなボビーにして誰よりも運に打ち勝つ術を知る人物と言わしめ、百万ドル以上の獲得賞金を全て使い果たしたばかりか、カポネの贔屓と聞くだけでその個性、魅力が窺い知れそうなものなれど、豪放磊落、破天荒な人生に残る多くの逸話。ヘイグ自らが語った反骨の生涯と副題付いた「ウォルター・ヘーゲン物語」。
当人が最もスリリングだったと振り返るボビーとの死闘を制して手にした六千七百ドルの小切手。が、それ以上に若き日にキャディとして初めて手にした時給十セントの報酬こそがより深く記憶に残る、と。
そんな下積み時代に自らの腕前を試さんと専属プロに一戦を申込むに、「おい若いの、一緒に回る時はオレから誘うよ」と相手。婉曲的な言い回しに気づかされる己の立場。そこに越えてはならぬ一線があることを諭され。越えてはならぬ一線といえば。
そう、距離を道具に求めるはゴルファーのみにあらず。メーカーが開発した新バットはとにかく「飛ぶ」、ばかりか、当たり損ねとて長打を生むとか。んな魔法のバットとあらば子供たちの垂涎。これが安からぬ逸品にて親が拒めど祖父母が孫のかわいさに。
そこに生まれし格差、のみならず全国的に広がる規制の動きに迫られる現場の決断。フツーに市販されとるばかりかちゃんとその団体の公認シールも貼られとる以上、制限せんとするに予想される反発。既に手にした選手たち、いや保護者とて何を今さら、なんて。
本来のバットは芯で捉えねばそこまで伸びず、稀に当たりし快感を味わうべく、その手ごたえを会得すべく日々練習が積み重ねられる訳で。いつもヒットでは。あれだけ飛べば己の実力を勘違いしかねず、それは決して本人の為にならぬ。やはり道具よりも技術。
いや、それ以上に、新製品に飛び付くよりも安バットとて初めて買って貰った時のあの興奮というか喜びを忘れずに、との説明が保護者の理解を得られたらしく、胸なで下ろす役員の面々。
いよいよ開幕。初心忘れず、いざ、決戦の舞台へ。
(令和5年3月30日/2772回)