なおログ[Blog]

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2023年1月

2023年1月30日 (月)

後光

数え年六歳の背後に見えし後光。この子を妻にした男は必ず出世して一生安楽に暮らせるゆえ大切に育てるように、と通りすがりの虚無僧が告げて立ち去った、と。後光の力か実力か、功なり名遂げし亭主の名は一三。そう、阪急総帥にして宝塚歌劇団の生みの親、小林一三その人。星組公演「ディミトリ」がすごく良かった、じゃなくて、舞台裏に立役者あり、って話を。

連絡後、担当者が現地にて親身に応じて下さったのだけれども担当の判断としては限界、そこで貴殿に、と御婦人。近所の認知症高齢者が外出すれども自宅に戻れぬ。徘徊の末に辿り着くは記憶に残るその御宅。在宅ならば数十米先まで手をひいて送り届けるも、不在時などは御自宅前の交差点にて立ち往生。ゆるい下りカーブに視界が狭く、そこに注意喚起の看板を。

昨今はその手の陳情に道路公園センターの職員が自ら看板の製作から手がけており。看板の設置など町内会に、と押し返さぬ姿勢が「いいね」にあるまいか。対応に粗相あらばまだしも「親身」に応じた結論に口を挟むは何とも勝手な職業と知れど。

数日後には所長から直々に着信があって。受話器越しでは申し上げにくく、と聞くに万策尽きたと見るが妥当。その間の悪戦苦闘ぶりに謝辞申し上げるつもりが。呼び出した理由は電話では説明に時間を要する為。百聞は一見に如かず、図面と写真を見ながら、ということらしく。この間の経緯を聞くにやはり依頼主に寄り添わんと知恵を絞る様子が窺い知れて。市議の仕事の背後に現場あり。彼らこそが陰の功労者であって。

それだけ生徒たちがいれば。窓ガラス割れるは元気な証。生徒たちが寒風に晒されるは見るに忍びず、一刻も早く、とは親心なれど、煩雑な手続きに申請を終えても。ようやく届いた返事が予算足りなく来年度に、なんて。当該校の先生が業者と調整の上、本庁に申請、その件数や年間一千以上。

必須とされるは現場の写真に相見積。前者は分かる、が、後者など誰しもが「偽装」と知る訳で。むしろそこに生じる「借り」こそが癒着の温床と分からぬか。添えられるべき三者の見積が二者だった、というけれども他と著しく乖離しておらねば何もそこまで。

一件の工事として発注すべきを複数に分割、極めて悪質などと断罪されるも。その金額を超えるものは設計の専門家を有する他局の指示を仰ぎ、そちらの予算化を伴う為、完了までに二年以上を有する、と聞かば誰しも。見るに不憫な現場の混乱を解消せんとの親心か、はたまた、市の不祥事を暴かんとの正義感か、数年前の住民監査請求に明るみになりし実態。

ということで、そのへんを全て「民」に委ねれば煩わしさが解消されるとばかりに新たな手法を採用するそうで。包括管理委託なる名称。学校側における工事業者との連絡調整や申請等が不要になるほか、委託業者の巡回点検にて判明した軽微な不具合など迅速に対応が可能とされ。少しでも改善が図れれば、と期待を寄せつつも成果や未知数。もっと現場に。

(令和5年1月30日/2761回

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2023年1月25日 (水)

卒論

利用者は一人ならず、今回は先約ありて御希望に添いかねる。が、施設は当方のみならず、その日にこだわるならばとりあえず他を利用されてはどうか、と伝えて納得いただいたはずも。

利用できるはずのサービスが利用できぬは違約、ましてや、施設側とは「そういう契約だった」との通報が市に寄せられ、始まりし詰問。それは役目として結構なれど、相手の言い分を鵜呑みにしたばかりに要領を得ぬ質問が繰り返され。「契約」とて相手方の誤解だったとか。

本来ならば利用者とのいざこざに沈静化を図るべきもかえって騒ぎを大きく、との不満。そのへんは制度というよりも個の資質にて。中には不器用なものもおるよ、されど、そこを補うが組織としての役割にあるまいか、と上席を呼んで。

こと最近などゴルフ本しか読まぬというに七十七頁にも及ぶ長編。修士課程の卒論を読んで感想を、との依頼が舞い込み。専攻や政治学と知れど人選を間違えておらぬか。論文の表題や二元代表制における自治体議会についての考察。「強い首長、弱い議会」は本当か、なる核心に迫らんとのことらしく。力関係や明白、両輪などと本気で信じとる市議がいるとすれば、との一文を冒頭に。

選挙で選ばれる議員により構成される議会は独立した別組織にてその補佐役を担う事務局の人事権は議長にあり、とされるも予算権は首長側にある以上、常に市長側の意向を忖度せざるを得ないのではないか、との疑念。議会事務局の人事にどこまで関与できるか、というのはベールに包まれ。

結論申さば、市長と議長の個人的な関係に負うところ大、というのが平凡な回答であって。良好とあらば議会事務局のみならず他局まで。いや、彼こそ局長に、なんてのは越権と知るに、あの部長はよくやってくれる、とか。さりとて、それが当人の昇進に結びつくかは別。

何せ批評する当人が当人なだけに、彼が推薦する人物ならばやめておこう、なんて。そう、あくまでも相手方の善意であって制度的に担保されたものになく。

そう、執筆者の分析によれば本市の場合、議会局長の就任前の経歴を見るに議会における経験長く。されど、本市などは長らく革新市政が続き、最大会派から選出される議長と市長の間には「ねじれ」が生じていた訳で、議会の畑が長いというのはいかなる理由か。

あくまでも推測の域、との前提の上で。首長の独断専横を抑制せんとの自浄作用が働いた結果にあるまいか。歴代いづれも、と限らぬまでも議長もしくは議会側の意向を優先して動く、そこに市長側の反発を買わぬか、と言われれば、そのへん相手を手玉に取る才に長けた人物が自然と。それこそが議会事務局としての矜持であって。

仮にどこぞの自治体において、自らの意向に従う忠実な職員を派遣し、議会側の言論を牽制せんとの意図が首長側にあるとすれば、本当の民意は酌むことが出来ぬばかりか、身辺をイエスマンに囲まれては裸の王様になりかねず。首長として議会事務局の人事に介入するのは最小限に留めるのが結果的に賢い選択といえよう、とエラそうに結んだ。

(令和5年1月25日/2760回)

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2023年1月20日 (金)

会費

遠目には背格好、近くにあっては目元と髪型が手がかりのはずも、帽子が加わり。たびに相手を凝視しては変質者に間違われかねず。

逆に、こちとら外套、帽子にマスク姿では全く目立たぬ。少なくともバッチ位は。道すがら「あら、なおちゃん」と、声の主や鮨屋の女将。コロナ前どころか、十年ぶりの対面も元気そうで何より。あの当時は随分と食わせていただいた。

犬も歩けば。道ゆく御婦人に依頼を受けるは去年のだるま。老齢の不自由な身にて焚き上げかなわぬ、と賽銭とともに。んな人助けとあらば運も味方して。どんど焼きに居合わせた監督の誘いに小学生の女子バレーボールの練習を見学。こう見えて中学時代は私も、補欠ですが。

四年に一度のその年だけは普段見ぬ顔も常連が如く。議長まで経験した身とあらば泰然自若、悠然と構えて臨むべし、との助言も、んなおひとよしでは選挙に勝てぬ。やはりセコく貪欲に、違うか。

酌をするが近づきの印。宴席に列なして酌に回る姿や自らその地位を辱めておらぬか。誰ぞが来た来ぬなど余計な御世話にてそこに得られる票なんぞ。いや、セコく貪欲に。とすると酌に回らぬ口実を与えてくれる現下の状況はかえって好都合でもあり。

それにしても安からぬ会費。いやいや、呼ばれるうちが花、あくまでも宣伝費が如きものにて惜しむにあらず、と知れど。その為に用意される料理。大皿ならばまだしも料理長が心を込めて作りし品々なだけに。どうせ途中で退席する身、盆の上に手つかずの料理が並ぶは何とも。

この期に及んで席に置かれし名札は逆の宣伝になりかねず。出されたものは残さず、名札をそっとポケットに。これで退席するゆえ残りは出さずに厨房にて、と告げて一路向かうは次の会場ならぬ、夜ラン。

金銭払って出場する奴の気が知れぬ、との陰口も何のその。久々に100キロへのエントリーを終えた。辿り着きしは70キロ地点の関門。残り30キロの山越えを制限時間内に走り切るには全力で挑まねばならず。いや、挑むはかまわぬ、が、翌日は議長就任の晴れ舞台。

当日中の帰宅が叶わねば目前の役職を棒に振りかねず。「今ならばまだ」と棄権を選びし判断は今も悔やまれ。今にして思えば完走遂げても何とか帰宅位は果たせたのではあるまいか、と。あれから四年、条件は同じ、というか年齢的に多少のハンデは背負えども補って余りある筋力、でもないか。

安上がりに見えてそうはならぬこの種目。エントリー代とて海外一流オケの演奏会に劣らぬ。たった一日、それも、相手に払って自ら疲れる、のだから陰口も当然に見えなくも。いやいや、申し込みし翌日、いや、その日から否が応でもそこを意識させられて駆り立てられる恐怖心。

健康の対価として当日までの日数で割れば。

(令和5年1月20日/2759回)

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2023年1月15日 (日)

良縁

結果はともかく挑む機会は平等に。経済的な理由により進路が限定されがちな生徒たちを救うべく私塾から講師を招いて臨時の授業を催すとか。幸か不幸か都立校の話。過去問の分析に傾向と対策、こと受験に関してはそちらに一日の長ありて。教師自らそちらに学び、切磋琢磨する中に全体的な学力の向上を図らん、との意図のありやなしや。

が、昨今なんぞは年度末に目標に届かぬこととて。受験が如きは基礎が固まってはじめてコツを磨かんとするもの。外から講師を招聘してまずは基礎学力を、となると、そりゃそもそもに教師自ら負うべき役目であって、そちらに依存するあまり本来の役目が見失われはせぬか、と。理由はどうであれ勝手よく知る教え子なのだから自らの手で。となるべきも働き方改革の名のもとに許されぬ残業。が、背景にあるとすれば首をかしげてみたくもなり。

何も外部に頼らずと自ら休日返上にて行うその授業が好評と聞いた。それも教え子のみならず、広く校内に希望者を募るばかりか、練習と重なる吹奏楽部の部員たちの為にもう一回と一日に都合二回。そんな意欲ある先生の在籍や都立ならぬ県立、そう、つまりはわが県内の話。そこに残業代などあるはずになく、んな「滅私」の姿勢が報われる日が来ることを願わずにはおられず。

いや、何よりも子供たちの為に費やされる時間は取り戻せぬ。既に青春終えた身ならば然して気にはとめぬも若き独身と聞いて。この御時世に珍しき好漢、せめてもの償いに良縁を、との老婆心は御節介。休日に英語の先生と並んで通校する姿が似合いのカップルと生徒たちの話題とか。教え子の成長を見るは教師の生き甲斐。むしろ金銭的な対価以上に本人の精神的な充実感が得られているのであれば何も咎める必要など。

部活動然り、昨今なんぞはそんな献身的な行為すら否定されること少なからず。時間外に働いた以上、対価が支払われて当然。「いらぬ」と言われても他への示しがつかぬ。というか、そんな善意が蔓延してはいつか無償労働が強要されることに繋がりかねぬ、などと訳の分からぬ理屈が持ち出されて。

いや、中には未だ「無償は当然」との価値観を押し付けんとする時代錯誤の御仁もいるやもしれぬ。が、教師の鏡と知れども真似は出来ぬ、というのが大方の見方か。当人とてあくまでも「任意」、何ら見返りを求めんのだから放置しておいてくれれば、と。不思議とそんな先生に限って人気があったりもするもので、そりゃ元来の性格がそうさせるものなれど、一部にはそうは見えぬらしく。

自らの評価を上げんとして、そんなに善人ぶられては相対的にこちらの評価が下がってしまうではないか。ましてや、規定外の授業とあらば出席かなわぬ生徒もある中に学力格差が助長されかねず。認めるべきにあらず、なんて。そのへんのセンスは一流、何も他人様の足を引っ張らずともその才能をもそっと別なほうに向けてみては、と思うのだが。

(令和5年1月15日/2758回)

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2023年1月10日 (火)

私用

ほんの数日の不在に飛び交う憶測。サボリ癖は地元に知れ渡るところなれど、この肝心な時期に姿を見せぬとはよほどのことに違いない、と重篤説まで囁かれ、安否問うメールが各方面から。

それこそが狙い、などと傲慢なことは申さぬにせよ、存在を忘れられぬだけまだマシか。生まれてこの方、布団の中に一日を過ごすなど仮病以外に、いや、仮病ならば尚更。失踪するにも後援会長にはちゃんと「私用」と告げて。

百キロも離れぬというに山脈が隔てる明暗。物流止まるに企業活動もままならぬ。何も好んで去ったものではあるまいに。人材を吸い上げる都会に対する田舎の嫉妬心や尋常ならざるものがあって。

あちらにあっては郷里を捨てた不義理者、こちらにあってはヨソモノと揶揄される中に、晴れて昇殿を許され、元旦からめでたき酒にありつけるとはひとえに総代以下、氏子の皆様のおかげ云々と謝辞を述べるは地元の神社におけるひとコマ。

全国六位の人口などと申してみても大半は市外からの移住者、のみならず、そんな移住者とて住まいは「仮」であること少なからず。とすると土地への愛着など。それとて自由、そもそもに末代まで此の地に住み続けんと立派な豪邸を建てたはずも、同居を拒みし子の都合にて空き家になった事例など枚挙に暇なく。

一方の、いわゆる土着の人とて先祖代々と家系の古さを誇ってみても開闢以来そこにいたものになく。いつぞやの戦乱に由緒ある血統を存続させんが為などと真田が如き美談に仕立てられるも、実際のところは一族の中の反目、ソリが合わずに都落ちとか、およそそんな側面とてなきにしもあらず、とはおらがセンセイの洞察なれど、なかなかの慧眼ぶりにあるまいか。とすると。

大台突破の流出額。たび重なる報道に増幅されるは負の感情。この土地に住んでいて恩恵を享受しとりながら他市に貢ぐとは許せぬ、そんな恩知らずはこの土地から出て行け、と憤懣をぶつけられても。んな勝手な価値観の押しつけなどまっぴらゴメンとばかりに。いやいや、そのごった煮が如き雑多性こそ本市の魅力。個性を色になぞらえて「Collor’s Future」と唱えてみても減らぬ流出額。

かくなる上は、と道義心に訴えてみても、幼少期を育んでくれた故郷への恩返し、過疎に悩む村を救わんと支援して何が悪いとの反駁されては。いや、それすらも実際にはどうか。その玉石混淆こそ本来の趣旨を大きく逸脱するものと制度の是正を求めんとするも。流出過多は都市部に限られ。

去る者は追わず、返礼品を魅力あるものにしようとの結果が上限一杯の商品券では芸がなく。これこそが本市ならでは、と並ぶ品ぞろえもこちら側の勝手な押しつけであって相手から見れば。ならば、いっそゴルフの会員権。いや、ソレならずともそれが当たる抽選券でも。

ちょうど、あの臨海部に横たわる広大な土地がある訳で。あそこに風光明媚なゴルフ場を。百億円の損失埋めるに、その位の大胆な発想があっても。夢は大きく、壮大な計画の実現を公約に。アホか。

(令和5年1月10日/2757回)

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2023年1月 5日 (木)

白鶴

昨年の忘年会の途中、期せず届きし一本。米国カリフォルニア州ナパバレーのカベルネ・ソーヴィニヨン種、いわゆる、ナパのカベルネ、とだけは記憶にあって。既に他の酒に酔いしれとる中にあっても十分な存在感を。

正月からマルゴーとは何とも贅沢。何年ものかは知らぬが、粋な氏子が持参されたらしく。悲しいかな私が耳にした時は既に他の連中の胃袋に収まっており。

あの一件以来、彼らに酒を呑ませてはならぬ、というのが。「彼ら」と申しても二人、はからずも一人は私、だそうで。その罪状や、いつぞやの正月、夕刻に帰らんとする総代の車の前に立ちはだかり、進路を妨害した挙句、自宅まで送れ、と恐喝まがいの行為に及んだ、と。

およそその手の話はヒレが付くもの。実際のところは、あの日の当番であったH君が帰り際にはへべれけにて寒空に見捨てるも不憫とばかり肩を貸して家まで送り届けんとした矢先にちょうど通りかかった総代に当人の送迎を依頼した、というのが正しいところであって、正確には「彼ら」ならぬ「H君」ということになるんだけれども。

いや、こちとて無罪とは言わぬ、酒気帯び位は。そもそもに、こちらがせがんだ、というよりも、酌に来る相手が居て、注がれるから呑むのであって。酌をしに来る方とて純粋な善意というよりも腹に一物、コイツを酔わさば、なんて。

この三が日とてマルゴーこそ逃してしまったものの、ちゃんと「萬壽」の一升ほか旨そうな酒が並び。じっと注がれる酒を見ていたのだけど、私だけ紙パックにあるまいか。いや、紙パックだから云々と言わぬが、相手によって注ぐ酒を変える、それも何やらその酒を低く見とるようで。

折角の御進物を何と心得る、喜んで貰い受けるが人の道ってもんで、などと、一人2リットルを半日で空けてしまい。おい、これっぽっちで酔えるか、と息巻いておれば、こちらの姿を見かけし社務所の管理人から「もうぼちぼちその位に」と。売上はすこぶる好調の中に恒例のだるま売りを終えた。

さて、迎えるは四年に一度の決戦の年。国政の醜聞に下がる支持率、この状況では戦えぬ、なんてボヤきも。いや、そもそもに貴殿なんぞは風が吹こうと吹くまいと、そんな御仁に限って。敵方とて相手を蹴落とさば相対的に浮上して当選圏に近づくなんて発想自体が卑しく。

どうもそのへんが性格というか、戦のたびにくすぶり続ける原因と気づいておらぬ候補者とて少なからず。風のせいにしとるようではゴルフとて上達せぬばかりか、運とて味方せぬ。

初詣とて社殿の前にて心に唱える願い事など知る由もないが、肝心なのは祈願以上に御礼であって、叶わずと手くらいは合わせておきたいもの。元旦とあらば判別つかぬも年末の参拝とあらば目的や一つ。かくありたいもの、と。

(令和5年1月5日/2756回)

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