なおログ[Blog]

« 2022年5月 | トップページ | 2022年7月 »

2022年6月

2022年6月30日 (木)

堕落

依然と続く交代制。別室に流れる生中継をじっと聞き入ることで「出席」の扱いとする、とされども。在宅勤務に同じ、いつしか緩む緊張感。一方の理事者側とて答弁なき際は出席不要とあらば。市議の質問に見る全庁的な課題、隣の局長の答弁に学ぶ文章力など決して聞いて損にはならんと思うけど。ということで「堕落」が本日のテーマ。

更新中に残りの三施設にて受入が可能ならば四つも要らぬ。安からぬ維持費が節約できるばかりか、ごみの減量も促進されて。余熱利用のプールのみならず、自家発電に自らを賄い、「余剰」の電力を他に買い取って貰わば一挙両得。それも入札に最も高い額を示した企業が落札すれば本市の利益が最大化され。そんなオイシイ仕組みにわざわざ市の出資法人を介入させて随意契約にせずとも。「随意」を否定はせぬ。ただ、そこが硬直化して市場価格と乖離した金額になりかねぬ、との懸念が払拭できぬだけで。そう、ごみ焼却場の話。

小売りの自由化以降、各社の参入が相次ぐ電力分野。原料を加工して売る、に抱える調達時の価格変動リスク。一方、太陽光や風力など自然エネルギーは原料の調達コストが抑えられる反面、天候という外的要因、別なリスクを抱え。あくまでも「余熱」とあらば川上のリスクは小さく、そこに生じる転売の利益や十億円。一方の川下とて選択の自由と申しても市が資本参加する企業とあらばそちらと契約せざるを得ない、なんて。特に公共施設なんかは。

現行の入札制度に何かしら不都合でも、との質問に自由参加とあらば本市が生み出す価値が市外に流出しかねぬ、地産地消というけれども肝心な送電網は未だ独占なのだから域内の停電の可能性が著しく下がるなどとはいえぬ訳で。むしろ、健全な競争が働かぬこと、利用者の選択が歪められることの不利益のほうが大きくはあるまいか、と答弁を求めており。詳しくは市議会の会議録にて。

公益性に鑑みれば官が担って然るべき、との言い分。民といえども独占寡占とあらば然して変わらぬ。いや、むしろ、「民事」が政治介入を拒む口実になっていたりもして。つまりは官か民かというよりもそこに競争があるか否か。いや、競争があったとしても低落札の泥試合になる位ならば随意契約とて立派な運営がなされているところもあり。放っておかば組織は堕落する、ゆえにやむなく外圧が加わるのであって、そもそもに人なんて。性善説に立たば共産主義だって、そりゃさすがに違うか。

電力需給の逼迫、に呼びかけられる節電。ちりも積もれば。不足量は節電に賄いきれるレベルか否か。「逼迫」という状況は分かった。されど、その度合いが見えぬ。突然の停電に復旧まで数日間とあらば、節電以上に抜本的な対策を講じた方が。

あの当時、電力の国家統制に挑まんとする当人に福翁が告げた一言や「天のソロバンは大きいぞ」。本市でも利権の温床などと揶揄されぬ検討が進むことを願っており。

(令和4年6月30日/2719回)

| | コメント (0)

2022年6月25日 (土)

一飯

詳しい経緯は知らぬ。が、高校の卒業を目前に単身海外へ。翌日の出国と聞いて「梅」ならぬ「松」を振る舞いし前回。当時の御礼と現地産ワインを片手に久々の帰国。しばしの滞在と聞いて、親に内緒で再度、と誘わば「うなぎ」以上に欲するはゴルフ。よくぞ申した、ならば教えてしんぜよう、などと言えた腕前にはあらずも親子ほどの若者にゴルフに誘われるとは何とも光栄な話で。負けぬ。

父の日にカレーほおばる空の下、と一句。招かれしジャガイモの収穫祭。大小の仕分けに追われる小さなスカウトらを横目に向かう先には大鍋。「時間があればぜひ召し上がって」との一言。芋掘りも手伝わぬまま、手に「山ほど」の収穫物をいただき、尚且つ、保護者の手作りカレーライスを最初に食べたとあらば。逡巡するも「遠慮なく」との合いの手に、まっ、いいか。

白米は各自持参と聞いて具沢山のルーだけで結構と告げれば「うちの分をどうぞ」と。「それでは御宅の分が足りぬではないか」-「いや、予備がありますので」、んなはずなかろうに。一飯の厚意は忘れぬ、いつか必ず。

人目を憚らぬ姿に群がるは子供たち。働かざるもの食うべからず、と向けられる視線に「あくまでも試食に過ぎぬ」と弁明すれど、それは二杯目にあるまいか、とはよくこちらの動きを観察しとるぢゃないか。折角の手料理を食わずして帰るとは何とも惜しく、「おい、食わんのか」と他の来賓に水を向ければ、「センセイは時間に余裕がおありでしょうから」、なんてのは嫌味にしか聞こえぬ。

さて、本題。地域と学校の連携・協働なる理念は今に始まった話になく、年度内に「地域学校協働本部」なるものを設置をせよ、との国からの下命。「地域教育会議」なる本市独自の既存組織を移行させんと進む検討。懸念が拭えぬ、と説明会に出席したと思しき関係者から話を伺った。これまで以上に多様な主体を包含して機能強化を図らんと役人側が目論めど門外漢の加入が裏目に出ぬかとの不安。

子供たちの為に、との大義の下に作られた組織も役所の都合に翻弄されてきた過去があるらしく。「これからの行政区地域教育会議」と名の付いた資料には学校運営協議会、学校教育推進会議等々とそれらしき名が並ぶも担う役割の違いやどこに。そんなに乱立していたのでは学校側の負担も。たびにアレコレと介入されるは億劫であって、雑務に追われる現場の苦労は分からんでもなく。

部活動にせよPTAにせよ、学校が絡む以上は最低限の窓口は用意せねばならず、そんな重荷を手放さんとするにコロナや働き方改革は格好の口実を与えかねず。一方、生徒の端末依存が日に日に進む現場に図られる教師の負担は軽減されて然るべきも、慣れぬ操作に手間取るばかりで失われる時間に募るストレス。

子供たちの為に、との大義は誰しもの共感を生むものなれど異なる価値観。んな制度設計に忙殺されるは大人の都合であって、芋掘りにカレー作りのほうがよほど教育的な効果が大きくはあるまいか、と。

(令和4年6月25日/2718回)

| | コメント (0)

2022年6月20日 (月)

目安

平坦な道とあらば距離でバテること知らず、欠かせぬ急坂。とは自惚れが過ぎた。

「払って」までレースに出場する奴の気がしれぬとの声。これ以上は身体が動かぬ、と泣き言を申してみても峠を越えねばゴールには辿り着かぬ訳で。不思議と思考も前向きになるもの。どんな逆境とて立ち止まっていては。

視察などと称して出かけんとするに見学は休止中との文字。が、本命や別にあり、車では肝心の目的が果たせぬ。最寄りの無人駅から片道6キロの往復。眼前にそびえる急斜面を前に注がれし珠玉の一杯が抜群に美味かった。

保護という名の隔離の時代、弱者切り捨ての代償と与えられる「施し」は当人の為ならず。日々の生活の糧を得るべく自ら開墾するは山の急斜面。何も「急」にあらずとも。大地に這いつくばる、その過酷な労働が身体を鍛える、というか、ひたむきさが情緒を安定させるに一役買うとか。

そんな汗と涙が紡ぐ一杯。知的障害者が作ろうとプロが作ろうと購う消費者には関係ない、と品質に妥協許さぬ創設者。その生涯と学園の歴史を描いた一冊を片手に。施設の見学はかなわずと道すがらすれ違う園生や職員の表情を見れば。

テラスにて手渡されるワインリストに目を惹くはそちら。「協奏曲」か「第二楽章」か。第二楽章といえばベートーヴェンの交響曲第3番、「英雄」と名のついた同曲の第二楽章はあまりにも有名なれど、今日の主役はブルックナーの交響曲第8番。

目下、国産ワインの物色に余念なく、遠征時には必ず御当地の一本を。その道中に車窓から見える遠方の山々、雄大な自然とその第二楽章が絶妙にて。大自然に同じ、大衆に媚びぬ姿勢が真骨頂。自ら手にした指揮棒に集いし客は数百名も最後に残るは25名。

落胆の当人に慰めの言葉を向けるは若き日のグスタフ・マーラー。が、んな挫折もなんのその。晩年には自らの確固たる地位を築き上げ、今も熱狂的なファンを魅了してやまず。いつぞやにホールで会いしK局長などはこの作曲家の演目だけ、と申しておられ。

その評価が不当か否か、を巡る応酬は今に始まったものになく、恣意が介入する余地がある以上、終わりなき論争にて。有権者に判断材料を、との趣旨に公開される通信簿。質問の回数に時間等々、目に見える指標の採点結果とあらば私などは泡沫。「解せぬ」と目くじらを立てて見ても肝心なのは選挙であって、その結果や通信簿と相反すること往々。

そう、最近も似た話を見かけたが、店の命運を左右するはわが胸先三寸とばかりに袖下を要求する調査員がいないとも限らず。かたや、そこに一喜一憂するよりもあくまでも「目安」に過ぎぬ、と今日の客にいかに喜んでいただくか、そちらに腐心したほうが好結果になりそうな気がしないでもなく。客とて自らの味覚を信じて。

いや、注目を集めることがかえって両者の利益に繋がっていたりもして。ちなみに同サイトにおける前述のカフェの評価や。

(令和4年6月20日/2717回)

5210f137ed464de19953044245cf802f

| | コメント (0)

2022年6月15日 (水)

卒業

路上にて斬りかからんとする暴漢に、「いいか小僧ども、この時代に老いぼれを見たら生き残りと思え」と老人。つまりはあの凄惨な銃撃戦をくぐり抜けた地獄の帰還兵と覚悟せよ、の意。漫画「ゴールデンカムイ」の一幕なれど、「老いぼれ」と見るか、「生き残り」と見るか。

「定年」「退職」はどことなく暗く、「卒業」と言い換える昨今。エッセイストの酒井順子さんの新刊に見る「ことば」の考察。区制四十周年、式典を前に「卒業」秒読みの区長がこれまでの四十年を振り返るに当時のままに登場せんと衣装選びに悩んどると聞いて、前のめりにならぬよう願うばかり。

四十年には些か及ばぬまでもこの間の戦歴に敗北なく、数多くの舞台となりし事務所。併設される来客用の駐車場に掘削が進むは国政進出に向けた新たな事務所、なんて訳ないでしょうに。現状のままでは金を生まぬ、ばかりか安からぬ固定資産税を徴収されるのだから。新たな需要に対応すべく、と地主の都合で。こちとら気になる賃料の行方。

老朽化に浮上する更新計画。別々な二棟を一つにすれば浮くコスト。さすれば余った土地とて、と進む複合化の動き。従来の区役所の支所にて行われていた申請・届出の業務を区役所に集約するは「合理化」以外の何物でもなく。一方、一部の利用者には今までの徒歩圏内からバス利用となるだけに、そこに多少の負い目があって然るべきも計画に謳われるは「行政サービスの質や量を今まで以上に確保する為の機能再編」。そりゃかえって相手を逆なでせぬか、と。

複合化ともなれば自ずと求められる合理化の成果も見えてこず。その後における施設の管理・運営は一社に限ると記されるもそこは都合よき逃げ道があったりもするから。やはり一社云々よりも全体の維持費を下げられるか否か、が焦点。従来の縦割りの垣根を取り払い、相乗効果を生まんとの狙いやよし、が、見えぬ垣根に阻まれて従来の権益そのまま、となっては。

常任委員会にて語られる抽象的な表現に核心を問わんとすれど、それは「向こう側」の範疇などと答弁されたりもすれば両者の距離感も窺い知れて。とすると市議会への報告などはあくまでも実現に向けた布石であって、そこに反対なきは賛成の証拠、と解釈されるは前回に同じ。十分条件も必要条件になく。合否を判断するに材料が足りぬ、というだけの話。徹底的な合理化といわぬまでも安からぬ支出を伴う以上は何かしらの成果が伴わなければこちとら説明がつかんではないか。

そう、最終形が見えぬ中にあって拠り所となりし計画案。確かに計画自体は人目に触れるものだけに立派な内容が綴られとるのだけれども、まだ見ぬ理想に文章だけなら誰だって。追及側とて軸足が計画にある以上はその高い理想とかけ離れた現実に批判が向きがちであって、計画そのものの完成度を以て立案側が評価されるに現場が不憫にあるまいか。

簡潔明瞭、もそっと泥臭くとも。理想より現実でしょうに。

(令和4年6月15日/2716回)

| | コメント (0)

2022年6月10日 (金)

大杉

男子厠にて隣に並んだ若手との会話。雨予想も一転、快晴に恵まれた貴重な休日は地元回りに追われ、と語るY君に、こちとら趣味に興じた一日だった、とは言えず。立派な胴回りの大杉が連なる参道は何度訪ねても。新緑に癒されつつ、神宿る戸隠の山々を駆け抜けた。

何も大会や一つにあらず、夕方に届く各自の戦況に目を惹く四文字。役人の答弁は見逃してもそういうところだけは抜かりなく。ランとの関係や知らぬ、が、確かに折り返し地点に「水着美女」と。コースの全長や78kmなれど目的は完走ならぬ「会う」ことにあり、折り返しまで39km程度ならば神様より美女、のはずも。

コース中の上りだけを単純に積み上げた累積標高や4767m。およそその手の類は往路に上り、復路は下るが一般的。とするとたとえ半分といえども私が挑んだ大会よりもはるかに。美女に立ちはだかるは高い、いや、高すぎる壁。やはりコースは平坦に限る。閑話休題。

陳情は権利といえど私的に関することとあらば。いづれも風聞の類にて事実関係など知らぬ、と居直ってみても放置しとる議会はけしからん、と騒ぐ外野に抗いきれず。本来ならば後見人というべき後援会長からの三行半に出処進退は自らとなりそうなもんなれど。

顔見えぬ選挙は都市部の宿命、後援会などなくとも。当人を捨てる拾うは有権者にあり、あとは選挙で。何よりも辞職勧告なんてのは自らの悪行を棚に上げて虐めとるようでどうも好かぬ。

改選期における会派の頭数に応じて配分される役職。薬石効なく他界された現職の分は返上されて然るべし、と投げた球が波紋を広げているとか。当人の勝手な都合で脱藩したものになく、まさに予期せぬ不可抗力。「死んだ奴は負けだ」と身ぐるみ剥がすはドサ健なれど、それはあくまでもあちらの世界の話であって、人の道に照らしてどうか、ということらしく。

理か情か。その一戦を見れば「理」が勝つは自明なれど、大局的な見地からすればそこに生ぜし「情」やいづれ。一寸先は闇の世界、つまらぬ私怨は残さぬに限る。そこは互いの信頼に着地点を見出すべきも「こう言ってああ言われた」とつまびらかに語られるに増幅される敵愾心。不倶戴天の間柄とあらば尚更に形勢を支配する主戦論。

結論としては確かにそうなのだけれども無言の面々とて少なからず、そこをいかに解釈するか。口つぐむは徹底抗戦というよりも結論やむなしとの容認が近かったりもして。そこは相手の性格や情報の伝わり方、その後の展開等をじっくりと見定めた上で波風立てぬように交渉に臨むべきであって、脚本が完成せぬままに舞台に上がらば結末や「めでたし」とは限らず。

そこにヘンな力学も働くから。とすると、知らぬ間に独断で決着を図る、後で発覚しても「知らぬ」「存ぜぬ」「軽率であった」云々と茶を濁すが利口かも。俗にいう「散らかる」という状況が最も厄介であって、すったもんだにやがて収まると申しても覆水盆に返らず。

本来ならば市民の代表として役所と対峙すべきも内に目が向いては役目が果たせぬではあるまいか、いや、それ以上にそこに浪費させられる体力こそ。淡々と自らに課せられた質問の原稿を終えた。

(令和4年6月10日/2715回) 

D9ca11bc49fb4d0781e7265596fa85a8

| | コメント (0)

2022年6月 5日 (日)

二言

言わずと手渡される入学祝。それでこそわが親、と安堵して気付く袋の数。双子に一つ、よもや中に一枚なんてことは。点袋に三つ折りされた紙幣の枚数や三枚にて。ならば、ピン札の壱萬円にて二袋か、弐萬円づつ二包みでも。子も子なら親も親にて。

帰り際に立ち寄りし神社の境内に残る昔の面影。腕白相撲の決勝戦。五分の星にて迎えた大将戦。迎える相手や隣組の堀雄一郎君。腕力は私のほうが上だったはずも彼は粘り腰にて土俵際がしぶとかった。負けて逃した金メダル。当時から体格よく、陸上に水泳、相撲に野球、サッカーにバスケとあらゆる種目をこなしたから。

三年ぶりの大会に見るチーム数、部員の減少は深刻にて。勝負など二の次、定員に満たねば試合が成り立たぬ、と請われ、「票の為」と馳せ参じたはずも足りる人数。万一に備えた「保険」らしく、市議に二言など、あるナ。そちらはベンチにて試合を終えた。

そんな事情はどこも同じ。私が大学時代の仲間と作ったチームが今もかろうじて隣区に存続しており。当時は区内では表彰台を逃したことなく、市の大会でも優勝したこともあるチームなれど、それは私が在籍していた頃の話。そちらはベンチならぬスタメンと聞いて十年ぶりにユニフォームに袖を通した。何せ性格は当時のままにてオッサン連中のウケは抜群、懐かしい顔ぶれに些かの遠慮もなく。

むしろ、チーム内に知らぬ顔多くも伝説の選手として今も語り継がれているとか。そりゃ結構、が、往年の名選手がなんでライパチ(八番ライト)なんだ。「おい、ライト狙ってやれ」なんてヤジられて、「打てるもんなら打ってみろ」と虚勢を張ってみたものの、さすがに空白の十年は大きく、内心や「絶対に飛んで来るなよ」と冷や汗もの。

相手の好投に味方の打線が抑えられて迎えた私の打席。意識や外野スタンド一直線なれど、脳裏よぎるは当時の記憶。若さに任せて挑む乱打戦。二死満塁に凡退の悲劇、無死一塁に平凡なフライは数知れぬ。真っ向勝負はリスク大きく、投手戦において確実に有利な展開に持ち込む為に、と教わりし戦術。狙いし三塁線に転がるボール、はまさに今は亡きMさん直伝のバント。

あとは自慢の足を生かして、と生じる不測の事態。よもや間に合わぬのではあるまいか、駆け抜けるよりボールが早く。が、グローブからこぼれ落ちるボール。必ず転がすこと。相手の失策に救われた出塁は何とも格好が悪く。壮年ソフトボール大会などでは目にする光景。当時ならば難なくさばけたその打球、頭で思い描くも動かぬ身体。一塁線上に石ころなどないのに足がもつれる、は老化の兆候。

助っ人の見せ場むなしく、結果や惨敗。試合後に差し出される手は健闘の証。私などはガッチリ握手を交わしたものの、幾人かが見せた躊躇は何とも。

44f4dc5346e548619ae4406bfc289b52

(令和4年6月5日/2715回)

| | コメント (0)

« 2022年5月 | トップページ | 2022年7月 »

 
自民党
山崎なおふみは自民党の議員です
自民党ホームページへ
KAWASAKI CITY
山崎なおふみは川崎市の議員です
川崎市議会のページへ