なおログ[Blog]

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2022年5月

2022年5月30日 (月)

断線

突然の停電に動かぬ私鉄。深夜の帰宅に向く矛先は供給元のあの会社、のはずが。翌朝ならぬ翌週に発覚する原因や本市とか。幸か不幸か原因は本市側なれど被害世帯や隣市に多く。そちらの自治会長を名乗る御仁からの留守電。

工事中の断線などすぐに気づきそうなもんなれど、そこに猶予が生じた理由とは。やはり少し前に同様の工事に道路が陥没、深夜にて大きな被害なくも事故後の応急的な対応が後手、などと風聞に聞かば組織的に何かしら。再発防止と申しても規律ばかりが徹底されて、かえってヘンな方向に行くこと往々。やはり風通しか。

そう、留守電を放置する訳には参らぬ。が、連絡をくれ、との内容も肝心な自治会名に連絡先が残されておらず。区役所に聞かんとするに課への直通なく代表のみ。総合案内に流れるは聞き慣れた「ただいま回線が大変混みあっており」。待たされるに募る鬱憤、自動音声とあらば尚更であって、これが行革だとすると首をかしげたくも。ようやく繋がりし担当課にてその旨を告げれば同姓が複数人だそうで。

さて、本題。酸欠に回路が鈍るは不本意、とマスク外して臨む常任委員会。着用を指摘されてゴネてみたものの規則ゆえとのことらしく。口をふさがれては回路鈍るばかりか発言の意欲も、いやそれは元々。当日の報告は保育所関連。要点は二つ、一つはこの四月における待機児童数はゼロ、もう一つは医療的ケアを必要とする子の入園に対して優先的な措置を講ずるというもの。

後者などは今までは一園だったものが三園に。それこそがまさに公立の意義であって不服なくも、一方のゼロに対しては数字のまやかしに過ぎぬ、とあの会派が。本市から市外に転出する理由や保育園との調査結果、それは本市に失望している証左に他ならぬ、隣市など転入の促進を目的に入園枠を拡大しとるに本市は、といつもの自虐論を展開されて。

ゼロとて何も市が恣意的な解釈を施しとるものならず、ちゃんと厚労省が示した指針通りに。そりゃ希望者の全員が「第一」に入れるに越したことはなく、中には不本意な結果を余儀なくされた方とておられることは否定せぬ。が、転居そのものの理由が子の都合など。

郊外への転出に歯止めがかからぬ某市、その理由や子供の医療費が安く云々と過去の視察の成果を饒舌に語っておられたが、フツーに考えて「郊外」を選ぶってのは別な理由であって、そこに「著しい」論理の飛躍はないか。転居の要因に該当せぬ、とは言わぬ。占める比重の大小やそれぞれにて必ずしも「副次的」と断定もせぬ。あくまでも複合的な要因が絡み合った結果、というのが概ね妥当なところにあるまいか。

こうに違いないという独善的な言い分は己に酔っとるようにしか見えず。結論づけるは勝手なれど、そう思わぬか、と価値観を押しつけられる役人方。立場上、そりゃアンタの勝手な認識、と反論できぬところが何とも。それもいづれパワハラなどと。

(令和4年5月30日/2714回)

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2022年5月25日 (水)

碁石

確かに可能性としてはあり得るも、誰も見ておらぬから「逃げた」とはにわかに信じがたく。警察による嫌疑不十分との結論に不服とばかり近隣の一部から市にて弁償はできぬものか、と相談あり。車両の衝突と思しきごみの集積所の破損。作業中の事故は補償の対象と知って、そこに責任を被せてしまえば、なんて。探される「名目」。

たまには下々の話も聞いてくれぬか、との依頼に、親子以上に齢の離れた御仁の話をじっくりと拝聴させていただいた。昨今は退職後の趣味に始める人も少なからず。が、読んで字の如く「囲む」以上は一人では出来ぬ。対局の相手を探すに本市が運営する「老人いこいの家」がいい場を提供しているそうで。戻りつつある利用者。

碁好きが集まらば自ずと一局どうか、との申出に胸を貸すにやぶさかならずも慣れぬ手つきに星目に石を置かれてはかなわぬ。が、それ以上に波紋を投ずるは碁石の洗浄。「衛生上、好ましからず。使用後は洗浄の上、返却を」と突然の告知に。

まさに手に汗握る勝負とあらば手垢とて。雀荘などでも日に一回は必ず牌も洗われる。が、そりゃ卓の故障の原因になり得るからであって、碁石に全自動卓など。借りた鍋は洗って返す、は不変の価値観。その労は厭わぬ、が、それまでは施設側が担っていた話。そこを「名目」にこちらに負担を押し付けんとする意図が見え透いてしまったらしく。

どこぞの施設では職員が洗ってくれる、同じ市の施設において統一されておらぬはこれいかに。それが仕事が忙しくて大変そう、ならば良心の呵責が生じることもありそうなもんなれど、どうもそうは見えぬ。ならば、木製の将棋の駒はいいのか、日単位といわず対局毎に課すべきにあるまいか云々、と追及止まらず。ボール投げるは自由なれど、話を複雑にする位ならば投げぬに限る。そのへんの見極めこそ。

たかが碁石、されど碁石。んな時は災い転じて福となすべく。それを口実に些か恩を売るかの如く低姿勢にて趣旨を告げれば、相手より謝辞の一つもあって、しかる後は私のもとに寄せられる相談の内容も全く違ったもの、いわゆる運営費の増額だったやもしれず。何とも惜しい。そもそもに碁石の前に対局後の手洗いを徹底すれば。頭がカタイ。

戻らぬ日常。来賓はもとより保護者とて未だ許されぬ運動会。蜜を避けんとするが名目なれど、学校の運営に口を挟まれるは不本意、ならばそれを口実に排除せんとの下心がないと信じつつ。

イベントの興行主より。万が一、生じれば興行主の責任、管理体制が不十分、などと批判を招きかねず。入場のたびに求められる連絡先の記入。仮に後日に判明しても自ら自首する輩など、居れども当日の座席を特定して前後左右に連絡する手間、それで十分か否か、日中とあらば繋がらぬ可能性とて、何よりも突然に連絡を受ける客側とて。

とするとこの期に及んで、あの行為などはほぼ「無駄」、というか「非現実的」に見えなくも。

(令和4年5月25日/2713回)

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2022年5月20日 (金)

遍路

御紋入りにあの大判の角印は子供心に忘れもせぬ。下賜されし一枚が実家の仏壇の上に。祖父が戦没者にて。本来ならば皇居にて厳かに行われるべきも。モノがモノだけに宅配とはいかず。春の叙勲の栄に浴された二人への伝達式にお招きをいただいた。

およそ一年前。受章後の祝賀会は盛大に、発起人の労は厭わぬ、と告げて以来、一年ぶりの着信に間柄が窺い知れ。「おい、今朝の新聞を見たか」との相手に「貴殿ほどヒマではない」と押し返せるほど地盤は盤石ならず。何か区の話題でも、と水を向ければ、「町会長のTさんが叙勲を受章されとる、電話を入れれば喜ぶだろう」との御助言に一報を入れただけなのだけれどもこれが大変に喜ばれて。

後日、「先生には一番に御電話いただき」との御礼。そこまではよくある話なれど、それが伝達式の当日、他の町会長が居並ぶ中にあって、ちゃんと周囲に聞こえるように。そこまでが当人の狙いだとすればその深謀や恐るべし、次回は私の選挙参謀に。巷にて賞賛される気配りもそんな好意に助けられており。

会員の高齢化が進む母校の同窓会。互いの近況を知るに欠かせぬ年一回の会報。校正は「若手」とされる私の担当。寄せられる返信はがきに見る会員の声。ここ一年に多き退会希望。施設への入居を理由に次回以降は送付無用、と。何よりも読めぬ字、それが達筆なのか乱雑なのか、入力よりも判読に時間を要し。ちゃんと相手のことを考えて筆をもっとるのかね。

それに加え、その内容が政権の批判だったりすると新聞の投稿欄じゃあるまいに何も同窓会の近況欄にんな話題を持ちこまずと。ちゃんとそのままを掲載するも、読者の共感を呼ぶどころか自身の評価を自ら下げとるようなもの。その年齢にもなってそこに気付かぬとは。それではろくな友達も出来んでしょうに。

年一回にしてそんな状況なのだから月刊とあらばその手間や相当なもの。長年の歴史に幕。俳句の同人誌がまもなくの七百号を以て休刊となるそうで。自選十五句に文章を添えて提出せよとの難題。時に親バカにて子の成長を詠んだ「制服の板につきたり若葉風」を入れた。

ともに私と100kmレースを完走された二人。傘寿を迎えんとする鉄人が川の道512kmならば年齢不詳の女傑が選びし距離は1300km。四国八十八カ所の巡礼を一回で制覇することを一気通貫ならぬ「通し打ち」と呼ぶらしく。全40日の宿泊先の確保に四苦八苦。ある日など店なき山道35km、出発前に宿坊にて手渡された2個の塩おにぎりがこの世で一番美味かった、と、その手記に目を通しており。

方や、悪行三昧の日々に煩悩のカタマリである私などは俗世から抜けきれず。未踏のトレイルレースに向けて山に挑んどるのだけれども、途中に「伸び競ふ若葉減りたり八合目」と一句詠んだ。

(令和4年5月20日/2712回)

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2022年5月15日 (日)

梨園

男女平等に反する、と申してみても仮に男性ならば、いや、若い女性では、と想定すれば不都合が生じる訳で。トイレの清掃員は年増女に限る、と言わば偏見か。庁内のいい話相手だったはずなのだけれども最近は見かけず、もしや。

結核を患いし病人の着衣の洗濯、それも年頃の娘とあらば尚更のこと。躊躇して店を出たものの、脳裏よぎるは身を寄せし叔母の小言。選んでおれぬ、と踵を返して再び店に。その口や半年前の求人なれど仕事が仕事だけに未だ働き手が見つからぬ可能性とて、と渡されし地図を頼りに辿り着くは立派な御屋敷。

病床に伏した若旦那も見事に回復を遂げ。家元の女中なる新たな求人に群がる志願者の中にあって当人だけは半年前の求人、つまりは「病衣の洗濯」と誤解して臨む面接。そんな覚悟と偶然に「符牒が合った」と採用を手にする主人公の光乃。宮尾登美子著「きのね」の冒頭。

乙女の微妙な心理を察するは作家の資質もそれを表現するに欠かせぬは言語。この国民性を育むに島国なる地理的な理由と日本語が果たした役割は小さからず。国を侵略するに武器なくとも「言語」と「文化」さえ奪ってしまえば。アルフォンス・ドーテの「最後の授業」に見る歴史の教訓。つい最近もそんな話を聞かなんだか。

久々の視察を終えた。団体行動とあらば我を通す訳にはいかず。若手に言われるがままに同行して当日に初めて目にする項目に「イマ―ジョン教育」とあって。カタカナは好かぬと日頃申しておるではないか。聞かば、国語と道徳以外の教科は全て英語で行われるとか。シャワーに擬えたあの教材じゃあるまいに。

あくまでも全市の中で当該校の一学年一学級のみ。選抜は試験ならぬ完全な抽選。すぐ隣では通常の授業が行われており。英語か否かの違いだけで内容はほぼ同じ。子供が有するはあくまでも教育を受ける権利であって、教育を受けさせる義務は親にあり。どうせなら「バイリンガル」のほうが、と人気は分かる。

一方で気になるは教師の負担。そして、何よりも「一般」級に「特別」級などと分け隔ててはヘンな意識が生まれはせぬか。が、そんな心配は全く無用、劣等感などどこへやら。一般級とて些かも負けてはおらぬ。むしろ隣にそんな学級があることが刺激になってか授業に向き合う生徒の姿勢が積極的。教壇に立つ側とて倍の負担がかかろうと、そんな重責を担えるは冥利に尽きるとばかりに意欲的とか。

んな特別扱いは格差を助長しかねぬ、というけれども必ずしも「特別」な方に軍配が上がるとは限らず。特別級そのもの以上にそこから派生した副次的な効果こそ。大人の都合で捉えるに見落とされる子供の可能性。

そう、最近目にするマスクの話題。要不要を「真剣」に検討する大人などどこ吹く風と子供たち。大人が口を挟まずと彼らのほうが遥かに柔軟に対応しているように見えて。むしろ、大人が勝手に決めたモノサシをあてがわれるは自ら思考する機会を奪いかねず。大人がいうほど子は愚かではない。

(令和4年5月15日/2711回)

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2022年5月10日 (火)

嗅覚

スペインが誇る巨匠の最期。路面電車に轢かれたそのみすぼらしい老人がガウディとは誰も気付かなんだとか。他人様を容姿で判断してはならぬ。が、自らはそう判断「される」と思っておいて損はなく。ということで、今日はそんな外見にまつわる話から。

結果を左右するは生身の人間だけに様々な観察の機会を提供してくれる選挙。社長が応援しとる候補を落選させる訳にはいかぬ、社長の支持を得た以上は従業員とて、なんてのは幻想に過ぎず。むしろ「社長ばかりに媚びやがって」と逆効果にならぬよう。ならば、未だ忠節を重んじるあの世界はどうか。

迫りくる参院選。候補者は選挙区のみならず、全国比例の候補はまさに正念場。政党名とて有効なれど個人名を記してもらわば当選がぐっと近く。地元の行脚を請われて訪ねる師範宅。貴殿の頼みとあらば門下に、と快諾いただいて数日後、「申し訳ない」と。

見知らぬ人物の名を書いてくれとせがむ図々しさにも「わかった」とこちらの顔を立てて下さる支援者の方々、無記名である以上はバレぬはずも律儀な御仁にて。理由を聞かば、政党の支持こそ揺るがぬ、が、何といおうか、候補者の「人相」が。

写真機の台頭に脅威を抱くは画家。職を失いかねぬ危機。写真か肖像画か。女王に問われた宮廷画家カロンの返答や「陛下、写真は人を実物よりもよく見せることはありません」と。

いや、それはまだ見ぬものへの一つの材料を提供するに過ぎず、悪人面に見えて実は善人だった、なんてのはよくある話。ましてや、あの団体の推薦候補とあらば、性格とて悪いはずはなく。全国区とあらば実際に会えぬことも往々にして写真位は、と。

今や着色は自由自在。少しでも若く、寡黙な印象を払拭せん、気さくさを演出しよう、と様々な思惑が交錯した結果か、言われてみれば確かに「作り過ぎ」感がしないでもなく。が、んな話はそこに限らず。区内に貼られた数少ないポスターは前回の写真なれど、更に少ない立て看板の顔写真は初陣時のもの、ってことはあれから二十年。「詐欺」の被害届けが多く寄せられ、夜な夜な更新に追われており。

そう、GW中のアルテリッカも閉幕。どこぞの区長がついでに立ち寄りし会場の裏山にて自然薯を掘り当て、喜び勇んで帰路につかれた、と求めておらぬ報告、というか「タレコミ」が届き。その意図を考えあぐねているのだけれども。

目撃されし背中のリュックサックはどう転んでも「ついで」に見えぬ。んな不格好では上品な区のイメージを汚してはおるまいか。不審者に間違えられて身柄拘束が区長だったなんて等々。信憑性とて疑わしき一通のメールに下手な疑惑は問うだけ野暮ってもんで、自然薯を掘りあてるその「鋭い」嗅覚を仕事にも生かされんことを。

(令和4年5月10日/2710回)

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2022年5月 5日 (木)

泪橋

番組の延期に寄せられる賛否。あの忌まわしき事故を連想しかねぬ、いわゆる社会的な「配慮」というものらしく。と申しても実際に放映されとらん訳で、まだ見ぬものを巡って騒ぐに別な意図がありはせぬか、なんて。

中には不快感を抱く視聴者とているやもしれず、が、それをいわば連日のあの報道とて悲しみ癒すに程遠く。見る見ぬの判断は当人の選択に委ねられている以上は何もそこまで、とは言い過ぎか。悲しき死はそこのみにあらず、そこを酌むなら日々喪に服するが如き、「中止」ならぬ「延期」、話題になればかえって次回の視聴率も、なんてことは。随分と意地悪が過ぎた。

人生にやぶれ、生活につかれはて、ドヤ街に流れてきた人間たちがなみだで渡る悲しい橋。いつかこの橋を逆に渡ろうじゃないかと、橋のたもとにジムを構えた意味を説く隻眼のトレーナー。漫画「あしたのジョー」の一場面。過酷さなくして結果なく、最後は体力以上に気力が勝る、との根性論を信奉しとる一人にて。

昨今はプロスポーツの世界などでも故障の原因は年齢以上に酷使による疲労と実証されつつあって。何もがむしゃらに走るだけが結果を生むものになく、いかに故障を抑えるか、回復効果を高めるか、そこを意識すれば生涯現役も夢ならず、とか。

とりわけ、持久系の種目においては顕著だそうで、高まるマラソン人気。いまや、ウルトラやトレイルに挑戦している年齢層や二十代に留まらず。年齢は二の次、若いヤツなんぞに負けておれん、と挑みし前回は653人中162位の成績。もうまもなく50歳ですぞ。が、まだまだ上が。

そう、今年も「日本縦断『川の道』フットレース(東京~新潟513km)」が繰り広げられていて、自ら有する最高齢の記録を塗り替えんと鉄人が挑んでおられ。その壮絶な手記が届いた。

残念ながら途中棄権となりました。走行距離は約250km、群馬県の下仁田から長い峠を越えて、長野県の佐久市に入ったところで、中間の休憩ポイントである小諸キャッスルホテルまであと12km程の地点でした。前夜の休憩ポイントである秩父・両神荘を昨夜23時に出てからほぼ一昼夜走歩してきたので、もうくたくたでした。制限時間(5/2 24時00分)までは2時間程あったものの、残り2時間で12キロを走る体力は残っていませんでした。この間、2回の転倒による怪我も気になることもあって、今回の挑戦はこれまでと、潔く諦めました。チャンスがあれば、再度挑戦したいと思っています。

当人の年齢は喜寿以上、傘寿未満だったはずで。80歳で250kmを走る、いや、それ以上に途中棄権にも懲りずに次回「も」513kmに挑戦せんとする気概が若さの秘訣か。ちなみに鉄人が本格的にランを始めたのは会社の退職後というから歴だけは私のほうが。

(令和4年5月5日/2709回)

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