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2022年3月

2022年3月30日 (水)

解散

久々に訪ねた旧家に笑顔で迎えていただいた。父君の急逝に若くして家業を継いだ御子息も一家の大黒柱として立派に役目を果たしておられ。当時どことなく残ったあどけなさも今やすっかり精悍な顔、というか、父君に似てきたな。

子が孫が曾孫が爺の焼き置きし炭を使はむ納屋に積みおく、とは御当地にて詠まれた句。良炭と養蚕に栄えた村に押し寄せる都市化の波。営農か宅地化か迫られる判断。ほとんどが山林。開墾の意欲あれどそれを許さぬ土地の形状。駅まで徒歩圏内とあらば宅地化にひと財産を目論んでも。その決断が左右する将来、まさに子や孫も。「覚悟のいる選択」だったと回顧録に見かけた。

市政広しといえども在職二十年にも及べば何かしら関与しているもの。が、さすがに昭和五十二年とあらば。解散できぬはやむにやまれぬ理由があったから。長年の懸案に幕を下さんと奔走された委員長の功績や小さからず。

組合の設立、鍬入れの当時などは安からぬ公費が投入され、そこに市議が絡んだことは容易に察するも、解散時に「たまたま」その役職だったというだけで来賓席に座るというのは何とも複雑な心境。組合は解散となれど河川の護岸改修に道路の拡幅と継続した支援を、と求めた委員長に「残された宿題をしっかりやります」と呼応した部長とてあと数日で退職を迎える訳で。

いや、部長とて何も好んで出席しとるものになく。招待状に欠席は失礼との判断に、そこは行政の連続性なるもので、あくまでも個人ならぬ「市」として宿題の完遂するとの意を示したものに他ならず。ならば市議は。そ、そう、役所の監督役だから空手形にならぬよう証人として云々、と勝手に納得して図々しくも記念撮影に応じてしまった。黒川東土地改良事業共同施工解散式。

作る喜びから売れる喜びへ。開店前の朝は荷を届ける地元農家の声に沸く大型農産物直売所「セレサモス」。農家の生産意欲の向上に大きく寄与すれど、搬入される農産物の品質は様々。直売所ならではの農家自慢の一品の一方、粗悪品とはいわぬまでも、さすがにこれは、との品もあるらしく、そこに見てとる生産者の意識の違い。

いや、何も一級品にあらずとも、天の恵みとあらば捨てるに惜しい等々の言い分、いづれも地元農家の産物とあらば新鮮には違いなく。店頭の陳列時に貼られる生産者の氏名に値段とて自らの判断で。とすると選択は消費者に委ねられ、とは申せど、さすがに著しく劣っては店全体の評判を左右しかねぬ、と設けられる基準の徹底を図るべく派遣されるは検査員。

それだけの荷を集めるは農協の底力なれど出荷者は組合員、つまりは株主というか出資者となる訳で。頼まれて出荷しとるのに門前払いなど。搬入口の門番と出荷者は互いに顔見知りとあらば尚更のこと。それでも店舗の販売は好調とか。

(令和4年3月30日/2702回)

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2022年3月25日 (金)

石橋

海老で鯛を釣らんとの意図など。多分に「義理」と知るも悩む返礼品。「座替えのわくわく感や春来たる」と一句添えて。そう、ホワイトデーの話。

人事異動の季節。会期中に露呈すれば何かと工作が行われかねぬ、との警戒心か、内示の発令は閉幕日。輪をかけてそこに狙いすましたかの如く迎える解禁日。が、そこは石橋を叩いて渡るが役人ってもので。

昨年なども定年を迎えるM局長の送別会を催さんと打診するも首肯せぬ本人。酒席とあらば予期せぬ失態なんてのもなきにしもあらず。とすると、それまでの苦労が水の泡になりかねぬ。いや、それで後世に名を残せるならば退職金など惜しくはあるまい、と告げれど一笑に付され。まんまと逃げ切り勝ちを許してしまった。そもそもに当人は下戸だったはずなのだけれども。

局長とあらば引く手あまた、でもないか。部長や課長、そして万年係長といえど、どこからも声がかからんというのは何とも寂しい。かつて、キャラが立ちすぎて昇進し損ねた課長の退職に一席を企画したことがあり。

いえいえ、我々公務員は誤解されかねぬ行動は厳に慎まねばならぬ、が、折角の誘いゆえこのたびだけは厚意に甘えるもくれぐれも職場には内緒で、との返答に極秘裏に進めたつもりが。肝心なことを聞き忘れた、と当日の午後に電話をすれば、応対するは部下らしき相手。「今夜は課長が御世話になるそうで。上機嫌でしたよ」と。課長の理由がよく分かった。

冗談はさておき。「石橋」をモットーとする役人が示した「今年度内に必ず」との方針が反故、いや、結論が得られぬとあらばよほどの事情があると察するが妥当。難航が予想されるはミュージアムのみにあらず。常任委員会にて「中央卸売市場北部市場の機能更新に向けた検討」なる報告を受けた。

そこに明確な理由があれば非は咎めぬゆえ、との甘い囁きに本音を吐露した途端に態度が豹変、というのは取調室のみにあらず。岐路に立つ市場。将来的な需要が見えぬというのがその理由とされ。先が見えぬはどこも同じ。数字など作文に過ぎず、適当とはいわぬ、そこに何らかの根拠を添えて整然と示す、あとは目標に向けて現実を合わせていくしかあるまいに。

いや、作れぬはずはなく、ならば真の理由やいかに。押し寄せる民営化の波、現状の直営を維持すべきか否か。虎視眈々とそこに参入狙う連中がいないとも限らず、かのサウンド調査を実施したなんてのはその為の布石にあるまいか、との憶測。まずは直営という選択肢を排除してから交渉を有利に進めんと、外堀を埋めるは定石にてまさに狙われる市場に問われる役人の器量。

直営が腐敗する原因はそれを脅かす存在がないからであって、それは民とて同じ。殿様商売というか健全な競争が働かねば官民問わず組織は肥大化、腐敗するが世の常。そこに監督役として果たすべき議会の役目があり。

所詮は人件費位なものであとは直営といえどもやれば何とか。民営化の切り札とされた指定管理者制度とて新規ならばまだしも既存の施設とあらばそこに従事する職員を他に異動させた上で新たな支出が生じるのだから全体として見ればどうか。

まぁ、民に委ねられかねぬ、との危機感が直営にとっても大事な訳で。

(令和4年3月25日/2701回

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2022年3月20日 (日)

別館

馬耳東風、とは大袈裟か。当初のそっけない対応も一変、市議が添えた一言の効果は抜群だったらしく。その後も本当によく対応して下さる、とMさん。「あの日」に骨折したのはYセンセイのみならず。

かかりつけ医への途中の坂道にて転倒、右手首を骨折。御年配とあれば回復遅く、ようやく固定具が外れた、と御令嬢。母君の見舞に訪ねた御宅にて小さな花瓶に飾られる蕗の花。鍋を振るがリハビリだそうで、御礼に、といただいた蕗味噌が最高に旨かった。

さて、少し前のコラムにカタカナの氾濫を取りあげておられ。インフォームド・コンセントにクォリティ・オブ・ライフが典型例、舶来のまま安直に使用するとその概念が何となく理解できた錯覚に陥り云々と。週刊新潮に連載の里見先生のコラム。井の中の蛙、ならぬ「医」の中の蛙。

本市が誇る、いや、誇った市民ミュージアムは数年前の台風に地下の収蔵品が水浸し。何故に地下なんぞにそんな大切な品々を。そんな事態は想定外、と今も修復が続く。閉館を余儀なくされて再建の方向が示されるもその先が見えず。ヒントを得んと方々の美術館を物色しているのだけれども作品ばかりに目が向いて。

それをハコモノと呼ぶか否かは別にして市の看板を背負う以上は外観とて、と依頼されるは高名な建築家。一方で伸びぬ入館者数に日々の収支は芳しくなく。切り札とされた民間活用、指定管理者制度を直営に戻すとか。

芸術とはかくなるもの、と当然が如く埋め合わされるモデルも昨今の世にあって巷の理解を得られる可能性やいかほどか。ましてや首都圏において名だたる美術館がひしめく中にあって本市が「自前」「単独」で勝算を見出すなど。ならば、どこぞの遊園地、テーマパークが如くフランチャイズなんてのは。

かつて鉄鋼と造船に誇った栄華もどこへやら。凋落の一途を辿る工業都市に新たな観光資源を、スペインのビルバオに建造された歪な建物は米国に本拠を有する美術館の別館だそうで。世間の耳目を集めるに奏功すれど実際の収益や採算などはどうか。かつて名古屋市が誘致した別館のその後を見れば。

いや、何も勝者に便乗せずと、全国を見渡せば本市以上に存続の危機に瀕しとる地方の美術館は少なからず、美術館の目的や人を幸せにすること、コラボとて。

何も相手は玄人のみにあらず、本物ならぬ陶板の複製画が話題を呼ぶ大塚国際美術館。わざわざ出向くに惜しまれる手間。ならば「いつでも」「どこでも」と「仮想」に活路を見出さんとするIJC美術館。最近届いた児童作品展の図録に子供たちの作品を鑑賞しつつ、アレコレと勝手に想像を。

およそこの手の話は「外部有識者」なるエラいセンセイ方を含む検討委員会にて話が進むこと往々にして、門外漢は口を挟むな、との権威こそが障壁だったりもするのだけれども、「ミュージアム」は美術館のみにあらず、博物館とて。となるとその道の権威とて二手に。安からぬ投資を伴うものだけに。

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(令和4年3月20日/2700回)

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2022年3月15日 (火)

駐禁

高齢の母を送迎せんとするに手間取って車に貼られた「駐禁」。ほんの数分、それも御自宅前とあって憤懣やるかたなき様子。いや、ほんの数分などと申しても、実際は数十分であること往々。小さな綻び見逃さばいづれ、との言い分は分からんでもないのだけれども割に合わぬ反則金を課される以上はイエローカードがあって然るべきで、さすがに一発退場は。まぁ試合にもレッドカードなんてのもあるからナ。

都市部に見る在宅介護の需要。特別な許可証の発行権限を有するはあちらにて。見て見ぬフリとはいわぬが、もっと汗をかくべし、とAセンセイの質疑に聞いた。なかなかいい質問をしとるじゃないか。私より期数は上?ならば当然か。世にその位は大目に、との事例は少なからず。

見渡せば目立つ遊休農地に違反転用。その一角に瀟洒なパティスリーなど御当地の魅力向上に大いに貢献しているようにしか見えぬ。準備万全、あとは開店を待つばかり。そんな折、突如現れたイカツイ面々。どこぞの用心棒がみかじめ料でもせしめに。どう見ても役人には見えなんだ、と店主。

これのどこが農業用倉庫なんだ、と難癖、いや、実際に書類上はそうなっていたのだそうで。すぐに申請し直して。いや、解体後の申請しか受け付けぬ、と市側。ちゃんと非は認めとるし、是正勧告に従わねばならぬ、と知るも、完成形のモノは同じなのだから何もそこまで、と宥めれど。たとえ市議の口利きがあろうともまかりならん、と寸分譲らぬ相手。

ならば、他の違反転用とて時効とは言わせぬ、同様に是正命じて然るべき。隣が許されるなら自らも、ってのは勝手な理屈と知りつつも。些か誇張が過ぎたが、そんなすったもんだがあって。そう、土地利用に厳しい制限が課せられた農業振興地域の話。当初からキチンと申請しておれば、とは役所の言い分なれど、他市との間に差異が生じる認可基準。なぜか。

その存在を知るは地元の陳情、私道といえど既に公道のようなもの。市に寄付を申し出るに拒まれる理由や「要綱」に含まれぬ、と。そりゃたまたま土地の形状がそうなっとるだけで多くの方が半ば公道として利用しとることに変わりなく。階段を認めぬ理由やどこに、と詰問すれば、過去に前例がない。

んな、アホな話があるか、と改正「させた」。もう十年以上も前の話ですが。そう、制度の大枠を定めた条例こそ議決の対象となれど、施行時の細則となる要綱は役人が勝手に定めるゆえ知らぬ間に、ということ少なからず。

ならば、今回はどうか。明文化された基準なくも、そこは他市と同じと認識している、との答弁。そりゃ勝手な思い込みで、明文化されていないということは勝手な解釈が成り立つということではあるまいか、と迫れば、社会情勢等により変化する中にあって弾力的な運用を図る為に「あえて」明文化しておらぬ、と局長。

確かに、中にはがんじがらめにせぬほうが好都合な時もあるから、そこはよしなに。まぁそのへんは相手も分かっているはずなのだけれども、今回ばかりは他への示しがつかぬということらしく。くれぐれも権限を勘違いせぬよう、と質疑を終えた。

(令和4年3月15日/2699回)

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2022年3月10日 (木)

三日

歴史の分水嶺、天下三分の計を決定づけた赤壁の戦い。呉を平らげんとの魏の野望に割れる重臣。開戦か降伏か。開戦を決断させるべく単身乗り込んだ孔明の大論陣に国の命運を託されるは紅顔の美周郎との異名有する知将、周瑜。ここまま劉備のもとに帰さばいづれ呉国の脅威となりかねぬ。失敗にかこつけて、と抱かれる殺意。

水上戦に欠かせぬ矢。十万の矢の調達を命ぜられる孔明。鍛冶屋に材料は幾らでも融通するゆえ十日で何とか、との難題に相手の意図を見て取る孔明の返答や「十日はいらぬ。三日もあれば」。三国志オタクですから。

序二段、幕下、結びは横綱。研究日と称した稽古日が三日。その後に迎える本戦は四日間。千秋楽は幕内のみ、結びの一番は大関以上に限る、なんて決まりはないのだけれども。後陣を占めるはベテラン勢。相撲の番付じゃあるまいに。発言の順序と内容の優劣に相関性なく。大物感を演出せんとの野心などとうの昔に捨てており。

埋まらぬ初日。そこには露払い、幕下扱いされかねぬ、いや、それ以上に準備の時間が足りぬ、というのがその言い分。「間に合わぬ」など見方変えれば自らの無能ぶりを公言するようなもので、三日で出来ねば十日でも。独占欲が強き御仁に運は味方せぬ。何よりも欲張っていては運の入り込む余地はないではないか。

譲れるものは何でも譲る、身を軽くしておくことこそ。元々の器量が小さいからそうでもせねば、いや、単に主体性が無いだけか。まぁ、んなことはどうでもいいのだけれども「初日」の「先発」、いわゆるポールポジションに名乗りを上げて臨むは予算審査特別委員会。

仙人が如き風貌も子供たちに慕われる姿に見て取る本人の適性。役人人生、流転の末に辿り着いた結論、余生はそこに身を投ぜんと。それを天下りと呼ぶかは別にしてそんな施設長の熱意にほだされて立った質問台。残された会議録(平成28年第4回定例会-12月21日-09号)に振り返る過去。

そう、手渡された要望書を片手に施設長の熱意そのままの直談判に臨んで示される返答や「いづれ」。おい、それっぽっちではこちらの顔が立たぬ。少なくとも「やる」方向性位は示してもらわねば、と求めた結果がその内容。一応、やりそうな気配が窺い知れるけど。まだか、まだか、矢の催促は逆効果になりかねず。

昨今なんぞは資産マネジメントに施設の長寿命化などと施設の更新への予算的措置はシブく。そんな時代の波に埋没してしまったかもしれぬ。あれから五年。手元の予算書に見る関連予算。のみならず、冒頭の施政方針に明言されるは川崎授産学園の再編整備。

複合化の文字こそないものの、生活介護、短期入所事業等の定員増に敷地の有効活用による無駄なき移設計画。地域交流を図らんと地元の篤志家が残した天体望遠鏡も残されるとか。五億円では些か少額にあるまいか。いや、完成は令和七年度の予定、あくまでも初年度分だそうで。

「よくぞ、でかした。さぞ、かの施設長も喜んどるに違いない。これでようやく遺言どおりに」、と言いかけて遮る相手。「まだ、御健在、というか、施設長のまま」と。

(令和4年3月10日/2698回)

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2022年3月 5日 (土)

社史

そんなことでもない限りは足を向けることも。本市図書館の司書が全国版に、と聞いて全四回の連載を図書館にて立ち読み。正式には「県立」川崎図書館というのだけれども本市の宣伝に一役買うに変わりなく。屈指の蔵書を誇る社史に全国から問い合わせが絶えぬとか。目下、減った会合の時間を埋めるべくアレコレと。

戒律とあらば抗いがたく、制約される自由。肌の露出は御法度とあらば疑似の世界にて愉悦に浸らんとする需要までは分かった。されど、アバターだ、メタバースだ、ドラクエの呪文にしか聞こえぬ。知人の経営者との話題がそちらに及び。何やらスゴい世界が待っているということらしいのだけど。

宗教上の理由に制約されるは衣装のみにあらず。本人の選択権なき結婚など。いや、これがその後も意外と、との研究結果。婚後に気付く相手の魅力。恋愛婚などその時が沸点のようなものにて昨今の離婚件数に見る婚後の満足度。

十分な説明を果たした上で患者の同意を。重要な医療方針の決定に本人や家族の判断が優先される時代の変化。その背景には選択の自由を剥奪されることへの抵抗、選択を許されていれば救えたかもしれぬとの後悔、医師側とて最善の判断を下したはずも難癖をつけられる位ならばいっそ放棄したほうが、なんて。が、選択と責任は表裏にて逆に尾を引くことも少なからず、時に医師に判断を委ねたほうがその後の苦痛を減らせることも。軽からぬ選択の代償。

一枚の板にしがみつく二人、どちらかが手放さなければ二人とも溺死は免れぬ、とは知られたカルネアデスの命題なれど、人生は選択の連続。餌等に何一つ不自由なき園内の動物はなぜ野生に比べて寿命が短いのか等々。世にも奇妙な現象を「選択」に絡めて解説するは白熱教室にて名を馳せたシーナ・アイエンガー教授の著書「選択の科学」。

コンテナ一つ分の資料がこの小さな端末の中に、と聞こえはいいけど。印刷に配布、省ける手間と時間は働き方改革に資する、か否か。これ幸いと次々に送られてくる資料に足りぬ容量。配布された端末の更新期が迫るとか。

任期が四年なのだからそこを基準とすべし。いや、四年では足りぬ、五年でどうか。そりゃあくまでも時間軸にて容量にあらず。たった一つの資料の為に五年分の保存は必要か。ならば、配布する情報を選別すれば。さりとて、重要か否か、選別の主や誰か。いづれも「重要」との解釈のもとに送られてくる訳で。

端末の値段とて安からず、どうせ大半は見もせぬのだから一年もあれば十分にあるまいか。いや、私などは豚に真珠な訳で「あらず」とも、そりゃ違うか。使用頻度に見る個人差。そう、一律にせんとするから不都合が生じるのであって個々に応じて。いや、中には不平等などと気炎を上げる奴がいないとも限らず。

解なき議題に尽きぬ議論。費やす時間は無駄とは言わぬが。その後にアレコレと悩む位ならば時に「あてがわれる」という選択肢こそ。

(令和4年3月5日/2697回)

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