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2021年10月

2021年10月30日 (土)

女心

兵どもが夢の跡。神棚の枯れた榊と高く積まれた段ボールというのが共通項。それだけはまかりならん、が、頒布するにも足りぬ人手。金銭で解決図らんとするに課せられた厳しい制約。およそ過去の容疑の大半は運動員買収。

表向き無償とされた相手に支払われし報酬。ほとぼり冷めたら後で必ず、との口約束に。無償か否か、見ればおよそ見当が付くもので。ゆえに地元の熱心な支援者こそ貴重な戦力。人海戦術にて無償兵を募れど年齢的に。となると市議というのはまことに都合よき存在として浮上するらしく。

ということで、次なる指令はポスティング。労は厭わぬ、が、何よりもあの御仁が表紙を飾る政策パンフは一冊が重く、一回につき五十部が限度。補充するにも戻らねばならず、何度往復したんだろう。

畑仕事の支援者を無視する訳にもいかず、道ゆく支援者に声をかけられ、「父が自宅におりますのでどうぞ顔でも」-「いや、あの父君が御相手とあらばそれで一日が終わってしまいますゆえ」と非礼を詫びつつ。

急転直下の決断に奇襲されるは野党のみならず。割増の目標は選挙が来月と踏んだから。そこに歩いた距離を加算してくれれば相当に「稼げた」、いや、実際に「アリ」なのだけど、経路や直線にあらず、万歩計にGPSなどスマホ機能が使いこなせぬだけの話。

〆切に重なるは投票日。運動は前日までにてその一日に「賭ける」選択肢もあれど、夏休みの宿題じゃあるまいに、天気とて先は読めぬ。夜な夜な地道に積み上げし距離は達成目前。が、あとは余裕、と思うその油断こそ命取り。

「過半数超える勢い」の見出しの影響やいかに。過ぎてはならぬ、との抑制効果か、勝ち馬に乗れの追い風か。評論家の解説はいづれも結果を見ての後付けにて。情勢分析は欠かせぬ。接戦と知らば投入の甲斐あれど、届かぬならば他に回した方が全体の勝算は高まる、という非情な世界。最終日の大物投入は善戦の証、というか「接戦」というのが。

相手との差は何ポイントなどと調査結果に振り回される陣営。購入した株価に一喜一憂する初心者が如き。移ろいやすきは女心と秋の空。人の心など、んな正確に読める訳がなかろうに、と一笑に付すは尚早、昨今の結果見るに侮れぬその精度。

終盤戦ともなれば満身創痍。不手際に叱責されるは秘書の役目と知れど、それが負の空気を充満させては逆効果。必死さは分からんでもないが、緩急なくば息が詰まる。「北風と太陽」に学ぶべし。加勢に来たのに誰もおらぬ、なんてことに目くじら立てるは昔の話。そんな不測の事態に備えてポケットに忍ばせるは一冊の文庫。

自伝なるものは当人に都合よき過去を綴ったものにて話半分、との認識もどこへやら。「一人物の生涯の物語は、やたら編集者が手を入れるべきにあらず。情熱は勿論、誇張さえも物語の一部として読者は受け入れるべき」と序文の解説にあって。「明るい性格は財産よりも尊いもの」と文中に見かけた。鉄鋼王アンドリュー・カーネギー自伝。

(令和3年10月30日/2674回)

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2021年10月25日 (月)

比例

中三の公民の授業に学ぶは「政治の仕組み」にて今回の選挙が格好の教材になっとるとか。どれほど勉学に励もうとも届かぬ試験、人に書いてもらってなんぼの世界、落選の候補が返り咲くなど。

小選挙区比例代表並立制というのだけれども枠一つとあらば広く浸透した大政党に有利であって、単独では小選挙区に届かぬまでもそれなりの支持層を確保する政党の参画に寄与。が、何よりもおらが副大臣などそこに「何度」も救われており、制度なくばとうの昔に。つまりは善戦むなしく比例に甘んずること三度にして三度目の正直ならぬ四度目の、などと揶揄されとる位だから。

さりとて、そこに「復活」の目アリと知るに最後まで必死になる訳で、相手とて手を抜けぬし、盤石の地盤に圧勝の候補とて大差をつければ相手候補を蹴落とせるばかりか、得た得票に他の選挙区の同志を救える余地も生まれ。有権者の皆様の関心を最後まで惹き続けることこそ選挙の醍醐味にあるまいか。

小選挙区とて「微妙」というに副大臣の公務をこなしつつの選挙戦、まずは足場固めこそ。いや、千載一遇、ようやく回ってきた役職なのだからここぞと地元の為に働いて貰わねばならぬ。私とて本部長「代行」などと分からぬ肩書を背負わされ、と、動機はいつも不純、というか後ろ向き。

何もスーツ姿の応援弁士だけが役目にあらず、公営掲示板へのポスター貼りに選挙カーの助手席ならぬ運転手、留守役まで一人二役どころか、三つ、四つも厭わず。人手不足とあらば遠慮無用と告げるも依頼なく、夕刻の駅頭に加勢せんと駆け付ければ運動員が飽和状態、つまりは腕章の数が不足しとるゆえ手薄になる午後八時以降にぜひと出直し求められ。つむじを曲げずにちゃんと。

こんな時こそ、いや、こんな時くらいは立たねば巷の様子が窺い知れぬ。選挙権なき小学生や女子高生の声援に元気を貰うも、世の中、そんな方々ばかりにあらず、明らかな嫌がらせとて。そこまでイヤなら自ら投票せねばいいだけの話で、「互い」に不快な想いなどせずとも。

話せば分かる、などというのは幻想に過ぎず、意図的である以上、相手にせぬ、無視こそ最善と知るも相手を追いかけて必死に口説いとるおらが候補の姿勢に教わること少なからず。もしや、想いは通じるやもしれぬ、何よりもその飽くなき執念こそが。

そう、選挙といえど陳情は待ってくれぬ。合間にこんな相談をいただいた。認知症の奥様を施設に入居させて数年。が、あの日以降、面会が叶わぬ日々が続き。施設側の懸念は分かる、されど、会えぬが二年間、それも「市の指導」云々と告げられるに話がこちらに回ってくる訳で。

些か話が大袈裟な気がせんでもないが、聞いてみねば事実は分からぬ。そんな指導がされとるならば是正を求めねばならぬし、単に口実に使われとる可能性とて。で、結論申さば、目下、面会に関する指針は国と県による通達がなされており、その内容を踏まえた判断を施設側に委ねている、されど、同様の相談少なからず。

その背景には身内を入居させとる以上、当事者同士の話はしにくく、市が仲介を果たす中に実現が図れることも。ぜひ、御相談を、と市の担当課。

(令和3年10月25日/2673回)

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2021年10月20日 (水)

水没

寒さは着衣にしのげども暑さは脱ぐに限度あり。冷房を巡る騒動は今回に限らず。夕刻に立ち寄りし会派の控室。算出の定義や知らぬ、が、不快指数が高いとはこのような状態を指すのではあるまいか。

「外」の気温が基準を下回ることがその理由というけれども侮れぬはパソコン含むOA機器の放出熱、ビル群に囲まれた古建物とあらば窓を開けても風は通らぬし。今どきの製品との差は歴然、非効率な上に電気代とて。まずは足下から見直すべきながら新庁舎までの辛抱か。

温暖化による海面上昇にどこぞの島が水没する、という衝撃的な話は子供の記憶に深く刻まれ。あれから数十年、未だ水没の話を聞かぬ不思議。それを目標に世の技術革新が進み、効率性が高まるは歓迎すべきことなれど、排出権云々などと一方的に不利益を被るは看過できず。

温暖化の原因や温室効果ガスによるオゾン層の破壊、温室効果ガスの代表とされる二酸化炭素の削減、つまりは脱炭素こそが目指す道、と悪玉論が横行するも植物の光合成に不可欠なのだから何もそこまで。

太古の昔より地震と噴火を繰り返してきたのが地球の歴史であって、ほんのこの数十年の変化に「異常」などと大袈裟に反応するに別な意図がありはせぬかと。天変地異は神の啓示、などと贖罪の意識を抱かせるは悪徳の手口でもあり、欺瞞とて少なからぬ分野、ではないか。

目下、焼却場の排熱を利用した売電に十億円の収入を得ており、「詳細は再選後」というありがちな例なれど、新会社を設立して電力分野への本格的な参入を狙う、という公約が含まれるとか。ごみを減らさば焼却場の数とて減らせる、と実際に一つ減らした実績。政令市では最も少ない排出量は市民の皆様の意識が高い証拠か。

炉に入れる際のごみの成分構成が重要であってそれなりに混在したほうがいい役割を果たす、といつぞやに聞いたレジ袋。有料化などと誇ってみても未だ家庭ごみの大半はレジ袋に入れられとる現実を見るにやはりその使い勝手は他の代用を許さぬのではあるまいか。たとえ数円といえど新たな負担に拒んでみたものの、結局はどこぞの店でまとめて購入していたりもして。

あくまでも「節約」なるものの啓発にこそ寄与すれど実際の効果としてはどうか。あの当時とてそんな風潮があった。割り箸の使用は森林伐採、木を伐るにどことなく抱く罪悪感、何も無駄に消費する必要こそないものの、清潔感はあるし、間伐材の再利用とあらばそこまで悪者にされずとも。節約の美談が説かれたり、倹約が励行されるは至極結構も過度に没頭するは思わぬ副反応を招いたりもするもので。

実際にあのレジ袋こそが勘定を終えた証であったはずで、それがなくては見分けがつかぬ。商品をそのまま外に持ち出すに気になる周囲の視線、店員に呼び止められはせぬか、などと余計な心配。ちゃんと勘定を終えたよな、と胸に手を当て。他方、気になるは万引きの被害。警察に通報するにも手間が多い割に。

(令和3年10月20日/2672回)

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2021年10月15日 (金)

出先

明日中に何とか都合を、それがいつになく沈んだ声とあらば。金銭の無心など手を出す相手が違うし、余命宣告にせよ平均寿命をとうに超えた身。奥方に御子息と相手はおれど相談できなんだと語る本人。よもや美人局なんてことは。

遺産相続の一部を提供したい、などと、世の中に、んなオイシイ話があるわけない、と知れど、「かもしれぬ」と思わせる文面に律儀な本人の性格か災いして。断るにせよ返事をせねばならぬ、ならばその内容を何とすべきと「真剣」に悩んだらしく。

無視に勝る対処法なし、同じ悩みを抱えた方や気付かずに被害に遭われた方など不憫でならぬ。そこに悩む時間こそ無駄であって寿命を縮めておりはせぬか。犯人側とてそれだけの才能あらばもっと別な分野で。

さて、本題。役所内の出世昇進を左右するは上司のみ、下の評価も加味してはどうか、と質問に聞いた。いつぞやに若手の職員からこの御仁に教わることが多いと聞いて以来、頼りにしとる副区長。就任以来、積極的な現場回りに余念なき区長の留守役として名番頭を演じておられ。

「長」が枕高く寝れるは「副」の賜物。いや、むしろそこが安定しておれば「長」など誰でも、違うか。時効、と申してもここだけの話、本来は退職する議会局長の後任として推挙すべく副議長にも賛同いただいて当時のM局長に意向を伝えていたはずも蓋を開けてみれば異動は異動でも局長ならぬ区長。それも私と副議長の区。

そこに齟齬が生じるに「ちゃんとこちらの話を聞いていたのか」と詰問すれば「ちゃんと本人には伝えました」って。本人に伝えてどうする、子供の使いじゃあるまいに。よもや自らの天下り先を斡旋しなかったことへの意趣返しだったりもして。

そんな不作為の成果、とは独善的な解釈なれど、今にしてそのへんを見回してみるに陰陽というか凹凸というか意外と悪からぬ布陣ではあるまいか、と。道路公園センターなどよろず窓口として迅速に対応いただいておるし、コロナ対応の保健所然り。未だ本庁の出先なる認識が拭えぬ感もあれど、区役所とは研鑽積むに格好の職場になりそうで、特に麻生区役所。

そう、区文化協会から会報「からむし」が届いた。表紙は区の花「群生のヤマユリ-柿生のおっ越山で-」のカラー写真。記念号とあらばやはりそうではならぬ。見開きページを飾るは大物二人の対談。方や凸ぶり目立つ話題の区長、に対する会長の前職は元市議にてこちらの年齢は伏せる。

オンナの「長」二人が区の将来を語り合っておられるのだけれども現職の市議も顔負けの内容にて。いつの間にそんな企画を。やはり長たるものは「華」がなくてはならぬ。にしても、老いを知らぬ、というか老いて益々盛んとは言葉が過ぎて。その健在ぶりと世に示すに十分。御高説を拝読させていただくによもや現役復帰などと言いださぬことを願いつつ。

そう、「副」といえばおらが代議士も新政権にて副大臣に抜擢されたとか。総裁選の論功行賞、いや、そんな肩書でも与えねば選挙が「危うい」との親心、いや、理由など何だって役職に変わりなく。祝。

(令和3年10月15日/2671回)

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2021年10月10日 (日)

鈴虫

店頭に「ひやおろし」が並ぶ頃。全国に銘酒は数あれど、清酒の発祥は大和の国と聞いて御当地の一本を愉しんでおり。神宿る岩を護りて夏木立、と一句。大自然の神秘、まさに二つに割れた岩の不思議。かつて剣豪が天狗と戦いし折に斬った、それが柳生の里と知らばさもありなんと。昨今は鬼滅岩などと聖地巡礼の名所になっているとか。

母の死を信じられぬ幼き十兵衛。温もり伝えれば生き返ると遺骸を離さぬ子に母の生まれ変わりと渡すは虫籠の鈴虫。餌の胡瓜は母の好物。そうかもしれぬと日々世話に暮れる中に知る共食いの現実。そして、最後に残った一匹とて命絶えて骸を晒す。あくまでも隠れただけであって来年にはまた土の中から顔を出して声を聴かせてくれると諭す父、宗矩。鈴虫の季節に一冊どうか。山岡荘八著「柳生宗矩」。

さて、分科会後の総括質疑。台本なき丁々発止は見るものの目を惹く。公文書偽造、最高裁判例云々と物騒な言葉が飛び交い、それが三傑の一人とあらば放っておけぬ。この際、答弁として適切か否かは横に置くにせよ、「ひとつよろしくお願いします」とはもうぼちぼちそのへんで、分かってくれよ、の意のはずが、いや、それではすまされぬ、とM君。妥協許さぬその厳しい追及こそ大いに結構なれど。

その発端は情報開示の請求。ある事案に真相を調べるべく市が保有する書類の提出を求めたものの拒まれた。ならば、と一市民として公式の公開手続きに及んだものの結論は同じ。公開出来ぬ理由を明確にせよとの言い分。情報公開か個人情報の保護か、二律背反の矛盾をいかに乗り越えるか。

どちらが正しいとは言わぬ。されど、その判断が相手の攻撃に耐えうるものであってそこに綻びが見えてはならぬ。いや、そもそもに最初の申出を拒んだ際の相手の顔色に次なる一手とその後の展開を予見できぬ当局側の甘さこそ。いや、それ以上に解せぬは。

今回の追及の矢面に立たされるは役人ならぬ民間人の委員長。監査、人事、選挙など、その独立性と公平性を担保する為、意思決定に民間人が登用されること往々にして。が、その御膳立て、つまり事務局は役所の一部にて本会議などではその実務を担う責任者として役人である事務局長が登壇しての答弁となること多く。とすると、今回の経緯やいかに。

その後に下された局内の処分に不服ということらしく、何故にそれを認めたのか、と責めるM君に対して答弁に立つ委員長の歯切れ悪く。「まぁまぁ」などと宥め役を買って出るに既に役職は追われた身、というか、仮に現職とて「見て見ぬフリ」でしょうに。官民に限らず最終的な意思決定者なのだからその判断に責任を負うべき、との理屈は分かった、されど。

それが身内である役人の「長」とあらば万事抜かりなきよう手を尽くされるも慣れぬ民間人を証言台に立たせて大の大人に恥をかかせるとは人としてどうか、人身御供ぢゃあるまいに。その判断の是非は問わぬ、が、下の役人の判断を「諾」とした寛大な委員長に対する仕打ちとしてはあまりにも酷くはあるまいか、と。あくまでも人情論ですが。

(令和3年10月10日/2670回)

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2021年10月 5日 (火)

次長

本屋の徘徊が日課に近く、次なる一冊を探すべく目を皿にして。

あの騒動は何だったのか、ブレまくる知事、暗躍する側近、錯綜する関係者の思惑、云々と「そそられる」見出しも旬が過ぎては見向かれること少なく。真相に迫らんというよりも敵の出方を知るに好教材、か。「元」東京都中央卸売市場次長の著「築地と豊洲」(都政新報社刊)。

喉元過ぎて顧みられぬ例やそれのみならず。都市封鎖と申してみても例外なき外出禁止ならぬ「一部」除外、無観客と申しても甲子園は許されど五輪が許されぬ理屈が分からぬ。とすると政争の具と解されてもやむなし。前総理などそれを理由に退陣に追い込まれたようなもんなれど、騒がれた割に着実な成果を残しておらぬか、と。

そう、一時は危険水域に異国の様子が生々しく放映されて野戦病院こそ焦眉の急と騒がれた医療体制。不運にも救えなかった命とてゼロならず。が、機に乗じて拡充を急げというけれども短兵急が過ぎては歪み生じかねず。ましてや、誰もが否定しえぬ価値観とあらば別な力学が働かぬとも限らず。

ならば、どれだけの方がたらい回しに命を落とされたか。受入拒否の理由とて満床かコロナへの恐怖か、仮に後者とするならば単なる病床の拡充では効果に乏しく。重症者の間口を広く、と申してもそこから先に回されるべき患者の滞留が生じていたとすれば広げるは入口ならぬ出口。今回などは重症者の為の病床以上に隔離的な「部屋」の不足が根幹。

軽度より重度、そして数は多いに限る、と知れど、拡充や維持するに無償にあらず。とするとビジネスホテルの転用など既存の施設を活用した暫定的な対応というのは悪からぬ選択ではなかったか。いや、病床があっても肝心の救急車が足りぬでは話にならぬ。全体としてどう機能させるか、どこに原因があったのか、等々が冷静に検証されねばならず。

救急医療とあらば言わずと「あの場面」がが連想されるから巷の耳目を集めるにも。そこに助かった命もあるやもしれぬ。が、それで命が保証されるかといえば、んなことはなく。人知及ばぬ不条理を抱えた分野にてどれほど手厚くなろうとも救えぬ命も。人が死んどるに金銭を惜しんどる場合かと迫られれば誰しもが怯む。

いや、大変薄情な物言いながら、それだけの為に恒常的な体制を維持するは非効率。非効率とは何たる言い草、との御批判は甘受するにせよ、ならば、この間のコロナ対応を理由に医師の確保がままならず手術延期に命を縮めた方への弁明やいかに。救える命は救わねばならぬし、理想と現実の乖離を埋める努力は惜しむべからず。が、理想と現実の混同が混乱に拍車をかけておるまいか。

まもなく二年、ワクチン接種のみならず「慣れ」とて随分と進んだ。これで治療薬が出回ればぐっと、減ってくれればいいのだが。

(令和3年10月5日/2669回)

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