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2021年4月

2021年4月30日 (金)

裏口

味噌か塩か、分かれる嗜好はラーメンならぬサバ定食の話。注文承るは味噌二つも既に完売にて用意されしは塩二つ。店側の不手際にて勘定は一つ分にて結構、と店長。そりゃ逆に申し訳ない、他の惣菜も買っていくよ、また来ると満足げに店を後にする客。災い転じて福と為した店長の機転。ゼロとはいかぬも相手の立場に想いを馳せらば幾ばくかの被害を抑えられたのではあるまいか。全国に誇りし大規模訓練、新年度の目玉として創設されし専門の部署、「万全」と目されたはずの施策の綻び。俗に「アヤが付いた」試合は後味悪く。

概略を記さば、接種の対象とされる市内の高齢者三十万人。うち七十五歳以上が約半分を占める。十五万人に対して用意されしは四万個。殺到する申込に為すすべなく。更なる混乱を防ぐ為に残りの十五万人への接種券の発送を遅らせざるを得なかった、との顛末。

で、当日の話。パソコンもスマホも使えぬ、ひたすらダイヤルを回す悲壮な覚悟を聞かば手を貸さんとするが人の道。そこに選挙の当落があって同時刻にスマホの画面に向き合った。コールセンターの案内に「FAX」の文字ありと聞いて、その手順や理解に苦しむもオペレーターが入力してくれるとすれば、紙一枚を直接届ければ便宜を図ってくれるに違いない、と朝から現場を訪ねて見た現実。

市の不手際は議員の怠慢との叱責に防波堤とならんとする背景には何かしらの理由がある訳で、「裏口」でも融通してくれれば見て見ぬフリだったやもしれぬ。いや、そんな不正に加担せずと鳴り止まぬ電話に必死に対応せんとする姿を見れば私とて自らの行為を恥じて高い防波堤にならんとしたやもしれぬ。が、深刻な事態に対処せん、という前に「深刻」という認識そのものが薄かった、いや、欠如していたのではあるまいか。

限られた個数という物理的な制約を超えられぬ以上はやむなし、業者への委託に騒いでも無意味、暫くすれば落ち着くに違いない、と思ったか否か。高齢者を侮るなかれ。子に孫と親子三代、いや、議長まで動員されて、そりゃ違うか。老化は生理現象、相手のまごつく判断に手間取るは想定内も苛立ち募らせつつ繰り返される呼出にネット不具合の苦情等々も流れ込めば輻輳(ふくそう)生じるは当然の帰結。「売切」と知らずしてかけ続けるはまさに徒労ばかりか無意味に回線への負荷となり。ようやく繋がれど終了の宣告に憤怒の相手とあらばむやみに受話器を置く訳にもいかず。本来の「予約」が阻害される負の連鎖。

仮にそこに権利得れずとも時を待たずして次の荷が届くと知らばそこまで血眼にはならぬ。先が見えぬ恐怖に煽られし不安。不安を払拭する情報が提供されていれば。そのへんが混乱に拍車をかけた側面は否めず。他に先駆けて実績を誇示せんと焦ったツケか慢心か。進む検証に立ち込める暗雲。迫り来るその日。この重大な局面に辞任など無責任ではあるまいか。続投に意欲を燃やす議長宛に議長経験者の面々が面会を求めているとか。

それにしてもその域に及べば達観というか心の余裕がありそうなもんなれど、生への執念恐るべし。

(令和3年4月30日/2638回)

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2021年4月25日 (日)

自立

上京を決意した息子、見送る父親が長距離トラックの運転手に手渡す茶封筒。「要らぬ」と返された封筒の中には泥の付いた一万円札。父の苦労に想いを馳せて涙する息子。架空とはいえその生き方から多くを学んだ黒板五郎の訃報に偲ばれる故人。あの泥酔などはどう見ても演技に見えぬ、俳優の田中邦衛さんが逝かれた。

恵まれぬ子らの為に、と置かれた封筒。他人のことよりもまずは自らの生活を優先すべし、と押し返せど、譲らぬ相手。とりあえず「預かる」ことで決着をみたものの、はて、どうしたものか。

手提げ付きの紙袋の原材料は読み終えた英字新聞なれどその作る手間や軽からず、売価が十円とあらば利益など見込めぬ。「作業所」や「授産」などの命名に抱く違和感。あくまでも障害者の働く場の提供、「就労」を大義名分に掲げて作られた施設にて採算は二の次。

憐憫の情の賜物ともいえようが、どうせ売れぬ、との勝手な値踏みこそが偏見ではあるまいか。逆説めいて見えるやもしれぬが、経営者にはそこが不思議に映ったに違いなく。月給1万円で障害者の自立が図れるか、「宅急便」の生みの親が創設したスワンベーカリーの挑戦が投げかけた波紋は小さからず。

かねて依頼を受けし施設を見学に訪ねた。近くに類似の施設があるはずも「あえて」選ばんとする保護者。一方の施設側、受入の対価は距離に拠らぬ、とすると送迎の手間を鑑みれば「拒む」選択もアリなれど、その期待に応えんと拒まぬ姿勢を貫く施設長。玉石混淆の福祉の世界、選ばれるにはそれなりの理由がある訳で。村八分に見る伝統文化を体現するが役所にて御上が示すはあくまでも最低水準。

義務教育が典型例。指導要領が示すは達成すべき基準。落ちこぼれを生まぬ教育こそ本分にてそこを疎かには出来ぬ。が、万が一にもそれを達成して涼顔を浮かべる余裕あるならば更に高みを目指さんとする生徒に手を貸さんとの欲があってもバチは当たらぬ。消えゆく放課後の個別指導は教諭の意欲以上に、余計なことをされては迷惑、との村社会の悪しき慣習が絡んでおるまいか、と。

リハビリに励んで介護度が改善すれど下がる報酬、上を目指さんとする施設が報われぬは理不尽、と本市が挑む健「幸」福寿プロジェクト。ニンジンをぶら下げるに賛否はあろうが、何とかせんとする意欲や悪からず、と思うけど。

癇癪とて障害児ゆえやむを得ぬと、そこに目を塞ぐは成長の機会を失いかねず。解明が進む脳のメカニズム、何も「預かる」だけが能にあらず。日々成長が見込めると知らばそれを手助けするは与えられし使命。

子供たちの成長を喜ぶは親御に限らず、携わる職員とてそこに生き甲斐を見出さば職種そのものの価値も変わるやもしれぬ。好循環を生む原動力や保護者の選択。ともに成長を目指さんとの理念を熱く語る施設長の下に研修の申出が絶えぬ、と聞いた。

(令和3年4月25日/2637回)

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2021年4月20日 (火)

横串

駄作か傑作か、割れる賛否に紛糾して暴動に。そんな場面から始まる映画「シャネル&ストラヴィンスキー」。その才能をいち早く見抜いたココ・シャネル。そんな彼女と友情を越えた恋仲に落ちていく関係に妻が痛烈な一言、「あの女と寝たの?」。「否」と申せば良心の呵責に苛まれ、「是」とすれども許される保証なく、聞かぬが仏か。

過去の履歴を追うにどうもそこに結びつけんとする作為が働いているように見えて好かぬ。さすがに「深夜」「銀座」「大人数」の三冠そろわば弁明の余地なく断罪やむなしも咎められるは軽率な行為そのものであって、そこにまん延を結び付けて糾弾するに別な意図がありはしまいかと。そもそもに四人ならばセーフで五人はアウト、どこぞの旅費規定ぢゃあるまいに一寸たりとも許さぬ、などといわれるとその矛盾をあげつらってみたくなるもので。

大人数はイカンと申しても何かしらの目安なくば判断に困る、一応の目安ということなのだろうけど、目安はあくまでも目安であって、そこに固執するに誤った認識が生まれかねず。四人ならば安心、それは単に断罪の口実を与えぬ「安心」に過ぎぬのだけれども、そんな油断が生じるはかえって危険、片やそれっぽっちのことでやかましく言われる位ならば早々に帰宅するに限る、などと負の連鎖が消費の減退に繋がったりも。

更に申せば、そこに見え隠れするはまん延を阻止せんとの正義感以上に自らの立場を守らんが為の自己保身だったりもする訳で。そんな下心は見透かされるもの。そのへん不器用な管理職は少なからず。事なかれ主義のまん延は成長を阻害する元凶ではあるまいか。

さて、本題。議長たるものはそれを超越した存在にて常任委員会への所属を免れる市議会がある、と聞いた。本市など威厳に欠ける、というか甘やかせてもらえぬ、むしろ第一線で働くべしと。行先は選ばぬ、残りもんで結構、などと大物ぶれば所属は総務委員会となった。市の職員録などもちゃんと「総務」企画局から始まる訳で、以前は第一委員会と言われた敷板高き委員会。

今年度は五年に一度の全体計画の策定が予定されておるそうで各会派の論客が集結。本当に私でいいのだろうか、と不安拭えぬままに一応の発言権を有する席を用意いただいた。初回は危機管理室による「かわさき強靭化計画」の報告。庁内における危機管理の専門部署として災害時には最前線にて指揮系統を担う、とされるも平時とて被害を軽減させるべく負わされる責任。

計画には住宅の耐震化はじめ、取り組むべき課題と目標が列挙されるも遂行する事業局は別。行財政改革とて然り、組織横断的に横串を入れて前に進めんとの下知を受けども独自の財源を持たぬ。あれやこれや口は挟むが銭は出さぬ、いや、出せぬがゆえに下手な干渉は当該局の反感を買いかねぬばかりか、進捗が捗らぬ責任やいかに、などと執拗な追及を受けたりする役回りも演じねばならず。

されど、相手を上手く説き伏せて当該局の仕事への意欲を喚起出来れば後は向こうが勝手に。んなことはないか。古来中国において弁舌巧みに各国を渡り歩く智謀の士を「縦横家」と称したとか。

(令和3年4月20日/2636回)

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2021年4月15日 (木)

酒肴

自叙伝の出版に一文を頼むとの依頼。こちらの肩書を利用して自らの権威を示さん、というよりもこちらの宣伝に一役買わんとの厚意らしく。労こそ厭わぬも表舞台は苦手、目立たぬに限る。相手は齢九十に迫らんとする御仁にていづれ忘れるに違いないと空返事をしておいたのだけれども「まだか」と督促の御電話をいただいてしまった。

不動産を生業にする雄にて何度か市との仲介に骨折るも役人に言わせれば私など介さずと十分に「手ごわい」相手だそうで、むしろ役所側の使者として当人を宥めることが多かった、と回想を盛り込んだ。ボツだナ。

こちとら吹雪の中を通いし身にて子の送迎など贅沢であって、贅沢こそ敵と拒んでみたものの、夜会の中止にヒマを持て余しておるのだからつべこべ言わずにさっさと行け、と上長ならぬ妻の命。路上を埋める塾待ち車両に今どきの子らの将来を憂いてみるもそれが時代の要請と知らば。ということで今日もそんな話。

当局が相手するは議員、その実像に幻滅するやもしれぬ、が、とるに足らぬ人物に見えても選挙の際はその名を記す為だけに何千人という有権者が投票所に足を運ぶは当人に何かしらの魅力がある訳で。詐欺かもしれぬ、いや、そうに違いない、されどそう思わせることが肝心で、この職場とて他局から行けずとも行ってみたいと思われる職場を目指そう、と檄を飛ばした甲斐あってか異動先として人気、とりわけ「女子」に、と聞いた。

「認めてくれぬか」-「認めぬ」、そんな応酬は少なからず。が、前者が局長で後者が担当とすればどうか。聞けば出張規定に距離が一キロ足りぬと。フツーはそこに働く忖度も妥協許さぬは職務に忠実なY川君。そう、役所は杓子定規をモットーとするのだから当然。往生際が悪き局長を周囲がバカだなと笑うその風通しの良さこそが局の魅力。ちなみに局長は「現」ならぬ「前」にてあしからず。

が、そんな牧歌的な職場は議会局位なものらしく。パワハラを告発する訴状というか嘆願書が届いた。そっと机にしまってみたものの既に広く出回っとるとか。当時は体罰が横行する時代、その理不尽な中に洞察力や処世術が磨かれる、と自らの半生を正当化してみても時代錯誤の価値観は今の世に通じぬ。

「どうするつもりか」と詰問されて、「副議長に任せてある」といつもの回答をしてみたものの、相方や「議長の判断待ち」などと言っておらぬと願いつつ。真相究明に着手せんと思えど主は匿名。匿名は卑怯也と一蹴するに惜しく。現行の内部通報制度では身元がバレかねぬとの懸念はまさに。

まずは自らの胸に手を当てて、などと自浄作用に淡い期待を寄せてみてもそんな御仁に限って自ら認識しておらぬばかりか相手によって豹変するから。不意打に限る、とばかりに合間を見て顔がバレぬよう庁内を行脚しておるのだけれどもまるで違う雰囲気に知る職場の事情。悪評とてちゃんと。

およそその手の話は今日に始まるにあらず。上司の悪口というのはいい酒の肴になっていたはずなのだけれども、ここに至って噴火するは機会を奪われた鬱憤も絡んではおるまいか、と。

(令和3年4月15日/2635回)

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2021年4月10日 (土)

挑戦

禁じられし行為は逆を返せばそれだけ効果的。ゆえに虎の巻など探さずと公職選挙法を入念に読み解けば自ずから為すべきことが分かる、あとは法に抵触せぬ境界をどう見極めるかだ、とはおらがセンセイ。健康を害しかねぬと知りつつもつい手が伸びるコンビニのスイーツ。やはり「禁断」とされる果実こそ格別に旨い、というか、そう思わせるもので。

相次ぐ中止にかろうじて残りしは人数制限のウルトラにトレイル位。スローペースのウルトラはまだしもトレイルは年齢的にキツい。もうやらぬ、と確かに心に誓ったはずも、禁断症状というか、大自然を駆け抜ける爽快感は他に代えがたく。未舗装の山道にて「踏ん張る」に別な筋力とそれを地面に伝える為のシューズが欠かせず、不退転の決意で...買っちゃった。

スパイクが如く突起が目立つ靴裏に厚さこそ変わらぬも固い素材は重い上に緩衝性に乏しく、着地の衝撃がモロに伝わる。トレイルに限らず、現役続けるに注意払うべきは「膝」にてその負担をいかに軽減するか。一見、容易に見える下り坂などは重力が加わる分、膝への負担は軽からず、それだけを目的にするのであれば上りに徹するが正解。

それはランの世界のみにあらず。川の流れに身を任せるも結構なれど、時に清流に立ち止まる、いや、濁流といえども逆らってみることで気づく視点もあるはず、などと退任する正副委員長相手の挨拶にて一席ぶってみたものの、どこまで響いたか。

膝の故障は衝撃に摩耗が原因と知らばいっそ走らねばいいではないか。いや、それを補完するは筋肉にて、そこが弱ければむしろ摩耗は早く、その強靭度とて個人差あり、結局は「運」次第って結論なんだけど、そんな話でよければ退屈はさせぬ。

そう、既成概念に抗った人物といえばあの御仁を忘れてはなるまい。調和とは同調ならず、ぶつかり合うこと、と。企画展「現代芸術賞」に招待いただき、作品群に触れた。来館者数は好調、とりわけ若者多く、「退館時には皆様が元気になって帰られます」との学芸員のMさんの談は偽りなき実感ではあるまいか。

天衣無縫というか型破りというか、その独特な作品も無造作に見えて葛藤を重ねた結露であることは付随する展示物が教えてくれる。あくまでも食わず嫌いを克服した帰結としてそうなるべきであって、こうあるべきという価値観の押し売り的なものに対する懐疑的な見方が出来ねば人としての成長が見込めぬ。いや、それこそが人生だ、と。

何よりもその無尽蔵ともいえるエネルギーがスゴい。何故にあの奇抜な作品群を作るに至ったか、そこに焦点を当てれば見方が変わる。絵画が性に合わねば彫刻、感受性に乏しくば活字。まさに先が見えぬこの状況下にあって人生の羅針盤というか進むべき一つの道を示してくれる著書の数々。

その道の名著とされる「今日の芸術」もいいし、当人が好んだ深紅のカバーが目立つ「毒」本もいいけど、イチオシは「岡本太郎の眼」。芸術に限らず幅広く網羅されていてとりわけ若者にはウケる一冊ではないか。いや、青春とは年齢ではない、と当人が語るように決して若者向けの本にあらず。既成概念に汚染された内なる枠を広げてくれる、というか、この年齢になっても挑戦を鼓舞される。

よし、走るぞ。

(令和3年4月10日/2634回)

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2021年4月 5日 (月)

三福

名は選べれど苗字となるとそうはいかぬ。当人の御利益にあやからん、などとは露ほどにも思わぬにせよ、七福神ならぬ三福めぐりを御存じか。その名を冠した名所旧跡、神社に美術館、最後の一つはこちらかも。

日進町といえばそちらの代名詞のようなもので。かつて、夜となれば一人で歩けぬエリアだったとか。そんなエリアに駆け込み寺を作らんと思ったか否か、押し寄せる時代の波に生まれ変わりし施設の名は「ふくふく」。

手元の原稿に複合の「複」に福祉の「福」と由来らしき記述を見かけるも、市長自らの名を冠した訳ではあるまい、とは隣の来賓。福祉に招福、何とも縁起よき一字と知るも、まぁどこにでもある苗字にて。百聞は一見に如かず、現状を改善せんと数年前に訪ねたあの施設も確かそんな名前だった。

高齢者や障害児者の在宅生活支援の推進を目標に様々な施設が同居。特別養護老人ホームに障害者支援施設、保育園に研修センター、各種の相談窓口、前身時代に一世を風靡したとされる舞踏場こそ見当たらぬまでもまさに「複」合。が、中でもひときわ目を惹いたのがこちら。

終の棲家としての役割担う福祉の要、特養の需要は依然と高く。以前は全ての施設に独自に申込んだ上に待ち時間なども個々に確認せねばならず。少なくとも申請の負担位は軽減が図れぬか、と申込の一元化が図られて。

利用サービスには介護度に応じた限度あり、同じ上限一杯ならば手間の少なき御仁を優先せん。とすると、胃ろうなど医療的処置が付随する予定者などは敬遠されがち。が、それ以上に難色示されるは聴覚障害者。

肝心の意思疎通に手話を伴わば迅速性を欠くばかりか通訳者を抱える施設側の負担や重荷にて一向に進まぬ受入。川崎市ろう者協会からの要望に報いんと一人訪ねし施設は「ななふく苑」。やはり、「ふく」だ。また、くだらん駄洒落を申してしまった。もう数年前の話なれど、ここの施設長にはアポなしにも関らず、本当に親切に対応いただいた。

老化は自然の摂理、身体的な衰えは年齢とともに重度化していくものにて手厚くなって然るべきも、変わらぬ、いや、むしろ使い勝手が悪くなるは不条理ではあるまいか。せめて、従前に利用してきたサービスをそのまま継続できぬものか、と。

一般に障害者は障害者総合支援法の枠組みの中でサービスを受けることが出来るものの、年齢が六十五歳以上とならば一般の高齢者に同じ介護保険への編入され、そこに逆転が生じるに「六十五歳の壁」とされるらしく。介護か障害か、制度の狭間に置き去りにされた方々をいかに救済するか。

縦割りの弊害と申してしまえばそれまでもそれが福祉とあらば尚更にその溝を埋めんとする視点は欠かせぬはず。いや、当の役人たちとてそれでいいとは思っておらぬはずもそれを阻むは違い過ぎる制度の根幹。

一部の例外規定こそあるものの、年齢に明確な根拠を求める介護に対して度合いに応じた支援がされる障害。リスクと捉える保険の上に利用料の一定割合、つまりは応益負担を求める介護に対して、扶助の立場から税を財源とし、利用者には応能の負担を求める障害。

あくまでも国の制度を巡る話なれど市とて対岸の火事などと涼しい顔をしていられるものではないはず。

(令和3年4月5日/2633回)

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