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2021年2月 5日 (金)

更迭

施錠せぬ方がかえって。盗まれて、いや、聞かれて不都合なく、その重厚な扉は「開放」されているのだけれども、無用心は時に珍客を招いたりもして。「おい、いるか?」と不躾な客人は無所属のM君。隣室の局長との面会に早すぎたとか。待合所として使われても。同期の桜なれど年齢は向こうがやや上、「互いに老いたな」-「いや、おぬしだけだ」-「そういえば、もうまもなくだな」と続く。くどいようだが、モノは「出さぬ」。

履き替える余裕なく部屋履きのまま応対したのだけれど足元に目が向いてか始まりしは「靴」の話。無地よりも横一本、プレーントゥよりもストレートチップこそフォーマル、いつ政府の要職に抜擢されるやもしれぬ、急ぎ参内出来るようにそれしか履かぬ、とM君。確かに主に似合わぬ上品な靴だった。いや、私なんぞは市内の危急時に駆け付けねばならんから軽くて履きやすい一足、そもそもに貴殿とは根本的な発想が違う、我は市民とともにあり、などと反論するに既に姿なく。

さて。嫁入り道具は生まれし時に植えた桐で。植樹に込めし想いは健やかな成長。市制百年が目途とされた植樹が前倒しの到達。記念すべき百万本目の苗木植えるは市長だそうで、百万と一本目だか二本目だか来賓として。土かけるのみにあらず、ちゃんと土を掘り返して。「冷たい雨の中、苗木を一本一本丁寧に植樹した」と市議会のホームページ上に記録が残る。

そう、いつぞやに植えし記憶は残るもの、植樹の主のセンセイが何かの「ついで」に立ち寄らば、その一本が不運にも枯れかけており。その翌年度に担当者が異動となりし怪は「更迭」と噂されて。そんな目的ならずも冬晴れの一日に往復四十キロは余裕、とはいえず。やはりこちらも老けたな。

そう、加瀬山といわれる丘陵地は過去の古墳群。出土品に四世紀頃の豪族と推定されており。その後、時代は下りて室町時代後期。太田道灌といえば江戸城築城の責任者なれど、当初に目をつけしがこちら。この地で白鷲に兜を持ちさられる夢に築城を断念。去った方角が江戸城、ということで夢見ヶ崎の名が付いて。

今の姿は動物園、いや、正確に申し上げれば園と呼ぶに足りぬ、外見だけは他に見劣りするゆえ「公園」を名乗っているものの、子供たちが動物たちに歓声を上げ、元気に走り回る姿を見れば、地に眠りし豪族とて。道灌の夢もさもありなんと。

そう、動物といえばその御仁を忘れてはならぬ。既に鬼籍に入られた身なれど、「博士」の愛称が似合うセンセイの解説を随分と聞いた、というか聞かされた。その貴重な文献は市議会の会議録検索にて「ブラウンキツネザル」と入力すれば一件しか該当せず。

冒頭には「短め」と通告しておきながら末尾では「長くなりましたが」と結ぶ。勿論、当人に原稿などあるはずもなく、即興であることは明らかなれど、途中、「御指摘の通り」などと答弁する局長の策謀も手伝ってか饒舌に語っておられ。昨今なんぞは、やれ客が少ない、設備が足りぬ、と。そちらばかりに目が向きがちも動物園の本質を捉えた秀逸の作ではなかろうか。

そう、昨年末、園内のラマに待望の娘が誕生したと看板に見かけた。でかしたり飼育員。

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(令和3年2月5日/2622回)

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