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2020年8月

2020年8月30日 (日)

十干

あくまで指針とされるも無視出来ぬ高い壁。大会名に御当地の名を冠せど実際は遠く離れた自宅周辺、なんて「遠隔」大会が大半を占め。やむなき措置もスポーツジムのマシンぢゃあるまいに、やはり「現地」に勝るものなく。世の同調圧力に屈せぬ、というか期待に応えんとする大会に手を挙げど既に余剰枠なく。譲渡枠のおこぼれにありついて出走権を獲得。これがフル(マラソン)以上に過酷なレースらしく目標は高ければ高いほど達成感も。

開幕前夜、九月定例会は「決算」が主。歩調合せてか計画の進捗についての報告が少なからず。目標に足りぬは数パーセントなれど人数にして約百人が不足とか。管理職の女性比率。増えるは結構なれど目標とするにどうか。達成せんが為の登用は歪みを生まぬとも限らず。道を阻む壁があるならば取り払われて然るべきも求められるは結果の平等ならぬ機会の平等。むしろ、女性軽視に該当せぬか。

かと思えば、どこぞの出資法人などは公共駐車場の提供が主な目的の一つにてその台数が目標に据えられるも民間への委託後は一定額の収入を得とるのだからその目標は意味を為さぬのではないか、なんてのも。ほぼズラリと並ぶ「乙」評価はいかにも。「甲」評価と申しても目標そのものが甘ければ当然の帰結にて逆もまた然り。問われて然るべきは目標の妥当性とともに...。

そう、こないだ読んだ一冊に「役人の妙は私見をあらわさぬ韜晦にある」なんて台詞を見かけた。そりゃ確かに「妙」には違いないのだけれども民の窮状を克服せんとする情なくば機械に同じ。昨今なんぞはそのへん不器用というか職場の関係が希薄化しがちな上に追い討ちをかけるが如く接触を断つことが推奨されとるもんだから余計に相手の本心が見えぬ。それでいてこちら側には猜疑心が勝る連中が生息しておるのだから避けようものなら...何か隠しとるナなんて不信感を生みかねず。

そこに恥ずべきことがなければ臆することなく胸襟を開いて相手の懐に飛び込む位の姿勢があっても。いや、逆の立場なら後ろから石でも...違うか。訳あって御紋外したマスク姿にて日比谷公園周辺をうろついていたのだけれども耳に届きし女性の声。「議長」との呼び声にひとまず安堵、いや、それ以上に夜の歓楽街じゃなかったことに。こちとら私用なれど向こうは国の審議会の帰りだそうで。後日、声の主から所管事務の報告をいただくことになった。

第二十一条に義務付けられし市議会への報告と年次報告書の作成。「川崎市子どもを虐待から守る条例」は超党派による議員立法にてそのへん抜かりなく。数字が物語る現実、虐待件数は社会情勢に敏感だそうで。前年度からの増加目立つは実父。背景に昨今の風潮に伴う職場事情が絡んでおらぬか、などと心配してみたり。

かねてより指摘されし縦割りの弊害。虐待の防止には中心的な役割担う児童相談所のみならず警察含む関係者との連携欠かせず、組織横断的な対応を図るに求められる管理職の資質。こちらも全項目に「乙」が並ぶも副議長の高い評価得たH室長の辣腕に期待しており。

(令和2年8月30日/2591回)

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2020年8月25日 (火)

冷房

足りぬ授業日数、異例の繰上げに生じる不都合。稼働音がする以上は故障ならず、一応の風は出とるではないか。休暇前から騒がれども一向に修繕の気配なく、保護者の批判がこちらに向いた。GIGAスクール構想などと莫大な予算を投ずる余裕あるならばまずは足元の改善こそ焦眉の急。そもそもに動くに遅く。近海に姿なくとも季節近づかば台風に備えるは常識。事態は十分に予測できたのだから点検を怠りしは危機意識の欠如、怠慢と言われてもやむなしか。

言わずと知れた繁忙期にて手が回らぬ業者から見積入手後に稟議書を作成して、などと申しているうちに峠越えれば「まっ、いいか」なんて。最近などは家電と申してもスマホの故障に同じ、手間を省いてか代替品との交換が主流とか。どこぞの庁舎が如く全館一台スイッチ一つ、一人の休日出勤如きで動かす訳にはいかぬ、それでいて、燃費は著しく悪いばかりか万が一の故障時など...。部屋冷やす原理は同じ、これを機に部分最適による快適な教室を研究してみてはどうか。が、それ以上の心配はこちら。

ガダルカナルの敗因は戦力の逐次投入、だそうで、危機管理の基本は初動時における大胆な処置とか。とすると、全国一斉休校の判断などあながち間違ってはいなかったのではないか。今後は市内各校にサーモグラフィーカメラを配備して水際防止に努めるとされていて。そこに異論なくも目立つ臨時休校。学級、学年と段階踏むは「逐次」にてまずは全校とする判断。たった一人の為に。「安全」を優先するに無難な選択肢ながらも代償は小さからず。

真夏の冷房効かぬ教室にマスク着用は拷問に近く。効能こそ誰しも認めるところなれどその状況下とあらば思わぬ副作用が生じぬとも限らず。現場の権威こそ否定せぬも課した規則が常に正しいとは限らず、盲目的な追従の生徒は不憫でならぬ。「安全」は他人様からあてがわれるものにあらず、言われるがままに従っては脳が退化しかねぬばかりか相手が結果に責任を負う保証なく。責任を問われかねぬとの懸念に自己保身が勝れば悲劇生みかねず。むしろ自らの判断と自己責任の意識を育むことこそが最善の自己防衛になりえぬか。

少し前の里見先生のコラムに医療資源の限界を超えた際に避けられぬ命の選別について救命ボートに準えたものを見かけた。全員を救わねばならぬ、さりとて、転覆下にあって求められる救出の優先順位やいかに。誰もが否定できぬ命の重要性を説きつつもその先に踏み込まずに議論を逃げるはズルい、と確かそんな話だった。そこに悩むが人としての成長ってもんでまさに今の教育界に問われるはそこ。

危機下においてデマにフェイクと錯綜する情報に翻弄される国家。未曽有の事態に叡智結集して事に当たらねばならん時に、コロナ蔓延は総理のせい、なんて稚拙な言説を公共の電波に見るも民主主義の賜物。独裁ならばそうはいかぬ。国の統治体制を巡る議論がかまびすしく。無知なる大衆は一人の賢人に従うがラクな選択かもしれぬが、やはり聡明な為政者に統治された国家より大衆の叡智に支えられた国家が勝る、その為の教育ではないか。

(令和2年8月25日/2590回)

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2020年8月20日 (木)

要職

数多ある役職の中でも要職か否かの決め手は「部屋」と「車」にあり、と永田町の元住人に聞いた。国の予算編成を前に、政令市の市長、議長が分担をして各省庁へ要請を行うようにとの下知を受けて厚労省の副大臣宛の直談判を終えた。表紙の下段に「指定都市」と記された冊子を一枚めくればズラリと並ぶ氏名の中に私のも...あった。取りまとめに奔走するは指定都市市長会と指定都市議長会。会合の回数だけ見れば軍配上がるは後者にてそのへんが意識の高さか、それとも...。

放課後の雑談に語られるは相手との関係。夫婦関係ならずと、それだけ「括られる」ことが多いのだから「仮面」と言われようとも対外的には演じて然るべきも「繕えぬ」御仁が少なくなく。こちとらあくまでも「不安定」な合議体、砂上の楼閣にいつ転んでも。いや、目の上のたんこぶ無くしては道を間違えぬとも限らず。冗談さておき、市長から秋の定例会の申入れを受けた。

老後の余生を田舎暮らしで、と前任者の隠居に伴い回ってきた鉢。母校の同窓会会報の編集を任されており。秋に予定されし総会も会場の都合にてやむなく中止も、かくなる上は会報こそが命綱と脅されて、外出自粛下とあらば例年以上に「注文」多く。

そう、いつも届くはずのモノが届かぬ、と苦情をいただいた。我等が宣伝媒体「議会かわさき」を含む市政だより等の頒布を担うは町内会。仕分けなど「密」を作りかねず、あくまでも暫定的な措置として新聞折込に変更したものの、減少の一途を辿る購読者数、従来の六割程度しか網羅できぬ上に、世にいう「知識層」とあらば不平等ではないかと。

かねてより進む高齢化、こと近年は年齢を理由に町内会の役務を辞退する方も少なくないとか。全戸配布こそ理想なれど、そこに要する安からぬ費用。ならばと回数減らすに折角の愉しみを奪われる方も居たりして。いや、それ以上に、現行における頒布の対価は補助金。献身的な善意に負う面が大にして、既得権益、という額には程遠いのだけれども安定収入を奪われることに対する抵抗もあったりして浮かび上がるそれぞれの事情。よもやソレを謳い文句に勧誘しとるもんではないはずも地区により頒布方法が違っては混乱招きかねず。

町内会といえば、会館を巡る要望少なくなく。金銭的な目星は立った、されど、難題は用地。公園用地を活用した事例を見に行くまいかとお誘いをいただいた。確かに子供たちの遊び場に隣接する集会場は全体の景観を損ねておらぬも入口の看板に見る名称に抱く違和感。理由聞かば、あくまでも公園内の施設である以上は特定の自治会の名を冠した集会場はまかりならん、一方、それを名目に補助金を出す以上はその名を冠せねば支出は認めがたい、と。いづれも役所側の都合なれど、そこは市民の為と、譲歩ならぬ知恵を絞られたそうで。

かくあるべしな役所の姿。横浜市青葉区の梅が丘自治会が運営する「Y・umeプラザ」の視察を終えた。

(令和2年8月20日/2589回)

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2020年8月15日 (土)

群馬

まずは忘れぬうちに前回の宿題を。立ちはだかる巨匠の壁。交響曲は不滅の第九、弦楽四重奏には晩年の傑作が並び。やがてそこにも挑むことになるのだけれども二十代のブラームスが選びし道は...。若かりし日の作品、弦楽「六」重奏に見る大器の片鱗。とりわけ第二楽章がカッコいい。

公演中止が相次ぐ他ホールをよそ目にサマーミューザも無事に幕を閉じた。今年はベートーヴェンの交響曲全九曲のうち第九以外を各楽団が分担。「田園」と名付けられた六以外の偶数番は人気薄。そんな曲目を初参加の楽団に負わせては。ここ何年か本市自慢のホールを知っていただこうと在京以外の楽団も招聘しており。この状況下にはるばる本市まで遠征して下さったのだから歓迎の意を示さねば。

いやいや、別に何か議長として特別な役回りがある訳ではなく、ただ演奏を聴く、いや、客席を一つ埋めるにすぎぬも奇縁はあるもので。当日の公演に居合わせしはS課長。無論、私服なれど隣に美女おらず(余計な御世話だナ)。聞けば今は亡きKセンセイが現職時代に「地方といえど恐るべし実力」と当楽団を絶賛されておられたそうで。いつか必ずと心に刻むもその為だけに御当地に赴くはさすがにキツく、晴れて念願叶ったと本人。

演目は二と四。知られた三は「英雄」、五は「運命」にて四を北欧の巨人に挟まれた乙女になぞらえたのはロベルト・シューマン。二とて若きベートーヴェンの情熱が漲った作品。見事な演奏を披露して下さったのは群馬交響楽団。S課長の「偉業」に故人も草葉の陰に喜んでおられるはず。

閑話休題。ソレを機に内向な意識が広く醸成されてしまったことは悔いていかんともしがいことなれど、怯まぬ冒険心こそが成長の原動力。などといえば語弊があるやもしれぬが、旅先の碑に「山にふし海に浮寝のうき旅も馴れれば馴れて心やすけれ」と見かけた。「馴れ」か。

大半占めるは無症状もしくは軽症者。無症状をいいことに検査をやればクロと思しき連中が市中を闊歩するが拡大の元凶、外歩く非常識なヤツらは言語道断、と憤慨する向きもあるけれど、そもそもに誰であろうと人としての存在そのものが他人様に迷惑をかけるものな訳で何もそこまで聖人ぶらずとも。ただ、軽症か無症状かは雲泥の差。少なくとも軽症者は自覚症状があるのだから人との接触を控えるは常識か。

初動時において臆病が過ぎる位の警戒心は欠かせぬも既に半年以上が経過する中で見えてきた事実。潔癖を維持するに摩耗著しい神経が新たな健康被害を生まぬとも限らず。ワクチンと申しても免疫を培うにおいては同じ。少し前のコラムに五木寛之氏が「日本人は自然と和して暮らしてきた民族」と記しておられたが、人為に依存せずと自然と育まれる免疫もある訳で。

混乱の中に迎える終戦日。今年も全国戦没者追悼者式典への出席を予定していたものの、規模の縮小に伴い、余儀なく出席を見送られ。例年、靖國神社への参拝後、鳥居の脇に掲示された手紙に涙腺を緩ませてしまうのだけれどもそんな過去の社頭が綴られし一冊を読んでいる。

(令和2年8月15日/2588回)

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2020年8月10日 (月)

帰省

ヒトもカネも吸い上げられて、との嫉妬心。も、当該自治体への国の交付税額を見れば少なくとも後者は誤解と気付くはずにて募る鬱憤をあえて助長せずと。首都圏ナンバーへの投石は一例に過ぎず、広まりし拒絶の風潮は「人為」に負う面が大か。被害者の一人、郷里の母も「帰省はするな」と、そりゃ我が子の身を案ずる以上に怖れし近所の目。知らぬ土地のヨソモノぢゃあるまいに。

都会と田舎の分断、いや、それ以上に相互不信が生む悲劇は見るに堪えぬ。他人様の帰省まで口挟むは御節介なれど、ニンジンぶら下げて煽るはさすがに。まぁあれだけ騒げば警戒心は育まれるから。片道三百キロの往復も一寸の不快なく行程を終えた。やはり自らの目で見るに限る。車中に聴いたブラームスの弦楽六重奏が良かった。特に第二楽章なんか...。解説は後日改めて。

店内客の減少の裏に宅配の増加あり。全体の需要変わらぬならば状況に応じた手立てに新たな活路が生まれるも、ことそちらにおいては客減少に複雑な心境を聞いた。そう、何も患者はコロナに限らぬ、うがい手洗い効果か受診抑制の産物か、季節性の風邪にインフルエンザと例年に比べて「明らか」に患者が少ないと。少ないに越したことはない、されどメシが食えぬ。やればやるほど客が減る逆進性、自衛隊に警察、消防、と出来高制がそぐわぬ職場は公益性高く身分保証がキチンと。よもや患者を増やすべく不摂生を促すとは信じ難くも。

「日本国の研究」以来の贔屓にて当人の新刊本が目を惹いた。当時、役職追われる形なれど振り返るに惜しくはないか。その分野で脚光を浴びた端緒はあの公団の民営化。官から民への大転換を図るに集いしは各方面の名だたる面々。されど、一向に進展見せぬ裏に隠れた事情。国益に適うとの趣旨に異論なくも民営化が実現した暁に生ずる不都合は経営を直撃しかねず、大改革に腹を括れぬ面々。口に大義を唱えても心に一致するものなくば同志も同志ではないとは漫画「三国志」の一場面、曹操の台詞。孤立無援、四面楚歌となりし同氏の分析が秀逸だった。

借金はいづれ返済せねばならぬ、積もる負債に財政破綻が叫ばれて久しくも一向に機会訪れず。国の借金が増えれば金利上昇は免れぬ、と教わったはずも説明がつかぬ状況を「狼少年」に喩えた大臣。早速に「大借金時代の先には」との論説を見かけた。自国通貨建てで国債を発行できる国は財政赤字を心配せずに歳出を拡大できる、などという超次元的な理論が真実味を帯びて語られていると。

戦時下に緊縮財政を貫いとる場合か、は決まり文句。煽られる危機に遠のく財政健全化。混乱は新たな勢力の台頭を許しかねず、未曾有の事態に失われがちな冷静な判断。人命こそ優先すべきとの声に押されてコロナ名目の財政支出が急増。秋以降、本市においても国からの臨時交付金の使途を巡る論戦が本格化の動き。過去の歴史に学べばそんなオイシイ話はなく。落ちて気づくが「ガケ」なるものにて予め知らば過去の恐慌など。あの物語とて最後は「本物」が来ちゃうオチだからナ。

(令和2年8月10日/2587回)

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2020年8月 5日 (水)

過失

ズラリと並ぶ「ナツイチ」。まぁ一冊で済むことはないのだけれども贔屓のコピーライターの推薦本、二位の「資本論」を抑えて堂々の第一位はソレと知人女性より教えていただいた。勿論、オタクとしては知らぬ一冊ではないけれども全四巻の分厚さ以上に字が小さすぎて。

ジャンクリこと「ジャン・クリストフ」はベートーヴェンの生涯を描いた(とされる)。著者のロマン・ロラン渾身の力作、というかその位しか知らず。自らの生涯もそこに捧げたと申しても過言ならぬ傑作がノーベル文学賞に結びついた。今年は生誕二百五十年にてそれを題材にした公演少なくなく。あの宝塚歌劇団だって...。

介護職の将来を揺るがしかねぬとの懸念に集まりし署名は七十三万筆。ドーナツからゼリーへのおやつ変更を見逃した個人の過失が問われた裁判。罪を問われしは配膳に手を貸した准看護師の女性。言わずと知れた善意、であることはほぼ察しが付くのだけれども本来ならば介護職の役目にて「過失」と言われれば。

対価を払っとる以上は当然の権利と言わんばかりの利用者に施設側とて相手の弱みに付け込んで傲慢な対応になることも無きにしも非ず。そのへん客観的事実からは見えにくい両者の関係。御遺族と施設側には一応の示談が成立しとるだけに、この期に及んで「業務上過失致死」なる物々しい罪状を被せずとも。

いや、世の中は善人のみに非ず、悪意的に解釈すればそこを許さば悪しき前例になりかねぬ、多忙を理由に罪が許されては以後に泣き寝入りの御遺族を救えぬ、盗人にも三分の理、と。ささやかな善意が生んだ悲劇、覆る判決に窺い知れる裁判官の煩悶。被告の烙印押されし当事者とてこの間に背負いし重い十字架、贖罪の念に駆られる日々、晴れて無罪といえど胸中や複雑ではあるまいか。

臨終は安らかに自然な形で、付き添いに疲れ果てた家族、人為的な延命を望まぬ本人の意向、否が応でも看取らねばならぬ宿命に見る医師の葛藤。尊厳死、安楽死、自殺幇助、病床の当人が望む死に加担するその一点において差異無くもそれが全て同一の語彙で括れぬ意やどこに。死を望む相手、それも不治の病を抱えた相手に手を貸す行為の善悪。

筋萎縮性側索硬化症(ALS)の女性への殺害容疑。難病に苦しむ当事者に寄り添いたいと願う善良な医師、との美談を連想すれど、個人口座に振込まれし現金に金銭が絡む善意とは。そこには当人にしか知り得ぬ深い懊悩があったと信ずるが人の道なれど、見えぬ真相。悩み抜いた帰結、と申してみてもその深浅は個の認識に負う面が大にして、死の選択を安易に容認する風潮が助長されるはどうか。

いつぞやに読んだ曽野綾子氏の著書にベトナム戦争時の枯葉剤による双生児が一つの臓器を貰って生き延びた。そうせざるを得ない、その選択肢を取るに関係者の苦悶やいかばかりか、と確かそんな内容だったと記憶するも人の根源に迫らんとする生命倫理を巡る議論や尽きず。

与えられし天賦の才も降りかかる厄難、絶望の淵に自らの活路を見出したベートーヴェンに学ぶべく今日も演奏会に...と、勝手なこじつけですが。

(令和2年8月5日/2586回)

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