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2020年3月30日 (月)

上洛

同じ楽譜に曲調変わるは奏者の解釈にてその変化を愉しむも一興。当時の文献の多寡に生じる余白、多ければ多いほど解釈の余地大きく、そこをいかに埋めるかが当代の作家の腕の見せ所にて。懲りずに十兵衛物語、いわゆる光秀モノ、歴史小説傑作集に学んでいる。

役職上、参列が予定されていた東日本大震災の追悼式も中止と聞いて庁内の黙祷に代えた。満開の下で「今年も桜が咲いたよ」と天国の盟友につぶやくがラストシーン。原作はとうの昔に読了しとるのだけど、Kセンセイの推奨にて福島第一原発事故を描いた話題の映画「フクシマフィフティ」を見た。最近なども外来語の氾濫に疑義を呈した大臣が注目浴びたが、ヒロシマ、ナガサキのカタカナ表記に特別な意図が込められること少なからず、ならばこちらはどうか。事故というよりも立ちはだかる国家の危機に挑んだ五十人を海外メディアがそう評したとか。

一部に酷評を散見するも「永遠のゼロ」然り、作家への偏見というかそこが美化されては不都合な方々がいる訳で。食わず嫌いならずと見る方の判断に委ねては。命の保証なき現場とあらば誰しもが躊躇するというか行かぬが正解。されど、誰かが行かねば救われぬとあらばどうか。そりゃ遭遇せぬに限るも拒もうにもそんな悲劇は向こうからやってくる訳で迫られる判断。

「私が...」の価値観は美徳と信じてやまぬも当人の意に反して赴かされた忌まわしき過去を肯定しかねぬ、と、およそそんなとこらしいのだけれども、そこまで飛躍せずとギブアンドテイクとて譲るより譲れぬ人が蔓延する社会のほうがよほど不健全。そんな局面など絶対にあってはならぬ、そこまでは異論ないのだけれども、あり得ぬ以上は議論の余地なしとそこから目を背けるは容易なれど背けては珠は磨かれず人としての成長も。

名所の千鳥ヶ淵は隣なれど、やはり靖國の桜は特別にて今年も仰いだ。色がきれいかと問われればそりゃ他と然して変わらぬ、されど...。死して命は花に宿る、に科学的な根拠はないけれど、当時の心境に思い巡らさば胸に迫るというか心揺さぶられるものがあったりもして。咲くは出会いに散る別れ、人事異動の季節。「いい人材は他局に抜かれて」とこぼす局長に「ならばわが局は落人の集団、掃溜めではないか。所詮、庁内ではその程度にしか見られておらんのだろうナ」と肩落とす二人に割り込む副議長。

「御両名、それは認識が違う、三セイ三ポなる用語を御存じか」と。三セイは民「生」、衛「生」、「清」掃と役所の不人気の代表格、中でも民生局(現在の健康福祉局)の「保」育、「保」険年金、生活「保」護が三冠とか。前職は言わずと知れたそちら上がりにて自らは二冠だと自慢にならぬ自慢を聞かせていただき。そ、そうか、副議長も窓際...いや、脇道を歩いて来られたんだナ。

で、そんな当人曰く、議会局などへの異動が決まろうものならオレたちの分までがんばって来いよと赤飯炊いて見送る位の高貴な部署であって「都落ち」どころか「上洛」が適切だと。それぞれに新天地での御武運を祈念しつつ。

(令和2年3月30日/2561回)

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