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2019年12月

2019年12月30日 (月)

散髪

相手に不快感を抱かれなければ...。元来、無頓着な性分にて然してこだわりないのだけれども節目は節目。以前であれば大晦日と相場は決まっていたのだけれども同類多く、待つは億劫な上に昨今なんぞは働き方改革か店主の気まぐれか、平然と「終了」の看板を見かけたりもするもんだから戦々恐々と数日前から様子伺いつつ、早めの散髪を終えた。

祖父の戦死後に村を離れて以降、祖父母方とは疎遠にて幼少時のおぼろげな記憶しかないのだけれども、祖母の遺品の中に襖(ふすま)を撮影した一枚を見かけた。中央から両脇一枚には対の漢字三文字、その両隣には二行ほどの文が記されているのだけれどもいづれもあのすらすら文字、草書体にて対の六字中、一字が「禅」であることしか読めず、目下、地元の書家に解読を依頼しており。

先のこと言わば鬼が笑う。それが断捨離か終活とやらかは知らぬが、過去の優勝杯を貰ってくれぬかとの依頼があって安易に了と返答すれば早速に届いた。目撃者、というか留守役の証言によれば自転車で運び込まれたらしいのだけれども尋常ならざる数量にてよく転ばなかったナ。

依頼主の意向こそ知らぬも授与者の刻印付きとあらば再利用は酷。まぁ当人が任せるというのだからこちらが勝手に処分すればいいのだけれどもその運搬の手間を鑑みれば有料といえど自らが粗大ごみにて処分したほうが割得ではなかったかと思わんでもなく。

そう、終活ならば生前に自ら勝手に手がけるものなれど遺品となるとそうもいかぬ。残されし家財の数々以外に家そのものの処分なんてのもあったりするから。分別の上、一般ごみにて処分が理想なれど量が量にて埒が明かぬ。一括して業者委託すれどその扱いに難ありとのことで条例の改正が図られて。

混ぜればごみも分ければ資源。往年などは燃か不燃かの二択、その大雑把さが環境への意識希薄などと揶揄されたりもしたが、そもそもに分別品目の拡大の背景には当該自治体の焼却炉がごみの排出量に追いつかぬとの裏事情もある訳で。そりゃやるに越したことはないけれど相応の手間も生じればその処理に要する負担や安からず。

森林に同じ、木の伐採は断固許さぬと申してもそもそもに伐らねば生活が成り立たぬし、排ガスを理由に乗車拒むは無駄骨に近く。ゆえに中庸にして好循環を生む意識を育むことにこそ主眼置かれるが理想。本市などはごみの排出量は政令市で最も少なく、東日本大震災の際なんぞは他が拒む被災地の瓦礫受入、災害廃棄物の処理に一役買ったばかりか、収集体制とてスリム化が図られるなど、ことその分野に関しては全国的にも悪からぬ立ち位置にいるのではないかと秘かに自負するところあり。

そのへん知ってか他市からの不法投棄が絶えず。かくいう当方の事務所前の集積所なども好立地にあるもんだから闇夜に紛れし不審車の出没しばしば。ゆえに見せしめ狙う厳重注意の告知文とて効果薄というか無意味に近く、違反である以上は収集しかねると放置されて文句言えぬ筋合もそのへんの事情知ってか数日後には言わずと本市の清掃車がちゃんと回収していくのだからその機転はエラい。で、後は積まれた優勝杯も何とか...。よい御年を。

(令和元年12月30日/2544回)

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2019年12月25日 (水)

尾行

ものの「ついで」の拡大解釈こそが元凶、些細な綻びが大事に繋がる例は枚挙に暇なく。ひと昔なんぞは地元の忘年会回りなどにも利用されていたというからナ。年々厳格化される運用に「当人が行く以上は全て公務だ」などと豪語できる胆力はないのだけれどもそう簡単に割り切れんのがこの世界。杓子定規の運用は時に不都合が生じることもある訳で。そう、公用車の適正流用。

個々に吟味された判断、同じ会合とてその立場が扱いを左右する。届く宛先を議員ならぬ議「長」にしてもらえば、と経験者に知恵を教わるも、んな依頼はみっともなく。要は公開した際に世間様に名目が立つか否かが肝心らしく。白黒付いた後とて一日はそれのみにて完結するにあらず、次なる予定の「合間」、又は私事と申せど譲れぬ一線。

通夜などは典型、自宅までの送迎は範疇にてそこから斎場までは私用車での往復。労こそ惜しまぬも次に間に合わぬとあらばそのまま向かうが効率的。逸脱した運用と言われるかもしれんけど、こちとて目立つ黒塗りに謝辞示されるは御遺族の方々位でこの御時世とあらば悲しいかなまずは「私物化」に目が行く訳で、手前の脇道で人目を忍びつつコソコソと...違うか。

ゆえに時として返上というか辞退を申し出るもそこに立ちはだかるは議長たるもの随行に送迎付きとの既成概念。ましてや迎える相手方が市の関係者とあらば尚更に随行が居らぬとは職務怠慢と叩かれる陰口。弁明しようにも向こうの目にはそう映る訳で。こちとて目立つ車とあらば尾行に好都合な上に尾行されずと経路の履歴追われる煩わしさから逃れられ。いや、そもそもに秘書の随行そのものが尾行されとるようでどうも落ち着かぬ、などと勝手申し上げてそれなりに身軽になった。

留守がちといえどもさすがに年に一度位は歩かねば地元の事情も掴めぬ。将を射んと欲せばまず馬を...いや、馬に重ね合わせては失礼か。そんな意図なくも無視はさすがに。平穏な一年は村の鎮守様の御利益の賜物、途中に立ち寄りし神社にて合掌姿を遠目に目撃されてしまった。中々信心深い御仁だネ。最近なんぞは七五三とて遠方の名高い神社が選ばれがちも本来ならば氏神様こそ最優先。とある神社にて初着に身を包みまれし赤子を抱いた初宮参りの夫婦と遭遇、健やかな成長を願いつつ祝意を申し上げた。

そう、黒川では数年前に若くして御主人を失いし旧家の御長男が結婚したと語る奥様に笑顔が戻り、ついこないだまで現役で御活躍されておられたはずのMさんは役職を退いて以降はとんと見かけぬ。が、ちゃんと御自宅前には自ら収穫したと思しき野菜が通行人の目を惹くように並べられ、呼べば奥の居間から御元気な姿をのぞかせた。足跡残すかの如く一筆を添えた名刺を挟んで来るのだけれども細山のTさんなんぞは好きが高じて(ってもんでもないんだろうけど)過去の名刺を全て保管してあると初めて聞いた。

悲喜こもごもの話を拝聴して振り返る一年。宿る命に逝く命。逝きし人浮かぶ師走の合間かな。今年も多くの方が天国に逝かれた。

(令和元年12月25日/2543回)

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2019年12月20日 (金)

生欲

そう機会あるもんでもなく関係者には子の誕生が如く一日。海上自衛隊の式典にて「進水を待つ冬晴れや波の音」と詠んだ。

俳句は視座が肝心だそうで。ゆえに吾輩は猫とその奇想天外な視座を有したかの文豪には独創的な句多く。その代表作「こころ」に「人間の胃袋ほど横着なものはない。粥ばかり食っていると、それ以上の堅いものは消化(こな)す力がいつの間にかなくなる」との一文を見つけた。

採決を含む年内の全日程を終えた。後半は一般質問。議長以外の「全て」の議員に認められし発言権。これほど広く認める市議会は全国でも稀であって、時に羨望の眼差しを以て賞賛されたりもするのだけれども人の胃袋に同じ、粥ばかり食べとるとそれがさも当然が如くにいつしか研鑽を怠り。内容乏しくとも口調穏やかならば子守唄位にはなりそうなもんなれど、しゃべらな損の勢いでまくし立てられては耳障り悪く余韻残るは疲労感。

そこに制限あらば折角の機会を有効に、との思慮働くはずもそんな親心とて敵方には権利侵害と映る訳で。火中の栗拾わずと黙々と自らの内職に専念しとると思しき御仁少なくなく。が、雛壇というか番台となるとこうはいかぬ。いかなる質問であろうとも聞き分けて瞬時に答弁者を指名せねばならんのだから気は抜けぬ。が、そこは何と申しても役職が役職だけに言わずとちゃんと手元には答弁者の順序と回数までが記された一枚が置かれていたりもしてその通りに指名しておれば内容など...いや、ちゃんと聞いとりますぞ。

「二句添へて箪笥にしまふ古日記」も今月の一句。「日記買ふ」が冬の季語にてそちらが兼題だったのだけれどもまぁ「日記」には違いなく。そちらを詠んだものは「まだ生くるつもりの三年日記買ふ」との先生の句を筆頭に旺盛な「生」欲に絡むもの少なくなく。執着心こそ御元気な秘訣か。ゆえに発言権への執着は分からんでもないのだけれどもそこに些かの気遣いでもあらば...。そのへん、若手の矢沢孝雄君なんぞは多少の時間を残して質問を終えたのだけれども要領よく的を得た質疑にて耳に残った。

ありがちな役所の煩雑な手続きの改善を求める内容にて、その発端は建設発生土の市への受入について実際の運搬以外にその許可・申請の類で都合三度も本庁窓口に出頭せねばならんとか。市の北部とあらば片道一時間、そりゃ典型的な御役所の都合の一例であって利用者目線で全庁的に改善すべしとの内容に市長自らが改善への強い意欲を示して質問を終えた。

最近は複雑な精神構造を有した被告少なくなく解釈に悩むのだけれども。長男を殺害した罪に問われた元事務次官に言い渡されし懲役六年の実刑判決。子を想う親の心を信じつつも、袋小路に追い詰められた当人の苦悶に実の息子を殺めた、というよりもそうせざるを得なかった心境いかばかりか。子を失いし悲しみとともに背負う十字架。判決後の本人の表情には情状酌量を願わずとも判決を甘んじて受ける悲壮な覚悟が窺い知れて。獄中、体調を崩されぬことを願っている。

(令和元年12月20日/2542回)

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2019年12月15日 (日)

糊代

世を震撼させる大事件などと申せば不謹慎この上なく、せめて国会の紛糾、否、大物俳優の結婚位が重ならば露出は減る訳で。そんな淡い期待脆くも平穏な一日に大々的に報道されて、不本意ながらすっかりと有名人になってしまった。

勝って雄叫び上げるは日本人の美徳にあらず、一部の軽率な行動が更なる火種にならんことを祈るばかり。拭えぬ不安に視界良好ならぬ中での決断。憂国の士と思しき市外匿名の方からも随分と御心配いただいた。急進的とて否定されるもんでもなく、貴重な御意見の数々は真摯に受け止め、事態を好転させるべく職務を果たして参りたい。

それにしても「バカ」「アホ」の類しか言えぬ稚拙なエセというか「まがいもん」の輩も少なからず。自らの名を売るに相手を利用するは常套手段なれど所詮はその程度の器にて。欲なきが名を売れるは世の不思議。まずは混乱無く本会議での採決を終えた。

繰り返される挑発的な行為、仏と独、国の威信などと対抗心を騒ぎ立てられ、担ぎ出された決戦の舞台は侯爵邸。当日に姿を見せぬ相手、敵前逃亡を笑う聴衆に勝者が演じた曲目は...相手の作品。「こんな立派な作品を世に生み出せる才能の持ち主なのだから...」と見せた度量の広さこそ「大」バッハと呼ばれる所以。そんな世紀の対決が含まれる回想録「バッハの思い出」。著者はアンナ・マグダレーナ・バッハ。

そう、バッハ夫人とされているのだけれどもそのへん諸説あるらしく。バッハの子沢山は有名。死別した前妻の子四人を抱えたままの結婚後に十三人もの子供をもうけるのだけれども同様に注がれる母親の愛情。仮に著者が別人としてもその洞察眼に描写力は秀逸。音楽のみならず人として教わること多き一冊ではないかと。

そう、隙間風が身に染みる季節。それは自然界に限った話ではなく、本市の組織とてまちづくり局と建設緑政局などは同じ都市基盤を扱いつつも設計と施工のようなもの。本来は同じ目標に向かわねばならんのだけど、そこに齟齬が生じたりすると...。脳性麻痺の重度の障害者の方から市議会宛に陳情をいただいた。車椅子対応トイレにリフターの設置を求める内容にて私の所属するまちづくり委員会への付託。

当日は陳情文の朗読とともに示される行政の見解。介護リフトの現状と課題についての説明が続く。質疑では介護リフトに終始するは矮小化で当事者らの生活上の支障を解消することにこそ主眼が置かれるべきと某委員。木を見て森を見ず、その近視眼的な発想こそが役所の欠点なのだけれども彼らとて法律の枠組みの中にしか生存出来ぬ宿命を背負っているだけにいかにその隙間を埋める、というか糊代を作れるかが焦点の一つ。それは時に「縦割り」とも言われたりもするのだけど。

重度とあらば移動も億劫、立ち会わずと後日には会議録が公開される訳で。にも関らず、当事者には傍聴に足を運んでいただいた。予め用意された席次にはまちづくり局のみならず健康福祉局の担当も記されており、糊代の部分が補われたいい議論が交わせたのではないかと。採決の結果は勿論...。

(令和元年12月15日/2541回)

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2019年12月10日 (火)

旗手

帰宅前に立ち寄りし事務所の机の上に「再度、投函を」の書置き。はて、投函を指示しておいたはずも何故に。両面のつもりが片面であったことに気付いたものの、終業間際にて後は頼むとそんなところらしく。同封物は善意の情報提供にて知らずとも何ら...いや、「それほど」不都合なく、むしろ再度届かば恥の上塗りってもんで。何事も無かったかの如くそのまま屑箱に...。

が、それが「役所」とあらばそうはいかぬ。申請書を同封すべきを間違えて対象者の名簿を入れてしまったとか。それもたった一通。当事者からの連絡により発覚、申請書を新たに送付してハイ終わりとはならず。個人情報の漏洩は重大な過失、名簿を回収した上でそこに掲載された「全員」に事実を告げた上で詫びを入れる対応に休日返上で追われたとか。それとて、みすみす不手際を知らせるようなもんで代償小さからず。

偶然か必然か、同一の区役所で続く不祥事に求めずと責任者との面会と相成った。進む働き方改革が逆に作用しとるふしはないかとの詰問の裏には残業削減を目論む勢力への牽制が働いているのだけれども「それは理由にならぬ」と相手。そこまでやよし、「小さなミスといえど今後は...」と言いかけた相手に副議長の雷が落ちた。どこか「小さい」んだ、と。

さて、師走。前職時代というか新卒時の贔屓と未だに付き合い続き、退職後も酒酌み交わす間柄にて忘年会でもどうかと今年「も」お誘いをいただいた。接待する側、される側、東証一部上場の大会社とあらば年功序列の給与体系、方やハゲタカ外資とあらば給与の差は歴然にていづれ出世払いでと過去には随分貢がせていただいた。が、当時のあの稟議書がなければうだつ上がらぬ私などはとうの昔に解雇されていたやもしれず、路頭に迷わずに今日を迎えられたのも当人のおかげ。

その後に知りし家庭事情に地元の養護学校の世話をした(と申しても単に役所への仲介役を果たしただけなのだけれども)御子息が晴れて卒業だそうで就活も大詰め。当人の性に合いそうな行先を見つけるも要送迎となるらしく。それまでも奥様が送迎を担われてきただけにそのままとの選択肢もありそうなのだけれどもこれからは自らがその役目を負うと決心されたと。

そこに立ちはだかるは社の風土。押し寄せる時代の波も護送船団を旨とする典型的な日本企業には前例なく。されど、社内見渡せば抱える事情は違えど同じ想いを抱く社員少なからず、社の模範となるべく壁に挑んでみるのだとか。あれから二十年、その間の評価は現在の役職が物語る訳で旗手に適任ではないかと後を押した。成否こそ知らぬも管理職がそれで挑戦してみようと思わせる土壌は業績良好の証かも。

そう、働き方改革などと申してもどこぞの条例に同じく勝手な解釈が罷り通りかねず。不本意な残業は是正されて然るべきも時に仕事への渇望というか意欲を削いでは本末転倒。好き好んでやるものをわざわざ阻害せんでもいいではないかと思わんでもなく。当人に勝算ありと見たか、ほろ酔い気味の相手に「もう一軒」と付き合うことになった。

(令和元年12月10日/2540回)

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2019年12月 5日 (木)

発酵

公務後の夜移動にシャワー無しの宿泊先とあらば疲れ癒えぬままに...久々の完走を遂げた。空腹時における相手の厚遇がそうさせたのかもしれんけど途中の休憩所で食べた干柿が抜群に旨かった。発酵はわが国が誇るべき食文化の一つにて渋柿を干して甘くするなど到底及ばぬ発想。干柿といえばおらが地元との交流深い長野県高森町の名産「市田柿」が有名なれど、こちらも劣らず。品種は「甲州百目」というらしいのだけれどもデカいのが特徴にてワインとの相性抜群と聞かば土産に買わぬ理由なく。完走以上に大きな収穫。

熟れ時こそ最も旨しとは食の基本なれど、こと柿に関してはあの硬めな歯ごたえこそが好みにて津々浦々のソレを物色しているのだけれども同郷人のN君より「新道柿」なる品種が最高に旨いと聞いた。そう、柿といえば今年はおらが地元の「禅寺丸柿」が不作。国の登録記念物にて柿古品種五種として皇居内にも植栽されている由緒正しい品種なれど消費者の嗜好は別物。

糖度こそあれども何せ小さい割に種多く、贈答品とするにはちと...。品種改良の進む今日においては地元スーパーの店頭に並ぶ名もなき種無し柿とて十分に旨く、つい、そちらに手が伸びてしまいがち。いやいや、票の為なら禅寺丸柿こそが最高などとヨイショするが得策なれど、そりゃ世辞ってもんで本音を隠すは生産者の為ならず。そう、最古の甘柿が果たした役割、村を救った歴史は後世に語り継がれるべき。柿へのこだわりというか愛着は他の名産地に些かも劣るものではないけれど。

開幕後における追加議案の上程は異例中の異例。ましてや代表質問の〆切日とあらば作為的な意図を疑ってみたくもなるのだけれどもこの機を逸せば次は翌年の二月以降。先行き見えぬ中の越年はキツい、市長の打診に「やるべし」と背中を押した。台風による浸水被害の救済。国の法律は建物の倒壊等を前提としたものにて浸水被害は想定外、というか手薄。再建支援法の対象とならぬ半壊以下の住宅とて少なからぬ修復は生じる訳で。救済を求めるべく申請しても調査の結果、「対象外」と宣告される心境はいかばかりか。

確かに議会日程上は微妙な時機なれど、「皿からこぼれる被災者を何とか救えないものか」って随分と前から気にされておられたからナ。ほんとの話。そこに県が救済制度の創設に動き始めてようやく示された結論。県の独自制度に政令市は適用外とあらば市として手立て講ずるが人の道ってもんで。被災者生活再建支援法の支援の対象とならない浸水被害の世帯に対して生活再建を目的に県に準じた本市独自の支援を講じるもの。気になる財源は本市に寄せられた多額の寄付金以外に本市独自の財源を投入。

非難浴びるような筋合いのものではないと知りつつも私の一存では心許なく、召集した団長会議にて了とされた。あくまでも俎上に上がっただけの話でこれからが本番。山積する懸案にこぼれる悲鳴。いやいや、それこそが本望、冥利に尽きるというものではないか。

(令和元年12月5日/2539回)

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