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2019年6月

2019年6月30日 (日)

田園

中間試験を終えた、と聞いた。まずは英単語、「豚」といえば...。その英訳欄に記した回答は「ポーク」だったと。そう、子供なのだからその位の食い意地、いや、遊び心がなきゃいかん。

塾のみならず早朝から叩き起こされて机に向き合わされるは見るに忍びず。どれほど安全運転を心がけても貰い事故はあるもので、腹痛然り準備万全で迎えし当日に本領出せぬも天運、その一事を以て人生が左右されるもんではないのだから適当に...と鬼の居ぬ間に囁いて家を出た。決して猛勉は否定されるもんではないけれど、肝心なことを置き忘れたまま高学歴を背負っちまうからね、そのへんを戦後教育の重大な「手落ち」と評しておられて。やっと読了したのだけれどもその一節に「批評的態度について」と見かけた。

議長といえど一存では通らぬ、立場上、他に諮らねばならぬ事案も少なくなく。そこには私の名を借りた役所の都合もある訳でそこを見透かしての物言いも少なくない。「真に意味があるのか」「詳細が見えかねる」等々と御託が並ぶのだけれども、その大半はやむなき事情か善意によるもので役職を楯に強行突破もアリなれど後の報復は必至にて負の連鎖に繋がりかねず。

所詮、名を貸したに過ぎんから通らずと「個人的に」何ら困るものではなく、「ならば...」と稚拙じみた取下をチラつかせれば、「いやいや、異議を唱えとる訳では...」と。そこにはすんなり可としては自らの立場を損ねかねるとの下心が見え隠れする訳で、そりゃそれで分からんでもないのだけれども時にその発言が相手の意欲を削ぎかねぬことも無いとは限らず、そのへんの機微含む高次の方程式が解けねば中間試験の成績も伸びんのではないか。

昨今は巷に批評家、評論家然とした御仁(往々にして勝手に名乗っていたりもするのだけれども)少なからず。元来、真の批判なるものはたとえ対極的な見地のものからであろうとも「ふ~む、此奴なかなか言うな」と相手を揺さぶるというか呻らせる位のものでなくては本物と言えず、そうならずともどことなく相手を諭す親心というか包容力を備えたものが理想なのだけれどもどうもそのへんが付いておらぬ気がしてならぬ。今や聞いておればその大半が自己陶酔というか、本人は優越感に浸るは勝手なれど、それが当人の評判を下げとるに気付かぬは何とも不憫。

で、秘伝の書には何とあるか。その表現を借りれば「これ(批評)を否定してはいわゆる味噌も糞も一しょくたになってしまう一面もある」と意義を認めた上で、「批評的態度に留まっている間は、その人がまだ真に人生の苦労をしていない何よりの証拠。食物の偏食をなおすには、かれこれ理屈を言うよりも、いわゆる実物教訓で、ただひもじゅうさせる一手あるのみ。人に教えるということは...」と教師の心得を説きつつ、「相手の立場を正しく察する豊かな情操の啓培が先行しなければならないのに戦後教育はその土台を閑却して一挙に批判力の養成が可能と考えたところにひとつの重大な手落ちがあった」と結ぶ。

かくいう私が最も批評的なのだけれども豊かな情操を育むべく、久々の演奏会にてベートーヴェンの交響曲第六番「田園」を聴いた。

(令和元年6月30日/2508回)

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2019年6月25日 (火)

記者

野辺山の完走経験を有するO女史によれば仲間内で最もタフとされるY岸さんの誘いで今年も乗鞍天空マラソンの完走を遂げた。前夜の到着遅く、「大雪渓」と名付けられた御当地の美酒に酔いしれる機会こそ逸したものの、満点の星空に同部屋の二人に宿の外まで出迎えていただいて。当初の予報から一転、快晴に恵まれた当日。折り返しの標高は二千六百米、雲海に雪壁、そして、最高点には大雪渓広がり、景色のみならずスキー客の姿も。

そう、Y岸さんは私より年上なのだけれどももう一人は高校時代のバレー部の先輩。今やすっかりオッサンなれど、風貌見れば当時は一目瞭然。数年前に郷里で再会を果たした際に話題がそちらに及び、知らずと同じ大会に出場していた因縁。以来、そこでの再会を誓い合ったそうで窺い知れる二人の間柄に部活動に学ぶ人間関係。まぁ私は他人なのだけれどもそれも一つの御縁と先輩の御高説に相槌を打ちつつ...。

この御時世に専属などと悠長なことは通じぬらしく、非番の際は黒塗りならぬ軽バンにて送迎係。同乗者は課長級に随行とおよそ複数名。酒席への誘いがパワハラになる時代、後部座席に職場の様子が見て取れるとか。終始無言の道中、心配して水を向けようにも「運転手の分際で...」などと火の粉を浴びぬとも限らず、じっと観察しとるそうなのだけど、巷の家政婦並みに庁内事情には詳しかったりもして。

無免許というよりも更新せずに放置していたというのが真相らしいのだけれども違法は違法。されど、法令遵守以上に別な判断が働くのがこの世界。潔く辞した市議を目に自らも失効した過去を振り返りつつ、「彼は私にも随分と挨拶してくれたんだが」と些か残念な御様子はおらがセンセイ。やはり、挨拶が交わせるというのがセンセイとして、いや、生きていく上で重要なことではないか。

悲しいかなそこまでの才には恵まれず。顔と名が一致せぬことしばしば。見覚えのある顔に名を聞いては失礼。名を聞かれて苗字を告げし相手に「いや、苗字じゃなく下の名前」との機知は角さんの処世術にて名を聞かずともそこから辿らばいづれ回路が繋がるはず。昇降機に偶然にも居合わせた相手、「暫くぶりの復帰にて」との挨拶に部署聞かば...。

そもそもにそちらとは疎遠、相手方の事情知りつつもこちとら元々そのへんには無頓着な性分にて利用価値は低く。が、議長とあらば何か「特別」な情報を握っとるに違いないとの勘。こちとら海外視察時に背後から狙われて無防備のまま受ける位だから潜在的な危機管理力は低いのだけれども人目憚らず庁舎一階の昇降機の前で受けし取材、というか尋問。

挨拶をしていただいた以上は協力は惜しまぬも知りし情報は口外ならぬとのかん口令。下戸の酒席が如く、「ならば聞かずと結構」が本音にて飼い殺しに近く、口に戸は立てられぬ。いや、肝心なところさえ伏しておけば...と相手の巧みな話術に饒舌が過ぎて後悔先に立たず。翌朝、記事を目にした一部が騒いどるとの報告に対応を聞かれてつい視線をそらしてしまった。当該の記事にはあくまでも「複数」筋からと。

(令和元年6月25日/2507回)

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2019年6月20日 (木)

事後

割れた硝子の破片に流血。店側に粗相を詫びられつつ呼ばれた救急車にて搬送された病院の待合室。次々と運ばれてくる患者。どう見ても自ら以上に重症と思しき患者に順を待たれては...。譲らずと言われるがままに待つこと数時間、施されし処置はヨードチンキだったとか。この程度の症状では申し訳ない、それが美徳なのだけれども救急車とあらば一般外来とは違う裏門から入れる訳で。コンビニ救急と揶揄されてその適正利用に向けて有料化も視野に...なんて叫ばれたのも今やすっかり。まぁそれだけ改善したんだろうナ。

意識不明の重態に一分一秒を争う、そんな患者ばかりではないはずも横たわる患者を目前に受入先が見つからぬ救命士の苦悩、受入側とて慣れぬ研修医では手に負えぬ、されどそのままに伝えたのでは身も蓋もなく、別な理由に拒んでみたり。ということで賞賛される「断らぬ」姿勢。そりゃ確かに苦しんどる人を助けたいという純粋な善意には違いないはずなのだけれどもそれが採算に見合わずとも同じ判断が下せるか、いや、逆に少なからぬ見返りがあったとすれば...と勝手な憶測。

この前なんぞ「かかりつけ」が叶わず担ぎ込まれた搬送先。当初は個室やむなくも請求額はバカにならぬ、症状の回復後に満床とされた相部屋も他への転院をチラつかせれば突如空きが生じたとか。よもやその一連の過程において患者の品定めというかオイシイ急患のみ抱え込んだりはせぬものと信じつつもどこか拭えぬ疑念。専門知識を持ち合わせぬ患者は弱い立場、命を楯に傍若無人な行為が罷り通るとあらば看過出来ず。その断らぬ姿勢と受入実績が世の耳目を集めるもやはりその場のみならず「事後」に適切な処置が施されて患者に「あぁ良かった」と喜ばれてこそ冥利に尽きぬか。

断らぬと知らば救急士とて何でもかんでもとの思考回路に陥らぬとも限らぬ。上の命令とあらば担当医とて断れぬ訳で「とりあえず」受入れてみたものの、限られた資源に右から左とは申さぬも処置ほどほどに次なる受入先を...と追いつかぬ体制に疲弊する現場。三者三様、それぞれの使命感に複雑な利害が錯綜するはやむなくもその過程において互いに意思疎通が図られ、全体として救急医療分野において患者本位の体制が確立しているか。やはり、そのへんの検証までなされねば本物ではないのではないか、などと一席ぶとうにも議長ゆえ質問の機会与えられぬそうで。

社会的責務と経営面からの利害が相反するのは何も救急に限った話ではなく、へき地医療に医療ツーリズム、高額診療への保険適用と挙げれば枚挙に暇なく、問われる医療人としての矜持。不足する医師と看護師の争奪戦に市井の医療がおざなりにならば本末転倒、転嫁される負担と医療の秩序が問われかねぬ諸課題への対応。

未曾有の震災に避難指示あれど患者を残す訳には参らぬ。英断下せし院長も他界、存続危ぶまれるも後任の人選決まり、再生に向けて新たな一歩を踏み出した病院を訪ねたのは数年前。医療人の善意が報われる社会であって欲しいと。

(令和元年6月20日/2506回)

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2019年6月16日 (日)

腕白

総理、衆参両議長に大臣が来賓であって、そのすぐ後ろにあてがわれし特別席。そう、全国市議会議長会なる団体の相談役を仰せつかった。と申しても別にその資質が買われた訳でもなく政令市が故の「充職」だとか。期数こそ他に劣らずも齢は断然若輩な訳でやはり長幼の序を弁えてエラぶらずひたすら低姿勢に徹しているのだけれども何と申しても「全国」の「議長」だからね、随行を伴って大物ぶりを誇示される方もおられたりして...。

目上には慇懃すぎるほど馬鹿丁寧な人に限って、ひとたび目下の人に対して急に態度を豹変させたりするもの。教師の宴会に下品なもの多く、職掌が職掌なだけに余計に目立つ、と前掲の一冊に読んだ。未だ読了しとらんのだけど、途中に「性欲」と題した一講義があって、先生がその二文字を黒板に記さば生徒にどよめきが起きたとか。さもありなん、思春期の若人にいかに教えるか。誤解なきよう以降は別な本から。

いつぞやの海外研修、移動途中の待合時に隣の売店で見つけし発禁本、いや、著者のままの表記を借りれば「Hな本」。そりゃ若けりゃ目が行くのは当然(いや、むしろ年配者のほうが...)、そればかりか憚らず購入しちゃった挙句、臆せずに車内で微笑浮かべつつ見ておれば「おい、早く回せ」の督促。初対面の時なんぞはオレはどこどこの議員だと金バッチを威光に偉ぶった口調もひとつのバスという檻の中だと早速に地が出る。「そんな見たくば自ら買え」と内心の吐露とともに磨かれし洞察力。

旺盛なる性欲が否定されるもんでもないが、その豹変ぶりが何ともさもしく。ならばハナから威光など振りかざさぬに限る、いや、遜らずとも高慢な態度のみ慎めばいいだけの話なのだけれども、そのへんはまぁ「議長」いや「センセイ」ですから。人としていかに生きるべきかの根源的な問いへの回答は偉人に限らず隣の人にも学べる訳で。

物腰こそ穏やかなれどその奥深い言動に鋭い眼光はただものならず。かくありたいと敬愛する御仁の自叙伝らしきものがあると人づてに聞いて早速に取り寄せた。自叙伝などといわばおよそ当人の立派な功績が綴られしものなれど、そこはさすが、並ぶ失敗談に目から鱗の教訓多く、何と申しても読者飽きさせぬ逸話の数々は教師顔負け。

現在の御人柄こそ存じているものの、その生い立ちに幼少期の悪童伝説など知る由もなく。当時は医療に衛生面は今ほどになく不本意にも早逝された方も少なくない。当人も物心つく前に実の母親との死別を経験されるのだけれども病床に伏せる母親が最後に遺した一言は「後から来るお母様に孝行を尽くせ」だったと。以降、複雑な家庭環境の中で数奇な運命に翻弄されて辿り着いた境地。

隆と書いて「ゆたか」と読む。書の腕前は万人の知るところなれど冒頭に記されし「腕白も歳をかさねて好々爺」には独特の趣があって、脇に添えられた隆左遊書の意味を把握した。そんな偉人の一代記は議長室の書庫にあって無償貸出中。

(令和元年6月15日/2505回)

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2019年6月10日 (月)

聖火

誰もが羨む一流の式場での挙式がその後の安泰を意味するかといえば、んなことはない訳で届いた数が当人の仕事の実績を示すもんでも得票数を左右するもんでもなく。就任早々の執務室が賑やかさに欠けるのではないか、つまりは慶祝に欠かせぬ胡蝶蘭が届いていないではないかと期下。どこか業者に...んなくだらんことに気を遣わんで他に気を遣わんか。

千客万来、客人には不自由しとらんのだけど、まぁ夜討ち朝駆け昼夜問わずというか、招かれる席はこちらの都合を加味してか夕方以降に多く、他方、役人の報告等の庁内絡みはまずはそちらからということで朝が多い。で、結果、在席している以上は...と「軽んじれぬ」予定で埋められ。

報道規制の解除前日に情報提供をとオリパラの室長が見えられた。知られた顔にて名物の一人なのだけれどもこれがどうして侮れぬことは百も承知。オリパラといえば欠かせぬ聖火。被災地はじめ全国津々浦々の声援に支えられた聖火が本市を横断するは平日なれど市制記念日と。してやったり、室長の剛腕に本市の都合が罷り通ったというよりも「たまたま」ということらしいのだけれどもそんな予定の公表後は聖火ランナーの募集が始まると。

そうか、そうか、その大役を私になんてのは機転が利くぢゃないか。さすが室長、来年度は局長として市長に推薦を...バカか。んなオイシイ話などあるはずもなく、逆ですぞ逆、「議員は資格要件に該当せず」などと機先を制されて。「そ、そりゃ当然だ、そもそもに複数枠とは申せ、私が一枠を埋めてしまえば折角の他人の機会を奪ってしまうではないか。

こちとらんな狭小な了見に神聖なスポーツの政治利用など微塵も...」などと反論してみたものの、物言わば唇寒し議長室。そんな機会は将来ある子供たちや障害者の方々に大いに参加してもらうように、と「らしい」指示をしておいた。ということで詳細は知らんが一人でも多くの方が手を挙げて下さることを願っている。本当です、ハイ。

そう、記者会見の時なんぞも抱負を聞かれて、自ら何かというよりも個性豊かなセンセイ方に活躍の場を、こちとら縁の下で構わぬと切りし啖呵。そりゃ万事他人任せの御都合主義に居並ぶやかましいセンセイ方を別な表現で述べただけの話にて何もそこまで機会奪わずとも、と憤慨するは出身母体から与えられし代表質問の原稿。議長は多忙でしょうから後はこちらでやっておきますとの伝言。

おい、そんな戦力外通告はないだろ、厳し過ぎる追及は役人に煙たがられていることは全庁的に知られたところ(?)だが、そんなバカげた話があるか、徹夜してでもやるからもっと仕事をよこせと返事をしておいたのだけれども以降は向こうからの連絡が途絶えた。やはりいかなる状況下においても物事には前向きな姿勢を示すこと、そして、そんな人の気を削がぬこと。思慮は悲観的でも所作は楽観的に。

そうそう、肝心の胡蝶蘭、ちゃんと地元の事務所に届いておりますゆえ御心配なく。

(令和元年6月10日/2504回)

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2019年6月 6日 (木)

修身

秘密裡の尾行、本来は別容疑もその過程において掴みし思わぬ性癖、というか嗜好。さすがに次官ともならば身辺に警戒払って然るべきも議長如きでは...と歩きつつ気になる背後。「本書の92%は現実である」と謳われた帯に手に取りし一冊。根拠示されぬ数値はあくまでも著者の主観。主観ってのは恣意的な分、時に都合よく利用されかねず。

抜く抜かないの判断は相手次第。同じ行為とて人により合否分かれるとは理不尽ではないかと時に同情を寄せたくもなるのだけれども卑劣な行為に泣いた人は数知れず。そんな被害者を救済すべく成立した法律も罰則なく実効性云々の記事を見かけた。あの御仁の発言とてその前後の脈絡抜け落ちては本人の胸中分からず。何も気分害されるはその言動に限った話でなく。その断片的な一節を以て差別的だとか権利侵害だなどと騒がれても。ならば万人に支障なき言動とは何か。

自ら撒いた種とはいえ、あそこまで集中砲火を浴びると火の粉が及ばぬ程度に救いの手を出してみたくなるもので。御節介が過ぎただけの話で意外と口ほどに腹の中は悪ではないのではないかと思わんでもなく。まぁ最近などそんな昔気質な親父もとんと見かけず、どことなく寂しさ覚えるのは私だけか。酒癖悪い上司の説教然りそれを理由に拒否するは権利なれど逆に拒んで逆恨みを買わば元の木阿弥、ならばいっそとことんまで...ないナ。

相手を不快にさせる言動は厳に慎むべし、と知りつつもいつしか知らずと加害者になっていたりもするもんで、時に反面教師ってのは必要悪ではないかと。何よりもそんな攻撃浴びる中に処世術を磨く機会が埋もれていたりもする訳でそのへん克服することに人生の妙味が...ないナ。まぁそれとて誘われても拒んではいけないなどと片方を正当化するもんでもないけど、過ぎたるは及ばざるが如しにて時に間違った権利意識の横行は国の将来、というか本人の為にもならんのではないか。世間こぞってそこまで目くじらを立てずとも...。

「自らみすぼらしい一書生のくせに政治家とか実業家などと言えばこれを毛嫌いして心中ひそかに軽蔑している程度の狭小な了見でどうしてその教え子たちの中から将来国家社会に貢献するような大人物が生まれようか」と文中にあった。占領下にあっては検証すら許されぬ、時代背景がそうさせたとは申せ、過去の全否定はどうか。「修身」などと言わば戦前の教育勅語に繋がりかねぬとの偏見、ならば全否定した戦後教育が立派な若人を生んでおるかと問われれば...。年齢が圧倒的に違うとは申せ、昭和初期に生きた方々に教わること少なくなく。

ひょんなことから森信三氏の「修身教授録」を読んどるのだけど教師を目指す若者へ心構えを説いておられて、そんな目から鱗の講義録を見つけしエラい先生が本著を必携の上、全国教壇行脚に出かけたとか。そちらの道を志望する人ばかりか万人にぜひ読んで欲しい一冊。そんな一文すらも魔女狩りに遭う息苦しい時代が来ぬことを願いつつ。客観性がないからこそあれこれと解釈が成り立つ訳でそんな勝手な思い込みを綴って読者諸賢に判断をいただくってのがまた何とも...。

(令和元年6月6日/2503回)

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