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2018年11月

2018年11月20日 (火)

用件

発言の断片が悪意的に抜かれること往々にして。本命の作品もキチンと見たはずも中にはんなことは知らぬ御仁もいる訳で隣の企画展にいる姿を目撃されれば誤解招かぬとも限らず。児童作品展の表彰式も来賓席から見えるポスターのあの冷徹ながらどことなく憎めぬ眼に睨まれては落ちつかず、後日改めて。運営収支厳しい最中の起死回生の一手となるか、連載五十周年記念特別展の副題はズバリ「用件を聞こうか...」。いや~よかったナ。

県立高校から議長宛に依頼があって無所属含む各会派一人が特別授業に協力することになった。私など得意とすれど一人五役六役を背負う団長の身にて誰か他に。んな時は一丁上がった議長経験者にと白羽の矢が立って了承されたはずも暫く後に所用を理由に当人が辞退、了承済と推挙された後任も都合悪く出席叶わぬ...と第三者の議会局から聞いた。そりゃ団の決定なのだから団長宛の申出がスジなれど役所を介して伝えて来るってのは...。尻拭いにて私が七役目を務めることになった。さながら自由研究の審査委員のような役回りなのだけれどもやはり若者相手ってのはいいね。

そう、特別授業といえば今年も授業参観を終えた。一時間目に設けられた特別授業は「将来の夢」。働いている方に話を聞いて仕事を知ろうとの趣旨にて保護者父兄に自らの職業を語っていただく。居合わせて振られたらかなわん、二時間目以降の参観が多そうだと娘。こちとらまいど朝礼からが慣例なのにそんな敵前逃亡など出来るか、所詮は小学生相手であって誰も居らねば私が...などと自信見せれば半数以上が私学受験の学級にあって担任の知らぬことまで知る今どきの生徒は「かわくない」と娘。

そんな事情知らぬ担任は準備に余念なく予め依頼しておけば...と呼ばれる御子息。「今日は先生に呼ばれなかったか」-「兆候もない」と息子。最初の登壇は看護師。用意された原稿を終えて冒頭の質問は「年収はどの位ですか?」。うん、確かにかわくないナ。遮る担任、さりとて、それが児童生徒の関心とあらば当意即妙、怯むことなく機知に富んだ切り返し出来ずば相手は図に乗る訳で。そんなませた生徒諸君に職業に貴賎なしとでも...機会なくチャイムが鳴った。

さて、前掲の小田理恵子センセイ、通称オダリエの著書に「パルプンテ」が登場し、もしやこやつも...。そう、ドラクエの呪文。小学生の時にⅢの音楽にハマって鍵盤を惹き始めたのがこの世界に入る端緒だったと語る楽団員。それでおよそ年齢が判明するんだけど、今やⅩを数える不変の名作。ファンならずとも知るすぎやまこういち氏が手がけるドラクエのコンサートに顔を出した。きっかけはやはり若者との会話。

郷愁を誘うというか童心に返るⅠの序章なんかは管楽器主体なれどクラシックの名曲に劣らず。オケ編成で生まれる重厚感はラヴェル編曲による「展覧会の絵」(原曲はムソルグスキー)を連想させる。所詮はゲーム音楽と侮るなかれ、映画然り名曲なくして大作あり得ず、埋まる客席がその価値を物語る。クラシックなどは御年配者多く、私などは若い部類に入るのだけれどもこちとら大概が私と同世代か年下。それを潜在的な需要と見れば悲観せずとも十分に余地はありそうで。

特有の権威と固定観念を断ち切れればの話だけどそのへんがやはり...。

(平成30年11月20日/2465回)

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2018年11月15日 (木)

数学

「ヨソモノ議員只今奮闘中」とあてがわれた演題の講演を終えて一人の御婦人から声をかけられた。「私の息子が数学科の在籍なのですが就職は大丈夫でしょうか」。

そう、伝統誇る郷里の母校同窓会のひとコマ。語られる波乱万丈ならぬ抱腹絶倒の半生。今の仕事こそかろうじて最下位で拾われたものの、こと採用試験となると転職も含めて惨憺たるあり様にて。微分積分が何かの役に立ったかと問われれば返答に窮するし、確率とて所詮は机上の理屈、緻密に計算された確率も運に左右されては...。

小中高の数学と大学のソレとは似て非なるもの。その境地に達するには地道な積み上げが求められ、そこに費やされる労力の割に一般社会で報われぬ。米国の金融街では数学者こそが重宝されるなどと自慢してみるもそりゃほんのわずか。理か文かといわれればそちらが適性で白衣と試験管を拒んだだけの結論なんだけど、同じ試験科目に合否の点数とて大差なく後々のことを考えれば他の学科のほうが...。

看板こそありつつもヨソモノゆえどこぞに後ろ盾は居らぬかと求められた初陣の弁士。特異な世界と知りつつも他にツテなく御隠居の教授に打診すれば遠路はるばる応援に駆け付けた。「それでは弁士に御登壇を...」-「えー、わが母校の数学科こそは...」とついぞ私の名は登場しなかったのだけれども見るからに教授然とした教授が演台に立てば台下の生徒はじっと聞き入るのみで。内容は兎も角もその熱弁に割れんばかりの拍手。ということで今回なんぞも君の専攻は数学かと詰め寄られて手渡される論文。好きなんだナ、数学。

本会議の欠席こそあれども支援者の葬儀とあらば馳せ参ず。情報網の薄さを悔やんでみるも届かぬ訃報。落選の下馬評ぶら下げた見知らぬ候補者に激励の言葉。そんな逆境の時こそ覚えているもので以来ずっと懇意にしていただいた支援者の訃報を後で知った。「本来は身内だけのつもりでしたので...」と語る喪主に案内され御霊前に手を合わせた。御遺族から聞かされる当人の知られざる逸話を懐かしみつつ、帰り際、玄関に無造作に置かれた柿を形見にほおばった。

忌諱されがちな死、伝えるべきか、伏せるべきか。おらがセンセイなんぞは単純明快、人同士が疎遠になる世においてそれを機に普段会わぬ顔を見れば何らかの会話が成り立つのだから故人も報われると公言はばからぬも最近は身内による家族葬も少なくない。他人様に余計な負担をかけたくない、いや、その関係が煩わしい、何かと気遣いが億劫、そんな薄情な意図は無いと信じたいが、異なる価値観に割れる判断。

そう、暇に見られてか年末の同級会の勧誘係を仰せつかる、いや、押し付けられているのだけれども折にふれ聞かれるひと言「この齢になると」。アンタは変わらず...いや、同い年です。五十路前にしてそんな状況なのだからその後は推して知るべしで。がんばるブスか、ままのブスか、老人は飾るべきか否か、大台前の同級会を舞台に根源的な葛藤を軽妙に描く一冊。内舘牧子氏の最新刊「すぐ死ぬんだから」を読むべしと返信しておいたけれども...。

(平成30年11月15日/2464回)

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2018年11月10日 (土)

陰徳

そう、慣れぬことをするもんだから...。前回の画像が粗すぎたそうで、更新してありますゆえ再度「じっくり」と御覧あれ。

夏が万年雪ならば冬は...常夏の海。どこまでも続く碧緑色の海に青い空。エコアイランドと名の付いた宮古島マラソンを完走した。大会の宣伝に利用される一枚の写真、伊良部島に伸びる全長3.5キロの橋からの絶景は見応え十分も降り注ぐ灼熱の太陽に侮れぬ橋梁の起伏。終盤の失速は明らかな練習不足なれど折返し前とあっては原因は別にあり。

棄権の判断が脳裏をかすめた直後に少し前のランナーが倒れ込んで救急搬送された。気温三十度にインナー着用とあらば体内温度も上昇する訳で脱衣と水分補給にて窮地を脱した。途中、隣のランナーが声をかけてくれてゴールまで雑談に興じつつ併走。余計な体力を消耗する訳にはいかぬと拒む御仁も居られるのだけれども気が紛れるからね。やはり孤独の道中はツラい。

ゴールを待ち受けるNさんの完走記録は3時間04分。惜しくもサブスリーを逸したと語る当人の出走はハーフにて。そんなNさんに見送られてタクシーで一路空港に向かい、シャワーも浴びずにそのまま機内に駆け込んだ。完走から離陸まで数十分。到着は前日の夕刻、出発は翌日のほぼ同時刻にて滞在時間はちょうど二十四時間。はるばる南国の島まで何しに行ったのかね。そう、あれは去年、何かの折に「走ろう」と固い握手を交わして迎えた今年。何とか男同士の約束を果たし得た。

そう、沖縄といえば基地?いや、それは別な機会に譲るとしてやはり...ハブ。が、この宮古島だけはハブは生息していないのだそうで。それもそのはず御当地には山が無く、ってことは川も無い。つまりは地下水に依存せざるを得ないから水への意識高く。そんな事情を教えてくれたのは地元のUさん。Nさんとは十三年ぶりの再会だそうで前夜の壮行会。私の生い立ちを紹介していただいた際にUさんが口を挟んだ。

Uさんによれば島の恩人が新潟県人だそうで今も交流が続いている「はず」と。薩摩藩の支配下において重税を課された琉球王朝の矛先が向いたのがこちら。何せ先島諸島、先の島だからね。にわかに信じがたいが、過去には人頭税なんてのがあって島内には不格好な形をした岩が残る。「賦測石」と呼ばれるその岩は当時の名残だそうで、背丈がその岩を超えると税が課せられたとか。

そんな人頭税の廃止に尽力された人物が島民ならぬ新潟県人だったと。今は便利、スグに調べられるからね。中村十作という人物にあたるも過去に名を聞いたことなく。さもありなん、著述によれば当人は郷里の実家に一切語らず、それを知ったのは死後に御当地の中学校長からの手紙だったとか。井戸を掘った人の恩は忘れるなとはよくいったもので世に知られずとも村に語り継がれる功績。

私なんかは血縁でもなく、たまたま「同郷」だったってだけなんだけれども御厚意に預かり、ものすごくデカい伊勢エビを筆頭に狭しと並ぶ郷土料理の数々と地元の泡盛。それでいて御代は要らぬなどと言われると...やはり持つべきはコネと郷里の偉人だね。いやいや、それでいてさすがに「ごっつぁん」とはいかぬ訳でNさんの居ぬ隙に押し問答があって「足りぬでしょうが、残りは御馳走になりますゆえ」と相手のポケットにねじ込んだ。

(平成30年11月10日/2464回)

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2018年11月 5日 (月)

高僧

秋の日は釣瓶落としとはよく言ったもので落日が早くなった。他陣営に比べて枚数だけは「格段に」多いもんだから追われる貼り替え。線路沿いの壁に貼られたポスターなんぞ白昼堂々とあっては不審者に間違われかねず、深夜にそっと踏切から侵入して...。

「おい、不法侵入」、振り向けばスマホのカメラがこちらに向いていた。運動会の寝ている写真を撮られたのもこの御仁だったナ。深夜の二三分のはずも「そんな時に限って」「最悪の相手と」居合わせる不思議。新たなポスターの写真はこのバカ面でどうか...なんて悪い冗談よしてくれ。えぇ、私が属する神社若手会の会長です。

んなこともあったりして、手軽さこそ認めるもあの来賓席からカメラを向ける仕草は品位を損ねておらぬかと思わんでもなく。そんな席に身を置く恒例の児童作品展を終えた。市内の小学校から寄せられた作品数二千点の中の絵画の部の最優秀作品は娘の同級生だそうで。おらが神社の境内の盆踊りを描いた作品。で、書写の部なんぞもフツーに巧いとは思うのだけれどもやはり字を書く機会が減った分だけ。文章では伝わらぬもどかしさ、写真であれば一目瞭然なのだけれども。そう、書写といえば...。

木製の立派な額に劣らぬ字の主は大そう徳を積まれた御仁に違いないと由来を聞けど知る氏子なく。賽銭箱の向こう側、御神体が祀られる本殿手前の拝殿の正面に飾られた額。百聞は一見に如かず、まずは一枚の写真を。読者諸賢はこの字を何と読む。

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漢字の部首は左が偏(へん)で右が旁(つくり)。私なんぞは左の漢字のヘンが言偏(ごんべん)であること位は分かり得るもあとは推測。その旁(つくり)部は「変」に見えてしまうのだけれども言偏に「変」なんて漢字無く。ならば右の漢字はどうか。偏(へん)が「十」で旁(つくり)が「曷」と推すれどもそんな漢字無く。仮に手偏とすれば「掲」が思い浮かぶのだけれども左の漢字と併せたらしき二字熟語は...。

かくなる上は、と訪ねし書道家。主不在にて同じく書道家の奥様に鑑定を依頼すれば左の文字は「誠」なれど右の字に悩む。ヘンは土偏に見えなくもないが、仮に「土」だとすれば旁(つくり)に悩む。御主人に言伝いただいて後日改めて鑑定結果を拝聴することになった。

で、数日後。大家曰く、右の漢字は「謁」ではないか。とすればその偏(へん)は「言」なのだけれども左側の「誠」の「言」とは随分違う。そこを問えば、同一の文字を書くに横棒一本の太さ濃さ角度等々、あえてそうすることは少なくないと。そもそもに謁見などに見る「謁」の字の語源というか形声は「神に告げ求める」の意を含むものゆえ不自然ならず。

確かに言われてみればその筆跡や「言」に見えなくもなく。とすれば次なる疑問はその意。「誠謁」なんて熟語は存在し得ず、逆に読んで「謁誠」とて同じ。ふ~む。が、そこはさすが大家。「戒名然り、造語というか誰も知らぬ熟語の意を説くことに高僧の高僧たる所以があるではないか」と。「誠」を以て神様に「謁」するの意と解釈すれば確かに。

揮毫者でなくばその真意知る由もないが、高僧に負けず納得させられる名解説ではないかと。

(平成30年11月5日/2463回)

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