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2018年1月 5日 (金)

揮毫

行く年の達成感も手伝ってかその日ばかりは心静かに朝を迎えるもやはり初詣は午前に限る。早々に身支度を整えて神社仏閣の参拝に家を出れば降り注ぐ陽光に昔を懐かしんでみたり。同じ国土にありながら表と裏で冬の天気は真逆、およそどんよりした曇空か吹雪、三が日の内に一日でも晴れてくれればそれが初詣となる雪国の正月。

一夜に背丈以上積もる雪をかきわけての通学、そんな疲れも知らず学校の先生の話だけはしっかりと。年の瀬は地元を随分と歩いたんだけれども学校関係の相談事が少なくない。教育者たるもの世間様から一目置かれる教養と威厳を備えた存在であるべきで、昨今の保護者と学校の関係の希薄化の一端は教職員などとの労働者然とした呼び名にあるのではないかと勝手に信じ込んでいるのだけれども。どんなにダメな教師であっても子供の前で担任の批評は慎むべしという持論を有した先生が他界されて数年。そんな親心が現役にどれほど伝わっているか。天文に漢文が御専門にて教わること多く、教育者とはかくあるべしとまさに模範となる御仁であった。

声の大きさが自慢にならぬ自慢の一つにて隣から聞こえた私の声に玄関で待ちわびていたらしいのだけれども待てど暮らせど呼び鈴鳴らず、二時間は待ったとか。世の趨勢に媚びぬどころかバッチも臆せずにモノ言う御仁は相手に不足なく、招かれるままに上がり込んでしまった隣家の主は退職後に地元で書道教室を営む名物先生。書といえば私とて...。筆は寝かさず立てる、筆の上に一円玉を載せて落とさず自在に操る名人の名は今も同窓会で語り継がれるところだが、私とて幼少時に書道教室に通った身にて文章の訂正を赤ペンで指示すれば達筆過ぎて読めぬと言わしめる腕前の持ち主。

区内某神社の拝殿に掲げられた木板に刻まれた漢字二文字が読めず、神事の際に御当地の氏子に訊ねはしたもののついぞ知るものなく...。字こそ読めぬもその筆跡を見るに主はさぞ立派な高僧ではあるまいかなどと想像を巡らせつつ、出典が分からぬとあっては自らの乏しい教養を反省するばかりだけれども字が読めぬとあっては話は別で床間の掛け軸で恥をかかぬよう何か手立てはないものかと先生に教えを請うてみたり。

それが万人認めるスゴ腕であればまだしも揶揄を込めて嘲笑される位だから後世に残されては末代までの恥とばかりに私などはまっぴら御免なのだけれども、さりながらやはり字が残るというのは大物の証、というか名誉なことらしく、随所に残る揮毫(きごう)。かつて、義経公の伝説残る地元の橋名板の揮毫を手がけたそうなんだけど、老朽化に伴い更新されたと聞いて同じ人物に揮毫を依頼しなかったのかね...と言いかけてはたと気付いた。

そういえばあそこは確かおらがセンセイが...。口は災いの元、カドが立つから御茶を濁して話題を変えてしまったのだけれども当人の作の一つに某市立高校の碑が含まれるのだそうで、こんどぜひと約束したものの善は急ぐに越したことなく。初詣後に帰宅しようにも家人には歓迎されざる身にて放牧明けの一走ついでにと。登戸駅から川崎駅まで多摩川沿いを走り、途中、氏の傑作を拝ませていただいて元旦を終えた。

(平成30年1月5日/2403回)

電子書籍「一日一話」

「一日一話」表紙

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