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2018年1月

2018年1月30日 (火)

合葬

蝋燭の火を付けかえてそろりそろりと。御先祖様が宿る火は消さぬように...と。代々の家じゃあるまいに墓の大小が家柄を左右するもんでもないけれども数年前に相手の事情で郊外に移転した際に随分と小さくなった。が、田んぼのど真ん中ゆえ眠るには好都合かも。

死せば何も残らぬ、自然に還るだけだから地獄の閻魔大王など業界の陰謀ではあるまいかと疎んでみるも信心深い性分にて積善の家に余慶ありと聞けば粗末に出来ん訳で。今あるは御先祖様の功徳の賜物、そりゃ当然の責務にて私は厭わぬも子の代となるとどうか。が、そんな悩みは私だけではないらしく30年後位迄に無縁化する可能性があると回答した市営霊園の利用者は67%だとか。

未だ墓が見つからずに遺骨が仏壇に置かれていて...と「特別な」御遺族から相談があって、早く成仏してもらわねば報われぬ、退屈しのぎの話し相手になどと勝手な都合であちらに呼び出されてはかなわんゆえ墓の一つ位は何とかせぬかと市の担当者を「脅した」のだけれどもあくまでも抽選とにべもなく。おい、幽霊に会っても知らんからナ。

返還された墓所の再募集なんてのは不動産の事故物件のようでどことなく落ち着かぬ気がせぬでもないのだけれども抽選倍率は5倍ならぬ50倍だそうで。川崎市霊園整備計画の説明を受けた。本市にはJR南武線の津田山駅前の緑ヶ丘霊園とおらが区の里山残るエリアに早野聖地公園があって墓所数で3万8千基を有する。

緑ヶ丘霊園はほぼ全体の整備が完了しており、現在は改葬等により返還された墓所の再募集のみ。一方の早野聖地公園のほうはかなりの余裕があるものの更なる整備には用地買収を伴うだけに管理料の余剰なくば...。今後、概ね10年間に市営霊園の需要を1万9千基とされていて、人口が150万人を突破したなどと騒いでみても転入組ばかりなのだからそちらの更なる需要に繋がりもするであろうし、再募集の50倍はさすがに補欠のようなものなれど、それ以外の平均倍率も3~4倍とあらば何か手立てを講じねば追い付かず。

そう、最近などは一つの墓所に縁者だけでなく他人様を含め、多数の遺骨を一緒に埋蔵する有縁合葬墓なんてのが人気らしく、そちらの利用希望が約6割、管理料など収益面や土地利用を勘案すれば合理的に見えなくもなく。緑ヶ丘霊園などは8千5百分の有縁合葬墓を整備することで既存の墓所からそちらへの移行により生じる返還墓所を新たに再募集して循環を図るとか。

ふ~む、合葬などといえば見知らぬ御仁と一緒にわいわいやれそうな反面、時にプライバシーなどはどうなんだと余計な心配をしてみたり。やはり何々家などとあの墓石があったほうが御先祖様を敬う意識が育まれそうな気がしないでもなく。それも古い価値観か。久々にモーツァルトを聴いたけれどもこの御仁も確か...。

(平成30年1月30日/2408回)

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2018年1月25日 (木)

軽音

センター試験にムーミンが出題される位だから然して不思議はないんだけれども今や小五の社会科のテストにブログやSNSが登場するのだとか...。備忘録?否、戯言の類にて取り立てて宣伝はしとらんのだけれどもR15指定でもなく級友数名がこちらの読者と聞いた。小五ですぞ、小五。

そう、当番の役目果たさずに給食にありつこうとしたF君に先生のカミナリが落ちてその日の給食は箸に手を付けなかったとか。働かざる者食うべからず。先生の指導正しく、箸に手を付けぬF君の行為とて思春期の反抗。が、それで終わらぬ。非常識な親であれば苦情が寄せられそうなもんだけど、翌日は誰よりも働いておかわりをしたと。その親にしてその子あり。当人も立派なれど親御さんの躾に座布団一枚。

さて、退職迫るA局長の花道か、隠れた意図は知らぬが本市では初めての高校生議会。市立五校の高校生の選抜が本市の将来を語り合う疑似体験。ホンモノの議長以下、常任委員会の正副委員長が駆り出されて付き合うことになった。冒頭の本会議に次いで三つの委員会に分散して意見書をまとめるというのだけれども私の分担は観光・まちづくり委員会。

議員席には高校生が座り、理事者席には副委員長に両脇を固められる形で私も座ったんだけど、レンタサイクルと放置自転車などは有意義な議論であったし、プロジェクションマッピングなんてのも「ならでは」の発想。いづれも興味深く拝聴させていただいたんだけど、中に立派なホールがあるのだから市内高校生による音楽コンクールを開催してはどうかとあった。

檜舞台はアマには似合わぬとの見えぬ権威は分からぬでもないが、将来を担う若者にとっては夢の舞台にてその後に与える影響いかばかりか。最近はミューザで首都圏の音大生によるコンクールが開催されていてプロに劣らぬレベルの高さに低料金とあって愛好家や関係者には大変好評だとか。そう、最近よく聞く「軽音」って吹奏楽部の別称かと思いきや似て「全く」非なるもの、バンド専門で顧問も違えば校内においても味方というよりもむしろ...。

で、いらぬ意見交換の時間なども用意されていて、些か緊張気味な様子にて口数少な。初対面ってのはこちらに一日の長があるとは申せ、微妙な年齢差。隣のI君なんぞは元カリスマ塾講師にてその年頃の扱いには慣れていそうであるし、反対側のTセンセイなどは物腰穏やかでまさにセンセイの鏡にて私の役回りは...。

高校生の悩みは尽きぬ、私の得意分野は恋愛論にて恋の悩みのみ承ると挨拶をすれば「なれそめを教えろ」なんて質問が飛んで、「結婚は早いに限る、勢いだ」と親父の小言が如く御節介を焼いてしまった。資質を疑われぬよう最後に過疎に悩む村を変えた高校生レストランの話を紹介して委員会を終えた。

で、再び本会議にて意見書案を採決して閉幕となったんだけれども講評に立った教育長。いづれこの中から議員が...。そうたやすくは譲れんけど、後進に追い越されるは本望ではないかと。

(平成30年1月25日/2407回)

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2018年1月20日 (土)

食欲

日々外で遊び呆けていたもんだからカロリーの消費量は他にひけをとらんのだけれども食い意地が張って消費以上に摂取過多とあって苦手種目は持久走。なんでこんなガリ勉の後塵を拝せねばならんのかと。ゆえに最後尾の胸内もよく分かる訳で今年も一緒に走ることになった。区少年野球連盟主催の新春マラソン大会。学年別個人対抗で記録会を兼ねる。

全学年と御一緒しても「たかだか」十キロ程度にて然したる疲れも残らんのだけど、何よりも後の予定が目白押しとあって長居は出来ぬ。不本意ながら最初の学年のみ...と挨拶しかけて野次が飛んだ。「えぇ~~!」、オレたちの学年とは走らんのか、遺留の意と解釈することも出来ようが、逃げるとは卑怯なりの挑戦状に聞こえなくもなく。最初の三年生に続く四年生も御一緒して次の予定に駆け込んだ。

吉日選べば必然的に日時重なる同僚諸氏の新年会。団長なんてヘンな役職を負わされているからその動向は余計に注視される訳で、オレを軽視したナとひがまれても...。全て回るにしても到着が余興の最中とあっては司会者泣かせでかえって失礼。古株、新人、副団長のいづれを選ぶか。一目置かれる議長経験者が順当なんだろうけど、派閥の親分とか時の人ならば支援者は固定客多く、権力に群がる連中も上乗せされるから来賓が多少欠けようとも大勢に支障なく。ならばいっそ新人のほうに...。

そう、かねてより気になっていた一冊「院内選挙」(久下部羊著)を読んだ。大学病院の院長の突然死に伴う選挙を描いた医療小説。オビには「医学部で一番偉いのは何科の教授だと思うかね?」とさもありそうな台詞に内科、外科、眼科の権威に弁舌冴える若手教授が我こそはと御託を並べるその御口上が何とも。世間の常識とかけ離れたその価値観の真偽やいかにと疑問を呈してみても現役医師だからこそ描ける本音の医療小説とあっては...。

ワイン仲間に現役の若手医師が居られて年に数回を御一緒させていただくのだけれども普段聞けぬ話に教わることが少なくなく。あれだけの偏差値社会をくぐり抜けてきたのだからそちらは申し分なさそうだけどセンセイの敬称に無意識に生まれる優越感、が、そんなセンセイ方が日々対峙するのはビョーキの方々だけに息抜き欠かせず、勝ち組の代名詞も実態はどうか。私が独断と偏見で選ぶ話のネタの御三家は医者に警察、そしてやはり最後は...。

さて、医師会の賀詞交歓会。当日は御長寿を迎えた医師らに対して各種の功労賞が授与されるんだけど、社会貢献が顕著だった医師に対して贈られるプロボノ大賞。今年の受賞は川崎南部摂食嚥下・栄養研究会なる団体の代表、中岡康医師。在宅医療の必要性が叫ばれる昨今において往診以上に必要なことは寝たきりにさせぬこと、その為には「食」だと。健康長寿を「食」で考える市民講座を開設された功績だとか。

私の拙い経験則によれば病床に伏せる相手の命運を知る指標の一つに食欲があって、旺盛ならば治癒に向かう事例が多く。やはり生きる根源は食にあるのではないかと。

(平成30年1月20日/2406回)

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2018年1月15日 (月)

振袖

そのへん抜かりなくぞんざいな態度はあり得んはずなんだけど、長蛇の列を横目に、途中、見知らぬ御仁から小言を頂戴した。「ちゃんと並ばずに役得はありえぬ」と。こちとらバッチをかざして支援者の便宜を図ることはあっても自らが列を追い抜いて粥にありつこうなどというセコい意図は微塵もなく。あさお古風七草粥の会のひとコマ。

黒川の野草摘みに始まる関係者の労をねぎらうべく挨拶にいそしんでおれば、折角来ていただいたのだから...と会長自ら特製の粥を用意して下さって。こちとらそんな御厚意をいただいた以上は何らかの形で報いねばならんのが人の道。会存続の為の募金箱に多めに入れた。

さて、巷で話題のあの一件。例年、おらが神社の流鏑馬と重なることからそちらの下働きをして式典に向かうのだけれども境内で晴れ着姿の新成人を見かけることが少なくない。Yさんの孫娘が新成人と聞いた。神社への参拝後に送迎をせがまれているそうで、私宛に隣区のHセンセイが迎えに来るから御一緒でもと申し出ればぜひ頼むと喜んで下さって。

私が行かねば幕が上がらぬゆえ御心配なく(いや、実際には上がっちゃうんだけど...)などとエラそうに吹いてみたものの、待てど暮らせど約束の時間に現れぬ孫娘。携帯の通話こそ聞こえぬもののYさんの表情から察するに不穏な御様子にてついぞ現れず、もしや...。

いかなる不運が重なったにせよ全ては自らの不徳、御客様並びに従業員には損失が及ばぬようにとなるべきを他人様を踏み倒してでも自らだけは...なんてのは当面はしのいだにせよ報われぬ末路。立場違えど店予約の無断取消も然り。多人数に一人の欠員とて申し訳ないと詫びるのが誠意、店とて聞かずとやむにやまれぬ事情ならば違約金は忍びず、用意した食材は他の客で何とかするゆえとなりそうなもんだけど、無断取消が数十名規模ともなれば...にわかに信じがたく。

仕込みの都合もあるだろうに、それが手付金なんてものなんだろうけど不動産売買じゃあるまいに逃がさぬ口実となっては相手を疑っとるようで些か物寂しくもあり。ましてや一部代金ならぬ全額前払いとあっては夜逃げの前兆と知りそうなもんだけど、そこは相手の弱みにつけ込んだ巧妙な手口。

ハレの日にさばききれぬ需要。本市など新成人だけでも1万2千人もいる訳で、午前と午後に分けて行われるも一向に動かぬ車の列にごった返す会場。全国的な報道が蛮行を助長してきた面は否めぬものの、物々しい警備に囲まれての式典は厳かとは程遠く。新成人を祝う意義こそ薄らがずとも再考の余地はないものか。

本チャンとは日程をズラして行われる心身障害者「成人を祝う会」主催の成人式に来賓として出席させていただいた。こじんまりとしながらも同級生や恩師との再会を喜び合う笑顔は何物にも代え難く。新成人おめでとう。

(平成30年1月15日/2405回)

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2018年1月10日 (水)

白恋

遠目にはほぼ同じに見える棒の高さもてっぺんのほうだけ切り抜いて縦軸の目盛を加工すれば大きな差に見せることが出来る訳で都合よく見せる手口に御用心、と国の役人に教わったことがあった。そう、棒グラフの話。年末年始の勤務表、私などは元旦を除く三が日、つまり二日間ゆえ丸は二つなんだけど大晦日から元旦は細分化されていて時間の割に出番が少ないように見えなくもなく。

年末に注文を受付けた名入りだるまは正月の参拝客に見えるように飾られるもんだから名を売ってなんぼのセンセイ方には大変好評であって、他に負けじと大きくしてみたり色づけてみたり。色や大小が当落を左右する位ならば私なんぞはとっくに金色の特注品でも注文しとる訳で、あくまでも自宅用にて「例年同様」とそっけなく返事をしておいたはずなんだけど、届いただるまが昨年より二回りほど大きく、いつもの棚に入らぬ上にちゃっかりと金額だけは...。

まぁそんな面々が相手ゆえに酒でも呑まねばやってられんと指定席を陣取れば呑んでくれと言わんばかりに目の前には泡盛が置かれていて気付け少々と始めたつもりが...。四合瓶といえども度数は四十数度の代物にて薄めるなんてのはもったいないとそのままにやっていたことは事実なんだけれども私一人が平らげたなんて話になっていて。その程度の話ならあり得んことではないのだけれども酩酊の上、巫女に絡んでいた、というか口説いていたなんて「おまけ」まで吹聴されて。

酒の肴には格好のネタらしくもっぱらそんな話題が村内を賑わせているとか。こともあろうに昨日なんぞは通夜の参列時に「あっ、酔っ払いだ」なんて言われる始末で、その前は「おい、巫女」であったし、そんな呼び方あるまいに。寒風吹きすさぶ中、目立つ舞台に巫女が一人でおるもんだから親切心に「白い恋人」を届けたついでに退屈しのぎの相手を演じただけなんだけど、まぁ二人だけの会話の中身は...違うか。悪名が無名に勝る数少ない世界にてそんな醜聞といえども話題に上がる方が忘れられずに...。

さて、そんな酒の話題に事欠かぬのが落語。昨年は高校の先輩である瀧川鯉橋氏による「井戸の茶碗」の一席を拝聴させていただいたんだけれども落語には多くの人生訓と示唆が含まれる上にあの語り口調だけで客を魅了する話術に教わることも多く、本年もそんな機会を狙っているんだけど、ナマ落語、寄席となると喰わず嫌いというか知人でも居らぬ限り機会少なく、まずは落語そのものの魅力を知ってもらわねば木戸銭には繋がらぬ訳で。

年末年始の特番の視聴率、昨今などはカメラ向こうの茶の間を沸かせるというよりも芸人自らが勝手に愉しんどるだけではないかと思しき番組も少なくない。正月のいつぞやの深夜に「超入門!落語THE MOVIE」の総集編が放映されていたけれども趣向を凝らした内容に隠れた名番組ではなかろうかと。

(平成30年1月10日/2404回)

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2018年1月 5日 (金)

揮毫

行く年の達成感も手伝ってかその日ばかりは心静かに朝を迎えるもやはり初詣は午前に限る。早々に身支度を整えて神社仏閣の参拝に家を出れば降り注ぐ陽光に昔を懐かしんでみたり。同じ国土にありながら表と裏で冬の天気は真逆、およそどんよりした曇空か吹雪、三が日の内に一日でも晴れてくれればそれが初詣となる雪国の正月。

一夜に背丈以上積もる雪をかきわけての通学、そんな疲れも知らず学校の先生の話だけはしっかりと。年の瀬は地元を随分と歩いたんだけれども学校関係の相談事が少なくない。教育者たるもの世間様から一目置かれる教養と威厳を備えた存在であるべきで、昨今の保護者と学校の関係の希薄化の一端は教職員などとの労働者然とした呼び名にあるのではないかと勝手に信じ込んでいるのだけれども。どんなにダメな教師であっても子供の前で担任の批評は慎むべしという持論を有した先生が他界されて数年。そんな親心が現役にどれほど伝わっているか。天文に漢文が御専門にて教わること多く、教育者とはかくあるべしとまさに模範となる御仁であった。

声の大きさが自慢にならぬ自慢の一つにて隣から聞こえた私の声に玄関で待ちわびていたらしいのだけれども待てど暮らせど呼び鈴鳴らず、二時間は待ったとか。世の趨勢に媚びぬどころかバッチも臆せずにモノ言う御仁は相手に不足なく、招かれるままに上がり込んでしまった隣家の主は退職後に地元で書道教室を営む名物先生。書といえば私とて...。筆は寝かさず立てる、筆の上に一円玉を載せて落とさず自在に操る名人の名は今も同窓会で語り継がれるところだが、私とて幼少時に書道教室に通った身にて文章の訂正を赤ペンで指示すれば達筆過ぎて読めぬと言わしめる腕前の持ち主。

区内某神社の拝殿に掲げられた木板に刻まれた漢字二文字が読めず、神事の際に御当地の氏子に訊ねはしたもののついぞ知るものなく...。字こそ読めぬもその筆跡を見るに主はさぞ立派な高僧ではあるまいかなどと想像を巡らせつつ、出典が分からぬとあっては自らの乏しい教養を反省するばかりだけれども字が読めぬとあっては話は別で床間の掛け軸で恥をかかぬよう何か手立てはないものかと先生に教えを請うてみたり。

それが万人認めるスゴ腕であればまだしも揶揄を込めて嘲笑される位だから後世に残されては末代までの恥とばかりに私などはまっぴら御免なのだけれども、さりながらやはり字が残るというのは大物の証、というか名誉なことらしく、随所に残る揮毫(きごう)。かつて、義経公の伝説残る地元の橋名板の揮毫を手がけたそうなんだけど、老朽化に伴い更新されたと聞いて同じ人物に揮毫を依頼しなかったのかね...と言いかけてはたと気付いた。

そういえばあそこは確かおらがセンセイが...。口は災いの元、カドが立つから御茶を濁して話題を変えてしまったのだけれども当人の作の一つに某市立高校の碑が含まれるのだそうで、こんどぜひと約束したものの善は急ぐに越したことなく。初詣後に帰宅しようにも家人には歓迎されざる身にて放牧明けの一走ついでにと。登戸駅から川崎駅まで多摩川沿いを走り、途中、氏の傑作を拝ませていただいて元旦を終えた。

(平成30年1月5日/2403回)

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