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2016年12月

2016年12月31日 (土)

糸魚川

猫に小判、豚に真珠、つまりは価値が全く分かっていないってことは相手もよくよく承知なのだが、キリマンジャロの社長に御指名をいただいて人気歌手K氏のライブを御一緒することになった。ペアチケット2組を入手したものの、当人の細君が亭主よりも自らの親友を隣席に選んだことがそもそもの発端。

単に空席を埋めるだけであれば候補者はわんさかいるらしいのだが、私が好都合だとか。元来、流行歌というかJPOPなんぞとは無縁の日々、ライブなんてのは無論初体験なんだけど細君の手前「すわりがいい」との理由らしく。正規の料金で結構などといわれてもそれすらもったいない気がして。「普通に」いい曲だとは思うのだが、どうもノリについていけず...やはり性に合わなかった。

さて、年の瀬に一年を振り返ってみれば、任期途中の正副団長の交代(その一人が私)にHセンセイの辞職、Oセンセイの入院、そして、私のコピペ疑惑と続く厄難。そりゃあくまでも気のせいってもんなんだろうけど、ここはひとつ厄払いでも...と帰省途中に下車して善光寺に。そんな時「だけ」ものの「ついで」では動機が不純すぎて不信心者の御利益などたかが知れている訳で。されど、まさにその「ついで」に訪ねた東山魁夷画伯の美術館は見る価値十分。

今年の海外視察の際に訪ねた大使館に飾られた画伯の絵の意味が気になっていたんだけどようやく腑に落ちた。独特の画風にて大自然を描いた同氏の作品をじっくりと鑑賞すれば、その一枚と車窓からの景色が偶然にも重なった。芸術といえば木は生き物にてその癖を見抜かねば形が崩れる。一心不乱にノミを振るい続けた仏師運慶の小説を読んで以来、そちらには目が無いのだが、善光寺の仁王像は近代の巨匠、高村光雲の作だそうで。

そう、仁王像といえば怖くなくては意味がない訳で幼少時の記憶に残るのが、おらが郷里の実家近くの国分寺山門に安置された仁王像。で、その境内には芭蕉翁が詠んだとされる句碑が残る。「芭蕉」「日本海」といえば「荒海や~」で有名な「荒海や佐渡によこたふ天河」。

良寛生誕の出雲崎で詠んだのが通説とされてきたものの、おらが郷里の句碑に刻まれたものは「文月の六日も常の夜に似ず」であるから六日に直江津で翌七日に出雲崎となれば行路が逆になる訳でやはりわが郷里もしくはその次の目的地までに詠んだとするのが理にかなうような...。まぁ御当地以外の方々にとってはどこで詠まれたかなどはどうでもいいことかもしれんけど観光には「ゆかり」が大事だとか。

で、次なる宿場で詠んだ句が「一つ家に遊女も寝たり萩と月」。何やら意味深な色恋モノだが、私の母の実家がそちらにて今も従兄弟が事業を営む。直接的な被害こそ負わなかったものの落胆の色隠せずとかで...。不注意がもたらした災難の代償はあまりにも大きすぎた。そんな被災地には今年も冬将軍がやってくる。

予報によれば関東地方は正月三日とも晴天に恵まれ御来光が拝めそうだけど、日本海側はあいもかわらず悪天候が続く。冬の天気は太平洋側と逆にて正月の晴天などは十年に一度か。それだけに余計に御利益がありそうなもんだけど、日本海は日の出よりも日の入、日本海に沈む夕日はものスゴくきれいなんだよナ。よい御年を。

(平成28年12月31日/2315回)

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2016年12月27日 (火)

十大ニュース

川崎市の今年の十大ニュースが届いた。一位は「シン・ゴジラ、川崎に現る!」だそうで。確かに本市を世に知らしめた功績は少なからずだけど、首都東京を守る為に川崎が犠牲になる、丸子橋が吹っ飛ぶんだから特撮といえどもどこか複雑な心境。で、続く二位以下を目を凝らして見てみたもののそちらは選考外らしく...。

富山市に端を発した「政活費」を巡る一連の報道、出るわ出るわでついに本市も「川崎市議 政活費で視察の7人、報告書コピー」なんてコピペ疑惑が記事になって主犯格と思しき二人のみ実名が踊った。で、何を隠そうその一人が私。悪童の頃よりそれ以上の詫び文句は知らず「以後改める」とのコメントが末尾に掲載されただけなのだが、運悪く海外視察の最中で役所に取材が殺到したとか。

更に運悪くテレビ局の取材班が現地のホテルに張り込んでいて、そんな事情も露知らず出かけた朝のジョギング帰りに後ろから声かけられて振り向けば記者2人に突然マイクを向けられて「今朝の記事をご覧になられました?」って。背後には某大手放送局のカメラが3台。修羅場ってのはこういうのなんだろうね。

そもそもは議員視察の実態なんて年末特番の取材だったらしいんだけどまさに鴨が葱を背負ってくるようなもので、ジャージ姿でインタビューに応じる羽目に。狙いがそちらだから事実に迫るというよりも動揺する姿を捉えようともうハナから犯罪者扱いの挑発的な内容に「真摯に反省して改める」ってしかないんだけど、不意打ちの取材はかなり陰湿なものだったナ。

許可なく勝手にカメラ向けられてあまりにも執拗だったから「いいかげんにせんか」と言い返そうになるもジョギングでヘトヘトだったのが不幸中の幸いか。で、帰国後にも何社かから取材の申込があって全て真摯に対応したはずなんだけど後追いの記事なく折角の海外取材もボツ、そうなると些か寂しいもので。

移動交通費や宿泊費の使途明細を記載するA4一枚ものの活動記録票の上半分に「活動の目的・内容・結果」を記載する欄があって、そちらの約500文字が類似しているばかりか始末悪く私「のみ」句読点までもが全く一緒だったということで主犯格と断定されて。ネット上からコピった訳でもなく語尾を変える等の浅知恵が働かなかった訳ではないんだけれども内容は恥じぬものだけに。

かの明治の文豪とて公費の海外留学に堂々と白紙の報告書を提出している位だから手間を惜しんで「まぁ問題なかろう」と勝手に判断しちゃった。まぁ、こんな御時世とあってはそれすらも許されるものでもなく、脇が甘かったナと。で、記事によれば違法性は問えない(つまりは「白」)ながらも税金の効率的な使い道とはいえないなんて専門家のコメントが紹介されていて。

こと最近などは違法性はないものの道義的な話に収斂される事案も少なくない。中でも視察などは役所的に申し上げれば行程だけキチンとこなしていれば異論なく。そりゃ中には「もののついで」に少し足を延ばして観光名所でも...なんて判断が働かないとも限らない。道義的に云々の話だから原爆ドームは可で伊勢神宮が不可だとか勝手な解釈がまかり通るんだけど、だんだん都合よく拡大解釈されて...慢心に繋がりかねず。

それにしても全国版に氏名が躍ったにも関らず、巷の反響薄く自ら宣伝するとは情けない。私にとってはシン・ゴジラどころではないんだけど。

(平成28年12月27日/2314回)

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2016年12月23日 (金)

読響

野をつつく鴉の群や時雨あと。兼題が「時雨(しぐれ)」にて稲刈りを終えた田んぼに餌をついばむ鴉を詠んだ。五七五のたった十七文字の雑詠には無駄な贅肉を削ぎ落とさねばならず...。およそ話の肝などは一つだけで、むやみに話が長い御仁なんぞは相手のことなんか考えちゃいない。

読響こと読売日本交響楽団が本市に新たな拠点を構えるというので早速にそちらの「第九」を聴いた、その帰り道...。市外局番に200は役所にてその下の四ケタが課を意味する。マナーモードの設定を解除して履歴を見れば何度か着信をいただいたらしく、向こうの心配など露知らず演奏に興じていたのだからこちとら何とも御気楽な立場なんだけれども、お詫びかたがた折り返したのが運の尽きで主席担当官の尋問に籠絡されて口を割ってしまった。

で、翌朝には想定される質問時間を訊かれて「何でそんなことまでいちいち教えにゃいかんのか」などと無愛想に返事をしたもののはたと気付いた。追い回される苦痛が快楽に変わる瞬間。「そこまで知りたくば仕方がないな、日頃の誼で教えてやろう」などと他人の知りえないとっておきの情報を握っているような優越感に浸る錯覚に陥っているのではないか。尚且つ、そのへんがかえって世のセンセイの傲慢さを助長するのに一役買っていそうで、猜疑心のカタマリである私などはそれすらも役所の陰謀に見えてしまうのだから困った性格である。

本会議場において優越感に浸って踊る主役スターは観客席の倦怠感に気付いていない。またそのKYさが先生の「センセイ」たる所以にて兎にも角にも質問時間が長すぎ。で、肝心な私の質問の内容なんだけど...。

介護の苦悩は当事者の家族にしか分かりえないもので、とりわけ、施設に入りたくても入れない方々の悩みは深刻。目下、特別養護老人ホームはかなりのペースで整備が進むものの、整備が需要に一向に追い付かず。狭き門にて手当たり次第に鉄砲を撃つものの、一向に音沙汰なくば家族の疲労感のみ募るばかり。

各施設に対して個別の申し込みと確認を必要とする本市に対して、横浜市では複数希望までの一括申請と一元管理が可能。利用者の負担軽減が図れるその仕組みは大変好評で本市も真似すべきだと以前に指摘して改善を求めていたんだけど(平成19年 予算審査特別委員会-03月06日-03号)、もうまもなくとの報告を受けてひとまず安堵。それにしても随分と時間を要したナ。で、次なる照準は...。

同じ介護度であっても胃ろう等の医療的処置が必要な方々などはそれを理由に施設側から入居を拒まれがちで、聴覚障害の方々なども意思疎通に手話通訳を介さねばならず、やはり入居可能な施設は限定的。介護報酬により得る収入は同じなのだから看護師等を常駐として抱えれば施設側には大きな負担となる訳でならばいっそ「そんな方々には入居を御遠慮いただいて...」という判断が働くのも当然の帰結で、おい、そりゃダメだぞってね。

そんな方々は全体のほんの一部だから阻害されやすく、ゆえにセンセイの出番ではないかと配慮を求めたんだけど、公有地の活用により施設側の優遇を図ることで特別な方々の入居枠を確保する取組が進むらしく...詳しくは会議録にて。

(平成28年12月23日/2313回)

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2016年12月19日 (月)

有馬記念

姿は見えずとも焼き芋の売り子が如く耳に残れば...。話題に上がってなんぼの世界にて口コミ評判にでもなればしめたもの。一軒一軒訪ね歩くこちらを横目に国会議員のセンセイともなれば車上の拡声器から饒舌が流れて。機関銃に火縄銃で挑むようなもので非効率的であることなどは承知の上だが、地べたを歩けば草木に微かな気づきを得ることもあれば、時に縁側の座布団に茶でもいただきながら...。

「まぁどうぞ」と大正生まれのおばあちゃんに席を譲っていただいた。齢九十ともなれば押し売りが通じる相手でもなくたわいもない会話を交わすだけなのだが、それでも不思議と覚えているもので。いつぞやに居合わせた別なセンセイが初対面とばかりに一方的に名刺を手渡せば当人と名刺の顔をまじまじと見比べながら「知らんな」と。で、私のほうを向いてこっちは見たことある。で、肝心の名前は...まぁいいか。閑話休題。

依存症を生む元凶など認める訳にはいかんというけれども有馬記念に年末ジャンボと一攫千金を夢見てひと勝負。そんなスケベ心に勝てば勝ったで興奮冷めやらず、負けた時だけあんなものを容認した政治が悪いなどとの理屈は些か勝手が過ぎやしまいか。手を出した本人の欲が招いた災難を棚に上げて他人様に責任を転嫁しているようでどうも好かん。「蝶よ花よ、かわいいわが子に非はあらず、悪いのは全て学校の先生だ」と教われば社会の不満が募るのも当然か。

それを推進する為の会派横断的な議連なるものもあった以上は反対側にも推進論者が居た訳で己の意に反しての反対は政党政治の悲しい宿命だが、無所属の一匹狼ともなればそのへんの「しがらみ」が無い分...。あまりそんなことは公言せぬに限るが、自社の業績とは無縁の公務員の賞与議案の採決を終えた。「無縁」の理由はストが禁止された代償だとか。そんな賞与の額は民間の給与水準に応じて人事院なる官公庁から勧告がされる訳で、それだけ聞くとふむふむとなるんだけど「民間の給与水準」の定義に関しては何かと議論のあるところらしく。

で、同時に自ら、つまりはセンセイ方の賞与も勧告に従って議決されてきたんだけど、こと近年は無所属のセンセイ方の一部に反対する向きもあるようで。こんな御時世にあっては貰って当然などと諸手を上げてともいかず、そりゃ自らの賞与を自ら承認する訳だから良心の呵責に苛まれつつ採決を迎えるんだけど、反対側とてそれほど気に要らぬのあれば支給を御辞退すればいいのだが、自主返納は制度的に出来ぬ仕組みになっているとかで、結果的には反対者を含む「全員に」「全額が」キチンと支給されていて...。

あくまでもあまのじゃく的な見方だけれども最終的にそうなることを見越して「あえて」演じているとなれば虫が良すぎやしまいかと。それでいて私は反対したが彼らのせいでなどと吹聴されては依存症の口上と何ら変わらぬ。かの哲学者ニーチェの著作に偽善者の功罪を説いたものがあるとか。悪人以上に偽善者は厄介なものではないかと。

(平成28年12月19日/2312回)

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2016年12月15日 (木)

没後百年

没後百年の命日がこの9日だそうで、はからずも当日に「漱石の思い出」(夏目鏡子著)を読み終えた。というか正確に申し上げれば当人の生涯を描いた作品にて晩年の死期が近づく日付がちょうどこの頃のものでもしや...と重なったって話。文豪に寄り添った伴侶の視座は鋭く、文章も秀逸にて本人の人となりが窺い知れる名作ではないかと。

そう、女性といえば「赤木舞&楠木由希子 クリスマスコンサート~バッハからドビュッシーへ~」に顔を出した。やはり極度の緊張の中に身を置いていると癒しが大事で...えっ、大して疲れているようには見えない?そうだナ。どこかで聞いた名前は前回の県議選の候補者にて当選こそ叶わなかったものの、手のかかる教え子ほど捨てがたい担任が如く...。既に時効だけど、いやはやこれがほんとに大変だったんだ。

うちの選挙区には保守系無所属の現職県議が居て国政などでは連携を図っていたもんだからいっそ会派入りでもと秋波を送ったものの意思固く、ならば...と上の意向で奔走したのがうちの代議士と今は亡きOセンセイ。候補者の選考に名を連ねぬかとの配慮をいただいたものの、そもそもに選考されるのはやぶさかではないけど、選考する側なんてのはまっぴらごめん。浅学非才の身にてそれだけの眼力がある訳でもなく、そんな他人様の人生に責任を持てんからね。

丁重に御辞退の上、決定には異論なく従うと誓約しといたんだけど、悲しいかな回りはそう見てくれないから。アイツは現職県議を応援するつもりだなんて陰口を叩かれてね、嫌なもんだよセコい連中ってのは。所詮は物事を斜めにしか見れないヤツらだから人を蹴落とすことしか考えちゃいない。で、肝心のOセンセイが志半ばで倒れちゃったもんだから支部長の鉢まで回って来て、すったもんだの挙句、擁立が決まって一件落着のはずが、その後に懐妊の知らせが届いて...。

妊婦とあらば自ずから(選挙の)活動は抑え気味になるし、万が一、石につまずいて転びやしまいかと足元ばかり。当選すればしたで乳飲み子の育児抱えて政務が出来るかって批判は必至。が、既に決定した手前、懐妊を理由に辞退させたとなればそれこそ権利侵害だなどと言われかねず、既に結果を言い渡した予備候補を招集して再選考なんてのも...。

退くも進むも地獄の状態にどうするんだと紛糾する会議。何てったって支部長だからね、何か言えよの冷たい視線。そんな沈黙を破るように発言したのがおらがセンセイ。「本人の意向でよかろう」と。で、本人に意向を聞けば「やる」というんだけれども大きな腹を抱えての選挙戦は何とも。「二兎は追えぬ。選挙は二の次でまずは赤子だ」などと当時は失礼千万を申し上げたんだけど、落選後などはショックで流産せぬかと心配は尽きず。

あれからまもなく2年。SNSの子育て奮闘記を時折お見かけするんだけど、演奏会の当日は元気な子供と御主人の姿も...。そういえば、おらが後援会長もいたナ、性に合わぬと照れくさそうだったけど。そんな演奏会にて遅ればせながら略歴に目を通していたんだけど、音大講師のかたわら小中学校や病院等における演奏・企画等の地域音楽活動にも積極的に携わっているのだとか。人を幸せな気分にさせてくれる演奏家ってセンセイよりも...これ以上は言わぬが、その御活躍は何より。

(平成28年12月15日/2311回)

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2016年12月11日 (日)

柚子

「たわわなる木に隠れてや柚子ハサミ」と一句。富士山の麓で開催された第3回「ゆずの里クロスカントリー&絶景ウォーク」32kmを完走した。中央道と東名道を結ぶ中部横断道の完成が待たれる山梨県富士川町は柚子と富士山の眺望が自慢だとか。何もTOKYOマラソンだけがマラソンじゃない。500名足らずののどかな大会には欧米人のランナーが目立つ。

軽井沢の魅力を世界に広く知らしめたのがA.C.ショーであるようにその土地で暮らしている人には気付かない魅力が日本には埋もれていて。早朝こそ辺り一面に幻想的な川霧が立ち込めるもスタート時には晴れ渡り周囲の山々の稜線が浮かび上がる。海抜240mのスタート地点からコース最高点940mまで山道を駆け上げる。大自然の山々の中を駆け抜ける爽快感の一方で疲労度はフルマラソン並み。

十谷(じゅっこく)温泉郷の門外不出の名物ほうとう鍋「みみ」をいただき、温泉に浸かりつつ、行く年を振り返り一年の疲れを癒す。そう、初挑戦の河口湖マラソンも富士山を見ながらのスタート。あれから20年、今もこうして走っていられるなんてのは恵まれているよナ。

閑話休題。見れば踊る「婚活」ならぬ「政活」の文字。他市といえども目にすれば陰鬱になりかねず、気が失せてすっかり遠ざかってしまったけれどもいつぞやの朝刊に「答弁調整」の功罪を論ずるものがあって珍しく読ませていただいた。市議は本会議前に市側に内容を伝える。市側は内部で回答を検討し、結果を市議に示す。納得いかねば再度...を繰り返し、当日の台本が完成する。

万事抜かりなく石橋を叩いて渡る役所文化と役所に恩を売りたい市議側の妥協の産物。予め用意された原稿を読み合う本会議を学芸会だと揶揄した識者がいるとか。まぁ台本があるのだから確かに緊張感には欠ける訳なんだけれどもそんな識者の忠告を忠実に実行したつもりが...。

事前通告なしの早口言葉、返答に詰まる相手に飛び交う野次。過去の経緯を顧みれば対立抗争やむなしで、敵側にも報道されぬ姑息な面が「多分に」あるだけにその忸怩たる怨恨は分からんでもないが、そちら贔屓の私とてさすがに擁護はキツい。その台本がどんな立派な内容であったにせよ、世の注目は「いやがらせ」という謀略にのみ向いてしまう訳でそもそもに論ずる土俵が違うのだが、その土俵でやるにせよもうちょっと世間をあっと言わせる技位は見せれんものかと。

「答弁調整」などと申してみても所詮は「オレに恥をかかせるのか?」との局長の面子か、昇進の為の部課長の点数稼ぎが根底にある訳でその為に夜討ち朝駆けで追い回されてはかなわん。こちとらどこぞのセンセイと違って浅知恵があるもんではないから大まかな内容を口頭で「ゆっくり」伝えればキチンとメモをとる相手。「では...」と別れ際に一言、「今の内容をペーパーで貰えぬか」。あくまでも「物的証拠」がなければならぬ意味とは。「答弁調整」以上に「物的証拠」こそいらぬと思うのだが...。

(平成28年12月11日/2310回)

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2016年12月 7日 (水)

SL広場

前職時代の相棒(といっても別に私が指名した訳ぢゃないんだけど)、これが社内でも評判のヘンなヤツで最近のSNSに新橋駅SL広場で念願のテレビ出演を果たしたと自慢げな投稿を見かけた。

過去に取材経験は数多あれども、いづれもボツばかり。今回は話題の流行語大賞について求められたというのだが、苦節二十数年にして何を言えば採用されるかが見えたなどと寝言じみたコメントが添えられていて。そんなバカな振る舞いばかりしとると会社から解雇されちまうぞ。ちなみに私よりも年上です、ハイ。そう、解雇といえば...。

退陣表明なんてのはあくまでも自己都合の類、鉄槌を下すべきと罷免を求める弾劾訴追に百万人規模のデモ。他国の国旗を公然と燃やしてしまう国だから秩序も疑わしいけど、異例の事態はこちらも同じ。犯罪者を匿っておいてはこちらに火の粉が降りかからぬとも限らず、自己都合の離村受理以上の処分を下すべきとの声もくすぶるようで。

組織防衛の選択肢としてはアリなんだろうけど、誰しもが大なり小なり脛にキズや負い目位はある訳で我関せずと善人ぶるというか聖人君子が如き態度をするのはどうも性に合わず。これまでの本人の功績を斟酌して多少なりとも配慮を示す位の度量があってもバチは当たらんと思うのだが、それでは秩序というか規律が保てん上に世間様に顔向けが出来んではないかとのことらしく。

が、そんな時こそ人の本性は見えるものでそれまでの態度一変、手のひらを反すように君子豹変することもあったりして...。魑魅魍魎の世界だけに何があっても不思議はなく、そりゃ確かに社会的に決して許される行為ではないけど、人を殺めた訳ではあるまいし、それで本人の人格が否定されるものでもなく、道徳的には電車内の痴漢行為のほうがよほど悪質だと思うけど。

福島県からの自主避難の生徒がそれを理由に金銭をゆすられ、いじめを受けるなどは本人の心を深く傷つけるのみならず、被災者を逆撫でするものであって、生徒のいじめに同調して教師が加担するなどとは言語同断、教育者としてあるまじき卑劣な行為だが、世間に範たる教育者にしてそんな状況なのだから。

他人様の嫌がることはしてはならぬということを教えることは当然にせよ、ちょっかいと出すとか、いやがらせなんてのはどこにでもあること、が、その度が過ぎては元も子もなく。いじめや差別の根絶ばかりが謳われるけど、やはり人の機微が分かる大人に成長して欲しいもの。窮鼠猫の格言然り、七分勝ちを良とした信玄然り、万事、「程程(ほどほど)」というのが大事であって、弱者を徹底的に追い詰めるというのは死者に鞭打つようでどうも好かん。

同期の桜、同じ釜のメシを食った仲間が舞台を降りるというのは何とも寂しいもので。本人の身にもなってみなはれ。出処進退を明らかにした以上は今後の人生を応援してあげたほうがいい人生を送れそうだけどナ。せめてもの救いは辞職決議が私の誕生日に重ならず一日遅れたこと。泥を塗られたらかなわんからナ。

別に私に気を遣った訳ではない?そうだナ。

(平成28年12月7日/2309回)

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2016年12月 3日 (土)

賽銭箱

ポスターや掲示板といえば支援者宅や当人が所有する不動産物件であることが少なくない。かくいう私の陣営なども後援会長が村中どころか隣村まで回って承諾を取り付けて下さった結果、十分な数を確保しているんだけどそんな後援会長でさえも知り得ぬ場所にポスターが貼ってあった。

泥棒の厄難除けどころか不謹慎で逆にバチがあたりそうな気がしなくもなく。その場所というのが神社の賽銭箱(正確にはその前の格子)。宣伝効果は抜群、それでいて物言いがつかぬのはひとえに氏子の皆様方の御好意か。さすがに見飽きた顔写真こそないものの、イベント告知のポスターにはしっかりと個人名が記されていて。恒例のさんままつりを終えた。

そもそもに東日本大震災の年に被災地復興を兼ねて開催したのが発端で今年で5回目。が、ここまで来るには紆余曲折があった訳で、初回などは事務所前の駐車場で告知をすればありがちな「匿名の」苦情が寄せられてすったもんだの挙句に隣接するおらがセンセイの玄関前の敷地を借りての開催。

これが大好評で見知らぬ通行人までが吸い込まれて、次から次へとサンマが売れる。焼き手もすっかり上機嫌で家主の不在をいいことにドンチャン騒ぎだったもんだから後が大変で...。さすがに御屋敷といえどもそれだけの方が出入りしては些か手狭な上に防犯上も...なんて口実から翌年に白羽の矢を立てたのがこちら。

御伊勢ノ森といわれる高石神社は市内で最も標高が高い神社であって、当時の寄付者の氏名が刻まれた支柱が社を囲み、俳句の句碑が点在することから別名「句碑の森」とも。駐車場も完備されていて雨天時は社務所下の集会場が利用可能にてこれ幸いと打診すれば二つ返事で「結構」と。たとえそれがきっかけであろうともより多くの方々に神社を知っていただければとのことらしく。

が、悩みの種は尽きぬもので次なる課題はサンマの値段。仕入れ原価をケチったせいで小ぶり過ぎては格好がつかん。原価割れせぬ程度に上手く...と依頼しておいたものの、どことなく小ぶりなサンマに一抹の不安。正月の定番、縁起物の高級食材として知られた数の子はニシンの卵。

群来と書いて「くき」と読むんだけど、産卵期にニシンのオスが海中に放出した精子が海面を見事なエメラルドブルーに変え、砂浜に上げられた漁船からこぼれ落ちるほどの豊漁に歓喜する村人の姿も今は昔。かつて栄華を誇ったニシン御殿のニシンそばが外国産とはとんだ笑い話。殿様が好んだ目黒のサンマ、安くて旨い庶民の魚が高級魚として珍重される時代が来るやもしれぬ。それにしても炭火で焼いたサンマってほんと旨いよナ。

賽銭箱ポスターの効果か神社の御利益か、「正午に伺いたいのですが、モノは残っていますか」との問い合わせが寄せられたのは後援会の事務所ならぬ神社の社務所。話題が話題を呼び、口コミ効果で年々客が増えて今年なども例年並みの数量を用意した「小ぶり」の三陸産サンマがものの2時間で完売。来年は仕入れを大幅に...焼き手が大変です、ハイ。

ということで御年始の初詣はどうぞ高石神社に。

(平成28年12月3日/2308回)

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