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2016年11月

2016年11月29日 (火)

夢枕

あのセンセイが生きていれば...。死して尚話題に上がるとはそれだけ惜しまれた人物であったことの証左。が、話題どころか夢枕に立つとあっては決して寝心地のいいものではなく、それ以上に現世に未練を残して徘徊されたのではかなわん。この十月の三回忌ではさすがに念仏こそ唱えぬまでも墓前にて「二度と立つなよ」、違った、「安らかに成仏を」と念入りに手を合わせたんだけど、聞けば夢枕は私だけではないらしく...。

講釈じみた上から目線の解説は「嫌み」に聞こえなくも...いや、やはり「嫌み」なんだけど、それが許されるのも当人の人柄の賜物。佳人薄命、そんな人物に限って迎えが早いもので当人が御存命中の頃に比べてセンセイが小粒になってやいまいかと。かつてはその言動の一挙手一投足に注目されたもんだけど、今や注目されるのは質問の内容ならぬ時間位なもので...アイツ早く終わるかナ、そりゃ私だけか。閑話休題。

投票率の低迷が顕著な今日において政治参加の意義が叫ばれるも笛吹けど踊らずにて一向に改善の兆し見えぬ元凶はどこにあるのか。何でも手に入る飽食の時代、成熟した国家ともなれば政治が果たすべき役割は希釈されてその裁量の余地が狭まる。有権者の投票行動とて全体の利益以上に個の利益が優先されるのみならず、利益を得る以上に損なわれる時に過敏に反応しがち。その典型がカット法案であって兎にも角にも「損をする」ことだけがことさら強調され、現政権を転覆させたい別な力学が追い討ちをかけることで鬱憤のみが募る負の構図に。

が、発展途上国や復興の過程ともなれば政治の役割は大きく、とりわけインフラ整備などはその典型例。最近いただいた相談に都市計画道路を巡るものがあって、敷地の一部更地の部分が道路計画に含まれることから市に買収してもらいたいのだが何とかならんかというもの。都市計画道路はその名の通り都市計画法に位置付けられた都市部の幹線道路なんだけど、総延長が長すぎることから効率的に整備を進める為に計画期間を10年間とした道路整備プログラムが策定されていて、道路用地の買収はその範囲内に限られるというのが市の言い分。

道路を作るとの名目で他人様の土地に利用制限をつけておきながら「今はまだ買収できぬ」と半世紀も手つかず状態な上に固定資産税などはちゃっかりと徴収されているのだから当事者からすれば何とも理不尽な話であって、やると線を引いた以上は何としてでも実現してもらわねばとの声がある一方で、中には終の棲家を立ち退けとは言語道断、絶対に譲歩せぬと反対の御仁も居られる訳で。

「おい、どうなんだ!」と迫れば、(プログラムの)計画期間は10年ながらも5年後に見直しがされるので...と、どうやらその時に当該個所を紛れ込ませてと言いたいらしいのだが、5年後にはアンタは異動しておるだろうに。それも邸宅であればまだしも地主が売却を希望する更地位は範囲外であっても責任を持って買収するとか固定資産税の減免位の便宜を図っても罰は当たらんと思うけど。

役所の勝手が生んだ利害の対立に当事者と向き合う市の姿勢が問われている。

(平成28年11月29日/2307回)

電子書籍「一日一話」

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2016年11月23日 (水)

デジカメ

異論はないなどと言っても外せば外したで疎まれるのがこの世界。折衷案として「参与」なる肩書を与えられている区民会議に「久々に」顔を出した。冒頭の挨拶にて傍聴者が少ないことに言及されていたものの、期待薄というよりもそこまでの余裕がない訳で悲観的になるものでもなく。

参与席とて空席が目立つ、というか私「しか」いない。本来であれば絶好の宣伝機会とすべきも、働かざるもの食うべからずにて大した仕事もしていないのに宣伝されるのはどうも好かん。が、そのへんも見透かした委員長の機転か役所の根回しか「折角の機会ゆえ何か一言」と水を向けられ手短に挨拶を済ませた。

さて、職業に貴賎なし、相手の地位肩書に関係なく他人様には親切にしておくもの。中国にて催されたG20の際にホテルに残した総理の一筆。下足番といえども同じ国民。斜めに見れば別な意図がありそうだけど、その気遣いが称賛されたのは御存知の通り。多少なりとも日本に好印象を抱いていただければとホテルの枕銭に一筆を添えた。

慣れぬ土地では目覚めが早い。朝の散歩の際に豆腐屋を営むHセンセイが「Tofu」の看板に気付いた。すぐ隣には「Sushi」の文字がある訳でそちらに目がいくのはさすが。和食「らしき」メニューがズラリと並ぶもどうやら経営は...そのへんが元凶かもしれぬ。

食といえばどれも現地自慢の料理なんだろうけど何せ量がハンパなく多い上に私など残しちゃイカンなんて躾けられたもんだから愉しめるはずもなく、全行程を通じて一番旨かったメシは帰路のパーキングエリアで食べた680円のサバ味噌定食。

で、昨日の続き。日本語を専攻しているだけに日本贔屓は言わずもがなだけど、彼らにとって「Sushi」以上に魅力的なのが「アニメ」。政府が進めるクールジャパンの主軸であること位は存じていたものの、その浸透度が予想以上にスゴい。それもドラえもんやサザエさんじゃなくて...「君の名は。」を見といて何とか彼らの話題に付いていけた。

そうそう、そんな折角の好印象を損ねてやいまいかと心配するのがこちら。処構わずパチリパチリと通訳の後ろから背後霊のようにヘンな格好で撮影をしているもんだから途中堪え切れずに吹き出してしまった。報告書に添える写真などは一枚で十分な訳であるし、地元の支援者ならいざしらず商売敵の面々と一緒の写真など利用価値なく...いや、「低く」、ありゃ田舎から上京した人物が都会の物珍しさにシャッターを押しているようでガイジンから見ても滑稽か。

フィルム時代などは貴重な一枚となるだけに吟味に吟味を重ねてシャッターを押していたはずなんだけど、デジタルともなれば削除ボタンを押せばリセットされる訳で...。以前、こうりんじ幼稚園の園だよりにも「カメラを回すよりも子供たちの生の姿を見て大きな声援を送ってくれ」とあったことを思い出す。何よりも異国の見知らぬ訪問団を温かく迎えて下さって、少しでも役に立てばと一所懸命に説明して下さる相手の気を散らしてやいまいかと。

んなこと言ってもいい写真があればくれなどと虫のいい自分が居たりして...。

(平成28年11月23日/2306回)

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2016年11月19日 (土)

満月

「いついつの満月の前後に天変地異が...」なんてのは迷信の類と一笑に付していたんだけど、スーパームーンにニュージーランドの地震、月の接近による磁力云々などと言われて次回を調べてしまった。

トランプ氏が大統領を目指した動機は前回の大統領選において当時の現職にこき下ろされた屈辱に対する怨念との分析を見かけたけど、成功の裏に隠された動機が意外と不純であったり、大事のきっかけがほんの些細なことだったりというのは少なくない。既に人生折り返しを過ぎた私には夢物語なんだけど子供たちは無限の可能性を秘めている訳で、あの日あの時に聞いた話がきっかけで...と。

地元の小学校におけるJAXAの出前授業とスーパームーンが重なった。帰宅後に息子の報告を受けたんだけど、宇宙飛行士になる為には、まずは泳げること、そして、周囲との協調が図れること、幾つか続いて...日本を好きなことと教わったとか。やっぱりそうでなくっちゃ。

日が重なるといえば偶然にもドイツ連邦議会の視察とベルリンの壁崩壊、おまけにトランプ大統領の誕生が重なった。連邦議会といえば日本の国会。そちらの大物議員との意見交換なんてエラそうな項目もあって、格差是正を理由に未だ東ベルリンに投じられる投資や移民の流入にくすぶる不満、中東諸国と国境を接しない国における移民政策とダブリン協定への所見等々、聞く内容には不自由せぬものの、こちとら国会議員ではあるまいし。地方自治制度とか若者の政治参画とか議論されていたみたいだけど。「みたい」なんてのは他人事な言い回しに聞こえるけど報告書は私の担当らしくこちらとは比較にならん精緻な文章で仕上げるから乞うご期待を。

選挙年齢の拡大に伴う高校生への主権者教育。偏向的な内容を教えられてはかなわんってのは左右どちらも同じ。あくまでも中立を旨とするなんていってもわが国の中立ってのは中庸に同じ、波風立てずに平凡なことを淡々と。尚且つ、詰め込み暗記の国ゆえにそのまま社会に放り出される訳で。そう、昨日の舶来語は御存知か、ボイテルスバッハ・コンセンサスってのはあくまでも両方の概念を示して本人に選択又は判断させる。だから時に教師と生徒が違う結論に辿りつくこともある訳で、それを互いに尊重する姿勢が「自由平等」に繋がる。まぁ詳しくは報告書にて。

そうそう、やはり昨日のヨーテボリの高校の全校生徒3千人中に日本語を専攻する生徒140人が含まれる。当日は彼らに日本を紹介し、生徒との質疑応答を図る授業があるなんて聞いたもんだからそりゃもう興奮冷めやらず頭がフル回転。イザベラ・バードやシェリーマンの見聞録に見るまでもなく世界中の視線を惹きつけてやまぬ日本魅力を「異国」の「若者」向けにいかに伝えるか。観光ガイドに紹介されるありきたりの内容よりもやはり一つのストーリー、つまりは物語のほうが記憶に残ってくれるはずなどと白熱教室の気分で悦に入っていたんだけど、どうやらその「おいしい」役回りは私ではないらしく...。

遠い異国の彼らの目に映る日本とは、続きは次回に。

(平成28年11月19日/2305回)

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2016年11月15日 (火)

講堂の絵

往々にして批判的なニュアンスが含まれたりもするんだけどそちらの報道が随分減った。されど、地元の方々などはそのへんの情報もよく御存知で現地の土産を「真剣に」せがまれたりも。その手の金銭こそ惜しまぬものの「ヤツにもらった戦利品だ」などと吹聴されようものなら「オレよりもアイツが...」なんて嫉妬心を呼び起こさないとも限らず、まぁ私の支援者だからそんなことで一喜一憂しないと思うけど...いや、するナ。

安からぬ公費を投じていく以上はそれなりの成果を持ち帰らねばならんのだけど、しいて自慢出来ることといえば荷物の重量位か。若かりし頃の貧乏旅行の経験から手荷物は最軽量。帰りは更に軽量化されていて土産もなければ視察先の資料も...自慢にならんナ。

人類の歴史は模倣の連続。いかに異国文化を吸収しつつ、自国の発展に繋げるかという面に腐心してきた訳でわが国とて明治維新に限らず過去に多くを海外に学んできた。だからといって「絶対に」必要というつもりもないんだけど、今回のテーマの一つに主権者教育、つまりは若者の政治参加があってボイテルスバッハ・コンセンサスなんて舶来の専門用語を含めておけば「らしい」報告書にはなりそうなもんだけど、教育は国家百年の計にてそれなくして国の発展はなく、その国の若者たちの目を見れば国の命運が窺い知れる。

故にその一翼を担う教師は権威ある聖職として称賛されたものの、教師と生徒は対等などという悪しき平等論の台頭とともに権威の象徴が日本の教育現場から消えて久しい。今日においてそれを自ら推進した本人らが葛藤に悩まされているというのは何とも皮肉な話ではないかというのが私の勝手な解釈なんだけど少なくとも人権だとか平等とかで先駆的とされる北欧には教壇が残されていた。

スウェーデンのヨーテボリ市にあるその高校は全校生徒3千人を抱える17世紀からの由緒ある伝統校なんだけど、その大講堂の正面にはスウェーデンの代表的な画家カール・ラーションが同校に遺したとされる一枚の大きな絵があって校長先生が解説を加えてくれた。広い壇上の左右一杯に丁度収まる形で飾られたその絵は地元の篤志家が生徒の為にと依頼して描いてもらった絵で、その後、絵に合わせて講堂が建設されたとか。

当人の生誕地と思しき自然を背景に野原を進む花束を抱いた女子生徒たち。その表情は何ともいえぬ幸福感に包まれていて、その生徒たちが向かう先には...。先生への感謝の印を届ける途中だとか。ラーションの絵は上野の美術館などでも見る機会がありそうだけどこればかりは御当地を訪ねねば見ることは出来ぬし、教育の意義を深く考えさせられる最高の教材ではないかと。

こう見えて絵は好きだからね。ここだけの話、実は見るよりも描くほうが好きで昔は随分と賞状をもらったんだけど...どうでもいいナ。そう、休憩時に通された応接室の壁には歴代の校長の肖像画が飾られていてやはりどれも威厳を備えている。正面には黒い服を着た御婦人が若者と談笑している一枚の絵が飾られていて校長先生がやはり絵の解説を加えてくれた。

その学校は若くして不治の病に倒れた息子の遺言により建てられたものだそうで、彼はドイツに留学をしていたそうなんだけど死ぬ間際に母親に遺した遺言が、「もし、ヨーテボリに学校があったならば留学の必要はなかった」と。そんな創設者の理念が受け継がれる高校における視察内容とは...。

(平成28年11月15日/2304回)

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2016年11月 9日 (水)

秋合宿

フルマラソンの完走を年の目標の一つに走り続けて18年。今年は秋のウルトラマラソンに挑戦したもんだから年末が寂しくてかなわん。やはり年末にゆく年を振り返りつつ、自らの限界に挑戦し、真っ白な状態で完走を遂げるという「贅沢」を味わう為に師走の大会へのエントリーを終えた。

かつてはセンセイの腕の見せ所も今や全て公開抽選にて何の役にも立たぬこの分野。それでも口を利いてもらえば確率が...絶対に「上がらない」んだけどその神通力を未だ信じておられる方も居たりして無碍に断るのも忍びなく、依頼主には昨今の事情をキチンと説明した上で、然るべき責任者には「私の関係者だから...」と伝えておく。

不慮の事故にて御子息を失った母親の元に届いた市営住宅の当選通知。御子息が母親との同居の為にと申し込んだらしく悲しみの癒えぬ中、息子の置き土産と窓口を訪ねれば身内といえども当人以外は認めぬとのつれない対応に何とかならぬかと相談をいただいた。

泣きっ面に蜂とはこのことで特別な事情を有するのだから情状酌量の措置があって然るべきだと思うんだけど、あまりにも情の欠片もない姿勢に憤慨して直談判に及んだものの、規則は規則の一辺倒にて母親にこちらの非力を詫びたのが数ヶ月前。が、この秋の募集で不思議と当選されたそうで入居が叶ったと喜びの御電話をいただいた。何やら私の口利きの成果と信じておられるみたいなんだけどまぁそんなもんなんだろうね、上手くいく時ってのは。いや、公開抽選といえど抜け道があったりして...。

さて、私が名ばかりの会長を務めるゲートボール連盟の恒例の秋合宿が外房の保養地で行われていて誘いをいただいた。これが夜席の酌夫というよりもちゃんとした仕事、御当地には立派な施設があるとかでぜひ本市にも同様のゲートボール場を...ということらしく。さすがにこの御時世に「専用」はキツいと伝えてあるものの、それがテニスと共存を図れるものにて百聞は一見に如かず、一度は見るべしと請われて。私の車にはカーナビなんて文明の利器は搭載されていないからね、そりゃ随分と遠かったよ。

九十九里浜に面し、一年を通じて穏やかな天候に恵まれる千葉県白子町はスポーツに最適。見渡す限り一面に広がるテニスコート、その一部をドーム化して全天候型の施設に。屋内ともなれば天気は無関係にて心おきなくプレーが可能。それほどの施設である以上はてっきり市の施設かと思いきや地元の旅館の所有だとか。となればその建設費もべらぼうに高くはないはず。

そう、スポーツ施設といえば東京五輪の競技会場の見直しも大詰め。本市内でも民間活力を活用してスポーツ施設の整備が進むも金額的な折り合いがつかず本命の相手も辞退をチラつかせていると噂に聞いた。具体的な額こそ聞かぬまでも市がケチったというのが本線ながらも相手が役所なだけにゴネ得を狙って足元を見られた可能性もない訳ではなく。単なる金額の多寡以上にそのへんの見極めというか役人の交渉能力も問われている。

(平成28年11月9日/2303回)

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2016年11月 5日 (土)

出世城

出張の旨を告げて行先すら聞かれぬ関係がおよそを物語っているんだけど、夫婦関係には適度な距離感があったほうが...んな訳ないナ。

当日の出張こそ予め伝えておいたもののまさかの敗戦に生じた空白の一日。午後の移動を予定していただけに日中は仕事をこなしたものの、夕刻を迎えて帰るに帰れぬ家路は家出少年の心境。幸いにも翌日は別の出張予定があったもんだから何とかやりくりして野宿だけは回避出来た。

大都市特有の課題克服の為に設立された政令市議員連盟、通称「議連」ってのがあって、五大市に次ぐ古参である本市は人口や若手中堅の多さも手伝ってか五大市に劣らぬ存在感を示している(はず)。その総会が政令市の持ち回りで開催されていて...。

土地柄も違えばその背景も世襲に徒手空拳、裸一貫もあれば私のようにコソ泥が如く前任の地盤をちゃっかり拝借したようなのまで様々。その歯車が一つでも狂えば巡り合わなかった数奇な縁にそれぞれが背負う苦労、同じ時代を同じ旗の下で生き抜いてきた連帯感が重なり、一年ぶりの再会はさながら同窓会の様相。

震災の翌年は復興支援を兼ねて仙台市での開催などと状況に応じて選考されるんだけど昨年のさいたま市に続く今年は...。そう、今年が真田ならば来年は井伊直虎。名は名でも女城主が主人公。その舞台となる浜松城は家康公ゆかりの城にて出世城としても名高く、国自慢を兼ねて浜松市の鼻息が荒い。

懇親会こそ自腹ながらもそれ以外は恥じぬ内容にて敵情視察として計上する市もあるとか。話題の政務活動費、いわゆる政活費の使途基準は自治体で異なることが話をややこしくしている一因。まぁ本市などは給与から「勝手に」天引きされる団費の対応にて自腹の研修である以上は視察に付き合う義理もない訳で。

紅葉が見頃を迎えた山々を車窓から見ながらの鉄道旅に心が癒される。出発の合図は汽笛。それに見送られて郷里を後にした人も少なくないはず。ベテラン車掌が奏でるハーモニカは場を和ませ、名口調の沿線ガイドは趣向を凝らした内容で客を飽きさせない。

折角の機会を愉しんでもらいたくてねと車掌。過去に全国各地で活躍した蒸気機関車が今も走り続ける大井川鉄道には古きよき昭和の時代が今も残っている。かくいううちの息子なども鉄道部らしく将来の夢は鉄道の運転士だとか。

そう、私も知らなんだが、本市はその義務教育課程においてキャリア教育に力を入れているのだそうで、つい、こないだなどは清掃の職員が学校を訪ねて仕事を紹介。透明なスケルトン車両の披露に歓声が上がり、その体験談に熱心に耳を傾ける生徒たち。

「なぜその仕事を選んだのですか?」との質問に「誰もが嫌がるゴミを片付ける姿に感銘した」ことが動機だとか。それが想定の模範解答であるにせよ、その言葉に揺れ動かされてその職業を目指すことにした級友がいると息子に聞いた。少年時代のあこがれや夢ってのは人を大きく成長させる。

(平成28年11月5日/2302回)

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2016年11月 1日 (火)

一億総活躍

他がカジュアルな私服である以上、いるだけで十分に目立つ。紹介不要とお伝えするんだけどそれがかえって重圧になってやいまいかと気が気でならぬ。「本日は来賓にセンセイが...」と運動会のひとコマ。依然として保育園入園を巡る相談は少なくない。

やれ一億総活躍だとか配偶者控除の廃止だなどと在野に埋もれた有能な女性の社会進出に私を含む世の平凡なオジサンたちの居場所が失われてしまうのではないかとの危惧は絶えず。まぁそれは横に置いておくにせよ、遅々として進まぬ受け皿整備。本市の民間保育園の新規参入が四次募集でもおぼつかない状況だと聞いた。用地の取得難に慢性的な保育士不足、追い討ちをかけるが如く隣接する東京都に矢継ぎ早に手を打たれ、四面楚歌の状況にいかなる道を選ぶべきかと市に迫ってみたものの...。

単なる受入枠の拡大は産めよ増やせよの少子化対策に同じ。4月入園の0歳児枠に申込が殺到する現状を見るに育児休暇制度のフル活用でもう少し平準化が図れるのではないか、0歳児は1~2歳児に比べて手間がかかる分、人数あたりの保育士の数も多い。そのへんの融通が図れれば他に余裕が生まれて...と園長。育児休業給付金はあくまでも雇用保険で賄われるといえども職場には穴があく訳で、長期休暇に注がれる社内の冷やかな視線にどことなく負い目を抱きつつ、休暇満了を待たずして職場復帰を果たしてしまっては親の愛情を必要とする子供は忍びず。

一億総活躍といえば目玉の一つに同一労働同一賃金があって、それが世界標準なのだとか。御恩と奉公の主従関係こそ雇用慣行の最大の特徴と信じてやまぬ。賃金はあくまでも労働の対価、解雇も当然の欧米文化と賃金以外に各種手当や退職金が常識のわが国では根本的な価値観が違う。慣習の全く異なる諸外国の事例を称賛して真似るべきだとの言い分にはより慎重にあるべきではないかと。給与が正規並みに上がれば非正規とてそれなりの生活が...との期待とは裏腹に正規の給与が非正規並みにされたらかなわん、解雇をしやすくする為の法改正は政府の陰謀だなどと懐疑的に見る向きもあるようで...。いつぞやもあったな、そんな話。

非正規の増加は派遣を認めた政府の責任との批判。先の見えぬ経済情勢に低迷する業績、期待外れの採用に不当解雇などの訴訟リスクを加味すれば慎重にならざるを得ないのは当然の経営判断。であれば柔軟な雇用形態を認めようとそれで利を得た者も居たはずで、期せず結果としてそうなることはあったとしてもそれを目論んでやったなどとこじつけられては為政者も些か気の毒ではないかと。

このたびの定例会における同一労働同一賃金に関する意見書の採択を巡る議論では国の法整備の際に待遇の「均等」とされた文言が「均衡」になったのが気に入らぬとかで一部の会派が反対となった。されど妥協や協調がなければ会社どころか社会の中で上手くいかん。それとて後退する訳ではあるまいし一歩前進なのだからそこまで意固地にならずとも...法整備以前に為すべきことも少なくない。

(平成28年11月1日/2301回)

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