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2016年10月

2016年10月28日 (金)

葡萄

行楽シーズン。「昨日は日帰り旅行だったんだが、あんなうめぇブドウは初めてだ」と齢喜寿にならんとする町会長。「もしや、緑色では?」-「そうそう、良く知ってるな」と会話が続く。

前職時代の先輩がマラソンを始めたそうで請われて大会を御一緒することになったんだんだけど、距離がハーフとあっては減量ニンジンには程遠く、「まぁ何とか」の楽観からか太目残りの出走となった。示し合わせた訳ではないものの、別筋の友人もエントリーされていて先方の好意で宿泊先を御手配いただけば特別優待だとかで格安でリゾートホテルに。やはり友人に恵まれるってのは大事なんだナ。

紅葉の木々と落葉の絨毯に囲まれたコースを駆け抜ける軽井沢リゾートマラソンは昨年に続き二度目。「軽井沢」の名に恥じぬ洒落た衣装に身を包んだ参加者の面々は雪のゲレンデが如く3割増に見えてしまうから不思議。休憩所では御当地の名産がふるまわれるのが一般的なんだけど、信州といえばやはり「りんご」。が、りんご以上に途中で食べた大粒のシャインマスカットが最高に旨かった。巨峰ほどの濃厚さはないものの上品な甘さに種なしであれだけの大粒を皮ごと食べられるなんてのは最高の贅沢で、それまでの難点を見事に克服した品種改良の技術はノーベル賞級?言い過ぎたナ。

味の記憶というのは不思議と残るもので父の仕事の都合で何年か暮らした飯山市で食べたイナゴの佃煮が好物の一つ。信州といえばゲテモノというか珍味が少なくない。海と平野に恵まれた越後の国は食材の宝庫。米に魚と天然の幸が豊富。加工せずともそのまま素材の味で十分。一方の信濃の国といえば海なし県であるばかりか開墾に不向きな山林が大半を占めることから食の加工に知恵を絞った、というかそうせざるを得なかった。

ゆえに越後人は兎にも角にも働きさえすれば食にありつけたが、信州人は生きる上で知恵を絞らねばならず、それが今の教育県に繋がっているのではないかというのが、民俗学的な私の勝手な解釈なんだけど...。逆境こそ人を育てると信じて疑わず、不動のエースのメジャー移籍で前評判は決して高くなかったカープが、一転、それを覆してリーグ優勝を果たした陰には絶対的エースを失った危機感があったはず。最近多いナ、その話題。

そうそう、ブドウといえばワイン。最近のブームも手伝ってか県を挙げての宣伝に余念がない信州ワインバレー構想。その一つにこの千曲川ワインバレーがあって中でも東御市には多くのブドウ畑が点在する。折角の機会とばかりにその一つのワイナリーを訪ねた。シャルドネって品種はその土地と作り手に合わせて様々な顔を見せるだけに困ったらシャルドネに限る。ちなみにシャルドネは白。これが極上の一杯でブドウ畑に囲まれたカフェで飲む一杯にマラソンの疲れも癒される。

が、やはり旬の果物は堪能しておかねばと巨峰ならぬソレを栽培する農家を訪ねれば収穫も終わりに近いらしく生産者の話を聞きながらついつい手が伸び、鱈腹いただいてしまった。金銭に換算すれば...野暮だナ。

(平成28年10月28日/2300回)

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2016年10月24日 (月)

シンゴジラ

それが本市を舞台にした作品であることは存じていたものの、所詮は空想特撮の世界。ミーハーではないもんで特に衝動に駆られるものでもなく。が、ある席で話題がそちらに及んだ。東日本大震災のオマージュか、右往左往の無能な為政者は反面教師に最適だとか。で、続けざまに「こちら位はさすがに...」と訊かれたのが、「君の名は。」。その名すら知らず「主演は誰か?」などと赤っ恥をかいてしまったんだけど(アニメです)、それにしても君たちはヒマなんだナ。

でも、やっぱり見ちゃった、二夜連続のレイトショーで。これは深夜割引になるからちょっと得した気分。こう見えて自称「通」なんだけど、さすが芸術の秋だけに期待作が目白押し。洋画では「ニュー・シネマ・パラダイス」以来のファンであるトルナトーレ監督の作品「ある天文学者の恋文」、邦画では織田裕二主演の「ボクの妻と結婚してください。」、余命宣告を受けた主人公が残された妻を心配して...。この手の作品って現実にはありえないと知りつつもジ~ンときちゃうんだよナ。でも、やっぱりスターウォーズかな。「ローグ・ワン」、それも特撮か...。

そう、不測の事態に判断が二転三転、批判が殺到した結果、お詫び会見に追い込まれた為政者の姿が大々的に報道された。最愛の身内を失った悲しみはいかばかりか。たまたま、ニュースを見ただけなんだけど、失意のどん底にいる御遺族の意向を斟酌して賞を伏せるという判断もあり得るような...。私などは撤回された判断に悪意はないと信じたいのだけれども善意も仇になる時代にて真相やいかに。

さて、介護保険制度の改正に向けた議論が本格化。その論戦を見かけたんだけど、掃除や洗濯などの生活援助の扱いが焦点の一つにて自治体への移管が検討されているとか。となれば自治体とて負担増の懸念も生じれば家事代行は範疇外とばかりに給付抑制が狙われたりと。それとてあくまでも仮定の話なんだけど「切り捨て」は言語道断と舌鋒鋭く迫るも維持するには財源が必要な訳で保険料の値上げとならば...やっぱり反対。無駄を省いて財源を捻出するなどというけれども大山鳴動して鼠一匹、全く足りんってことも往々。で、後世へのツケ回しというか棚上げで決着を図るのがオチか。

防衛大臣の靖国参拝を巡る論戦も稚拙だったナ。反対派の急先鋒が参拝しなかったことを問い詰めるなんてのはイジメに同じ。どちらに転んで批判しか出来ぬというのは人として何とも寂しい。自らの正当性を問う為の質問がいつしか相手を貶める為の質問になり、それが正義のヒーローが如く報道されて「センセイ、テレビに出ていましたね」などとおだてられりゃ木に...豚か。彼らは事実を報道するのが仕事だけれども為政者は芸能人ではないのだから、そのへんの勘違いって少なくない。

豊洲も同じ。移転反対に、ならば築地でいいのかと水を向ければそれはこれから検討して...と。おいおい、検討の結果が豊洲ではないのか。不安因子は撤去せねばならんけど、ちゃぶ台返しと当人の結論なき議論は税金の無駄。どれだけ批判を受けようとも物事に決断を下していかねばならんのがこの世界であって、万事物事を散らかしたい人というのは手に負えぬ。そんなひねくれた性格が偽善を仇にしか捉えられぬ当人に重なってしまうんだけど...。

(平成28年10月24日/2299回)

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2016年10月20日 (木)

自慢話

字は人なり。書道教室には5年ほど通ったはずが一向に上達せず、習わずとも達筆の方を見れば不思議でならぬ。それほど性格がいいようには見えんのだが...。

近所の先生からはがきが届いて書道展に顔を出した。昭和一桁生まれの先生はまさに「先生」を地でいく御仁にて元職は小学校の国語教諭。威厳十分、政治には辛口ゆえそちらに及ばぬよう注意を払うんだけど、いつぞやに大の野球好きであることが判明して以来、話題はそちらばかりで「筒」の字など出ればもう...。そう、川崎球場を本拠地とした大洋ホエールズ以来のファンだそうで今もなお自ら観戦に行くほどの熱狂ぶり。今年はいい年でしたな。

まぁGなど圧倒的な大差での優勝を許した訳でもあるし、ベイスターズとてCS進出は初めての快挙なだけに今年ばかりはGの敗北やむなしと割り切っていたんだけど、キリマンジャロの社長が日本シリーズ観戦に行くと聞いて「オレも。黒田の日」とメールをすれば「最終日なら」と返事が来た。そんなあるかないかもわからん試合...でも、待てよ、ありうるナ。ということで、万が一にも最終戦までもつれるようなことがあれば御当地にて「それ行けカープ」を熱唱しているかも。おい、どこがG党なんだ。

最近読んだ本に水泳の北島康介選手の昔話があって当人の父親曰く、きっかけは生後11カ月でプールに投げ込んだことだとか。そんな話がうちと重なったんだけど、私が日本海に投げ込まれた際には既に物心がついていたから2歳頃か。今なら虐待などと言われかねんけど甘やかしちゃイカン。そんな父親によれば家のことは女房に任せきりだったとの回想もあってそちらもやはり。兎にも角にも教育熱心な母親にてこれがほんとに厳しかった。

否が応でも机に向き合わされれば成績が上がるのも当然で通信簿の主要科目は「5」がズラリと並ぶ。自慢めいているけどほんとの話。それでいてガリ勉ではなく、性格もさほど悪くない(自分で言うな)のだからやらせておけば何かと都合がいいだろうという衆目の一致した打算の結果で毎年のように教室の世話焼き、つまりは学級委員長を任されることになった。まぁリーダーシップなどと大それたものを期待された訳でもなく単に調整役というか雑用係のようなもの。

元々地味な性格ゆえあまりしゃしゃり出ることは好まず、あくまでも回りから推されただけなのだが、妻に言わせればそれは封建的な風習が今尚残る田舎の話であって、学級委員の選出において都会では立候補による選挙は当然。ましてや最近などは内心書に実績が記されるから受験に有利だとかで生徒以上に保護者の中で垂涎の的だとか。が、それでは嫉妬や軋轢が生まれるではないか。

そこに親子のどんな会話があったのかは知らぬが、息子が学級委員に選ばれたと聞いた。勉強の出来不出来以上に支持してくれる友達がいるというのは何よりもの宝。そういえば最近おらがセンセイから聞いたんだけど、他人様の世話を焼く方と焼かれる方では老化の進行度が違うのだとか。勿論、他人様の御節介をするのが若さの秘訣だそうで。

(平成28年10月20日/2298回)

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2016年10月16日 (日)

秘書

早朝より「決行」の合図たる花火が響き渡るも外は小雨、ならぬ土砂降り。後がなければ車を近くの駐車場に止めて...となるのだが、大安吉日にてY家の結婚式と重なった。着替えの余裕なく、びしょぬれも失礼であるし。そんな時はやっぱり...。

「向かう途中に事務所前で」とメールをすれば「朝は通りません」とそっけない返事。平然と言ってのけるところが本人の性格を物語るのだが、機転が利かぬというか、堅物というか生真面目な性格の主は...そう、うちの代議士の秘書なんだけどヘンに媚びぬ姿勢がかえって好感に繋がっている。でも、待てよ、ひょっとしてオレは相手にされていないのか?いや、ほんと助かってます、ハイ。

人事評価なんてのは恣意的なもの。上に媚びては下に陰湿、逆もまた...そりゃないナ。別にこちらから求めた訳ではないんだけど退職したSさんから独断と偏見による庁内人事評価が届いた。ふむふむ、おっ、さすがN局長はA評価ぢゃないか。然らばA局長は...。

あくまでも匿名のはずが、全く匿名になっていないらしく、気付いた本人に「あのヤロー、余計なことを...」と酒の肴になっていることなどは百も承知。が、「センセイ相手に物怖じせぬとはさすが」との庁内の評判に一役買っているのだからそんな僻まずともいいではないかと思うのだが、「あんな連中の相手などよくしていられるよナ」と逆に陰口を叩かれていたりもして...。以上、私の勝手な推測(いや、意外と事実かも)なんだけど、やはり陰口を叩かれる位のキャラでなければならん。閑話休題。

本会議場のど真ん中にこれ見よがしに積まれた帳票類は自信の表れか。少なくとも私が新人の頃はそうだった。「おい、(額が)多すぎるぢゃないか」と攻めてもあくまでも予算だから「執行の段階で縮減に努めて参ります」と。が、決算ともなれば過年度実績にてごまかしは利かぬ。「おい、こりゃ使い過ぎじゃないか」と攻めれば「使ってしまったものは...」とまではさすがに言わぬにせよ正当性を巧みな文章表現を駆使して滔々と述べる。

そもそもに過去の慣例踏襲主義の蔓延る世界は「言わぬ」「やらぬ」「はぐらかす」がまかり通るだけに時にいなしておかねば堕落しかねず。決算の総括質疑に目を通していたんだけれども都合よく捻じ曲げられた答弁が少なくない。でも、そりゃ隙を与えた質問者側にも落ち度がある訳でそんな時には「おい、バカにするな」「この答弁は納得いかぬ」とゴネる姿勢が互いの緊張感に繋がっている。

最近、事務所宛に一通の手紙が届いた。差出人の住所は県内某市にて名前の記憶もなく、はて?と。手紙を読めばこの春の出産を転機にそちらの市に転居された方にて、転居に伴う諸手続きを済ませたものの、その端境期に及んで一部の公費助成が認められずどうも納得がイカンと綴られている。所詮は人の産物にて完璧ではないのだからごく稀に制度の狭間もある訳でどうやらそんな事例らしいのだが、現場の杓子定規の対応が火に油を注いでしまったらしく。

出来不出来の前に当事者に寄り添う姿勢が評価に繋がる。その後、上が判断を下して事なきを得たと御礼のメールをいただいた。

(平成28年10月16日/2297回)

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2016年10月12日 (水)

天才

嫉妬と僻みが蔓延する娑婆とあってはどれほどの弁明を試みようにも詭弁としか受け取られぬのがオチにてさすがにそこまでいくと些か気の毒な気がしないでもなく。兎にも角にも数字だけが目立ってしまうんだけど「12」人目の辞職理由は3万円の不適正支出。額も額だけどその内容は名刺の印刷代とか。

まぁさすがにあの「いかにも」という下品な名刺は論外にせよ、名刺1枚すら公費で負担してもらえない(それは本市も同じ)ことに憐憫の情を抱きつつも、それ以上に懸念するのは...。報道によれば当人は古希のベテラン。向こうは土地の名士が少なくないから仮にバッチを外したとて糊口をしのぐようなことはないだけに「その程度のことで叩かれる位ならいっそ...」と仕事への意欲が失せてしまった可能性はないか。

それが再び脚光を浴びる背景にはそんな世知辛さが絡んでいるように見えてしまうのだが、角栄本が人気。およそ角栄伝説というか逸話はすべからく網羅しているつもりだけど、この御仁ほど人の琴線に触れるというか機微に敏感で表裏を知り尽くすに傑出した存在はいないのではないかと。一応、被告人ゆえさすがに道徳の教科書とはいえぬまでも社会人とあらば三国志と角栄本の一冊は読んでおいて損はない。

ちなみにオタク的見地から申し上げれば最近ベストセラーになったあの本などは字もデカい上に行間も広く、その逸話なども他の二番煎じであって物足りなさが残る。著者が著者だけに内容以上に話題性が部数を伸ばした感は否めず、世の関心を惹いた功績は大なれど内容は初心者向けか。やはり角栄本の中でも秀逸は当人に魅せられて記者からその世界に身を投じた早坂茂三氏の著作。そんな一冊には農耕社会において評価されるのは長い経験とそこから生まれた知恵であって、尊敬されるべきは風雪の歳月を凌ぎ、生きる為の知恵を肌身につけてきた長老とあった。

秋の日は釣瓶落とし。日暮れが随分と早くなった。夕方の事務所に来訪客を受けていたんだけど、そこにひょっこりのぞき込む怪しい影は...おらがセンセイ。聞けばゴルフの反省会の迎えが見当たらずにお困りの様子で送迎を仰せつかった。これが一見億劫にも見えるのだが、そこまで超越した存在にもなればかえって座持がいいというか退屈させぬ話術に人生訓も少なくない。

この前なんぞはやはり長老というか隠居したYセンセイの運転手を仰せつかったんだけど、車内の話題が知事選後の都連の対応に及んだ。当人には公認選考の結果は予見出来たんだろうけど結論が下された後とあっては明らかな叛旗であるばかりかその結論に不服というかゴネているように見えなくもない。結論を待たずしての出奔劇は機を見るに敏か。

本人は咎めなしながらもそれに呼応した7人に下された処分は離党勧告。謀反を企てた以上は厳しい処罰を科さねば他への示しがつかぬ。されど、勝てば官軍で勝敗が逆に振れたことが何とも不運にて執行部泣かせ。規律を維持する為には斬らねばならぬし、斬らねば弱腰との批判が執行部に向きかねぬ。進むも地獄、退くも地獄の状況にいかなる判断を下すべきか。あれはな...と聞いた解説が目から鱗。やはり亀の甲より年の功か。

(平成28年10月12日/2296回)

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2016年10月 8日 (土)

二枚半纏

民放を尻目にNHKドラマの視聴率が好調と聞いた。「あげまん」「さげまん」とはよくいったもので、それまでうだつの上がらぬ男が結婚後に不思議と運が回ってきて...という例は少なくない。かくいう私も当時は「無職」だった訳で...こう見えて苦労人なんです、実は(笑)。

齋藤孝先生をして小学校の国語は下手な授業よりもそちらの作品の音読こそが効果的と言わしめただけあって、かの文豪の鋭い観察眼と文才には敬服させられるんだけど、新ドラマ「漱石の妻」が面白いとか。芸能界なんてのは浮世離れの世界なだけにそのものがあまり好かんのだけど、役者とて最初からちやほやされたのでは演技に厚みは生まれんし、何よりも勘違いの元凶。されど、そちらの主演女優は鳴かず飛ばずの不遇時代を芸の肥やしにかえた遅咲きの演技派だとか。

そう、ドラマといえば子供たちが大河ドラマ「真田丸」に夢中。前半のハイライトが「犬伏の別れ」ならば後半はなんといってもこちら。家康の逆鱗に触れて九度山に隠遁というか幽閉された幸村父子。苦節九年、父昌幸も死を遂げて一人残された幸村に届いた秀頼の書簡に下山を決意する名場面「九度山脱出」が迫る。この第40回の副題はズバリ「幸村」だそうで...。閑話休題。

今年も事故無く、怪我無く、オオスズメバチの被害無く(くどいナ)無事に宮入を終えた。週一社、区内三社を御一緒するのが恒例で、白鳥神社だけはたまたま御縁が重なり御神輿を担がせていただいているものの、高石神社と細山神明社が膝元。中でも細山には立派な御神輿があって、そちらは荒川区町屋からいただいた縁起物。かつては都電を止めた御神輿も押し寄せる時代の波に逆らえず渡御の経路が縮小され...いっそ在郷にとおらが細山の親方が譲り受けた。

それを村の再興にと担ぎ続けて数十年、やはり御神輿こそ祭りの花形。数年前には「細山睦会」が発足してカッコいい半纏を背に遠征を重ねた結果、今や各方面より応援が駆けつける。半纏は任侠の代紋に同じ、勝手に行って粗相でもあろうものならケジメをつけろと、そりゃ例えが...。まぁかくも大事な代物にて私などはどこぞのセンセイと違って借物ではなく正式に盃を交わしていただいた半纏は細山睦会と高石神社神興会。

そんな細山と高石は隣村同士なんだけど村の風土がまるで違う。ちなみにおらがセンセイが高石ならば前任は細山の古刹の大住職で、おらが後援会長は細山だけど事務所は高石とほぼ互角。駅に近い高石は商売が栄えた。主が多いからズケズケ物言うのが特徴で自己主張が明確。だからぶつかることも少なくない。対する細山は区画整理が多かったから村全体が協力しなければ事は進まず、ゆえに本心を隠してでも恭順の姿勢を示さねば村八分になってしまう。

で、高石神社では高石の半纏で細山を迎える以上は細山神明社は細山の半纏で高石を迎えて...となるのがスジなんだけどそれがどうして。数こそ力、向こうが十人ならばこちらも十人で、と重ねた結果、今や睦会からの助っ人は21人、対する神興会は幽霊含めて在籍自体が21人だけに勝負アリ、白旗でも上げて下さればこちらは救われるのだが、そこは譲れんらしく「オマエは当然こちらの半纏」と命令されて高石の半纏を着用しつつ、あくまでも助っ人として細山神明社に。

細山の方々は寛容だから「大変だな」とか「いっそ表裏の半纏でも」と心優しい言葉をかけて下さる。半纏でさえそんな状態なのだから国籍ともなれば...とスグそちらに結びつけたりするのは意地悪が過ぎたか。いや、やはり看過出来んナ。

(平成28年10月8日/2295回)

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2016年10月 4日 (火)

〆切

およそ文学界でも〆切直前ってのは大物の証であって〆切後でも平然と...かくして出版社の担当は必死と聞いた。

分科会の審議を踏まえた各会派の総括質疑が迫る。〆切日ともなれば「早く仕上げるように」との無言の圧力がひしひしと伝わってくるんだけど、副団長の一人がつぶやいた。「もうぼちぼち(原稿の)分量も足りてますので...」-「そんなバカな話があるかっ!」。そもそもにこちとら会派の名に恥じぬ原稿をと推敲に推敲を重ねているのだから各自に課した原稿はすべからく集め吟味した上で不出来のものを抹消していくのがスジではないのかと反論したものの「大物」ではなかったらしく...年下の副団長に懇願して何とか受理いただいた。

議会改革の名の下に実現したネット生中継。が、本会議のみならずその適用範囲を常任委員会にも拡大するとか。既に会議録は全て公開されている上に傍聴も自由、本会議であればまだしも委員会の審議を「生」中継で見るなどというのはよほどの物好きか暇人の類であって別に包み隠すもんではないものの、はたしてそこまでやる必要があるのか、単に業者にそそのかされているだけではないのか、いや、ひょっとして在任中に功績の残したいA局長の陰謀ではないのかなどと疑ってみるも聞けば議長の意向が含まれるとか。そりゃ表立って盾突く訳にはいかんナ。

そのへんはA局長に免じて...違った、議長の顔を立てて見て見ぬフリをするにせよ腑に落ちぬのはそのアングル。議会と役所が概ね対峙する配置なんだけど固定式で理事者後方からこちらに向けられていて、おい、これでは中継というよりも監視カメラではないのかと。市民の皆様が求めとるのはセンセイ方のくだらんパフォーマンではなくて行政側の真摯な回答だろうに。否、やっぱりセンセイ方の仕事ぶり?信用されていないんだナ。

まぁそんなところで目立っても雄姿はなかなか有権者には届かぬものでエラそうに天下国家を論ずるよりもドブ板に徹することこそ選挙の王道。だから私のようなものがやってられるんだけど...。

それが不法投棄であればそれとなく目の前の道路に移動しておけば役所が撤去してくれるのだが、さすがにこちらともなれば。蜂の巣を突いた騒ぎとはよくいったもので「そりゃ大変だぞ」と誇張しておいたから後はよろしくとおらが後援会長からメールがあった。しかも不運なことに児童の通学路途中だそうでその危険がかえって好都合だったりも。が、何よりも迫る神社例大祭の巡行経路だそうで太鼓や御囃子の騒々しさに被害に合おうものならニュース沙汰。最近もどこかでそんな話あったナ。

が、ピンチはチャンス、壁が高ければ高いほど宣伝効果も抜群。ということで今回の宿題は蜂の巣駆除。しかも相手はミツバチならぬオオスズメバチ。万が一手に負えずば次善の策として知人の蜂捕り名人を紹介するが、それでは地元の評判にならぬ、というか票にならんではないかと会長。そんな難題も八方手を尽くして早々に駆除を終えた。が、「してやったり」などと故意に騒げば逆効果、噂は自然に広まるものにて事後はおとなしくと会長宛のメールに付け加えた。

(平成28年10月4日/2294回)

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