自慢話
野暮用で伺ったつもりが、「まぁどうぞ」と居間に通され、おいしい西瓜をいただいた。食い意地が張っている様子を「初西瓜ほほばる顔に笑みは無し」と詠んだ。
そう、実現が期待される新百合ヶ丘駅とあざみ野駅間を結ぶ横浜市営地下鉄3号線の延伸。最近の朝刊に「市営地下鉄3号線の延伸で横浜市、ルート検討へ調査着手」との見出しが躍った。それに関連してどこぞのセンセイが自慢話として吹聴されているらしく、それはみっともないことだぞと御教授をいただいた。その主は勿論...。確かに自慢話というのは失敗談と違って聞き心地のいいものではない。
横浜市営地下鉄3号線の延伸と南武線の武蔵小杉駅以南の立体交差化については横浜市及び本市が共同推進をしていく旨の覚書が締結されていて、大局的な流れの中で推進されている話で一議員がどうこうしたから実現したという類の話ではないというのがその理由。それは本件に限らず他も同じで、例えば「待機児童をゼロにする」とか「中学校給食の実現」などは市長の肝いりの公約だから放っておいても実現される可能性は濃厚。
それは市長公約の「二番煎じ」ということは賢い有権者は承知の上だが、たかだか投票率30%程度の市長公約を「全ての」有権者が知るはずもなく...「次回はこのセンセイに投票するわ」となりかねない。それを専門分野では「情報の非対称性」と呼ばれていて、余談ながら01年にノーベル経済学賞を受賞したスティグリッツ博士はこちらの分野における功績が評価されたもの。だから選挙においてはその内容以上に宣伝力、というか声の大きさが勝敗を左右する。
でも、それって選挙は勝てるかもしれないけれど、人として信用されるかは別な話。そんないいとこ取りのヤツなんか...。そもそも行政の職員だって面白くない(はず)。コツコツと積み上げてきたものが実を結びそうな段階で横から分捕られるようなものなんだから。それと同様にバラマキ的な宣伝も百害あって一利なし。福祉の充実なんてのも何をどう充実させることでどれだけの効果があるのか、また、その財源はどうするのか、と大事なことは一切触れずに誰もが拍手してくれそうな絵空事のみが宣伝される。
まぁそんなセンセイの賞味期限も短くなりつつあるんだけれど、むしろ、職務遂行の為に予算獲得に奔走する行政に「待った」をかけることこそセンセイに課せられた役目であって、やっぱり有権者からも行政の職員からも信頼されてこそセンセイではないかと。ということで、横浜市営3号線の延伸についても両市の関係が上手くいくように潤滑油的な役割、黒子に徹していて、「とにかく使い勝手のいいように使っていただいて結構」と伝えてあるのだが、一向に役回りが回って来ない。ってことは上手く進んでいる証拠ではないかと思っていて...。
「汗は自分でかきましょう 手柄は人にあげましょう」は故竹下登氏の言葉として有名だが、その後に続くは「そして、その場で忘れましょう」。手柄は人にあげてもつい恩義せがましくなりがちなんだよナ。
(平成26年7月31日/1829回)
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)