なおログ[Blog]

« X’mas | トップページ | そろばん塾 »

2013年12月25日 (水)

でもしか市役所

夢よもう一度ではないが、東京港、横浜港とともに一体的な京浜港として、国のスーパー中枢港湾を目指そうとの機運が盛り上がり、三港連携のコンソーシアムを立ち上げることになったのは数年前。その設立総会において阿部孝夫前市長が「川崎市は巨大な両自治体に挟まれているが、ビルの谷間のラーメン屋が如くその味が旨いこともある」とかそんな表現で聴衆の笑いを誘ったことがあった。

地方公務員の採用試験。都庁はダメだから川崎市役所「でも」行くか、川崎市役所「しか」受からなかった。まさに「でもしか先生」ならぬ「でもしか市役所」。が、そんな市役所ほどやりがいがあるもの。最近、ある関係者の薦めで「かなり」マニアックな本を読むことになった。そのタイトルもズバリ「バキュームカーはえらかった!」。

今でこそリサイクルの名の下に分別が進む本市だが、かつては「燃えるゴミ」と「燃えないゴミ」の2種類のみ。尚且つ、毎日収集であったことは有名な話。

今となってはそれをどう評価するかは意見の分かれるところだが、当時、流行のリサイクルは本来の資源節約の意味とともに自治体のごみ行政の遅れを住民に押し付けた側面があるのに対し、本市はごみの焼却場が全国の自治体に比べかなりの能力を有していたからあえてごみを無理矢理減らす必要はなかったのは事実。そんな本市のごみ行政の礎を築いた初代清掃課長、工藤庄八氏とこれまでの変遷を描いた職員必読の一冊。

現在、全国の自治体においてし尿処理に活躍するバキュームカーを開発したのがその工藤氏であって、その開発秘話が含まれる。戦前は農家を中心に糞尿が肥料として利用されていたものの、戦後、まもなくGHQからし尿処理を進めるよう命令された当時の厚生省が困って打診したのが東京都と大阪市。さりとて、相当に杜撰な設計だったらしく、そんな粗悪品を押し付けられたらたまらないと体よく断られたことから白羽の矢が立ったのが「でもしか市役所」の本市。

が、当時は両自治体から闇夜に乗じて本市への不法投棄が散見され、し尿処理も汲み取り専門員が人海戦術で市内を回る。そんな状況を見かねた工藤氏が「負けてたまるか」と職人根性で改良に改良を重ね、「バキュームカー」として世に送り出した経緯が描かれている。本市にバキュームカーが誕生したのは昭和25年だが、他の自治体は昭和30年代半ばまでごみ収集もし尿処理も全て人力であって、当時は全国から視察が相次ぎ、東京都からは当時の清掃局長が10回以上見に来たと記されている。

そんな工藤氏は現場の指導者としても辣腕を振るったという。し尿処理に始まりごみの収集業務に到るまで当時は荒くれものの集まり。そんな荒くれものを市の正規職員として採用するばかりか、当時は中国の戸籍が如く異動の道が閉ざされていた現場作業員の中から仕事ぶりや経験によって事務職へ昇格させたという。

現在の川崎市にもそんな負けん気の強い風土が途絶えていないことを願っている。

(平成25年12月25日/1612回)

facebook:https://www.facebook.com/naofumi.yamazaki
Twitter:@YamazakiNaofumi

電子書籍「一日一話」

「一日一話」表紙

|

« X’mas | トップページ | そろばん塾 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: でもしか市役所:

« X’mas | トップページ | そろばん塾 »

 
自民党
山崎なおふみは自民党の議員です
自民党ホームページへ
KAWASAKI CITY
山崎なおふみは川崎市の議員です
川崎市議会のページへ