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2012年7月22日 (日)

祖母

今日から1週間の長期連載企画。ズバリ自らの半生を振り返る。市政とは全く関係ないからあえて読んでいただくほどの内容でも無いのだが、興味があればどうぞ。

昭和19年。終戦の前年に親父は生まれた。生まれは新潟県刈羽郡西山町(現在の柏崎市)字(あざ)大坪の旧家。屋敷の太い柱と庭の大きな池、周囲の山々が印象に残っている。ちなみに、祖母は郷土の英雄、田中角栄氏と同じ二田尋常小学校の卒業である。

自然豊かな田舎にあって、今も田んぼに囲まれたエリア。子供の自然遊びには最適。かつては田中角栄氏が、そして今は同地区を地盤とする衆議院議員の長島忠美氏が述べているが、都会の子供たちにも蝉の鳴き声で起床する田舎の生活を体験して欲しいと、まさにそう思わせる田舎の光景である。

昭和19年生まれは一人っ子が多い。戦時は本能的に繁殖機能が増すから出生数は増えるのだが、帰らぬ人となることもあって、わが祖父もその一人。腹の中の子供の顔も見ることなく帰らぬ人となった。

以前、時の総理大臣の橋本龍太郎氏が靖国神社を参拝したことを嬉しそうに話をする祖母の思い出が残っていて、毎年、終戦記念日の前後に靖国神社を訪れている。今日の平和と発展はこの国の礎となりし英霊の犠牲の上に成り立っていることをすべからく全国民が深く胸に刻み付けるべきである。

終戦後、百姓では生活が出来ぬと、祖母は実家を離れ、直江津にある新潟労災病院に就職。女手ひとつ、新天地での生活が始まった。掃除雑用係としての採用だったはずだが、定年間際には事務局長なみに顔が利いた。

当時から若い医師の炊事や裁縫の面倒を見ていたらしく医師の信頼が厚い。そんなことで私もお医者さんたちには本当に親切にしてもらった。退職後も病院仲間が自宅に遊びに来るのだが、それが救急車であって、(今では想像も出来ないが、)私も何度か乗せてもらったことが懐かしい。

普段の通勤はバスなのだが、雪が積もるとバスは動かない。そういう日であっても吹雪の中を歩いて通った。そんな大好きな祖母の姿を作文にしたら当時の小堺先生が「新潟の子ら」という文芸誌に投稿してくれて、見事賞に輝いた(当時から文才があったんだなぁ~)。

母子家庭だから苦労したであろうことは想像に難くない。ちなみに母子寡婦制度は当時の時代背景から創設されたものであって、現在のように離婚だらけの時代とは全く訳が違うのである。

うちは親子二代とも同じ新潟県立直江津高等学校の卒業。文武両道のごく平均的な学校なのだが、そんな平凡な高校がなんと夏の甲子園の県大会決勝戦に進んだ。創立100年の伝統を誇るが今日までの歴史的快挙の一つ。わが親父は野球部に在籍していて、決勝戦に臨んだのだが。。。続きは明日に。

(平成24年7月22日/1092回)

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