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2012年7月23日 (月)

両親

実家の納屋に年季の入ったグローブが残っていたが、親父は野球部の所属であった。高校生活最後の夏の甲子園。創立百周年の伝統校が県大会の決勝戦まで進む快挙は前にも後にもこの1回限り。

全校挙げての応援もむなしく敗れることになった。準決勝の勝利に浮かれての前夜のどんちゃん騒ぎが原因だったとは祖母の分析。

当時は進学できるほどの経済的な余裕が無かったのであろう。長野県を本拠地とする銀行に就職。以降は転勤生活が始まった。単身赴任の時もあれば社宅住まいの時もある。一つの会社を勤め上げるには忍耐が必要。銀行一筋42年。銀行など他人様のカネで利益を上げる仕事。

今となっては貸し渋りなどから恨み節も聞こえてきそうなものだが、倒産の可能性は低いし、安定した職業であって、尚且つ高給取りとあっては羨望のまなざしが注がれることになる。そんな父親も平成21年冬に胃がんにて65年の生涯に幕を閉じたが、臨終の間際までいい時代を過ごしたとこぼしていた。

さて、一方の母親、正子はその名の通り、五人兄弟の末っ子として生を受けた。同じ新潟県だが、富山県よりの西頚城郡能生町(現在の糸魚川市)が生家。こちらも地元の寺の檀家総代を務める由緒ある旧家。姉3人兄1人の中で県内に残ったのはうちの母のみ。姉3人は上京し、今も東京・千葉・神奈川に在住である。

もともと裕福な家庭だったのだが、祖父がやり手で財を成した。夏は親戚一同が墓参りに帰省するのだが、5人兄弟に孫は11人の大家族。私の母は末っ子だから従兄弟はほとんどが年上となる。海水浴や昆虫取りなどに連れて行ってもらうのが何よりも楽しかった。いまは長男の伯父さんが後を継いでいるが、結婚が遅かったこともあって、祖父の寵愛を受けたのは私だった。

祖父の会社は冷凍会社。漁師町だけに元々の需要があって、夏は長野県からも多くの観光客が訪れる。一時はそんな観光客相手の商売もかなり繁盛していた。とりわけ夏に「べにずわいがに」を鱈腹食った記憶が残っている。

数年前に郷里の上越市の市議選で帰省した際に、元衆議院議員の高鳥修氏と隣り合わせになった。同氏は能生町の出身であって母から祖父との昔話を聞かされていただけに恐る恐る聞いてみた。「母の郷里が能生町であって、昔から先生の支援者です」と伝えると祖父との昔話を教えてくれた。

そんな恵まれた家に育ったはずの母親だが、漁師気質かとても荒っぽいし、とにかく近所でも評判の教育ママであった。悪気はないのだが、街中で私の友人に会うとテストの点数を聞いて回る。はずかしくってありゃしない(泣)。

家では質素倹約を心がけていたが、祖父母の影響か教育費の出し惜しみだけは無かった。当時はそんな時代ではなかったと思うが、私の母親などは東京近郊の私大の卒業。学費にしても下宿代にしてもかなりの出費だったはずだ。まぁそんな母親のおかげで最低限の知識と教養は身についたのだから感謝せねばなるまい。

(平成24年7月23日/1093回)

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