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2012年5月 1日 (火)

阿古屋松

そんな高尚な趣味を持つに至らないのだが、以前、ある人物より「能」を学んだほうがいいと薦められて、ちょっとその気になっている。

神と人と自然が織り成す悠久の世界へのいざない。森羅万象に精霊が宿る、八百万の神の信仰国、日本ならではの古典芸能。確かにとっつきにくいことは重々承知の上だが、本市も能楽堂を有しているだけに、まずは裾野からと子供達への普及について市議会で取り上げたこともあった(が、反響は薄かった)。(平成22年12月17日本会議にて)

「陸奥の阿古屋の松に木隠れて出づべき月の出でやらぬかな」と歌枕にもあるが、その松を題にした能「阿古屋松」が国立能楽堂にて上演され、久々に能を見る機会に恵まれた。

観世文庫創立二十周年記念としての世阿弥自筆の復曲能4公演の一つ。前段には松岡心平氏の解説があって、ぶっつけ本番では初心者には難解なことも多いからという主催者の心遣いが見て取れる。

主なあらすじは、陸奥に国司として赴任した藤原実方は木樵(きこり)の老人に出会い、歌枕で有名な阿古屋の松の案内を求める。ようやく辿り着いた阿古屋の松の下で夜を過ごしていると塩竈明神が現れ、松のめでたさとともに阿古屋松の伝説を語り始める。

その昔、阿古屋姫が惚れた旦那は老松の精霊の仮の姿。ある日忽然と姿を消してしまう。名取川の洪水の際に橋材として老木は伐採されていた。悲嘆に暮れる姫は仏門に入って萬松寺を開き、松を植えて弔ったという言い伝え。その松が阿古耶の松と呼ばれている。最後は塩竈明神が実方の都に居た頃の風雅を偲んで自ら舞を舞うというストーリー。

松といえば津波に耐えた陸前高田の一本松が印象深いが東北地方にとって松は特別な存在。能の途中に実方が木樵(きこり)の老人に松のありかを尋ね、「昔は当国、今は他国」と述べるシーンが登場する。

松が移動するはずもなく、実方はその意を問うが、現在は出羽の国(日本海側)と陸奥の国(太平洋側)は別々だが、かつては出羽陸奥の国は一国であったと答える。そして、塩竈神社は陸奥の国の一宮だからその明神が昔は同国にあった阿古屋の松に現れ、松のめでたさを語るとともに舞を舞うとはまさに東北地方の鎮魂に相応しい演目ではないか。

今年の3.11にはシテを務める観世清和氏が阿古耶の松が残る山形県の萬松寺を訪れ、松を前に手を合わせたということが全てを物語っている。

(平成24年5月1日/1010回)

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