大みそか
いよいよ大みそか。
猪木ボンバイエを見たいのだが、今年は終わってしまったらしい。他の格闘技番組を見ようと思っても、残念ながらそんな時間はなさそうである。
昨年の暮れに田舎の父が他界し、静かに迎えた今年の正月であったが、あっという間の一年。まさに光陰矢の如し。
今年も何人の方の通夜に参列しただろう。人を失うというのは寂しいものであって、それは身内のみならず世話になった方も同じである。当時を懐かしんでも帰ってくる訳ではないが、その教えや思い出は今も脳裏に焼きついている。慎んで故人のご冥福をお祈り申し上げる。
一方で、新たな出会いも多かった。私は驚くほど人に恵まれていると自負していて、人との出会いから道が開けてきた。来年はどんな出会いが待っているか。ワクワクの年を迎える。
明治時代のある実業家の言葉に以下のようなものがあって、このたびリーフレットに引用した。
-事の成就、人の栄達にはそこに至るまでの幾人かの陰の善意と合力があってこそ-
「自分が兎にも角にも今日あるを得たのは凡て他人様の世話を蒙った結果であり、自分の如きが何等他に抜きんいづるところ無く、未熟なるものにして、自分の知らざる間に、先輩の方々が余の位置を作り、職業を与え、提撕(後輩を教え導く)として以って今日あるに至らしめたのであるから、自分にとって後進である者の為に、能う丈けの尽力を惜しまざるの決心で臨み、何人かが来りて或る相談を持ち掛けた場合、其の事の難易に拘らず、これを聴取しつつ、如何にせば此の依頼を受け入れうるかを考えながら聞き取るを常とする。」
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