高所得者の負担増を
別に私が求めている訳ではない。
政府財政調査会の中間報告書に経済的な格差是正の為に「所得の高い者により負担を求める」と明記された。
私は決してカネ持ちではないから、然したる影響は無いのだが、昨今の格差是正なる動きには違和感を覚える一人である。
格差には様々な要因がある。そしてその是正を求める声の本質は妬(ねた)み嫉(そね)みである。
勿論、出生の違いもあるだろうが、本人の必死の努力の結果、汗と涙の結晶ということもある。出生の違いといっても、それは両親や祖父母、ご先祖様の活躍の賜物によるものかもしれない。
また、生まれながらにして裕福な家庭に育つというのはあるが、それが果たして幸せな人生を送れるとは限らない。カネを稼ぐ楽しさ、カネのありがたみが実感しにくいとは、かえって不幸ではないか。
貧しい家庭、親の所得格差による教育格差などが指摘されるが、そんなのは屁理屈に過ぎぬ。教育格差なんてものは本人の努力次第で乗り越えられる。
野口英世を見てみなさい。貧しい家に生まれながらも苦学の末に、あれほどの功績を残したではないか。
困難の壁は高いほうがいい。それを乗り越えることこそ人生の醍醐味ではないか。
カネ持ちへの妬み嫉みは世の中を悪くする。
「ああなりたい」とか「よし俺も」いうキャッチアップの姿勢が日本の経済成長の原動力に繋がった事実を忘れてはいけない。
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