なおログ[Blog]

2022年5月20日 (金)

遍路

御紋入りにあの大判の角印は子供心に忘れもせぬ。下賜されし一枚が実家の仏壇の上に。祖父が戦没者にて。本来ならば皇居にて厳かに行われるべきも。モノがモノだけに宅配とはいかず。春の叙勲の栄に浴された二人への伝達式にお招きをいただいた。

およそ一年前。受章後の祝賀会は盛大に、発起人の労は厭わぬ、と告げて以来、一年ぶりの着信に間柄が窺い知れ。「おい、今朝の新聞を見たか」との相手に「貴殿ほどヒマではない」と押し返せるほど地盤は盤石ならず。何か区の話題でも、と水を向ければ、「町会長のTさんが叙勲を受章されとる、電話を入れれば喜ぶだろう」との御助言に一報を入れただけなのだけれどもこれが大変に喜ばれて。

後日、「先生には一番に御電話いただき」との御礼。そこまではよくある話なれど、それが伝達式の当日、他の町会長が居並ぶ中にあって、ちゃんと周囲に聞こえるように。そこまでが当人の狙いだとすればその深謀や恐るべし、次回は私の選挙参謀に。巷にて賞賛される気配りもそんな好意に助けられており。

会員の高齢化が進む母校の同窓会。互いの近況を知るに欠かせぬ年一回の会報。校正は「若手」とされる私の担当。寄せられる返信はがきに見る会員の声。ここ一年に多き退会希望。施設への入居を理由に次回以降は送付無用、と。何よりも読めぬ字、それが達筆なのか乱雑なのか、入力よりも判読に時間を要し。ちゃんと相手のことを考えて筆をもっとるのかね。

それに加え、その内容が政権の批判だったりすると新聞の投稿欄じゃあるまいに何も同窓会の近況欄にんな話題を持ちこまずと。ちゃんとそのままを掲載するも、読者の共感を呼ぶどころか自身の評価を自ら下げとるようなもの。その年齢にもなってそこに気付かぬとは。それではろくな友達も出来んでしょうに。

年一回にしてそんな状況なのだから月刊とあらばその手間や相当なもの。長年の歴史に幕。俳句の同人誌がまもなくの七百号を以て休刊となるそうで。自選十五句に文章を添えて提出せよとの難題。時に親バカにて子の成長を詠んだ「制服の板につきたり若葉風」を入れた。

ともに私と100kmレースを完走された二人。傘寿を迎えんとする鉄人が川の道512kmならば年齢不詳の女傑が選びし距離は1300km。四国八十八カ所の巡礼を一回で制覇することを一気通貫ならぬ「通し打ち」と呼ぶらしく。全40日の宿泊先の確保に四苦八苦。ある日など店なき山道35km、出発前に宿坊にて手渡された2個の塩おにぎりがこの世で一番美味かった、と、その手記に目を通しており。

方や、悪行三昧の日々に煩悩のカタマリである私などは俗世から抜けきれず。未踏のトレイルレースに向けて山に挑んどるのだけれども、途中に「伸び競ふ若葉減りたり八合目」と一句詠んだ。

(令和4年5月20日/2712回)

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2022年5月15日 (日)

梨園

男女平等に反する、と申してみても仮に男性ならば、いや、若い女性では、と想定すれば不都合が生じる訳で。トイレの清掃員は年増女に限る、と言わば偏見か。庁内のいい話相手だったはずなのだけれども最近は見かけず、もしや。

結核を患いし病人の着衣の洗濯、それも年頃の娘とあらば尚更のこと。躊躇して店を出たものの、脳裏よぎるは身を寄せし叔母の小言。選んでおれぬ、と踵を返して再び店に。その口や半年前の求人なれど仕事が仕事だけに未だ働き手が見つからぬ可能性とて、と渡されし地図を頼りに辿り着くは立派な御屋敷。

病床に伏した若旦那も見事に回復を遂げ。家元の女中なる新たな求人に群がる志願者の中にあって当人だけは半年前の求人、つまりは「病衣の洗濯」と誤解して臨む面接。そんな覚悟と偶然に「符牒が合った」と採用を手にする主人公の光乃。宮尾登美子著「きのね」の冒頭。

乙女の微妙な心理を察するは作家の資質もそれを表現するに欠かせぬは言語。この国民性を育むに島国なる地理的な理由と日本語が果たした役割は小さからず。国を侵略するに武器なくとも「言語」と「文化」さえ奪ってしまえば。アルフォンス・ドーテの「最後の授業」に見る歴史の教訓。つい最近もそんな話を聞かなんだか。

久々の視察を終えた。団体行動とあらば我を通す訳にはいかず。若手に言われるがままに同行して当日に初めて目にする項目に「イマ―ジョン教育」とあって。カタカナは好かぬと日頃申しておるではないか。聞かば、国語と道徳以外の教科は全て英語で行われるとか。シャワーに擬えたあの教材じゃあるまいに。

あくまでも全市の中で当該校の一学年一学級のみ。選抜は試験ならぬ完全な抽選。すぐ隣では通常の授業が行われており。英語か否かの違いだけで内容はほぼ同じ。子供が有するはあくまでも教育を受ける権利であって、教育を受けさせる義務は親にあり。どうせなら「バイリンガル」のほうが、と人気は分かる。

一方で気になるは教師の負担。そして、何よりも「一般」級に「特別」級などと分け隔ててはヘンな意識が生まれはせぬか。が、そんな心配は全く無用、劣等感などどこへやら。一般級とて些かも負けてはおらぬ。むしろ隣にそんな学級があることが刺激になってか授業に向き合う生徒の姿勢が積極的。教壇に立つ側とて倍の負担がかかろうと、そんな重責を担えるは冥利に尽きるとばかりに意欲的とか。

んな特別扱いは格差を助長しかねぬ、というけれども必ずしも「特別」な方に軍配が上がるとは限らず。特別級そのもの以上にそこから派生した副次的な効果こそ。大人の都合で捉えるに見落とされる子供の可能性。

そう、最近目にするマスクの話題。要不要を「真剣」に検討する大人などどこ吹く風と子供たち。大人が口を挟まずと彼らのほうが遥かに柔軟に対応しているように見えて。むしろ、大人が勝手に決めたモノサシをあてがわれるは自ら思考する機会を奪いかねず。大人がいうほど子は愚かではない。

(令和4年5月15日/2711回)

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2022年5月10日 (火)

嗅覚

スペインが誇る巨匠の最期。路面電車に轢かれたそのみすぼらしい老人がガウディとは誰も気付かなんだとか。他人様を容姿で判断してはならぬ。が、自らはそう判断「される」と思っておいて損はなく。ということで、今日はそんな外見にまつわる話から。

結果を左右するは生身の人間だけに様々な観察の機会を提供してくれる選挙。社長が応援しとる候補を落選させる訳にはいかぬ、社長の支持を得た以上は従業員とて、なんてのは幻想に過ぎず。むしろ「社長ばかりに媚びやがって」と逆効果にならぬよう。ならば、未だ忠節を重んじるあの世界はどうか。

迫りくる参院選。候補者は選挙区のみならず、全国比例の候補はまさに正念場。政党名とて有効なれど個人名を記してもらわば当選がぐっと近く。地元の行脚を請われて訪ねる師範宅。貴殿の頼みとあらば門下に、と快諾いただいて数日後、「申し訳ない」と。

見知らぬ人物の名を書いてくれとせがむ図々しさにも「わかった」とこちらの顔を立てて下さる支援者の方々、無記名である以上はバレぬはずも律儀な御仁にて。理由を聞かば、政党の支持こそ揺るがぬ、が、何といおうか、候補者の「人相」が。

写真機の台頭に脅威を抱くは画家。職を失いかねぬ危機。写真か肖像画か。女王に問われた宮廷画家カロンの返答や「陛下、写真は人を実物よりもよく見せることはありません」と。

いや、それはまだ見ぬものへの一つの材料を提供するに過ぎず、悪人面に見えて実は善人だった、なんてのはよくある話。ましてや、あの団体の推薦候補とあらば、性格とて悪いはずはなく。全国区とあらば実際に会えぬことも往々にして写真位は、と。

今や着色は自由自在。少しでも若く、寡黙な印象を払拭せん、気さくさを演出しよう、と様々な思惑が交錯した結果か、言われてみれば確かに「作り過ぎ」感がしないでもなく。が、んな話はそこに限らず。区内に貼られた数少ないポスターは前回の写真なれど、更に少ない立て看板の顔写真は初陣時のもの、ってことはあれから二十年。「詐欺」の被害届けが多く寄せられ、夜な夜な更新に追われており。

そう、GW中のアルテリッカも閉幕。どこぞの区長がついでに立ち寄りし会場の裏山にて自然薯を掘り当て、喜び勇んで帰路につかれた、と求めておらぬ報告、というか「タレコミ」が届き。その意図を考えあぐねているのだけれども。

目撃されし背中のリュックサックはどう転んでも「ついで」に見えぬ。んな不格好では上品な区のイメージを汚してはおるまいか。不審者に間違えられて身柄拘束が区長だったなんて等々。信憑性とて疑わしき一通のメールに下手な疑惑は問うだけ野暮ってもんで、自然薯を掘りあてるその「鋭い」嗅覚を仕事にも生かされんことを。

(令和4年5月10日/2710回)

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2022年5月 5日 (木)

泪橋

番組の延期に寄せられる賛否。あの忌まわしき事故を連想しかねぬ、いわゆる社会的な「配慮」というものらしく。と申しても実際に放映されとらん訳で、まだ見ぬものを巡って騒ぐに別な意図がありはせぬか、なんて。

中には不快感を抱く視聴者とているやもしれず、が、それをいわば連日のあの報道とて悲しみ癒すに程遠く。見る見ぬの判断は当人の選択に委ねられている以上は何もそこまで、とは言い過ぎか。悲しき死はそこのみにあらず、そこを酌むなら日々喪に服するが如き、「中止」ならぬ「延期」、話題になればかえって次回の視聴率も、なんてことは。随分と意地悪が過ぎた。

人生にやぶれ、生活につかれはて、ドヤ街に流れてきた人間たちがなみだで渡る悲しい橋。いつかこの橋を逆に渡ろうじゃないかと、橋のたもとにジムを構えた意味を説く隻眼のトレーナー。漫画「あしたのジョー」の一場面。過酷さなくして結果なく、最後は体力以上に気力が勝る、との根性論を信奉しとる一人にて。

昨今はプロスポーツの世界などでも故障の原因は年齢以上に酷使による疲労と実証されつつあって。何もがむしゃらに走るだけが結果を生むものになく、いかに故障を抑えるか、回復効果を高めるか、そこを意識すれば生涯現役も夢ならず、とか。

とりわけ、持久系の種目においては顕著だそうで、高まるマラソン人気。いまや、ウルトラやトレイルに挑戦している年齢層や二十代に留まらず。年齢は二の次、若いヤツなんぞに負けておれん、と挑みし前回は653人中162位の成績。もうまもなく50歳ですぞ。が、まだまだ上が。

そう、今年も「日本縦断『川の道』フットレース(東京~新潟513km)」が繰り広げられていて、自ら有する最高齢の記録を塗り替えんと鉄人が挑んでおられ。その壮絶な手記が届いた。

残念ながら途中棄権となりました。走行距離は約250km、群馬県の下仁田から長い峠を越えて、長野県の佐久市に入ったところで、中間の休憩ポイントである小諸キャッスルホテルまであと12km程の地点でした。前夜の休憩ポイントである秩父・両神荘を昨夜23時に出てからほぼ一昼夜走歩してきたので、もうくたくたでした。制限時間(5/2 24時00分)までは2時間程あったものの、残り2時間で12キロを走る体力は残っていませんでした。この間、2回の転倒による怪我も気になることもあって、今回の挑戦はこれまでと、潔く諦めました。チャンスがあれば、再度挑戦したいと思っています。

当人の年齢は喜寿以上、傘寿未満だったはずで。80歳で250kmを走る、いや、それ以上に途中棄権にも懲りずに次回「も」513kmに挑戦せんとする気概が若さの秘訣か。ちなみに鉄人が本格的にランを始めたのは会社の退職後というから歴だけは私のほうが。

(令和4年5月5日/2709回)

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2022年4月30日 (土)

裏庭

麻生いけばな協会の作品展にて会長自ら御案内をいただき、礼状に一句、花心酌む作品や人集ふ。無季になっちゃったけど、まぁいっか。ほんの数日といえども花とて生き物。日々腐心されている様子が窺い知れて。

見えぬものが見えるように、聞こえぬことが聞こえるように、日々そんな姿勢で接すべし、と禅問答が如き教え説くは幼稚園の理事長。

罪人ぢゃあるまいに顔を隠すなんぞは、と役所通りにて行く手を阻む不審者、この無礼者めっ、と言いかけて気付く、相手はくノ一。が、「せんせっ」などとチャーミングな演出ぶりは只者にあらず。マスクに覆われし面を認識するに数秒を要してしまったが、よく見ればY市議。降りかかる難題に憮然とした表情で歩いていたらしく。んなしかめっ面では人も寄りつかぬ、と言いたげな。

いつも目を惹くタイトル。「老後の資金がありません」とか「子供の学費が払えません」、後者はニセモノ。時事ネタ、現代社会が抱える病巣に鋭く切り込む垣谷美雨さんの最新刊は「定年オヤジ改造計画」。まぁそういう内容であり。定年を迎えた職員に一筆添えて。最近なんぞは退職前に「心得講座」なんてのが催されとると聞いたが、んなことは教わることか。

隠居の身はこちらも同じ。持つべきものは友。議長時代の同窓、関東五市の元職の方々に誘われて。どうせなら三冠、なんて声はどこにもないのだけれども不思議と縁は生まれるもの。三権の長ともならばただの議長にあらず。「秘書」「部屋」「車」どころか「公邸」もあてがわれて。

大年増が相手とあらば鰻でも食わねば太刀打ちできぬ、との毒舌ぶりに、本人前では冗談ではすまぬ。政令市の元議長が出禁なんて、訳ないでしょうに。くれぐれも粗相なきよう再三に釘を刺されるも借りてきた猫では。互いに顔位しか知らぬ相手との面会に悩む話題。与えられた時間は数秒。偶然に居合わせた商談先の社長を相手に何を伝えるか。その場面になぞらえて「エレベータートーク」というのだけれどもそこを意識すべし、と前職時代に。

その間柄は知らぬ、が兎にも角にも「ファン」であるらしく、その名は随分と聞いた、というか「聞かされた」。その旨を告げれば「元気?」と旧知の御様子。ってことは自ずから話題は見えてくる訳で。さすがおらがセンセイ。イベルメクチン、あれもそちらが発端だったはずであり。包容力というか人を飽きさせぬ独特の雰囲気に尽きぬ話題。入口に控える執事役の所作にようやく重い腰を上げた。任期後はぜひ御一緒に、との申出にも笑顔で応じて下さって。

そう、さっきからずっと気になりしは窓外。あれだけの庭があればさぞ上達も早かろうに、との声が聞こえてか、「いや、近くで見ると意外と」との執事役の証言を確かめるべくズケズケと。ふむ、言われる通りフェアウェイというよりも深いラフだな。そこに立ちて気付くは周囲の高層ビル群。贅沢な空間、というよりもこれでは常時監視されとるようで。んな不躾な客など。後日、出禁の通達が届かぬことを願っており。

(令和4年4月30日/2708回)

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2022年4月25日 (月)

互助

活動の盛んなるを聞いて入部を申請すれば「ぜひ」との二つ返事もその後に何ら沙汰なく。役所の「検討」じゃあるまいに。千人の中にあって初対面の私に気づくとは、いや、逆にそれだけこちらに「惹く」ものがあらば二冠とて、くどいか。私の仕事ぶり、ならぬ走バカぶりは庁内でも話題とか。途中にてはぐれてしまったものの、完走できたかな、Nさん。

振り子の原理、振れ幅が大きければ逆も大きく、完走後の一ヶ月はいかなるドカ食いも無効、つまりは絶対に太らぬ、それこそがウルトラマラソンなるもの、と教わり。確かにそうだったはずなれど、今や三日で原状回復、どころか上限を突破するは「老い」の兆候か。

ミューザのホールに同じ、対称に見えてさにあらず。身体歪むはその非対称性。内臓の位置然り、顔とて左右同じになく。高齢者に多き腰の曲がりが典型例、歪みは放っておくと酷くなるからそこを予め意識するだけでも。マラソンなど歪み知るに最適。ほんとに左右の不均衡や特定の部位まで露骨に分かり。と、そちらの話題でよければいつでも。

閑話休題。前回は新たな施設よりも巷の意識、などとエラそうなことを申し上げたが、「共存」が如き二文字は時に余計な支出を減らさんが為の口実になったりもする訳で。高まる意識に追いつかぬ役所の対応。「互助」などと立派なことを申しても自らの役割を自治会へに押しつけんとする役所の陰謀にあるまいか、との拭えぬ疑念は互いの信頼関係に負うところ大にして。

そちらの活動を促進すべく設けられた助成制度も自治会間の格差に当該自治会が購入したものをドサクサに紛れて他に利用されてはかなわぬとの懸念、加入が任意とあらば非会員とておられる訳で、「除外」などとは言えぬでしょうに。十分なモノはあれども肝心の倉庫のカギが行方不明、電動ノコギリなど教わらねば使えぬ、そもそもに倉庫の中身を知るは一部だけ云々、と尽きぬ課題。

人の移動に市境なく、寄せられる情報に気付かされる格差。備蓄品に大きな差異あり、とそちらの達人から誘われて隣市の防災倉庫を見学に訪ねた。単なる場所の提供のみならず全市で統一されたその中身はホームページにもキチンと公開されて。比較されるに分が悪く、炊き出し用かまどセット一式など。

が、見るに道具あれども肝心の食材、コメの備蓄なく。災害時に配給されると申しても混乱の最中とあらば届く保証なく。とすると道具なくとも一定の非常食を確保する本市のほうが一枚上手にあるまいか。いや、非常食の備蓄量に正解なく、賞味期限あるだけに更新の必要とて。ならば避難時に各家庭にあるコメや食材を持参してもらうが利口。そこに生まれる助け合いの意識とて、とそんな意識も共有されているらしく。

要援護者の名簿の管理と二次避難所のあり方、災害用トイレ等々。想定すれば「キリがない」とはいえ、備えあれば憂いなく、役所とて及び腰ではイカン。

(令和4年4月25日/2707回)

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2022年4月21日 (木)

二冠

久々にウルトラマラソンの完走を遂げた。かつてであれば最大の障壁は禁断の果実、食の誘惑。いわゆる「家系」なるものであったり、「らーめんはうす」の肉野菜炒め、「どん八」のカツカレー等々、些か具体が過ぎた。後の二つはぜひお試しあれ。

満腹の代償は小さからず、後悔の念に苛まれつつ、ゴール前では醜態を晒すこと往々なれど、今やそれ以上の難関が。課せられる当日までの体調管理。日々の体温が如く手入力とあらば「抜け道」もありそうなもんなれど、当日の抗原検査だけはいかんともしがたく。

検査キットにて陽性と「思しき」際に表示される青線一本で出場停止とはあまりにも酷く。過去の努力が水の泡になりかねぬ、と断腸の思いで夜の誘いを断り続け、細心の注意を払えども拭えぬ不安。ならば不測の事態に備えて前日位は湖畔で優雅に、と目論むもそんな日に限って。

新議長殿の就任祝賀会。欠席とあらばあらぬ誤解を招きかねず。よもや現職を追い落として再度の登板を狙っておるまいか、なんて。大会は半年以上も前から「安からぬ」参加費を払って申し込んどるのだから何をかいわんや。統一地方選まであと一年。

話題に上がってなんぼの世界。過去の人、などと忘れられることでは。不在の県議の候補に浮上する名。市議の座を譲って県議に挑戦すれば一挙両得、いづれ議長の鉢でも回ってくれば市と県の二冠。絶対イケる、などと何の根拠もない「大丈夫」ほど危険なものなく。何が勝利の方程式だ、バカも休み休み。

さて、本題。常任委員会の論戦も本格化。昨年などスタメンから外れとるだけに発言少なく、全委員中「最低」という不名誉な記録は自慢にならぬ自慢なれど、グランドに立てば話は別と新年度は開幕戦から発言台に立つことになった。

俎上に上がるはかわさき「パラムーブメント推進ビジョン(案)」。そもそもにパラムーブメントなる大本が概念じみた造語というにバリアフリーだインクルーシブだ、計画案の中に紛らわしいカタカナが多用されては心に響かぬ、との指摘はまさに。さすが前副議長殿。

で、当日の論点の一つとなりしは、施設は障碍者の「専用」であるべきか否か。既存の体育館はあくまでも一般用に作られたものであって、専用の施設を新たに作るべき、との市議に対して、既存の使い勝手は改善が図られて然るべきも、共存を目指す視点から新たな専用の施設は考えていない。目下、検討が進む等々力緑地再編整備の新たな施設とて例外になく、同様の視点に基づき云々、と確かそんな答弁が。

共存か専用か、寛容の押しつけこそ不寛容、いわゆる寛容のパラドクスは知られたところなれど、差別を許すな、と専用を作るが逆に差別につながりかねぬか。意に添わぬ役所の答弁に続く追及。どこぞの市のプールなど車椅子の方の為に入水用の昇降機まであるというに、との発言につい反応してしまい。

おい、待て、昇降機が無駄とは言わぬ、が、本来ならばプールサイドに現れし当事者を見て、中に入りたいのではあるまいか、ならば手伝おう、と手を差し伸べる。惻隠の情、というか、そんな意識を育んでいかねば。そこにこそ目指すべき社会の姿があって、施設を充実させるだけでは理想は叶えられぬ、と苦言を呈しており。詳しくは会議録にて。

(令和4年4月21日/2706回)

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2022年4月15日 (金)

自費

二月に申請したはずの療養証明書が未だ届かぬ、と地元のN兄から相談が寄せられた。市に問い合わせれば、「ちょうど封入の最中にて週中には御手元に」と担当者。あくまでも不作為の結果とのことなれど、あまりにも「よくできた話」にて逆に不信感を抱かれはせぬか。

コンビニのレジにせよ銀行の窓口にせよ、要領を得ぬは人に負うところ大にして役所のみにあらず。昨今などは役所とて随分と改善された、はずなのだけれども。不運は重なるもの。世故に長けた御仁ならば週明けの朝イチこそ鬼門と知るべしも繋がらぬ電話。時間外は自動音声と初めて知った。

代理人とはいえども申請時に担当の所作に何か予感がしたに違いなく、それが年度末とあらば尚更。「異動」が原因と申してもそりゃあくまでも役所側の都合であって、それを口実とするは逆効果になりかねず。未だ下りぬ承認に業を煮やした当事者から「二」度目の御電話をいただいてしまった。何よりも私が忘れていたかの如く誤解されるは心外。ちゃんと念押ししたはずも、との弁明もどこまで響くか。それでいて自動音声に出鼻を挫かれては。

あの市議ならば怒髪天を衝くところなれど、そこは大人の対応にて「早急に頼む」と告げれば翌日に。やれば出来る、というか、んなことで自らの印象を損ねるは何とも。いつも一方的に断罪しとるばかりで厄介な事案を市議がゴリ押しした可能性はないか。ということで、その申請内容やいかに。

晴天の霹靂に戸惑わぬ為の対策、と申しても近親の死を前提とするだけに。逆に、対策を講じねば切羽詰まった状況に足元を見られかねず。そう、相続税の支払い原資となる土地の売却。四角形の面積求むるに肝心な四隅、そこにあるはずの杭が、「ない」。土地こそ命、境界杭が夜な夜な移動する怪はつまりはそういうことなれど、それは地べたが「土」であった時代の話であって、今や抜けぬ。

道路の舗装や掘削時に抜いた杭を戻し忘れたと見るのが妥当なれど、キチンと事後の点検を行っておりますゆえそれはない、と役所側。おい、アスファルトに刺さった杭が消えるかね。点検と申しても人が為す以上はミスとてゼロにはあるまい。が、消えた杭を巡ってアレコレと応酬を続けるは時間の無駄。位置云々というよりも「ない」ことが問題なのだから改めて測量を実施した上で杭を入れれば済む話。

が、測量を行うは市か当事者か。当人に瑕疵はない以上、市がその責任を負うが妥当であって、ちゃんとその為の制度が用意されているものの。ならば、そちらを利用して、と求むるは当人のみならず。限られた予算に申請待ちの列長く、順番と申しても。自費でやる、とはつまりそういうこと、一刻を争う、であるが故に市議も介入して早めの承認を求めた訳で。

本来は役所が負担すべき費用を依頼主自らが負担して下さるというのだから承認の押印位は早めに。もそっと相手の事情を酌むという姿勢があればこんなことには。惜しい。

(令和4年4月15日/2705回)

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2022年4月10日 (日)

袈裟

御主人の介護に追われる日々も人前では疲れ微塵も見せぬ陽気なMさんが入院と聞いた。告げられし病名は三尖弁閉鎖不全症。九死に一生と聞いて見舞に伺えぬ不義理を詫びるメールを送らば、「嬉しい」の前に「すごく」が二回繰り返され、およそその年齢とは思えぬ賑やかな絵文字入りの返信が届いた。

夫婦間の献身的な介護はMさんのみならず。過去の放蕩三昧の罪を購うべく寝たきりの愛妻に連れ添わんと施設への入居を決意、会社を継いだ息子を頼む、と遺言ばりの別れを告げられたはずも。「おーっ、センセイ、私だ、私、連絡をくれ」との留守電に折り返さば。うちの事務所の近所に「優良」物件を見つけたと。勝手にアンタのシマを荒らしちゃイカンから、と寝言に近く。

脱獄を試みるはいつぞやのKさんのみにあらず、施設を抜け出して物件を探すべく百合ヶ丘と柿生間を毎日歩いていると。あと二件で目標達成。その時は盛大に祝勝会を催すからアンタも、との申出に「すごく」三回も夫婦愛に勝る仕事への執着は生涯治らぬかもしれぬ。現役復帰を果たした当人の御齢九十にて。

そう、目標なくして成長なく。更なる議席増を狙わんと擁立される候補。前回に獲得した票数を見れば複数も可能との読みもそりゃ「均等」に割れればの話。支持率とてどう転ぶか分からぬ。あくまでもおらが代議士の「要請」に応じただけなのだけれども朝の駅頭にて撮影される証拠写真。そこにはコイツはわが陣営にあり、と支援者を囲いこまんとの意図が見えたりもして。

んなもんで役に立つなら勝手に使っていただいて結構なれど、それでいかほどの票に結びつくかは知らぬ。団体の推薦然り、組織内に氏名位は浸透するやもしれぬが、実際に投票するか否かは当事者の胸三寸。むしろ相手陣営を煽る結果に繋がりはせぬか、との声が聞こえてか、しばし後に相手方より届く陣中見舞、ならぬ召集令状。あくまでも名目は「会議」なれど、後見人と思しき大御所の名に集わねば後に、なんて意図は万が一にもないとは思うけど。

こちとら一介の足軽にて大将など遠目にしか。いや、顔は知っとるし、社交辞令上の挨拶とて交わすも君子など豹変するもの、表裏は知らぬ。全県区とあらば市議などゴマンといる訳で、いちいち相手にしておれぬ、配って当然とばかりに「大量」に届く配布物。そのへんは互いに同じ世界に生きる者同士にて事情は察するべし、ということなのだろうけど、であるがゆえに目を惹くは。

配送は失礼とばかりに訪ねていただいた際に秘書の名刺とともに置かれた便箋。そこに記された一文に主へ尽くさんという心配りが見て取れて。秘書と申しても様々、虎の威を借る狐もいれば、いづれ自らも議員として脱皮せんが為の足がかり、欲しいのは肩書であって主の為に身を粉にして尽くすなど。

坊主憎けりゃ袈裟まで、と主の汚名を背負うも秘書の宿命。されど、時に、袈裟が気に入りゃ坊主も、となることを願っており。

(令和4年4月10日/2704回

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2022年4月 5日 (火)

縄文

首都圏にあって自然に囲まれたエリアは本市自慢の観光スポット。園児たちの日帰り遠足に賑わう生田緑地を訪ねた。目的は「TARO賞」こと岡本太郎現代芸術賞展。

古典から印象派位ならまだしも現代美術とあらば悩む解釈。慣れた日常から時に異次元の世界を覗くのも。大衆に媚びてまで評価してもらわずとも、と我を貫く芸術家に、その域に到達せんともがく鑑賞者。

一端の芸術家が心血を注いだ自慢の力作にて巧拙を問わば「巧」には違いないのだろうけど、得体の知れぬ作品に意味不明、というのが本音に近く。そんな時にはまことに便利な修辞句が存在する訳で。この作品は極めて前衛的だ、などと申しておけば双方に円く。鑑賞すべきは作品のみにあらず、図録に記された審査評に学ぶ表現。

そもそもにあの異色「とされる」縄文式土器の中にこそ日本人の本質が、と喝破する御仁の名を冠する以上、他を圧倒する迫力がなければ、と勝手に。常設展にてゆかりの画家の作品とともに綴られる同氏との思い出。「アンタの絵はヘタクソなところがいい、オレは上手すぎて困っているんだ」との諧謔的な表現が当人らしく。それも相手との気の置けぬ距離があってこそか。閑話休題。

そこにどれほどの効果があろうか。「密」避けるべく間隔開けて配置すると席が一つ足りぬ。コの字型の席次にて詰めれば何とか、などとイチャモンつけるは意地悪。貴賓席ならばまだしも外野に置かれた一席とあらば疎外感は否めず。議事の運営に協力、いや、譲歩するは最大会派の宿命とばかりに回って来る火鉢。

意欲ある新人では不憫、重鎮を追いやるに姥捨山の扱いをされては、と臥薪嘗胆の一年。挙手発言するにも前の委員の背中越しに背伸び又は起立でもせねば役人の姿が見えぬ。どうせ、カメラにも映らぬのだからいっそ不在でも。いやいや、この間、無欠席に発言回数とて「ゼロ」ではなく、とだけ。

そう、年度末の終盤の一幕。常任委員会への出頭、ならぬ「出席」は初めてと思しき理事者が答弁に窮したことがあって。質問側とてそこまでの悪意はなかったのだろうけど、的を射ぬ、というか狼狽、「しどろもどろ」の状態に漏れる失笑。極度の緊張が招いた悲劇とはいえ、予め想定を用意しておくとか、もそっと悪知恵が働いても。

あくまでも身から出た錆びなれど大の大人に恥をかかせるは何とも。そんな時こそ人の性格が窺い知るに絶好の機会となる訳で。どことなく不穏な雰囲気に更なる追及を狙わんとする陰険な委員が居ないとも限らず。膠着、緊迫の場面に自ら発言の機会を求めて挙手するは新人。

肝心な内容はとうに忘れてしまったものの、場を和ませるに十分。それこそが大人の対応であって席を譲りし甲斐が。座って気付かされる外野の居心地に残留を所望すれど。新年度の配属は最後に残りし「文教」委員会の一枠に。

(令和4年4月5日/2703回)

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