なおログ[Blog]

2018年11月20日 (火)

用件

発言の断片が悪意的に抜かれること往々にして。本命の作品もキチンと見たはずも中にはんなことは知らぬ御仁もいる訳で隣の企画展にいる姿を目撃されれば誤解招かぬとも限らず。児童作品展の表彰式も来賓席から見えるポスターのあの冷徹ながらどことなく憎めぬ眼に睨まれては落ちつかず、後日改めて。運営収支厳しい最中の起死回生の一手となるか、連載五十周年記念特別展の副題はズバリ「用件を聞こうか...」。いや~よかったナ。

県立高校から議長宛に依頼があって無所属含む各会派一人が特別授業に協力することになった。私など得意とすれど一人五役六役を背負う団長の身にて誰か他に。んな時は一丁上がった議長経験者にと白羽の矢が立って了承されたはずも暫く後に所用を理由に当人が辞退、了承済と推挙された後任も都合悪く出席叶わぬ...と第三者の議会局から聞いた。そりゃ団の決定なのだから団長宛の申出がスジなれど役所を介して伝えて来るってのは...。尻拭いにて私が七役目を務めることになった。さながら自由研究の審査委員のような役回りなのだけれどもやはり若者相手ってのはいいね。

そう、特別授業といえば今年も授業参観を終えた。一時間目に設けられた特別授業は「将来の夢」。働いている方に話を聞いて仕事を知ろうとの趣旨にて保護者父兄に自らの職業を語っていただく。居合わせて振られたらかなわん、二時間目以降の参観が多そうだと娘。こちとらまいど朝礼からが慣例なのにそんな敵前逃亡など出来るか、所詮は小学生相手であって誰も居らねば私が...などと自信見せれば半数以上が私学受験の学級にあって担任の知らぬことまで知る今どきの生徒は「かわくない」と娘。

そんな事情知らぬ担任は準備に余念なく予め依頼しておけば...と呼ばれる御子息。「今日は先生に呼ばれなかったか」-「兆候もない」と息子。最初の登壇は看護師。用意された原稿を終えて冒頭の質問は「年収はどの位ですか?」。うん、確かにかわくないナ。遮る担任、さりとて、それが児童生徒の関心とあらば当意即妙、怯むことなく機知に富んだ切り返し出来ずば相手は図に乗る訳で。そんなませた生徒諸君に職業に貴賎なしとでも...機会なくチャイムが鳴った。

さて、前掲の小田理恵子センセイ、通称オダリエの著書に「パルプンテ」が登場し、もしやこやつも...。そう、ドラクエの呪文。小学生の時にⅢの音楽にハマって鍵盤を惹き始めたのがこの世界に入る端緒だったと語る楽団員。それでおよそ年齢が判明するんだけど、今やⅩを数える不変の名作。ファンならずとも知るすぎやまこういち氏が手がけるドラクエのコンサートに顔を出した。きっかけはやはり若者との会話。

郷愁を誘うというか童心に返るⅠの序章なんかは管楽器主体なれどクラシックの名曲に劣らず。オケ編成で生まれる重厚感はラヴェル編曲による「展覧会の絵」(原曲はムソルグスキー)を連想させる。所詮はゲーム音楽と侮るなかれ、映画然り名曲なくして大作あり得ず、埋まる客席がその価値を物語る。クラシックなどは御年配者多く、私などは若い部類に入るのだけれどもこちとら大概が私と同世代か年下。それを潜在的な需要と見れば悲観せずとも十分に余地はありそうで。

特有の権威と固定観念を断ち切れればの話だけどそのへんがやはり...。

(平成30年11月20日/2465回)

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2018年11月15日 (木)

数学

「ヨソモノ議員只今奮闘中」とあてがわれた演題の講演を終えて一人の御婦人から声をかけられた。「私の息子が数学科の在籍なのですが就職は大丈夫でしょうか」。

そう、伝統誇る郷里の母校同窓会のひとコマ。語られる波乱万丈ならぬ抱腹絶倒の半生。今の仕事こそかろうじて最下位で拾われたものの、こと採用試験となると転職も含めて惨憺たるあり様にて。微分積分が何かの役に立ったかと問われれば返答に窮するし、確率とて所詮は机上の理屈、緻密に計算された確率も運に左右されては...。

小中高の数学と大学のソレとは似て非なるもの。その境地に達するには地道な積み上げが求められ、そこに費やされる労力の割に一般社会で報われぬ。米国の金融街では数学者こそが重宝されるなどと自慢してみるもそりゃほんのわずか。理か文かといわれればそちらが適性で白衣と試験管を拒んだだけの結論なんだけど、同じ試験科目に合否の点数とて大差なく後々のことを考えれば他の学科のほうが...。

看板こそありつつもヨソモノゆえどこぞに後ろ盾は居らぬかと求められた初陣の弁士。特異な世界と知りつつも他にツテなく御隠居の教授に打診すれば遠路はるばる応援に駆け付けた。「それでは弁士に御登壇を...」-「えー、わが母校の数学科こそは...」とついぞ私の名は登場しなかったのだけれども見るからに教授然とした教授が演台に立てば台下の生徒はじっと聞き入るのみで。内容は兎も角もその熱弁に割れんばかりの拍手。ということで今回なんぞも君の専攻は数学かと詰め寄られて手渡される論文。好きなんだナ、数学。

本会議の欠席こそあれども支援者の葬儀とあらば馳せ参ず。情報網の薄さを悔やんでみるも届かぬ訃報。落選の下馬評ぶら下げた見知らぬ候補者に激励の言葉。そんな逆境の時こそ覚えているもので以来ずっと懇意にしていただいた支援者の訃報を後で知った。「本来は身内だけのつもりでしたので...」と語る喪主に案内され御霊前に手を合わせた。御遺族から聞かされる当人の知られざる逸話を懐かしみつつ、帰り際、玄関に無造作に置かれた柿を形見にほおばった。

忌諱されがちな死、伝えるべきか、伏せるべきか。おらがセンセイなんぞは単純明快、人同士が疎遠になる世においてそれを機に普段会わぬ顔を見れば何らかの会話が成り立つのだから故人も報われると公言はばからぬも最近は身内による家族葬も少なくない。他人様に余計な負担をかけたくない、いや、その関係が煩わしい、何かと気遣いが億劫、そんな薄情な意図は無いと信じたいが、異なる価値観に割れる判断。

そう、暇に見られてか年末の同級会の勧誘係を仰せつかる、いや、押し付けられているのだけれども折にふれ聞かれるひと言「この齢になると」。アンタは変わらず...いや、同い年です。五十路前にしてそんな状況なのだからその後は推して知るべしで。がんばるブスか、ままのブスか、老人は飾るべきか否か、大台前の同級会を舞台に根源的な葛藤を軽妙に描く一冊。内舘牧子氏の最新刊「すぐ死ぬんだから」を読むべしと返信しておいたけれども...。

(平成30年11月15日/2464回)

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2018年11月10日 (土)

陰徳

そう、慣れぬことをするもんだから...。前回の画像が粗すぎたそうで、更新してありますゆえ再度「じっくり」と御覧あれ。

夏が万年雪ならば冬は...常夏の海。どこまでも続く碧緑色の海に青い空。エコアイランドと名の付いた宮古島マラソンを完走した。大会の宣伝に利用される一枚の写真、伊良部島に伸びる全長3.5キロの橋からの絶景は見応え十分も降り注ぐ灼熱の太陽に侮れぬ橋梁の起伏。終盤の失速は明らかな練習不足なれど折返し前とあっては原因は別にあり。

棄権の判断が脳裏をかすめた直後に少し前のランナーが倒れ込んで救急搬送された。気温三十度にインナー着用とあらば体内温度も上昇する訳で脱衣と水分補給にて窮地を脱した。途中、隣のランナーが声をかけてくれてゴールまで雑談に興じつつ併走。余計な体力を消耗する訳にはいかぬと拒む御仁も居られるのだけれども気が紛れるからね。やはり孤独の道中はツラい。

ゴールを待ち受けるNさんの完走記録は3時間04分。惜しくもサブスリーを逸したと語る当人の出走はハーフにて。そんなNさんに見送られてタクシーで一路空港に向かい、シャワーも浴びずにそのまま機内に駆け込んだ。完走から離陸まで数十分。到着は前日の夕刻、出発は翌日のほぼ同時刻にて滞在時間はちょうど二十四時間。はるばる南国の島まで何しに行ったのかね。そう、あれは去年、何かの折に「走ろう」と固い握手を交わして迎えた今年。何とか男同士の約束を果たし得た。

そう、沖縄といえば基地?いや、それは別な機会に譲るとしてやはり...ハブ。が、この宮古島だけはハブは生息していないのだそうで。それもそのはず御当地には山が無く、ってことは川も無い。つまりは地下水に依存せざるを得ないから水への意識高く。そんな事情を教えてくれたのは地元のUさん。Nさんとは十三年ぶりの再会だそうで前夜の壮行会。私の生い立ちを紹介していただいた際にUさんが口を挟んだ。

Uさんによれば島の恩人が新潟県人だそうで今も交流が続いている「はず」と。薩摩藩の支配下において重税を課された琉球王朝の矛先が向いたのがこちら。何せ先島諸島、先の島だからね。にわかに信じがたいが、過去には人頭税なんてのがあって島内には不格好な形をした岩が残る。「賦測石」と呼ばれるその岩は当時の名残だそうで、背丈がその岩を超えると税が課せられたとか。

そんな人頭税の廃止に尽力された人物が島民ならぬ新潟県人だったと。今は便利、スグに調べられるからね。中村十作という人物にあたるも過去に名を聞いたことなく。さもありなん、著述によれば当人は郷里の実家に一切語らず、それを知ったのは死後に御当地の中学校長からの手紙だったとか。井戸を掘った人の恩は忘れるなとはよくいったもので世に知られずとも村に語り継がれる功績。

私なんかは血縁でもなく、たまたま「同郷」だったってだけなんだけれども御厚意に預かり、ものすごくデカい伊勢エビを筆頭に狭しと並ぶ郷土料理の数々と地元の泡盛。それでいて御代は要らぬなどと言われると...やはり持つべきはコネと郷里の偉人だね。いやいや、それでいてさすがに「ごっつぁん」とはいかぬ訳でNさんの居ぬ隙に押し問答があって「足りぬでしょうが、残りは御馳走になりますゆえ」と相手のポケットにねじ込んだ。

(平成30年11月10日/2464回)

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2018年11月 5日 (月)

高僧

秋の日は釣瓶落としとはよく言ったもので落日が早くなった。他陣営に比べて枚数だけは「格段に」多いもんだから追われる貼り替え。線路沿いの壁に貼られたポスターなんぞ白昼堂々とあっては不審者に間違われかねず、深夜にそっと踏切から侵入して...。

「おい、不法侵入」、振り向けばスマホのカメラがこちらに向いていた。運動会の寝ている写真を撮られたのもこの御仁だったナ。深夜の二三分のはずも「そんな時に限って」「最悪の相手と」居合わせる不思議。新たなポスターの写真はこのバカ面でどうか...なんて悪い冗談よしてくれ。えぇ、私が属する神社若手会の会長です。

んなこともあったりして、手軽さこそ認めるもあの来賓席からカメラを向ける仕草は品位を損ねておらぬかと思わんでもなく。そんな席に身を置く恒例の児童作品展を終えた。市内の小学校から寄せられた作品数二千点の中の絵画の部の最優秀作品は娘の同級生だそうで。おらが神社の境内の盆踊りを描いた作品。で、書写の部なんぞもフツーに巧いとは思うのだけれどもやはり字を書く機会が減った分だけ。文章では伝わらぬもどかしさ、写真であれば一目瞭然なのだけれども。そう、書写といえば...。

木製の立派な額に劣らぬ字の主は大そう徳を積まれた御仁に違いないと由来を聞けど知る氏子なく。賽銭箱の向こう側、御神体が祀られる本殿手前の拝殿の正面に飾られた額。百聞は一見に如かず、まずは一枚の写真を。読者諸賢はこの字を何と読む。

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漢字の部首は左が偏(へん)で右が旁(つくり)。私なんぞは左の漢字のヘンが言偏(ごんべん)であること位は分かり得るもあとは推測。その旁(つくり)部は「変」に見えてしまうのだけれども言偏に「変」なんて漢字無く。ならば右の漢字はどうか。偏(へん)が「十」で旁(つくり)が「曷」と推すれどもそんな漢字無く。仮に手偏とすれば「掲」が思い浮かぶのだけれども左の漢字と併せたらしき二字熟語は...。

かくなる上は、と訪ねし書道家。主不在にて同じく書道家の奥様に鑑定を依頼すれば左の文字は「誠」なれど右の字に悩む。ヘンは土偏に見えなくもないが、仮に「土」だとすれば旁(つくり)に悩む。御主人に言伝いただいて後日改めて鑑定結果を拝聴することになった。

で、数日後。大家曰く、右の漢字は「謁」ではないか。とすればその偏(へん)は「言」なのだけれども左側の「誠」の「言」とは随分違う。そこを問えば、同一の文字を書くに横棒一本の太さ濃さ角度等々、あえてそうすることは少なくないと。そもそもに謁見などに見る「謁」の字の語源というか形声は「神に告げ求める」の意を含むものゆえ不自然ならず。

確かに言われてみればその筆跡や「言」に見えなくもなく。とすれば次なる疑問はその意。「誠謁」なんて熟語は存在し得ず、逆に読んで「謁誠」とて同じ。ふ~む。が、そこはさすが大家。「戒名然り、造語というか誰も知らぬ熟語の意を説くことに高僧の高僧たる所以があるではないか」と。「誠」を以て神様に「謁」するの意と解釈すれば確かに。

揮毫者でなくばその真意知る由もないが、高僧に負けず納得させられる名解説ではないかと。

(平成30年11月5日/2463回)

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2018年10月30日 (火)

宙組

視察ならぬ些事にて神戸を訪ねることになった。視察とて今や廉価なビジネスホテルが常識、というか昔と大して変っていないけど...。自腹とあらば自ら御宿を探さねばならず、検索すればどこもかしこも割高料金。まぁそんな時はおよそアイドルのコンサートかエラいセンセイ方の学会でも。

休日前であればまだしもごくフツーの平日にカルテルが如き料金は納得いかぬ、客の足元見るとは卑怯也。と、そんな時に重宝するのがTホテル。業界の老舗でありながら他に追随せぬ料金は利用者本位。独自路線を歩むは創業者の御令嬢、部屋に置かれた著書こそ読めずも企業経営に学ぶ点は少なくなく。

そう、中央公論の今月号に「クラシックに未来はあるか」って特集があって、伸びぬ支持層に興行としての厳しい実態が描かれていて。実は今日まで内緒にしていたんだけど隠れたヅカファンにて贔屓のジェンヌこそ居らぬも異性ならぬ同性の心を鷲掴みにするあの迫真の演技に脚本、舞台演出、オケに音響といづれも考え抜かれた感があって平日にも関わらず公演はほぼ大入。その演技や些か...というか随分とキザっぽく見えなくもないけれど、さりとて、興行収益がその価値を物語る。

確か当人の自伝によれば何もない田舎の温泉計画が頓挫して起死回生の一手が少女歌劇団だったとか。大がかりな劇場の建設はまさに地方創生の先駆。ヨソ者にも関らず一代であれだけのモノを築き上げた手腕や恐るべし。日比谷劇場は二の丸にてやはり本陣見ねばヅカは語れぬと狙っていたのだけれども好機到来。いや~たまげたね、驚愕の経済効果。

通勤電車に新聞広げて...なんて見慣れた光景はどこへやら、今やスマホ片手に。かつては自らの記事があろうものなら周囲から反響が寄せられたもんだけど、昨今なんぞはとんと聞かぬ。自ら吹聴せねば...というか、そもそもに記事にすらならんけど(泣)。そのへんに凋落ぶりが見て取れる新聞業界。今やワイドショーや週刊誌の後塵を拝しつつも、国民生活に「必須」のものゆえ軽減税率の適用との姿が素人には分からぬ価値があると御上の庇護を求めるクラシック業界に重なり。

そこに媚びずとも妙案一手、V字回復に軽減受けずとも他の業界並みの税を納めてこそ世間様から賞賛される業種になり得ぬか。いや、誤解なきよう申し上げておけば、何も醜態を追い回す記者への恨みだとか政権に批判的な論説が気に入らんとかそんなセコい話ではなくどうすれば再興出来るか、活字文化の衰退を憂慮する一人であって業界の将来を案ずればこそなのだけれども両者ともに権威意識高く、門外漢が何を言うの排他的な風潮が成長の芽を摘んでやいまいかと。

何とかせねばならんの危機感こそ伝われども前のめりの姿勢に揺らぐ足元。そのへん世のセンセイ方は賢いよ。まずは選挙、なんてったって支援者に見放されたら終わりってのを「よ~く」知ってるからね。で、時折、節操無く相手に媚びちゃうんだけどそれも全ては...閑話休題。

そんな状況に逸翁であればいかなる手を打つだろうかと想い巡らせつつ劇場を後に。それにしても宙組によるダヴィンチの恋バナは良かったナ。

(平成30年10月30日/2462回)

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2018年10月25日 (木)

骨折

十五夜ならず十三夜とは中秋の名月の「翌」満月だそうで...二日前の月ぢゃないんだナ。暦の都合上、厳密には必ずしも満月とは限らんらしいのだけど、当日限りとあっては見逃す訳にも参らず、「十三夜前夜の雲を追ひ払ひ」と一句。「十三夜そのものが夜ゆえ前夜は余計だ」と講評にあった。

ならばこちらはどうか。天高く馬肥ゆる秋。高台に見かけた蜘蛛も肥え太り「馬肥ゆる秋に蜘蛛の巣大きけり」とママに詠めば蜘蛛の巣は夏の季語にて一つの句に季語が二つ、つまりは季重ねとなる訳で「馬も肥ゆ軒の主の巣や広き」と詠み直してみたものの...「意味不明」と手厳しく。

食欲の秋に欠かせぬ運動。まもなく傘寿にならんとする鉄人が練習中に転倒、その後の違和感に医師の診断を受ければ膝の軟骨損傷だとかで手術に及び、経過順調にて復帰祝いと催された「焼肉」。周囲の食いしん坊連中の口実に利用された感否めぬも好物の焼肉が格安会費とあって...。

次々に届く途中経過。私なんぞは手堅く距離を伸ばしつつあるものの、低迷するチームの順位。同組のMさんが故障離脱にてその分を補うようにとの指示。もっと余裕のあるヤツはおらんのかと見渡せば今週の距離85kmを上乗せして284km、目標まで66kmなんてツワモノがいて何を隠そう隣組のリーダーなんだけど、やはりリーダーが...と直訴すれば、足で稼ぐのが政治家ではないのかと返信があった。ちなみに私は137km、残13km。

んなこともあってランの途中に立ち寄れば注がれる格別の一杯に囁かれる魔の誘惑、「生涯に走れる距離は決まっているから無理せぬほうがいい」と。最新の医学的知見こそ知らぬが、走りすぎて摩耗し、膝の潤滑油が尽きれば歩行すらもままならぬなどとは脅しに近く、確かに鉄人は会社の定年退職後に本格的に走り始めておるし。されどそこに筋力なくばそれだけ摩耗も早いなんて説もあって、まぁ個人差もあるみたいだからそのへんは...「運」だナ。

が、何も転倒は鉄人に限った話ではなく、息子が体育祭の練習中に転んで骨折、担任に詫びられたとか。おい、そりゃ違うぞ、自らの不注意で転倒したのだからそちらに責任は無い訳で。まぁ昨今なんぞは親子運動会で子の転倒に駆け寄った親が「治療費は誰が払うのか」と第一声。そんな心配が先に来る位だから過敏になるのも無理からぬ話か。

文武両道、武が疎かになっては文は生きぬ。懸念される子供の体力の低下。体力テストの結果が公表された。目標値100に対して本市の小学生99.8%、中学生94.0%とほぼ乖離なく及第点に見えなくもないのだけれどもそもそも目標値ってのが全国平均を「下回る」本県の数値だそうで、中学校2年生などは政令市の中で最下位だとか。

ならば市は結果をどう受け止めたか。「運動意欲があり、運動習慣も身についていると考えられる状況にも関らず体力テストの結果に結びついていない要因がある為、分析を進め、走り方や投げ方など指導方法の工夫改善に努める」と。もっと別なところに根本的な原因がありそうなもんだけど、模範解答としてはそのへんが限界か。

(平成30年10月25日/2461回)

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2018年10月20日 (土)

壇上

折角来てやったのに...。そんな品位ない言葉遣いの主は勿論。当日の紹介の有無で出欠を判断するセコい御仁がいると聞いた。されずとも知る人は知る訳で口コミは自然と広がるもの、呼ぶ呼ばぬは主催者の善意なのだから呼ばれただけで光栄と思わねばなるまいに、そんな御仁に限って当落上にいたりもして。

かと思えば、某大会の壇上でどこぞの御仁が寝ていたと「公の」投書箱に御意見が寄せられたとか。目立ってなんぼもそんな醜態ではかえって逆効果。客席側とて金銭こそ払わずとも貴重な時間を割いて出向いとる以上は壇上への視線も穏やかならず、ならばいっそ...。

恒例の区民祭を終えた。当日の目玉は何といってもパレード。駅前の目抜き通りを通行止めに参加団体の関係者が歩く、その数、五百と発表に聞いた。センセイともなればさすがに区長の前とはいかぬも最前列「付近」には陣取れる訳で目立つに絶好の機会。さりとて、向こうから正式な依頼があるものでもなく、あくまでもこちらからの押売りを容認いただく格好なだけに割れる対応。任意とあらば何ら咎めるものでもなく、あとは各自に判断を委ねて一件落着のはずも一緒にどうかとの打診。

そりゃ純粋な厚意なのかもしれんけど隠れた意図がないともいえぬ。余計な干渉なんて言えば相手を逆なでするから、沿道の客少なくば歩く方とて寂しかろうなどと適当な言い訳付けて「迎える」側に立つのだけれどもこれがどうして見知らぬ方々と挨拶を交わせる上に向こうからもこちらを確認いただける訳で。やはり同じ目線では相手は見えぬ、逆側に立たねば。尚且つ、迎える側に立てば「アイツは腰が低いナ」なんて評判も...取らぬ狸の皮算用。

さて、目下、市議団発行の配布物の一文を執筆中なのだけれども担当は決算の総括。減債基金からの借入は以前の投稿(平成30年3月10日)に詳しいが、当初の予算額から55億円を圧縮して130億円としたものの累計299億円の借入は将来に禍根残しかねず。早期返済を求めているのだけれども一部には基金が枯渇せぬ以上は更なる借入を図るべきなんて主張を「真顔で」訴える御仁もいたりして。

そもそもに基金本来の目的は市債の償還財源であって、当座しのぎすら看過出来ぬといっとるのに更なる活用なんてのは正気の沙汰ではありえぬ。その根拠とされるのが、他都市「も」似たようなことをやっていてそれに比べれば本市の規模は小さいとの理屈。横断歩道みんなで渡れば...信号は赤だよ赤。まぁ何とも稚拙過ぎやしまいかと皮肉の一つも述べておいたのだけれども。

ならば市の認識はどうか。特有の表現を拝借すれば「一部の財政指標が早期健全化基準を下回っていることを根拠に安定している」とされる一方で「当面続く減債基金からの借入を是とせず、決して楽観視できる状況にない」ともあり。そんな慣れぬ二本の刀を振り回しとるから敵方に乗じられる訳で時々の表現が断片的に独り歩きしかねぬことへの懸念。

横文字を使う政治家には偽物が多いと最近の一文に読んだ。解釈や意訳の微妙な幅を自らの為に使うんだとか。御用心あれ。

(平成30年10月20日/2460回)

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2018年10月15日 (月)

丁稚

実りの秋、五穀豊穣を祝う祭礼を終えた。膝元ならずとも顔出せば「用意してあるから」と手渡される神輿担ぎの半纏は村人の証。返却はそのままで結構と言われるも汗まみれは失礼、大切なモノを借りた以上は...と御礼を添えて後日改めて恩人の御自宅を訪ねれば畑仕事の小休止、縁側に腰かける親子の奥には獅子頭が飾られていて。御一族の弥栄を願いつつ、庭で採れたイチジクを頬ばった。

翌日に残るあの...倦怠感なんて言えばバチが当たるから心地よい疲労感に道中の苦しさ紛らわす作り笑顔はどことなくマラソンに似ていなくもなく。名を売るに必死の新人候補、縁起物といえども慣れぬ肩を酷使しては明日以降に支障をきたすぞと年長風を吹かせれば終始担ぎ通したばかりか宮入後の歌謡大会ではギンギラギンを熱唱「した」というか「していた」と人づてに聞いた。侮れぬ根性はどこまで有権者に響いたか。

そう、ここだけの話、あのカラオケってのは嫌わずともどうにも好かず。まぁそもそもに縁なく、サビ位は知るも歌詞を覚えようなんて気にもならず、歌手ぢゃあるまいに人前で臆面なく熱唱するなんてのは正気の沙汰とは...いや、端倪すべからざる才能と世辞でも述べておくけど、そこまで好きなら好きなもん同士で勝手にやって下されば何ら不都合はないのだけれども付き合わされるは世にいうパワハラではないのかと。分かるかなこの心境。

同じ言動も甲は許されて乙は許されず、恣意が左右する判定。それはさすがに...そう思わずとも勝手に断定されてはかなわぬ。所詮はカタカナ表記の舶来文化ゆえ好かんのだけれども何でもかんでも烙印を押す風潮はいかがなものかと思わんでもなく。やはりカラオケの誘いも拒まずに...違うか。

さて、些か自慢めいた物言いながら多読家にてそれが実になっているかは別にして月に十冊は下らず。今やスマホの電子書籍で複数冊を同時に読むのがささやかな趣味。ジャンル問わぬも伝記が贔屓の一つであって、小説である以上、下駄に着色は当然ながらもその作家がその人物をいかに描くか、問われる作家の力量。あれだけのホールを作り得た背景には少なからず創業者の理念がある訳で。

純ちゃんのオビに惹かれた訳ではないのだけれども最近の一冊に伊集院静氏の「琥珀の夢」があって、サントリー創業者の鳥井信治郎の生涯を描く。冒頭に登場するは丁稚時代の松下幸之助。主人の命にて舶来の自転車を届けた客先で憧れの人物からかけられた「坊、気張るんやで」。幸之助はその邂逅を終生忘れなかったとのくだりで始まる。

かくいう信治郎も商家の二男坊にて幼少より丁稚奉公に励むも冷飯の日々に押し寄せる数々の試練。理不尽な仕打ちに愚痴もこぼさず全ては勉強の姿勢を貫く信治郎に不思議と拓ける道はまさに塞翁が馬。往年、幸之助にかけた言葉はかつて自らが遥か雲の上の主人、小西儀助からかけられたものだった。

成功の陰に忍耐あり、すぐに「欲しがりません...」に結び付けられてしまうのだけれども失うに惜しい価値観ではないかと。

(平成30年10月15日/2459回)

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2018年10月10日 (水)

言霊

県内屈指の進学校、台風接近に生徒の懸念は帰路ならぬ校門前の...「ぼろや」。そんな時に心配される位だから外観は推して知るべしなのだけれどもそれにしても随分な命名ではないかと妻に問えば生徒誰もが名を知る人気店だそうで。名物は「なかよし」、正確にはなかよしうどんってんだそうだけど、揚げ玉に油揚げ、たぬきときつねってことで値段百円也。当時の話。

侮れぬ夢枕、いや、言霊の力。少し前の原稿に「首都圏こそ免れているものの」との一文を盛れば進路も...そう、直撃。目立つ運休の文字に本日閉店の貼紙。どこぞの避難勧告に同じ、万が一、事故にでも遭われれば責任を問われかねぬとの懸念は分らんでもないのだけれども頻発される「閉店」「運休」は些か過剰過ぎやしまいかと徒労に終わった店の前でボヤいてみるも深夜の暴風に色褪せた顔写真の貼られた掲示板が宙に舞ったと聞いて...やはり賢明な判断だったナ。

残る爪痕。事務所の道路向かいに樹林地があって春にはちょっとした桜の名所なのだけれどもその巨木の一本が...。かろうじて電柱が防いでいるものの、あの重量であれば長くは続かず。早朝より役所に対応を指示すれば民地を理由に反応鈍く、暫くの猶予を...。んな悠長なことを言っとる場合か、と二の矢放てば夜には何台もの大型車両が駆け付けて事なきを得た。それにしても東電の対応早かったナ。

問われる危機管理体制。降雨量を多目に見積もった新たな浸水被害想定、洪水ハザードマップ改訂版の公表は災害時の注意喚起を促す狙いも住民側の求めは次なる一手。危険箇所に指定された以上は...ということらしく。ならば不安煽らぬ為にも情報は伏せておいた方が...とはならぬ訳で。「至ル処守ラント欲セバ至ル処危ウシ」とは孫子の兵法。次から次へと広がる不安。

懸念払拭されるに越したことはないのだけれども台本通りにいかぬのが災害対応。あとは現場適応力で...ってのがホンネなんだろうけど振らぬ賽の目を理由に公助や共助が疎かにされてはかなわぬ。向けられる他者への批判は危機管理に限った話ではないんだけど、まずは自己責任、そのへんの意識の希薄化を憂慮する一人であって、自助の精神を育まねば社会の負担は増すばかり。

されど自助と申してみても逃げるに逃げれぬ方もいる訳で障害児者や高齢者、入院患者等の災害弱者の不安は健常者以上。崖地は県、だそうで、土砂災害防止法に基づく土砂災害特別警戒区域、いわゆるレッドゾーンの指定作業が進む。従来の目付役は市の福祉部門なれど災害時の対応とあらば危機管理部門、されど、区域指定が県とあっては時に混乱招きかねず。

立ちはだかる縦割りの壁をいかに克服するか、そのへんの姿勢は相手に見えてしまう訳で重層的な糊代こそ歓迎されども押し付け合いにならぬようとの文面を盛り込んで決算審査特別委員会の総括質疑を終えた。

(平成30年10月10日/2458回)

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2018年10月 5日 (金)

二度

まぁ正直、あまり見たくない顔なのだけれども立っちゃったよ、「二度」目の夢枕。立たれて気づく命日に「やむなく」墓参りを終えた。あの様子じゃまだ成仏しとらんかったりもして...あぁ見えて寂しがりやだからナ。くわばら、くわばら。

捲土重来の屈辱戦が私の初陣に重なった。旗印は同じなれどいづれかが落選必至の下馬評。方や地盤おぼつかぬ無名の新人に方や土地の名士とあって「二度」も落選したのでは末代までの恥。表に出さずとも散る火花。結果は予想外の候補が漏れた。私が最下位で彼が一つ上だったか。

期数が左右する世界、幸運にも「同期」にてズケズケとモノは言わせてもらったほうだけど、病床にて迎えの最後まで部屋の末路を案じてたナ。三度目は御免被るから世辞の一つでも述べておくけど、さすがに諸事長けていて原稿なども恥じぬ、というか相手を唸らせる内容に文章力も申し分なく、蛇足ながら筆達者でもあり。

部屋の原稿の八割は自らが手がけたなんてことを吹聴するもんだから中には眉をひそめる輩がいない訳ではないのだけれども確かに言うだけあって自らもよく書かれておられた。まぁ世話好きでね、御節介焼きというか「口出し」も少なくなかった。それも含めて八割なんだろうな。で、現行の役務上、それに近いことが回って来るのだけど、原稿に見るそれぞれの性格。

慣れぬ新人に訂正を指示して届いた返事が、「∑(゚Д゚)」。さすがにそれが顔文字なるものだということは知っているのだけれども意味が分からぬ。了解の意の敬礼に見えなくもないが、不意に頭掻く仕草にも。真意測りあぐねてアレコレ悩んでみるもそもそもにんな抽象的な返事をする当人がいかんのだと憤慨してみたり。

内容の巧拙は兎も角もまずはどうすれば相手に意が伝わるか、相手に読んでもらおうという姿勢、向上心がなくば文章は上達せぬもの。他人様に提出する以上は最低限の見直しの上、誤字脱字、句読点位は抜かりないようにせねば。普段からそのような姿勢で支援者に向き合っとるのかと要らぬ心配。

いやいや、そのへん君子ならずとも豹変は特技にてソツなく振る舞っとるんだろうけど当人の本性が垣間見えたりもして。たかが原稿、されど原稿。夢枕の御仁が健在であれば今ごろは...悔やまれる夭折。

悔やまれるといえば...監督の辞任。冴えぬ戦績に党員数の減少。民放各局による連夜の中継に他球団の本拠地以外はよほどの偏屈者でもない限りは自然と支持層の広がりを見せたのもひと昔前の話。昨今などはCやDeのほうが街中の衣装が目立つ。

最終戦を待たずしての順位画定に逃げる客を繋ぎとめようとの意図は分からんでもないのだけれども、さすがにあれだけの独走を許し、三位といえども勝率は五割以下、それでいて「改めて」優勝決定戦などと言われてもそれまでの百四十試合は何だったのかと。

自力の目が消えた負け惜しみです、ハイ。

(平成30年10月5日/2457回)

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