なおログ[Blog]

2025年11月15日 (土)

満車

待たせるよりも待つほうが。それは相手が誰であっても。それにしても約束の三十分前は早すぎか、いや、もう一人。バスならぬ徒歩を選べどもまだ早すぎて隣の古本屋に。物色してたと語るHさんは清掃の元職なれど、手にするは一枚のCD。それもショパン。どう見てもロックのはずが。聴くに心が癒される、と本人。

かたや同じく再就職組のI区長なんぞハマるは「山」。それも百名山だそうで。田舎育ちのトレイルランナーたる私とて山との相性悪からず。すっかりそちらの話題で意気投合。日程さえ押さえてくれればあとは全てこちらで、と向こうの言い分に「年内に必ず」との約束を交わしてみたものの、迫りくる当日を前に日に日に高まる緊張感。

何せ冬眠前のエサ不足とあらば余計に殺気立つが彼ら、などと聞くに。不安はないか、といわれればウソになり。不運にも被害に遭われし方々の心境は察するに余りあれども、最愛の人を失いし悲しみやそこに限らず。交通事故に比べれば件数とて。

過信は禁物、細心の注意払うに越したことなくも、本市の市議が全て獰猛とは限らぬが如く「彼ら」の中にも、いやいや。台風報道に同じ、映像は衝撃的であればあるほど効果的。あくまでも「目撃」との事実もその映像と連動されるばかりか、連日あれだけ「上位」で流されるに。

そう、いつぞやも恐怖心を煽られるに生まれし「自粛」。あれ以来、内向的な方々が急増。それこそが禍根とは言い過ぎか。いや、それとて個人の判断には違いないけれども意図された報道を真に受けて盲目的に追従するに。退化する思考回路こそ当人にとっての損失にあるまいか、なんて。

ゴルフの発祥を巡る言説や様々なれど、公の文献に登場するはスコットランドの禁止令。国民こぞっての熱狂ぶりに国防が疎かになりかねぬ、と。んな国とあらば戦時下とて。そう、発せられし戒厳令にも怯むほどヤワな国民にあらず、と何かの本に。

こちとら知恵を有するホモサピエンス。クマ如きで動ずるほど。むしろ、空前のブーム下に登山客が減るは好都合にあるまいか、などと虚勢をはってみたものの、拭えぬ不安。いや、不安と申してもクマそのものよりも。万一の遭遇にケガでも負おうものなら大々的に報道されて「軽率」との誹り免れず。いや、それ以上に自宅に帰らばクマ以上に恐ろしき相手が。向こうから「中止」もしくは「延期」の打診あらば、と互いに牽制し合いて、言えず迎えた当日。

道中、会話交わすに抱く罪悪感は相手も同じ。やはり近場の温泉に留めておいたほうが、とは口にすれどもUターンの気配なく。何せインター下りて山道を走るに見かけぬ車。平日とはいえどもこれほどの行楽日和に皆無、人影なしとは。報道の力ってのはスゴいんだな。そこのカーブを曲がれば登山口。かくなる上は、と覚悟を決めて。

いやいや、駐車場はほぼ満車。ばかりか到着のバスからも続々と。懲りぬ面々はどこの国にも。それこそがまさに絶景、旧千円紙幣の裏面に描かれたあの風景が。I区長に用意いただいて山頂で食べたカップ麺が最高に旨かった。

(令和7年11月15日/2960回)

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2025年11月10日 (月)

規程

寄る年波に一人、二人と。存続危ぶまれる句会に期待の新人。「とりあえず、のぞくだけでも」との誘いにまんまとハマってしまった、と語るK子さんや八十歳。

弟君は地元の名うての一人なれど、姉はおっとりとした性格に口数少なく。時に放つ一言が機知に富み、周囲和ませ。短歌の素養ありて俳句になじむに時間を要さず。

そんなK子さんの突然の訃報に想起される今夏の思い出。参院選を前にした戸別訪問。玄関にて温かく出迎えて下さり。こちら見れば目的や明らか、それでもなお、くどくどと目的を説くは、と話題を転ずるに語られし過去。

そもそもに勉強はからっきしだったけれども遊びは得意でね。父の影響でゴルフを始めたのよ。弟は長男ゆえに家庭教師にゴルフの専属プロまで至れり尽くせりだったけど、こちらはオンナでしょ。自由奔放で、いわゆるおてんばだったの。地元では弟のほうがちやほやされてるけど、当時は私のほうが上手かったんだから。

その後も尽きぬ談議に時間を忘れ。これほど饒舌だったとは。好きだったんだな、ゴルフ。

その地位につかば人は群がれど、地位なくして群がるは人柄の賜物、でもないか。目下、政党の役職は全て外れた身にあって相手に追われるは社会的地位の高からぬ連中。久々にどうか、との誘い受けるは現業と呼ばれし彼ら、清掃員の面々。年下の管理職には従順なくせに、センセイたる私は呼び捨て、もしくは「ちゃん」付けにて言いたい放題。

当日の話題や勿論。どこぞのメーカーのクラブが、グリップは二重巻きが云々、と。仕事もその位。そういえば今年はそちらの誘いがなかったではないか、と迫るに。ちょうど来月に大一番あり、職場の腕自慢がそろうと聞くに「よし、私も」と。店の閉店、最後の客。男同士のアツい抱擁にようやく解散。

市長選。現職と争うに対立軸を、と考案されし名称や「多摩川格差」。が、何も全てが劣っているものに非ず。一部の障害者サービスの利用料や本市に分があり、水道料金とて都の無償化が脚光浴びるも本市のほうが今なお。んな料金の見直し、というか「値上げ」が迫るとか。そこを見直すならば、というのが。

「固定」しかなかったあの時代。田舎からの上京、一人暮らし始めるに欠かせぬ必需品。新たに番号を得るに求められる加入金は学生には安からぬ出費。あくまでも権利の対価にて解約時には返金、と聞いたはず。本市の水道にも加入金なるものがあって。

黎明期とあらば月々の利用料金だけではインフラ整備が追いつかぬ、公平性に鑑み云々、と。新たな利用に生じる手間とてゼロならず。存在こそ否定せぬまでもそこに設けられし免除の条項。直近三年間の居住、とありて「直近」に足かせ。かたや免除資格さえあれば、なんて事例も。

いかに注意払えども埋まるに埋まらぬ制度の狭間。埋まらぬならばせめて凹みは小さいほうが。前回の改定から五十年。据え置かれしは料金のみならず。規程とて。

(令和7年11月10日/2959回)

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2025年11月 5日 (水)

番犬

念願のサロマ完走を以て「我がラン人生に一片の悔いなし」のはずが。人は煩悩のカタマリ、欲に際限なく。どこぞのレースが、などと聞くに。正当化する為にアレコレと勝手な理由を付けて。

ランとは個人戦、のはずが、時に「集団」が勝る効果を、と「BORN TO RUN」に。月イチ、いや、二月に一度の部活動。年齢問わず役職問わず、市の職員らと30kmを「だらだら」と走り、銭湯、ビール、解散と、ただそれだけの。

今年のサロマをともに走りしN部長が挑んだ151kmは110.9km地点で無念のリタイア。んな極限状態というか、自らの限界を知るは生存に欠かせぬ貴重な体験。そう、100kmでは味わえぬ「恍惚」があるやもしれぬ。

そう、いつぞやに記した川の道512km。荒川を上り、その源流から逆に信濃川を下って日本海がゴール、まさに列島横断の過酷なレース。出場するにはまず半分の260kmの完走が条件とされ。ならば、その260kmは誰でも出場できるかといわれれば。それとて、出走権を得るには140km以上のレース完走を条件とするのだそうで。

100kmならぬ140kmの理由やいかに。100kmとあらば制限時間は14時間が標準、つまりは早朝にスタートすれば何とか。求められるは夜の経験、「徹夜」だそうで。ふむ、確かにゴルフとて県アマ、関東、全国と踏む手順、一足飛びなど虫のいい話は。

140kmなどと「セコい」ことはいわぬ。解禁迫る200kmにでも、と余裕見せるに。いやいや、「瞬殺」。つまりは申込の開始後、ものの数分で定員とか。で、仮にそこを完走したとしても次なる260kmとて抽選。それも高倍率の。

実力不足ならばあきらめつくやもしれぬが、運次第というのは何とも。ほんとバカ多く。私もその一人か。ゆえに、まずは徹夜の200km、の申込。そう、ランは自己責任、道端に野垂れ死のうとクマに遭遇しようと全ては自らの。ということで、ようやく本題。

番犬はあくまでも番犬、のはずが。今やペットも家族、いや、中には家族に勝る存在、と豪語する御仁もいるとかいないとか。一部の独居老人にペットが人気だそうで。孤独を紛らわせるに欠かせぬ存在。で飼う飼わぬに口は挟まぬ。

が、押し寄せる老いの波に迫られる判断。ペットか施設か。フツーならば、まずは御身、のはずが。前者こそ手放せぬ存在。ヤツのおらぬ人生など生きる価値が、心中とて厭わぬ、とばかり。

法律上、ペットは財産とされ、所有者の同意なくして勝手な処分は罪に問われかねず。同意を求めるに印鑑を押さぬ飼主。折角の善意を拒むとは恩知らず。ならば勝手に、と放置すれども。ペットが先か、老人が先か。

いづれにせよ後始末に追われるは役所なれど立ちはだかるは法の壁。狭間を埋めるに都合よき存在として浮上するは。何せペットに罪なく、手を差し伸べんとするは愛護ボランティア。が、彼らとて。

(令和7年11月5日/2958回)

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2025年10月30日 (木)

四割

落札後に発覚するは、談合ならぬ積算ミス。つまりは市側の不手際。合格通知後に入試は無効とされた受験生が如き心境。さすがに不憫、何かしらの便宜、補償があっても。仕切り直しの一番に優先権、などと申しても、それこそがまさに不正との誹り免れず。詫びて宥める以外に。

現職の再選は下馬評の通りも、四割に満たぬ投票率は市議選よりも。関心の薄さか、はたまた。たびに俎上に上がるは選挙公報の未達、遅延。最終日の間際にようやく、とか。んな声が「多く」寄せられ、とは某市議の言い分なれど、そりゃ候補者の政策を見比べる、以上に、本来、届くべきはずのものが届かぬことに対する不満に近く、それが届きさえすれば投票率は上がるか、といわれれば。

候補者の顔ぶれが確定するのが告示日の夕刻。つまりは原稿の〆切がそこであって。そこから印刷に仕分け、人海戦術による全戸配布、と歩むに翌日から始まる期日前投票に間に合わせるは「物理的に不可能」であり。それをあれやこれやと責め立てるは何とも。

そもそもに制度上、つまりは国が定めし法律において、投票日と定められしその一日こそが「標準」であって、期日前投票はあくまでも「臨時」の扱いとされるがゆえの。確かにひと昔前などはあのはがきに本人の身分証が必須とされたばかりか、当日に行けぬ理由まで。が、今や手ぶらで。あれでは「なりすまし」とて、とは余計な心配か。

手間の多さこそ投票率低迷の原因、そこが改善されればきっと。いや、確かに期日前を利用する有権者は増えたけれども全体の投票率はむしろ。今回の市長選なんぞも期日前投票が占めるは全体の約四割。ならば、いっそネット投票に、とは短絡的、それはそれでまた。投票率が上がっては都合の悪い方々もいるでしょうし。

そう、時代にそぐわぬ、といえば。興行を催すにあれだけのハコ、それも公の施設とあって利用料も。市民館の大ホールの需要や少なからず。目下21時とされる閉館時間の延長を、と。仕事帰りを想定するに19時の開演は譲れぬところ。都心のサントリーホールにしてその時間なのだから。興行2時間、片付け含めるに。

そりゃ早く帰りたいのは双方に、何も故意に遅らせとるものになくば大目に、と良心的な番人とて少なからずも中には。時間厳守と急かされるばかりか、借りている分際で、などと。そのたびに惨めな。その時間の閉館ありきとされるに、公演の途中休憩を抜かす訳にもいかぬし、かといって第二楽章を省くなんてのは。

利用者から延長を求める声あらず、というけれどもそりゃ興行主にしか。元々は市民利用を前提とした市民館にて興行は主目的にあらず、というのが。指定管理者への移行が予定される中にあって、時代に即した規則に、と市議会への請願を予定と聞くに。まずは互いに膝を突き合わせて、と「双方」に和解を助言してみたものの。

仕事は減らすに限る。

(令和7年10月30日/2957回)

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2025年10月25日 (土)

武器

久々のラウンドを御一緒するはKセンセイ。いや、センセイと申しても向こうはホンモノ。祖父の代から続く開業医にて年齢は私と変わらず。

何せ日々の御相手が御相手であるし、受験生の娘を抱えるばかりか、両親ともにそちらの出身とあらば進路、学部は自ずから。殺気立つ母娘を前に「不在」こそが最適解、と抜け出して。仕事帰りは近所の練習場、休業日とあらばコースにて打ち込む日々。そんなある日に閃くは。クラブ選手権への出場。

いよいよ明日が本番。前夜ともなれば高揚感に包まれて。んな気配が相手に伝わってか、愛妻から普段は聞かれぬ翌日の予定を聞かれ。正直に告白するに憤慨の相手から離婚届を投げつけられた、とか。閑話休題。

住居侵入、数日間の立てこもり、犯行時の残忍な手口等々、さながら凶悪犯が如き「彼ら」。ドングリこそが主食とされた「彼ら」がなぜ。愛護などと称して狩猟を怠りしツケが云々と聞くも事はそれほど単純には見えず。それとて遠きみちのくの話だったはずも善光寺に出没との報道を目にした妻、以後は参拝には行かぬ、と。

いや、それとて、夜の防犯カメラにたまたまその姿が。人を襲う可能性とて排除せぬも元々は臆病、というか警戒心の強い動物、日中にそれだけの人の往来あらば。報道を目にするたびに煽られる恐怖心。それとて遭うはかなりの確率なはずも入山の閉鎖やレースの中止などへも波及しかねず。

危険を放置するに責任を問われかねぬ、というのがおよそ向こうの言い分なれど、そもそもに山やレースに挑むはケガや遭難含めて全て自己責任のはず、と反駁してみたくもなり。いや、確かにこちとて無関心ではいられぬ。完走の前に立ちはだかるは足の心配以上にそちらだったりする訳で。あれこれと対策を当人なりに。

推奨される撃退スプレーなども、そりゃ相手が寝とるとか止まっていてくれれば、の話であって予期せぬ遭遇や急襲とあってはまごつくこと必至。とするにやはり「持たぬよりはマシ」なれど果たしてどれほどの役に立つだろうか、なんて。

そう、不思議と聞かぬレース中の遭遇。やはり単独ならぬ集団であるばかりか、ウルトラランナーともなれば彼らとて。とは楽観し過ぎ。が、それ以上に話を聞かぬはこちら。

山に潜みし狙撃手ならば、あの広き芝生の上を悠然と闊歩する面々こそ格好の獲物。ましてや遠目に見える旗と足下の球にしか関心はなさそうであり。が、それでも狙われぬ理由やいかに。やはり、あのキラリと光るクラブこそが相手には猟銃以上に。また、仮に現れたとしてもあれを振り回さば。

そこに神聖な道具を目的外、それも動物の殺傷に流用するとは言語道断、なんてお叱りもあるやもしれぬ。が、人の命には代えられぬ。杖やトレイル用のザックでは細い、かといって野球のバットでは。やはり護身用に備えるべきはスプレーならぬ中古クラブ、というのが私の結論であり。

秋の行楽シーズン、山への誘いをいただくにクマこそ脅威には違いない。が、それ以上に。妻から予定を聞かれぬことこそ。

(令和7年10月25日/2956回)

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2025年10月21日 (火)

裸足

共通の、趣味ならぬ「母校」を有するに誘いあり。当日に重なるは区民祭なれど、んな事情は向こうも同じ。昼飯後はともに脱走を、とKさん。

六大学野球など何年ぶりか。球場に待ち受けるはそちらのOBであり。それこそが醍醐味と応援席の最前列にて。学ラン姿に違和感なくもその自由な髪型とチアの多さは当時と隔世の感あり。太き腕秋空に釣る応援旗、と一句。何せ重い旗ゆえ「振る」ならぬ「釣る」と。祝、優勝。

そう、最近のアイドルの顔がみな同じに見え。少し前のあの話題作とて主役二人の区別がつかぬ。化粧しとるゆえ私のみならず誰の目にも、ともらすに、「明らかに違いますよ。そう見えるは老いの証拠」と役所の若手にからかわれ。

世は空前の美容ブームとか。こちとら今さら手を加えてまで「見てくれ」に固執せぬ。が、せめて身体能力位は年相応、いや、それ以上は。「年をとったから走るのをやめるのではない。走るのをやめたから年をとるのだ」と最近読んだ一冊に。語るは94歳のトレイルランナーであり。「走る民族」から学ぶ究極のトレーニングガイド、と副題付いた「BORN TO RUN 2」。

今は平気やもしれぬ、が、いつかは代償を。ひざや腰の痛みとはかくも恐ろしきもの、外出の機会は著しく減り、人との接触を絶たれることで一気に老け込むこと必定。手術を施せど完治にはいたらず云々と。されど、そこに挑み続けるバカがいる一方、酷使せずとも痛みに悩む方とて。

厚底は衝撃の吸収性に優れ、より健康的とされるも。著者に言わせれば「ふにゃふにゃ」のシューズではかえって。メーカーによる度を越した機能性の追及は害悪にしか、と手厳しく。そこに説かれるは原点回帰、ヒトが備える本来の走りを取り戻す為に。裸足とはいかぬまでも薄底、いわゆるベアフットを推奨しており。そう、高齢者や障害者とて甘やかすにリハビリにならぬ時とて。

私なんぞも練習はベアフットなれど本番となれば話は別。さすがにそれだけの距離を走るとなると「温存」なるセコい発想に選ぶは厚底。が、本では本番こそ薄底とされ。いや、確かに「ふにゃふにゃ」では疲れとともにフォームが保たれぬ、というのが実感。ならば本番も薄底か、といわれると。生涯に一度の人体実験にて後悔せぬ為にも貪欲に学び実践する向上心こそ必要と知るも。迫りくる誘惑に抗えるほど「出来た」ランナーにあらず。

そう、「オクム」とは奥武蔵の略。距離こそ70kmなれど上がって下るその高低差。累積標高2,000mを超えるタフなコースはウルトラランナーの間では知られたところ。レース終盤は緩いペースで年頃の女性と並走していたのだけれどもラスト5km。ここで急がば9時間以内、なんてカッコつけてしまい(ちなみに制限時間は11時間)。

上品な言い回しや「ラストスパート」なれど、ランバカは「つっこむ」と。いわゆる「前のめり」ってやつで。下り坂の「つっこみ」や禁断と知れど。厚底でよかった。

(令和7年10月21日/2955回)

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2025年10月16日 (木)

系譜

年頃の娘からの相談とあらば、つまりは。彼氏を前に説くは家の系譜。恐れおののく相手にその後の恋の行方や。そうやすやすと娘を渡せるか、あれでよかった、と述懐する父。当の娘やさぞ落胆かと思いきや。

ハラスメントなる単語が氾濫する世にあって聞くに聞けぬはその手の話。過去に御一緒すること幾度か、趣味はテニスに旅行、ワイン。容姿に性格、そして、何よりも年収とて十分。私と同世代の当人が「独身」「バツなし」と知るは母親の一言。未だ相手が、とこぼすに。昔ならば欠陥品が如く浴びせられる視線。が、今や。

こちとて既婚か否かなど。むしろ遊び相手はしがらみなき独身者の方が。そもそもに、んなことでしか人を見れぬはバッチや役職に群がる「彼ら」に同じ。私がゴルフに誘われるに肩書は関係なく、問われるは、ただ相手としてどうか、って話。さりとて、やはり縁はないよりはあったほうが。

久々に訪ねし御宅にて話題に上がるはそちらの話題。理想の相手が見つからぬ、かたや、恋は盲目、若き衝動に駆られて入籍したものの、なんて。その多さに国の末路を案じるTさんや九十歳。県西の古い集落の御出身なれど、村内の縁談は周囲が勝手に。そこに自由はないやもしれぬ。が、第三者の見立ての方が、と。当初はそこに不満を抱くやもしれぬ、が、生活を重ねるうちにやがて気づかされる互いの相性とそれを見抜いた年長者の人物眼。

そう、あれ以来、顔を合わせる二人の舞台や人にぎわいし区民祭。互いに組織に身を置くもの同士の宿命、とこちらが言いかけるに遮る相手。いや、上が何と言おうと我々の友情は永遠だ、と私の手を両手に握るはその人、かつてそちらの政党に属された元副議長であり。

閑話休題。依然と旺盛な住宅需要に近隣トラブルへの介入を求められること少なからず。市議の権限で何とか、と。

敷地内に子の家を。完成間近のある朝に突然、壁一面に紙が貼られ。あわてふためく当人から連絡が。まずは出頭、行先は区役所の建築課に、と告げて番号を回すは課長の直通。くれぐれも穏便に。兎に角「目立つ」その貼紙や罪悪感を抱かせるに十分、ばかりか、その言葉の響きが。誰が名付けたか通称「赤紙」。これ以上の工事は認めぬ。即刻中止せよ、と。

そう、かつては区役所に専門の課があって。法律と申しても人の手によるものである以上、どこかしらに恣意が介入する余地が。何せ許可なくしては建物が作れぬのだから彼らが有した権限は絶大。つまりは彼らの監督権を有する市議とてそれなりの。

かつては役所の独占とされた許認可権も自由化の波に。今や九割を民間が占めるとか。とするにかつては現場にて権勢を誇りし彼らも組織は縮小、本庁に集約されて。それこそが行革、と呼ばれるも現場からGメン消えるに。そう、あの頃は鬼のK岡とか、キャラが立った連中が。

(令和7年10月15日/2954回)

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2025年10月10日 (金)

残業

選挙は総裁選のみならず。同期とあらば見捨てておけぬ、との要請に。

与野党相乗りの現職、ゴリアテに挑むは。羊飼いの少年、ダビデとは似ても似つかわぬ巨漢、それこそが同期の元議長であり。当時から議長の次は市長、との公言憚らず、んなことが相手に聞こえては、と苦言を呈するも当人やどこ吹く風と。

そもそもに十年座りし重鎮をはねのけて議長の座を射止めし剛の者。さりとて、党籍の剥奪にその後の包囲網すさまじく、結果や惨敗。臥薪嘗胆、市議に戻りて再起を狙う道とてあったはずも長き浪人を選びて挑みし二度目。接戦むなしく。不思議と晴れた表情にて悲壮感なく、よもや三度目など。それにしても翌朝の始発帰りはしんどかった。そう、岡山市長選。

そう、時の人が言及するは。負の側面とて否定はせぬ。が、あの成長はまぎれもなく国民がモーレツに働いたればこそ。男児たるもの育児よりも仕事に専念すべし、とは昭和の価値観。育休を取得するにも憚られる中にあって担当大臣が率先して、と風穴を開けてみたものの。真に必要とされるは。そこに手があるならばないよりはまし、働かずとも同じ給与が保証されるならば、なんて意外と。

労働は悪、との価値観は搾取されし時代の名残。長時間労働の常態化は職員削減のツケ、とは向こうの言い分なれど、かたや、現状がそれで回るならばそもそもに当時の無駄が多かっただけにあるまいか。あとは仕事の効率性の話、と与せぬばかりか、残業代こそが悪と。が、彼らの立場に立たば。家族を抱える身にあって、たとえ「超過」などといわれようとも稼がねばならぬ、そんな職員とて少なからず。

働き方改革などとさも善行を推奨しとるように見せて本心や残業代の削減こそが。許可なき残業は認めぬ、とされるに伺い立てれば難癖つけられ、仮に認められたにせよ、「現ナマ」ならぬ「振休」にて埋めよと。その行使すらままならぬうちに年度末を迎え。未消化の振休はいかほどか。「現ナマ」か「振休」か、選択権は労働者側に帰すべし、とでも申しておかば次の選挙に組合の推薦も、違うナ。

以下に記すは元管理職の証言。いや、確かに残業代が多過ぎ、との指摘は受けたよ。で、何故にそんなに残業が多いんだって彼らに聞かば、昼間は現場に忙殺されて事務的な雑務はどうしても。ならば昼の現場とは何ぞやと聞くに。一つの現場に五人で行くとか、人数合わせの如き会議への出席とか。

いや、彼らとて過去の慣例のままに。そこに疑義を抱く視点を有さなかった非はあれども、仮にそこに気づいたとはしても「あえて言う」雰囲気になく。変えることに恐怖心を有するが役人。そこを取り除いてあげれば彼らとて。そこは随分と減らしたはず、と。

退職時の役職や課長。それほどの実績を上げていながら処遇が報われぬとはわが社の人事は節穴か、と問うに。他の仕事をどんどんやってもらうに彼らの申請にはバンバン印鑑を押したから。そりゃ必要か否か、見ていれば分かるし、肝胆相照らす間柄に。全体の残業代は大して減らなかったから、と。

(令和7年10月10日/2953回)

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2025年10月 5日 (日)

焼印

大した稼ぎにならぬ茶を教えるは辞めよ。幼少よりこの間、散々に食わせてもらったのだから、以後は私が。と親孝行のつもりが、老女の唯一つの生き甲斐を奪ったことに後で気づき。人は他人から何かしてもらうことと、他人に何かしてあげること、つまりは、人の役に立っていること、どちらが大切か考えるならば。

との述懐を目にするは。いまも黒板五郎の幻影を見かけることが、とのオビ。そう、「北の国から」の監督、倉本聰氏の自叙伝「破れ星、燃えた」。

その年齢ともなれば情報源はオールドメディアに限られ。いつぞやに見た番組にて紹介されし店を探しとるとか。調べて貰えぬか、とTさん。手がかりは「銀座」「どら焼き」。急がぬならば私が購入して届けるゆえ、と告げるに。いや、自ら、と。

聞かばその店はどら焼きに「焼印」を入れてくれるらしく。来年は米寿にて、それをみなに配るのだとか。そう、ゴルフでは快挙を果たせし主役が周囲をねぎらうが「マナー」。誰も祝ってくれぬ、などとこぼしとるようでは。それでこそ米寿、くれぐれも私の分を忘れぬよう、とスマホにて調べた店の情報を教え。

さて。ピアノ教室の先生宅に招かれて始まるはレッスンならぬ。雑談の途中に浮かびし疑問。曲に付されるあの単語。「ハ」だ、「ニ」だ、前に付されるカタカナはさておき、長調と短調の違いや何か、と聞かば。平たく言わば、暗きが短調、明るきは長調と。

ならば同一曲の楽章に長短が混在することは。ある、と先生。とするなら誰しもが知るあの名曲、ジャジャジャジャーン「運命」の第一楽章こそは長調、と自信げに返すに、否、短調と。明暗と動静は別物。あれは動なれど暗。音感の悪さをつくづく。やはり理屈は合わぬ。

そうそう、と手渡されしチケットは贔屓のピアニストのソロなれど、演目はベートーヴェンの交響曲。ピアノにて交響曲とはこれいかに。世に編曲の作品少なからず。編曲に挑むは原曲の価値を更に高めんが為。モーリス・ラヴェルのムソルグスキー然り、ラフマニノフのパガニーニ然り。さりとて、かの大曲の編曲を手がけるなどは。

当人にまつわる逸話少なからず。敬虔な信徒であることは疑念の余地なく。当時の教皇にして「あなたの音楽は常習犯を悔い改める為に用いられるべきだ。誰一人抗えぬ者はおらぬ」と言わしめた反面、その放埓な私生活は広く知られ。情事さなかに聞かれし会話や「分かるかな君、分別を働かせるなんて、それどころではないんだ」と、およそ敬虔な信徒とは。いや、そのへんがまた当人の魅力でもあり。

その演奏会に招かれるはかのベートーヴェン。53歳にして既に聴力を失いし彼がまなざし注ぐは12歳の少年。彼はやがて、その才能を認めるもよもや自らの作品を、とは。フランツ・リスト編曲のベートーヴェン交響曲。あの「フルスペック」をピアノ一つで表現せんとするに求められる技巧や。

そう、ぼちぼち「第九」、と物色するに目立つ完売。チケット争奪が年々激化しとる気が。

(令和7年10月5日/2952回)

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2025年9月30日 (火)

補佐

その役職が意味するは定年延長。窓際と申しても今や席次は役職によらぬ時代。

上り詰めた役職が「課長」とはつまりはそういうことであって。ついぞこないだまで畏怖されしS課長(当時)。朝七時半の登庁は今も変わらず、退庁やほぼ定刻。その間、新人と同じ事務作業を淡々と。まさに「徹して」おられるとか。

かたや、転出を選びしI区長(当時)なんぞ、退職後は部活動にも顔見せず、理由を訊かば。世に不適切な関係は男女間に限らず、目下、勤務先は市の出資法人にて他に誤解を与えかねず。まさに李下に冠をたださずの故事が如く、と。

所詮は土日、放課後の部活動、ましてや、現職らが同席を厭わぬと申しとる以上、何もそこまで。いや、こちらは「終わった」身なれど、向こうは先ある身。元部下に迷惑かけれぬ、と善人ぶるも。

オールドメディアとは言い得て妙。無縁な日々にて世事に疎く、いつも時代の波に乗り遅れ。そう、総裁選。県内選出の地方議員の九割の支持がそちらにて今すぐグループへの加入を、などと迫られるに。純粋に応援を、というよりもオレたちに従わねば村八分に、なんて同調圧力がひしひしと。ふむ、「ひとり」には慣れておりますゆえ。

選挙ゆえ「推し」あって構わぬもSNSの壁紙までがそちらの顔となるに。宗教の勧誘には気をつけよ、と教えてあげたくもなり。心底惚れた相手ならばいざ知らず、不思議と打算は透けて見えるもの。候補以上に群がる面々の品位が度を過ぎて。

業績ふるわぬは社長の責任、今すぐ退任を、なんて騒ぐ人物に限って。優れた営業職は上司や社長が誰であっても好成績を残すもの。社長以下の役員人事の刷新に業績を期待するなんぞ。

閑話休題。寄せられる陳情や市内に限らず。都内の区議を知らぬか、との相談。聞くに、いつぞやの豪雨に用水路が破損。隣接からの土砂流出が原因とばかりに全額自己負担での補修を迫られ。困惑の当事者が相談した業者の社長がたまたま私の地元、という経緯。

いや、そこに原因がなかったかと言われればゼロとはいわぬ。が、あの災害級の豪雨下にあってその責任を全て負わされるはさすがに。が、業者の立場から見ればそこに転がりし機会。専門的見地をチラつかせつつ、役所の判断やむなし、と当事者を宥めればオイシイ仕事にありつける公算大。

が、そこは社長のI君、目先の利益よりも相手の信頼。理不尽なものは理不尽と申し出るべし、と当事者に返答をしてみたものの、相手が役所とあらば。何を迷うことあろうか、見知れぬ区議よりも身近な市議、ましてや相手が役人とあらば。目の前に適任者が。いや、やはり、とI君。そんなにダメかね。

知己を辿りて行きつくは区議、というか議長。これが本当に親身に応じて下さり。いえ、こちとてあくまでも仲介者から聞いた話であってそこに齟齬が無いとは限らぬ。ただ、区役所からの一方的な宣告に為す術なき状況。せめて当事者側に供述の機会だけでも、と告げて数日。まずは話を、と向こうから。その物腰が前回とはまるで。

やはり議長ってのはスゴいんだな、というか、やはりその初動にこそ。

(令和7年9月30日/2951回)

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