なおログ[Blog]

2025年7月 5日 (土)

根性

現代人が抱える首肩腰にひざ痛の原因、より正確を期さば「悪化の」原因は姿勢にあり。痛む箇所を庇わんとするに。

ランとて同じ、ほんのわずかな歪みも100km走るに。とりわけ、足首からひざの骨格、軟骨の摩耗なんぞも正しい関節の使い方が出来ればより長持ちとて。靴の中にあるだけで自然と歪みが矯正されて、と薦められしはインソール。

市販の品あれども足裏の形や人それぞれ。計測の上、自らに合いし一品を、と注文するに届くはレース直前。着用するに抱く違和感こそが歪みの証。確かに理屈は分かった。日常のインソールとしてはアリかもしれぬが、いざ100kmとならば。それも、レースぶっつけ本番で。

いや、正しいフォームが継続するに疲労度が軽減されて。なんてことも「ある」に違いなく。が、そこにもう一つの不安。シューズ購入時のインソールを外して入れるにほんの数十グラムほど「重く」。例に倣うはゴルフ。まっすぐ打つべきところたった数ミリの誤差でも距離を打つに大きな差となり。

そう、思い起こさば一年前。見るも無残な姿を晒すに閉ざされし関門。あの挫折感は。されど、人を成長させるは挫折と逆境。この一年間はその日の為にあった、と申しても。のしかかる重圧に。使うべきか、使わざるべきか。仕事もその位の真剣度があれば、違うか。

決め手となりしは販売員。K市議の紹介にて何度か私を訪ねて下さったのだけれども。格好こそビジネスシャツにスラックスなれど、足下は運動靴にちゃんとインソールを。相手に薦めるにまずは自らが納得せねば想いは伝わらず。

ましてや前職はゴルフショップの店員と聞くに。いや、そもそも努力次第で高められる完走の確率とて「絶対」はなく。ならば、縁ありて知己を得し販売員が私の為に特注品を手がけて下さったのだから信じて走ることこそ。

100kmレースの戦歴や4戦2勝なれど、敗戦1回は議長の椅子欲しさに「棄権」したいわくつきの1回であり。私が目指すは記録ならぬ完走。とにかく制限時間内にゴールまで辿り着くペース配分が大原則。が、途中に何かしらのアクシデントがないとも限らず、欠かせぬ「貯金」。

少しづつでも短縮に短縮を重ねるに、残りの距離は歩いても間に合うまでにタイムを稼ぎ。体力が残っていればそのまま走り続けてもよし、あくまでも「貯金」だから。そして、迎えたレース当日。

かつては20℃とされた最高気温も今や30℃を超えるに完走率の落ち込み著しく。コースの名所や二つ。まずは65km地点。緑陰なき灼熱の道から緑のカーテンに包まれるに耳元でのささやき聞こえ。「ここまでよくがんばった、少し歩こう」。誘惑に負けたら最後、完走は遠ざかり。付いた名前が「魔女の森」。

そして、もう一つ、終盤80km地点に迎えるワッカこそがサロマの魅力。ワッカとは原生林。かつては咲き誇りしその花も今や数えるほどしか。エゾスカシユリ。昨年はそこで尽き果て。

当日の最高気温33.8℃。100kmの部の出走3,343人に対して完走1,952人、完走率58.4%。ゴール果たすはインソール効果か、信じて走りし見返りか。いや、最後は「根性」な訳で。第40回サロマ湖ウルトラマラソン100kmの部。完走タイム12時間39分55秒。総合順位934位。

(令和7年7月5日/2934回)

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2025年7月 1日 (火)

会話

オビには「一気読みの面白さ」と。まさに手に汗を握る展開に最後まで手放せず。読み手を惹きつける文章力は、さすが北方謙三の「推し」だけ。誰でも思いつくような話を誰が読んでもおもしろいと思わせるに、と悩んだ結果、浮かんだ答えが、「会話」。

なまなましい、いかにも本物の刑事や犯罪者がしゃべりそうな会話。海外作家ではユルモア・レナードが抜群に上手い、と巻末の一文に。エリート官僚なれど在籍や所轄の一刑事。巨大な官僚機構において扱いに困る主人公はまさに警察組織の「歩く矛盾」であり「爆弾」そのもの、との舞台設定が何とも秀逸か。

マスコミすらも寄せ付けぬ厚顔ぶりに今どきの利用者目線などおかまいなし、我こそが正義、との独善ぶりも世に一つ位はそんな組織があっても。「西部警察」に始まり、「あぶ刑事」「踊る」「相棒」と刑事モノの人気高く、どう見ても「盛ってる」、「架空」と知りつつ見入るはあの得体の知れぬ組織の内幕への怖いもの見たさも、世の治安を守り、犯罪者と対峙するにやはりあの位の威圧感がないと。「新宿鮫」シリーズ、面白いから。

川崎市議会の鮫島こと、彼が挑むも組織の腐敗。詳しい経緯は省くも。庁内に残されし一枚のメモに市長の関与を裏付ける、いや、「ほのめかす」乱筆。流出と幇助を疑われ。スケープゴードとされし当人の供述や否認。

市議に情報提供したことはないか、との詰問に他の関与こそ認めれど今回に関しては。市議に手を貸すとはけしからん、とばかり下されし処分は降格の上に流罪。が、それと肝心のメモとは無関係、とりあえず組織として何かしらのケジメをつけねば、これを機に「飛ばして」しまおう、との思惑、に巻き込まれたというのがM君の言い分らしく。

彼が処分を下された以上、提供を求めた市議とて咎められて然るべし。行政側に市議の処分の権限あらねども、氏名の公表位は出来るはず、と迫るに、公開の規則が云々と。どこが抵触するのか、法的根拠を示せ、と。顧問弁護士に相談の上、公表の可否を判断すると。やはり絵になる市議ってのは存在感を示してこそなんぼ。

紛糾した前回の定例会。そもそもに市議の質問作りに加担してはならぬ、との服務規程の存在を問われし副市長。降りかかる火の粉を察してか「ない」とにべもなく。この議場の中だって役人に質問を委ねる市議もいるでしょうに、と私の席のほうに顔が向いていたとかいないとか。幸か不幸か「たまたま」不在だったのだけれども、それはもうスゴい迫力だったとか。

質問は理詰めでくるゆえ、矢面に立たされるほうはそれどころではないやもしれぬ。が、彼の言わんとすることは。組織の腐敗を根絶せんとする彼なりの美学というか価値観を説いとるのであって。そもそもに正直者がバカをみる組織ではいかん。同じ罪状も媚びたほうが許されて正直に白状したほうが処分が重いとは何事か、と。いや、あくまでも私の勝手な推測。

市議なんぞも議場では上から目線でエラそうなことを申しておきながら、いざ地元の陳情となると手のひらを返したように。相手によって態度の豹変が著しきは。権力は自らを誇示するものにあらず、弱い立場の方々の為に。

(令和7年7月1日/2933回)

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2025年6月25日 (水)

大型

久々の再会は前職時代の仲間。確か、前回は転職云々と。未だ羽振りよきは一握り、その年齢ともなれば。還暦を目前の彼を拾い上げるはあの国の。ゆえに社員もそちらが大半を占め。進出して数年、異なる商習慣に戸惑うこと少なからず、そのへんの指南を含めて、というのが採用の理由とか。

朝に道を聞かば夕べに死すとも、の国、何があっても不思議はないけれども、社に身を置くに気づかされるは彼らの働きぶり。上の命にあらずとも、兎に角、昼夜問わず、猛烈に働くのだそうで。働き方改革にノー残業なる価値観が幅を利かせる我が国と比するに想起させられるは「ゆとり教育」。気づいた時には、なんて。

いや、わが国とて「かつて」は。進学率が二割とされた時代。全体で二割とあらば女子など一割に満たず。女子にあって下手に学歴なんぞ持たば婚姻の相手が寄り付かぬ。高卒とて進学を断念するは学力ならぬ家庭の事情。進学組とて目当ては学歴なる肩書、就職に有利とばかり。採用担当が大卒男子の獲得に奔走する中に「高卒、大卒女子こそ買い」と逆張りの発想に飛躍を遂げし企業の創業者列伝を。

「自らよりも賢い者を近づける術を知りたる者、ここに眠る」との墓碑銘や鉄鋼王アンドリュー・カーネギー。人は石垣、人は城、組織に欠かせぬ人材。新任の管理職にあって寄せられる祝意以上に当人の関心は。いい人材はおらぬか、それも無名ならば尚結構、と発掘に余念なく。取り出されるメモ帳をチラ見するに窺い知れる職場の前途。

そう、便数の減少は運転手の不足、と原因を知りつつ放置するは役所の怠慢にあるまいか、との追及に対する当局の言い分や、手をこまねいているものではない、と。市バス運転手の話。足かせとなりしは「大型」の資格。

取得に要する費用や安からず、当事者の負担とされるに。そこを市が全額負担した上でその間の給与まで保証する厚遇ぶりも振るわぬ応募。昨今は運転の労こそ厭わねど、それが商用、それも人命を背負うとなると割に合わぬ、なんて。

が、需給の乖離を埋めるは見えざる手。逼迫するに給与とてそれに見合った。逆転する給与の官民格差に転職も。それもズルいヤツなんぞは、それが目当て、とばかりに資格の取得後にそのまま。結果、遅々として進まぬ採用を補うにあてがわれし現職。いや、彼らにも転職の道は開かれていたはずも留まりし理由とは。

高度成長期にあって高給が見込めるは民間。されど、こちとら所詮は高卒、出世などゆめゆめ。ならばいっそ安定した公務員にでも。そう、公務員が「でも」「しか」とされた時代とて彼らには。受験番号と氏名だけは間違えぬよう、と念を押されし記憶。

縁故である以上は紹介者の顔に泥は塗れぬ。この間を振り返るに食指が動かなかったといえばウソになるが、今にして思わば、と。下手な一見よりも彼らのほうが。塞翁が馬か。

(令和7年6月25日/2932回)

Unnamed

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2025年6月20日 (金)

小人

若手ピアニストによる「展覧会の絵」を聴いた。大編成のオーケストラで演奏されるのはモーリス・ラヴェルによる編曲版にて原曲はピアノ独奏。それでも十分に。曲名の通り作曲家自身が友人の遺作展にて着想を得たとされ。

作品と作品の間、プロムナードと呼ばれる間奏曲の旋律がつとに有名なれど、絵を音楽で表現するは感受性に負うところ大にして。「キエフの大門」こそ終章に恥じぬ荘厳さ備えれども第一章「小人」は。人気の演目にて今年のサマーミューザにも。

閑話休題。かつては「放火」「殺人」「窃盗」にて事足りた犯罪も。それと同列に論ずるに不謹慎との批判あるやもしれぬ。手帳こそ「肢体」「知的」「精神」とされるも症名や三つで足りず。発達障害児の支援について質問を終えた。

期せずして子を抱えし親御の苦悩を察するに。医師の診断を仰ぐに仰げぬは恐怖心。うちの子に限って。子はかすがい、となるはずが。双方に募りし鬱憤は夫婦間の不和に留まらず。強度行動障害とあらば突発的な錯乱になす術なく。思春期を過ぎし子の暴力に親が抗えぬこととて。

家庭の養育はもはや限界、入所の施設を探さんとするも。突然の打診、それも一般人とあらば施設側とて警戒心を抱くは当然。されど、そこに児相こと児童相談所が仲介を果たさば、入所はぐっと近くなるとか。ならば、もそっと児相が積極的な介入を、と誰しもが思う。が、下すに下せぬ理由が彼らにも。

何せ施設側に余剰なく、事実上、受入は困難とされる中にあって、「要入所」などと判断下さば、そこに生じる責任。「要」と判断した以上は入所に向けて何かしらの対応が図られて然るべし、なんて。本来、当人の状況に応じて判断されるべきところ外的な要因が判断を狂わせ。

ならば、市内に限らず、市外はどうか。費用負担は居住市側ゆえ入所後に相手方に過度な負担は生じぬはず。が、難色を示されること往々。やはり受入枠に余剰なきはどこも同じ、に見えるけれども事情通に言わせれば。施設側に「空き」がないわけではない。他市からの受入を優先するあまり自市において新たな受入が困難となるに批判が寄せられないとも限らず。そんな意識が他市からの入所を妨げている、と。

入所枠、空き状況を開示せよ、とは言わぬし、そこに弾力的な運用があっても結構。県費が投入されている以上、県民が優先との言い分も否定はせぬ。が、国費とて投入されているのだから。居住地ならぬ状況に応じて可否が判断されてこそ真の福祉にあるまいか。そもそもに施設が不足する背景には減反に劣らぬあの大転換が。

施設に留め置くは彼らの為にならず、ノーマライゼーションなどといえば聞こえはいいけれども予算を削るに都合よき口実ともなり得る訳で。施設は悪、とのべつくまなしに否定するは道を誤らせかねず。真に必要な人に対してキチンと居場所を提供すること。プロパガンダにはご注意を。

(令和7年6月20日/2931回)

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2025年6月15日 (日)

榮川

「そびゆる妙高」の歌詞で始まるは母校の校歌。山に抱きし想いは特別。会津といえばその山にて、麓をぐるり一周、会津磐梯山ウルトラマラソン。100kmならぬ65kmの部の完走を遂げ。

湖の名が物語りし風景。一面に広がる水田。田植え直後とあらば稲も小さく、水面に浮びしは磐梯山。されど、所々に休耕田とて。減反からの転換と申しても戻すに要する手間と月日は畑の比にならず。それでいて押し寄せる輸入米の脅威に買取の保証とて。

世界的な気候変動を騒ぐならばまずは国の食料自給こそ。臨終を遂げるに餓死だけは。それにしてもこれほど旨いコメを白米ならぬ丼物とは。御当地の名物やソースカツ丼だそうで。勿論、食すは「前」日。

悩む宿泊先。温泉旅館かビジネスホテルか。満腹では闘争心が掻き立てられぬ、贅沢は敵、「質素」「空腹」こそ完走の秘訣。そもそもにカツ丼なんてのは。そちらは譲れども譲れぬは。

寝具の清潔感。むしろそれさえあらば他は、と選びし宿は一泊2,200円。それも税込み。大半が出稼ぎと思しき外人客なれど意に介さず。これで十分、と床に就いて気づかされるは薄壁。廊下のスリッパ音に何度起こされたか。寝不足で迎えし当日。

コースは一つ。距離によってスタート地点が異なるだけで。65kmとあらば表ならぬ裏磐梯から。麓一周と申しても道はコンパスが如き正円とはならず。前半はゆるやかな上り、標高差400mは軽からず。その後は下り続いて猪苗代湖に到達。途中、林を抜けて目にするは地元の酒蔵、榮川酒造。従業員の女性が手を振って声援を。

湖畔や平坦にて景観に癒されつつ、適度なペースで歩を進め。55km地点にて追いつかれしは赤ゼッケン。つまりは100kmランナー。一桁が意味するは特別枠。招待選手か前年度の上位者か、それも男女混合にあってかの永久欠番を付けし女性とはタダものにあらず。

が、こちとてタイムこそ平凡なれど歴30年にしてくぐりし修羅場は数知れず。しばし並走、と申してもほんの100m位。残り10kmゆえ完走は何とか、とこちらが自信をのぞかせるに、このレースはここからが、ラスボスには気をつけて、と意味深な一言を残し。

そう、ラスボスとは難所の意。50kmを過ぎての坂、それも標高差300mの上り下りは。上りはさすがに歩いてしまい。最後は見渡す田んぼの農道をただひたすらに走り抜いて掴んだ栄冠。ゴール後にかけられるメダルと渡される賞状こそ完走の証、だったはず。

昨今は後日にホームページからのダウンロードなどとそっけなくもあったりして。時代の流れと申しても卒業式の証書をネットで、と言われるようなもので。たとえ、モノは同じでもやはりその「瞬間」になくば。

んな寂しさを補うは風呂。地元の旅館が日帰り湯を提供して下さり。スタッフもすこぶる親切な猪苗代観光ホテルの湯に癒されて。前夜の寝不足に完走、それもフルならぬ65kmとあらば当日の熟睡は必至、と思うは早計。疲労が勝るはほんの数時間、あとは寝返りのたびに筋肉痛が。完走タイムは8時間31分15秒、114人中39位にて。

(令和7年6月15日/2930回)

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2025年6月10日 (火)

剽窃

地を叩く梅に急かされ手ぞ動き。終わらぬは梅の収穫のみならず、参院選のはがき。それだけの枚数の証でもあり。私以上にヒマ人と思しきHさんに代筆を依頼すれども自筆に勝るものなし、とにべもなく。役所の休憩時まで。

「圏外」の候補を推すなんぞ徒労にあるまいか、との冷やかし。勝ち馬に乗るはやすきことなれど、それは裏を返さば学歴とか損得で人を値踏みするようなもので。そんな視点でしか物事を見れぬ面々。自ら「推し」の候補が当選、なんて吹聴しとるヤツらとは価値観が異なり。

そう、こう見えても一応は親にて見逃さぬ子の翳り。娘に聞かば、学内に浮上せし疑惑「剽窃」。授業を前に担当教官による突然の宣告。この中に犯人がいる。明らかになり次第、停学もしくは退学の処分を下すと。処分や2名。つまりは見せたほうとて共犯ということらしく。完全に無罪か、と問われれば、もしや。なんて良心の呵責から。

そりゃ見せぬが彼の為やもしれぬ、が、困っとる友を前にんな薄情な行為に及べるか。どこぞの市議の報告書じゃあるまいに、退学までチラつかせるとは。単位よりも「友情」だ、んな大学にしがみつく必要なんぞ、と告げるに妻が。中略。

後日、迎えし判決の日。親友の一人から「もはや以後は一緒に授業を受けれぬかもしれぬ」との告白。そう、前夜、当人のもとに大学側から尋問がある旨の連絡があったとか。自らの嫌疑は晴れども大事な友を失うは惜しく。仮に罪を背負うようなことがあっても友は大切にせよ、と息子の背中を押した。ちなみに息子の親友や「見せた」側なれど「見た」ほうは一字一句狂わぬコピペだったとか。そりゃさすがに。

閑話休題。「ないものはない」と繰り返される答弁に、「ないはずはない」とI君。それだけ執拗に追及を見せるには何かしら情報を得とるに違いない、とは察しが付きそうなものなれど、各局からの報告がそうなっとる以上は、というのが矢面に立ちし局長の胸中か。

迫る処理期限。区内の跨線橋とて急に架け替えの話が進む背景にはそれが一因とか。正式名称はポリ塩化ビフェニル。有毒性は改めて述べるまでもなく。高濃度PCB残存の有無。昭和51年10月以降は法令で新たな使用が禁止されたことを踏まえ、国が示した調査対象は昭和52年3月以前に建てられた建造物。

が、本市にて発覚せし建造物は昭和55年着工とされ。その時点で既に法令違反なれど、それだけの歳月が経過する中にあって。ほれ見たことか、以降とて使用の可能性がある以上は徹底的に、とI君の鼻息も荒く。当初に「ない」とされたものが「あった」となると余計に。

当時の管理がいかに杜撰だったか。今の担当者に責任を被らせるは不憫に見えなくもないが、それが役所の宿命にて。事業者に対して罪を申し出よ、と申しても安からぬ処分費に躊躇、いや、深入りせぬが利口、何分にも昔の話にて万が一の際は知らなかったことに、なんて。言っとる先からまた新たに。

(令和7年6月10日/2929回)

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2025年6月 5日 (木)

遺影

日に百球のM君からの電話とあらば。実は明日、と切り出されるに。ヒマ人と申してもさすがに翌日の予定位は。いや、勿論、貴殿の多忙ぶりは十分に。とりあえず「そういうこと」にしといてくれぬか、と。

ふむ、そのへんの口実に利用されるは慣れたもの。それで家庭の平和が保たれるならば。されど、ゴルフ場の指定まで、それも近場ならぬ隣県の名門、そこに「いた」ことに、とは随分と手の込んだ工作に見え。意図など聞かぬ、「わかった」とだけ。あれから十日。それらしき気配なく。

遺影に見るは笑顔に声が聞こえてきそう。「センセイ、朝採れた大根を持ってきたよ」。大勢の参列者の目を惹きし画面に流れる写真の数々。見入るに「全て」ゴルフとは。いや、確かに野菜届くはゴルフの帰り。趣味とは知れど、そこまでの「狂」だったとは。享年八十五歳。年相応の往生も死して記憶に残りしE子さん。兎に角、華のある人だった。

さて、本題。「今さら選ばぬ、残りで結構」と他に身を任せて配属されるは総務委員会。各会派屈指の精鋭が揃うに未だ無所属に敷居を跨がせず。最も権威ある委員会とされども、とにかく開催が「多く」「長い」ことから。

年度早々の議題に上がるはその話題。論客のI君曰く、総合計画に盛り込まれる成果指標は各事業局が定めし目標を総務局が精査して付された数値。とは知るところも状況は流動的にて時に変更あって然るべき。変更が不可などとは言語道断、と憤慨するI君。

当人の言い分によれば精査側の総務局は変更を是としたものの、事業局側は否。とどのつまり、庁内に二重基準がまかり通るは意思疎通が図れていない証拠、組織としてどうか。いや、食い違う言い分の整合性を検証するに両者立ち合いが理想なれど、今この場に事業局を同席させるはかなわぬ話。

ゆえにおぬしら総務局に申し上げるが、事業局側の怠慢を許してはならぬ、もっと積極的に介入すべし。要約するとそんな論旨だったはずで。よくぞ申した、まさに正論、と世の喝采を浴びそうに聞こえるが、市議の話を鵜呑みにするなんぞ。僭越ながら以下は独自の分析。

精査側は変更可と言ったとされるも意味合いは一つに限らず。成果指標なる目標数値は「絶対では無い」との意味だったとすれば。かたや、「不可」側とて、変更を認めては何の為の計画か、安易に変更すべからず、との立場かもしれぬし、572全ての事業を入念に精査したと公言憚らぬI君にあって、当人が「かくあるべし」と示した要求を拒んだだけかもしれぬ。

自らに都合よき論旨を組み立てて意に沿わぬは悪と断ずる、なんてのも。とすると過度な介入を促すはかえって余計な対立を生みはせぬか、との懸念。いや、そこは役人同士、彼らのほうが。

(令和7年6月5日/2928回)

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2025年5月31日 (土)

二割

数にして2割の高額所得者が全体の8割を、と聞かば世の理不尽さを恨んでみたくもなりそうなもんなれど、社の売上の8割は上位2割の社員によって、と聞くに、むべなるかな、と。

パレートの法則から派生するは262、つまりは組織なるもの上位2割に下位2割、中間層が6割を占め。下を何とかすることこそ経営者に課せられた使命、と社を追い出すに不思議と生まれる新たな2割。とすると彼らの存在意義や。生存が脅かされるとか不測の事態にはその下位2割が本領を。あくまでもアリの世界の話。

わが職場にあっては上位2割どころか1割、いや、それにも満たぬほんの数名の働きよって全体の体裁が保たれているところ多分であり。彼こそはその一人と信じてやまぬ同期のO君は市議会きっての論客。庁舎内のエレベーターに居合わせるに顔色が冴えず、マスクなしに咳き込む彼にマナーを説くはおこがましく。

かと申さば、相手をいたわるなんぞ性に合わず。医者にあらずともただならぬ咳とは私でも、と告げるに、余命まもなく、と本人。弔辞の役は厭わぬゆえ安心して、と毒舌吐くに。香典はケチるな、と向こう。そもそもにおぬしの悪行の数々に恨み抱かぬ職員少なからず。医者の前にまずは祈祷でも、とさながら三流の漫才。

O君を苦手とする管理職や少なからずも、そりゃ逃げんとするから追いかけてくるのであって。彼ほど一途で義侠心に厚い人物はおらぬ。愚直であるがゆえに時に相手に誤解されることもあって。何とも不器用というか損な性格なのだけれどもそういう人こそ報われるべきであって。下位2割の私としては彼の汚名を払拭すべく職員を説いて回っており。断言しておく、彼ほど仕事しとるヤツはおらぬ。

閑話休題。閉幕となりし緑化フェア。一過性に終わらぬよう得た経験を今後に、と新たな部署も誕生し。緑の重要性は分かった。が、守るにタダとはいかず。昨今はパークPFIなんて手法が流行とか。維持費を賄わう為に緑地や公園内に商業施設を誘致して。

いや、そもそもにその発想が公園なるものの本来の目的をはき違えたもの、との価値観のせめぎあいに取るべき進路は。保全か開発か。農地とて同じ、目立つ耕作放棄地に窮余の一策は土地の規制緩和。農振の網を外さば市の税収増に云々と。

生活道路に凹凸目立つは役所の怠慢。なれど公道ならぬ私道とあらば。いや、それとてもはや道路以外に転用が効かぬ、いわゆる持つだけ損の土地なれど譲るに譲らぬ理由やいかに。当時の宅地開発に生ぜし道路を移管せずに自ら手がけて数十年。もはやこれ以上は限界、無償にて譲渡するゆえ後の管理は。

が、市とて貰い受けて収益生まぬ土地だけにそうやすやすと。シブる市を相手におよそ見た目には瑕疵なき道路なのだから多少のことは、と譲歩求めて、めでたしのはずが。そろわぬ押印。それもたった「一人」だけ。他の地権者が全幅の信頼を寄せるWさんが代理人として交渉に当たるも首を縦に振らぬとか。こればかりはいかんとも、と市。

共同名義の土地の扱い、あくまでも私有地を巡る話にて、それこそが「原則」と知るも、そこに実害のリスクなくば、代位弁済が如き救済があっても。

(令和7年5月31日/2927回)

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2025年5月26日 (月)

梅酢

五十路ともならば衰える代謝。減らぬ体重を嘆くに教わるヒミツの飲料。生レモンの一つを絞り、大さじ二杯の無添加りんご酢、あとは水で適当に。毎朝、飲まば必ずや、とヨガのインストラクター。が、レモンにあらずとも。地元の姉御が手製を差し入れて下さり。瓶内に見えし実はもしや昨年に私が収穫したものだったりもして。そう、梅酢。

今日もまた姿くらますに行方やソコだったはずも。ゴルフの誘いを断りて没頭するは。何せ尋常ならざる本数に収穫を待ってくれぬは自然の摂理。残りの三百数十日はその二週間の為にあるようなもの。足りぬ人手に今年もまた季節労働者と化しており。石の上にも、三年目ともならば慣れたもの。何故にこの枝だけが「たわわ」なのか。なぜ、あの枝の先に一つだけ実がなるのか、目先を追いかけるに頭上に残り実があったりもして。

閑話休題。おさまらぬコメ。そりゃ当然。そこに正解なく。そもそもに価格を制御せんとするに生ぜし「歪み」こそ元凶。それも、消費者、生産者、流通と、どの立場に立つかによって。誰しもにいい顔をせんとするがゆえに生じる矛盾。全てがめでたしなんてことは。たとえどこかに不利益が生じようとも「えいっ」 と断を下すのが為政者のはず。

私の学生時代とて金銭の仕送り以外に届くはそちら、日々の自炊にコメだけは切らさぬようと。いや、何もそこまでしてもらわずと近所のスーパーに行かばフツーに入手が、と思えども拒むに拒めぬ親心。ゆえに私とて買ったことがない、いや、「なかった」から。さすがに売るほどはないにせよ、「買ったことがない」はあながち。コメの値を知らずして大臣職が務まるか、ってことなんだろうけど、当人とて選良の身。そこまでのヘン人には見えず。

あの発言とて「品薄」「不足」と騒ぎ立てるに生ずる群集心理は国の進路を誤らせかねず。冷静な対応を促さんとするに聞く耳を立てさせるべくその位の過剰さがあっても、との本人なりの。むしろ、沈黙は金、見ざる言わざる聞かざるに「やらざる」付いた大臣に比べれば、時に放言が取り沙汰される位のほうが人間味があって。大臣ともならば肉眼ならぬ双眼鏡で監視されているようなもの。されど、一言一句に神経を尖らせる時間があるならばもそっと他に。

野党諸氏とて聞かれるにそう答えるは政局を有利に、との打算。されど、敵なればこそ、彼の言わんとしたことを察して誤解を解かんとすれば、むしろ、世の評価は上がりそうなもんなれど、彼らも心に余裕がないからナ。身内とてこのままでは勝てぬ、更迭を急ぐべし、などと同調する前にまずは自らを顧みるべし。大した活動もせずに。

寛容さを失いし国家に希望なく。んな他人様のあらさがしに欠点をあげつらうような風潮が蔓延しては。

雑念を振り払うに最適は梅の収穫。用あらば近所の梅林におりますゆえ。

(令和7年5月26日/2926回)

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2025年5月21日 (水)

興行

「ゴルフは素振りに尽きる」との名言残すはジョン・ボールなれど、「振る」重要性を力説するは彼のみにあらず。地元のM君はいわゆる「クラチャン」、某ゴルフ場の昨年の選手権を制したスゴ腕にて。当人曰く、上達の秘訣や「まずは思いっきり振ること」。俗に「マン振り」を日に百球、百日続けるに球は見違え、人もまた、と。いや、人は変わらずとも。

口一つなれど耳二つ、話すよりも聞くことから。聞くは得意も語るは苦手。話下手にて退屈やもしれぬが、これも縁にてしばし付き合いを、と三十分。中高生向けの講演を終えた。居眠りなきがせめてもの救い、か。

終了後、司会者が求めるは質問と感想。「私の話が今どきの若者にウケるか否かの試金石。世辞は一切無用、遠慮なく申せ」と上から目線で求めるに。挙手複数あり。最初の質問や「議会ではどんな話をするんですか」。おい、ちゃんと話を聞いていたのか。いや、講演に議会の「議」の字もなく。んなものはホームページで録画でも見て。はい、次の方。

彼らに伝えるは夢と希望、いや、「現実」こそ。物事には表裏あり。全員が得するに越したことなく、それこそが理想なれど現実は甘からず。誰かが得すれば、誰かが損を。損得の帳尻を合わせるのが政治の役目。帳尻合わせるに必要なことは云々と。内容は兎も角も相手に伝わるは「気迫」。

次なる質問や「何でそんなにテンションが高いのか」って。学校生活に同じ。んな暗い顔をしとるヤツの回りに友達が集まるか。次、「選挙権を得るに投票する時の決め手は何か」。自らの目と耳を信じること。いいヤツ、悪いヤツの直感はおよそ当たる。政策をじっくり眺めるよりは相手の顔と言葉を。着色されたポスターで決めぬよう。

最後に中学生の一人が感想を。相手の立場に立つことの大切さがわかった、と。そう、それが一番大事。

閑話休題。市の管理職にはすこぶる不人気なれど、末端、いわゆる現場の人気は人後に落ちず。ヒマではないと拒めども気にせぬ連中。つい数日前も庁舎を出た途端に着信が。よもや盗聴器、隠しカメラでも。これからメシでもどうか、と。なに、私に内緒でゴルフとな。何故に私も誘わなんだ。

現場と市議の接触に眉をひそめし管理職。どうせ職場のよからぬ話でも、とは下衆の勘繰り。若かりし頃にヤンチャだった彼らのほうがよほど世辞には長けて。呑んで笑ってじゃあな、で終わり。それで明日から仕事に打ち込めるのであれば。

この前なんぞは往年のプロレス談議に花が咲き。馬場に猪木にブッチャーと。まぁ、その世代しか通じぬ話題なれど、今の議会に必要なのはプロレスだ、とか。そこに困り人がいて、頼まれるセンセイと実務を担う我々役人。

たとえ八百長と言われようともそれぞれの顔が立つように協力し合うのがあるべき姿にあるまいか。あのレフリーのカウントとて。興行と知りつつもあの熱狂と見入る不思議。そこには興行といえども彼らの真剣さがある訳で。伝わる想い。まさに、見てよし、やってよし、相手よしの絶妙な空気感。

それにしても誘いはかまわぬ。が、思い立ったが吉日と当日の電話は。誘われるうちが花、か。

(令和7年5月21日/2925回)

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