なおログ[Blog]

2018年6月20日 (水)

説教

選手よりも指揮官に徹していた当時などは闘将に負けず劣らずベンチから飛び出すのが日課。勢いよく飛び出したはいいけれど足元がサンダルとあって審判からの厳重注意。そこはちゃんと詫びたはずも以降は判定が明らかに不利になったとかで「試合に負けた敗因はオマエだ」と今以て恨み節を聞かされる始末。が、やる以上は履物忘れる位アツくなきゃ...そりゃ意味が違うナ。

日またがずとも帰れそうだとの安堵感。が、油断大敵、そんな時に限って...一期下のHセンセイから着信があった。既に何軒かのハシゴゆえ随分と酔いも回っとるであろうし、およそ事情は予測出来たのだけれども、さすがに無視する訳にも参らずと出向けば待ち受ける本人。んな目くじら立てるなと諭そうにも殺伐とした雰囲気に物言えず。夢想転生が如く相手の攻撃をかわそうにも剛掌波を正面にて受け止め...北斗の拳の見過ぎか。

部屋内に響く不協和音、そもそもに、御立派な理想論かざす野党じゃあるまいし、それがどれほど理想から遠くとも妥協せねば物事は前に進まぬ。最たる例が安全保障であって自国の安全を他国に委ねるなんて道理がどこにある。そこに葛藤を抱えつつも現実の選択をしていく、それが政治ってもんで、政治とは妥協の産物。だから一部の野党なんかは野党でいることにこそ存在意義がある訳で、本気で政権を狙うなんてのは賢い本人たちも...。

で、再び部屋内。私の一存で決めかねる事案は俎上に上げるんだけど上げるには上げるだけの理由がある訳で賛否巡る応酬に紛糾してかなり重苦しい雰囲気に包まれることしばしば。善悪の判断ならば事は単純なのだけれどもそこに価値観が入ることで割れる意見。価値観ゆえ双方の言い分に利はあって、故に双方に「顔が立つ」よう丸く収めるのが私の任務。上は上で下を説得するのが(団長の)役目だろと「高圧的な」態度で迫ってくるし、下は下で部屋の大勢に逆らって上の意向を酌むのは不自然ではないかと。

上の睨みが利いていれば下は慎重な物言いにならざるを得ず、そのへんを斟酌すればそちらが大勢を占める。既に中堅として私以上の活躍を見せるH君などは上に阿らぬ姿勢で意見をぶつけて下さるのだけど、私が「いつも」少数派に軍配を上げるものだからそのへん肚に据えかねるらしく。が、それ以上に個々の発言の裏に見え隠れする役所の意向と裏工作。洞察鈍い私の目にも見えちゃう位だから他は推して知るべし。そのへんがまた事を複雑にしている元凶にて余計な介入は部屋内の対立煽る逆効果。およそ「上」さえ押さえておけばなんて勘違いしとる市の幹部もいるらしく。

微塵も帰る気配ない客人二人。閉店に追い出されて階段下で別れの挨拶を交わそうとすれば、「これからウチでもう一杯どうか?」と。おいおい、細君に子供が寝とるではないか、そんな大声では近所迷惑、いや、それ以上に、これ以上、説教などされたらかなわぬと拒んだものの、やはり、その位アツくなければ人は動かせぬもの。その心意気やよし。翌朝は随分と二日酔い気味だったけど、くれぐれもヤケ酒に溺れて蝕まれぬよう。団長より。

(平成30年6月20日/2436回)

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2018年6月15日 (金)

基金

代表質問の最終調整。質問原稿に答弁書を積み上げて残時間を算出。その範囲内にて再質問に意見要望、再々質問と埋め込んでいくのだけれども示された残四分の数字に意欲萎えたか、これ幸いとほくそ笑んでの膝打ちか。文章の見直しにて余剰を捻出する故、各自思いの丈を存分に...と伝えても笛吹けど踊らぬ面々。

されど答弁側なんぞは、んな内部事情を知る由もなく。再質問とあらば幾重もの庁内調整が待ち受けるとあって、急く意も分からんでもないが、こちとて身一つな上に原稿に限らぬ雑務諸々抱え込む量多すぎて処理追い付かず、待ち人五人のメモが届いて降参とばかりに「再質問なし」と貼り紙すれば押し寄せる波がピタリと止んだ。で、(私の担当分は)「ない」と勝手に宣言してみたものの、集まらぬ再質問の原稿。意欲的な期浅に指示して...。

大本命の東京都に、対抗の横浜市、伏兵といっても地の利位で随分と見劣りする感否めぬ本市。欠陥を克服すべく弛まぬ向上心は健常者以上。憐憫、慈愛の類ではなく彼らが秘めた才能と逆境に挑戦する姿勢にこそ共感を呼ばねば後世に受け継がれるレガシーは生まれぬ。

普及促進の為に市障害者スポーツ団体と連携しつつ、というけれども、どこぞの施設の使い勝手が悪いとか、与えられた利用頻度が少ないとか、利用者側の意向に偏りがちでそりゃそれで改善せねばならんのだけど、やはりスポーツの意義や魅力をまだ見ぬ方々に気付かせる、裾野の広がりなくば一過性のものになりかねず。

パラリンピックに活路を見出そうと本チャンに向けて推進室を創設して全庁一丸となるべきも個々の施策は所管課に委ねられる訳で。障害者スポーツの普及などと申してみても関連は複数の部門に及び、それが糊代が如く重層的に補い合うのが理想ながらも現実はそうならぬことのほうが多く、縄張り意識に阻まれては前に進まぬ。そのへんの実害...いやいや、あくまでも「懸念」を払拭すべく市長に一問。

もう一つは市民の善意を形に変えるトラスト基金の創設。かねてより求めるも示され続けた「検討中」の答弁。そこを見逃してきたこちらの落ち度も恥ずべきものなんだけど、今回はまかりならんと迫った相手の返答は...。及第点に遠く及ばぬ内容に不満募るのは当然ながらもそれっぽっちの結論では与えた猶予は何だったのかと詰問してみたり。

使途が選択可能な川崎市ふるさと応援寄付金、いわゆるふるさと納税の仕組みを活用すれば基金作らずとも善意は届くとの言い分。この四月に創設された子ども若者未来応援基金は本市において開催される競馬競輪の収益の一部をその分野に充当するものであって、それは従来行われてきたことなんだけど基金化することで広く善意を促した結果、個人的に...と一億円の大口があったそうで。

同じ屋根の下にありながら方や推進、方や及び腰とはこれいかに。そちらとは事情が違う、そりゃ分からんでもないが、ならば「検討中」の歳月に何を検討したのか。そんな好例があるならやってみようか、となるべきも余計なものはやらぬに限るといつもの風潮に毒されてやいなかったか。

(平成30年6月15日/2435回)

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2018年6月10日 (日)

原稿

アレ以降、勧誘絶えず、少年時代さながらに白球を追っていて。前回なんぞは、四球、投ゴロ、三遊間を破る適時打と初戦が単なるツキではないことを実証しつつあるんだけど、いかんせん早朝ゆえ後がしんどく。球場を囲む若葉や球を追ひ、と一句。若葉が春の季語にて。

さて、恒例の区消防団ポンプ操法大会に顔を出した。迫る〆切に開会式のみで退席を目論むも膝元中の膝元の班の出番が最後。生粋の支援者であれば「彼も多忙ゆえ」と庇ってくれるはずもそうならんのは不徳以外の何物でもなく。原稿片手に最後まで...ほんとの話。そんな応援の甲斐あってか、二位に甘んじながらも上位大会への出場権を獲得。指揮官が笑顔で賞状をこちらに向けてくれた。

そう、原稿〆切ってのは二度あって、まずは内輪の提出期限。各自が提出した原稿を全員出席の団会議にて質問者が全文朗読。その評定を踏まえて手直しの上、二次〆切迄に役所側に渡す。まぁそのまま渡しても相手が相手だけに下請けが訂正して下さるんだけどそりゃさすがに...。格調高く、と言わぬまでも最低限は役人の嘲笑を浴びぬ程度、出来得れば時に「むむむ」と唸らせる位の内容を織り込まねば足元見られかねず。

「います」か「おります」かの語尾は嗜好の違い、寸前の駆け込み乗車は事故の元、「ドアをしめます」と「ドアがしまります」ではやはりニュアンスが微妙に違う。そんな語調は当然の守備範囲。内容の巧拙、視野の広狭などは経験と資質の差なれど、「てにをは」の類に改行後の一字下げ、句読点とて末尾の「。」が「、」だったり挙句の果てには疑問符なんぞ見かければそりゃ能力以前の話。他人様に渡す文章ほど自ら以上に入念に推敲を重ね粗相なきようってのが社会人としての常識ではないか。そのへんさすがに年の功か期重は抜かりなく。

閑話休題。詳しい事情こそ知らぬが、当事者が村を去ったとの事実のみ聞いた。隣村の話にて言えた義理でもないのだけど情状酌量の余地こそなかったか。本人の過失と言われればそれまでだけど名刺と示談金の一部と思しき金銭を渡して去ったとの行為が本人の姿勢を物語る。厳罰に処さねば火の粉が及びかねぬとの懸念も分からぬでもないが、昨日までは同じ釜の飯を食った仲間だよ、時に多少批判を浴びようともそれを克服する位の義侠心があってもいいのではないかと思わんでもなく。

が、そんな時こそ人物眼を磨く絶好の機会。君子豹変とはよく言ったもので手のひらを返す御仁も少なくない。当事者が咎められるのは当然にせよ、攻撃側とて咎めることが目的化しちゃって優越感に浸っとるのかもしれんけど相手はまな板の上の鯉ですぞ。そんな人物に限って自らには甘かったりもするもので...。政治は社会の縮図、この世界にしてかくの如き状況ならば他も推して知るべし。魔女狩りに近い世の風潮は社会を劣化させる。

相手への思いやりはこちらも同じ、不思議と原稿にそのへんの人間性が垣間見えたりも...。

(平成30年6月10日/2434回)

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2018年6月 5日 (火)

水兵

村役場ならば多少の顔は利く「はず」も相手が霞が関とあらば...。さすがに門前払いとまではいかぬまでも俗にいう「たらい回し」などに遭ってはかなわぬ。おらがN代議士に依頼すれば二つ返事で仲介の労を。

お上の役人が雑務に追われては国家の損失、余計な気遣い無用と伝えたはずも出迎え付きで御丁寧に対応いただいた。泡沫といえど代議士ってのはすげ~んだね、「泡沫」は余計か。手際良く片付けていただいたもんだから予想に反して余した時間。現場に戻るにせよどうせ退屈な御進講に書類の山、で、夜は再び都内とあって悩んだ末に...。

オマエ如きに何が分かるんだとの批判ご尤もで作品の甲乙なぞ分かりゃしないよ。あぁこれがあの本で見かけた絵だなとか所詮はその程度の話で下手の横好き以外の何物でもなく。美意識は主観に負うものだけに評価様々なれど当時の時代背景に作者が置かれた状況を知るにその作品に込められた意図というか貫かれた哲学、そのへんがまた魅力の一つ。東京都立美術館にて開催中のプーシキン美術館展に顔を出した。

看板は巨匠モネの「草上の昼食」。同名の作品がモネならぬ「マ」ネにもあって、何を隠そう印象派はこちらが先駆者。花の都なんてちやほやされるのも二十世紀以降の話であって、それ以前なんぞは衛生面などそりゃもう杜撰だったとか。十九世紀中盤に押し寄せた都市化の波、目まぐるしく発展を遂げる時代に生きた画家たちが選んだ題材と価値観。宗教画を源流とする主流派に背を向け、天使は描けぬと低層階級に目を向けたクールベ、何も無いと思うような辺鄙な地で美を見出せる人は何と幸福なことかと牧歌的な作品を残したピサロ。

マネの代表的な作品「鉄道」には母に背を向け鉄道に見入る少女が描かれ、母の寂しげな表情に窺い知れる親子関係は時代が残した負の遺産。そんなマネが描いた「草上の昼食」の評価は。裸体は神から授かりたもうた神聖なものとの固定概念にその作品に描かれた裸婦は世俗的と酷評されて。それこそがマネの挑戦だったんだけど。以上、勝手な作品評にて。

人類初の月面着陸は米国なれど有人宇宙飛行は露国。プーシキン美術館は同国の富豪の所蔵品によるものだけど夜もたまたまそちら。まずは定番、ボロディンの歌劇「イーゴリ公」より「韃靼人(だったん)人の踊り」。理系諸君ならば誰もが呪文が如く暗記した「すいへいりーべ」。元素の周期表を考案した、かのメンデレーエフをして彼が音楽に惹かれなければ偉大な発見をしたであろうと言わしめた日曜大工というか週末音楽家の官能的かつ抒情的な旋律に始まり、後半はショスタコことショスタコーヴィチの交響曲第五番。

十指に入る名曲なれど、その深淵に迫るには時代を知らねばならず。革命が生んだ独裁者の恐怖政治の下、忍びよる粛清の足音。文章ならば証拠明らかなれど、こと音楽とあらばそれが反体制的などと糾弾されても...。死を覚悟したであろう本人が乾坤一擲の勝負を挑んで世に送り出した作品がこちら。拍手喝采、大成功の初演にさすがに独裁者も認めざるを得ず、名誉挽回、命を救った名作。

隣のKセンセイなどは同曲の序奏に似た旋律がベートーヴェンの交響曲第七番の第四楽章に登場するとかでその関連性を楽団員と思しき会場の案内係に尋ねたとか。ベト七も名曲なれどさすがにそこまでは...。あちらの第五番が「運命」ならばこちらは「革命」の名が。

(平成30年6月5日/2433回)

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2018年5月30日 (水)

渡鬼

一連の対応が時の政権に重なって見える、んなこと当人が言えた義理かと思わんでもなく、所詮はその程度の見識しか持ち合わせておらんのだから物事の本質など...。

獲物を狙う獰猛な面々に囲まれて慣れぬレンズを向けられれば伝わらぬ胸中。一方的に断罪するのはたやすくそこに一抹の同情を抱いてしまうのは私位か。実力伯仲ならば失策と気迫が勝敗を左右する訳で「つぶしてこい」の一言に込められた意図を巡る解釈。婉曲表現を好むは日本語の性にて這い上がりたい選手の直訴に意を酌んで与えた機会に悪意はあったか否か。

栄冠の座を掴み取る為に反則行為もやむなしとの結論に至ったとすれば善悪の判断が欠如。劣勢に立たされたが故の苦渋の決断か、上下関係に従わざるを得ない部員の宿命か。さりとて、無防備の状態でそれだけの衝撃を受ければ結果は明らか、不意打ちは卑怯也、武士道の精神に反するなどと唱えてみても海向こう発祥の種目ゆえ勝手知らず。

見方次第では未熟とは申せ、誘惑に負けた若人の姿があって贖罪に悩む当人がスター・ウォーズの主人公に「重なった」。一方の指導者側とて当該行為後も咎める機会はあったはずで選手が意を酌み間違えただけだとの弁明は遁辞に過ぎず。如何なる齟齬があったにせよ、指導者には健全な人間を育成する社会的義務がある訳でそこを諭せねば指導者として失格の烙印を押されるのも無理からぬ話。

が、時に冷静な判断が失われることは誰にでもあることで、ならば私とてあの状況においていかなる対応、判断を下したかを省みるに他人様のことは笑えぬ。一度、悪者に仕立て上げられた印象操作は覆りにくいもんで、反論の余地なく社会の隅に追いやられて不遇の人生となっては忍びず。失敗にこそ得るもの多く、葛藤は人を成長させる。負傷相手の試合復帰に些かの光明を見つつ、この教訓を糧に再出発されることを祈るばかり。

「逝って良かった」とは還暦わずかに過ぎて他界した父に向けた祖母の言葉。息子を失って良かったはずもなく、そこには苦しみから解き放たれた安堵感以外に世間様に御負担をおかけしては...との意が含まれる。人工的な延命措置に要する医療費は安からず、よもやカネのなる木とばかりに勧奨する不届きな医者はおらぬはずも苦しむ患者の姿に同情して下手に手を出さば殺人を疑われかねず。

本人の意思に家族の意向、医師の判断等が複雑に絡み合う終末期の葛藤と苦悶が導く結論。本人が事前に自らの意思により人工的な延命措置を拒否して迎える死が尊厳死ならば医師らが介入して薬などで人為的に臨終を迎えるのが安楽死。そんなモノを容認すれば優生思想が跋扈しかねぬとの懸念はちと大袈裟にしてもそれを理由に自殺を助長しかねぬとの慎重論も依然根強く。世に問うた意義あれど生命倫理を巡る根源的な問いは死生観が絡むだけに。

国民的な人気脚本家の一冊を読んで政治に課せられた使命を...やっぱり似合わんナ。

(平成30年5月30日/2432回)

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2018年5月25日 (金)

親子

子を見れば親が分かる。親に無事を報告するのが何よりもの親孝行と帰郷したはずも母の日のモノが無いではないかと「督促」があった。用意せぬ子も子なら督促なる実力行使に及ぶ親も親にて郷里を発つ際に渡された餞別代を新札にして一筆添えてモノとして送り返せばメールの返信に御礼とともに仏前に供えたとあった。子煩悩な母親と親不孝な息子の応酬は下手な漫才よりも...。

他人様の話を聞く際には相手の目を見てとの教えに目はあってもそこには向きにくいはずなんだけれども初対面でそこを見抜くとはなかなかの人生達者。小料理屋の女将に「耳」を称賛された。どこぞの市長なぞは自らの苗字に聞くことの重要性をかけて勝手に名乗っとるそうだけどこちとら卒寿にならんとする御婦人に過去に見たことがないと言わしめた正真正銘の福耳。が、いかに形良くとも相手の話が右から左では...やはり聞く姿勢に勝るものなし。

たまたまの雑談に耳にしたのだけれどもおらが役場の運動会が催されたとか。文字と数字のにらめっこではいい仕事は出来ぬ。どんどんやるべしであって何なら呼ばれもせぬが応援にでも。こと近年は花より団子、綱引よりも酒盛?行くに手ぶらありえず、一升瓶片手に...違うか。最近などは耳以上に胴回りの貫禄目立つ市長なんぞもちゃんと種目に参加しとるのかとの問いに口ごもる相手。んな高みの見物などしとらんで徒競走でビリとか転ぶとか恥をかかねば緊張はほぐれぬ。部下からは言いにくいだろうから来年は私が鈴を付けると豪語してみたものの外弁慶な性分にて。いや、その前に選挙ありますゆえ鬼に笑われぬよう。

さて、子の運動会。弁当が母親ならば応援席の確保は父親の仕事。そこに「一応の」指示があったはずで早朝に自宅を出ようとすれば早過ぎやしまいかと妻。籠の鳥ゆえとは言えなんだ。こちとら家から出るのが目的で席の確保などは二の次なのだからゴール前とか通路の最前列などは他に譲って二列目後方の木の陰に陣取れば隣の保護者も意図同じらしく目が合って軽く挨拶を交わした。開会式の校長先生の訓示さえ聞けばあとは弁当の到着を待つだけと仰向けに目を閉じてみるも子の着順位は知らねば帰宅後に顔が立たぬ。そこだけはと席立つも微動だにせぬ隣人。上には上がいるもんだナ。

そう、運動会の花形は何と言っても応援団長。昔であれば何となく体育会系のまとめ役的な候補者に絞られるんだけど昨今などは他薦よりも自薦。中には私学受験を前に内申書の為に親が指示する家庭もあるとかで〆切迄に手を上げた生徒数は14。全学年中、抜けてデカい体躯の持ち主O君などは一見ガキ大将的存在に見えなくもないのだけれども周囲への気配り欠かさず、縁の下的な役回りに徹し続けた六年間。そんなO君が手を上げたと聞いて当選を祈っていたのだけれども。

迎えた当日、最後の晴れ舞台とあっては子の種目以上に見逃せぬ。応援合戦を見届けて会場を後にした。ちなみに後で知ったんだけど隣の保護者って...。

(平成30年5月25日/2431回)

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2018年5月20日 (日)

部活

委員長とあらば従来の資料以外に「特別に」用意される台本。軽く折られた右隅は頁をめくりやすくとの配慮か。当日の発言は会議録に残る訳だから予め台本があったほうが相手方にも好都合にてそちらさえ手元にあれば委員長なんぞ誰でも...違うか。

そう、こないだなどは委員から新たな制度の創設を求める意見があって、一方では既存制度で事足りると慎重派。十分か否かなんてのは価値観の違い、勝手な解釈の類であるからよほどの不都合でも無い限りは万事慎重派に従ったほうが無難なんだけれども多勢に無勢と妥協を迫られる相手。シナリオは二つ、双方譲らず両論併記か、全会一致の合意を目指すか。

裏工作が奏功して提案者に譲歩いただく格好になったものの、当日の台本には(既存の制度が)「十分に」整備されていることから新たな制度の創設は...云々とあった。おい、既存の制度では物足りぬとの相手の意図を斟酌せずに鬼の首を獲ったが如くの表現は厳に慎むべしで、当事者にヘンな意図は無かったんだろうけど、副詞一つが命取りになりかねず。何よりも手前味噌っぽく見えてしまうもんだからなどと勝手に割愛させていただいた。「一応」台本にも目は通しておりますゆえ。

さて、知人が仕掛け人の一人なんだけど、自転車のトークイベントが好評と聞いた。その一因は「弱虫ペダル」(渡辺航原作)なる漫画だそうで、アニ研ことアニメ研究会の復活を目指すアニメオタクの主人公が部員の獲得を賭けて自転車競技の勝負を挑む。アニオタと自転車?そう、アキバに通う移動手段はママチャリ。数十キロの道程を苦もなく毎日往復すれば自然と磨かれる筋力。オタクの執着恐るべし、と、まぁその乖離が何とも魅力のスポ根モノにて没頭しとるのだけど...。

ということで本題。アニ研に限らぬ部活動の危機。当時は当然とされた部活動も昨今は希望者の減少以上に顧問の成り手が見つからぬとか。確かに対外試合の遠征に土日早朝の練習とあっては休みも取れぬ。学校が関与するとなれば顧問は必須、名ばかりといえども万が一の際には責任を問われかねず。昨今などはとりわけその風潮が顕著にて、ならばハナから関与せぬほうが利口という理由は分からんでもなく。そもそも学習指導要領には自主的な活動とされてるのだから関与せぬとの選択肢もアリなんだろうけど、やはり「部活」ってのは特別な響きがある訳で問われる学校の姿勢。

が、本市など輪をかけて地域教育会議なる仕組みがあって、それは「全国初」と高らかに謳い上げられているんだけど、学校教育と社会教育の連携を狙った住民参画組織だとか。保護者と学校の信頼なくして教育は成り立たず、その理念こそ賞賛されるべきものなれど、こと近年などはやはり部活動が如く学校側の消極的な姿勢が目立つのだとか。で、相手の言い分に含まれるのが教員の更なる負担は「働き方改革」に逆行すると。

部活動はあくまでも任意ながらもこちらなどは市が積極的に勧奨する施策の一つのはず。同じ指揮官の下にあって方や旗振れど他方は及び腰では混乱する現場に募る不満と不信感。少なくとも子供達の為に無償奉仕で尽くそうとする保護者の意欲は削がぬよう、学校現場と教育委員会の本気度が試されている。

(平成30年5月20日/2430回)

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2018年5月15日 (火)

山伏

一般のロードならぬオフロードの山野を駆け抜けるレースにて登山が如く上がりきって視界が開ける達成感、新緑に囲まれつつ走る爽快感の魅力に駆られて申し込んだ久々のトレイル。

調整つかず前泊を断念した翌朝の起床は午前3時。眠い目をこすりつつ一路向かう目的地は山梨県道志村。朝7時の号砲に制限時間は10時間、つまりは夕刻5時迄にゴールを目指す。距離は44キロ。肉離れの後遺症かふくらはぎに若干の違和感を覚えつつも仕上がりはほぼ万全。フルマラソンの完走タイムを5時間前後とすれば楽勝とはいわぬまでもさすがに制限時間内にはとの目論見に...。途中関門の制限時間に間に合わず初めての途中棄権。平坦なロードであればまだ十分な余力残るもほんと過酷なレースだった。

横軸に距離、縦軸に標高が記される比高図によれば累積標高、つまりはコースの上りのみを単純に足した累計は2千m以上。そのへんも知りつつ挑戦したんだけど相次ぐ誤算。誤算の一つは距離。44キロってのはあくまでも平面距離であって長方形の対角線が如く距離は間延びする訳で単純に正方形ならば約1.4倍。倍とはいわぬまでもそれ近くの距離を走らねばならず。が、距離の長さは慣れているから何とかなるんだけど、いかんせん坂というよりも「急」坂。

スキー場の最難易度コースが如く見下ろして躊躇するような坂が時々ならばまだしもそれが大半とあっては走るよりも歩いた距離長く。無謀にも直滑降で降り始めればぬかるみに足を滑らせてそのまま数m。道の脇のロープを目にしたのは転倒後にてどろんこまみれの状態でゴールを目指す。山伏峠なんて名が残る位だから地元にとってはまさに神宿る霊峰。樹齢百年以上の古木に不自然な大岩など目にすれば神々の裏庭に見えなくもなく、そんなコースを走れるとは何とも贅沢な機会。最高峰の山頂の祠に手を合わせて御当地の安寧を願った。

横浜市の水源とは存じ上げていたものの豊かな自然に恵まれた御当地の水に渇いた喉が潤され、棄権者用のバスに揺られて着いたゴールで食べた地元の御婦人方による特製うどんが抜群に旨かった。ほんとボランティアの方々も親切でまさに村ぐるみの歓迎ぶり。やはり未知の領域に挑戦するってのはいい刺激になるとともに、勝って得るもの以上に負けて得るもの多く。落胆もつかの間、早速に帰路の本屋でその手の本を立ち読み、脚力さえあれば何とかなるとの認識は甘過ぎたことに気付かされる。さすがにそのまま帰る訳に参らぬと手にした一冊。

「までい」とは「丁寧に、心を込めて、大切に」を意味する方言なんだけど、避難生活を余儀なくされる「までいの村」の方々を訪ねたのが数年前。ほんと温かく迎えて下さってね。村の一部を除いて帰宅困難区域の避難指示の解除からこの四月でちょうど一年。そこに至るまでの市長の苦悩と挑戦が綴られている『「までいの村」に帰ろう』(菅野典雄著)を妙味深く拝読させていただいた。

うちの事務所に御礼の手紙とともに写真が飾られていて。随分と色褪せてきたんだけどみんな元気かなと。

(平成30年5月15日/2429回)

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2018年5月10日 (木)

遠隔

そりゃ与えられた権利なのだから堂々と行使して何ら後ろ指さされるようなもんではないはずも気になる周囲の視線。公私境なく有休なんて概念すらないのは給料ならぬ報酬で禄を食んでいる賜物か。勝手にのれんを下ろしちゃえばそうなる訳で曜日を選ばぬのがせめてもの。大型連休なんていってもあの大渋滞に割高な料金を請求されては気も失せる、ならば、と思い立ったはいいけれど、家族すらも連れて行かんのに一人だけなんてのは...。

父は既に他界した身なれど大正生まれの祖母が健在にて様子を見て来るなどと適当な理由を付けて家を出た。いや、適当などと申してもその齢になればどこかしらに歪が生じる訳で既に用具なくば自力では歩行困難な状態にて施設の世話になっているんだけど昨年末に不意に転倒して顔面殴打、別人が如く...などと受話器向こうの母の話を聞けば気にならぬものでもなく。まぁ昨今などは老人介護施設に限らず園児施設や小学校にカメラを置いてくれれば遠隔といえども、と求める保護者がいるとかいないとか。動物園ぢゃあるまいに。

さて、途上国といえども急速に広がるスマホ社会。世界人口80億人の大半が「繋がる」社会が目前。「繋がる」ことで誰もが必要な情報を入手し、自ら発信する時代。それを「第五の権力」と称しているんだけど、前掲の著に描かれる近未来図。夢物語と疑うなかれ、既に教育の分野などでは一流の講師による授業が「無償」で提供されとる訳で塾すらも画面と向き合うとか。いつでもどこでも誰もが最高の授業を受けれる中において生徒が教室で全員一緒に学ぶべきこと、教師が果たすべき役割、学校の意義とは。

それに限らぬと反論を試みても好むと好まざるとに関わらず押し寄せる時代の波。一方では硬貨の表裏が如く「繋がる」ことで迫りくる脅威。どれだけ巧妙に改ざんを重ねようにも履歴残るITの世界では隠せぬ過去の不都合。そりゃ役所に限らず個人も同じ、上の一存で携帯が盗聴器に変貌する監視時代の到来に位置情報や操作履歴すら当人の意志とは無関係につまびらかに「なる」というか「なってしまう」訳で。今やそれ抜きには社会を語れず今後も然り。想像を掻き立てられるというよりも鋭い洞察に深く考えさせられる珠玉の一冊、とりわけ為政者には。

そうそう、肝心な旅の目的。転倒のあざこそ残らぬものの突然の面会に鳩が豆鉄砲をくらったようにキョトンと。私の顔を見てしばし思案した後に弟の名を呼ぶとは認知症や恐るべし。それでも話せば気づくのだからまだましか。ひと昔前であれば医療と介護は非なるものにて医療の範疇にあらずと断られた訳でどれほど制度に救われているか。

対価を支払っているとは申せ、その程度の利用者負担で本来であれば家族が担うべき役割を負っていただいているのだから礼は尽くさねばならず。そんな機会に垣間見る介護の現実。日々枕高く寝られるのも彼らのおかげであって餅は餅屋に限る。何も出来ぬ親不幸を恥じつつ、祖母との会話も手短に何よりも気分よく職務に従事いただけるよう職員の労をねぎらって帰途についた。やはりメールでは意は伝わらぬ。

(平成30年5月10日/2428回)

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2018年5月 5日 (土)

逸翁

折角の誘いを断るに忍びず、了としたものの、その日「だけ」の雨予報に憂鬱な日々。安からぬ支出を伴うだけに中止の報でも来ぬものかと淡い期待を抱いていたのだけれども...。

今日はこんな空模様ゆえ途中の昼食代は私の負担で、との大御所ぶりに「ならばステーキでも」と隣人。そう、そんな時ほど遠慮しちゃイカン。が、そんな善意が通じてか雨上がり、残った風とて疲労癒すに十分で絶好の日和に悦に入りたいところだけど伸びぬ成績。風雨に寝不足、役所が如く出来ぬ理由を探してみるもさすがに「同伴者」って訳にも参らず...。

腕が腕にて球は選らばぬも種目に私なりの敬意を表して初回のみ用意する新品球。紛失すればさっさと別な使い古しを使用するのだけれどもこれがどうして森に入ろうが池に落ちようが遭難せぬ上に芝生上でも「右に」流れて。第四十一代就任祝なんて文字とともに似顔絵が描かれているもんだから顔を上にコノヤローと振ればチョロチョロと。原因はこの球だナ、失礼。

そう、詳しい経緯は省くが、少し前に妙齢の女性と観劇を御一緒させていただいた。些か自慢めいた口ぶりだが、以前も別な方に誘っていただいて...まぁそんな話はどーでもいいのだけれども日に数回の公演が大入完売ばかりかあれだけ熱狂的な支持者を獲得するのだからその戦略たるや。名と功績位は知り得るもいかにしてその境地に辿り着いたか知るは生きる糧になる訳で早速に「逸翁自叙伝」を読んだ。「逸翁」とは当人の雅号。自伝ってんだから自らに都合よく描かれているにせよ今日を見れば凡人には到底かなわぬその端倪すべからざる才能は誰しもが認めるところ。

当人の偉人たる所以の一つは劇団のみならず荒野に鉄道を敷設して苦節数十年、後発ながらも他の私鉄の追随を許さぬ確固たる地位に到らしめた手腕にある訳で、今日でこそ沿線開発と魅力向上などといわれるけど先駆者はやはりこの御仁ではなかろうか。当人曰く「鉄道といふが如き種類の事業は、眼前に必要が差迫つて来て、直ちに敷設せよといふが如く、足元から火の出るやうに建設すべきものでない、時勢を達観し其将来の必要に」と。

その慧眼達見も然ることながら秀でた文才は自ら文学少年と自称する少年時代の賜物か。天賦の才なんてのはほんのわずかで文才を磨くに経験は欠かせず、そんな同氏の興行論が秀逸で「興行というものは舞台の上の役者の芸を見ていると失敗する。この芝居が面白いか、当るか当らぬかは、二階の一番奥のお客様の様子をジッと見ていると、間違いのない結論が出て来るものだ。あのお客様たちがほんとうの芝居好きで、彼等が他を顧みている時は、必ず損だよ」と本人の談。

さて、地元のM平どんから寄席のチケットが届いた。御当地では今年も芸術の祭典アルテリッカしんゆりが開催中。いづれも好評と聞くも日時折り合わず、仕事帰りに映画「ゴーギャン タヒチ、楽園への旅」を見た。そちらは断片的な知識しか持ち合わせておらんもんだからこれを機に西洋美術史を深掘りしようかと久々に没頭しとるんだけど奥深く新たな発見が少なくない。

(平成30年5月5日/2427回)

電子書籍「一日一話」

「一日一話」表紙

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