なおログ[Blog]

2017年1月18日 (水)

残業

吉報ともなれば過ぎぬ程度に流布すればいいんだろうけど、身内の不幸ともなればどうか。大勢の方々に余計な負担をおかけする位ならば...との判断が働いてもおかしくない。葬儀は身内にて済ませるゆえと遺族が弔意を御辞退される際などはほんとにいいものか、御節介が過ぎてあれこれと下手な気遣いをしてみたりもするんだけど、確かに私なども死後の御焼香に来ていただく位ならば生前の投票所に...違うナ。

以前、車が故障したことがあって、時間外にY自動車の個人携帯を鳴らせば二つ返事、こそないけれども御助言をいただいてとりあえずは事なきを得た。これが「時間外だから翌日に」なんて言われてしまった日には右往左往の立ち往生だった訳で。やはり困った時はおたがいさまの精神がなければ世の中上手く回らん、もちつもたれつの社会だから。

そんな短絡的な話ではないはずなのだが、どうもあの一件以降、振り子が一方的な方向に流れつつあることに違和感を覚えてしまう残業=悪の風潮。だいたいが魔女狩りが如くどこぞの政党が積極的なことからしてろくなもんではないと思うんだけれども。

本会議などでも午後5時を過ぎることが予想される際は必ず議事の途中で議長が延長を諮り、「異議なし」となるんだけど、んなことなら諮らずとも「5時以降は翌日に」で許されるか。まぁそもそもに当事者が延長に加担している位だから身勝手な言い分にしか聞こえないんだけれどもノー残業なんてのは帰りのチャイムを待っているようでどうも好かん。

私の前職時代などもゆうに百時間以上は残業していたけれども外資ゆえそれで残業代など支払われるはずもなければ、それが会社への貢献度と評価されるような甘っちょろい話はない訳で業績が下がればどこからともなくプランAだBだなどと噂が囁かれてある日突然「今週限りで...」なんてのはほんとの話。御恩と奉公が通用する牧歌的な雇用体系は日本位なもので海を渡れば冷酷なもんだよ。雇われて当然と勘違いしちゃいまいか。

ノー残業に特別手当の支給は健康理由なんてあったけれども仮に定時退社をしたにせよ、自宅に帰れば片隅に追いやられ(そりゃウチだけか)、酒場放浪にも余計な出費と二日酔いともなればかえって仕事の効率が低下する訳でやはりなんだかんだいっても健全なのは残業だよ残業。

特に若いうちなどは芸の肥しというか成長の糧にもなる上に会社ってのは意外と居心地が良かったりもするもので。そんな名残りかこの前なんぞ休日に出勤をしてみればビル内点検の停電にて復旧まで数時間などと聞かされて行き場所なく、然らば隣の歓楽街にでも...違った。

同じ残業でも意に反すか否か、無償か否かが問われるべきで、雇用の不満は雇われている会社に対して正当な評価が出来ない意識の裏返しでもあるのだからそこまで嫌ならしがみつかずにいっそ転職してしまえばと思えなくもないんだけれどもそれが出来ぬ理由は...。「やってあげる」のか「させてもらう」のか、根底にはそのへんの認識の違いが拍車をかけているようで。多少なりとも謙虚さがなくては世間様から相手にされぬ。

(平成29年1月17日/2319回)

電子書籍「一日一話」

「一日一話」表紙

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年1月14日 (土)

片隅

業界団体の中には昼や午後の開催も少なからずあったりするから市役所にて雑務をこなしつつ、途中抜け出して新年会に駆けつけることも...。そんな折に先輩のセンセイの送迎を仰せつかれば車中の雑談などが役に立つことも少なくない。正月の松飾などはてっきり七草に外すもんだと信じていたんだけど、先輩曰く「七日の風に当てるな」、つまりは六日中に下ろすのだとか。

松飾といえば鳶職人、信心深いもんだから変えた途端に厄難に見舞われやしまいかと浮気もせずに地元の鳶の親方Mさんから購入していて。で、外した後の処理となると家庭ごみとして処分なんてのも選択肢の一つなんだろうけど、やはり縁起物だけに一年の無病息災を祈りつつ炊き上げてもらうというのが妥当なところで区内には今もどんど焼きが残る。

せちがらい時代にて年々片隅に追いやられがちな火気使用、金程地区などは大勢の方々が協力して大々的に行われるんだけど、エビの瀬戸物なども全て外して分別する徹底ぶりで、万が一に備えて地元の消防団も待機しているもののそれでもやはり気に食わんのか「匿名の」通報が寄せられて毎年の如く消防車が駆けつける。

匿名通報といえばやはり厄除けで評判の神社は駐車場が手狭にて横の道路に整列駐車されるんだけど今年は初詣の神事途中にパトカーがやってきて...。さすがに警察といえども相手が相手だけに音量を落として注意を促す気遣いが見えた。通報に出動せねば職務上の責任を問われかねないだけに向こうも複雑なんだろうけど。

そんなどんど焼きに持参出来ない方々の為におらが神社には納札所が用意されているものの、境内には別に炉があって時折そちらの白煙を被っている方を目にするんだけどそりゃ古い木札を燃やす厄落としのすすだから神社仏閣でよく見かけるアレとは違う。

さて、遅まきながら友人のN君から賀状が届いた。どう転んでも達筆とはいえぬが、手抜きなく丁寧に書いた形跡は分かるもので当人の性格が垣間見える。まぁこちとら出していないのだから言える筋合いではないんだけど。

老舗ラムネ屋の三代目社長のN君とは妙な縁で元々は大学時代の下宿先の私の隣人が御当地の出身にてその親友がはるばる上京したというのに彼女とのデートがあるからなどと身勝手な言い分で私が世話役を押しつけられたのがそもそものきっかけ。浪人ウン年、学業はからっきしながらも中々見どころのある御仁にて意気投合、以来、私が...。そんな当人も円満な御家庭と子宝にも恵まれ事業も順調な様子にて今ではすっかり立場が逆転してしまった。

そんなN君が活躍する広島県呉市を舞台にした映画「この世界の片隅に」が人気と聞いた。そちらに疎い私にはポスターがあのアニメ映画に重なってしまうのだが、あちらは監督の知名度に主題歌、制作費や宣伝費は圧倒的だから大入り当然にせよ、こちらは草の根の口コミが広まった結果だとか。聞けば川崎市アートセンター、つまりは市の出資法人が運営する劇場で上映中とのことで好都合とばかりに仕事の合間に伺えば大変な混雑具合に「完売」とにべもなく。

となると余計に見たくもなるもので...。御当地を語らせれば郷里の如く話題に事欠かないが、鉄板屋台「あしあと」のお好み焼きは絶品にて。

(平成29年1月14日/2318回)

電子書籍「一日一話」

「一日一話」表紙

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年1月10日 (火)

寒空

18歳選挙権なんて時代だから些か影が薄くなってしまったけれども、今も主催者の筆頭格に名を連ねる選挙管理委員会。昨年は四年に一度の改選期にて晴れて委員長に就任されたのは...。地元で御一緒した際に「長らく隠居が続いたセンセイが晴れて...」などと口上を述べれば、「おい、誰が隠居なんだ」とちゃんと耳も立っているようで。

年齢も貫禄もそして所属政党と資格要件は十分、幾分かの報酬が支給されるものの、元来金目には不自由は無さそうであるし、出席を課せられた本会議とて昔の杵柄だけに手慣れたもの、なんだけど...。今回は市長、副市長と同じ理事者側に席が用意されているから自由が利かぬ上に何かと不都合が多いらしく、そのへんを見透かした隣席から二の矢が飛んだ。

「センセイ、現職から質問されたらどうするの?」との鋭い質問に「さすがに元職の大物とあっては相手も怯むはず」と幇間。が、本人にとっては途中退席が出来ぬことこそ苦痛らしく。それも不文律であって特に規定はないはずなんだけど、(質問を)する側に指名権がある訳だから不在を見計らって...なんて意地悪なヤツがいないとも限らんから理事者側はじっと我慢の長丁場。そんな委員長が開式の辞を述べる成人式を終えた。

見知らぬ御婦人、というか若奥様、いや、ママさんに今以て声をかけていただく機会があって、「今も走っているんですか?」と。走り続けてはや十年、当時の少年が今や二十歳、それでも当時一緒に走った記憶だけは残るらしく。やっぱり紹介だけでは印象が薄いんだナ。今年で26回目を迎えた麻生区少年野球マラソン大会。今年なんかは出初式と重なり、開会式にスーツ姿で伺えば「今年は走らんのか?」とあちこちで。

後で着替えて戻って来ると挨拶をしたものの、戻れる保証なく、最初の四年生は中距離コース一周と聞いてならば何とか間に合いそうであるし、それほど体力を消耗するものでもないはずと臨んだものの実際は二周だった訳で...。次の会場には抜け道を駆使して滑り込みセーフなれど、寒空の中、私だけ額にうっすらと汗。いや、うっすらぢゃないナ。

そう、子供といえば、麻生区文化協会が主催する恒例のあさお古風七草粥の会。今年は曜日にも恵まれて並ぶ列には子供の姿も目立つ。花より団子、粥より票とばかりにその横をするする抜けて関係者の労をねぎらいつつ、挨拶を済ませればそのままテントに案内されて「まぁどうぞ」と一杯の粥。あえて目立つところでとの主催者の配慮なんだけれども寒空に入場制限に待つ方々の視線は微妙。

そんな会場で「暮れはわざわざ」と挨拶をいただいた書道教室のK先生は小学校の元教諭。既にいい御齢なんだけれどもかつて地元の郷土史も手がけた先生は子供たちに郷土への愛着を育んでもらいたいと願っておられて、それも単なる知識の詰め込み以上に子供たちに創作の機会を与えることでその独自の視点に気付かされることが少なくないと思い出話を聞かせてくれた。

ロマンスカーで父親と箱根に行った思い出を綴った作品を駅長に持参した経験を有する行動派の先生。駅長がたいそう喜んで人目につくところに展示してくれたのだとか。今や多くの利用が見込めて目立つのは区役所ならず最寄りの駅。近年は私鉄沿線との包括協定が進む本市でも駅に協力をいただいて子供たちの作品展示の機会を設けてみてはどうかと。

(平成29年1月10日/2317回)

電子書籍「一日一話」

「一日一話」表紙

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年1月 5日 (木)

酒豪

小心者ゆえ目上の人の着信にすぐ動揺してしまうんだけど、正月早々K兄からの着信があった。それも起床前の早朝にて恐る恐る折り返せば「今日はオマエが年長者にて抜かりなきよう」と釘。たったそれっぽっちなんだけど、んなことを言われるとどこか頭の片隅に残るもので最後の火の元の確認も怠らずに。ほんの一言、されど一言、さすがK兄である。

神社の御奉仕などといっても所詮はそちらの収益になる訳で活動資金になるのだから決して自慢出来たものではないんだけれど恒例のだるま売りにてこの正月も終えた。氏子は地元の顔役、律義な方々にてこちらの姿を見かければ「暮れはわざわざ」と向こうから。こちとら手抜きの名刺を郵便受けに投函しただけなのだが、その様子を他人様が見れば何やら仕事の御礼に見えなくもなくそんな副次的効果は正直者が報われるイソップ物語の「金の斧」に...違うナ。

さて、おらがまちの銘品に「禅寺丸ワイン」ってのがあって、何かの折に観光協会のブースにて当然の如く1本購入すれば、さっきのHセンセイは2本だったなどと。それが本当かどうかなど確かめる余地なく、ならば私も負けじと...。そんな授業料のおかげでこちらは付き合わずに済んでいるのだが、名入りだるま注文の格好の標的はやはり。まずは「応援してます」なんて囁けば「まいどあり」は確定。あとは大きさだけなんだけどどこぞの好敵手がこのサイズだったなどとチラつかせた結果か、最上段には天井サイズの名入りだるまがズラリと並んだ。

選挙とて毎年あるはずもない訳で片手は下らぬその出費は別のところに向けられるべきではないかと思うのだが、まぁ上客ゆえにこれ以上は言わぬ。格下の市議なんぞはちゃっかりしたもので私に右へならへで横一線、隣村のOセンセイなどはザキヤマよりも一つ下のサイズで...などと謙虚でよろしい、というか人様をダシに随分倹約しとる訳で。そんなこんなで正月なども御奉仕にかこつけて雑談に興じているだけなのだが、正月といえばやはり...酒。

本市にも大師河原の領主と江戸の儒教者の酒飲み合戦に端を発する風習が今も残るが、いつぞやの神社の旅行の際にバスの車中でワンカップ大関8本、乾杯後のビールに夜席の酒を足せば3リットルは下らず、それを私一人で呑んだというのが語り草というか酒豪伝説として定着しつつあるようで。でも、3リットルってのは1升半だからね、目撃者の談によれば「われこそは酒豪なり」だとか、大関片手に「これこそが日本の高度経済成長を支えた酒だ」などと豪語してたってんだから始末に負えぬ。

その一人、Mさんによれば自ら酒豪を自称してそこまで呑んだヤツは初めてだったと振り返る。遠慮気味に自重する周囲を横目にならば私が...と勧められるがままに頂戴していただけなんだけど、翌朝は何事も無かったかの如くケロリとしていたというのだから、さしづめ話半分、せいぜいワンカップ3~4本にビール少々の半升五合あたりが妥当なはずなんだけど同席者が否定せぬところを見るに...。古今東西、世に酒席の失態は数知れず、ちゃんとオチがあるんだけどそりゃ内緒にしとく。本年も御贔屓に。

(平成29年1月5日/2316回)

電子書籍「一日一話」

「一日一話」表紙

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年12月31日 (土)

糸魚川

猫に小判、豚に真珠、つまりは価値が全く分かっていないってことは相手もよくよく承知なのだが、キリマンジャロの社長に御指名をいただいて人気歌手K氏のライブを御一緒することになった。ペアチケット2組を入手したものの、当人の細君が亭主よりも自らの親友を隣席に選んだことがそもそもの発端。

単に空席を埋めるだけであれば候補者はわんさかいるらしいのだが、私が好都合だとか。元来、流行歌というかJPOPなんぞとは無縁の日々、ライブなんてのは無論初体験なんだけど細君の手前「すわりがいい」との理由らしく。正規の料金で結構などといわれてもそれすらもったいない気がして。「普通に」いい曲だとは思うのだが、どうもノリについていけず...やはり性に合わなかった。

さて、年の瀬に一年を振り返ってみれば、任期途中の正副団長の交代(その一人が私)にHセンセイの辞職、Oセンセイの入院、そして、私のコピペ疑惑と続く厄難。そりゃあくまでも気のせいってもんなんだろうけど、ここはひとつ厄払いでも...と帰省途中に下車して善光寺に。そんな時「だけ」ものの「ついで」では動機が不純すぎて不信心者の御利益などたかが知れている訳で。されど、まさにその「ついで」に訪ねた東山魁夷画伯の美術館は見る価値十分。

今年の海外視察の際に訪ねた大使館に飾られた画伯の絵の意味が気になっていたんだけどようやく腑に落ちた。独特の画風にて大自然を描いた同氏の作品をじっくりと鑑賞すれば、その一枚と車窓からの景色が偶然にも重なった。芸術といえば木は生き物にてその癖を見抜かねば形が崩れる。一心不乱にノミを振るい続けた仏師運慶の小説を読んで以来、そちらには目が無いのだが、善光寺の仁王像は近代の巨匠、高村光雲の作だそうで。

そう、仁王像といえば怖くなくては意味がない訳で幼少時の記憶に残るのが、おらが郷里の実家近くの国分寺山門に安置された仁王像。で、その境内には芭蕉翁が詠んだとされる句碑が残る。「芭蕉」「日本海」といえば「荒海や~」で有名な「荒海や佐渡によこたふ天河」。

良寛生誕の出雲崎で詠んだのが通説とされてきたものの、おらが郷里の句碑に刻まれたものは「文月の六日も常の夜に似ず」であるから六日に直江津で翌七日に出雲崎となれば行路が逆になる訳でやはりわが郷里もしくはその次の目的地までに詠んだとするのが理にかなうような...。まぁ御当地以外の方々にとってはどこで詠まれたかなどはどうでもいいことかもしれんけど観光には「ゆかり」が大事だとか。

で、次なる宿場で詠んだ句が「一つ家に遊女も寝たり萩と月」。何やら意味深な色恋モノだが、私の母の実家がそちらにて今も従兄弟が事業を営む。直接的な被害こそ負わなかったものの落胆の色隠せずとかで...。不注意がもたらした災難の代償はあまりにも大きすぎた。そんな被災地には今年も冬将軍がやってくる。

予報によれば関東地方は正月三日とも晴天に恵まれ御来光が拝めそうだけど、日本海側はあいもかわらず悪天候が続く。冬の天気は太平洋側と逆にて正月の晴天などは十年に一度か。それだけに余計に御利益がありそうなもんだけど、日本海は日の出よりも日の入、日本海に沈む夕日はものスゴくきれいなんだよナ。よい御年を。

(平成28年12月31日/2315回)

電子書籍「一日一話」

「一日一話」表紙

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年12月27日 (火)

十大ニュース

川崎市の今年の十大ニュースが届いた。一位は「シン・ゴジラ、川崎に現る!」だそうで。確かに本市を世に知らしめた功績は少なからずだけど、首都東京を守る為に川崎が犠牲になる、丸子橋が吹っ飛ぶんだから特撮といえどもどこか複雑な心境。で、続く二位以下を目を凝らして見てみたもののそちらは選考外らしく...。

富山市に端を発した「政活費」を巡る一連の報道、出るわ出るわでついに本市も「川崎市議 政活費で視察の7人、報告書コピー」なんてコピペ疑惑が記事になって主犯格と思しき二人のみ実名が踊った。で、何を隠そうその一人が私。悪童の頃よりそれ以上の詫び文句は知らず「以後改める」とのコメントが末尾に掲載されただけなのだが、運悪く海外視察の最中で役所に取材が殺到したとか。

更に運悪くテレビ局の取材班が現地のホテルに張り込んでいて、そんな事情も露知らず出かけた朝のジョギング帰りに後ろから声かけられて振り向けば記者2人に突然マイクを向けられて「今朝の記事をご覧になられました?」って。背後には某大手放送局のカメラが3台。修羅場ってのはこういうのなんだろうね。

そもそもは議員視察の実態なんて年末特番の取材だったらしいんだけどまさに鴨が葱を背負ってくるようなもので、ジャージ姿でインタビューに応じる羽目に。狙いがそちらだから事実に迫るというよりも動揺する姿を捉えようともうハナから犯罪者扱いの挑発的な内容に「真摯に反省して改める」ってしかないんだけど、不意打ちの取材はかなり陰湿なものだったナ。

許可なく勝手にカメラ向けられてあまりにも執拗だったから「いいかげんにせんか」と言い返そうになるもジョギングでヘトヘトだったのが不幸中の幸いか。で、帰国後にも何社かから取材の申込があって全て真摯に対応したはずなんだけど後追いの記事なく折角の海外取材もボツ、そうなると些か寂しいもので。

移動交通費や宿泊費の使途明細を記載するA4一枚ものの活動記録票の上半分に「活動の目的・内容・結果」を記載する欄があって、そちらの約500文字が類似しているばかりか始末悪く私「のみ」句読点までもが全く一緒だったということで主犯格と断定されて。ネット上からコピった訳でもなく語尾を変える等の浅知恵が働かなかった訳ではないんだけれども内容は恥じぬものだけに。

かの明治の文豪とて公費の海外留学に堂々と白紙の報告書を提出している位だから手間を惜しんで「まぁ問題なかろう」と勝手に判断しちゃった。まぁ、こんな御時世とあってはそれすらも許されるものでもなく、脇が甘かったナと。で、記事によれば違法性は問えない(つまりは「白」)ながらも税金の効率的な使い道とはいえないなんて専門家のコメントが紹介されていて。

こと最近などは違法性はないものの道義的な話に収斂される事案も少なくない。中でも視察などは役所的に申し上げれば行程だけキチンとこなしていれば異論なく。そりゃ中には「もののついで」に少し足を延ばして観光名所でも...なんて判断が働かないとも限らない。道義的に云々の話だから原爆ドームは可で伊勢神宮が不可だとか勝手な解釈がまかり通るんだけど、だんだん都合よく拡大解釈されて...慢心に繋がりかねず。

それにしても全国版に氏名が躍ったにも関らず、巷の反響薄く自ら宣伝するとは情けない。私にとってはシン・ゴジラどころではないんだけど。

(平成28年12月27日/2314回)

電子書籍「一日一話」

「一日一話」表紙

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年12月23日 (金)

読響

野をつつく鴉の群や時雨あと。兼題が「時雨(しぐれ)」にて稲刈りを終えた田んぼに餌をついばむ鴉を詠んだ。五七五のたった十七文字の雑詠には無駄な贅肉を削ぎ落とさねばならず...。およそ話の肝などは一つだけで、むやみに話が長い御仁なんぞは相手のことなんか考えちゃいない。

読響こと読売日本交響楽団が本市に新たな拠点を構えるというので早速にそちらの「第九」を聴いた、その帰り道...。市外局番に200は役所にてその下の四ケタが課を意味する。マナーモードの設定を解除して履歴を見れば何度か着信をいただいたらしく、向こうの心配など露知らず演奏に興じていたのだからこちとら何とも御気楽な立場なんだけれども、お詫びかたがた折り返したのが運の尽きで主席担当官の尋問に籠絡されて口を割ってしまった。

で、翌朝には想定される質問時間を訊かれて「何でそんなことまでいちいち教えにゃいかんのか」などと無愛想に返事をしたもののはたと気付いた。追い回される苦痛が快楽に変わる瞬間。「そこまで知りたくば仕方がないな、日頃の誼で教えてやろう」などと他人の知りえないとっておきの情報を握っているような優越感に浸る錯覚に陥っているのではないか。尚且つ、そのへんがかえって世のセンセイの傲慢さを助長するのに一役買っていそうで、猜疑心のカタマリである私などはそれすらも役所の陰謀に見えてしまうのだから困った性格である。

本会議場において優越感に浸って踊る主役スターは観客席の倦怠感に気付いていない。またそのKYさが先生の「センセイ」たる所以にて兎にも角にも質問時間が長すぎ。で、肝心な私の質問の内容なんだけど...。

介護の苦悩は当事者の家族にしか分かりえないもので、とりわけ、施設に入りたくても入れない方々の悩みは深刻。目下、特別養護老人ホームはかなりのペースで整備が進むものの、整備が需要に一向に追い付かず。狭き門にて手当たり次第に鉄砲を撃つものの、一向に音沙汰なくば家族の疲労感のみ募るばかり。

各施設に対して個別の申し込みと確認を必要とする本市に対して、横浜市では複数希望までの一括申請と一元管理が可能。利用者の負担軽減が図れるその仕組みは大変好評で本市も真似すべきだと以前に指摘して改善を求めていたんだけど(平成19年 予算審査特別委員会-03月06日-03号)、もうまもなくとの報告を受けてひとまず安堵。それにしても随分と時間を要したナ。で、次なる照準は...。

同じ介護度であっても胃ろう等の医療的処置が必要な方々などはそれを理由に施設側から入居を拒まれがちで、聴覚障害の方々なども意思疎通に手話通訳を介さねばならず、やはり入居可能な施設は限定的。介護報酬により得る収入は同じなのだから看護師等を常駐として抱えれば施設側には大きな負担となる訳でならばいっそ「そんな方々には入居を御遠慮いただいて...」という判断が働くのも当然の帰結で、おい、そりゃダメだぞってね。

そんな方々は全体のほんの一部だから阻害されやすく、ゆえにセンセイの出番ではないかと配慮を求めたんだけど、公有地の活用により施設側の優遇を図ることで特別な方々の入居枠を確保する取組が進むらしく...詳しくは会議録にて。

(平成28年12月23日/2313回)

電子書籍「一日一話」

「一日一話」表紙

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年12月19日 (月)

有馬記念

姿は見えずとも焼き芋の売り子が如く耳に残れば...。話題に上がってなんぼの世界にて口コミ評判にでもなればしめたもの。一軒一軒訪ね歩くこちらを横目に国会議員のセンセイともなれば車上の拡声器から饒舌が流れて。機関銃に火縄銃で挑むようなもので非効率的であることなどは承知の上だが、地べたを歩けば草木に微かな気づきを得ることもあれば、時に縁側の座布団に茶でもいただきながら...。

「まぁどうぞ」と大正生まれのおばあちゃんに席を譲っていただいた。齢九十ともなれば押し売りが通じる相手でもなくたわいもない会話を交わすだけなのだが、それでも不思議と覚えているもので。いつぞやに居合わせた別なセンセイが初対面とばかりに一方的に名刺を手渡せば当人と名刺の顔をまじまじと見比べながら「知らんな」と。で、私のほうを向いてこっちは見たことある。で、肝心の名前は...まぁいいか。閑話休題。

依存症を生む元凶など認める訳にはいかんというけれども有馬記念に年末ジャンボと一攫千金を夢見てひと勝負。そんなスケベ心に勝てば勝ったで興奮冷めやらず、負けた時だけあんなものを容認した政治が悪いなどとの理屈は些か勝手が過ぎやしまいか。手を出した本人の欲が招いた災難を棚に上げて他人様に責任を転嫁しているようでどうも好かん。「蝶よ花よ、かわいいわが子に非はあらず、悪いのは全て学校の先生だ」と教われば社会の不満が募るのも当然か。

それを推進する為の会派横断的な議連なるものもあった以上は反対側にも推進論者が居た訳で己の意に反しての反対は政党政治の悲しい宿命だが、無所属の一匹狼ともなればそのへんの「しがらみ」が無い分...。あまりそんなことは公言せぬに限るが、自社の業績とは無縁の公務員の賞与議案の採決を終えた。「無縁」の理由はストが禁止された代償だとか。そんな賞与の額は民間の給与水準に応じて人事院なる官公庁から勧告がされる訳で、それだけ聞くとふむふむとなるんだけど「民間の給与水準」の定義に関しては何かと議論のあるところらしく。

で、同時に自ら、つまりはセンセイ方の賞与も勧告に従って議決されてきたんだけど、こと近年は無所属のセンセイ方の一部に反対する向きもあるようで。こんな御時世にあっては貰って当然などと諸手を上げてともいかず、そりゃ自らの賞与を自ら承認する訳だから良心の呵責に苛まれつつ採決を迎えるんだけど、反対側とてそれほど気に要らぬのあれば支給を御辞退すればいいのだが、自主返納は制度的に出来ぬ仕組みになっているとかで、結果的には反対者を含む「全員に」「全額が」キチンと支給されていて...。

あくまでもあまのじゃく的な見方だけれども最終的にそうなることを見越して「あえて」演じているとなれば虫が良すぎやしまいかと。それでいて私は反対したが彼らのせいでなどと吹聴されては依存症の口上と何ら変わらぬ。かの哲学者ニーチェの著作に偽善者の功罪を説いたものがあるとか。悪人以上に偽善者は厄介なものではないかと。

(平成28年12月19日/2312回)

電子書籍「一日一話」

「一日一話」表紙

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年12月15日 (木)

没後百年

没後百年の命日がこの9日だそうで、はからずも当日に「漱石の思い出」(夏目鏡子著)を読み終えた。というか正確に申し上げれば当人の生涯を描いた作品にて晩年の死期が近づく日付がちょうどこの頃のものでもしや...と重なったって話。文豪に寄り添った伴侶の視座は鋭く、文章も秀逸にて本人の人となりが窺い知れる名作ではないかと。

そう、女性といえば「赤木舞&楠木由希子 クリスマスコンサート~バッハからドビュッシーへ~」に顔を出した。やはり極度の緊張の中に身を置いていると癒しが大事で...えっ、大して疲れているようには見えない?そうだナ。どこかで聞いた名前は前回の県議選の候補者にて当選こそ叶わなかったものの、手のかかる教え子ほど捨てがたい担任が如く...。既に時効だけど、いやはやこれがほんとに大変だったんだ。

うちの選挙区には保守系無所属の現職県議が居て国政などでは連携を図っていたもんだからいっそ会派入りでもと秋波を送ったものの意思固く、ならば...と上の意向で奔走したのがうちの代議士と今は亡きOセンセイ。候補者の選考に名を連ねぬかとの配慮をいただいたものの、そもそもに選考されるのはやぶさかではないけど、選考する側なんてのはまっぴらごめん。浅学非才の身にてそれだけの眼力がある訳でもなく、そんな他人様の人生に責任を持てんからね。

丁重に御辞退の上、決定には異論なく従うと誓約しといたんだけど、悲しいかな回りはそう見てくれないから。アイツは現職県議を応援するつもりだなんて陰口を叩かれてね、嫌なもんだよセコい連中ってのは。所詮は物事を斜めにしか見れないヤツらだから人を蹴落とすことしか考えちゃいない。で、肝心のOセンセイが志半ばで倒れちゃったもんだから支部長の鉢まで回って来て、すったもんだの挙句、擁立が決まって一件落着のはずが、その後に懐妊の知らせが届いて...。

妊婦とあらば自ずから(選挙の)活動は抑え気味になるし、万が一、石につまずいて転びやしまいかと足元ばかり。当選すればしたで乳飲み子の育児抱えて政務が出来るかって批判は必至。が、既に決定した手前、懐妊を理由に辞退させたとなればそれこそ権利侵害だなどと言われかねず、既に結果を言い渡した予備候補を招集して再選考なんてのも...。

退くも進むも地獄の状態にどうするんだと紛糾する会議。何てったって支部長だからね、何か言えよの冷たい視線。そんな沈黙を破るように発言したのがおらがセンセイ。「本人の意向でよかろう」と。で、本人に意向を聞けば「やる」というんだけれども大きな腹を抱えての選挙戦は何とも。「二兎は追えぬ。選挙は二の次でまずは赤子だ」などと当時は失礼千万を申し上げたんだけど、落選後などはショックで流産せぬかと心配は尽きず。

あれからまもなく2年。SNSの子育て奮闘記を時折お見かけするんだけど、演奏会の当日は元気な子供と御主人の姿も...。そういえば、おらが後援会長もいたナ、性に合わぬと照れくさそうだったけど。そんな演奏会にて遅ればせながら略歴に目を通していたんだけど、音大講師のかたわら小中学校や病院等における演奏・企画等の地域音楽活動にも積極的に携わっているのだとか。人を幸せな気分にさせてくれる演奏家ってセンセイよりも...これ以上は言わぬが、その御活躍は何より。

(平成28年12月15日/2311回)

電子書籍「一日一話」

「一日一話」表紙

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年12月11日 (日)

柚子

「たわわなる木に隠れてや柚子ハサミ」と一句。富士山の麓で開催された第3回「ゆずの里クロスカントリー&絶景ウォーク」32kmを完走した。中央道と東名道を結ぶ中部横断道の完成が待たれる山梨県富士川町は柚子と富士山の眺望が自慢だとか。何もTOKYOマラソンだけがマラソンじゃない。500名足らずののどかな大会には欧米人のランナーが目立つ。

軽井沢の魅力を世界に広く知らしめたのがA.C.ショーであるようにその土地で暮らしている人には気付かない魅力が日本には埋もれていて。早朝こそ辺り一面に幻想的な川霧が立ち込めるもスタート時には晴れ渡り周囲の山々の稜線が浮かび上がる。海抜240mのスタート地点からコース最高点940mまで山道を駆け上げる。大自然の山々の中を駆け抜ける爽快感の一方で疲労度はフルマラソン並み。

十谷(じゅっこく)温泉郷の門外不出の名物ほうとう鍋「みみ」をいただき、温泉に浸かりつつ、行く年を振り返り一年の疲れを癒す。そう、初挑戦の河口湖マラソンも富士山を見ながらのスタート。あれから20年、今もこうして走っていられるなんてのは恵まれているよナ。

閑話休題。見れば踊る「婚活」ならぬ「政活」の文字。他市といえども目にすれば陰鬱になりかねず、気が失せてすっかり遠ざかってしまったけれどもいつぞやの朝刊に「答弁調整」の功罪を論ずるものがあって珍しく読ませていただいた。市議は本会議前に市側に内容を伝える。市側は内部で回答を検討し、結果を市議に示す。納得いかねば再度...を繰り返し、当日の台本が完成する。

万事抜かりなく石橋を叩いて渡る役所文化と役所に恩を売りたい市議側の妥協の産物。予め用意された原稿を読み合う本会議を学芸会だと揶揄した識者がいるとか。まぁ台本があるのだから確かに緊張感には欠ける訳なんだけれどもそんな識者の忠告を忠実に実行したつもりが...。

事前通告なしの早口言葉、返答に詰まる相手に飛び交う野次。過去の経緯を顧みれば対立抗争やむなしで、敵側にも報道されぬ姑息な面が「多分に」あるだけにその忸怩たる怨恨は分からんでもないが、そちら贔屓の私とてさすがに擁護はキツい。その台本がどんな立派な内容であったにせよ、世の注目は「いやがらせ」という謀略にのみ向いてしまう訳でそもそもに論ずる土俵が違うのだが、その土俵でやるにせよもうちょっと世間をあっと言わせる技位は見せれんものかと。

「答弁調整」などと申してみても所詮は「オレに恥をかかせるのか?」との局長の面子か、昇進の為の部課長の点数稼ぎが根底にある訳でその為に夜討ち朝駆けで追い回されてはかなわん。こちとらどこぞのセンセイと違って浅知恵があるもんではないから大まかな内容を口頭で「ゆっくり」伝えればキチンとメモをとる相手。「では...」と別れ際に一言、「今の内容をペーパーで貰えぬか」。あくまでも「物的証拠」がなければならぬ意味とは。「答弁調整」以上に「物的証拠」こそいらぬと思うのだが...。

(平成28年12月11日/2310回)

電子書籍「一日一話」

「一日一話」表紙

| | コメント (0) | トラックバック (0)

«SL広場

 
自民党
山崎なおふみは自民党の議員です
自民党ホームページへ
KAWASAKI CITY
山崎なおふみは川崎市の議員です
川崎市議会のページへ