なおログ[Blog]

2018年5月25日 (金)

親子

子を見れば親が分かる。親に無事を報告するのが何よりもの親孝行と帰郷したはずも母の日のモノが無いではないかと「督促」があった。用意せぬ子も子なら督促なる実力行使に及ぶ親も親にて郷里を発つ際に渡された餞別代を新札にして一筆添えてモノとして送り返せばメールの返信に御礼とともに仏前に供えたとあった。子煩悩な母親と親不孝な息子の応酬は下手な漫才よりも...。

他人様の話を聞く際には相手の目を見てとの教えに目はあってもそこには向きにくいはずなんだけれども初対面でそこを見抜くとはなかなかの人生達者。小料理屋の女将に「耳」を称賛された。どこぞの市長なぞは自らの苗字に聞くことの重要性をかけて勝手に名乗っとるそうだけどこちとら卒寿にならんとする御婦人に過去に見たことがないと言わしめた正真正銘の福耳。が、いかに形良くとも相手の話が右から左では...やはり聞く姿勢に勝るものなし。

たまたまの雑談に耳にしたのだけれどもおらが役場の運動会が催されたとか。文字と数字のにらめっこではいい仕事は出来ぬ。どんどんやるべしであって何なら呼ばれもせぬが応援にでも。こと近年は花より団子、綱引よりも酒盛?行くに手ぶらありえず、一升瓶片手に...違うか。最近などは耳以上に胴回りの貫禄目立つ市長なんぞもちゃんと種目に参加しとるのかとの問いに口ごもる相手。んな高みの見物などしとらんで徒競走でビリとか転ぶとか恥をかかねば緊張はほぐれぬ。部下からは言いにくいだろうから来年は私が鈴を付けると豪語してみたものの外弁慶な性分にて。いや、その前に選挙ありますゆえ鬼に笑われぬよう。

さて、子の運動会。弁当が母親ならば応援席の確保は父親の仕事。そこに「一応の」指示があったはずで早朝に自宅を出ようとすれば早過ぎやしまいかと妻。籠の鳥ゆえとは言えなんだ。こちとら家から出るのが目的で席の確保などは二の次なのだからゴール前とか通路の最前列などは他に譲って二列目後方の木の陰に陣取れば隣の保護者も意図同じらしく目が合って軽く挨拶を交わした。開会式の校長先生の訓示さえ聞けばあとは弁当の到着を待つだけと仰向けに目を閉じてみるも子の着順位は知らねば帰宅後に顔が立たぬ。そこだけはと席立つも微動だにせぬ隣人。上には上がいるもんだナ。

そう、運動会の花形は何と言っても応援団長。昔であれば何となく体育会系のまとめ役的な候補者に絞られるんだけど昨今などは他薦よりも自薦。中には私学受験を前に内申書の為に親が指示する家庭もあるとかで〆切迄に手を上げた生徒数は14。全学年中、抜けてデカい体躯の持ち主O君などは一見ガキ大将的存在に見えなくもないのだけれども周囲への気配り欠かさず、縁の下的な役回りに徹し続けた六年間。そんなO君が手を上げたと聞いて当選を祈っていたのだけれども。

迎えた当日、最後の晴れ舞台とあっては子の種目以上に見逃せぬ。応援合戦を見届けて会場を後にした。ちなみに後で知ったんだけど隣の保護者って...。

(平成30年5月25日/2431回)

電子書籍「一日一話」

「一日一話」表紙

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年5月20日 (日)

部活

委員長とあらば従来の資料以外に「特別に」用意される台本。軽く折られた右隅は頁をめくりやすくとの配慮か。当日の発言は会議録に残る訳だから予め台本があったほうが相手方にも好都合にてそちらさえ手元にあれば委員長なんぞ誰でも...違うか。

そう、こないだなどは委員から新たな制度の創設を求める意見があって、一方では既存制度で事足りると慎重派。十分か否かなんてのは価値観の違い、勝手な解釈の類であるからよほどの不都合でも無い限りは万事慎重派に従ったほうが無難なんだけれども多勢に無勢と妥協を迫られる相手。シナリオは二つ、双方譲らず両論併記か、全会一致の合意を目指すか。

裏工作が奏功して提案者に譲歩いただく格好になったものの、当日の台本には(既存の制度が)「十分に」整備されていることから新たな制度の創設は...云々とあった。おい、既存の制度では物足りぬとの相手の意図を斟酌せずに鬼の首を獲ったが如くの表現は厳に慎むべしで、当事者にヘンな意図は無かったんだろうけど、副詞一つが命取りになりかねず。何よりも手前味噌っぽく見えてしまうもんだからなどと勝手に割愛させていただいた。「一応」台本にも目は通しておりますゆえ。

さて、知人が仕掛け人の一人なんだけど、自転車のトークイベントが好評と聞いた。その一因は「弱虫ペダル」(渡辺航原作)なる漫画だそうで、アニ研ことアニメ研究会の復活を目指すアニメオタクの主人公が部員の獲得を賭けて自転車競技の勝負を挑む。アニオタと自転車?そう、アキバに通う移動手段はママチャリ。数十キロの道程を苦もなく毎日往復すれば自然と磨かれる筋力。オタクの執着恐るべし、と、まぁその乖離が何とも魅力のスポ根モノにて没頭しとるのだけど...。

ということで本題。アニ研に限らぬ部活動の危機。当時は当然とされた部活動も昨今は希望者の減少以上に顧問の成り手が見つからぬとか。確かに対外試合の遠征に土日早朝の練習とあっては休みも取れぬ。学校が関与するとなれば顧問は必須、名ばかりといえども万が一の際には責任を問われかねず。昨今などはとりわけその風潮が顕著にて、ならばハナから関与せぬほうが利口という理由は分からんでもなく。そもそも学習指導要領には自主的な活動とされてるのだから関与せぬとの選択肢もアリなんだろうけど、やはり「部活」ってのは特別な響きがある訳で問われる学校の姿勢。

が、本市など輪をかけて地域教育会議なる仕組みがあって、それは「全国初」と高らかに謳い上げられているんだけど、学校教育と社会教育の連携を狙った住民参画組織だとか。保護者と学校の信頼なくして教育は成り立たず、その理念こそ賞賛されるべきものなれど、こと近年などはやはり部活動が如く学校側の消極的な姿勢が目立つのだとか。で、相手の言い分に含まれるのが教員の更なる負担は「働き方改革」に逆行すると。

部活動はあくまでも任意ながらもこちらなどは市が積極的に勧奨する施策の一つのはず。同じ指揮官の下にあって方や旗振れど他方は及び腰では混乱する現場に募る不満と不信感。少なくとも子供達の為に無償奉仕で尽くそうとする保護者の意欲は削がぬよう、学校現場と教育委員会の本気度が試されている。

(平成30年5月20日/2430回)

電子書籍「一日一話」

「一日一話」表紙

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2018年5月15日 (火)

山伏

一般のロードならぬオフロードの山野を駆け抜けるレースにて登山が如く上がりきって視界が開ける達成感、新緑に囲まれつつ走る爽快感の魅力に駆られて申し込んだ久々のトレイル。

調整つかず前泊を断念した翌朝の起床は午前3時。眠い目をこすりつつ一路向かう目的地は山梨県道志村。朝7時の号砲に制限時間は10時間、つまりは夕刻5時迄にゴールを目指す。距離は44キロ。肉離れの後遺症かふくらはぎに若干の違和感を覚えつつも仕上がりはほぼ万全。フルマラソンの完走タイムを5時間前後とすれば楽勝とはいわぬまでもさすがに制限時間内にはとの目論見に...。途中関門の制限時間に間に合わず初めての途中棄権。平坦なロードであればまだ十分な余力残るもほんと過酷なレースだった。

横軸に距離、縦軸に標高が記される比高図によれば累積標高、つまりはコースの上りのみを単純に足した累計は2千m以上。そのへんも知りつつ挑戦したんだけど相次ぐ誤算。誤算の一つは距離。44キロってのはあくまでも平面距離であって長方形の対角線が如く距離は間延びする訳で単純に正方形ならば約1.4倍。倍とはいわぬまでもそれ近くの距離を走らねばならず。が、距離の長さは慣れているから何とかなるんだけど、いかんせん坂というよりも「急」坂。

スキー場の最難易度コースが如く見下ろして躊躇するような坂が時々ならばまだしもそれが大半とあっては走るよりも歩いた距離長く。無謀にも直滑降で降り始めればぬかるみに足を滑らせてそのまま数m。道の脇のロープを目にしたのは転倒後にてどろんこまみれの状態でゴールを目指す。山伏峠なんて名が残る位だから地元にとってはまさに神宿る霊峰。樹齢百年以上の古木に不自然な大岩など目にすれば神々の裏庭に見えなくもなく、そんなコースを走れるとは何とも贅沢な機会。最高峰の山頂の祠に手を合わせて御当地の安寧を願った。

横浜市の水源とは存じ上げていたものの豊かな自然に恵まれた御当地の水に渇いた喉が潤され、棄権者用のバスに揺られて着いたゴールで食べた地元の御婦人方による特製うどんが抜群に旨かった。ほんとボランティアの方々も親切でまさに村ぐるみの歓迎ぶり。やはり未知の領域に挑戦するってのはいい刺激になるとともに、勝って得るもの以上に負けて得るもの多く。落胆もつかの間、早速に帰路の本屋でその手の本を立ち読み、脚力さえあれば何とかなるとの認識は甘過ぎたことに気付かされる。さすがにそのまま帰る訳に参らぬと手にした一冊。

「までい」とは「丁寧に、心を込めて、大切に」を意味する方言なんだけど、避難生活を余儀なくされる「までいの村」の方々を訪ねたのが数年前。ほんと温かく迎えて下さってね。村の一部を除いて帰宅困難区域の避難指示の解除からこの四月でちょうど一年。そこに至るまでの市長の苦悩と挑戦が綴られている『「までいの村」に帰ろう』(菅野典雄著)を妙味深く拝読させていただいた。

うちの事務所に御礼の手紙とともに写真が飾られていて。随分と色褪せてきたんだけどみんな元気かなと。

(平成30年5月15日/2429回)

電子書籍「一日一話」

「一日一話」表紙

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年5月10日 (木)

遠隔

そりゃ与えられた権利なのだから堂々と行使して何ら後ろ指さされるようなもんではないはずも気になる周囲の視線。公私境なく有休なんて概念すらないのは給料ならぬ報酬で禄を食んでいる賜物か。勝手にのれんを下ろしちゃえばそうなる訳で曜日を選ばぬのがせめてもの。大型連休なんていってもあの大渋滞に割高な料金を請求されては気も失せる、ならば、と思い立ったはいいけれど、家族すらも連れて行かんのに一人だけなんてのは...。

父は既に他界した身なれど大正生まれの祖母が健在にて様子を見て来るなどと適当な理由を付けて家を出た。いや、適当などと申してもその齢になればどこかしらに歪が生じる訳で既に用具なくば自力では歩行困難な状態にて施設の世話になっているんだけど昨年末に不意に転倒して顔面殴打、別人が如く...などと受話器向こうの母の話を聞けば気にならぬものでもなく。まぁ昨今などは老人介護施設に限らず園児施設や小学校にカメラを置いてくれれば遠隔といえども、と求める保護者がいるとかいないとか。動物園ぢゃあるまいに。

さて、途上国といえども急速に広がるスマホ社会。世界人口80億人の大半が「繋がる」社会が目前。「繋がる」ことで誰もが必要な情報を入手し、自ら発信する時代。それを「第五の権力」と称しているんだけど、前掲の著に描かれる近未来図。夢物語と疑うなかれ、既に教育の分野などでは一流の講師による授業が「無償」で提供されとる訳で塾すらも画面と向き合うとか。いつでもどこでも誰もが最高の授業を受けれる中において生徒が教室で全員一緒に学ぶべきこと、教師が果たすべき役割、学校の意義とは。

それに限らぬと反論を試みても好むと好まざるとに関わらず押し寄せる時代の波。一方では硬貨の表裏が如く「繋がる」ことで迫りくる脅威。どれだけ巧妙に改ざんを重ねようにも履歴残るITの世界では隠せぬ過去の不都合。そりゃ役所に限らず個人も同じ、上の一存で携帯が盗聴器に変貌する監視時代の到来に位置情報や操作履歴すら当人の意志とは無関係につまびらかに「なる」というか「なってしまう」訳で。今やそれ抜きには社会を語れず今後も然り。想像を掻き立てられるというよりも鋭い洞察に深く考えさせられる珠玉の一冊、とりわけ為政者には。

そうそう、肝心な旅の目的。転倒のあざこそ残らぬものの突然の面会に鳩が豆鉄砲をくらったようにキョトンと。私の顔を見てしばし思案した後に弟の名を呼ぶとは認知症や恐るべし。それでも話せば気づくのだからまだましか。ひと昔前であれば医療と介護は非なるものにて医療の範疇にあらずと断られた訳でどれほど制度に救われているか。

対価を支払っているとは申せ、その程度の利用者負担で本来であれば家族が担うべき役割を負っていただいているのだから礼は尽くさねばならず。そんな機会に垣間見る介護の現実。日々枕高く寝られるのも彼らのおかげであって餅は餅屋に限る。何も出来ぬ親不幸を恥じつつ、祖母との会話も手短に何よりも気分よく職務に従事いただけるよう職員の労をねぎらって帰途についた。やはりメールでは意は伝わらぬ。

(平成30年5月10日/2428回)

電子書籍「一日一話」

「一日一話」表紙

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2018年5月 5日 (土)

逸翁

折角の誘いを断るに忍びず、了としたものの、その日「だけ」の雨予報に憂鬱な日々。安からぬ支出を伴うだけに中止の報でも来ぬものかと淡い期待を抱いていたのだけれども...。

今日はこんな空模様ゆえ途中の昼食代は私の負担で、との大御所ぶりに「ならばステーキでも」と隣人。そう、そんな時ほど遠慮しちゃイカン。が、そんな善意が通じてか雨上がり、残った風とて疲労癒すに十分で絶好の日和に悦に入りたいところだけど伸びぬ成績。風雨に寝不足、役所が如く出来ぬ理由を探してみるもさすがに「同伴者」って訳にも参らず...。

腕が腕にて球は選らばぬも種目に私なりの敬意を表して初回のみ用意する新品球。紛失すればさっさと別な使い古しを使用するのだけれどもこれがどうして森に入ろうが池に落ちようが遭難せぬ上に芝生上でも「右に」流れて。第四十一代就任祝なんて文字とともに似顔絵が描かれているもんだから顔を上にコノヤローと振ればチョロチョロと。原因はこの球だナ、失礼。

そう、詳しい経緯は省くが、少し前に妙齢の女性と観劇を御一緒させていただいた。些か自慢めいた口ぶりだが、以前も別な方に誘っていただいて...まぁそんな話はどーでもいいのだけれども日に数回の公演が大入完売ばかりかあれだけ熱狂的な支持者を獲得するのだからその戦略たるや。名と功績位は知り得るもいかにしてその境地に辿り着いたか知るは生きる糧になる訳で早速に「逸翁自叙伝」を読んだ。「逸翁」とは当人の雅号。自伝ってんだから自らに都合よく描かれているにせよ今日を見れば凡人には到底かなわぬその端倪すべからざる才能は誰しもが認めるところ。

当人の偉人たる所以の一つは劇団のみならず荒野に鉄道を敷設して苦節数十年、後発ながらも他の私鉄の追随を許さぬ確固たる地位に到らしめた手腕にある訳で、今日でこそ沿線開発と魅力向上などといわれるけど先駆者はやはりこの御仁ではなかろうか。当人曰く「鉄道といふが如き種類の事業は、眼前に必要が差迫つて来て、直ちに敷設せよといふが如く、足元から火の出るやうに建設すべきものでない、時勢を達観し其将来の必要に」と。

その慧眼達見も然ることながら秀でた文才は自ら文学少年と自称する少年時代の賜物か。天賦の才なんてのはほんのわずかで文才を磨くに経験は欠かせず、そんな同氏の興行論が秀逸で「興行というものは舞台の上の役者の芸を見ていると失敗する。この芝居が面白いか、当るか当らぬかは、二階の一番奥のお客様の様子をジッと見ていると、間違いのない結論が出て来るものだ。あのお客様たちがほんとうの芝居好きで、彼等が他を顧みている時は、必ず損だよ」と本人の談。

さて、地元のM平どんから寄席のチケットが届いた。御当地では今年も芸術の祭典アルテリッカしんゆりが開催中。いづれも好評と聞くも日時折り合わず、仕事帰りに映画「ゴーギャン タヒチ、楽園への旅」を見た。そちらは断片的な知識しか持ち合わせておらんもんだからこれを機に西洋美術史を深掘りしようかと久々に没頭しとるんだけど奥深く新たな発見が少なくない。

(平成30年5月5日/2427回)

電子書籍「一日一話」

「一日一話」表紙

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年4月30日 (月)

名刺

どこか郷愁を誘うしゃぼん玉は春の季語、と最近知って「睦まじきもてなし受けて石鹸玉」と詠んだ。

肩書負けしてしまうからいつもそっと隠しているんだけど仲介者に紹介されてやむなく渡した一枚の名刺。「知らねぇよ」と放り投げられてしまった。周囲が凝視する中、恥を忍んで拾い上げ、新たな名刺を手渡せば「知らぬ」と再度宙に舞うこと三度にしてようやく。が、転んでもただでは起きぬ。一時間後には泥酔の本人と肩を組んで、というか組まれて演歌を熱唱。次回は横浜の料亭Aに連れていってやるからなと。

そんな韓信の股くぐりが当人との邂逅。以来、会うたびに督促をするのだけれども酒なくば豹変して。H君なんぞは御自宅に招かれて呑めや喰えやのどんちゃん騒ぎ、挙句の果てに蔵内にズラリと並ぶ酒の中から「好きなの選べ」と特上の高級酒一本を持ち帰ったなどと吹聴しとるもんだから私も劣らぬ一本を、と機会を狙っていて。

某日の宴も酣(たけなわ)に着信があって隣の私の名を告げるや帰りに寄れと言われたとかで伺えば市街地の真ん中に豪勢な平屋造りの新居。贅沢な土地利用は代々続く家ならでは。勝手にといかぬまでも旨い酒をふんだんにいただいた上に泡酒にもその銘柄が残る伊国の「超」高級車を車庫内に見つけてエンジンを。

で、H君の自慢話を元に二匹目の泥鰌(どじょう)を狙ったのだけれどもあれは本人が酔った勢いで「勝手に」持っていったのだと家主。ならば私も勝手に...違うか。が、何よりも傍若無人な酔っ払いを相手に奥様には嫌な顔一つせず手料理を振る舞っていただいて詠んだのが冒頭の一句。また市内に何ともな御大尽を見つけてしまった。

さて、年度新たな配属は未だ無所属厳禁の総務委員会。中枢を担うというよりも単に職員録の前半に掲載される局を所管するだけという話にて特別な権限を有するものでもなくそんなくだらん慣例は最大会派の団長たる私が...といつぞやに宣言して拍手を浴びたものの未だ俎上に上がらず、というか上「げ」れず。

論客ぞろいにてじっと大人しく他人様の発言に耳を立てているのだけれども報告の一つに「川崎市シティプロモーション戦略プラン」ってのがあって、いわゆる本市の広報戦略に関するものなんだけれども他会派の質疑に耳が立った。示される本市への愛着度。課外学習にて本市の魅力を尋ねた小学生に「あるわけねぇぢゃねぇか」と大人の返事。時に謙遜などと表現されたりもするんだろうけど、好きなれど好きとは言えぬ「含羞」を含めれば悲観的にならずともと。

むしろその為に工業地帯のイメージが薄らぐことへの懸念か、「Colors,Future! いろいろって、未来。」なる現市長による市のブランドメッセージに賛意を示す。確かに汗水流して働いた労働者のあの活況こそ国の成長を支えた原動力であってそこを忘れちゃイカンなんてのは私も同感。市の魅力を高めることは会派を超えた共通の課題。現状は局長級以上に限られた名刺の公費化などは経費節約云々以上の効果がありそうな気がしないでもなく。

(平成30年4月30日/2426回)

電子書籍「一日一話」

「一日一話」表紙

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2018年4月25日 (水)

電波

通夜席ではあるまいに状況によっては余興の一つや二つ、乃至は助平話か失敗談の一つもできねば過去を疑われかねず。あちらとて純粋無垢な乙女ぢゃあるまいにその年齢にもならば異性の意図位は...。取材源の秘匿とて本来であれば表沙汰になった際に当事者の身に危険が及ぶことに対する配慮のはずが、それを逆手に隠し撮りが許されるならばそちらこそ罪悪ではないかと思うのは常識知らずといえるか。

善意が仇になる時代。いつも泣かされるオンナと薄情なオトコなんて図式が描かれるのは世の上っ面しか見とらん諸君の既成概念に負うこと大にして今やオンナのほうがしたたか、いや、正確に申し上げれば性差以上に当人の性根が大きく。不適切な関係の代償に金銭貰って相手を売り飛ばすばかりか自ら被害者なんてのはそもそもに人としてどうか。彼とて人の子、野次馬の諸君とて異性に限らず叩けばホコリの一つや二つ。御注意あれというよりも憤懣やるかたない様子にて「公共の電波の無駄」と傘寿過ぎの御婦人から御忠告をいただいた。

貪欲な性分にて同時に何冊かの本を読んでいるんだけど、その一冊にグーグル元会長の著書「第五の権力」が含まれる。第四の権力との攻防。露骨な不買運動なんてのは下であって、社内の不祥事を散々叩かれたどこぞの社長が記者会見で深々と詫びつつ表明した広告自粛に各社の白旗が上がったのは知る人ぞ知る話。正義を貫くはずの権力とて所詮は...。

一連の報道を通じて何が残ったか。あれだけ報道されれば社会の不満は増長されて支持率の低下に。ハナから狙いはそこなのだから「無駄」といわれるのも無理からぬ話で。罪人が如く徹底的に追い詰めるその行為や陰湿なイジメと変わらず子の教育が語れるか。それを理由に大臣辞任を迫るいつもの面々とて然したる功績なんぞなくして都合よく選挙で勝てるはずなく、自らの不都合を棚に上げて追及を緩めぬ以上はそれ相応の対価は覚悟しておかねばなるまいに、と思わんでもなく。

運動会が近い。ソフトボール投げ数メートルの運動音痴である息子が学年リレーの候補に入ったと聞いた。おい、そりゃ計測器の不具合か故障ではないかと疑ってみるも確かに身軽というか華奢にて足だけなら。走りは運動の基本、そこに苦手意識があっては運動そのものと疎遠になりかねず。走遊部が徒競走で早く走りたい子供たちの為の走り方教室「駆けっCoaching」を催すと聞いて久々に顔を出した。

当人の物事に向き合う姿勢に教わることが多い指南役のSさんと併走しつつ雑談を交わす。ほんの少しだけフォームを矯正するだけで見違えるほど上達するばかりか種目が好きになる。好きこそ物の上手なれ、好きになる為の動機付けは二つ。一つは試合で勝つこと、そしてもう一つは勝敗以上の愉しさを見出すこと。ほんの些細なきっかけで愉しさに気付く、苦手を得意に変える逆転の意識転換。その意識付けだけでその後の人生が好転する。独特の軽妙な話術と実践手口は万人を幸せにする第一歩ではないかと。スポーツの指導者が果たす役割ってスゴいよナ。

(平成30年4月25日/2425回)

電子書籍「一日一話」

「一日一話」表紙

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2018年4月20日 (金)

神風

何せオタクなもんだから今日もまずはそちらから。

「蒼天已死」(そうてんすでにしす)と蜂起を呼びかけた黄巾の乱は後漢末期。そこから晋王朝の建国迄がいわゆる三国志の舞台なのだけれども当時を描いた超大作の題名「レッドクリフ」にその戦いの意義が窺い知れる、赤壁の戦い。

「関羽、張飛ら一騎当千の猛将は手中なれど、軍師不在が不遇の元凶、臥龍か鳳雛かいづれかを得れば天下を獲れる」と劉備に説いたのは水鏡先生。三顧の礼を以て迎えた臥龍こと軍師孔明が曹操の野望阻止の為に授けた秘策が天下三分の計。その為にはまずは魏と呉を争わせ、その間隙を縫って蜀を獲る。

呉に迫る脅威に降伏か開戦か、劉備の使者として呉に乗り込んだ孔明の大論陣に開戦を決意する孫権。呉が得意とする水上決戦で挑むにも船団が自由に動かれては効果半減。そんな状況を察して味方を演じて敵陣を訪ねて連環の計を進言したのが鳳雛こと龐統。船同士を鎖で繋げば水上に慣れぬ北国育ちの兵士の船酔いを防げると。

「確かにそれで船酔いは防げるかもしれぬが、敵に火計を用いられてはひとたまりもない」と懸念を示す臣下に曹操が返した言葉は「風向が逆にて心配無用」。対する呉陣営、追い風吹かねば火の粉が自陣に及びかねず、逡巡する呉の将軍たちを前に孔明が口を開いた、「秘伝の術にて風を吹かせてみせましょう」。

祭壇で祈ること数日、突如風向きが変わり、乗じて攻め込んだ呉の大勝利に終わるのだけれども、決戦前夜にあって呉の冷徹な軍師周喩が囁く、「孔明とは神か悪魔か、生かしておく訳には参らぬ」と向けられる追手。種を明かせば、そりゃ秘術でも何でもなく、森羅万象に精通する孔明がその季節においても数日間だけは東南の風が吹くことを知っていただけの話。所詮はまじないや神仏の御加護なんてのは...。

そう、ついこないだ、同い年の数名を誘って酒席を催したのだけれども、その際に年回り上、今年が凶年と聞いた。「厄年は数年前のはずだが...」と聞き返せば厄年後の凶年ってのがあってそれが今年なのだとか。昨年とんだ災難に遭われた当人の誕生月は一月にて節分迄は前年と解釈すれば図星とかで貴殿も御注意あれと教えてくれた。

厄払いなんてのも誠に都合のいいものであって不幸があればあったで(厄払いを)せぬからだと言われ、されど厄払いをしたからとて不幸が無いとは限らず。凶年を知れば知ったで多少なりとも軽率な行動は慎みそうなもんだけど、知らぬが仏なんて格言もある訳で。めでたさこそが自慢の種にて然したる悩みも不安も無いのだけれども相手も「善意で」教えてくれた以上は無視する訳にも参らず。

大安とはいわぬまでも仏滅はよけて参拝に訪れれば平日にも関わらず少なからぬ御祈祷の方々。神官の奏上文に知る他人様の苦悩の数々。私なんぞはそれだけで十分なのだけれども手渡される御神札と御守。粗末に出来ぬゆえ自宅の棚上に祀れば並ぶ御神札に聞こえる妻の小言。

そうそう、かねてより御当地出身の知人に話を聞いていたんだけど、折角の機会とばかりに帰路に寄った稲村ケ崎のイタメシが旨かったナ。

(平成30年4月20日/2424回)

電子書籍「一日一話」

「一日一話」表紙

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年4月15日 (日)

右翼

早朝の苦手意識こそないものの正午以降はしんどく、まぁなるべくなら御遠慮申し上げるのだけれども悪評が残ってはかなわん、汚名返上すべく翌週も向かった先は...。思想的には逆なのだけれどもライトなんて守備位置も用意された上に打順とて下位が順当に違いないけど八番とあらばよもや相手はブログの読者ではあるまいなと勘繰ってみたり。そう、肝心の成績は、四球、遊撃手失策による出塁、そして、最後の打席は二遊間を破る痛烈なヒットと雪辱遂げて球場を後にした。メッキ剥がれぬよう次週からは長期欠場か。

地元の大学生と隣合せの機会があって雑談時の話題がそちらに振れたもんだから一度挑戦してみてはどうかと勧めておいたのだけれども...。ただでさえ苦痛以外の何物でもない過酷な競技に金銭を払って挑戦するなど狂気の沙汰だと誰しも思うのは当然で中には合わぬ御仁もいるのだけれども食わず嫌いはよくない。ましてや、そんな目標なくば減量など到底かなわぬ訳で。

実はこの週末に某所でのフル(マラソン)出場を予定していたものの、初当選以来の恩人の訃報に出走を断念。参加費は勿論、往復の機代に宿泊、レンタカー、そして、延泊しての周遊計画等々のバカにならぬ違約金。受けた恩は金銭に代えられず...などといえばカッコいいんだろうけど、悪天候の予想に憂鬱だったのも事実で。ということで、久々の事務所。千客萬来の客人にあって本市所縁の偉人伝、波乱万丈の人生を聞いた。

忍びよる開戦の足音に疎開先を求めて移住する方々をよそ目に「逆に」本市に移住して医院を開業。医者以上に実業家の視点有する聖マリアンナ医大創立者の明石嘉聞氏の数々の功績と逸話に多くを学んだ。その一つに看護師向け保育園があって、当初は院内の福利厚生を目的とした先駆的な保育園も補助金が入る以上は広く一般にと開放されて...。

減らぬ待機児童。本来であれば産休・育児休暇を取得して1歳児からの入園となるべきも0歳児がそのまま繰り上がるが故に新たな余剰枠少なく、「ならば...」と育児休暇を早々に切り上げて0歳児からの入園申請が行われる事例は少なくない。が、0歳児は1歳児に比べて保育士の配置基準も厚く、そのへん産休・育休を「適正に」取得いただいた上での入園が叶えば保育士不足に悩む状況の改善が見込める他、社会的な負担は随分と軽減されるはずなのだけど...。

逆張りというか逆転の発想で状況が改善する事例は枚挙に暇なく、そちらを模索していかねば社会保障の制度は続かぬ。介護とて症状が改善すれば喜ばれるべきも支払われる報酬は減る訳で理念とは裏腹に重度化が進む実態は本来あるべき姿とはほど遠く。入居者の介護度が改善した事業者こそ、と考案された「逆」介護保険。他分野然り、餌で釣ることへの賛否こそあろうがその視点やよしではないか。

以前、支援者の御婦人から多世代同居が社会負担の軽減に繋がる御話を伺ったことがあった。その後を気にかけておられた様子で早速に御手紙を記せば、「夏のゴルフ楽しみにしてます」と御礼の手紙が届いた。

(平成30年4月15日/2423回)

電子書籍「一日一話」

「一日一話」表紙

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年4月10日 (火)

横審

およそ年度末が目途とされる役所の計画立案。が、さすがに最終週に机上配布とあっては数日後には人事異動となる訳で「おい、ナメとるのか」と詰問してみたくもなるんだけど、時に年度末が好都合なことも。

道路工事の施工前に近隣の状況を訊かれて、「喜ばれこそすれども石を投げられるようなことないはず。ましてや、あそこの御宅は市の退職者ゆえ....」と申し上げれれば、「いえ、センセイ、それが一番危険だ」と見抜いた課長の慧眼恐るべし。相手の手の内を知るだけに同意に際してアレコレと条件を付されてしまったのは新人時代の話。

親戚縁者に市のおエライさんが居たらしく「遊んでる位ならば役所で働け」と縁故採用を公言して憚らぬYさん、退職後、相当年が経過するんだけどやはり...。事務所の留守電に不機嫌そうな声が残っていて早速に翌朝に訪ねた。およそ隔日、というか定曜日の出勤に「たまたまの」欠勤が絡んだだけなのだが、三日間の事務員不在に「架空(請求)はあるまいな」と機先を制された。で、肝心の用件ってのが...。

数ヶ月前に依頼された御自宅前の道路の補修。数年前に別のセンセイに頼んだもののなしのつぶて。で、私に鉢が回ってきて二番煎じながらも受けた以上は動かねばならぬ。何とかならぬかと指示すれば、あの凹凸というかざらついた路面は転倒防止の為に意図的にされたものと返答があって、まぁ確かにそう見えぬこともないのだけれども「しばし猶予を」と担当者。そのへん微妙な言い回しにてさりげなく「困難」と市の意向を伝えておいたものの、突如、実施する旨の連絡があったそうで。

そのまま放っておけば何ら生じぬのだけれども「どうせ年度内の余った予算で実施するんだろうから低価格での落札に手を抜かぬよう」と余計なひと言。が、敵も敵にて「我々も社員を食わせていかねばならんので」と当意即妙、機転の利いた親方の回答に義侠心に厚いYさんの心が動いた。「役所もひでぇことをしやがるな。これっぽっちですまぬが」と特別な差入があって、万が一、工事中に苦情があればオレに任せろと。で、めでたく完成した御礼にと菓子折り片手に三日間通い詰めたものの留守だったって話。実はいい人なんです。

さて、世は熟女ブームだそうで、「ならでは」の視点に教わることも少なくない。どこぞの七福神巡り二十回目の年にそちらの打診を受けたと本にあった。著者は元横審の内館牧子氏。そう、横審といえば巷で騒がれるあの話題。その手の話を知らぬものには砂の上に上がったからとて何ら変哲なく、土を踏ませろとの言い分は分からんでもないが、禁じられてきたのはそれなりの理由がある訳で。

折角の善意を咎めた対応への批判こそあれどもその一例を以て男尊女卑の象徴が如く槍玉に上げられるとさすがに異論を挟みたくもなり。稀なる事態への対応も一説によれば尻込みするオトコどもを横目に駆け付けたのがオンナだったとか。男女格差を巡る話は尽きぬが、女性が大臣になるならぬとは次元が違う話。そのへん女性軽視とひと括りにされたらかなわんと言いたいのだろうけどいかんせん厄難続きの状況にあっては物言えば唇寒しか。

およそ自らに不都合なものは何でも叩く世の風潮こそ由々しきはないかと思わんでもなく。

(平成30年4月10日/2422回)

電子書籍「一日一話」

「一日一話」表紙

| | コメント (2) | トラックバック (0)

«三振

 
自民党
山崎なおふみは自民党の議員です
自民党ホームページへ
KAWASAKI CITY
山崎なおふみは川崎市の議員です
川崎市議会のページへ