なおログ[Blog]

2019年5月15日 (水)

餃子

改選後の新旧の歓送迎会。そこに公金は一寸たりともない訳で全て自腹である以上は余計な出費は...いや、公金なら尚更です。

同じ釜にてその狙いは分からんでもないのだけれども修学旅行ぢゃあるまいに何故に寝食を共にせにゃいかんのか。まぁ「食」は譲るにせよ、「寝」とあらば気も遣う、いや、それ以上に隣の騒音に寝るに寝れぬ一夜を過ごすよりも個室のほうが「互いに」損失少なく合理的ではないかと思うのは私のみではないらしく賛同者を代表して廉価なビジネスホテルを提案したのだけれども既に役職を返上した身にて権限なく言われるがままに伊豆の温泉宿となった。

選ばぬ相手に尽きぬ話題は退屈させぬも自腹とあらばこちらにも相手を選ぶ権利はある訳で。が、それ以上に目前に迫る大会に翌日の体調に響いてはかなわぬと早々に床に臥した。相方の騒音ならぬ時間一杯、二度寝の結末なのだけれども起床は明け方四時。風呂に早く、そんな時はランに限ると宿を出た。海沿いに一路半島を南下、途中の岬で眺めた水平線から昇る朝日が荘厳だったね。折角の機会ゆえと当日はN君の郷里である沼津市を御案内いただくことになったんだけれども沼津といえばやはり「あの店」なんだけれども、今回は当人贔屓の老舗鮨屋にて舌鼓を打った。

迫る大会なんぞどこへやら、沼津といえばこれを召し上がっていただかなければと案内されし次なる店は...餃子。そう、沼津餃子ってのが最近の名物だそうで鮨の後に大十個をペロリと平らげこれが抜群に旨かった。店主は幼なじみだとかで再会を喜ぶ二人。「彼のことを頼む」などと挨拶されると果たして私が凱旋した際に彼らは同じ言葉を吐いてくれるだろうかとよぎる不安。男児立志出郷関、旅立ち許す親の尽きぬ心配。他人様に迷惑をかけておらぬか。御実家に立ち寄らばN君の母親が玄関を出て迎えて下さった。いい御家庭に育ったんだナ。

さて、子の運動会に問われる出欠。いつまでの親の庇護にあるは本人の為ならず、ましてや思春期にて...と返事してはたと気付いた、別な目的があったではないかと。戦終わらば緊張感が足りぬ。そう、他は五十点満点と思しき点数も英語だけは東大合格者に劣らぬとは妻のささやかな自慢の一つなれど中学生の保護者からこんな話を聞いた。御子息の校内試験の点数が「妻並み」なれど難問並びしか周囲とて大差なく、平均点を聞けど公表出来ぬと学校側。それが示されねば自らの立ち位置が見えぬ。同校のみならず他もそう「らしい」と保護者。

局地的な旋風収まらぬあの政党。学力テストの結果を教師の評価に連動なんてのが耳目を集めた。それを断念させた功績が誇らしげに記された文献を見かけたが、我こそは正論とばかりそこに気付かぬ、というかその弊害を意図的に伏せられては国益にならん。確かにその結果は教師の責任のみならずやはり本人の努力に負う面が大なれど、ならば責任は一切ないかといわれればんな訳はない訳で。結果は問わぬと教師の良心に委ねるは性善説にてその善意は一部間違った解釈に繋がりかねず。そこをいかに導くか。そこに教育委員会の存在意義があると思うのだけれども保護者の想いは伝わっているか。

(令和元年5月15日/2499回)

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2019年5月10日 (金)

胃袋

多読家を自称しつつも未だ機会にありつけぬ一冊に経営の名著の呼び声高いレイ・クロックの「成功はゴミ箱の中に」があって、何も成功に限らずとゴミを見れば。ペット不許可のマンションに犬猫の飼主ありなどと清掃員が隠れた情報源になったりもして。んなこと記すとやれプライバシーの侵害だなどと苦情寄せられそうなもんなれど日々同じ経路を辿らば好むと好まざると知り得てしまう訳で。何なら自らやってみなされ、夏などはもう地獄絵図に近く。

ダンボール箱にびっしりと詰め込まれた書類は全て不要物。よくもまぁそれだけ量産出来るものかと見とるのだけど、やっぱり無駄が多くなければ役所じゃない。いやいや、知らせずんば隠蔽の罪を問われ、知らせれば無駄と叱責される、かくも理不尽な村の住人が叛旗を翻さぬ訳はない訳で。んな状態を見かねてか「大胆な節約」、いわゆるペーパーレス化なるものが推進されて渡されしスマホの大判。正式にはタブレット端末とかいうらしいのだけど、んなもの持ち歩くはずもなくおらがセンセイの携帯が如く野ざらしに近い。

されど、んな勝手許さぬと今や委員会などでも机上には紙一枚なく、何よりもメモに不自由でかなわぬと不平申し上げれば付属のペンで...こんな反応悪いペン使えるか。いづれ慣れると説諭されども一向にその兆しなく。万事が「機械の故障」で片付けようとされるも原因は充電不足に入力の間違いと自らの不始末であったりもする訳で手に負えぬ。

一方ではんな鬱憤が災いして大事な審査を疎かにしとらんかと憂う一人なのだけれども情報なきは孤立しかねず、眉間に皺を寄せれば慌てた担当に私有のスマホで同様の操作が可能と教わったまではいいのだけれども件名のみ記されたメールが届いて次頁に進みたくば必要事項を入力せよなどとエラそうなメッセージが表示されて...。おい、コラ、内緒でそんなの進めるんぢゃない...と詰問すれば、昨年の団長会議の議題にちゃんと。

さて、連休明け。数年前であれば忙殺されし弁当の手間も今や給食。手抜きとは言わねどその負担は随分と軽減された上に「温かく」て「旨い」と評判上々。親が作るが当然と古い価値観を振りかざしてみても軍配は明らか。隠さずと私などは弁当派の確信犯だったからね、正直、票にはなると知りつつも諸々の視点からその実現を懐疑的に眺めておったんだけれどもさすがにここまでの効果とは思わなんだ。尚且つ、他都市の動向を注視するなどと慎重姿勢を崩さぬ役人の世界において機先を制しての実施は珍しく羨望の的だとか。

議会が承認したからだなどと自らの手柄が如く吹聴しとる輩もおるそうだけどそりゃ反対出来なかっただけの話で「消極的」賛成。安からぬ負担を被る格好にはなったけれども出産は苦などとの認識が蔓延しては成長を阻害しかねず、やはり子育て世代への投資は惜しまぬに限る。息子の入学に間に合いし「現」市長の英断に中学校のみならず次なるは高校も、と請いし相手は...。やはり胃袋ってのが肝心なんだナと。

(令和元年5月10日/2498回)

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2019年5月 5日 (日)

令和

汗はかけども手柄は他人。脚本の労は厭わねど舞台を譲りし最古参。引退の花道といえば粋に見えるもこちとら目立つは好かぬ性分に一計を案じただけなのだけれども当日は手元の原稿に予定されておらぬ謝辞が盛り込まれ、台詞そのままに公開された会議録を見つけた。私が提案者を代表して読み上げた陛下御在位三十年の奉祝決議も全会派の賛同集め、平成最後に相応しい定例会では無かったか。

令和奉祝、正確には天皇陛下御即位慶祝の記帳を終えた。本来ならば正装に身を包み、皇居参内するが臣下の礼なれど、陛下御自身も述べられておられたようにあくまでも「象徴」ですし...。休日といえどちゃんと区役所には記帳所が設けられていて守衛の方が丁寧に対応して下さった。元号改正といえば御崩御後の失意の中に迎えた平成の体験に国全体が喪に服すというか万事自粛の風潮に数ヶ月を過ごした記憶しかないのだけれども先代が御健在とあらばやはり祝福の中で連休を謳歌しなければと思うのは私のみではなさそうで、元旦というか年初はどこぞのセンセイからの誘い受けて何とも贅沢な一日を過ごさせていただいた。

さて、十連休。大型連休とは中々時宜に適ったというか、新年度からひと月。小休憩に適した頃合いな上に新緑の季節とあらば永田町のセンセイ方も外遊となるのも頷けなくもなく。されど、旅行とて単身ならまだ「多少は」一考に値するも平日とは比較にならぬ破格の料金体系に家族全員分の負担とあらば手が届かぬ上に何を好んでかあの渋滞はかなわぬ。やはり良心的な料金体系を堅守する鉄道にて近郊の日帰りあたりが適当かと子供に付き合うことになった。

で、向かった先は...市川市東山魁夷記念館。横浜市に生まれ、北欧の大自然に魅せられ、晩年は自然残る長野県の所縁深いは知り得ていたものの市川市とはこれいかに。上野の美術館など混雑でかなわぬ、都心から離れた郊外に建てられた西欧風の瀟洒な建物と作品の数々は春の散歩に最適か。展示された歩みの中に唐招提寺の襖絵が巨匠の作と初めて知った。

唐招提寺といえば開基は唐の高僧、鑑真和尚。当時を描いた井上靖氏の「天平の甍」の描写は秀逸と思うのだけれども遣唐使に託された招聘の要請に立ちはだかる荒海の壁。まさに命がけの決死の渡海を躊躇する弟子たちを前に「誰か行くものはおらぬか」と鑑真が問うこと三度。固唾を呑んで見守る静寂の中に声が響く、「ならば私が行こう」。数度の失敗に視力失うも六度目の挑戦にようやく辿り着いた鑑真の功績は小さくなく。

「文明の衝突」を著したサミュエル・ハンティントン教授の考察に従えば隣国とは文明を異にするわが国において漢籍ならぬ自国の古典からの出典を歓迎しつつも編纂はちょうどその頃だそうで。出典のみに留めおけばいいものを人の口に戸は立てられぬ。知らず聞こえてくるこぼれ話は耳障りのいいものではなく。皇室の弥栄と新たな御代の天下泰平を祈りつつ、大型連休を...それにしても長いナ。

(令和元年5月5日/2497回)

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2019年4月30日 (火)

公僕

演説に勝る運転。が、それ以上に性に合っているのが...。

前の歩道と側溝の破損著しく歩行者に危険との理由から補修依頼をいただいた。さりとて、会社側の都合にて往来する大型車両の負い目からか自己補修申し出るも土地の所有者は市にて後々こじれても厄介ゆえ仲介をと。市の土地を市が補修するは原則なれどその原因の「粗方が」私側にある際の対応。依頼受けて早速に現地を確認したらしいのだけれども、まずは依頼主から申請を上げて貰い、自費での対応を市から説明するゆえその仕様に基づいて...。依頼主にそのまま返答するに躊躇なくも「役所の対応としておかしいと思わぬか」と投げかけて受話器を置いた。

「必然的に」そこを通らねば道路に出れず、歩道を「勝手に」整備したは市。その際に大型車の搬出入は想定内な訳であって市の瑕疵は「全く」無いのか、何も好んで故意に破損させとるものではないと。市が提示する仕様とて万が一の事故時に責任問われかねず、「簡易」は許さぬとあらば安からぬ自己負担。相手とて非を認めとる以上は両成敗、いや、「おたがいさま」にて折半あたりが妥当なんだろうけど、その意思決定は私の範疇ならず。仮にやむを得ず全額の負担を求めるにせよ相手の善意を酌んであげねば批判の矛先は別に向きかねず、「だから公務員ってのは...」。

ならば私道補修はどうか。民地ゆえ知らぬなどと一方的に断じるは容易。されど、その大半は何らかの理由で市に移管出来ぬ複雑な事情がある訳で。狭い公道に接する私道。そこに乗り上げねばすれ違い出来ず、対向車との退避による破損は明らかなれど対応を指示するに示されし難色。だって、市の清掃車とて平然とそこを利用しとるに「全く」知らぬはありえん。ましてや依頼主は介護施設に通う一人暮らしの老女にてんな回答を「人として」出来るはずもなく、「役所の不始末は監督役が負わねばならぬ。ならば私が勝手に...」と言いかけて、待ったがかかった、「やはりこちらで」。そう、それが忖度ってもんだよ、ちと違うナ。

依頼主とて役所側の事情は百も承知、さりとて、止むに止まれぬ想いから陳情しとるのだから実現の有無は二の次にせよ当人の「意」位は酌んであげねば報われぬ。まずは「認知」が世の基本。ゆえに選挙とて政策の前に有権者の顔と名前。財政読本なんてのを真剣に読んどるのがおるけど...。道理一辺倒で世が回るか、法より前に勧善懲悪の価値観こそ。教科書の内容のみ教えるなんてのは人工知能で十分。法とて杓子定規の解釈であればそちらに委ねたほうがいいかもしれぬ。

おかわりの有料化に寄せられる不満は費用対効果の不釣合。旨かろう安かろうに人はなびく訳でただでさえ世間様以上の待遇に身を置いとるのだから不味かろう高かろうでは納得されぬ。改めて公僕としての存在意義を再考してみてはどうか。ん?法を逸脱して責任問われぬかって。ならば私が出て行って...そりゃ「全く」役に立たんナ。というか世の批判はそちらに向かんと思うけど。人を泣かせて安穏と生きるより罪に問われようとも人に喜ばれるほうが本望と思わぬか。思わんのが役人だったりもして...。

(平成31年4月30日/2496回)

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2019年4月25日 (木)

二歩

地元の御隠居族が芝刈りに出かけたと目撃者に聞いた。出発は朝の五時半、泊まりの遠征だとか。人目を忍んで行くにせよそんな噂は広まりやすく、私の為に本チャンの日程を避けて...んな訳ないか。ちなみに芝刈りはゴルフの隠語。

風吹かずとも善戦の地方選に対して惨敗の国政。候補者の当選に向けて続々と投入される「大物」。口コミ効果が話題を呼んで宣伝にはなるんだろうけど、それが自らに繋がるかは別、そんな御利益にあやからずとも自ら歩いて稼いだ票に勝るものなく。おらが地元とて投入される大物は私ならぬ期待の新人に向けられたもの。こちとら行かず不都合なくも送られてくる出欠の確認。

大物たるものんな些細なことに目くじら立てぬ(はず)と信じつつも意外とそんなところは神経質だったりもするもので、出席に小さい丸を付けて返信すれば「(応援は)新人に限る」と。名を覚えてもらうに候補複数が重なっては紛らわしい。そりゃそれで納得なれど大物が来るとあっては恥じぬ原稿を用意せにゃならんとかけし手間。直前に御辞退をなどと言われるならばハナから出欠の意向など聞かぬほうが...。

そうそう、いつぞやの大物の時なんぞもこちとら分を弁えて台下に陣取りしもその位置ではタスキに記された名前が見えぬゆえ二歩前にとの指示にそこまでしてこちらの名を宣伝されずと結構と途中退席...出来るはずもなく、「長官」とあらば(貴殿の名を)御存知のはずもあくまでも「念の為」との弁明に踏み止まった。

そう、事務所は人の出入りあってなんぼ、さすがに閑古鳥では運も呼べぬ。来るもの拒まずといえど代理が大半を占める中に珍しく本人が行くとの一報があった。さすがに本人とあらば粗相は出来ぬ、後援会長以下に御参集いただいて迎えしはヒゲの隊長こと佐藤正久センセイ、現在の役職は外務副大臣也。やはり代理とは違って効果抜群、改選迫る参院選前に随分と株上げた(はず)。

そう、統一地方選の後半戦。前哨戦の余勢を駆って陣中見舞い、と申しても交友狭く特段の贔屓は無いのだけれどもどこぞの候補が苦戦と聞かば協力は惜しまぬ姿勢位は示しておくもので。早速に依頼が舞い込んだ。格は違えど一応胸にバッチはあるゆえ個人演説会における応援弁士ってのが一般的らしいのだけれども「オレは政令市の...」なんてエラそうな態度は逆効果であって他人様の選挙は地味に徹するが利口。

「人見知り著しく見知らぬ地での演説は御辞退申し上げるもそれ以外なら何なりと」と伝えて示されしは選挙カーの同乗ならぬ「運転」。労こそ厭わぬも疎い土地勘に知らぬ道。そんな懸念を伝えれば「何とかなるはず」と示された根拠なき返答にさすがにその位は自らの支援者で賄えぬものかと。雑居ビルの三階、目立たぬ陰鬱な事務所に横たわる運転手と思しき満身創痍の中年男性は見るに忍びず、候補者とウグイス連れて街宣に。

都心とあらば区内に住まわぬビジネスマンが大半にて打てど響かぬ難しさ。が、路地裏に入らばちゃんと有権者は居る訳で。選挙カーの運転席から目で見て肌で知る候補者の評価は正直。深夜に「おかげさまで」と吉報が届いた。

(平成31年4月25日/2495回)

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2019年4月20日 (土)

陸連

およそ大会の申込には所属の有無を問う欄があって、それだけに何か特別な存在に見えなくもないのだけれどもまたその響きが優越感を生むというか...。スポーツ界に君臨する牙城、いや、圧倒的な存在感を誇る「リクレン」。走遊仲間の「コネ」にありついて晴れて正式登録となった。

陸連所属となったからには...と、いつでもどこでも「何キロでも」挑む覚悟にて愛用のシューズを携えて通勤するのだけれども「祝勝会」などと言われれば断れず。名目が名目だけにランを断念せざるを得ないのはやむなしも、そもそもにこちらが祝われるものなれど費用負担も当然とばかりに。当選の御礼は禁止されとるし、何よりも私が払わば買収を疑われかねず。何も支援者は区内に限らず区外とて区内以上の威力を無視出来ず。あ~ぁ、今日もほろ酔い...というか泥酔。

ランにおいて膝の故障は致命的。昨夏の夜ラン中に転倒、膝の手術を決断した当人の年齢は傘寿目前。退院後、ついこないだ復帰祝いの焼肉大会を催したばかりのはずも箱根路の完走を遂げたと聞いて所要日数を聞かば、聞くが野暮ってもんでこちとら刻みに刻んで五日なれど向こうは勿論...一日。「その年齢」で「膝の手術後」に「百キロ」を「一日」で走るとは恐るべし。

本人の不屈の精神力にも脱帽ながら人が本来備えている治癒力ってのもスゴいんだナと。進む高齢化に上昇一途を辿る社会保障費。財源の消費税とて上昇に追い付かぬ。やはり医者に頼らぬ自己の体調管理、予防の普及こそ時代の要請なんだけれども何せ当人の意識に負う面が大にして金銭伴う治療以上に障壁高かったりも。

檻から解き放たれた野獣、とは大袈裟なれど、見えない緊張からの開放感に本を貪り読んでいる。開放感と申しても選挙以上に「団長」なる役職を返上したほうが圧倒的に...違うか。蜀の統一目前に一敗地に塗れた孔明が相手を見てつぶやいた「こんな田舎に麒麟児がいたか」と。孔明にして麒麟児と言わしめた姜維が亡き後の蜀の国を背負うも...。勝海舟と西郷隆盛の歴史的会談、江戸無血開城を描いた沖方丁の「麒麟児」を読み終えた。

歴史モノは過去の文献から自ら独自の解釈を編み出す訳で描写力も然ることながら想像力や洞察力と問われる作家の力量。ゆえにたとえそこに「粉飾」があったとしても歴史に身を置く、そのような状況下においてその決断が下せたか等々、自らに重ね合わせて自己を顧みるに人としての成長があるのだけれども目を惹くは文中の斬新な語彙と独特の表現力。作品以上に関心抱く作家の来し方。

筆名の由来に文章への執着を生んだ原動力とは。注釈によれば幼少期の海外生活が日本語への渇望を生んだとか。砂漠の砂に乾いたスポンジと「飢え」こそ思わぬ威力を生むもので。次なるは「辛夷開花」以来、植松三十里さんの「帝国ホテル建築物語」を狙っているのだけれども...。迫る大会に憂鬱な日々、酔いつぶれとる場合では無さそうで。

(平成31年4月20日/2494回)

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2019年4月15日 (月)

花韮

それに連なる目的語は単に「運」というよりも「何か得体の知れぬもの」ってことなんだろうけど。そう、新語流行語から今やすっかり若者用語として定着した「もってる」。んなことを聞いては淑女の皆様に大変失礼と知りつつ聞かれる年齢...いや、過去の戦績。ウグイスに限らず不思議と幸運の現場に居合わせる人物ってのはいるもので「もしやあの人は...」。それが福の神ならば回りに害なく平穏なれど逆はどうか。移籍後のチーム低迷、コーチ交代後の不振、何かに原因求めたくなる気は分からんでもないけど。

七名の現職に挑むは無名の新人一名のみ。相手少なければ有利なんてのは幻想にすぎず、逆に多いほど選択肢増えるゆえ一定の固定客を有する現職が必然的に有利。党の公認市議は現職二人、少数混戦とあらば上がる当落線に分かれた明暗。当選に及ばぬ向こうに対して方や最上位とあっては向けられる冷やかな視線。「獲りすぎ」と申されても相手が減らしてこちらが伸ばさば狼藉者の批判を甘受するも、ともに伸ばしてこちらの微増に対して向こうが純増だからね。「たまたま」の首位に「かろうじて」大台に手が届いたってだけの話なんだけど状況が状況だけに余計に疎ましく見えたりもして。

それだけ余裕あらば百か二百でも回せばの恨み節。そりゃ予め結果が見えておればやぶさかならぬもやはり勝負事ゆえ己の後援会のゴルフコンペで自ら優勝する位の...それはおらがセンセイ。万事つつがなく天祐に恵まれただけなのだけれども諸手挙げて喜べぬ理由がそこにある。んな時こそ当人の性根が見えるもんで直前まで「貴殿の区は共に楽勝だね」などと言ってた輩に限って豹変して「とりすぎ」論に同調したりも。それこそまさに人の機微読めぬさもしい面々なのだけれども敗戦にこそ教わること少なくない。

万歳の翌朝に駅立たば冷たい雨降る中、既に立つはやはり次点に泣いた新人の県議候補。許し得て隣に立つも表情難しく冷たい雨が逆に救いだったかも。隣同士では握手求めて来る相手もどことなく複雑な面持ちに見えなくもなく。何も候補者のみならず支援者とて心境は同じ。言葉に悩む相手に気を遣わせぬ器量備わば次に繋がる訳で...。閑話休題。

統一地方選と参院選が重なるは亥年。亥年は十二年に一度なれどこちらは生涯一度の慶事。幸か不幸か子の卒業式が重なった。勿論、行けぬ、というか行くつもりもないのだけれども支援者から聞きし一言「姉妹が如く」。そりゃあくまでも後姿を評しただけの話なんだけれども世辞を真に受ける妻。「前歩く背並ぶ親子卒業式」と詠んだ句を投じれば、選んで下さったK香さんが「背の丈の親に並ぶや卒業式」でどうかと。確かに上五の「前歩く」は逡巡せしも後姿の為に...そのへんが俳句の魅力な訳で。

迫る次回の句会は吟行。つまりは即興というか予めの兼題なく当日気のままに。ちゃんと手帳には記しておいたもののやんごとなき急用にて欠席を詫び。ひと足早く庭散策の上、「派生せし花韮祝ふ得票数」と詠んだ。

(平成31年4月15日/2493回)

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2019年4月10日 (水)

天和

元号ならず、「テンホウ」と読む。一巡目の自摸(ツモ)で上がるは地和、他人様の捨て牌ならば人和。親は子よりも牌一枚多く、最初の配牌ままの和了はまさに天祐以外の何物でもなく。

勢い勝る新人に対する現職の不安。が、どう見ても有利は現職。二回目にくすぶらば以後の上位見込めぬと田中和徳センセイに教わった。報道少なき地方選、「所詮は...」と思われているかは別にして取り上げられぬ分、地道な当人の評価が如実に現れやすく。票の多寡でバッチの色が変わるもんでもないのだけれども増減は地元の耳目、役人の見る目とて「コイツは再選の目が無いゆえ適当に...」と思われても。国政ならば二位は比例復活、やはり小選挙区で当選してこそ。

人の心を掴む以上に掴み続けるは至難。順調に積み重ねて首位に肉薄、桁上の大台に迫るも挑む相手は五回連続首位を死守する難攻不落の最古参。こちとて期を重ねれば逃げる票もある訳で首位狙うは今回限りと臨んだ四年前。元旦はおらが後援会長との地元神社の参拝が仕事始めにて用意された封筒に「目指せトップ当選」とあった。賽銭箱に入らば後に誰が入れたか明らかにて願い叶わねば恥。自らに重なる意を酌み、並び大願成就を願い挑んだ桶狭間。

王者が減らしてこちらが伸びたものの「若干」にて届かず。決して手を抜いた訳ではないのだけれども悔い残る結果に動揺隠せず。「雪辱」と申してもこちとて五回連続積むはさすがにキツく、相手転ぶなんて他力本願は...。確か座右の銘ではなかったか。自ら欲す以上に後援会長はじめ地縁血縁なくともヨソ者を支持して下さった皆様方に応援した甲斐があったと喜んでいただかねばとの気概が勝ったこたびの選挙。

地元の消防団長に見込まれ未成年から駆り出されて経験した選挙は数知れぬ後援会長も今や古希。少数精鋭とは申せ、連投に連投重ねる戦に悲鳴を上げる面々に「四年に一度しかない機会にて今やらずしていつやるか」と、最終日は自らマイク片手に候補者よりも先陣を切って遊説に飛び出した。随分先からまだ声が聞こえるよと残留組。

迎えし開票。いち早く結果知るは開票立会人なれど、そりゃあくまでも「立会」が本来の任務であって厳しい監視下に置かれるから連絡など出来ぬ。昔であれば厠の窓からメモを落として外で待機中の斥候役が公衆電話に走り...。いづれにせよ結果はまだかと待ち受ける事務所への連絡役が必要なのだけれども今回は会長自ら買って出た、というか勝手に行っちゃった。その瞬間を見届ける為に。

ちゃんと告示日前、っていっても四年間に種は撒いといたのだけれどもこればかりは農作物に同じ、どれだけやろうとも見えぬ相手の布陣に当日の天気が投票率を左右する世界だけに拭えぬ不安、「当選圏内も着順は三位」などとの下馬評聞かば根拠なき予想屋による風説の流布を疑ってみるも。静まり返る事務所に張り詰める緊張感。届くメールに伝わる鼓動。「今一万だ、トップだ」のメッセージに本人の興奮ぶりが窺い知れた。

不思議とツキに恵まれた一戦。「掴んだ」というよりも「降ってきた」栄冠は天祐か。これで肩の荷が一つ下りた。

(平成31年4月10日/2492回)

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2019年4月 5日 (金)

長蛇

「(候補は)終盤戦に備えて休養を」などと優しい言葉を聞かば目から鱗...否、「涙」もそれは善意かそれとも...。候補者居らずとも選挙は回る、角さんの獄中立候補に見るまでもなく選挙制するは候補者の気迫ならぬ周囲の情熱。逆に本人居らぬほうが好都合だったりもして。「初志貫徹」なんて叫んどる候補者がいるけど似合う四文字は「他力本願」。ゆえにそんな言葉をかけられた時は「遠慮なく御厚意に甘えて」と御返事申し上げたまではいいけれど持て余す時間。

自宅の寝室と申しても布団に入らば翌朝まで起きぬこと必至、ならばひとっ風呂でもと地元の名物銭湯M湯に寄ろうものなら目撃者からヘンな風評を立てられぬとも限らず。まぁそもそもにそんなヤワなことでは野辺山百キロはおろかフルマラソンすら完走出来ぬ訳で。ふ~む、何かいい暇つぶしは...違う。

そういえば前日の駅頭でどこぞの植樹帯の枯れ草が云々との相談があったナと取り出した携帯。「ちょっとこれから」と聞かば自らの時間に不都合なくもセンセイの都合こそ大丈夫かと役所。「選挙より仕事優先」とエラぶってみたものの、居場所に困ったとは言えなんだ。急かしたつもりはないのだけれども翌日には依頼主から「早速に対応いただいて...」と、その後の文言は御想像の通り。

そう、神輿に乗る人、担ぐ人、そして、そのまた草鞋を作る人とは知れた台詞。乗るが候補ならば担ぎ手は無償奉仕の支援者。こちとら人望薄くしがない候補者にて折角の「協力惜しまぬ」との支援者の申出に不快な想いをさせてはかえって逆効果。担ぎ手の草鞋作れずとも神輿の通り道を履き清める位の雑用請け負わねば神輿は動かず。ということで、早朝の駅の陣取りはしがない候補者の宿命。なんてったってどこぞの代議士と違って秘書など居らんからね。

朝五時から寒空にじっと立つこと三時間は冬の滝行に劣らず。その後も絶叫に東奔西走の一日を終えて解散するも寝るに早く。疲労極限なれどそんな時こそ...ランに限る。何をバカなと侮るなかれ。雑念振り払われる爽快感にその後に約束される快眠。そんな悠長なことを言っとる場合ではないのだけれども定刻後も駅頭に立ち続ける候補者の我慢比べの状況を見つつ...。いや、コソコソはせぬよ、ちゃんと対立候補といえど握手を交わして柿生駅まで一時間。

さて、終盤戦の攻防。刺客送りこんでの嫌がらせはあちらの常套手段。候補者の足止めを狙った妨害行為なんぞは瞬時に見抜ける訳でほんとそんな稚拙な発想しか浮かばぬさもしい連中に同情を寄せてみたくもなるのだけれどもそれ以上に厄介なのが...。情に訴えられればそちらになびくは善人の性、「貴候補は当確にて今回はわが候補に一票を」との心理作戦。今さら票が足りぬと言われてもそりゃ自らの責任以外の何物でもなく。低迷する投票率に「投票は国民の義務」などと上から目線で訴えられても有権者にどこまで響くか。

それにしてもさすがに女子高生の人気こそ衰えたものの子供たちのソレだけは依然断トツ(ほんとの話)にてそれがそのままの成績に繋がることを願いつつ、脳裏に浮かぶ一言。因縁の宿敵を追い詰めしも突然の雷雨に孔明がつぶやく、「事を謀るは人に在り、事を成すは天に在り」と。でも待てよ、その後に続くは...。

(平成31年4月5日/2491回)

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2019年3月30日 (土)

三番

手錠の権限こそ有せずとも法に抵触するか否かの判断はこちらだけに面従腹背(いやいや腹背は余計か)、表向き恭順の意を示しておかねばヘンな恨みを買わぬとも限らず。差戻し後、「再度」の出頭にようやく承認された。差戻しの理由は氏名欄に記載された所属政党の文字が影付であってその欄には画像を用いてはならぬとの規定に抵触する、つまりはその影付き文字が画像と認定されてしまったんだけれども目を凝らさねば分からぬ違いで片道一時間の往復はちとキツい。

公職選挙法において法的に認められた宣伝の一つ、その規定には氏名、経歴以外に「政見等」とあって、肝心の政策面を伝えられる貴重な機会の一つなのだけれどもその掲載内容は各陣営に委ねられているから並ぶ美辞麗句に何ら客観性があるものでもなく、参考は過去の経歴位か。ということで有権者の投票行動を左右する最有力は選挙公報よりもやはり...ポスター。全市一区の中核市と違って政令市は各区が選挙区となるだけに当該選挙区の候補者数は十人前後にてその位ならば目移りせずに。

おらが区の公営掲示板は縦三段にて左上から人気の最上段は「一」「四」「七」。「一」は一番に通ずるとの縁起から人気高くも人の視線は左から右にて右上の「七」とて狙い目。いやいや、中央上段の「四」とて左右と見比べてもらうに...と勝手な持論尽きず。肝心の番号は予備くじを含む二回のくじで決まるのだけれども私の番号は中段ならぬ最下段の「三」。伝達時に受話器向こうから「一番下かよ」の落胆の声が他陣営に聞こえて笑われてしまった。まぁ最上段だからとて敵方から支持が寝返るもんでもなく当落に然したる影響は無いと信じつつ...。

ならばポスターのデザイン。顔が右か氏名が右か。コンピューターグラフィック、いわゆるCGなんて語彙すら知らぬ(いや、その位は知っとるナ)御齢のTさんがデザインを手がけて下さるのだけれども目を惹く工夫といっても直後に見られるは「顔」であってデザイン以上に写真が八割を左右すると。たかが二割と侮るなかれ、過去の記憶はおぼろげながらも残るもので、「そう、前回は確かこの人に...」との視覚効果を狙った一枚。

そもそもにポスターで決めるのもヘンな話なんだけど、人相ってのは意外と内面を現すもので中には「別人」が如く着色著しい候補者もいるから実物を見るに越したことはないのだけれどもその一枚に限らず当人の複数の写真を見比べると実像が浮かぶ易いかも。そのポスターとて顔に氏名のみでは芸が無い。キャッチコピーを入れたんだけどズバリ「初志貫徹」。初志と貫徹の合間にバッチってのがちと作為的に見えなくもなく。いや、事実そうなんだけど、それはふとした一言が契機。「いやみ」にならぬよう細心の注意をと伝えておいたのだけれども上品に...(でもないか)。

当落微妙というよりも落選必至の下馬評を覆した初陣。どれほどの逆境下においてもあきらめぬ姿勢こそ道を拓く。為政者とて人の子ゆえそんな一面があって当然なんだけれどもそりゃさすがに度を越してやいまいか、繰り返される離合集散。背負った看板への逆風とて甘んじて受ける覚悟なくてどうする、そんな敵陣営への当て付け含む。

区内の掲示箇所数は百五十三カ所。そして、百五十四カ所目の掲示板にその一枚を。

(平成31年3月30日/2490回)

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