なおログ[Blog]

2020年1月15日 (水)

元服

瓶麦酒を拒む相手に「よもや年頭に揶揄した私の話をまともに受けて減量などにいそしんではおらぬか」と水を向ければ「それはない」とF市長。さりとて、上司が烏龍茶とあっては部下は美味い酒が飲めぬ。

卓上の料理に残留決め込み御託並べるは苦手ならずとも飲まず食わずの秘書の冷やかな視線、人が立つ横でメシは食えぬ。後は勝手にやるゆえ結構と退去命令を下しても付き人おらねば公衆の面前で醜態を晒しかねず、やはり警護というか随行は...。いや、それ以上に長居生むは嫉妬心。酌するが臣下のならわし、そこに他意なくも、されたされぬで騒がれては厄介。これで退散するゆえ探さぬようにと念を押して会場を後にした。

馬子にも衣装、それは私というよりも役職がそうさせるのだけれどもそこに来賓として出席して祝辞を述べる、と、箔が付く。まぁそんなところなんだろうけど、ほんとに多い。会費の支出一つ役所経由で「慎重に」吟味された上で組まれる予定に傀儡子の人形が如く自由なく。ついこないだなんぞは何かの折に勝手に軽返事をしちゃったもんだから。下準備を覆して式次第に記されし個人名に変更された司会者の台本。副議長の出席とて歓迎されるも議長「も」来るはずだと。元々は副議長のみの出席にてそこに一部の混乱を招いたとか。

成人式を終えた。元来の鈍感にて然して緊張はせんのだけれども相手の時間を奪う以上は耳立たずとも欠伸されぬ内容を。幸か不幸か不況の年に生まれ、その後も語り尽くせぬ失敗の数々も今こうして舞台に立てるは人生万事塞翁が馬、「逆境にめげるな」とありきたりの挨拶を申し上げた際に饒舌が過ぎて...。あれから二十年、年齢とともに容姿変われども意中の異性は当時と変わらず「べっぴん」のまま、などと経験談を披露すれば、世の中は「べっぴん」ばかりではありませんので言動に御注意をとの耳打ちがあった。ということで、午後は内容を一部変更して。

少子化にも関らず一部の呉服屋の業績好調と聞いた。あれだけの振袖見ればさもありなん、饒舌が過ぎるのも...違うナ。買うに安からず、貸衣装との事情は分からんでもないが、それだけの数量を調達せねばならん状況に変わりなく。誕生日の晴れ着とあらば「共有」が可能なれど、その日限りの代物にてそこで投資を回収せねばならんとなれば客の足元を見るというよりも経済の必然。

些か複雑な心境なれど人生一度の晴れ舞台とあらば金銭の支出惜しまぬ旨を中学生の娘に告げれば耳打ちならぬ物言いが付いた。そこに支出する位ならば旅にでも行ったほうが...と妻。祝うは結構なれど、衣装整わず、それを理由に来れぬ新成人もいる訳で何も大勢で祝わずと昔の元服が如く親族で。そうそう、「べっぴん」ばかりではないからナ。

帰り際、道ゆく新成人に議長の挨拶を聞いておったかと尋問すれば「オイルショックぢゃなくてオリンピック」と。そう、私の生まれはオイルショックにて同じ「オ」でも、と確かに述べた。まぁそこが肝ではないのだけれどもちゃんと人の話を聞いとるではないか。何と申してもその年に成人式とはめでたい。縁起よき西暦祝ふ成人式、と詠んだ。

(令和2年1月15日/2547回)

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2020年1月10日 (金)

数珠

身内の不幸が重なっても平然と祝辞を述べるがこの仕事、と教わった。昨年に祖母が他界しとるから厳密に申し上げれば喪中のはずも百歳手前の大往生に「夏」の出来事にて。いつまでも陰鬱な表情を浮かべていては故人報われぬばかりか相手に余計な気を遣わせる訳で。喪中はがきに知る訃報に粗相を恥じつつ、届いた賀状に目を通していたのだけれども百聞は一見に如かず、いや、百文は一枚に及ばず、目を惹くは写真。

活字に出来ぬ幸福感は十分に伝わるも届く先が全て御当家のように順風満帆とは限らぬわけで、時に複雑な心境を抱かせはしまいか、旧年中の御礼に近況報告、新年の抱負位に留めおくほうが...。今やスマホ一つで「繋がる」時代に薄れゆく賀状の意義。枚数の減少に僻地離島とて配達拒めぬ宿命背負う郵便局。カタカナは不得手なれど巷ではユニバーサルサービスとかいうのだそうで。

それが事務員の機転か偶然の結果か、多分、いや、十中八九、後者なのだけれども机上の紙面に「公正さに欠けたバス路線評価」と題した記事を見かけた。寄稿の主は同じ区内のベテラン市議にてさすが鋭い視点と頷いてみたのだけれども副題に「横浜市営地下鉄3号線の延伸を考える」とあって、区内に予定されし新駅の位置巡る考察と気付く。

私の言わんとするは市バス路線の偏在。南北に細長く、私鉄ごとに形成された生活圏が本市の特徴。市の変遷見るに南から北へ開発が進んできた経緯が窺い知れる。ゆえに道路にバス路線などは圧倒的に南が優位。数珠が如き連なる車両見れば一台位は北に回しても、と思わんでもなく。高まるバス需要に路線を求めてみても民間バスの「シマ」にて参入不可能などと言われても意味分からず。株式会社とあらば利益見込めぬ路線など目もくれぬ、僻地離島を救う、というか不採算路線といえども意義ある路線を見出すことこそ公の役割ではないか。

何も大型の路線バスに限らず、コミバスで、と迫るも牙城揺るがず、にべもなく。ならばいっそ市バスの赤字路線とて廃止すべきではないかと詰め寄れば利用者の反発必至の情勢に及び腰、他路線の収益に「全体として見れば...」と。一部路線の黒字と申しても未だ一般会計から少なからぬ繰入がなされ、それでいて赤字改善の為に黒字路線の譲渡を図るは蛸が自らの足を喰うが如く。

迫り来る車両の更新に大量に採用された運転手の一斉退職。何も路線バスの運転手を中途や非常勤に求めずとそこはキチンと新卒を採用した上で市バスの運転手としての責任感を備えた人材を育成しつつ、退職を迎える運転手には同じ市バスでも中型小型の車両にてより身近な市民の足として活躍いただいてはどうか。何よりも他人様の命預かる仕事な上に市の看板背負うとあらば勝手知りたる彼らこそ適任者ではないか。支給額は現役時に見劣りするもそこは長年俸禄を受けた恩返しにと勧奨してもバチはあたらぬ。

いわゆる天下り先の確保というか省益の維持拡大こそが役人の御家芸ではないのかと市バスの将来を憂いてみるも。過去の教訓から新たな路線に躊躇する意図は分からんでもないが、それでは衰退の一途あるのみ。座して滅ぶを待つより出でて活路を見出さん位の気概があっても...余計な御世話か。

(令和2年1月10日/2546回)

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2020年1月 5日 (日)

掛軸

迫る火の手に舞われる敦盛は漫画「日本の歴史」のひとコマ。天下布武の志半ばに非業の死を遂げる英雄として描かれし作品は数あれど、歴史は勝者側の都合で作られること往々。突然の降板、代役に抜擢された女優の演技、というよりも天下の逆臣、叛逆の徒を主人公にしたその筋立て、麒麟になぞらえし題、そして、一年ぶりの戦国モノとあらば。

武家の悲運、名門に生まれ一城の主ながら落城後に国追われて流浪の客将。流転の中に見つけし主君に忠節尽くすも数々の屈辱はイジメに近く、さもありなんと憐憫の情が生じるは私のみにあらず。今日まで膝元の人気衰えぬは善政布きし証左か。秀吉の逆襲に敗北したはずの当人が生きて再び天下たる家康に、とは歴史のロマン。ひと足先に予備知識を得るべく年末に早乙女貢氏の一冊を読んだ。

正月といえば書初。そんな時だけ範を示せとの妻の指示に子の宿題の手本にありし行書体にて「温故知新」と記した。筆とらば自ずと姿勢も正されるのだけれども硬筆となると「癖」抜けず、いつぞやに字の上達について尋ねたことがあって、「ゴルフの署名然り、日頃から意識しておれば必然的に上達する」と教わった。確かに時にいただく案内状なども全て自筆であるし、私宛の伝言一つと殴り書き見たことなく。が、何と申してもあの小さな署名欄とて大事なんだナと気付かされた。そう、おらがセンセイ。

そう、例の解説を聞かねば年越せぬ。劉備が孔明の草庵訪ねるは三度、こちとら近所ゆえ然したる手間ではないのだけれども門叩くこと三度にして晴れて面会、判読の結果を拝聴と相成った。雅号は「白洲」、三字対句の片側は「至誠心」。が、一方の最下段の字が読めぬ、いや、それのみならず他にも、と。老境の書家を以てしても読めぬとは恐るべし草書。

解説に今や実用性は薄く一部書道家による芸術的表現と見かけるも草書とて手本というか型はちゃんとある訳で。その手本通りに記して下されば然したる不都合はないのだけれども雅号有する書の大家とあらば我こそが手本とばかり、そうやすやすとは読ませてくれぬ。床の間の掛軸とて楷書とあらば大抵読める。が、そう安易では悲しいかな記憶には残らず。やはり後世も話題に上がる為には慣れぬ草書、それもあえて「捻り」を加えた作品に...との意図が働いたとしても。

そうなるともはや読字というよりも謎解きに近く、解けねば意地でも...と。誰しもそんな時に遭遇する可能性はなきにしもあらず。掛軸に恥かかぬよう。そのへん漢字なるもの上手く作られていて一つの手がかりは部首。が、流麗であるが故に点一つ上の字か下の字か、下に付かば「ウ」冠も上に付かば「ワ」冠。されど判読できねば次なるは前後左右の字。対句である以上は左右や韻に手がかり求め。

結果、「花開孝子家」「相洲▲▲徳」香雲白山起」「花雨憶天来」ではないかと。▲は判読不明。一枚に四句記されれば五言絶句となるのだけれども襖一枚に二句、いづれもその脇に雅号の署名押印付きとあらば五字の対句が二つと解釈すべきではないのか。いや、両端の上の漢字がいづれも「花」は偶然か、起承転結を鑑みれば...と悩み尽きず。先人との知恵比べに日頃使わぬ脳を使っている、かも。

(令和2年1月5日/2545回)

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2019年12月30日 (月)

散髪

相手に不快感を抱かれなければ...。元来、無頓着な性分にて然してこだわりないのだけれども節目は節目。以前であれば大晦日と相場は決まっていたのだけれども同類多く、待つは億劫な上に昨今なんぞは働き方改革か店主の気まぐれか、平然と「終了」の看板を見かけたりもするもんだから戦々恐々と数日前から様子伺いつつ、早めの散髪を終えた。

祖父の戦死後に村を離れて以降、祖父母方とは疎遠にて幼少時のおぼろげな記憶しかないのだけれども、祖母の遺品の中に襖(ふすま)を撮影した一枚を見かけた。中央から両脇一枚には対の漢字三文字、その両隣には二行ほどの文が記されているのだけれどもいづれもあのすらすら文字、草書体にて対の六字中、一字が「禅」であることしか読めず、目下、地元の書家に解読を依頼しており。

先のこと言わば鬼が笑う。それが断捨離か終活とやらかは知らぬが、過去の優勝杯を貰ってくれぬかとの依頼があって安易に了と返答すれば早速に届いた。目撃者、というか留守役の証言によれば自転車で運び込まれたらしいのだけれども尋常ならざる数量にてよく転ばなかったナ。

依頼主の意向こそ知らぬも授与者の刻印付きとあらば再利用は酷。まぁ当人が任せるというのだからこちらが勝手に処分すればいいのだけれどもその運搬の手間を鑑みれば有料といえど自らが粗大ごみにて処分したほうが割得ではなかったかと思わんでもなく。

そう、終活ならば生前に自ら勝手に手がけるものなれど遺品となるとそうもいかぬ。残されし家財の数々以外に家そのものの処分なんてのもあったりするから。分別の上、一般ごみにて処分が理想なれど量が量にて埒が明かぬ。一括して業者委託すれどその扱いに難ありとのことで条例の改正が図られて。

混ぜればごみも分ければ資源。往年などは燃か不燃かの二択、その大雑把さが環境への意識希薄などと揶揄されたりもしたが、そもそもに分別品目の拡大の背景には当該自治体の焼却炉がごみの排出量に追いつかぬとの裏事情もある訳で。そりゃやるに越したことはないけれど相応の手間も生じればその処理に要する負担や安からず。

森林に同じ、木の伐採は断固許さぬと申してもそもそもに伐らねば生活が成り立たぬし、排ガスを理由に乗車拒むは無駄骨に近く。ゆえに中庸にして好循環を生む意識を育むことにこそ主眼置かれるが理想。本市などはごみの排出量は政令市で最も少なく、東日本大震災の際なんぞは他が拒む被災地の瓦礫受入、災害廃棄物の処理に一役買ったばかりか、収集体制とてスリム化が図られるなど、ことその分野に関しては全国的にも悪からぬ立ち位置にいるのではないかと秘かに自負するところあり。

そのへん知ってか他市からの不法投棄が絶えず。かくいう当方の事務所前の集積所なども好立地にあるもんだから闇夜に紛れし不審車の出没しばしば。ゆえに見せしめ狙う厳重注意の告知文とて効果薄というか無意味に近く、違反である以上は収集しかねると放置されて文句言えぬ筋合もそのへんの事情知ってか数日後には言わずと本市の清掃車がちゃんと回収していくのだからその機転はエラい。で、後は積まれた優勝杯も何とか...。よい御年を。

(令和元年12月30日/2544回)

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2019年12月25日 (水)

尾行

ものの「ついで」の拡大解釈こそが元凶、些細な綻びが大事に繋がる例は枚挙に暇なく。ひと昔なんぞは地元の忘年会回りなどにも利用されていたというからナ。年々厳格化される運用に「当人が行く以上は全て公務だ」などと豪語できる胆力はないのだけれどもそう簡単に割り切れんのがこの世界。杓子定規の運用は時に不都合が生じることもある訳で。そう、公用車の適正流用。

個々に吟味された判断、同じ会合とてその立場が扱いを左右する。届く宛先を議員ならぬ議「長」にしてもらえば、と経験者に知恵を教わるも、んな依頼はみっともなく。要は公開した際に世間様に名目が立つか否かが肝心らしく。白黒付いた後とて一日はそれのみにて完結するにあらず、次なる予定の「合間」、又は私事と申せど譲れぬ一線。

通夜などは典型、自宅までの送迎は範疇にてそこから斎場までは私用車での往復。労こそ惜しまぬも次に間に合わぬとあらばそのまま向かうが効率的。逸脱した運用と言われるかもしれんけど、こちとて目立つ黒塗りに謝辞示されるは御遺族の方々位でこの御時世とあらば悲しいかなまずは「私物化」に目が行く訳で、手前の脇道で人目を忍びつつコソコソと...違うか。

ゆえに時として返上というか辞退を申し出るもそこに立ちはだかるは議長たるもの随行に送迎付きとの既成概念。ましてや迎える相手方が市の関係者とあらば尚更に随行が居らぬとは職務怠慢と叩かれる陰口。弁明しようにも向こうの目にはそう映る訳で。こちとて目立つ車とあらば尾行に好都合な上に尾行されずと経路の履歴追われる煩わしさから逃れられ。いや、そもそもに秘書の随行そのものが尾行されとるようでどうも落ち着かぬ、などと勝手申し上げてそれなりに身軽になった。

留守がちといえどもさすがに年に一度位は歩かねば地元の事情も掴めぬ。将を射んと欲せばまず馬を...いや、馬に重ね合わせては失礼か。そんな意図なくも無視はさすがに。平穏な一年は村の鎮守様の御利益の賜物、途中に立ち寄りし神社にて合掌姿を遠目に目撃されてしまった。中々信心深い御仁だネ。最近なんぞは七五三とて遠方の名高い神社が選ばれがちも本来ならば氏神様こそ最優先。とある神社にて初着に身を包みまれし赤子を抱いた初宮参りの夫婦と遭遇、健やかな成長を願いつつ祝意を申し上げた。

そう、黒川では数年前に若くして御主人を失いし旧家の御長男が結婚したと語る奥様に笑顔が戻り、ついこないだまで現役で御活躍されておられたはずのMさんは役職を退いて以降はとんと見かけぬ。が、ちゃんと御自宅前には自ら収穫したと思しき野菜が通行人の目を惹くように並べられ、呼べば奥の居間から御元気な姿をのぞかせた。足跡残すかの如く一筆を添えた名刺を挟んで来るのだけれども細山のTさんなんぞは好きが高じて(ってもんでもないんだろうけど)過去の名刺を全て保管してあると初めて聞いた。

悲喜こもごもの話を拝聴して振り返る一年。宿る命に逝く命。逝きし人浮かぶ師走の合間かな。今年も多くの方が天国に逝かれた。

(令和元年12月25日/2543回)

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2019年12月20日 (金)

生欲

そう機会あるもんでもなく関係者には子の誕生が如く一日。海上自衛隊の式典にて「進水を待つ冬晴れや波の音」と詠んだ。

俳句は視座が肝心だそうで。ゆえに吾輩は猫とその奇想天外な視座を有したかの文豪には独創的な句多く。その代表作「こころ」に「人間の胃袋ほど横着なものはない。粥ばかり食っていると、それ以上の堅いものは消化(こな)す力がいつの間にかなくなる」との一文を見つけた。

採決を含む年内の全日程を終えた。後半は一般質問。議長以外の「全て」の議員に認められし発言権。これほど広く認める市議会は全国でも稀であって、時に羨望の眼差しを以て賞賛されたりもするのだけれども人の胃袋に同じ、粥ばかり食べとるとそれがさも当然が如くにいつしか研鑽を怠り。内容乏しくとも口調穏やかならば子守唄位にはなりそうなもんなれど、しゃべらな損の勢いでまくし立てられては耳障り悪く余韻残るは疲労感。

そこに制限あらば折角の機会を有効に、との思慮働くはずもそんな親心とて敵方には権利侵害と映る訳で。火中の栗拾わずと黙々と自らの内職に専念しとると思しき御仁少なくなく。が、雛壇というか番台となるとこうはいかぬ。いかなる質問であろうとも聞き分けて瞬時に答弁者を指名せねばならんのだから気は抜けぬ。が、そこは何と申しても役職が役職だけに言わずとちゃんと手元には答弁者の順序と回数までが記された一枚が置かれていたりもしてその通りに指名しておれば内容など...いや、ちゃんと聞いとりますぞ。

「二句添へて箪笥にしまふ古日記」も今月の一句。「日記買ふ」が冬の季語にてそちらが兼題だったのだけれどもまぁ「日記」には違いなく。そちらを詠んだものは「まだ生くるつもりの三年日記買ふ」との先生の句を筆頭に旺盛な「生」欲に絡むもの少なくなく。執着心こそ御元気な秘訣か。ゆえに発言権への執着は分からんでもないのだけれどもそこに些かの気遣いでもあらば...。そのへん、若手の矢沢孝雄君なんぞは多少の時間を残して質問を終えたのだけれども要領よく的を得た質疑にて耳に残った。

ありがちな役所の煩雑な手続きの改善を求める内容にて、その発端は建設発生土の市への受入について実際の運搬以外にその許可・申請の類で都合三度も本庁窓口に出頭せねばならんとか。市の北部とあらば片道一時間、そりゃ典型的な御役所の都合の一例であって利用者目線で全庁的に改善すべしとの内容に市長自らが改善への強い意欲を示して質問を終えた。

最近は複雑な精神構造を有した被告少なくなく解釈に悩むのだけれども。長男を殺害した罪に問われた元事務次官に言い渡されし懲役六年の実刑判決。子を想う親の心を信じつつも、袋小路に追い詰められた当人の苦悶に実の息子を殺めた、というよりもそうせざるを得なかった心境いかばかりか。子を失いし悲しみとともに背負う十字架。判決後の本人の表情には情状酌量を願わずとも判決を甘んじて受ける悲壮な覚悟が窺い知れて。獄中、体調を崩されぬことを願っている。

(令和元年12月20日/2542回)

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2019年12月15日 (日)

糊代

世を震撼させる大事件などと申せば不謹慎この上なく、せめて国会の紛糾、否、大物俳優の結婚位が重ならば露出は減る訳で。そんな淡い期待脆くも平穏な一日に大々的に報道されて、不本意ながらすっかりと有名人になってしまった。

勝って雄叫び上げるは日本人の美徳にあらず、一部の軽率な行動が更なる火種にならんことを祈るばかり。拭えぬ不安に視界良好ならぬ中での決断。憂国の士と思しき市外匿名の方からも随分と御心配いただいた。急進的とて否定されるもんでもなく、貴重な御意見の数々は真摯に受け止め、事態を好転させるべく職務を果たして参りたい。

それにしても「バカ」「アホ」の類しか言えぬ稚拙なエセというか「まがいもん」の輩も少なからず。自らの名を売るに相手を利用するは常套手段なれど所詮はその程度の器にて。欲なきが名を売れるは世の不思議。まずは混乱無く本会議での採決を終えた。

繰り返される挑発的な行為、仏と独、国の威信などと対抗心を騒ぎ立てられ、担ぎ出された決戦の舞台は侯爵邸。当日に姿を見せぬ相手、敵前逃亡を笑う聴衆に勝者が演じた曲目は...相手の作品。「こんな立派な作品を世に生み出せる才能の持ち主なのだから...」と見せた度量の広さこそ「大」バッハと呼ばれる所以。そんな世紀の対決が含まれる回想録「バッハの思い出」。著者はアンナ・マグダレーナ・バッハ。

そう、バッハ夫人とされているのだけれどもそのへん諸説あるらしく。バッハの子沢山は有名。死別した前妻の子四人を抱えたままの結婚後に十三人もの子供をもうけるのだけれども同様に注がれる母親の愛情。仮に著者が別人としてもその洞察眼に描写力は秀逸。音楽のみならず人として教わること多き一冊ではないかと。

そう、隙間風が身に染みる季節。それは自然界に限った話ではなく、本市の組織とてまちづくり局と建設緑政局などは同じ都市基盤を扱いつつも設計と施工のようなもの。本来は同じ目標に向かわねばならんのだけど、そこに齟齬が生じたりすると...。脳性麻痺の重度の障害者の方から市議会宛に陳情をいただいた。車椅子対応トイレにリフターの設置を求める内容にて私の所属するまちづくり委員会への付託。

当日は陳情文の朗読とともに示される行政の見解。介護リフトの現状と課題についての説明が続く。質疑では介護リフトに終始するは矮小化で当事者らの生活上の支障を解消することにこそ主眼が置かれるべきと某委員。木を見て森を見ず、その近視眼的な発想こそが役所の欠点なのだけれども彼らとて法律の枠組みの中にしか生存出来ぬ宿命を背負っているだけにいかにその隙間を埋める、というか糊代を作れるかが焦点の一つ。それは時に「縦割り」とも言われたりもするのだけど。

重度とあらば移動も億劫、立ち会わずと後日には会議録が公開される訳で。にも関らず、当事者には傍聴に足を運んでいただいた。予め用意された席次にはまちづくり局のみならず健康福祉局の担当も記されており、糊代の部分が補われたいい議論が交わせたのではないかと。採決の結果は勿論...。

(令和元年12月15日/2541回)

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2019年12月10日 (火)

旗手

帰宅前に立ち寄りし事務所の机の上に「再度、投函を」の書置き。はて、投函を指示しておいたはずも何故に。両面のつもりが片面であったことに気付いたものの、終業間際にて後は頼むとそんなところらしく。同封物は善意の情報提供にて知らずとも何ら...いや、「それほど」不都合なく、むしろ再度届かば恥の上塗りってもんで。何事も無かったかの如くそのまま屑箱に...。

が、それが「役所」とあらばそうはいかぬ。申請書を同封すべきを間違えて対象者の名簿を入れてしまったとか。それもたった一通。当事者からの連絡により発覚、申請書を新たに送付してハイ終わりとはならず。個人情報の漏洩は重大な過失、名簿を回収した上でそこに掲載された「全員」に事実を告げた上で詫びを入れる対応に休日返上で追われたとか。それとて、みすみす不手際を知らせるようなもんで代償小さからず。

偶然か必然か、同一の区役所で続く不祥事に求めずと責任者との面会と相成った。進む働き方改革が逆に作用しとるふしはないかとの詰問の裏には残業削減を目論む勢力への牽制が働いているのだけれども「それは理由にならぬ」と相手。そこまでやよし、「小さなミスといえど今後は...」と言いかけた相手に副議長の雷が落ちた。どこか「小さい」んだ、と。

さて、師走。前職時代というか新卒時の贔屓と未だに付き合い続き、退職後も酒酌み交わす間柄にて忘年会でもどうかと今年「も」お誘いをいただいた。接待する側、される側、東証一部上場の大会社とあらば年功序列の給与体系、方やハゲタカ外資とあらば給与の差は歴然にていづれ出世払いでと過去には随分貢がせていただいた。が、当時のあの稟議書がなければうだつ上がらぬ私などはとうの昔に解雇されていたやもしれず、路頭に迷わずに今日を迎えられたのも当人のおかげ。

その後に知りし家庭事情に地元の養護学校の世話をした(と申しても単に役所への仲介役を果たしただけなのだけれども)御子息が晴れて卒業だそうで就活も大詰め。当人の性に合いそうな行先を見つけるも要送迎となるらしく。それまでも奥様が送迎を担われてきただけにそのままとの選択肢もありそうなのだけれどもこれからは自らがその役目を負うと決心されたと。

そこに立ちはだかるは社の風土。押し寄せる時代の波も護送船団を旨とする典型的な日本企業には前例なく。されど、社内見渡せば抱える事情は違えど同じ想いを抱く社員少なからず、社の模範となるべく壁に挑んでみるのだとか。あれから二十年、その間の評価は現在の役職が物語る訳で旗手に適任ではないかと後を押した。成否こそ知らぬも管理職がそれで挑戦してみようと思わせる土壌は業績良好の証かも。

そう、働き方改革などと申してもどこぞの条例に同じく勝手な解釈が罷り通りかねず。不本意な残業は是正されて然るべきも時に仕事への渇望というか意欲を削いでは本末転倒。好き好んでやるものをわざわざ阻害せんでもいいではないかと思わんでもなく。当人に勝算ありと見たか、ほろ酔い気味の相手に「もう一軒」と付き合うことになった。

(令和元年12月10日/2540回)

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2019年12月 5日 (木)

発酵

公務後の夜移動にシャワー無しの宿泊先とあらば疲れ癒えぬままに...久々の完走を遂げた。空腹時における相手の厚遇がそうさせたのかもしれんけど途中の休憩所で食べた干柿が抜群に旨かった。発酵はわが国が誇るべき食文化の一つにて渋柿を干して甘くするなど到底及ばぬ発想。干柿といえばおらが地元との交流深い長野県高森町の名産「市田柿」が有名なれど、こちらも劣らず。品種は「甲州百目」というらしいのだけれどもデカいのが特徴にてワインとの相性抜群と聞かば土産に買わぬ理由なく。完走以上に大きな収穫。

熟れ時こそ最も旨しとは食の基本なれど、こと柿に関してはあの硬めな歯ごたえこそが好みにて津々浦々のソレを物色しているのだけれども同郷人のN君より「新道柿」なる品種が最高に旨いと聞いた。そう、柿といえば今年はおらが地元の「禅寺丸柿」が不作。国の登録記念物にて柿古品種五種として皇居内にも植栽されている由緒正しい品種なれど消費者の嗜好は別物。

糖度こそあれども何せ小さい割に種多く、贈答品とするにはちと...。品種改良の進む今日においては地元スーパーの店頭に並ぶ名もなき種無し柿とて十分に旨く、つい、そちらに手が伸びてしまいがち。いやいや、票の為なら禅寺丸柿こそが最高などとヨイショするが得策なれど、そりゃ世辞ってもんで本音を隠すは生産者の為ならず。そう、最古の甘柿が果たした役割、村を救った歴史は後世に語り継がれるべき。柿へのこだわりというか愛着は他の名産地に些かも劣るものではないけれど。

開幕後における追加議案の上程は異例中の異例。ましてや代表質問の〆切日とあらば作為的な意図を疑ってみたくもなるのだけれどもこの機を逸せば次は翌年の二月以降。先行き見えぬ中の越年はキツい、市長の打診に「やるべし」と背中を押した。台風による浸水被害の救済。国の法律は建物の倒壊等を前提としたものにて浸水被害は想定外、というか手薄。再建支援法の対象とならぬ半壊以下の住宅とて少なからぬ修復は生じる訳で。救済を求めるべく申請しても調査の結果、「対象外」と宣告される心境はいかばかりか。

確かに議会日程上は微妙な時機なれど、「皿からこぼれる被災者を何とか救えないものか」って随分と前から気にされておられたからナ。ほんとの話。そこに県が救済制度の創設に動き始めてようやく示された結論。県の独自制度に政令市は適用外とあらば市として手立て講ずるが人の道ってもんで。被災者生活再建支援法の支援の対象とならない浸水被害の世帯に対して生活再建を目的に県に準じた本市独自の支援を講じるもの。気になる財源は本市に寄せられた多額の寄付金以外に本市独自の財源を投入。

非難浴びるような筋合いのものではないと知りつつも私の一存では心許なく、召集した団長会議にて了とされた。あくまでも俎上に上がっただけの話でこれからが本番。山積する懸案にこぼれる悲鳴。いやいや、それこそが本望、冥利に尽きるというものではないか。

(令和元年12月5日/2539回)

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2019年11月30日 (土)

農協

前日が農協の日帰り研修と聞いて口を挟むべきか否か。前夜は断酒した上に就寝時には加湿器と聞いて、当人を疑いし自らを恥じつつ、そんな地元の名司会の進行による就任祝賀会を和やかに終えた。

そちらの御仁も信じていたのだけれども当日の空席に聞こえる会話。さすがにあの政党は...。いやいや、んなことはない。これまでも委員会では何度か机を並べた仲な上に、米国留学を経験された優等生とあらば私とウマが合わないはずもなく...何をバカな。でも、やはり立場上やむなしなんだろうナと迎えた翌朝、M団長自らが議長室を訪ねて下さって、「昨日は都合つかず申し訳ない」と。これこそが政党の垣根を越えた友情ってもんで。

今年もそんなM団長率いる一部の会派の反対むなしく賛成多数で議案が可決。「若干」の増額が図られることになった賞与。まぁ毎年そんなことをやっているのだけれども、今年などは台風被害に鑑み、市長「も」辞退すべきではと迫る会派も現れて。制度上、返納できぬ仕組みにて結果的に当人も「貰う」のだからそんなエラそうなことを言うだけ野暮ってもんで、陰徳なる言葉を御存知か。

さて、図らずもその分野の大御所と同席の機会に恵まれた。万雷の拍手は演奏そのものの評価というよりも謝辞的な意味合い濃く、来日を喜ぶ演奏家は少なからずもそれは誤った認識に陥りかねず、決して本人の為になりえぬと御教授いただいた。国による価値観の違い。その寛容というか対立好まぬ牧歌的な国民性が仇となって時に逆に付け狙われたりもするのだけれどもその道徳観こそが国の宝。罰則で道徳根付かせるは此国の流儀にてやはりジワリと心に浸透してこそ。

成人式の蛮行に同じ、報道も手伝ってか激化の様相。制定そのものに反対の立場から賛成方とてこれでは不十分とあらば。臨みし記者会見では全会一致の成立への意欲など聞かれて。提出側が全会一致を望むは当然、されど、議長がそれを公言しては個々の判断に介入する越権行為。あくまでも進行役にて採決には関与せず。降りかかる火の粉を振り払わんと、各会派の動向に注目をと述べてみたものの物言えば唇寒し。何せ言うこと聞かぬ連中だからナ。

そんな状況に残影浮かぶはやはり全国に先駆けてと騒がれた子どもの権利条例。一部の熱狂とは裏腹に他市の追随少ないことが物語る事実。殴った教師は罰せられども教師を殴った生徒は咎めなしと過ぎた権利意識の横行は条例制定の弊害ではないか。功罪相半ばに功のみ喧伝されるも罪は見逃されがち。世論動かすは理ならず情、反対出来ぬ価値観をタテに成立を目論む面々に対する相手方が描く地獄絵図とてどこぞの自衛隊の戦争元凶論に酷似していなくもなく。

脅かされる表現の自由、というか言論封殺、魔女狩りへの懸念等々。あちら立てればこちらが立たず、二律背反の自己矛盾への処方箋やいかに。あえて箱を開けぬという選択肢もあったはずもそれはこちらの与り知るところにあらず。既に渡りしルビコン川に加熱する抗議行動。断固阻止へ講じられる手口の数々は左派に変わらず。まさに冷静さを欠いた恫喝に近い侮蔑的な物言いは聞くに堪えず、逆に印象を損ねてやいまいかと。

(令和元年11月30日/2538回)

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